Sketching日記(15)

(実際のところは「Max8日記」かも)

長嶋 洋一


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2022年8月28日(日)

昨日は午後にも過去の僕のページ( 日記シリーズ )などをだらだら追いかけていく内に1日が終わってしまったが、その分、今日は内なる意欲が充電された感じでスタートした。 1106の本棚もだいぶ整理されてきて、主だった書籍は台車3回の運搬でSUAC図書館に寄贈ということで消えて、まだ新書版サイズのものが残っているが、山場は超えつつある。 そこで午前には一念発起して、「トラ技」断捨離 part2 として このように 、2019年8月の 「トラ技」断捨離 part1 に続いて、残っていた「トランジスタ技術」誌を2013年1月号から先月号まで、全て結束機「しめしめ45」でまとめて塵芥室に持っていく準備を行った。 だいぶ本棚がスカスカになってきた(奥と手前の2層構造だったのがほぼ解消)ので、ここにあれこれブツを置けるようになったが、ここに溜め込むとまたエラいことになるので要注意だ。

午前中には力仕事でいい汗をかいたので、一転して午後はデスクワーク、Ars ElectronicaのEA2022での招待講演のプレゼンの準備である。 だいぶ時間が経過して詳細を忘却していたので、まずは この日記のPart13 の「2022年5月5日(木)」のところから見直してみた。 講演の募集での「Synaesthetic Syntax III: Gestures of Resistance」の企画意図としては、「Synaesthetic Syntaxは、アルスエレクトロニカ・フェスティバルのエクスパンデッド・アニメーション・イベントの一部です。この一日シンポジウムでは、感覚と拡張されたアニメーションとの複雑な関係を探ります。このシンポジウムは、感覚の優位性に焦点を当てることで、テクノロジーの誘惑について、また、人間であることの基本を語る言説を維持する方法について、問いかけることを目的としています」とあった。

ここでは上の4項目のうち、僕が食い付いたのは最後の「How might touch and biofeedback data be used in new ways to create animation?」だった。 そして、Ars Electronicaのフルパスを受け取る招待講演として採択された僕の提案は、 この日記のPart13 の「2022年5月10日(火)」のところにある(ここでは全てを再録しない)。 基本的には、このArstract(約500word)をなぞれば、30分のトークを構成できる筈であり、それが採択した向こうにとっても期待している事なのだろう。 さらに、以下の「Relevant links」があるので、PAWセンサ関係を持参して現場でデモする予定ではあるが、最悪、現場でトラブったとしても、これらのリンクを見せればなんとかなる、という保険もあるのだ。
Relevant links
### MRTI2015 ###
Demo Youtube Movies
	https://www.youtube.com/watch?v=FM1Af3TyXNk
	https://www.youtube.com/watch?v=LF7KojKRP2Y
	https://www.youtube.com/watch?v=2SD84alrN1A
A record of smiling faces of people experiencing it
	https://nagasm.org/1106/Sketch2015/Happy.html
	https://nagasm.org/1106/SI2015/Happy.html
### PAW-eight ###
Demo Youtube Movie
	https://www.youtube.com/watch?v=eO_BEA6yakU
A record of smiling faces of people experiencing it
	https://nagasm.org/1106/Sketch2019/Happy.html
とりあえずプレゼンはKeynoteで作って最終的にはPDF化するのだが、これまでにこの話題で作っていたプレゼンを活用しない手は無いので、その発掘から作業はスタートした。 PAWセンサを一番最初に使ったのを 日記シリーズ から発掘してみると、 Xcode日記(1) の「2015年4月20日(月)」のところに以下のように、とりあえず購入したまま1106に眠っているPAWセンサの写真があった。 お話としては2015年から始まるのだった。

そして Xcode日記(1) の「2015年5月14日(木)」のところで一気に1日で、NucleoF401REにPAWセンサを繋いで4チャンネルの「うにうに」情報をMaxに送って このように フォルマント的なサウンドを生成するシステムを完成させていた。 そしてこの1チャンネルシステムを「音楽情報科学」の宮本さんに貸し出して、10チャンネル版のMRTI2015の開発に向かったのだった。

記録を追いかけると、Part2をまたいで Xcode日記(3) の「2015年6月23日(火)」のところに上の写真があり、実際には こちらのページ にメイキングのPart1があった。 その翌日にはだいぶ進んだが、ちょっとした「壁」にぶち当たって数日間モタモタして、「2015年6月29日(月)」のところで「解決」して、一気に完成まで持っていったのだった。 そしてその2015年、夏の米国アリゾナでの Sketching2015 と、シンガポールでの SI2015 に持参して現地でデモして、いずれでもこのように 「ウケ」た・・・という経験がその後の研究にも役立ってきた。

そしてこのネタを、この年の音楽情報科学研究会・夏のシンポジウムでは お触り楽器 として発表し、またチュートリアル講演として 新楽器へのアプローチ も行った。 このMRTI2015は、翌年の 欧露ツアー2016 でも、「ダブルMyo+MUSE」と並んで主役となったので、関連プレゼンの発掘は お触り楽器 (PDF作成のタイムスタンプとして2015年7月)以降について調べればいい・・・と判明し、集中して全部を開いて中身を確認して、とりあえずピックアップしたPDF(論文、プレゼン)は計14本となった。 ここからは、ちょっと熟成も必要なので、じっくりと進めていくことになる。

ここまで調べて、今日はだいぶ頑張ったなぁ・・・ということでコーヒーを飲みながら、ふと眺めてみたのが上の地図である。 羽田からフランクフルト乗り継ぎでウイーンに行き、いつもの特急でリンツまで2時間ほどで、基本的に今回はここだけ滞在の予定である。 ところで 海外渡航歴(備忘録) のページを見てみると、過去には、 欧州ツアー2012 の時にウイーンから足を伸ばしてスロバキアのブラチスラバに日帰りで行ったり、 欧州ツアー2014 の時にリンツから特急2時間のザルツブルクに日帰りで行ったり、 欧州ツアー2018 の時にはリンツからポーランドのクラクフに行く途中でチェコのプラハ経由でブルノに2泊したりしていた。 そしてリンツからはウイーンよりも近いザルツブルクとほぼ同じ距離に、とても発音できないのだが、「チェスケー・ブジェヨヴィツェ」(České Budějovice)という都市が、国境を超えてリンツから真北に行ったところにあるのを発見した。 調べてみると、リンツからは電車で2時間で、1日8本の電車が行き来しているので、日帰りツアーとしては最適の距離にある。

ここからいつものネット探索が始まり、 これ とか これ とか これ とか これ とか これ とかの資料をゲットしてプリントしてみた。 調べて到達した このページ の、『ブジェヨヴィツェといえば、700年にわたりオリジナル製法でビールを作り続けてきたブドヴァルというビール工場があります。このビールにまつわる歴史にご興味のある方は、ぜひビジターセンターにお越しください。ブドヴァルという名は世界中に知られていますが、その名称には販売上様々な問題が残されています。ブジェヨヴィツェはドイツ語でブドワイスBudweisといい、アメリカ製のバドワイザーの名称はここに由来しています。しかしアメリカ製のビールとブジェヨヴィツェのブドヴァル・ビールには全く関係がありません。商標の販売特許をめぐって訴訟や裁判が長い間続いていますが、ブジェヨヴィツェで造られる純粋なブドヴァル・ビールの味に変わりはありません。直接タンクから汲み上げて注がれた純白できめ細やかな泡を持つラガーが飲めるのは、伝説になるほど有名なレストラン、マスネー・クラーミです。その由緒正しさは、カレル4世の時代に遡ります。ここで「ブジェヨヴィツェのビールの話」と題するマルチメディアの展示をご覧になり、世界に名を知られるラガーバドワイザー・ブドヴァルの製造秘密を、ビール醸造所ツアーで発見してください。ツアーの最高の目玉は、なんと言ってもラガー貯蔵所で直接堪能できるビールです。樽から直接注がれるビールは、他にもチェスケー・ブジェヨヴィツェで最も有名なパブ・マスニーのお店で味わえます』という記事は、 ここ にあるように、国内ばかりか世界の醸造所ツアーに参加している僕としては、垂涎のモノである。 これを頭に置いて、プリントアウトも一応は持参しつつ、オーストリアに向かうことにした。

2022年8月29日(月)

新しい週となったが、今日は1ヶ月ぶりの眼科通院、明日は人間ドック、そして明後日にゼミ・M1王さんのアポがあるだけ、という「リンツ行き待機期間」(嵐の前の静けさ)のような週である。 もう2年半以上になる左目の不調(角膜上皮剥離性糜爛)は遅々として超スローな経過となっているが、2ヶ月前ぐらいまで0.3で止まっていた視力がようやく0.4、そして0.5あたりまで回復していたのだが、今日の検査ではなんと0.8という出来過ぎの数値(視力検査で勘が当たりまくった)となった。 疾病前は1.2以上あったのでまだまだとしても、体感として「3つに滲んでいた風景」がなんとなく「2つに滲む」ようになってきた印象なので、まぁ年齢からしてこんな程度でも回復基調にある・・・というのは有難いことである。
その眼科のドア前の椅子で約1時間待っている(予約診療でも並んだ順となる)間に読んでいたのが、昨日プリントアウトしていた「チェスケー・ブジェヨヴィツェ」(České Budějovice)(まだ発音出来ない)の案内やマップだった。 そしてその中に、「Horse-drawn Railway」(ヨーロッパ本土で最も古い鉄道。19世紀初頭、チェスケー・ブディエヨヴィツェとリンツを結ぶ鉄道が開通しました。全長130キロメートルのこの鉄道は、40年間にわたり両都市間の人と物資の輸送をより迅速なものにしました。馬鉄とその歴史に関する博物館があります)という記述まで発見してしまった。 去年2021年に 京都鉄道博物館 に行った後で、それ以前に行っていた2012年の リュブリャナ鉄道博物館 や2016年の ユトレヒト鉄道博物館 に行った記録を発掘してきたように、これまた是非とも行ってみたい場所が出来てしまった。 そんなこんなで、小さくて読めなかった資料を拡大したプリント も作ってみた。

午前中に1106研究室に出てくると、昨日のメイルで約束していた、ゼミ・吉田さんの音楽知覚認知学会での発表予稿の第1版が届いていた。 なかなかしっかりと出来たものであり、1時間ほどかけてあれこれコメントして返信したものの、これなら今週中にしっかりしたものが出来て学会に提出できる、と確信した。 楽譜ソフトもきちんと活用して、僕が手書きしていた 楽譜 も立派なものになり、さらに吉田さんが苦労して「作詞」した歌詞付きの楽譜も立派だった。 これは、学会でウケること確実である。 後期に向けてのプロジェクト案を複数、早くも検討して相談のアポを入れてきた日崎クンも含めて、僕のゼミ生は意欲も実力もある少数精鋭軍団であり、僕としては嬉しい限りなのだった。
さらに、あまりここには書いてこなかった水面下の動きとして、ギリシャの某先生から「来年2023年5月にパリ」という打診が浮上してきている。 ただし来年度は僕のSUACにおける最終年度であり、おそらく海外出張は1回なので、priorityとしてはNIMEかICMCに応募してみたいのだが、いずれもまだ今年のカンファレンスが終わった(7月)ばかりなので、来年度の開催地の情報は一切、届いていない。 CFPが届くのは早くて年末か、あるいは2023年1月になるのだが、今回のお話の僕の回答期限は10月までなのである。 これはなかなかに悩ましく、僕にしては珍しく即答せずに、回答を保留したまま渡欧することになりそうだ。
午後にはネットで外務省・厚生労働省・ANAなどに行って色々な調べものをしたり、何故か「ウイーン交通マップ」とかプリントしていたら、夕方にはゼミ吉田さんから改訂版の予稿が届いて、これはもう OK ということで、学会への送付まで完了してしまった。 これであとは、プレゼンとデモ(ここが今回の「肝」)に向けて、さらに吉田さんは準備を進めることになる。 そういえば僕もArs Electronicaのプレゼンの準備のための準備まで、で止まっていたのだった(^_^;)。 これは明日以降、今週の最大のお仕事として取り組んでいくことにしよう。

2022年8月30日(火)

朝から午後まで、年に一度の「人間ドック」の日だった。 毎回、胃カメラを口から入れるか鼻から入れるかで悩むのだが、ここ最近は口からのあの「ぐぇ」が嫌なために消去法で鼻から入れている。 毎年、辛さ軽減の手法は進化していて、今年は胃カメラ待合室で胃洗浄の飲み薬は同じだったが、その後に鼻に麻酔液、さらに鼻から奥まで麻酔パイプを入れて待機するという方法になっていたが、これがいざ現場の検査室での辛さをだいぶ軽減してくれて、辛いのは辛いのだけれど、記憶する限りではこれまでで一番、楽な胃カメラだった気がする。 たぶん来年の胃カメラも「鼻」になりそうだ。

そして、さすがに今日は人間ドックのダメージのために1106でダラダラ過ごそうか・・・と思っていたのだが、来週に迫った3年ぶりの海外出張を前にしたテンションから、 ここ で作っていた新楽器「Dodecahedron」を活用した新曲の作曲の作業に着手してしまった。 これは、空港ラウンジとかホテルとかで、けっこう時間に余裕があり、かつテンションが上がっている現場で作業していくための準備である。 上のようにパッチを比較的小さくしているのは、持参するMacBookAirの画面が小さいからなのだが、以下のように、10個のセンサからの情報を「seq」オブジェクトで記録してmidiファイルに書き出して、実際にはセンサを持参していなくてもその演奏動作に伴うセンシング情報をemulationとして「再現」できる環境を構築してしまった。

  

上がその内幕で、現状ではGENを活用しまくっている「美味しいフォルマントっぽいOscillator Sync音源」と「美味しいBGM自動生成パート」だけだが、ここにあと4種類まで精選した音源ブロックを追加して、さらに4種類ゲットしているリバーブ系から厳選して追加する予定であり、今からその作業が楽しみになってきた。 せっかくなので、この状態は明日にアポが入っている、ゼミM1・王さんにも見せることにしよう。

2022年8月31日(水)

研究室に出てくると、Ars Electronicaから届いていた2本のメイルへの対応で午前中が潰れるという「嬉しい悲鳴」になった。 1本目は「Sehr geehrte/r Mr. Yoichi Nagashima, Wilkommen zur Online-Anmeldung / Welcome to our Online Registration」ということで、以下のようなArs Electronicaのオープニングと授賞式への「招待状」だった。 これまで10回、Ars Electronicaに行ってきたが、全て「視察参加」であり、150ユーロ(2万円以上)のfull passを購入して全てのイベント(展示/ライヴコンサート/シンポジウム等)に参加してきたものの、プログラムに「(注)このイベントだけは参加できません」と書かれていたのが、このオープニングと授賞式(招待者だけ)というものだった。 EA2022がArs Electronicaの公式な関連イベントということで、そこで講演する僕は、ようやく初めて、この禁断の「関係者のみ」のイベント[9/7(水) Opening]・[9/9(金) 授賞式]に招待されたわけである。 いずれも晩にJKUの野外で開催されて、それぞれ後には「レセプション」もあるのだった(*^o^*)。 文句なく「参加します」と登録した。

そしてもう1本も、「Expanded Celebration – 10th anniversary party」・「Ars Electronica is thus delighted to invite special guests, partners, experts, and creatives to enter into exchange about this exciting topic at the following event」という招待だった。 こちらは9/10(土)の20:00から「Ars Electronica Center, SKY LOFT」ということで、JKUでなくAECであり、タイトルがPartyというぐらいなので、こちらもまぁ「レセプション」があるのだった(*^o^*)。 そこで、 Ars ElectonicaのイベントとしてのExpanded Animation Symposium というページだけでなく、本家の Expanded Animation 2022 (ローカル保存版) のページに行ってみると、とてもカッコイイ 予告編の動画 があったり、さらには SPEAKERS のところを見ると、ちゃんと僕の例の怪しい写真も並んでいた。

ただし、僕の紹介のところを見ると「Associate professor @ Shizuoka University of Art and Culture」となっていて、これは2006年までの肩書きであり、Associateが2007年には取れているので、訂正が必要なのだった。 そこで、駄目モトで訂正依頼のメイルを出したが、ここに書いている自己紹介の文章にも問題があるのだった。 「From 2000, he has been also the associate professor at SUAC(Shizuoka University of Art and Culture), Faculty of Design, Department of Art and Science, and teaches multi-media, computer music and media-art. As a composer of computer music, he collaborated many musicians in his composition. He organized and was the General Chair of NIME2004, started teaching the master course and he became the professor of SUAC in 2007」ということだと、パッと見にはまずassociate professorと読み取ってしまい、あとはちゃんと読まれていなかったのだ。 これは僕の方の書き方も変える必要があるのかもしれないが、2000年からProfessor、と書くと事実と異なるので、なかなか悩ましい。(^_^;)

日本でも台風11号がなかなか強力と伝えられているが、Linzのweatherを見てみたところ、上のようにあまり好天とは言えず、時にシャワーが降るし、そこそこ肌寒い感じだ、と覚悟させられた。 まぁ、過去にはドナウ川の畔りの花火大会で震えたこともあれば、暑い日差しに参ったこともあるし、湿度だけは快適なものの、天気と体調には注意して行くというのは、リンツに限らないが改めて肝に銘じておこう。 そして午後にはゼミM1・王さんのアポがあり、先週の新曲に対するアレンジについて色々とコメント/議論したり、先週のProcessingスケッチのバグを解決したり・・・と進めた。 その後はずっと、だいぶ大規模になってきた模様のArs Electronicaでのプレゼン作りに精を出したが、まだまだ完成は遠い。 明日から出国前日の日曜日まで、ずっとこれに没頭する覚悟である。

2022年9月4日(日)

その出国前日の日曜日である。 木曜日・金曜日は本当にマルマル、Ars Electonicaでのプレゼン作りに没頭して、自分としては「これまでで最高の」プレゼンの準備がなんとか完了した。 Keynoteのページ数は75ページほどで、途中で参照する動画が最低でも5本(いずれもプレゼン用にトリミング済)、さらに追加用に4本を用意しているが、MRTI2015とPAW-eightを持参して現場でMax8によるライヴ・デモまで交える予定である。 30分の時間内に収まるかどうかはまったく未知であり、リンツに到着して5日間、日々が英語漬けになることでどれだけ僕の頭が英語モードになっているかどうかに依存している。
      • 2022年8月3日(水) 3時間 11曲 (arpeggio)
      • 2022年8月4日(木) 3時間 7曲 (arpeggio)
      • 2022年8月10日(水) 6時間 59曲
      • 2022年8月17日(水) 6時間 62曲
      • 2022年8月22日(日) 4時間 41曲
      • 2022年8月26日(金) 6時間 60曲
      • 2022年9月3日(土) 6時間 63曲
土曜日はSUACネットワーク機器交換のために大学に出られなかった(出てもネット途絶で何も出来ない)ので家庭サービスに徹して、午後にはJoyJoyヒトカラ6時間で63曲を完走した。 上は先月の記録(+昨日の記録)であるが、それ以前の記録は この日記のPart13 のいちばん下、「2022年7月31日(日)」のところにある。

そして今日は出国前日ということで、あちこちから最終確認のメイルが届いた。 ANA、JR東海、WiFiレンタル屋、海外旅行保険などで、まぁこれは想定内のものだった。 それ以外にArs Electonica関係で届いていたメイル群は、まぁ前日にこれというのもナンだが、なかなか凄いものだった。 まずは Expanded Animation 2022 の僕の紹介のところがちゃんと訂正されていた。 そしてofficialな「We are pleased to confirm your registration!」ということで、「07.09.2022 Ars Electronica Opening und Festival University 2022」・「09.09.2029 Prix Ars Electronica Award Ceremony」の正式な招待が確定した。 さらに「Dear Artist, We are looking forward to welcoming you at the Ars Electronica Festival 2022 in Linz」という関係者向けのWelcomeメイルが届いた。 ここには「Your ARTISTPASS gives you free access to all festival locations, conferences, workshops, performances and concerts on September 7-11, 2022. The ARTISTPASS entitles you to the free use of public transport within the Kernzone (core zone, except Postlingbergbahn to Anton Bruckner Private University). Therefore, please don’t leave your ARTISTPASS at the hotel」とあり、なんとハウプト広場から出ている登山鉄道以外の市内交通までフリーパスになっていた(^_^)。

そしてExpanded Animation Symposiumは今年が10周年ということで、9月10日にはArs Electronica Center, SKY LOFTで「10th anniversary party」というのに招待されていたのだが、さらに「On behalf of the organization of the Expanded Animation 2022, which takes place in parallel with the Ars Electronica Festival, I would like to cordially invite you to our Meet and Greet, an informal event with drinks and excellent Austrian food as a way to socialize and thank you for your participation in the event」というのが9月8日の晩にリンツ市内のド真ん中のRestaurant Stiegl-Klosterhof (https://www.klosterhof.at/)で開催されるので来てね・・・という招待も届いた。 9月8日はチェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェに日帰り旅行の予定だったが、なんとリンツに帰る列車の到着が18:06ということで、リンツ駅からトラムに乗っていけばちょうど間に合う(^_^)というタイミングだった。 これでなんと、9月7日から9月10日まで4日連続で、晩にはparty/receptionが続くことになってしまった。 そのあたりをまとめた「旅程.txt」というのを作ってみたがフォントサイズ=9でも4ページにもなり、おそらくこれは明日の朝までに届いた情報をマージしてから、出発直前にプリントして持参することになる。

2022年9月5日(月)

そして遂に3年ぶりの海外行きの出発日となった。 これを書いているのは16時過ぎ、羽田空港2番ターミナルの「POWER LOUNGE CENTRAL」であり、午後にSUACを出て新幹線で品川(15時前)到着、そこからエアポート特快で羽田第3ターミナル(国際線)に着いて、(1)自宅に残っていた多量の外貨(ほぼ硬貨)をじゃらじゃらとチャリティBoxに入れて、(2)海外WiFiルータを受け取り、(3)自動チェックイン機で搭乗券2枚を受け取り、(4)外貨両替でユーロを受け取り、(5)ターミナル間移動無料連絡バスでここ第2ターミナルにやってきて、ようやく一息ついたところである。 これから2時間ほどここでお仕事してから軽く夕食、そして再び第3ターミナルに移動してセキュリティチェック→出国手続き→搭乗ゲート内のラウンジに移動・・・という予定で、空港内でラウンジのハシゴというのはたぶん初めてとなる。

この日記はこうやって備忘録としてメモしていくものの、デジカメの写真は別途に撮り溜めていく。 それをまとめて「EUtour2022」かなんかとしてWebに上げるのはたぶん帰国後になるので、この日記にその写真リンクを貼り込むのも帰国後で、たぶんしばらくこの日記は文字ばかりになりそうだ。 浜松から品川までの新幹線の車内では、途中で暇な時にと用意していた作曲関係のMax8プログラミングをちらっと始めてみたが、持参するMacBookAir6号機はなんせ中古(しかし2.2GHzCore i7+8GBと高性能)だったので、jitterでぐりぐり走らせているとバッテリがかなり早く消耗することがわかった(^_^;)。 これでは「機内ではMax8プログラミングは無理」という感じなので、ACアダプタのある場所ではMaxプログラミング、そうでない場所ではこの日記のメモを進める・・・ということになりそうだ。 もっとも、さらにiPad miniも持参しているので、メイルのチェックとかArs Electronica関係のメモなどは、iPadで進めるという手もある。

過去には持参したMacBookAirがリンツのホテルの部屋で絶命してウイーンのAppleストアでiPadを購入して2週間の出張後半を乗り切った(その顛末は Max6日記 (4) に詳しく書かれている)こともあり、2016/2018/2019年の海外出張ではMacBookAirを2台、持参していたのだが、今回はこの11インチを1台だけである。 その理由は、COVID-19のために世界的に航空業界/空港産業が低迷していて、ヨーロッパの空港では大量のbaggageが処理しきれずに溢れて、つまりは搭乗客はbaggageと生き別れになっている・・・というニュースを見たので、乗り継ぎフライトとなる今回はbaggageを預けず、機内持ち込みサイズのキャリーバッグで済ますように荷物を最低限にしたからなのだ。 プレゼンのコンテンツは一緒に持参したUSBメモリとHDDにも入っていて、最悪(このMacが死んだ場合)は現地で借りたMacにKeynote+Movieでも出来る(持参したセンサ2種+Max8のデモ無し)という体制を完備してきたつもりである。

・・・そしてここでようやく判明したのだが、今回、持参したMacBookAirは初めての出張持参だったために、FTPクライアントの環境設定が準備できていなかった。 これはつまり、FTPアプリケーションCyberDuckは起動するものの、SUACの1106研究室のお仕事Macから[nagasm.org]の僕のサーバにログインするための認証キーを移植してこなかったので、ここ空港ラウンジに来てからでは設定できず(;_;)、今回の出張の期間中は、僕のサーバのコンテンツについては全く更新できないということを意味する。 まぁ、過去の海外出張でも同様のことは何回かあったので、別に困ることではなく、要するにローカルに日々の記録を記していけばいいだけなのだ。 ある意味では気が楽になった感じで、ここは開き直っていくしかない。
台風11号が近付いているために九州あたりの便が欠航スレスレとなっていてやや騒然としている第2ターミナル(国内線)を後にして、再びターミナル間移動無料連絡バスに乗り込んで第3ターミナルに移動した。 羽田からフランクフルトまでのフライトは通常であれば12時間弱なのだが、なんせロシア上空を飛べないので3時間ほど増えて15時間のフライトとなるため、最初にチケットを購入した時には「9月5日の25時前」(翌日の深夜1時)の出発だったのが、3時間ほど繰り上がって21時25分の出発となった。 いつも21時頃に就寝している僕としては、これはちょっと嬉しいのだった。

さて、ここは19時を過ぎた、国際線搭乗ゲート内のラウンジであるが、ちょっと考えられないほど、静けさに包まれて閑散としている。 国内線ターミナルと違って、手荷物検査場もスカスカなら、なんだか不明な「顔認証出国ゲート」(パスポートをスキャンして、マスクを外した顔と照合するだけでOK。さらに顔写真を撮られた[→おそらく海外の入国審査にこの顔データが行く?])をササッと通過できた。 そして、過去にはブランドショップが燦然と輝き並んでいた「免税店ゾーン」は、人気も少なく静まり返っていて、さらに各ショップの照明も暗かったり閉鎖されていて、なかなか不気味な静けさだった。
そしてワインとトマトジュースをいただきながら、新幹線の続きのMax8プログラミングに没頭する幸せな時間となった。 ラウンジとかでは静かにBGMが流れているので、サウンド系の作曲よりは、グラフィック系の作曲を進める方がいいので、今回のjitterネタは、GENのお勉強で知った「fractal.explorer.maxpat」というexampleを改造する・・・と決めて、このパッチから不要なものをどんどん削りつつ、部分的にemulationセンサデータでパラメータを試行錯誤的に動かす、という実験を進めた。 以下はその途中の、なかなか怪しい感じの経過である。 まだまだここから、テクスチャとか再帰度とか、色々とやっていこう。

2022年9月6日(火)

NH203(羽田〜Frankfurt)の超ガラガラの機内、北極上空である。 B787のエコノミーは3列+3列+3列だが、僕はcenter blockの3席で横になって眠れたのは、たぶん初めてである。 周囲も皆んな、3列を使ってゆったりと寝ていた。 羽田を21:25に出発して6時間半ほど経過して、日本時間は9月6日の朝6時半になったが、到着地の現地時間は正確にはまだ9月5日の23時半で、こんなところで目覚めては現地で時差ぼけするのでまだ無理に眠らないといけないのだが、3年ぶりの海外行きでいくつか新たに気付いたことがあったのでメモだけしておく。

まずルートだが、ロシア上空を経由できないので「南回り」なのかと思ったら、昔ながらの「北回り」だったと判明した。 つまり日本を出ると、まるで米国行きのように樺太からカムチャッカ半島の東側を北東に進んでアリューシャン列島を越え、アンカレッジのあたりで、つまりロシアとアラスカの間を抜けて北極海に出て、アイスランド上空を抜け、グラスゴーとオスロの間を北から欧州に向かうので、フライトが従来よりも3時間ほど余計にかかるのだった。 忘れないように羽田を出た直後にメモしておいたのだが、出発時は日本「9/5の21:25」=現地「9/5の14:25」、ここから14時間半のフライト後にフランクフルトに着くと日本「9/6の12:55」=現地「9/6の05:55」、そして約2時間の乗り継ぎ時間の後、日本「9/6の14:50」=現地「9/6の07:50」に飛び立ったオーストリア航空のフライト(約1時間半)でウイーンに着くと日本「9/6の16:15」=現地「9/6の09:15」となっていて、「夜」に向かう身体深部の体内時計に対して、そこから長い長い一日(ウイーンからリンツに電車移動、ホテルにチェックイン、Ars Electronica会場のJKUにトラムで行ってアーティストパスを受け取る・・・などなど)が待っている。

僕は日頃は自宅でも研究室でも通勤のクルマでもマスクをしないので、これだけ長時間マスクを付け続けるというのは新鮮な苦行でもある。 そして機内で驚いたのは、シートごとのモニタで映画とかを見るシステムは外見は同じだったものの、メニューから一切のゲームが消えていた(;_;)。 僕はまだ世界が注目していない時期からの「数独」のファンで、海外出張ではまずは機内の数独をいくつかクリアしながらワインで一杯・・・というのをルーティンにしてきたので、これは戸惑った。 その一方で、B787はエコノミーでも座席ごとにコンセントがあるので、いまMacBookAirを走らせているこの瞬間も、ACアダプタを繋いで「満タン」の緑色LEDが点灯している(^_^)。 これなら機内でもMax8プログラミングを進められるので嬉しいのだが、機内は「眠る時間」ということで薄暗いブルーLED照明となっていて、キーボードとディスプレイのバックライトでお仕事は出来るものの、このLEDの光を眼に受け続けているとたぶん軽度睡眠障害になるので、ここまで書いたところでオシマイにして、無理にでも眠る事にした。

そして到着3時間半前あたりで、身体の日本時間が朝の9時過ぎなのでどうしても眠れないという状況に、諦めて残りの時間はMaxプログラミングに没頭した。 出発直前に、新楽器Dodecahedronの10個のセンサからの情報を「seq」で記録しておいたので、機内でもその値が確認できるのは嬉しいことで、SHARP距離センサの出力は0-127まで振り切れないのでは??という条件に思い至って調べてみたが、どうもArduinoのスケッチの方で補正していたようでほぼフルスケールの0-127が届いていた。 確認するためのサウンドは、機内ヘッドホン(耳栓越し)という劣悪な条件ながら、この重要な確認を行うことが出来たのは有難い。 そして再びjitter(GEN)のライヴ・fractal生成パッチと取り組んだ。 なんせ再帰演算をするので、ほんのちょっとした値の変化で劇的に変化し過ぎる、という嬉しい悩みである。 とりあえず「使えそうな帯域」をいくつか抽出したが、まだまだ改善の余地はありそうだ。

フランクフルト空港に到着してみると、もうここは「コロナ前」の賑わいで、EU入国審査は長蛇の列、そしてセキュリティを通過して(税関職員のおっさんがPAW-eightを取り出して「これは何だ?」と聞いてきたが(^_^;))、搭乗ゲートに移動してみると、搭乗を待っている人にマスクをしている人が一人もいない。 これで僕は一人だけマスクをして孤立するのだろうか。
・・・という心配は杞憂に終わった。 いまはFrankfurtからViennaへのフライトの機内だが、あいかわらず搭乗客は少ないものの、割り当てられた座席は3列+3列の機材で、ちゃんと「1列には1人」・「前の人のいない席に指定」というルールであった。 つまり僕は28Dだったが、前の列の人は27F、その前の列の人は26D・・・ということでE席は全て空けてあり、「自分の前には誰もいない」・「自分の横には誰もいない」というようにDとFを交互に座席を指定していたのである。 搭乗客が少ないのであればこういう対応も可能だが、ある意味で徹底していた。 そして機内では全員がマスクをしていて、欧州では冷静に整然とCOVID-19対策が進んでいたことを確認できた。

ウイーン空港に到着すると、かつて利用していたWestbahnhof駅までのリムジンバスにまた乗ることにしたが、ここで痛い失敗をしてしまった。 羽田で受け取っていたレンタルモバイルWiFiルータは、今回はオーストリア国内限定としていたのでフランクフルト空港でテスト出来ずに、ちょうどリムジンバスの出発まで45分ほど時間があったのでここで荷物から出してテストしたのだが、その時に胸ポケットに入れていたSonyデジカメが床に落ちてしまった。 筐体にわずかに隙間ができて、電源スイッチを入れると立ち上がるもののLCDモニタは暗黒のままとなった。 つまりは内部のフレキシブル基板のコネクタが抜けたか何かの故障であり、1106に戻れば修理できる可能性はあるものの、ここオーストリアでは無理と判断した。 そういう事もあろうかとスペアにもう1台、同じSonyのデジカメを持参してきたので、SDメモリカードを差し替えて撮影を継続することにしたが、「1台で静止画、もう1台で動画」という過去にやってきた技が使えず、またもうスペアが無いので、気を付けて日々を過ごす必要が生じた。

リムジンバスで快調にWestbahnhnof駅に着いて、Linzに向かう特急のチケットを購入して、軽く昼食をとって、今は11:40、ちょうど特急が動き出したところである。 2nd class(新幹線で言えば自由席)はそこそこ一杯になったが、乗客のマスク率も半分程度とまずまずで、11:40発のザルツブルク行きがリンツに着くのは12:55と、快適なアクセスと言えるだろう。 ウイーン空港ではiPadとモバイルWiFiルータの接続を確認できて(一度、ルータを再起動したらようやく正しく動いた)、いまMacBookAirの方もWiFiの接続を確認できたが、9月に入ってすぐのこの時期というのは大学からも学会からもほとんど意味のあるメイル(返信が必要になるような連絡など)も届かず、静かなスタートとなった。 ただし驚いたのは、YAHOO JAPANがEU域内からはアクセス出来なくなっていた事である。 個人情報とかのEUルールが受け入れられないためらしいが、YAHOO.COMはちゃんとアクセスできるし、5ちゃんねるニュースヘッドライン(そこからの5chスレッドへのリンク先は昔から海外では見えない)だけは生きているのでそれほど実害は無いものの、仕方ないので「Googleニュース」をブラウザのブックマークに登録した。

リンツ駅前のいつものHotel Lokomotiveに行ってバゲッジを預けると、トラムで初めてとなる終点のUniversitatまで行って、好天のキャンパスを散歩したり、ほぼ設置完了したINFODESKに並んで「Artist Pass」と分厚いプログラムを受け取ったりした。 当初はその午後にハウプト広場から「あの登山電車」・・・とか思っていたものの、ずっと起き続けている疲労感に負けて、賑わっている市内のトラム電停で降りずにリンツ駅Hauptbahnhofに帰ってきて、駅内のスーパーSPARで部屋に置くワインとかビールを仕入れて、さらにホテルに直帰せずにホテルIBISの隣にある半分屋台のような軽食屋で「フランクフルト+ザワークラウト+ビール」という本日3杯目のビール(1本目はオーストリア航空の機内で、2本目はWestbahnhnof駅のファストフードで)をいただいて、珍しく清々しい好天の欧州の日差しと風を堪能してからホテルにチェックインした。
そしておよそ40時間ぶりにシャワーを浴びてスッキリしてから本日4本目のビールを頂いたら、もう晩に出かける気力は失せて、そのままだらだらとこのようにここまで書いたのだった。 ちなみに明日からはiPadでのメイルチェックぐらいでパソコンは持参しないつもりなので、この日記の記載分量はググッと減ると思われる。

  

2022年9月7日(水)

この日記の8月31日のところでLinzの天気の2週間予想を見た時には このように あまり芳しくない天気(晴れてもシャワーが降る)だと覚悟していたが、リンツ到着の昨日は素晴らしい「ヨーロッパの好天」で、油断していると日焼けしそうな日差しなのに湿度が低くてカラッとしている、という天気を満喫(ビールを堪能)した。 そして夕方7時ぐらいから無理してベッドで横になって瞑目脱力してみたものの、やはり深夜には何度も目覚めた。 この時差ぼけとどう付き合っていくか、3年ぶりの海外というか欧州は4年ぶりなので、手探りで進めていくしかない。

そしてリンツの午前5時、日本時間では正午という時間に、遂にどうやっても眠れないということで開き直って「早起き」することにした。 ホテルの部屋にあるテレビには多数の衛星放送チャンネルがあるものの、英語なのは「212」チャンネルのBBCだけだったので、基本的にはこれをずっとONにして、「耳から英語漬け」(無駄な足掻き)の日々とする作戦である。 今日はArs Electronica初日、晩には初めてのOpeningに「招待」されているが、「野外なので覚悟せよ。傘は禁止、ポンチョは配布しないので用意せよ」との告知だったが、どうやら上のように今日も好天らしい。 今日の予定としてメモしてきたのは以下である。

Openingは野外なのでカッパ持参
展示は10時からなので朝イチでリンツ駅で翌日の切符(往復)を購入
午前はOKとLENTOSのみ。この2会場については全てチェック完了させる
13時からJKU KEPLER'S GARDENS, Uni-Centerで展示スタート
午後いっぱいかけてCyberArts Exhibitionをほぼcheckする
18時になったらOpening会場へ
★★19:00 Welcome to Planet B—Opening
You will receive your seat reservation after presenting this confirmation (printout or mobile phone) at the check-in 
at the entrance to Schloss Auhof Stage, which will be open for you approx. 1 hour before the start of the event.
Large parts of the event will take place in German. You will find translation devices at the entrance to Schloss Auhof Stage
The events will take place outdoors, whatever the weather.
Reception
朝6時半には、「今日のメニュー」ということなのか、 こんな案内 が届いていた。 このメイルを消さずに行き先でiPadで開けば、だいぶ助かりそうだ。 そして、いつもの朝のルーティンとして、髭剃り・シャワー・サプリメント類・投薬点眼などを済ますと、このホテルのお楽しみである朝食に向かった。 普段は朝食を摂らない僕なのだが、このホテルのビュッフェは素晴らしく、特にホットプレートの横に卵が積まれていて、自分の好みの卵料理を作れるのである。 COVID-19のために日本のビジネスホテルはビュッフェの入り口に使い捨てのゴム手袋があり、なんだか不自然な朝食となってしまったが、ホテルLocomotiveの朝食は昔と同じで、ちゃんとホットプレートの横に「Raw Eggs」が積んであった。 そして久しぶりに美味しくいただいたが、僕はたぶん毎朝、この「ダブル目玉焼き」を続けることになるだろう。

朝食後のコーヒーと共にプログラムをよく読んで調べて、午前には10時開場のOKセンターとLentosミュージアム、そして11時からOpenのハウプト広場に面したUniversity of Art and Design Linzを覗くことにした。 ただし、あの大聖堂のMariendomでの閑散としたComputer Musicが朝8時から始まっている・・・と知ったので、せっかくだからこれも覗きつつあの空間でまったりする事にした。 その後、今日の午後はJKUでずっと過ごすことになる。 晩の招待者限定のOpeningは19:00-20:45で、その後のReceptionは21:00-22:00となっていた。 明日の朝は早いのだが、ここは気合いで乗り切るしかない。 ということで、初日の朝はまずまず元気に、8時過ぎにホテルを出発した。

・・・そして今は18:30、帰ってきてホテルの部屋なのだが、実際には忘れないように思い出して書くものの、時系列に並べた方が読みやすいので、刻々と経過したように書くことにする。 上記のように08:15あたりにホテルを出発して、リンツ駅のQBBチケットオフィスで明日のČeské Budějovice往復のチケットを購入して、トラムでMozartなんとか駅で降りてMariendomに向かった。 考えてみればリンツってのは凄いところで、ブルックナーハウスというコンサートホールがある程Bruckner所縁の土地だし、モーツァルトもマーラーも立ち寄っているし、だいたい今年のArs Electronicaのメイン開催地のJKUというのはヨハネス・ケプラーから来ているように、太陽系の構成を解明したケプラーの出身地なのだ。 そして久しぶりにMariendomに入ったが、どうもArsのパフォーマンスは夕方にやるらしく閑散としていた。 その空間を楽しみつつ、まったりと30分ほど過ごしてから、OKに向かった。
かつてはArs Electronicaのインタラクティブアートの展示空間として毎回のように活躍したOKセンターだが、今年はとっっっても地味だった。 PIXELSという、全てを昔のファミコン解像度の8ビット・テイストで表現した、子供に受けそうな企画展示があって、写真をたくさん撮った。 あと展示されていたのは、画像認識でスクリーンに僕が映されると、わらわらと多数の蝿が追いかけてきて僕の身体を覆い尽くす(^_^;)、というインスタレーション作品であり、こちらは動画を撮った。
今年はブルックナーハウスは完全に企画から外れていて、もしかしたら改装中なのかもしれない。 その隣にあるのがLENTOSミュージアムで、入口の前には「農家テイスト」のモノが置かれていた。 その地下の展示企画は「A parallel (r)evolution - Digital Art in Latin America」というもので、動画も撮ったものの、ちょっとレトロな感じのインスタレーション作品が地味に展示されているだけだった。

ここまでMariendom、OK、LENTOSと快調にチェックし倒して、次にはハウプト広場に面したUniversity of Art and Design Linzの学生作品展示までちょっと時間がある・・・という時に、ふとドナウ川の対岸のArs Electronicaセンターのさらに後ろ、遠くの山頂に「あの教会」が見えた。 あまりに天気がいいため、今年はパスするつもりだった「あの登山」というアイデアが沸き起こり、専用チケットを購入して登山トラムに乗り込んでしまった。 いつものお馴染みなので登りでは写真も撮らず(下りでは撮りまくったけど)、山頂に行くと展望台からリンツ市内を見渡し、迷わずにあのテラスのあるカフェに直行した。 天気が良すぎて日差しが強烈なため、せり出した絶景テラスの端がわの席には誰も座らず、皆んな日よけの下に座っていたので、僕も迷わず日陰の席に座って、本日最初のビールを美味しくいただいた。 後で来たお客さんがテラスの端がわの席に座ると、あまりの日差しの強さにキャンセル退店するほどの好天で、朝から3箇所を歩いた自分を褒めてまったりして、いつものあの教会には登らずにトラムでハウプト広場に戻ってきた。
その後、University of Art and Design Linzの学生作品を見に行ったが、なんだかパッとしないで速攻で過ぎ去った。 あとはJKUの会場に向かうのだが、ここでランチにしておこう・・・と、いつもの金山飯店に行って、いつものバイキングでなく牛肉焼きそばとビール(+ワイン)の昼食となった。 そしてトラムで終点Universitatに行ったのだが、山登りだけでなく、ここから次第に当初計画からズレてきた(まぁ、計画通りに進むことは無いのだが)。

初日は午後からスタートとなったメイン会場・JKUでのArs Electronicaだが、過去2年がCOVID-19のためオンラインになった事もあり、今年はリアルに実施できたものの、場合によってはオンラインかも・・・という雰囲気だったのがこちらにも伝わってきた。 元々は映像/アニメーション作品がなんといっても中心の柱だったArs Electronicaで、もちろん現在でも一日中「Animation Festival」をやっていて映像好きな人にはたまらないのだが、もう一つの重要な柱であるInteractive Artについては、実際に来場者に体験してもらうのはCOVID-19的に難しい(触れるものならいちいち消毒、体験希望者が「密」に行列するのもNG)というのはあるにしても、ほぼ全ての入賞作品の展示が「動画だけ」であった(^_^;)。 これは僕にとって非常に残念で寂しいことであり、例年は1作品1作品を記録したり体験したりで半日以上は費やすのに、ササッと見て回るとものの数分だった。
これは困ったなぁ・・・とJKUガーデンのあちこちで展示されている作品を眺めつつ散歩していると、刻々とモーフィングというか変身する巨大なゴリラの動画の作品展示のコンピュータ前に座っていたのは、SUACメディア造形学科の卒業生、その後は東京芸大・大学院の映像に進んだ曽根クンだった。 その作品の紹介ページが Maihime (ローカル保存版) である。 毎日2回、作品展示するチーム(文化庁メディア芸術祭の御一行?)の一員らしいのだが、 この日は僕は同じ時間に企画されている別の方に向かうので「後で行く」と言った。 ただし明日以降もそれぞれ予定があり、この作品を実際に鑑賞できるかはちょっと微妙かもしれない。

そして、その「SH4D0W - An AI Performance in 3D」というKepler Hallでの作品に行ったのだが、これが本日最大の収穫となった。 作品の紹介ページは SH4D0W (ローカル保存版) である。 いまさら「AI」だ、「3Dメガネ」を来場者に配っての3D画像だ、というのは別に大したことないだろう・・・という先入観で参加したが、全部で6つぐらいのパートがあるのだが、最後の2つは圧巻で、これは観てよかった。 ずっと英語が滝のように流れる(鑑賞者がマイクでAIに質問するとライヴでDeepLearning AIが返答するのも英語)という凄い世界だったが、僕でもけっこう判る内容だった。 プログラムとDeepL翻訳によると「 SH4D0W is the first performing arts production starring an artificial intelligence creation as the protagonist. The play is performed in the 4D Box, a theatre stage capable of creating mixed-reality illusions of virtual 3D objects interacting with live performers. The AI character is represented as a shape-shifting neural network, which gradually takes control of the universe. SH4D0Wは、人工知能で作られた創作物を主人公とした初の舞台芸術作品です。この作品は、3Dオブジェクトと生身のパフォーマーが相互作用する複合現実のイリュージョンを作り出すことができる劇場ステージ"4Dボックス"で上演されます。AIキャラクターは、形を変えるニューラルネットワークとして表現され、次第に宇宙を支配するようになります。 In the play SH4D0W, director Mikael Fock associates the relationship between man and machine with the clever scholar and his shadow in the H.C. Anderson fairytale of the same title. The focus is on the human encounter with its virtual shadow, which is represented by the data-driven artificial intelligences surrounding us. 演出家のミカエル・フォックは、『SH4D0W』の中で、人間と機械の関係を、H・C・アンダーソンの同名の童話に登場する賢い学者とその影になぞらえています。私たちを取り巻くデータ駆動型の人工知能に代表される、仮想の影と人間との出会いに焦点をあてています。 The play is a journey into the heart of an artificial intelligence creation, where emotions and data are the unacknowledged trade between us and the machines. この劇は、人工知能の創造の核心に迫るもので、そこでは感情とデータが、私たちと機械との間の知られざる取引となっているのです。 The performance is an immersive 3D experience, driven by a live AI creation, creating a 3D universe of sound, lighting and a visual representation of an artificial intelligence machine that interacts with the surroundings and the live actor. このパフォーマンスは、ライブAIクリエーションによって駆動され、音、照明、そして人工知能マシンが周囲やライブアクターと相互作用する視覚表現による3D宇宙を作り出し、没入型3D体験を提供します 」 とのことで、最近になってようやく左目の視力が戻ってきた僕は、なんとか3Dメガネで立体視を楽しむことが出来た。

この作品を鑑賞した満足感で真っ暗な特設会場(立体視のためには必須の条件)から外に出てみると、大音量の重低音ミニマル・ライヴとかをやっていて、とりあえず本日3杯目のビール(これが甘くて当惑した)をいただきながらつらつら眺めているうちに、「もう帰ろう」(Openingはパス!)という気分がむくむくと湧き上がってきた。 昨日、Openingの会場となる、招待者専用の広場を見ていたが、考えてみれば開始の1時間前から入場しても、Openingでは2時間近いパフォーマンスとスピーチ(ほぼドイツ語)だけ、授賞式も同様に拍手要員として同様に待たされてそこにいるだけで、いずれも後のレセプションという下心が無かったら、作品鑑賞と違って相当な単なる時間の浪費なのだった。 素晴らしい「SH4D0W」を鑑賞した後だったからか、明日の出発はかなり朝が早いからか、時差ぼけのためにテンション低下しているためか(午後6時は日本時間で深夜1時)、いずれにしてもこの日のOpeningだけでなく、明後日の授賞式も、正式に招待されてconfirmされたものの、きっぱり両方とも「パス」することにしようと決心して、トラムでホテルに直帰したのだった。
こうなると、明日は1日観光の後で晩にWelcome Party、そして明後日からはEA2022の3日間となって、その合間にArs Electronicaセンターでの展示をチェックする必要があり、 曽根クンのチームのパフォーマンスに後ろ髪を引かれつつも(その時間帯には残念ながら別の予定がバッティングしている)、もうJKUにやってくることが無くなってしまった。 まぁ、こういう展開もあるのだ・・・と思っているとメイル到着のサウンドが鳴って、「明日のメニュー」ということなのか、 こんな案内 が届いていたが、まぁ、これは謹んで看過することにした。
・・・ということで、ここまで思い出して書くのにおよそ1時間半かかったが、午後8時ということで、明日に備えて無理に寝ることにした。 パソコンの画面に出ている日本時間は深夜というか早朝というか午前3時なのだった。(^_^;)

2022年9月8日(木)

上の記載で昨日の晩に無理くり寝たのが午後8時だったが、目覚めてしまって起き出して時計を見ると真夜中の0時、パソコンの画面を見ると日本時間で午前7時ということでたった4時間の浅い眠りであり、まだまだ身体時計は頑強に日本時間のままだった(^_^;)。 今日だけでなく明日からも無理やりに眠る努力を続けないと、肝心の日曜日の夕方のプレゼンの時にも身体は真夜中のままで「冴えない」状態となってしまう。 České BudějoviceとLinzの今日の天気を調べてみると以下のようになっていて、覚悟していたが「パラッと(ザザッと?)雨が降る」という状態は、午後と晩にそれぞれの場所でもありそうだが、ここは覚悟して、そのまま行くしかない。 そう決意すると、パソコンを閉じて再びベッドに向かった。

時差ぼけで日本から西の欧州などに行った場合、夜に眠れなくて現地時間の夜中に2時間おきとかに目覚めるのだが、今回はいつもと違って 日本出発が午前(現地到着が夕方あたり)でなく深夜(現地到着は翌朝)だったのでちょっとは違うのかな・・・と思っていたものの、まさに教科書通りに同じ現象が起きていて、次に目覚めると午前2時だった。 日本時間は朝9時、休みでなければ1限がスタート、SUAC事務局もお仕事開始の時間である。 そこで昨日の日記にArs Electronicaサイトのリンクを追加したりしてからまた無理にベッドに入り、次に目覚めると午前4時だった。
日本から欧州など西にずんずん行くと、いつもこのパターンで「夜に目覚める」(現地の夕方に冴えなくなる)のだが、日本から米国/カナダなど東にずんずん行くと、今度は「昼過ぎになると強烈に眠くなる」という現象が定番である。 現地滞在が1週間程度だと身体の深部に日本時間が残っていて、逆方向に帰国した後でけっこう早めに時差ぼけから回復するが、2週間以上いて現地に身体が慣れた場合には、今度は帰国したときに上の逆の時差ぼけが発生して日本で苦しむのだった。
ホテルの朝食は06:30からでまだ時間があるものの、今日はその一番で朝食に行きたいのでここで起床と決めて、シャワーその他のあれこれをして、さらに未知のČeské Budějoviceに行くための準備にとりかかった。 かつて2016年、6カ国7都市37日間の 欧露ツアー2016 の1ヶ月前に、南半球での NIME2016 のためにオーストラリアのBrisbaneに行った時(たしか日本でポケモンGOが発表直前、世界ではスタート直後)に、持参していたiPadにAppleのMapsとGoogle Mapを入れてGPSと繋いであちこちに正確に行けることに驚いたものだった。 そこで今回も・・・と思って調べてみるとその時のiPadは2014年の 欧州ツアー2014 の時にウイーンのApple Storeで緊急避難的に購入したものだったが、今回持参したiPad miniはMuse2の時に購入していたので、まずはApp Storeに行ってこの2本のアプリをインストールする事からスタートした。

とりあえず、まずはMacBookAirでGoogle Mapから上のような主だった場所とアドレスを検索して(全部行けるかどうかは別にして)、自分宛のメイルとしてこのテキストを送った。 そしてiPadに移って、Gmailでこのメイルを開いて、Mapアプリにこのアドレスをコピペして登録してしまおう・・・という作戦である。 あれこれ苦闘したが、なんとかそのテキストをiPadのNotesにもコピペ保存して、Mapsはどうも使いにくそうなのでGoogle Mapでナビゲート出来そうな感じに到達したが、ここで朝6時を過ぎて、まずまず充実の作業となった。 これで朝食、そして出発となるが、今日はパソコンもホテルに置いて身軽に出かけるので、次に書くとすれば晩のWelcome Partyから酔っ払って帰ってきてからか、あるいはまた夜中になるだろう。

ここはČeské Budějoviceからリンツへの帰りの列車内である。 訳あって予定の列車の1本あと、つまりまだまだ明るい18時過ぎにČeské Budějovice出発の、2時間遅いリンツ行きの最終列車であり、そして僕はいま、少々、凹んでいる。 その理由をこれから書いていく(リンツに着くまでに書き終えるのはたぶん無理)。 この部分は持参したiPadのNotesで打ち込んでいて、ホテルに帰ってから自分にメイルしてSketching日記に追記するが、なんせリンツまで2時間以上、何もする事が無いので、超めんどくさいiPadの入力でも耐えられそうで、途中経過ながらバッテリーも持ちそうなのだ。

時系列に書いていくと、まず早起きしてiPadにマップのアプリを入れて、きちんと朝食を摂ってリンツ駅に行き、1両に僕しか乗っていないようなリッチな状態で、テンション高めに今日のoption日帰り旅行がスタートした。 そしてスグに気付いたのが、この思い付きの旅でチェコに行くとは当初思っていなかったので、レンタル予約したWiFiルータはオーストリア限定の安価コースで、チェコに行ってGPSでマップ誘導するという今朝の準備が全くの無駄だったと判明した(^_^;)。 しかし事前にネットで調べてあれこれプリントしていたので、超アナログながら今日はこのプリントアウトに大いに助けられる事になった。

今回は車窓の風景を見ながら、途中のどの駅で国境を越えてオーストリアからチェコに入ったかを当てる、というのを自分へのクイズとしていたのだが、過去にバスでリンツからプラハに行った時に、沿道の家々の佇まいがガクッと質素になって、かつての東欧の経済格差に愕然とした経験からである。 しかし各駅停車の今回は、駅舎の駅名表示が突然にチェコ語の文字になり、さらにその駅を出ると「車掌が交代しました」と2度目の検札に来たので、全くクイズにならなかった。

沿線の写真を撮りながら2時間でČeské Budějovice駅に到着すると、とりあえず50ユーロだけチェココルナに両替したところ、100コルナ札と1000コルナ札と小銭を渡された。 そしてまずは中心部の噴水広場に向かったが、ここは事前にGoogleマップのストリートビューで予行演習した通りで快調だった。 しかし次の目的地、České Budějoviceとリンツを結ぶヨーロッパ大陸で初めての「馬車鉄道」を紹介する博物館(Museum of the Horse-drawn Railway)に向かったところ、どうも噴水広場から南に出る通りを間違えたために、徒歩13分で行ける筈の馬車鉄道博物館に到着するのに、あれこれ行き来して40分以上もかかった。 さらにここには、過去に海外・国内の色々な鉄道博物館に行った経緯から想像・期待していたような「実物の列車」などが一切、無かった。 České Budějoviceからリンツまでの延々と続く路線図と、当時の民俗的資料が少し、あとは当時の写真の紙芝居のようなビデオだけで、滞在時間はものの数分だった。 1000コルナ札を渡したら970コルナも返ってきたので、入場料は150円ほどなのだった。 ただしこの程度で凹む僕ではない。

ここČeské Budějoviceの最大の目的地は、何といってもPivovar Budějovický Budvarのビール工場の見学ツアーである。 ただしネット情報では事前予約ナシに参加できるツアーは14時スタートだというので、先に噴水広場の近くにある2つの地ビールレストランを梯子することにした。 この2箇所も地元民が発信しているネット情報からプリントしていて、まず1軒目があっさり見つかったが、入ってみるとレストランでなくショップだった。 聞いてみると2年前にレストラン部門は消えたとのことで、まさにCOVID-19にやられたのだ。 ちょっと嫌な予感がしたが、この程度で凹む僕ではない。 そしてGoogleマップから店舗の写真までプリントしていたもう1軒は何事も無いように、というより周囲の店舗が休業しているためにより目立って賑わっていた。 この店の地ビールはとにかくアルコール度数が高く、まず最初に27度という強烈なspecialビールをいただき、料理もチェコの謎な豚肉の瓶詰めゼリーみたいな美味しいものをいただいた。2杯目のビールは普通の11度(これでも一般の度数の2倍)を堪能して、これで300コルナとは大満足で、馬車鉄道博物館までに彷徨い歩いた疲れも吹っ飛んだ。

ここで12時を過ぎていたが、Budvarのビール工場までは観光マップでも徒歩35分以上だというので、小雨に傘をさしながらのんびり歩いていくと、プリントしたマップのお陰で彷徨わずに無事に到着した。 フロントで聞いてみると、14:00からのツアーはチェコ語、14:20からのツアーはドイツ語、14:40からのツアーが英語で、所要時間は1時間だという。 この日の晩にはリンツ市内のレストランでEA2022の発表者を招待してのWelcome Partyがあり、僕は České Budějoviceを16:06発の列車でリンツに18:06到着して、トラムでちょうど19時スタートに間に合う予定なので、逆算して14:00-15:00のツアーに参加する(チェコ語でOK)、そして終了後にタクシーを呼んでもらうよう依頼してチケット(180コルナ)を購入した。 そこからツアー開始まで1時間ほどあったが、バーカウンターでBudvarを注文して、施設内のWiFiでネットしていたので「待つ」感じもなかった。 ここまで、大いに快適に進んで、いよいよ工場見学ツアーとなった。

これまで国内のビール各社の工場見学ツアーに何度も参加し、さらにはアムステルダムのハイネケン・エクスペリエンスや、シンガポールのタイガービール工場見学まで行っている僕だが、このBudvarビールのツアーはその歴史の長さとチェコ国民の誇りに裏付けられた素晴らしいものだった。 まさにここに来た甲斐があった、最高の体験なのだ。 過去の全てのビール工場見学ツアーは、工場の中を見せるものの、全て「ガラス越し」だった。 しかしBudvarでは、むわっと暖かい熱気に包まれた醸造工程も、寒くて震える貯蔵工程も、瓶詰め缶詰め箱詰めの工程も、全てツアー参加者は仕切り越しでなく、まさに工場の現場の「中」を歩いたのである。 衛生上の理由から見学者を隔離するツアーとは次元が異なり、これは本当に感動的な体験だった。

ただし、ここから僕の甘さを原因として、奈落の底に向かって事態が進んでいった。 まず、国内ビール会社の見学ツアーであれば所要時間は日本の鉄道と同じで、予定ぴったりにきちんと終わる。 ところがBudvar社のツアーでは、参加者からの質問に対して(チェコ語なので詳細不明)説明員のおばちゃんは立ち止まって延々と語り、途中からは20分後にスタートした次の組が追いかけてきて、60分でなく結局およそ80分の充実したツアーとなった。 このツアーの間延びを予感できなかったのは、僕の第一の甘さだった。 そしてフロントにタクシーを呼んでもらったが、「10分か15分かかる」と言われた。 ここから駅までタクシーなら10分ほどなので、15分かかって15:35頃に来たとしても、切符は買ってあるので16:06のリンツ行きには何とか間に合うのでは・・・というのが、僕の第二の甘さだった。

20分待ってもタクシーが来ないのでフロントに行くとまた電話して「あと5分」と言われたが、この時点で僕はもう諦めていた。 16時の列車の次のリンツ行きは2時間後の出発で所要時間も長いので、この時点でEA2022パーティー参加は幻と消えた。 そしていくら待ってもタクシーは来ず、フロントの兄ちゃんは気の毒がってショップのグッズ(ノートと栓抜き)をくれたが、60分たっ

今は夜22時あたり、ホテルに帰ってきて、上のような事情(これは2014年の 欧州ツアー の時に Max6日記 (4) のところに書いていたスタイルを再利用)で、21時近くにリンツ駅に到着したところで書きかけ中断しているのが生々しいが、2時間半でこのぐらい書けるという見本でもある。 この続きは今夜か明日あたりに加筆することになりそうだ。 しかし、気付いてみれば左足の薬指にマメが出来ていて、痛い。 普段はろくに歩きも走りもしないので、今日は、僕としては尋常でない距離を歩いたようである。(^_^;)
結局、レセプション/パーティは、JKUのOpening、今日のWelcomeパーティ、明日の授賞式まで3つをパスすることになってしまった。 ホテルの部屋には、スーパーで買ったワインとかおつまみがあるので、これを今夜の夕食としている。 「明日のメニュー」ということで こんな案内 が届いていたが、僕はもうJKUに行かず、明日はアルスセンターの展示をチェックして、あとはEA2022に参加して、夕食は自分でとるのだ。 ようやく夜遅くに就寝することになったので、これで夜中に目覚めるのが減ってくれれば嬉しい。

・・・そして夜中に目覚めてみれば深夜1時、あまり状況は変わっていなかった。 せっかくなので上の囲みの最後「60分たっ」の続きをちょっとだけ追記することにした。 60分たってもタクシーが来ないという状況になったところで、僕はフロントの兄ちゃんに「仕方ないので駅まで歩きます。ありがとう」と告げて出発した。 だいぶ降っていた雨はほとんど止んでいたが、手持ちのマップで駅まで最短のルートの道路沿いを歩こう・・・という作戦がまたまた失敗で、その道路は歩道らしい歩道のないクルマ専用道路だったために、雨でやわらかくなった路肩の外側を延々と歩いたり、1箇所だけは横断歩道/信号のない道路(多数のクルマが行き来する)をエイヤと渡ることになった。 それでもなんとか17時過ぎにはČeské Budějovice駅に辿り着いて、リンツに行く最終の列車に乗り込んで、上記のようにiPadで書き込んでいった・・・という事なのである。 やれやれだが、明後日にハウプト広場でランチをご一緒する予定でメイルをやりとりしているブルベス先生からは「1時間待っても来なかったタクシー」に対して、「ヨーロッパにようこそ(^_^;)」とコメントがあった。 まぁ確かに日本ではなくて、これぞヨーロッバなのだった。
しかし最後に明記しておくが、この思い付きのチェコへの1日tripは、本当に「良かった(^o^)」のだ。

2022年9月9日(金)

BBCのテレビは「エリザベス女王の訃報」一色である。 上の記載で昨夜は10時過ぎに寝て、3時間後の深夜1時にちょっと目覚めていたが、次に目覚めると午前4時だった。 2時間刻みだったのが3時間刻みになった・・・というのは、ちょっとした進展かもしれない。 Linzの今日の天気は以下のようになっていて(最高気温が20℃に届かずけっこう寒そう)、長期予報を見て覚悟していたようにいよいよ「雨」と付き合う日になるようだが、既に晩の授賞式(野外なのに確実に降りそう)は「パス」と決めたし、今日からは残していたArs Electronicaセンターに行き、常設展示、企画展示、そして今日からスタートのEA2022が中心となるので、まぁそこそこ対応していけるだろう。 昨日までと違って、毎日MacBookAirを持参して、合間にはいよいよ作曲の内職なども再開する予定なのだ。

そして3日連続で同じような朝食(自分で作るダブル目玉焼きを含む)を、今日はArs Electronicaのプログラム冊子を眺めつつ摂って、今日の一日の予定が以下のようにほぼ見えてきた。 夕方から晩には雨が降りつつ寒くなるので、早めにホテルに帰るというのが基本線である。 液タブで知られた「Wacom」が、液タブの活用として2件の展示をしていて、「Life Ink Demo」では「アルスエレクトロニカ・フューチャーラボでは、脳波や身体の信号をデジタル筆跡としてリアルタイムに可視化するウェアラブルギア「Life Ink(ライフインク)」を展示しています。このプロジェクトは、私たちの脳と身体に備わる創造性のメカニズムを探り、新しいインクの形を開発するものです。ワークショップでは、来場者の何人かがこの装置を試し、自分自身のライフインクを作ることができます。Life Inkは、ワコムとのFuture Ink研究プロジェクトの一環で、フェスティバルでのワークショップやデモンストレーションが行われます」というもの、「Bio Ink Experience Workshop」では「バイオインクワークショップでは、微生物(生きたインク)を使って絵を描いたり、字を書いたりします。ワコムのペンやタブレットのデータをデジタルで抽出し、作品を美しい模様に変化させることで、創造性の新しい生態系が生まれます。バイオインクは、ラボの研究プロジェクト「フューチャーインク」の一環です。このワークショップとフューチャーラボのスペースインクのワークショップを行き来し、フェスティバル期間中はライフインクの展示とプロトタイプのデモンストレーション、そしてパフォーマンスをお楽しみください」とあったが、まぁ製品を前面に出してのこういう企画はちょっと引くので、覗くかどうかは不明である。

ちなみに6日にアーティストパスを受けとった時に渡されていたArs Electronicaのプログラム冊子は実はドイツ語版だったのに気付いて、翌日に英語版に取り替えたのだが昨日はホテルに置いていて全く見ていなかったので今朝になって発見したが、僕の名前はこのプログラムに2回、登場していた。 つまり、毎日の時系列としてEA2022がある中で日曜日の午後のパートに「Synaesthetic Syntax III: Gestures of Resistance」のスピーカとして42ページに名前が並んでいたのだが、さらにプログラムの後半は個々の企画/イベント等の紹介解説になっていて、ここでもEA2022のスペースが62ページにしっかりと確保されていて(つまりArs Electronica Festivalの重要な企画)、そこでもまた僕の名前が並んでいた、ということである。 ただし、あまりに膨大な情報が載っているので、サッとこのページを見つけられるかというと本人でもなかなか難しい。 毎回思うのだが、このプログラムを編集して作り上げている連中は凄い仕事をしているのだ。

そして今ここは11時、アルスセンター3階のSky Loft、Extended Animation 2022会場の客席である。 上に書いたように朝9時半ごろにホテルを出てトラムでAECにやって来ると、なんと開場の10時より10分も前なのに長蛇の行列となっていたが、そのほぼ全員がDeep Space 8Kの入場券(名札に指定のコマのシールを貼ってもらう)待ちなのだった。 僕は馬鹿正直に並んだものの、いざカウンターに到達した時には10:10と既に8Kが開始してしまっていたので「パス」として、エレベータで3階に上って会場のSkyLoftに行き、EA2022のディレクタと挨拶して、テクニカルスタッフとは「日曜に確認しよう」ということで現場に合流できた。
その後、駆け足でとりあえず各階の展示の模様をザザッと眺めてみたが、ごく一部の作品は写真でなく動画を撮りたくなったので、また明日にでもSanyoのビデオカメラを持参して再度、見て回ることにした。 ということで今日はEA2022のオープニングと「Art & Industry」のトークまで聴衆として参加したところで打ち止めとなりそうなので、午後は早めにホテルに帰って「お仕事」(Maxプログラミング)に精を出すこととした。

EA2022初日のオープニングの会場は、11:00の段階ではびっしり埋まるほどのこともなく程よいdistanceが確保された「ぼちぼちの観客」(といってもおそらく大部分は関係者)だったが、過去のEAイベントの風景の膨大な写真をスライドショーにしたものが無音で流れる・・・というのが15分間ほど続いて、11:15には客席はそこそこ埋まってきた。 そしてようやくOpeningとしてディレクタのスピーチが始まり、過去10年間のこのイベントの成長拡大の歴史が紹介された。 僕は今年で10周年となるこのイベントについては、これまでは「Animationなのでパス」と決めてほとんど覗きもせずにいたのだが、まさか今年(COVID-19で2年連続オンラインとなって3年ぶり)にこの企画で採択されて一種の招待講演(実際のところは「Synaesthetic Syntax III: Gestures of Resistance」という企画テーマのスピーカの一人)になるとは、まったく予想していなかった展開である。 まぁ、チャンスがあれば受ける、という姿勢が実を結んだのだから、この偶然の進展には感謝しかない。

結局Openingのトークが終わったのは11:35あたりとなって、このイベントのWebサイト Expanded Animation 2022 (ローカル保存版) に世界各地からのYouTubeライヴ配信アクセスに対応した詳細な現地時間設定のプログラムが置かれていたものの、現場では「その場の流れ」でかなりアバウトに進行するのだ、という事が判明した。 そして1人目の「Art & Industry – Martin Retschitzegger: Navigating Hybrid Workflows for Moving Images in Space」のトークでは、プロの現場であれこれ次々に仕事をしている膨大な事例紹介プレゼンがあって、最後には客席からの質問も受けるというスタイルである事も判明した。 予定では11:15〜11:50というこの1人目のトークが、実際には11:35〜12:20ぐらいだった。
ところが2人目の「Art & Industry – Paul Pammesberger: The Importance of Visual Consistency in Stylized Animation」というプレゼンは、話題に関係した静止画をたまに新たに表示するものの、基本的には「トークで語り倒す」という僕には超苦手なスタイルで、こういうプレゼンもアリなのだ、と判明した。 1人目ではプレゼン画面の助けもあって中身にそこそこ付いていけたものの、こちらの場合には膨大で流暢な英語の嵐に僕は投了したが、途中で退席する人もたくさんいて、いろいろ示唆的だった。 こうなると僕の場合には、英語で語る情報量は絶対的に乏しいのだが、現物でライヴ操作するデモ(一種のパフォーマンス)によって、どのようにでも場の空気に対応して乗り切れるのでは・・・という可能性も感じた。 さらに気付いたのは、昨日まではあちこち歩き回っていたので、国際会議のようにじっと座って聞く、というのは今日が初めてだったのだが、「午前11時あたりに猛烈に眠気が来る」ということも実感した。 予定では11:50〜12:25というこの2人目のトークが、実際には司会がどんどん質問を受け入れたために12:20〜12:55ぐらいだった。

そして3人目、僕にとって今日はこれでラストとなる「Art & Industry – Causa Creations: Art, education and immersive entertainment – Holy Fire」では2人のコンビが、やはりプレゼン(スクリーンの事例紹介の静止画)は貧弱で、とにかくトークで押し通す(ただし英語nativeでない独語圏のオーストリア人)というもので、またまた途中で退席する人が続出した。 流暢な英語でないと、僕もこういう事になる可能性も覚悟させられた。 予定では12:25〜13:00というこの2人目のトークが、質疑も延びて実際には12:55〜13:30ぐらいだった。
ここでAECを後にするのだが、まずは1階の「Deep Space 8K」受付に行って、明日の晩のEA2022関連パフォーマンスを予約しようとしたら断られた。 毎日「当日のDeep Space 8Kの予約を、席数に対応したシールを名札に貼ることで行う」というルールらしく、また明日の朝10時には行列が出来ているのだろうが、その先頭でないと10時のイベントは見られないのだった。 10時を別として僕が希望するのは夕方の2件なので、とりあえず「明日の午前中に再びここに来て」という言葉をゲットしただけで終わりとなった。 もしこれで明日に夕方のDeep Space 8Kの予約が取れなかったら、その後にAECで開催されるEA2022の10周年パーティ(招待)まで待てないので「パス」となり、なんと「4回の招待パーティを全てシカトする」という勿体無い「記録的な残念」を達成してしまうことになる。

ここでAECからドナウ川(「欧州各地でひどい渇水」と報じられていたがドナウ川は滔々と流れていて安心)の橋を徒歩で渡ってハウプト広場に行き、すでに14時過ぎだったが、やはりまたまた金山飯店に行ってビールと海老焼きそば(+ワイン)という遅い昼食になった。 そこで後から隣の席に来た二人連れは、間違いなく阪大の石黒先生(自分の分身アンドロイドとか手足の無い赤ん坊アンドロイドでAECでは何度もお馴染み)と謎のうら若き美女であり、炒飯と焼きそばでお酒も頼まず水だけと、どうも今晩の「雨の授賞式」に行くような雰囲気だったのだが、まぁ幻影かもしれないし、見なかった事にした。
そしてトラムでHauptBahnhofに帰ってSPAR(駅のスーパー)に行き、だいぶホテルの部屋で消費した「水(ガス無しstill)」と「ワイン」とを仕入れ、今晩の夕食のために硬いパンも1個仕入れて、さらにお菓子コーナーで研究室とかへのお土産のチョコなどを仕入れたのだが、肝心のビタミンフルーツ飲料1.5lのボトルを購入するのを忘れた事に部屋に着いてから気付いた。 まぁこれはどうでもよくて、部屋で軽くシャワーを浴びると16時になり、ここからはずっとワインをちびちびいただきつつ(stillだけでなくチェイサー用にGasの水も購入)、晩に力尽きて眠るまでMaxプログラミングに没頭する「幸せな時間」にすることにした。 日本時間はパソコン画面から23時となっていたので、お仕事関係の余計なメイルも飛び込んでこないのだった。 英語に慣れるために付けっぱなしにしているBBCテレビはエリザベス女王逝去/葬儀の話題ばかりでいつもの賑やかなコーナージングルが全く消えていたが、若くして事故死したダイアナ妃と違って96歳の大往生なので(浜松・雄踏町では95歳以上の大往生の葬式では、肖るために参列者に5円玉[御縁]を配る風習あり)、BBCスタジオのトークでは笑い声も出てくるのが印象的だった。

上は、その「ワインを飲み続けながらMax8プログラミング」という幸せな時間を過ごし始めた(17時過ぎ)、最初の瞬間のスクリーンショットである。 とりあえずjitterのフラクタル画面はqmetroをOFFにして止めておいて、さらに10個のSHARP赤外線センサの動作を「seq」オブジェクトから呼び出してのemulation再生機能もOFFにして止めておいて、余計なトリガ条件を排除した。 さらにテレビのBBCを止めて、窓のカーテンを閉めて、照明を消して、ホテルの部屋をそこそこ暗くした。 そしてここから、このために持参してきたiPod用イアホンを装着すると、懸案だった「ライヴBGM音響生成」の部分の多数のパラメータを試行錯誤で変更してとりあえず「美味しそう」なものを次々にプリセットに記憶させていく・・・という怪しい嬉しい作業に没頭した。 もちろんワインをちびちび飲みつつ、いずれいつでも力尽きてベッドに倒れ込むことが出来る、という体制の下である。 こんな事は日本(SUAC)にいても絶対に出来ないのだが、海外出張中という異常テンションUPの環境下、わざわざ海外でこれをやると想定外のアイデアに触発される、というのは過去に何度となく体験してきたことなのだ。 ちなみに、気付かず消していたが、「明日のメニュー」ということで こんな案内 が届いていたのも、後で発見した。

2022年9月10日(土)

BBCのテレビは教会のミサを除けばほぼ音楽がナシ、画面内のキャスター達は全て黒装束、「エリザベス女王の一生を振り返る」というのがずっと繰り返されている。 英国民は10日間の服喪ということらしいので、まぁこれも当然ということだろう。 昨夜は何時に寝落ちしたのか不明だが、夜中に目覚めたのは午前3時頃の1回だけとなってだいぶマシになり、午前6時の起床となった。 日本時間学会の理事でもあるので体内時計とか時差ぼけには興味があってこうやって日々、書いているのだが、これは海外に行かないと体験できないので、「またか」ではあるものの、やはり書いてしまう。

今日のリンツの天気は上のような感じで、ほぼ毎日こんな感じだが、午前中から昼過ぎまで天気が良くて、夕方から晩には雨が降る・・・というところだ。 本格的な前線とかが来ると、朝から一日中シトシト/ザーザー降ることもあるので、これならだいぶマシである。 かつてはArs Electronicaフェスティバル期間の土曜の晩にはドナウ川の畔りで花火だのレーザーだのドローンだの・・・といった大スペクタルのショーがあって、観光客だけでなくリンツ市民も総出で楽しんだのだが、COVID-19もあるし、今年どうなるのか全く不明である。 リンツ市民の行動としては、トラムに乗る時、あるいは行列したり室内に多数がいる時には、心ある人や老人がマスクを取り出してつける、という感じなので、僕もいつもポケットにマスクを入れて、付けたり外したりを繰り返している。

今日の予定はおよそ上のような感じになる、とここにメモすることで確認した。 実際には合間にMaxプログラミングをする、というのはもちろんである。 シャワーを浴びて毎朝のルーティンを済ませていると、一昨日のČeské Budějovice行きで一日中歩き回って左足薬指に出来ていたマメ(昨日の朝になってパンパンの水マメに成長していたので爪切りで切開して水を出してメンタムを塗ってバンドエイドしていた)が、綺麗に完治していたことに気付いた。 これは朝から縁起が良い・・・と思い込むことにして、今日もまたまた同じ品揃えの朝食に向かった。

そしてここは14時すこし前、AECの3FロフトのEA2022の午後のセッション前である。 上から時系列に記憶を整理しておくと、まずホテルを出発するまでの1時間ちょっと、部屋でイアホンをして作曲の作業の続きに没頭して、なかなか良い感じに進んだが、また新たなパラメータの検討も必要になった。 ところがホテルを出てHauptbahnhofに向かう途中で、片肺飛行で最後の砦のデジカメをシャツの胸ポケットからまた落としてしまった。 今回は当たりどころが幸いしたのか、プラスチック製の内部シール材が折れて、その一部の欠片だけが挟まってケースに隙間があるという怖い状況ながら、電源も撮影も幸運なことに続けられることになった。 そして今朝のハウプト広場では「蚤の市」はなかったもののトラムを降りて、いい天気を味わいつつドナウ川を渡ってAECに向かった。 一番乗りでドア前に立っていると、昨日の大行列の反省からか09:30にはDeep Spaceのシール(切符)受付が始まり、無事に10時のシールと夕方の2件のシールを胸に貼ってもらった。
しばし待てば10時になり、お約束の偏向メガネを受け取って入場し、Deep Space 8Kの紹介のようなDemoショーを堪能した。 その後は地下3階に行って、「ARマリオネット」というのか、2体のあやつり人形が人間の手でなくロボットアームに吊り下げられたインスタレーション作品の動画記録を進めた。 この作品はつまり、体験者が手にするコントローラにはスマホが仕込んであり、床にはARマーカーがあるので、この上空でコントローラを動かすと画像認識によって、3次元空間内でのその位置/向きがモニタに表示される。 その状態(トラッキングOKの時にはウインドウの縁がグリーンになり、失敗していると赤になる)でコントローラをうりうり動かすと、それがあやつり人形を動かす人形師の操作と解釈されて、対応してロボットアームがうりうり動き、結果としてあやつり人形が操られて動く・・・という作品だった。 1体は木で作られた昔ながらの人形、もう1対は3Dプリンタで作られたスケルトンの骨格人形、というのが今風なところだ。
ここから昨日行くのを忘れていた2階に行くと「AI & Music」というコーナーがあり、ベーゼンドルファーの自動演奏ピアノが演奏していた音楽は、スタートがもろモーツァルトの曲だったのに途中から「モーツァルト風」のAI自動生成曲に変化するもの、スタートがもろバッハの曲だったのに途中から「バッハ風」のAI自動生成曲に変化するもの・・・などだった。 Computer Music研究の歴史からすれば「何を今更」というものなのだが、まぁ素人には受けていた。 そしてここでAECから再びドナウ川を渡ってハウプト広場に行き、モニュメントの下で無事にブルベス先生と合流した。

ハウプト広場のカフェでのランチ(僕はサラダとワイン)となったが、COVID-19もあってこれまであまりお話できなかったブルベス先生と、かなり濃密にあれこれお話できて、これはリンツでのいい収穫となった。 国際会議に絡めてリンツに寄る方針の僕はこれで11回目のArs Electronicaであるが、過去にAnimation作品が入選したというブルベス先生も4回目だった。 リンツに来る前にパリに帰ったブルベス先生(ワクチン3回接種)は、シャルル・ドゴール空港からパリ市内に向かう地下鉄の混雑であっさりとCOVID-19感染したそうだが、ワクチンのお陰で鼻風邪ぐらいだったという。 僕はトラムとかシンポジウムではマスクしているが、感染→治癒後の免疫のためにリンツではマスクも何も心配ないのだという。 そして一緒にAECに戻り、ブルベス先生はDeep Spaceの僕が10時に見たショーに向かうということでお別れした。 明日にはパリに帰るらしい。

  

そして午後の「Games & Art」のセッションが始まった。 1件目の「Margarete Jahrmann: Hybrid Ludic Assemblages」はゲームというよりだいぶFine Art寄りのややCrazyな女性だったが、最後のトピックはBCI(脳波インタラクション)だった。 導電ジェルをべたべたとハゲ頭に塗りたくっての脳波センシングというのはまぁ笑えたが、脳波センサのヘッドギアを被ったダミーヘッドの周囲を体験者が触らずにわらわらとテルミン的に手かざしする・・・というのは、もはや脳波インタラクションでなくて単なる静電気テルミンだと思うのだが、それっぽい音響と照明でやった気にさせる、というのはちょっといただけなかった。 生体情報センシングが会場にウケていたのを見て、僕もウケ狙いのために、明日のプレゼンの冒頭に この写真この写真 をWebから発掘して追加してみた。
2件目の「Isabelle Arvers: Re-occupy the Digital Space」も女性のプレゼンだったが、ゲームのキャラクタ/背景の設定が南米とかアフリカなどの未開人種だったり、と世界各地でローカライゼーションにこだわった活動をしていて、さらにゲームの世界での女性の活性化も推進しているようである。 しかし、これはちょっと僕には難しかった。
引き続き「AI & Creativity」のセッションになったが、その1件目の「Philippe Pasquier: Creative AI and Co-creation: Opportunities and Challenges」は驚いたことに、まるで音楽情報科学研究会だった。 ごく最近のISMIRとかSMCで発表したような「コンピュータ支援・自動作曲システム」のデモが続いたが、まぁ初めてここで「AIの音楽支援」について知った人々は騙せても、業界の人間が聞いたらちょっとイマイチかも。 グラフィックとかモーションとかの生成へのAI支援の事例もたくさん出てきたが、さすがのサイモン・フレーザー大学(Granular Synthesisの大家のBarry Traux教授がたしかここ)だった。
本日最後のトークは「Martin Pichlmair: Creative Challenges in Artificial Intelligence」だった。 前の発表がばりばり理系だったとすれば、こちらの流暢な英語の激流のプレゼンはもろ文系で、AIの持つ文化的/哲学的な課題についての考察と解説だったように思う。 ただしまったく間違っているかもしれない。 午後半日、文字通りの「英語漬け」修行に耐えたのだが、少なくとも明日のプレゼンのためにはどこかで役立ったと思いたい。
17時になって今日のEA2022セッションは終了となり、1時間のインターバルで「Deep Space 8K」として「Rashaad Newsome – Being」・「Martina Scarpelli – Egg, kai — a little too much, Cosmoetico」を鑑賞するだけとなった。 考えてみればちょうど24時間後、明日のこの時間に僕はプレゼンしていることになるが、午前に出現する「超眠い時間帯」とは違うものの、身体の深部の体内時計(いつも21時に就寝しているのに今はちょうど深夜0時)は決して快調な時間帯ではない、と実感した。 まぁ、いざとなったらテンション高めに乗り切るというのはいつもの事なので、それほど心配はしていない。

・・・そして今はちょうど20時(日本時間は明日の午前3時)、ホテルの部屋に帰ってきたところである。 上記のようにEA2022の3階から0階(欧州の「1階」は日本の「2階」で、日本の「1階」はここでは「0階」Ground Floor)に降りてみると、Deep Spaceの入り口が凄い人だかりになっていて、どうも「Rashaad Newsome – Being」という作品は、Ars ElectronicaのAnimation部門で今年のGolden Nicaつまり金賞を受賞した作品なのだ、と気付いた。 まだ17:30なのに入場が始まったので人並みに続いて2階席に入ってみたのだが、後で気付いてみるとこれは一つ前の、オーストリアの作家のパフォーマンス作品だった(^_^;)。 いったん会場から出されたところで再び人並みに紛れ込んで今度は1階に入場して、そのAnimation金賞作品を間近に鑑賞できることになったのだが、なんとこの作品も「AIの賜物」だった。
冒頭に拍手で迎えられた作家本人が簡単に紹介していたのだが、音楽は人間の作曲家が担当していたものの、フル3D-CGのキャラクタの振り付け、そして「台詞」については、いずれも深層学習を駆使して自動生成しているとのことで、最近の高性能コンピュータで学習に6ヶ月もかけたということだから、それはそれは相当なものだ。 スムースな身体動作、そして不自然さが皆無の英語の発音発声だった。 1990年代前半に、僕は自宅ノートパソコンのニューラルネット・プログラムをC言語で作って、簡単なパターン認識を学習させるのに2週間もパソコンを走らせ続けていたが、現在ならその処理量はスマホでも数秒で終わる。 ムーアの法則そのものは無理だったものの、この30年でコンピュータ技術は桁違いの性能向上を実現してきたのだ。
この圧巻の作品鑑賞を終えてDeep Space 8Kからロビーに出てみると、もう次の作品鑑賞のためにまた行列するという気力も失せて、20時から3階ロフトで始まると招待されていた「EAの10周年記念パーティ」まで待つ気力も残っておらず、トラムでHauptbahnhofに直帰して、スーパーで水とジュースとビールだけ仕入れて、小雨に傘をさしつつホテルに帰った。 結局、今年のArs Electronicaでは初めて、光栄なことに4件のパーティ/レセプションの招待があったのだが、漠然とした予感の通り「全てパス」ということになった。 昨日に続いてホテルの部屋での夕食は、ビール/ワインとポテトチップスとチーズとソーセージという貧相なものだが、なんせ朝食で一日の栄養の大部分を仕入れているので、これで十分なのだ。
21時を過ぎたところで「最終日のメニュー」ということで こんな案内 も届いた。 テレビのBBCは相変わらずエリザベス女王の葬儀関係一色、週末になってメイルも届かず、日本からのネットニュースもパッとせず、ちびちび飲んだら寝るだけであり、あとは明日の最終日の最後あたりのプレゼンに全集中ということになった。

ちなみに明日のリンツの天気は上のように予想されていて、ほぼ一日中「雨」(ずっと高い降水確率)で、さらに「寒い」(最高気温が17℃)という、なかなかハードな感じである。 例年、Ars Electronicaの最終日というのは、どこの会場も閑散としてくるのが恒例であるが、最終日に抜け出して観光に行こうと思っていた人たちにはお気の毒な天気だ。 おそらく最終日の夕方、ラス前の僕のプレゼンの頃は、客席もスカスカになると予想されるが、まぁその位の方が気が楽である。 講演というよりは、3年ぶりのパフォーマンス(demo)だと思って楽しむつもりでいるので、天気など関係ないのだ。

2022年9月11日(日)

明日は午前にリンツ→ウイーンと移動して夕方のフライトで日本に向けて出発する帰国日なので、今日が実質的にはリンツ最終日となる。 僕の過去の例(10回)では、おそらく「Ars Electronica日程の最終日」の最後(夕方)まで視察して最終日にリンツ泊したことは無かったのではないかと思う。 昨夜は夜中の1時半頃にちょっと起きてからまた無理矢理に寝続けて、次の起床は6時頃となったが、これは日本での普通の生活と外見上はほぼ同じである。 ただし身体の状況(内受容感覚)からするとだいぶ動揺した感じが続いていて、つまりはこれが「時差ぼけ(Jet Lag)」であり、たった1週間程度の現地滞在時間では簡単に変化/移行しない生体反応なのだ。

目覚めた瞬間に、フト今日のプレゼンの話題として追加したいネタに思い至ったので、午前のホテル出発は10時ぐらいまで粘って、この改訂作業とか、あとはMax8プログラミングの続きをするのもいいだろう。 部屋のテレビのBBCは相変わらず英国の国葬に向けたあれこれを黒装束の人々が伝えるだけの画面となっているが、さらに全くノータッチだったものの気付いてみれば、今日はなんと「September 11th」なのだった。 発掘してみると、COVID-19前の2018年、 続・Max7日記(7) の「2018年9月11日(火)」のところに、以下のように書いていた。

セプテンバーイレブンである。 僕は2001年9月11日のニューヨーク・ワールドトレードセンターへの航空機突入のあったこの日は、京都の「ゲンザン事務所」で、その翌週からの欧州ツアーで発表する新作のリハーサルをしていた。 その様子は ここ とか ここ にある。 そして、その後の毎年の「9月11日」はどうだったか・・・というのを、たしか去年、 続・Max7日記(2) の「2017年9月11日(月)」のところに書いていたので、興味があれば参照されたい。

この中でリンクを紹介していた 続・Max7日記 (2)の「2017年9月11日(月)」のところ というのはとても膨大だったので、ここでその写真とかを並べることはパスしておく(→参照されたい)。 まぁ、9月11日というのはArs Electronicaの開催期間に入ることが多く、またヨーロッパで色々な国際会議とがその前後に開催されているので、この日付は僕にとって、色々な思い出があるのも当然なのだった。 そんな2022年の「Septmber 11th」に、11回目のリンツのArs Electronicaで、単なる視察でなく初めてプレゼン出来る・・・というのは考えてみれば素晴らしく光栄な偶然だったのだ。(^_^)

・・・そして今ここはAECの3FのEA2022会場、時刻はスタートの11時ちょっと前である。 今日もホテルでまたまたダブル目玉焼きを含む重厚な朝食をとると、8時過ぎに部屋に戻ってきて、いよいよ今日のプレゼンの補強に没頭した。 昨日の感じから、講演者は冒頭に自己紹介をすることで話に引き込むという手があると気付いたので、本題に入る前の部分にいくつかの写真と共に自己紹介をして、それがこの講演に繋がる・・・というイントロダクションを目指してみた。 結局、僕のサイトの全てのコンテンツをHDDバックアップとして持参したのを活用しつつ、プレゼンの冒頭部分のページが20枚ほど増えてしまったが、これをサササーッとめくって「後で時間があればここを詳しく話します」という作戦とした。 そしてトラムでAECに来たのだが、レーダーによれば今朝はリンツでひと雨あったのをやり過ごしたようで、とりあえず朝は傘の出番がなかった。

午前は「Expanded & Hybrid」というコーナーで、どうも先端のハイテクというよりも、ベンヤミンだのNorman McLarenだの、映像とかアニメーションに関する温故知新のような印象のセッションだった。 1件目の「Frank Geßner: EXPANDED ANIMATION WOR(L)DS: GLOBE PLAYHOUSE SPACELAB」は、ベルリンのスタジオの大御所のトークかと思ったら、尺が40分ほどの壮大な動画を再生しただけのプレゼンだった(^_^;)。 2件目の「Franziska Bruckner: Between the Frames: Expanding Stop-Motion for Virtual and Hybrid Environments」は、ストップモーション・アニメーションに拘って色々と語ってくれたが、具体的な事例が乏しくて全体の概要みたいなお話で、なんとも僕にはピンと来なかった。
3件目の「Eva Fischer: CIVA – Phygital festival making」は、ウイーンのマルチメディア・プロジェクトで、去年はCOVID-19のためにオンラインになったことで「Expanded & Hybrid」のテーマに合致したようである。 今どきのバーチャル空間(メタバース的なもの)を活用して世界中のユーザが集う「場」を提供しているようで、今年はリアルになって良かった・・・というのは実感があった。 ただし質疑にあったが、オンラインの去年は相当に規模を大きく出来たのに、リアルで開催できた今年は何だかメニューが小ぢんまりと萎んだのでは? という質問への回答が、「リアルにやると予算的な限界があって品揃えに限界があった」と正直なものだった。 やはり、こういうイベントをリアルに実施すると相当の費用が必要になるのだが、オンラインだと同じ予算で頑張れる・・・というのは悲しい現実で、しかしやはり生身の人間はこうやってリアルに集いたいのだろう。

13時からのBreakの時間にSkyLoftのカフェで「ケーキ+カプチーノ」の昼食を済ませて(会場に戻ってネットに繋いだらそのデビットカードの支払い連絡がメイルで届いていた)、いよいよEA2022の最終日の午後は「Synaesthetic Syntax」のセッションとなった。 予定では途中に30分のBreakを挟んで3人+4人が各30分のトークを行い、僕はラス前の6人目である。
1人目の「Sensate Sculpting – In Praise of The Hand in Digital Sculpting and 3D Modeling」は、ディジタルアニメーションにどのようにImprovisationを実現するか・・・という研究の紹介だった。 実際にはCGのマテリアルのリアリティあたりに比重があったが、コロナ禍の期間には手作りでギターを3本作って、「素材」について新たに勉強になった、という話が良かった。
2人目の「Investigations into gestural and touch interaction with anisotropic metaphors for audiovisual virtual instruments」は、画像認識(CV)で「手」のアクションをセンシングして、それに対応したリアルタイムCGやサウンドを生成する「バーチャル楽器」というものだった。 これは僕にとってはちょっと無理なところがあって、テルミン様の非接触はアリだと思うのだか、そのレイテンシが耐え難いのだ。
3人目の「Searching for Gestures of Freedom and Intensities within Interactive Media Art」もタイトルからすると即興学会か音楽情報科学研究会かという感じで始まった。 研究の中心はジェスチャとかダンスのようで、Iannis Zannos先生の領域に近いような感じだった。 ここまで前半の3人の感じから、時間はそこそこ適当でもあまり超過は出来ない、最後の質疑はアリ、という進行上の雰囲気は掴めてきた。
Short Breakの後の4人目は「Before the Sixth Sun: A codex for our children」、5人目は「From Screen to Space: The Haptic Experience of Exhibited Animation」であるが、その次の6人目が僕の「Interactive Multimedia Generated by Rubbing/Tactile Interfaces – Biofeedback Effects for Wellness Entertainment」なので、このページを開いて書き込むのはナシと決めた。おそらくその後の7人目の「Visualizing the city in handmade film animation: cycles of bodily sensing and perceiving」も同様だろう。

・・・そして無事に僕の30分のプレゼンが終わって、今は最後の7人目のプレゼン中である。 なんと後半の4人のうち、4人目と5人目の女性はメキシコと英国からそれぞれオンラインで参加ということで、プレゼンはいずれも時間一杯のムービーだった。 僕の30分はデジカメを渡して写真を依頼するというような余裕もなく、途中からそもそも乏しい英語力が枯渇してきてボロボロだったが、まぁいつもこんなものなのである。 あれこれ追加してちょうど時間いっぱいまで持ったので、やはり現場で直前までプレゼンを作るのは大切なのだった。 5人目の人に続いて、最後の7人目も王道の(クレイ)アニメの話題(というか背景?)だったようだが、まぁ僕は詳しくないのでスルーしつつこれを書いている。
クロージングの時間となって、まだ終わってから忘れずに機材をパッキングして持ち帰るまでは油断できない・・・と自分に言い聞かせつつも、次第に「やった感」が湧き上がってきた。 一人打ち上げにはまたまた最後に金山飯店に行くとして、プレゼンがあるので当たり前だったが、考えてみれば今日はこれまで飲んでいなかった。 これまで日本を出る9月5日から全ての日に、昼間も夜も飲み続けてきたのだが、今日はようやくこれで美味しく飲めるのだ。 明日の朝もまだウイーン行きの列車の切符を買っていない(駅に行ったらそこで乗れる列車に合わせる)、というアバウトで余裕だらけの帰途が待っているだけなので、どうせ爆睡するまで飲んでもいいのだ(^_^)。

・・・と思ったものの、実際には金山飯店で美味しいチンジャオース(こちらではピーマンでなくパプリカと牛肉)と春巻きでビール+ワインを堪能してホテルに帰ると、大したことない20時過ぎだった。 そしてとりあえず このイベントのWebサイト を見てみると、既にちゃんと今日のイベント記録がYoutubeに上がっていた。 僕の出番は、 このURL「2時間59分15秒あたり」から「3時間32分12秒あたり」まで である。 チェックしておく必要があるのでワインをちびちびやりつつ全部見たが、まぁ僕の実力としてはこれ以上は無理なので、自分としては頑張ったと言えると思う。 学生の皆んな、英語は頑張って勉強しておこうね(強調)。 中学・高校と英語が大嫌いだった僕は京大の入試の英語は平均点しか取れず(数学と物理と国語で合格した)、大学の教養課程の2年間で取る筈の語学は全く大学に行かずに音楽ばかりしていたので全て落とし、第1語学の英語も第2語学のドイツ語も卒業間際の4回生になって1回生に混じって単位を取るために出て、英語は特別にもらった翻訳課題をサークルの後輩に2000円で外注し、独語は授業冒頭のテキスト裏表紙のドイツ語民謡の歌唱指導を買って出て(なんせ京大合唱団の指揮者だったので)、それで何とか卒業必要単位にギリギリ届いた・・・などという話はとても学生に出来ない。 極限まで乏しい僕の英語力が成長したのは、NIMEコミュニティから依頼されて、2004年のNIME04をSUACで開催するという大仕事を受けて、大会委員長として NIME04 のディレクションを実質的にたった一人で行った(もちろんSUAC学生スタッフの協力も何より凄かった)からである。

当時はまだDeepL翻訳も無ければGoogle翻訳も「糞の極み」だったので大変だったのだが、前年2003年のモントリオールでの NIME03 のクロージングでは「来年は是非、日本のSUACでのNIME04においで下さい」と招致スピーチをした。 帰国すると国内組織委員会(実質的には僕だけ)を立ち上げ、膨大なFAXを行き来させて「外務省」・「文化庁」・「国際交流基金」の名義後援をもらい、それを受けて巨大スポンサーとしてローランド創業者のスタジオとヤマハの役員会に出向いて多額の「協賛金」を依頼し、お金が無理な某KAWAIには独立退社以来初めて本社を訪問して竜洋工場の見学ツアーを受け入れてもらった。 さらに数件の助成金を申請して獲得し、CFP(論文募集・作品募集)のページを全て一人で手作りして公開し、外部の業者に出す予算が無いので参加登録サイトも全て僕が手作りし、プログラム/論文集/バッグ等のグッズ手配をして、海外からの参加の浜松のホテル手配も全て僕が行い、海外からの参加者がローランド/ヤマハ/カワイの見学ツアーに行くための遠鉄バスの手配も行った。 論文審査委員と作品審査委員も担当して全ての応募をチェックし、とにかく一般の学会であれば「業者に丸投げする」筈の全ての業務を僕一人でやり遂げた。 その結果、1106研究室にいて突然に電話が鳴るので取ってみるといきなり相手が英語でペラペラ話し出すので「Please, speak slowly !!」 と叫ぶ・・・という日々が、およそ1年間は続いたのだった。 今から思えばよくもまぁこんな事をやったものだ。(^_^;)

2022年9月12日(月)

「明日は帰国日」と思いながら寝たためか、身体の深部に潜んでいた日本時間の体内時計が起動したらしくて深夜に何度も(1-2時間おきに)目覚めては無理に寝る、というのを繰り返してリンツ最終日の朝になった。 新しい週が始まった月曜なので、昼前(こちらはまだ早朝4時とか)になるとSUAC事務局からの事務的なメイルなども届き始めた。 コードシェアのオーストリア航空からのメイルでオンラインチェックインと座席指定とラウンジ予約を済ませたが、いちいちパソコンを出してゲートを通過するのは面倒なので、「紙」の搭乗券をちょうだい・・・とカウンターで交渉することにした。
今日のリンツとウイーンの天気は以下のように、なんとも最終日に勿体無いほどの好天である。 日本の気温は「34℃」など想像したくない高温多湿なのに対して、こちら欧州の空気はドライで清々しいのだ。 ただし、今回はbaggageを預けずに機内持ち込みだけで済ますために、小さなキャリーバッグをごろごろと引きずっているので、どこに行くということもなく、行き先は「あそこ」1箇所だけで、あとはウイーン空港に早めに行ってラウンジでお仕事の予定である。

6日連続でのダブル目玉焼き、その他(パブリカ・ズッキーニ・ハム・チーズ・パン・ヨーグルト・ジュース・コーヒー)の朝食を済ませて部屋に戻ってくると8時を過ぎていた。 このところバイオフィードバック・リハビリテーションの関係でご一緒している文京学院大の鈴木先生からは、「こちらリンクの3:05:00あたりから先生のご講演が視聴できました! (いいね,押しました)」とのメイルも届いた。 まぁ、この恥ずかしい記録であっても、おそらくずっとYouTubeに残るのかと思うと、とても誇らしいというか嬉しいことなのだ。
そしてホテルを出発するまでの時間は、細々とやってきたMax8プログラミング(作曲)でなく、毎日、同じような多数の写真を撮ってきたので、それを帰国後に「EUtour2022フォトレポート」として上げるための準備(機械的作業)に費やした。 なんせ、帰国してからぼちぼちやればいい、なんて思っているとスグに忘れてしまうし、何よりも帰国翌日から2日間はオンラインでの音楽情報科学研究会(2日目に発表)があるが、もちろんプレゼンどころか何の準備もしていないので、「EUtour2022フォトレポート」は現地で暇な時間にやっておくべき作業なのだ。

・・・そして今ここはVienna空港のStar AllianceのBusinessラウンジである。 日本国内だとANAラウンジはちょっと敷居が高い(というかBusinessのラウンジには入れない)のだが、前夜のメイルでちゃんと支払って予約していたので、どうもここはエコノミーの僕でも入れたようで嬉しい。 とても食べられないのだがバイキングの料理からあらゆるお酒まで(ワインのボトルがずらっと並んでいて壮観)、全て無料である。 席もなんとか一人で作業できる場所がうるさくない奥まった場所に確保できたので、まさに「お仕事」タイムとなった。

忘れないうちに朝から時系列に書いておくと、上記の写真整理を9月7日のところまで終えたところで朝9時半ころにホテルをチェックアウトしてリンツ駅に行った。 チケット売り場はSocial Distanceを保ちつつ長蛇の列で30分ほど待って切符を買ったのだが、後で気付いたが大きなミスがあった。ウイーンからリンツに来る時に切符売り場に行ったら、カウンターのお姉さんが「ここはリンツへの直行列車は取り扱っていないので向こうの売り場に行って」と振ってくれたのだが、その鉄道会社の切符売り場はリンツ駅では通路の横の隠れたところにあり、今日はそっちに振ってくれなかったのだ。 結局、Westbahnhnof駅に行くためには途中で特急を降りて各駅に乗り換えろ、と言われてその列車に乗った。 けっこう混んでいたので食堂車に行ってコーヒー、次にワインを頼んでまったりしていたが、車内で時刻表を見ていて気付いたのは、このまま乗っていって「Wien Hbf」で降りればウイーンの地下鉄に乗り換えできるじゃん・・・という事実で、実際にそのように対応した。 当初予定をその場で変更しているのだが、そこそこ土地勘のあるウイーンなのでこれも可能なのだ。 そしてウイーン市内1日切符を買って地下鉄U3で中心部に向かい、予定していた「あそこ」に到達した。

そこはもちろん、「カフェ・モーツァルト」であり、頼んだのはもちろん、ザッハトルテと赤ワインである。 今回も同じような写真を撮ったが、過去に学生が同行したウイーンでも必ずここに行っていたので写真を発掘してみると、以下のようなもの( 20092012 )があった。 そして地下鉄に戻ってU4で移動してウイーン空港まで直行のCAT(City Airport Train)で空港に到着すると、自動チェックイン機で簡単に搭乗券が2枚とも出てきて、さらにここBusiness Loungeにまで入れた、というところである。 EA2022のオーガナイザからは「On behalf of the organizing committee of the Expanded Animation Symposium 2022, I would like to thank you very much for your brilliant contribution. It was an honor to have you with us and we hope you will participate again in future editions of the event. Have a great week!」というメイルも届いていたが、気付いてみると講演者席の足元から机上まで電源を延長してくれた「1メートルの延長コード」と「欧州タイプのACコンセント・アダプタ」のセットを、現場に置いたままにしてきてしまっていた。 今のところ問い合わせのメイルも来ていないが(別に返却も不要だが)、まぁ現地の人はこれは使えない(日本のコンセントの穴の形状では現地では挿さるものが無い)だろう。 その後はちびちびやりつつ、「EUtour2022フォトレポート」に上げるための準備(単純作業)の続きを、チェコ1日観光に行った9月8日のところを進めた。 これは細切れでも出来るので、機内でも空港でも、やろうと思えば出来るのだ。

  

2022年9月13日(火)

・・・そして今、機内でワイン3杯の強制爆睡からフト目覚めて、キャビンに行って冷たいオレンジジュースとブラックコーヒーをいただいて「これで起床」と身体に命じたのは、これまで3000km飛んできて残り4300kmの地点である。 いつものように出発の段階で腕時計を到着地の時間に合わせているが、それ(東京)は午前9時ということなので、もう忘れてしまいたい欧州時間は午前2時ということになる。 モニタの現在地が「アラル海」ということで、行きの「羽田→フランクフルト」のコースとは全く違うので戸惑ったが、どうもフランクフルトから北に向かわずに東に飛んでブダペストを越え、ブルガリアからイスタンブールの北の黒海上空を渡ってトルコを経て、その後は不明なGyumiとかGrozuyiとかQubaとかのあたりをジグザグに飛んでからカスピ海を超えて、その後はモンゴルを横断してさらに中国を横断してそのまま日本海を北から能登あたりに向かうというルートらしい。 出発してからしばらくは、進路予測のルート表示を無視するようにモスクワ方向に飛んでいて驚いたのだが、ロシア上空は避けているのものの、往路のアンカレッジ経由とは全く異なるこういうルートもあるのだ、と感心した。

MacBookAirはディスプレイの輝度を周囲に合わせて暗くしても、キーボードバックライトがあるので暗い機内での作業も快適で、いざやってみると、EU2022ツアーの写真の整理(昨日まで)は、ものの1時間ほどで終わってしまった。 機内なのでネットニュースも読めずメイルチェックも出来ず、こうなる作業は二択で、この「Sketching日記Part15」で日々追記してきた部分のバグ出しと、あとはいよいよMax8プログラミングしかない。 作曲のうちサウンド部分については、機内では耳栓をしているぐらいなのでとても無理(やはり機内の騒音というのは普通じゃない)なので、Gen-jitterのフラクタル生成のパッチを細かく攻めるという作業になる。
ちょうどフライトは中間点で、到着まであと6時間半なのだが、機内は真っ暗で周囲はここにきて爆睡モード一色だが、いま東京は午前10時半なのだ。 このままあと数時間も機内で眠れば、東京に夕方に到着した後で長い長い夜が待っているのに、たぶん絶対に眠れない(→東に移動した時のキツい時差ぼけ)。 そのために僕はさっきまで無理に爆睡してから早めに無理に起きて(日本時間からすれば睡眠不足の午前という身体状況)、この後は絶対に眠らずに東京→浜松→SUAC→帰宅、と続ければ、たぶん夜にはそこそこ眠れるという読みである。 ということで、まずはこの日記HTMLをオフラインでブラウザに投げ込んで、リンクのチェックは出来ないものの、いちばん上の「2022年8月28日(日)」の確認から始めた。 なんせ椅子の下のコンセントのお陰で電源100%が続くので安心なのだ。

・・・そして今、日本時間はもうすぐ午後1時というところで羽田までのフライトはあと3時間半、これから北京の上空、韓国の上空を通過して日本に向かうところである。 もうじき到着前の食事となるのだろうが、これは身体(体内時計)に対して、果たして昼食なのか夕食なのかそれとも朝食なのだろうか。 結局、Max8プログラミングには入れず、その代りにこの日記を最初の「2022年8月28日(日)」から全部読み直して、細かいバグなどを修正するという作業を2時間半もやっていたことになる。 体内時計はと言えば、とうてい日本時間のお昼過ぎではなくて、ちょっと油断すると寝落ちしそうなヘンな深部状態になっている。 帰りの新幹線で居眠りして浜松で降りそびれたら大変なので、まだまだ注意していかないといけない。 いずれ「EUツアー2022」の写真をWebに上げたら、文字と天気予報ばかりだったこの日記にもチラッとは写真を埋め込みたいが、その作業はまだ先になりそうだ・・・と書いたところでオシマイにしよう。

2022年9月14日(水)

上の続きとしては、羽田空港に着いて、入国審査前の検疫チェックで「MySOS」というのをやっていなかったので(スマホに入れただけ)、空港内をずーーーっと歩かされた先(今後の外国人入国開放のために相当なスペースを用意、ただし僕の入国時はとても少なかったので超スカスカ)で、ずらりと机に用意されたタブレットから「Web版MySOS」で登録して(横に付いて手伝ってくれる人は日本語ペラペラの外国人ばかり)、その後に「審査済」という青い紙(これがスマホMySOSのファストトラック青色画面に相当)をもらって(この紙をコピーしたら色々と不正なことが出来そう・・・)、あとは自動入国審査(マスクを外してカメラ画面を見るだけ)は速攻、そしてBaggageを待たずに税関をサッと出て、京急で品川に行って浜松行きの「こだま」に乗って、浜松駅からタクシーでSUACに行ってクルマで帰宅した・・・ということである。 帰途の新幹線内では、スマホに入れていたCOCOAとMySOSというアプリを消したのだが、ちょうど帰宅したテレビのニュースでは「COCOAは廃止」と告げていた。

そして早朝から目覚めて今日から普通の日常に戻ったが、研究室に出てくると、「This was the Ars Electronica Festival 2022」と過去形になった こんな案内 が届いていた。 午前中には、まず出張報告関係の書類を作成したり(面倒だけど忘れてしまうので早めに)、デジカメの昨日(9/12-13)の分の写真を追加して 欧州ツアー2022 のページを上げたり、2台のデジカメの不調が発生していたので このように 解決したり、ゼミのM1・王さんから今日の午後に入っていたアポのキャンセル連絡が届いたりと、どたばたしつつ過ごした。 体感としてはお昼頃から午後イチあたりに最も頭の深部がぼーっとしている感じである。 そして、今日の午後(から明日の終日)には、以下のような内容で音楽情報科学研究会・夏のシンポジウムがオンラインで始まった。

2022.09.14(水)
	13:00-13:10 - オープニング
	13:10-14:10 - [招待講演] サウンドスコープフォン
	14:20-16:00 - [一般発表] 演奏支援・生成
		チェロ演奏における自動運指および運弓支援機構の検討
		バンド譜から無段階で難易度調整可能な深層ピアノ編曲
		自動運指・管長調整機構によるサックスの演奏補助システムの開発
	16:10-17:30 - [国際会議機発表・デモ・萌芽・議論セッション]

2022.09.15(木)
	10:00-12:00 - [一般発表] 音楽音響信号
		TCN-HSMMハイブリッドモデルに基づくビート・ダウンビート推定
		深層学習分類モデルを用いたJ-POPにおける発声法の推移の分析
		MDX-Mixer: 複数の音楽音源分離モデルによる出力波形を時変混合するシステム
		歌声のための自己教師あり対照学習による特徴量表現の獲得手法
	13:00-15:00 - [一般発表] 認知・分析
		自動演奏への表情付けのための生成音楽理論に基づくフレーズ情報の生成法
		作曲スタイル分布の動的クラスター構造の分析と予測
		リズム変化が予備動作とテンポ維持特性に及ぼす影響
		あちら側の聞こえ方をいかにしてこちら側に呼び込むかという無謀な挑戦について
	15:10-16:10 - [招待講演] 人間の演奏者に同期する合奏システムの開発とその水平展開
	16:20-  クロージング/表彰
僕は明日のほぼラストなのだが、当然のことながらプレゼンなどは全く準備していない(^_^;)。 それも明日の僕の発表については、10月上旬に日本音楽知覚認知学会大会(+日本音響学会音楽音響研究会)でゼミの吉田さんが発表するのがメインで、この僕の発表では「対象曲」が何の曲なのかを伏せておきたい(ネタバレ禁止)、という予告編に特有の性質があるために、あまり具体的なプレゼンは作れないのである。 そういう時に限って、今回のオンライン音楽情報科学研究会は発表者もかなり少なかったために発表時間が30分もあり(これはリンツでの講演と同じ)、まぁ英語ではないので楽ではあるものの、しょーもない話(予告編)で煙に巻く30分間を演出するというのが大仕事なのだ。

2022年9月15日(木)

まだまだ時差ぼけの影響で、身体の奥底がゆらゆら揺れている感じが残っている。 昨日の朝は10日ぶりにいつもの朝のメニューをやってみたが、抑えめに「40%」として足回し800回+腹筋ローラー80回で止めていた。 そして今朝は「60%」として足回し1200回になったが、腹筋ローラーは無理と即断して80回のままとした。 まだまだ元に戻るには時間が必要のようだ。
朝、スタート10分前の09:50ぐらいに今日の音楽情報科学研究会のZOOMに接続してみると何故か繋がらず、どうも裏では情報処理学会がドタバタしていたようで、ようやく10:20ぐらいに復旧していつもの顔ぶれがZOOMに出てきたが、天下の情報処理学会がこれでは情けない。 とりあえず今日の午後の発表に向けて、昨日の続きの準備を進めるので、横に置いたZOOMのパソコンは音量最小+輝度最低で放置している。 以下はプレゼンの冒頭で見せる予定の謎の楽譜である。(^_^;)

EA2022の記録の この動画 は4時間6分とあまりに長いので、僕の講演の30分間だけ切り出した動画を作ろうと、昨日の帰り際にFirefoxの「Viideo DownloadHelper」アドオンを設定していたのだが、最近のYouTubeは高速ダウンロードをさせない仕様のため、実際に4時間6分かかって1.85GBのmp4が作られていたので、QuickTime7Proで僕の部分だけ切り出したムービーをexportしているが、この処理にCPU温度が80℃あたりになったまま数時間かかる模様だ。
そして朝イチで届いていたのが、久しぶりのOMMF2022について「Ogaki Mini Maker Faire 2018ならび2020にご出展いただいた皆さま。12月3日(土)・4日(日)の二日間、Ogaki Mini Maker Faire 2022を開催致します。本年度はこれまでの物理会場での開催に加えて、メタバース会場での展開も予定しています。9月5日(月)より9月18日(日)23:59までを締切として、出展者募集を開始しています。ご興味のある方は下記要項等をご確認いただき、本年度エントリーのご検討をしてみていただけますと幸いです」とのメイルが届いた。 SUACは2018年に参加していたので、だいぶ遅かったものの、これが届いたということだろう。 そこで、「ゼミメンバー+佐々木くん」を対象として、とりあえず2人から手が上がったら参加する・・・という「打診メイル」を出した。 過去にSUAC学生と参加した4回(あと1回は 2014年 出張ハシゴ中に僕だけ参加)の状況として、 2010年2012年2016年2018年 のリンクを発掘して添えておいた。 果たしてどうなるか。

・・・そして今は15時過ぎ、僕のダラダラした発表も無事に終わって(^_^;)、あとはヤマハの前澤さんの招待講演だけとなった。 EA2022での僕の講演の部分だけを切り出したものをYouTubeに このように 上げることも完了した。 上に並んだ写真は、その中から取り出したものである。 さらに、午前に出したOMMF出陣に関して、佐々木くん、吉田さん、と立て続きに「参加したい」というメイルが届いて2人になったので、エントリーフォームをでっち上げる作業に没頭することにした。

2022年9月16日(金)

夜中に目覚める時間帯があるというのはいつもの事で、ようやくぼちぼち時差ぼけが抜けつつある。 今朝は「40%」→「60%」と積み増してきた朝のメニューを「80%」にする予定だったが、なんと一気に通常の回数まで復帰してしまった。 あとは、帰国後すっかり忘れていたが、週に2回「Martin Guitarを触る」というのも復活していこう。
OMMF2022については他のゼミ生からの反応は無かったが、エントリーのためには出展作品の動画と静止画を公開用にWebに置く必要があり、先月中旬に撮影スタジオで このように 「カエルBAND」の作品を記録していた吉田さんに、その記録データを依頼していたのだが、それが届いていたので、 このようなページ にまとめて、OMMFへのエントリーを一気にやってしまった。 必要な公開用情報は、とりあえず以下のようにしてみた。
【1-10.出展内容に関係するWebサイトがあれば、そのURLを教えてください(公開用)】
https://nagasm.org/1106/installation5/
https://nagasm.org/1106/news6/Saya_Yoshida/

【1-11.出展内容に関連する動画URL(公開用)】
https://youtu.be/e6BbASRaxsM
https://youtu.be/3Gb7TMSzF6A

【1-12.出展内容に関連する写真のURL(公開用)】
https://nagasm.org/1106/news6/Saya_Yoshida/Saya04.jpg
そして、今日の予定は昼休みにデザイン研究科教授会(入試判定)があるだけなので、昨日のうちにJoyJoyヒトカラを予約していて、午後には帰宅することになっている。 それまでの時間、まずは 欧州ツアー2022 のページを一部改訂して、このページのリンク先の写真を全部並べた こんな隠しページ を作ったことで、ようやく、この日記の9月5日から9月13日までの出張期間の記述の中に写真を拾って追記する、という作業を開始することができた。 あわせて 工場見学 のページも追記改訂したり・・・と集中していて、肝心の研究科教授会に3分ほど遅刻した(^_^;)ものの、なんとかとりあえず9月12日のあたりまで写真を置いたところで本日オシマイとなった。 続きは明日以降に持ち越しである。

2022年9月18日(日)

一昨日のJoyJoyヒトカラは2週間ぶりで6時間57曲を完走したが、驚くべきはノードラッグ(響声破笛丸料ナシ)だった事で、つまりいつもの1週間以内のインターバルはちょっと喉に無理をしつつ続けていたのだと判明したが、これで今後のインターバルを1週間以上に広げるかどうかは不明である。 そのダメージと深部に残る時差ぼけもあり、昨日は朝のメニューをパスしてだらだらと過ごし、この日記に最後まで 欧州ツアー2022 の写真から貼り込んだり、OMMF参加の打診を一部学生へのBCCメイルで出したり・・・などで終わった。

午後にゼミ・日崎クンのアポもある今日は、超強烈な台風14号が九州地方への上陸から明日あたりに本州縦断となりそうな日である。 まずいつもの朝のメニューをフルにこなして、過去のOMMF参加の情報を「SUACインスタレーション」のページに加筆したり、またまた研究室の一部片付けなどを進めた。 久しぶりに握ったMartin Guitarは、なんだかちょっと音が違って聞こえたのだが、やはり定期的に愛でてあげないとダメなのだ。 そして、今回の欧州ツアーの出張に持参したMacBookAirがたまたまこれまで出張に行っていなかったために、僕のドメイン[nagasm.org]にSFTPするための公開鍵をセットしていなかった・・・というミスがあった事を思い出して、1106研究室の全てのMacBookAir(M1版を除く)にこれを設定して、どれを持っていっても(いずれどれが壊れても)SFTPが出来るという環境を整備した。 地味な作業なのだが、これも必要なのだった。

2022年9月19日(月)

台風14号がぼちぼち近付いてきているものの、浜松はそれほどでもない3連休最終日である。 昨日は3人目としてゼミ・日崎クンがOMMF2022に参加表明してくれたので、およそ4人での参加という感じが固まってきた。 仮に大垣の宿を予約しておいたが、とりあえずOMMF事務局からのエントリー採択通知を待つ体制である。 そして「また」という感じなのだが、 僕の論文 をきっかけとして「Museについてご教授ください」という以下のようなメイルが届いた(一部抜粋)。
はじめまして。突然のメールで失礼いたします。
○○大学○○学部デザイン学科で専任講師をしております○○と申します。
先生の論文「脳波センサ"Muse 2"・"Muse S"は新楽器として使えるか」をはじめ、「Muse」に関する内容を参考文献として拝読させていただいております。大変興味深い、
素晴らしい研究内容で、多くのことを勉強させていただいております。私も「Muse2・S」と「Mind Monitor」を使って脳波解析の研究を進めています。専門が技術教育や工業教育など、
モノづくりに関する教育分野です。メインは教材研究やカリキュラム研究ですが、最近ではモノづくりにおける身体知をテーマに、機械加工時の脳波をMuseで測定し、解析するといった
ことを行なっております。そこで、「Muse」に関していくつか分からないことがあり、以下の3点について、ご質問させていただければと思います。
①
Mind Monitorで得られた電力スペクトル密度の絶対値の単位が分かりません。
リアルタイムで表示されるグラフの単位はdBであり、CSVファイルで得られる数値は概ね0から1の間の少数で示されています。dBはおそらく対数変換表記かと思いますが、その元と
なる数値が何か分かりません。一般的に脳波はμV、電力スペクトル密度はμV^2/Hzで表されると思いますが、Mind Monitorで取得されたCSVファイルの数値は、どうもこれらと違う
ようです。Mind Monitorの開発者のフォーラムには、Museで取得された脳波電力スペクトル密度は独自のアルゴリズムで計算され、概ね0から1の間の値になるようにプログラムされて
いる、といった記述も見つけました。これらの数値の単位、あるいは算出方法についてご存じでしたらお教えいただけると助かります。
②
Mind Monitorで脳波の優位性を表示すると、毎回デルタ波が結構優位に出ています。一般的にデルタ波は睡眠時にしか現れないものと考えますが、先生が測定された時もデルタ波は
現れますでしょうか。Muse本体の頭部へのフィットは毎回ほぼ完璧にセットしております。筋電位のノイズが含まれているのかとも考えておりますが、デルタ波がそれなりの頻度で高く
現れる理由がお分かりでしたらお教えください。
③
一般的な脳波計は耳たぶの電位を基準としておりますが、Museは額中央部を基準にしていますね。ということは一般の脳波計から測定される電位とは違う値で脳波を計算していると
いうことでしょうか。そうなると一般的な脳波計で測定した脳波電位(μV)と単純に比較できないものかと考えました。この辺りもご存じでしたらお教えください。
以上3点のご質問です。
大変厚かましいお願いとは重々承知しておりますが、お時間のある時で構いませんので、ご教授いただければ幸いです。ご多忙の中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
以前にあったのは、「脳波」ネタにあまりに安易に飛び付いた学生からのもので、淡白に返信したら途絶したのだが、今回は大学の先生からである。 非常に光栄なことなのだが、やはりちょっとどこか履き違えているような気がする。Museはまっとうな脳波センシング装置ではなくて、「脳波おもちゃ」なんだよなぁ(^_^;)。 ということで、仕方なく2時間近くかけてあれこれ発掘して、以下を返信した。やれやれ。
質問の3点についてですが、脳波に関する私の立ち位置をご理解いただければ自ずと回答は明白なので、そのあたりから確認させていただきます。
私の業績は全て自分のサイト
https://nagasm.org/ASL/ASL.html
にありますが、ここで「muse」というタームで検索すると、以下のようなものが出てきます。これを眺めて下さい。
https://nagasm.org/ASL/SIGMUS0108/index.html https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS201603.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/onchi201605.pdf
https://nagasm.org/ASL/paper/ICMC2016_nagasm.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS202011.pdf
あと関連して、以下も眺めて下さい。
https://nagasm.org/ASL/sensor03/index.html https://nagasm.org/ASL/paper/icmc98.pdf https://nagasm.org/ASL/SIGMUS0202/index.html
https://nagasm.org/ASL/SIGMUS0205/index.html https://nagasm.org/ASL/paper/ICAD2002.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/IAEA2002.pdf
https://nagasm.org/ASL/SIGMUS0302/index.html https://nagasm.org/ASL/suac2002/index.html https://nagasm.org/ASL/NIME03/index.html
https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS201005.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/onchi201005.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/sigmus201112.pdf
https://nagasm.org/ASL/paper/PRMU201506.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS201508_2.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS201605.pdf
https://nagasm.org/ASL/paper/VS-Games2016.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/ICMC2016_nagasm.pdf https://nagasm.org/ASL/paper/HCS201803.pdf
https://nagasm.org/ASL/paper/SIGMUS202109.pdf
ここらを眺めていただければわかりますが、私は一貫して、Computer Musicの作曲家として生体情報を活用しようとしています。主として筋電ですが、
https://nagasm.org/Sketching/VPP-SUAC.html
のオリジナル筋電センサには、ジャンパoptionとして脳波センシングのゲインのモードも持っています。(このセンサは脳波電極にノータッチというところが
ポイント)つまり脳波に対する私のスタンスは、音楽演奏として能動的に音楽生成のための情報を発出できる生体センサであればいい、という立場です。
簡単には、グッと念じて、何か出ればいいのです(^_^;)。医学生理学の世界で真っ当に行われている脳波計測とは違う立場です。
第一、Museのサイトには、本製品は医学生理学的な脳波センサではなく、あくまでセルフ・メンタルヘルスのための道具、いわば「脳波おもちゃ」である、
医学的には使用しないように、と謳われていたように記憶しています。ですので、
> 最近ではモノづくりにおける身体知をテーマに、機械加工時の脳波を
> Museで測定し、解析するといったことを行なっております。
というのは、脳科学的・生理学的な意味で脳波計測をするというところにMuseを使うというのは、根本的に問題をはらんでいると思います。
これに対して、OpenBCIのセンサ
https://nagasm.org/ASL/Max7_part2_3/fig1/011.jpg
はまだ、医学生理学の世界で脳波電極の標準位置として規定されている場所に電極があるようになっていますので、これを使った研究はちゃんと査読され
公開されているようですが、Museを使った研究というのはあまり見た記憶がありません。
ということで質問への回答です。
> ①
> これらの数値の単位、あるいは算出方法についてご存じでしたらお教えいただけると助かります。
すいません、知りません。
必要であれば問い合わせるべきことですが、公開したくないから公開していないように思われます。
> ②
> デルタ波がそれなりの頻度で高く現れる理由がお分かりでしたらお教えください。
すいません、知りません。私は自分としては「脳波センサ"Muse 2"・"Muse S"は新楽器として使えるか」を書いて発表した時点で「使えない」と結論付けている
ので、2020年11月以降、一度も、研究室の棚にあるMuse2に触れておりません。その後、脳波も一切、調べておりません。だいたい、Muse社が言うところの
「デルタ波」というのは、本当の医学生理学の世界でいう「デルタ波」と同じとは到底、思えません。そう名付けているだけで、学術的な意味での「デルタ波」と
同じであるという保証も無ければ、自分の製品は脳波センサでは無い、と宣言している同社にその立証を求めることも無理だと理解しています。
> ③
> 一般の脳波計から測定される電位とは違う値で脳波を計算しているということでしょうか。
頭頂部の電極が無くて額だけでもいいのであれば、もっと昔からそういうものがあった筈だと思います。Museの電極配置は、ネコみみの電極(額の1箇所だけ)
と一緒で、まっとうな学術の世界ではたぶん眉唾ものだと見られています。これに乗っかれば、せっかくの研究が全て、眉唾もの、トンデモものというバイアスが
かかって見られることになります。
ある意味で「脳波おもちゃ」上等、なんか脳波に対応したものが出る道具であればComputer Musicに使えるかも・・・というのが私のスタンスですが、私は決して、
これを正当な脳波研究の世界に持っていこうとは思っていません。というか実際には開眼では使えないので断念しています。
> 最近ではモノづくりにおける身体知をテーマに、機械加工時の脳波を
> Museで測定し、解析するといったことを行なっております。
というテーマは素晴らしいものです。ただしこれを学術的に進めようと思うと、Museを使っていてはどこまでもヘンな目で見られることになると危惧します。Museとか
Myoとかは、起源はまっとうな研究者たちですが、商品化してビジネスにする段階で、学術的なところから離れていき、さらに色々な情報をノウハウという名の下に隠蔽
しています。OpenBCIのサイト
https://openbci.com/
ではその名の通りに、全ての情報を互いに公開・交換して、活用・関連した学術研究も盛んに発表されています。
Museはお手軽ですが、ある意味「おもちゃ」です。「モノづくりにおける身体知をテーマに、機械加工時の脳波をおもちゃで測定し、解析する」と言われたら、それは
研究として正しく評価されないのでは、というのが私の危惧です。
Museはおもちゃとは言っても、きちんと何らかの脳波をセンシングしてバイオフィードバックしてくれる。 メーカから一緒に提供されているアプリを信じて、せせらぎの音とかを聞きながら瞑目して、アルファ波が出ると遠くから聞こえてくる鳥のさえずりの頻度が上がるようにトレーニングすれば、セルフコントロールが上達して、サッとリラックス状態になれるマインドセラピーの道具として立派である。 ただしこれはそういう「風味」で料理されているので、このMuseを使って「脳波計測しました」と真面目な学術の世界に発表すると、ちょっとその反応が心配になってくるのだ。

そしてその後、この先生とはさらにメイルを1往復半して(返信が来たのでさらにコメントしてまた返信が届く)、お互いに問題点が認識できて、さらに今後の研究に関する一つの指針も提供できて、と良好に発展した。 参考文献として、学内紀要のような無査読の論文で、Museから届く「5種類の脳波パワースペクトル(δ、θ、α、β、γ)」を鵜呑みにした論文も拝見したが、これはまずいですね、という点でも一致した。 やはり、実際に問題意識を持って、実際に実験を進めてきている現役の教員だからこそ、という事であり、以前に届いた「脳波に興味があって・・・」という何もやっていない学生とは雲泥の差だった。 この先生の今後のMuse活用には、期待していこう。

2022年9月20日(火)

台風14号の影響と言われつつも浜松は何ということもなく過ぎ去ったこの朝、NIMEコミュニティから届いていたのは、今年で2回目になるという International Synth Design Hackathon というイベントに参加しませんか、という案内だった。 2023年の1月から2月あたりの期間に、教育機関ごとの都合に合わせて4日間のハッカソンでシンセ(ここではサウンド関係の何でもあり)を作ろう・・・という企画らしい。 去年のプロジェクトの ギャラリー というページを見てみると、7つの教育機関のチームがそれぞれのアイデアで進めた成果が並んでいたが、まぁ正に玉石混交の感じだった。

まぁさすがにSUACからこれに参加するというのは色々と壁があり過ぎるので(^_^;)様子見なのだが、この企画を進めている連中が面白いと気付いた。 Design your own synthesizer というのが彼らのサイトのようだが、上の写真はモノ・シンセサイザーを実現する基板であるものの、そのデザインが秀逸なのだった。 この動画 に解説があるが、シンプルなシンセサイザー基板の上には、色々なパラメータを可変にするために多数のボリュームやスイッチを配置する必要がある。 その「ボリュームやスイッチを取り付けられる場所」というのを、多数のランドパターンを整然と基板の上に並べて、「どこに取り付けてもOK」というのを実現してしまったようだ。 自分の好きな場所に配置することで、その上に乗せるパネルまで対応してオリジナル化できるというのは、なかなかの発想の転換だと思う。
その後、たまたまお仕事Macの「お仕事」ディレクトリの中に「生態心理学」というディレクトリが昔からあった事に気付いて、そこから 日本生態心理学会 のページに行き、そこには「生態心理学研究」という学会誌が公開されていると知って、リンク先の このページ に行き着いた。 そして2004年から2022年までの過去の全ての一覧を このリスト にまとめて、とりあえず興味のありそうなPDFを計50本、ダウンロードした(計369MB)。 ここから実際にプリントして眺めるかどうかは、ぼちぼち このリスト を見て考えることにしよう。
さらに、先月中旬に撮影スタジオで このように 吉田さんの「カエルBAND」の作品を記録していた時に、何故か1体だけRGBのうちBが点いたままになっている(^_^;)というトラブルがあったのを無視して作業していたのだが、改めてこのLEDドライブシステムを出してきてチェックした。 その結果、ArduinoMegaの上に載せていたシールド基板がUSBコネクタと接触している部分がちょうどBの配線だったと判明して、シールドのゲタをさらに1段増設することで問題を解決できる、と確認した。 これでOMMF2022には、安心して持っていけるだろう。

  

そして久しぶりにMax8を開いて、 欧州ツアー2022 の途中でぼちぼち進めていた作曲の準備の状況を確認してみたが、上のように音源部分もjitterグラフィック部分もリバーブ部分も、いずれも中途半端なまま寄せ集めたような状態である(^_^;)と判明した。 やはり、出先の環境(ホテル室内、列車内、飛行機内など)によって感覚はだいぶ変わることもあり、いざ全体をまとめて動作させてみると全く作業中のイメージと異なっていた。 これはちょっと落ち着いて、個々の要素を確認していく必要がありそうだ。
午後にはM1・王さんのアポがあり、「毎週作曲」チャレンジの成果として、前回のアレンジに対する改良コメントを受けての進展、そして新しい曲ではBass弾きの王さんならではのカッコイイのが出来ていた。 これでいよいよ、後期にはさらに発展させていくのだ。

2022年9月21日(水)

昨日の晩のテレビニュースで、大井川鉄道が「C56を復刻するために クラウドファンディング を開始した」というのを知って、さっそく調べてみたが、なんと3,000円から5,613,500円まで32種類 ものコースが設定されていて(^_^;)、既に100万円で「復活記念品コース:【取付証明書付】C56形135号機 復活記念号(初列車)に取り付けたナンバープレート」に支援して「完売」というのもあった。

かつて上のようなSL写真を撮るために追いかけていた SL写真少年 の僕は、もちろん 大井川鉄道やまぐち号 も乗って/撮っているし、鉄道博物館( リュブリャナ, ユトレヒト, 京都・梅小路 )も行っている僕としては、これは黙っていられない。 さっそく以下のように並べてプリントしてみたが、いやいや、これは悩ましい(^_^;)。 我が家では全国各地に「ふるさと納税」をしているが、その基本線は「災害復興支援」である。 大井川鉄道にどのくらい「復興支援」できるか、このプリントを持ち帰って相談することにした。

  

  

  

そして今日は特に何もない日(といっても奈良学園大の辻下先生とはお仕事関係の連絡でメイルを6往復もしている)ということで、昨夜フト思い付いた実験をしてみることにした。 昨日の日記に並んでいたMax8パッチというのは、今回の欧州ツアー2022の出張中にちらっと改訂したものだったが、その改訂はサウンド部分とjitterグラフィクス部分であり、出張前に仕込んでいた「gen~」のリバーブ部分はそのままだったのだが、どうもこのリバーブがいまいちだ・・・という印象が抜けなかったのである。 Sketching日記(part14) の「2022年8月16日(火)」あたりからやっていた、「Genの美味しいものをピックアップする」という作業の結果として、最終的にはリバーブ関係で今後に使えそうな候補として、「GEN_27_creepy_reverb」・「GEN_28_dattorrro_reverb」・「GEN_35_freeverb」・「GEN_36_gigaverb」という4種類が残っていて、そのうちの一つ(たぶんGEN_27_creepy_reverb)が選ばれていた。 しかし、どうもこのサウンドが気に入らないために、帰国後にちょっと触ってみてもその先の作曲に入り込めなかった気がする。

上は僕のお友達(同い年)、SUACでの メディアアートシンポジウム2005 のトークにも来てもらったし、 メディアアートフェスティバル 2002 のコンサートでもご一緒した(その他のコンサートでも何度も)、現在IAMASの学長でもある三輪眞弘さんの、昔からある ウェブサイト の下の方の一部である。 僕はここに並んでいる「作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲家たち、作曲するぞ、作曲するぞ、 出版するぞ、 作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、即興するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、作曲するぞ、」 というのが昔からとても好きなのだ。 Computer Musicする人生を選択したからには、この位の気構えで生きていきたいので、「ちょっと作曲に入り込めなかった」なんてのは絶対に駄目なのだ。

そこで上のようにまず、パッチに採用していたリバーブのブロックを消し去り、これまで僕の作品で何度も愛用してきた「擬似リバーブ」というか「多段エコー」のモジュールを発掘してきて中身を整理して、これに置換した。 そして、せっかくGenを勉強したので、このMSPベースの「echo_machine」という部分をGen化する・・・というのを今日の目標と決めた。 たしか、Genを初めて勉強した日に、過去にMSPベースだったものをそのまま「Gen~」内にコピペしたら厖大なエラーの塊になった記憶があるので、そのあたりをきちんと理解しないと突破できない筈なのだ。

そして初心に戻って Sketching日記(part14) を読み返しながら、とりあえず「入れ物」として、上のように「gen~」を定義して、外部とのインレット/アウトレットを定義してみた。 調子に乗って「gen~ echo_machine」などと名前を付けてみたら、「そんなGenファイルは見当たらない」と叱られてせっかく打ち込んだGenパッチが消されたりしたが(^_^;)、そうやって正解に向かっていくのだ。

ここからあれこれ試しながら進めてみると、最終的には上のように、意外にアッサリとGen~が完成してしまって、無事にあの聞き慣れた「echo_machine」のサウンドがGenによって生み出された。 CPUは以前のMSPのバージョンでは「16%」ぐらいまで振れていたのが、最大でも「9%」程度と目に見えて「処理が軽くなった」ことになり、こうなればさらに組み込みを予定しているあと4種類のGenシンセ「sync105」・「GEN_38_modFM」・「GEN_40_mixture_sine」・「GEN_41_pulsar_synth」を加えた実験にも進んでいけることになる。 そう、これいう日々こそ「作曲するぞ」なのだ。(^_^)

2022年9月25日(日)

長い夏休みもようやく終わり、後期まであと1週間となった。 先週の金曜日(祝日)の午後〜晩にはJoyJoyヒトカラ6時間62曲を完走したが、判明したのは前週の教訓とは反対の「1週間ほどのインターバルでノードラッグ(響声破笛丸料ナシ)にはならない」という事実だった。 スタートを調子に乗って飛ばせば、1時間ほどの全力疾走で最初のドラッグタイムが必要となり、その後は恐る恐る進めていっても、終盤に再度のドラッグタイムが必要になったりするのは、これまでにも学習してきた筈なのだ。 結論としては、今後も同じようなペースになるものと思われる。
【訃報】
「長崎は今日も雨だった」など数々のヒット曲で知られる作曲家、彩木雅夫(さいき・まさお、本名・新居一芳=あらい・かずよし)さんが16日、
肺炎のため亡くなった。89歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会を11月3日午後1時から、札幌パークホテルで開く。
北海道帯広市出身。北海道放送(HBC)のディレクターを経て1966年に作曲家デビュー。内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」、
殿さまキングスの「なみだの操」や「夫婦鏡」、森進一の「花と蝶」など、60年代後半〜70年代にヒット曲を連発した。 
ちなみに Sketching日記(part14) の「2022年8月22日(月)」のところにも書いていたのだが、ちょうどその金曜日にはネットニュースで上のような訃報が飛び込んできたので、「長崎は今日も雨だった」を最初のあたりで絶唱したのは言うまでもない。 その日は、3連休の日本列島を襲った台風15号で静岡県も相当の被害があったが、降雨は予想通りなので自宅から大きな傘でJoyJoyに行き、21時には帰宅するという計画的行動で難を逃れた。 その後、晩の10時頃からは浜松に「特別警報」とかが出て、家族のスマホは夜中に何度も警報音が鳴りまくったが、僕のスマホは警報OFF+防災アプリ無しなのでまったく無音だった。
昨日、土曜日の朝には台風一過の好天となったのだが、東海道線も新幹線も止まったままで、関東地方などではまだまだ警戒ニュースが続出していた。 さらに今日になっても静岡市のあたりでは、山間の送電鉄塔が倒れたために停電と断水が続いている。 ちなみに明日には、先日の人間ドックで初めてレントゲン検査で「結節影」が見えたので(;_;)精密検査でCTスキャンをする、という予定が午後に入っている。 これまでX線検査で何か出たことは一度もなかったので別に心配していないのだが、予約してCT検査に行き、その結果を聞きに行くためにまた翌週に予約しているので、SUACから徒歩数分の遠州病院とはいっても、ちょっと面倒なのだ。

後期にはまたArduinoなどが活躍する・・・ということで久しぶりにArduinoのサイトに行ってみると、なんとArduinoIDEがメジャーVersionUpで2.0.0になっていた。 まぁ、末尾まで「.0.0」というのは出たばかりなのでバグが出てきてスグに更新する必要があるのだが、それより困ったことに、予想通り、Macの対応は「macOS 10.14: “Mojave” or newer, 64 bits」となっていた。 僕は研究室のお仕事Mac miniを始めとして、全てのMacを「10.11.6」で止めているのだが、その理由は32bit対応の過去の各種ツール(アプリケーション/ユーティリティ)を引き続き活用していきたいためなのである。 Max8(こちらも調べてみると8.3.1から8.3.2になっていた)の方は、「Intel: OS X 10.11.6 or later, Intel® Core™2 Duo processor. Intel® Core™ i5 processor or faster recommended, 4 GB RAM (8 GB or more recommended)」・「Silicon: OS 11.0 or later, Apple M1 ARM-based processor, 4 GB RAM (8 GB or more recommended)」となっていて、ぎりぎり10.11.6がOKなので、Max8が次のメジャーVersionUpで10.11.6を見限るまでは少なくとも動くつもりはないのだ。
そこで上のように、研究室に1台だけあるM1MacBookAir(OSX 11.6.1)にこの新しいArduinoIDEをインストールしてみたが、厖大なライブラリをダウンロードしてきたものの、とりあえずArduinoUNOに「Blink」を書き込むところまでは従来のものと同じように出来ることを確認できた。 また新しいボードが出てきた時にはSeeeduinoXIAOのようにこちらで書き込むことになりそうだが、当面はまだまだ、レガシーのArduino1.8.19でいけそうだ。

2022年9月26日(月)

今日は人間ドックの再検査(精密検査)として、暑い中遠州病院まで数分歩いてCT検査に行ってきた。 たぶん過去にはCT検査を受けたような記憶は無かったので、まずまず新鮮な経験だった(嬉しそうに「初CTです」と言ったら検査技師の兄ちゃんにウケた)。 検査費用は14,700円(→3割負担で4,410円)ということで、普通に開眼してスキャナ装置があのトーラスをぐるぐる回っているのを眺めていたが、調べてみると、下の このように 2016年の東芝の新しいモデルで「販売価格は約2億円」ということらしいので、遠州病院の装置も1億円ぐらいはするのだろうか。

2015年にはゼミ生も同行して筑波に行き、 筑波大学ワークショップ1日目筑波大学ワークショップ2日目筑波巡り+BF学会1日目BF学会2日目+産総研見学 というなかなか「濃い」4日間を過ごしてきたのだが、その4日目の産総研見学で、CTスキャンどころかMRI装置を見学していたのだった。 これは1億や2億という桁ではなくとんでもない装置だが、中に入ったわけではないので、やはり今回のCT検査の体験は収穫だったのだ。

このたびは12月3日(土)・4日(日)の2日間にわたって開催されるOgaki Mini Maker Faire 2022への出展お申し込みをいただき、誠にありがとうございます。
今回、募集枠を超えるエントリーをいただいたため、募集要項にてお知らせしておりました通り、選考を実施する運びとなりました。その結果といたしまして、
本メールを受信いただいたみなさまにつきましては、お申込みいただいた作品等のご出展をいただきたくお願いを申し上げます。
実行委員会一同、みなさまの趣向を凝らした作品を心よりお待ちいたしております。
出展確定に伴い、広報や出展者の紹介などで、出展情報や画像を使用させていただくことがあります。こちらご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
会場レイアウトや当日の確認事項等をまとめた出展マニュアル(11月上旬-中旬予定)の発行などについては後日メールなどでお知らせいたしますので、
こちらも今しばらくお待ちください。
なお、出展の決まったみなさまを今回登録させていただいた本メーリングリストは、今後みなさまへの連絡で活用する予定です。
引き続きよろしくお願いいたします。
そして夕方になって、「Ogaki Mini Maker Faire 2022 選考結果のお知らせ」というタイトルで、上のような「Ogaki Mini Maker Faire 2022 実行委員会事務局」からのメイル(抜粋)が届いた。 まぁ過去のパターンから「採択」はほぼ確信していたが、実際に届けば嬉しい情報である。 さっそく、一緒に参加する3人の3回生に知らせたが、おいおいこの作戦会議も始めることになった。 こうやって、後期に向けてあれこれテンションが上がっていくのは最高なのだ。(^_^)

2022年9月27日(火)

英国のエリザベス女王の厳粛かつ荘厳な「本物の国葬」に感動したのはつい先日だが、今日は、カルト宗教のパシリをしていた?(説明すら忌避)故人の「名ばかり国葬」という情けないイベントで、日本が全世界に恥を晒す日である。 僕は Sketching日記(part14) の「2022年8月23日(火)」のところに以下のような画像を置いていたので、何もなくこの日は過ぎ去ることになる。

朝イチで届いていたメイルの中には「迷惑メール」フォルダに入っていたものが2本あったが、その1つは以下のように、来年8月下旬に日大芸術学部(10日後に出張で行くところ!)で開催される、音楽知覚認知国際会議 ICMPC2017 のCFP(論文募集)の情報だった。 これはもちろん、日本音楽知覚認知学会が招致しているもので、本来はたしか一昨年あたりに開催する予定だったのだが、COVID-19のために延期になって来年なのだというが、なんとこのパターンは日本時間学会と全く同じだった(→後述)。
「ICMPC17のテーマは4種の「LOOP」だそうで、「Music loops: ループは音楽の知覚と認知のほぼすべての段階において見出すことができます:聴覚と固有感覚フィードバック、演奏者と聴衆のコミュニケーション、音楽の反復など、例を挙げればきりがありません。この会議では、様々な形態の音楽ループに関する知識を交換する素晴らしい機会を提供します」・「History loops: 1989年に日本で第1回目のICMPCが開催されました。2023年、34年の時を経て、より大きなスケールで日本に帰ってきます。この分野の業績と成長を共に祝うことができることを嬉しく思います」・「Scientific mission loops: 新しい研究手法の台頭や技術の進歩により、第1回ICMPCの頃に議論された疑問のいくつかに答えが出そうな気配があります。この会議は、音楽研究者が過去のICMPCを踏まえて、我々の研究使命を再確認する絶好の機会である」・「Loop continues: LOOPは閉じてはいけない。上記のLOOPsに関連するすべての活動は、スパイラルのように進化し続けるはずです。ICMPC17-APSCOM7が次のLOOPsのための強固な基礎となることを期待します」と、かなりこじつけっぽいのだが、COVID-19で待たされた情熱はヒシヒシと感じられた。

 

そしてもう1つ、「迷惑メール」フォルダに入っていたのが、以下のように来年3月にポルトガルのリスボンで開催される e-Society 2023 のCFP(論文募集)の情報だった。 ポルトガルのリスボン近郊の国際会議に向けてワクワクしていたのはたしか2020年、そこにCOVID-19がやってきて全てが壊されたという因縁の地であり、テーマの「e-Society」はこのインターネットの時代、どのようにでもこじつけ可能である。 「e-Society 2023は、情報社会における主要な関心事を取り上げることを目的とした会議です。この会議では、情報社会の技術的な側面と非技術的な側面の両方をカバーします。広範な分野としては、電子政府/eガバメント、eビジネス/eコマース、テクノロジーと社会、eラーニング、ニューメディアとeソサエティ、eヘルス、情報システム、情報管理、COVID-19とデジタルトランスフォーメーションが挙げられます。これらの大分野は、さらに詳細な分野に分かれています」とのことで、僕の立場であれば「テクノロジーと社会」・「eラーニング」・「ニューメディアとeソサエティ」・「eヘルス」あたりで絡められそうな気もする。 ただし開催時期が来年度でなく本年度の最後、ちょうど後期入試をまたいだ「11 – 13 March 2023」なのだった。 「Submission Deadline: 17 October 2022」とのことであと3週間勝負ということだが、まぁこれはパスの可能性がとても高い。

ここで、音楽知覚認知国際会議と同じパターンと判明した国際時間学会ISSTについて、ここで過去の理事会などの資料を発掘してみることにした。 日本時間学会が招致する国際時間学会大会は対面重視のため、2022年でのオンライン開催を止めて、たしか2023年7月あたりに山口大学で開催され、日本時間学会の理事である僕は少なくともその日本時間学会大会には参加したいのだが、COVID-19のためにISSTに去年出していた応募がそのまま繰り延べになったのかそれとも新たにCFPが来るのか、考えてみると不明だった。 去年の段階のWebサイトのURLは消えていたが、手作業で国際時間学会のサイトに こんなページ を発見して、日程については「18th Triennial Conference of the International Society for the Study of Time (ISST), July 2-7, 2023」と確認できたが、やはりそこから下の中身は止まったままだった。 そして今年6月の時間学会理事会の議事録を発掘すると、「18th Triennial ISST Conference : Time and Measure at Yamaguchi University」という項目があり、「発表エントリーの再アナウンス、発表の新規募集についてISST側に問い合わせる」・「おおよその日程確定アナウンスを2023年2月頃にはする」・「メモリアル・レクチャー:松村律子先生(時間学研究所)で決定」・「日本時間学会の発表との兼ね合い(要スケジュール確認)」・「会場の確認」・「ISST国際時間学会との合同理事会の開催」というのを発見した。 やれやれ、どうやら来年2月あたりまでは何も見えないのだった(^_^;)。

この日記の「2022年8月29日(月)」のところにチラッと書いていたが、Ars Electronicaが無事に片付いたのでここで検討に入ってくるのがもう1件あった。 上の ISEA2023 という国際シンポジウムであり、かつて名古屋で開催されたことがあったらしいが、僕はこれまで(時期的に他のConferenceとかぶるので)ノータッチだった。 ここに、昔からのお友達、現在はギリシャのIonian Universityの教授であるIannis Zannos先生が提案しているProposalに僕も加わらないか、という打診を受けているところなのだ。 このページ を見ると、どうもZannos先生は「Call for artistic proposals: until November 9, 2022 – 4:00 pm CET」というのに対してパネルの提案をしているらしい。 ただし、この会議は「SYMBIOSIS ISEA2023 PARIS – FRANCE – MAY 16-21, 2023」ということで、来年度の前期が始まったばかりの5月の開催なのだ。 来年度は僕のSUAC最終年度であり、特別研究も申請しないつもりなので、海外出張は最大で1回が限界であり、ここで久しぶりのパリに行くとなると、NIMEもICMCもArs Electronicaも行けなくなる可能性がとても高く、非常に悩ましいのだった。

 

ネットニュースを見ていると、上のようなフェイク画像をTwitterに上げて「静岡県の水害」と呼んでいたことが騒ぎになっていたが、この画像は既存の写真のコラージュではなくて「画像生成AI」が出力したものなのだという。 こういう時代になってくると、いよいよフェイク情報に踊らされることなく行動するリテラシが必要になるが、これはなかなか難しい問題である。 かつて2018年、 欧州ツアー2018 に行っていた最中の「北海道胆振東部地震」では、 続・Max7日記(7) の「2018年9月6日(木)」に、日本からのニュースとして届いた以下の写真を置いていたが、これはあまりに異様な風景で、まったく現実のものとは思えなかった(→その後毎年、被災した厚真町の支援に「ふるさと納税」を続けている)。 最近でも「画像生成AI」が出力した「絵画」が人間の画家を差し置いてコンクールで受賞してしまった・・・というニュースもあったし、グラフィック系のデザイナにとっては受難の時代となってきたようだ。 音楽の方では、まだ「音楽生成AI」というのが正面に出てきていないが、そのうちネットで話題になって商業的にヒットした後で「実はAI自動生成音楽でした」・・・となるのはいつになるだろう。

AI繋がりというのか、「AI安倍晋三」による合成音声のYouTube動画を“東京大学AI研究会”が公開した、という こんな記事 もあった。 その中に置かれたYouTube動画の声を聞いてみると、「AI美空ひばり」と同じように不自然で全く生気がなく(故人なので当然)、こういうのをいくら面白がっても何も生まれないという真理を確認することになってしまった(^_^;)。

そして午後にはゼミM1・王さんのアポがあり、「今週の新曲」としてカッコイイ小品が届いた。 それを聞いた瞬間に想起したのはYES「こわれもの」の中の1曲で、さっそくそのmp3を発掘して王さんにAirDropで送り、さらに調子に乗って上のように「危機」・「こわれもの」・「海洋地形学の物語」・「リレイヤー」・「YESSONGS(Live)」の5つのアルバムを発掘、提供した。 国内ばかりでなく、海外でも「Computer Musicする者の根はプログレ」というのは自他共に認めるかなり普遍的な真実であり、そのテイストを感じてもらえれば嬉しいところだ。

2022年9月28日(水)

来週になったらいきなりドタバタになるものの、今日は午後に学生委員会があるだけという日である。 奈良学園大での集中講義のために、久しぶりに このページ を眺めて、フト思い立って、 このように 研究室の棚からVPP-SUACを出してきて、せっかくなのでもう1-2台、増設しようかな・・・と軽い気持ちで始めたところ、色々とえらい事になった。(^_^;) ザッと箇条書きにすると上のような感じで、3時間ほどかかって状況を完全に理解できた。 そこで、 このページ が現在のままでは駄目だと判明したので、そちらにも改訂を書き込んだ。 ちなみに「(Max7からMax8になって、Maxパッチが表示されないという変化がありました。以下のように変更します)」とあるが、これはCycling'74の方のバグではなく、僕の書いたMaxパッチの「ごく軽いバグ」をMax7は気付かずに起動するのに対して、より形式チェックの精緻になったMax8では自動的に「起動してあげない」という冷たい対応(エラーメッセージとかも出さず)に変化した、というのが正しいところである。

2022年9月29日(木)

来週に後期が近付いてきて教務関係とかの事務的メイルが行き来するものの、ゼミ吉田さんのアポが明日に移動したので「何もない」貴重な日である。 これはもう「作曲」しかない、と昼前から午後の何時間か、幸せなMaxプログラミングに没頭できた。 あいかわらずセンサ情報のemulationを使いつつ、大きな構成にするために定番の「scene_no」を設定しつつ、新しいGen音源アルゴリズムの調査も進めた。 そして、この日記の「2022年9月25日(日)」のところに「Max8を調べてみると8.3.1から8.3.2になっていた」とさりげなく書いていたが、実はこのマイナーVersionUpはとても大きなものだと気付いた。 8.3.1で作業していて、国内でも移動の国際線機内でもArs Electronicaに行っているオーストリアでも難儀したのは、「Max8のパッチの[Save As...]で保存しようとするとクラッシュする」(^_^;)というとんでもない初歩的バグだった。 対策としては、事前に最新版パッチをDuplicateしてリネームしてから開いて「上書き保存」すればいいのだが、さすがにこのバグは早々に直るだろう・・・と思っていたら、8.3.2ではちゃんと直っていたのを発見したのである。 当然のこととはいえ、これは今後に向けて助かった。

また、 Sketching日記(part14) の「2022年8月17日(水)」のところにあった上の「gen~.patcherscripting」の謎の響きが忘れられず実験をした。 トリガすると「プチ」が出るので、2系統並べてステレオにして交互にトリガするようにして、「line」オブジェクトでトリガ側の振幅をゼロから増加させ、もう片方(トリガ無し)はゼロに漸近するようにクロスフェードさせるテクニックを活用した。 そしてサブパッチに収めて実験してみたところ、Maxパッチ内のスピーカのアイコン(Audio ON/OFF)がその都度チラチラとして、全体としてミックスされている他系統のサウンドが一瞬だけ途切れるという現象に遭遇した。 これはJavascriptで記述されているGenプログラムが、トリガされると過去の10個のオシレータを一旦メモリから消去して新たにランダムに10個のオシレータを生成するためである、と読み切れたが、これだと原理的にこの現象は必ず起きてしまう。 そこでこの部分を別パッチ「multidetunesine.maxpat」として保存したが、それを本来のパッチ内に置いて「呼び出す」と、やはりサブパッチと同様に扱われるようで駄目だった。
しかしMaxプログラミングの長い僕は「別々に起動されているパッチは共通のパラメータ定義によって連携する」というのを知っていたので、まさに全く別のパッチとして「multidetunesine.maxpat」を起動しておいて、共通の名前のパラメータ経由でトリガすると、「multidetunesine」パッチ内のスピーカのアイコンはチラチラするものの、メインパッチ側は途切れない事を確認できた。 つまり、同時に並列動作しているMaxパッチごとにそれぞれシステムのオーディオに接続しているので、メインのパッチは途切れないのだった。 こうやって少しずつ進めていくというのは、本当に楽しいプログラミングなのである。 今回の作曲は、自分としてはSUACでのComputer Music活動の集大成ぐらいの気持ちでじっくり取り組んでいるので、この感じでさらに進めていくことにしよう。
そして午後には、財務室のモバイルWiFiルータを借りてCycling'74と直結して、1106にある全てのMacのMaxを8.3.2にした上でライセンス確認まで済ませた。 時間のある時にやっておかないといけない作業なので、この懸案の解決も新学期に向けて重要である。

2022年9月30日(金)

もう9月の最終日である。 午後にゼミ・吉田さんのアポがあるだけのこの日の午前中は、フト思い付いたアイデアの実験から始まった。 まずはCucling'74のサイトに行って、キーワードサーチで「launch other patch」と検索すると、 Opening Patches within other Patches というページに行き、「Hello, I'm trying to figure out how I could set up a way to open a variety of other patches using one main patch」という質問者に対する2番目の回答「The "load" message to [pcontrol] should do what you're looking for. You could also use the "open" message which will open the [patcher] or abstraction connected to [pcontrol]'s outlet」でアッサリと解決策をゲットできた。 オープンソースというのは、本当にいい時代である。

 

そして上のように、「multidetunesine.maxpat」を「A」「B」のダブル構成として、既に完成していた「very_nice_BGM」サブパッチと連携する背景サウンドパートが完成した。 DSPのCPU負荷が軽く15-20%(ピークで25%)になってしまったために、jitterのライヴ・フラクタル描画処理は、Genパッチが「過去の10個のオシレータを一旦メモリから消去して新たにランダムに10個のオシレータを生成する」という瞬間には一瞬フリーズするようになったが(^_^;)、それでもなかなかいい感じのサウンドが生まれてきたので、このトレードオフは「OK」と判断した。
午後の吉田さんアポでは、来週末の音楽知覚認知学会大会への発表参加に向けての打ち合わせを行ったのだが、Max8パッチを発表用に改訂したぐらいで、あとはこの週末に吉田さんから「プレゼンPDF」と「アンケートPDF」の案をメイルで送ってもらって練り上げて、あとは来週水曜のゼミ後の午後に2コマのアポを入れて完了となった。 そこでは実際にストップウォッチを使って時間限定の発表練習を行い、その模様をビデオに撮って、万一のトラブルに備えることとした。 もういきなり大詰めである。

2022年10月1日(土)

今年もあと3ヶ月となった。 昨日の三遊亭円楽、今朝のアントニオ猪木、など訃報が相次ぐ気もするが、まぁ自分も高齢者となってきて、そこそこ良く知っている人の訃報に反応しているという事なので看過していく日々である。 昨日は業者に注文していた秋月電子のXBeeが届いたので、午後のJoyJoyヒトカラに出かけるまでの時間に「書き込み」・「VPP-SUACでの動作」などについて調べる(→製作は明日以降)ことにした。 結論から言えば、VPP-SUACにおいてはXBeeを単なる「無線になったシリアル」として使っているので、最近の凝ったXBeeの場合には、その単純通信モードに書き込みするのに時間がちょっと(30秒ほど)かかるという違いがあるだけで、以下の4つのうち上から3つのモデルの全てで、書き込みと「VPP-SUACでの動作」について確認できた(互換なので4番目もOK)。 XBeeライタでの書き込み時間が一瞬の瞬殺だったのは「802.15.4」と書かれた、上の並びで言えば後半の2つである。 そしてこれでだいぶ手元の在庫が減ったので新たに部品を発注したのだが、大きな変化があったのでここでメモしておこう。
これまでXBee受信(ホストのUSBに差し込む)ために使っていた、スイッチサイエンスの「XBee-USBシリアル」基板は販売終了となっていて、お取り寄せ商品の Xbee USB adapter (FTDI ready) になっていた。 そこでスイッチサイエンスを見限って(^_^;)、秋月電子の XBee USBインターフェースボードキット を発注した。 おそらく互換性はOKであり、今後はこれを使っていくことになる。

それより驚いたのが、愛用してきたmbed NucleoF401REである。 秋月電子のページに行くと、 STM32 Nucleo Board STM32F401 (税込2,200円)と載っているのだが、「在庫切れ(納期確認中)」とあった。 そこでYAHOOで調べると、なんと上のように27,000円とか11,000円とかのとんでもない値段、つまりプレミアとなっていた。 これはメーカが製造終了して、市場に出回るモノが枯渇してきた・・・といういつものアレである。 そこでRSコンポーネンツに行くと、以下のように約3,000円(これは即納RSとしては妥当な価格)で、「世界に残り在庫48個」となっていた。 この在庫が尽きると定価2万円ほどのMyoのように、中古品でも10万円以上という異常事態に突入する。 とりあえず手元にも在庫があったので、エイヤと15個、発注してみた(ので下の在庫数は33となった)。

このあたりのマイコンボードの栄枯盛衰ではロスも出るもので、大昔に活躍した秋月電子のAKI-80では、多数のメモリ(EPROM)チップや「EPROMライタ」「紫外線EPROMイレーサ」という書き込み機器と共に、入手在庫していた20枚ほどを泣く泣く廃棄した。 そして開発環境のWindowsパソコンが引退したAKI-H8では、残っていた手持ちの10枚ほどに「64チャンネルMIDI制御LED-PWMコントローラ」のファームウェアを書き込んだところで終了となった。 このボードはファームウェアまで確定している「部品」として、今後も何かの新システム(64系統のLEDをMIDIで別々にPWM制御したいもの)に活用できる。
そしてさらに悩ましいのがPropeller関係で、毎年の年度末、研究費の残りがあると輸入調達してきた「Propellerクリップ」(これまで多数のインスタレーション/新楽器に使用)があと10数個あるものの、既に世界のどこからも購入できなくなっている。 超マイナーなPropellerコミュニティには、これを支援する財力はとても無かったのだ。 Arduinoはなかなか頑張って後方互換性を維持しているが、これもいずれ、プログラミング出来なくなって廃棄するものが出てくるだろう。 それが、進展を続ける先端テクノロジーの宿命なのだ。

2022年10月2日(日)

昨日のJoyJoyヒトカラ6時間では60曲を完走したが、そのダメージは今日の午前まで残った。 そして午後になって、昨日書き込み成功していたXBeeと、XBeeソケットだけ付けた状態で保管していたVPP-SUAC筋電センサ基板と、在庫していたNucleoF401REとを、 このように 組み立てて、手持ちのシステムが7セットから12セットに増設できた。 ただしこのうち5セットは、3極ミニプラグでなく10Pピンヘッダにしているので、暫定的に1チャンネル分の筋電電極コードを取り付けている。 まぁ、筋電バイオフィードバックの実験としては、最初から欲張って4チャンネルで行うよりも、1チャンネルか2チャンネルで十分だろう。

そしてここで気付いたのだが、主として3年ぶりの海外出張のArs Electronicaを経て、この日記(Part15)のHTMLはもう240KBにもなっていた。 明日から新学期スタートという区切りでもあるので、Part15はここまでとして、 Sketching日記(16) に続けていくことにしよう。 まだまだ、まだまだ、まだまだ「Sketching」が続くのだった。

→ Sketching日記(16)

「日記」シリーズ の記録