2001 ヨーロッパツアー "竹虎"
フォトレポート

2001年9月 長嶋洋一

パート2 (コンサート風景)はこちら


このような 企画で、フランスとドイツに行ってきました。渡欧する1週間前の9/11に 米国でテロ事件があり、どうなることかと心配しつつのフライトでしたが、 なんとか予定通りにいきました。 実際には、テロ対策のためのセキュリティ強化とともに移動した、滅多に できない体験でもありました。以下は帰国した翌々日の10/1にあるMLに ポストした記事です。

ギタリスト/Kyma使いの友人、吉田靖さんから以下のような メイルがありました。そこで、以下のような返信を書きました。 皆さんにも何か参考になれば、と思い、MLにもポストします。 ただし、海外への機材輸送に関すること以外の、テロとか政治とか セキュリティとかの話題はこのMLの趣旨から外れますので、リプライ については、慎重にお願いします。ゴミの爆発はお互いに迷惑 ですので。皆さんの良識を期待します。

	>さて、僕も10月12日から、倫敦、ケルンとヨーロッパに向かいます。
	>ケルンではkhmを訪問し、運が良ければ多少の演奏などが出来るかも
	>しれません。倫敦には当初は純粋にシュトックハウゼンのイベントを
	>見に行く予定だったのですが、夏に知り合ったKYMA使うイギリス人との
	>ギグも急遽予定されてしまったので、楽器を持ち込むことになりそうです。
	>で、KYMAは持っていかないのですが、KYMA用のデジタイザ/モーター
	>ミックスなどを持ち込むつもりです。要するに、前回の浜松の機材から
	>ギターとKYMAをのぞいたシステムなんですが、ここで心配になるのが、
	>税関のチェックです。やはり怪しい機材の持ち込みには問題があるでし
	>ょうか?
	>よろしかったら、現地での貴重な体験をお聞かせ下さい。
おぉぉ、それはそれは、楽しみですね。(^_^)
ただし、今回のテロでフライトに関してはかなり大変です。 以下、せっかくですのでMLにもポストする情報として まとめて書きますので(冒頭の部分に、上の吉田さんのメイルを 引用させてくださいね(^_^;))、参考にして下さい。
まず、今回のテロが起きる以前に、僕が渡欧前に準備したことを 紹介します。これは、過去にJACOMのコンサートでソウルに 行った時に、税関でずらりと日本から来たComputer Musicの 作曲家がスーツケースを開けさせられた経験(^_^;)から準備した ものです。

●カルネ

これは僕も今回初めて知ったのですが、招聘元のドイツの大学から 「日本でATAカルネを取って、機材を持ち込むように」とメイルが あり、調べて、取りました。吉田さんは10/12から渡欧ということ で、時間的にはほぼギリギリですが、頑張れば間に合います。 まずは、
http://www.jcaa.or.jp/carnet-j/c-index.html
を見てください。要するに、高価な機材とか製品を日本から 持ち出して海外に行った場合に、そこで売ってはきません、 ちゃんと持ち帰ります、というのを書類として扱うことで、 税関での面倒な説明とかがほとんど不要になる、という ようなものです。方法は以下のようなものです。
まず、カルネ事務局に電話して、必要な書類を送ってもらいます。 企業でなく個人の方になります。 同時に、保証金の確認のために、住民票とか昨年の収入を証明する 書類が必要なので用意しておきます。
楽器などの機材はprofessional equipmentとなります。 書類に、持ち出す予定の機材を(多めに)全て記載して、カルネ 事務局に送ります。記載されても実際に渡航する時にやめた、 というのはOKですが、あとで追加はできません。僕の場合、 コンピュータを4台持っていく、と書きましたが、最終的には 1台は省略できたので3台、持っていきました。フルKymaや2台の デジタルビデオカメラ、プロジェクタまで持っていったので時価 総額は230万円ぐらいでした。(^_^;)
カルネ事務局で受理されると書類が来ますので、必要な保証金 を振り込みます。これは、持ち出した機材を持ち帰らなかった 場合、現地で売ったとみなして課税される保証金です。紛失しても 課税されます。(^_^;)
そして、空港では航空会社のチェックインの前に、まず税関 事務所に行って、「これだけ持ち出します」というチェックを 受けます。僕の場合、37項目の中で1つだけ、デジタルビデオ カメラの現物確認(記載された製造番号の確認も)をされました。以降 は、書類にハンコだけで中身の抜き取りチェックは無かったです。
カルネに出国税関のチェックを受けてから、航空会社のチェックイン カウンターで荷物を預けます。機材はこの預け入れ荷物と機内 持ち込み荷物の両方に分散しても構いません。 (ただし後述のように、テロが起きてからは、なるべく厳重に 梱包して、預け入れ荷物にしてしまうのがベストです)
ロンドンで降り立つのでしたら、現地の入国はイギリスです。 EU内は同一国と見なされるので、イギリスからドイツはカルネ は関係なく、最後にドイツから出国する時にまたカルネです。
ロンドンに付いて入国審査をして荷物を受け取ったら、そこで 税関職員に「カルネはどこだ」と聞いて、カルネの書類の 「入国税関」のところにチェックをもらいます。確かに申告 したものを持ち込んできた、という証明です。どこかでこれを 忘れると帰国して課税されます。(^_^;)
これでロンドン入りして、ドイツへの渡航は普通にいけます。 ドイツに着いた税関では「免税/申告ナシ」を通過します。何か 言われたら、カルネを見せれば水戸黄門の印篭みたいなものです。
ドイツから出国する場合、チェックインする空港(たとえば ケルンからフライトしてフランクフルトで乗り換えて日本、の 場合にはケルン)で出国カルネです。チェックインの前に税関に 「カルネはどこだ」と聞いて、免税品の窓口とは違うところで 出国カルネ、つまり持ち込んだ製品をちゃんと持ち出す、という 証明を受けます。その後チェックインします。
帰国した空港では、入国審査、荷物受け取りのあとで、税関に 「カルネはどこだ」と聞いて、カルネに帰国証明、つまりちゃんと 申告した機材を完備して戻ってきた、というチェックをしてもらい ます。最後にあとでこれをカルネ事務局に送っておしまいです。 僕も今日、カルネを送ったところです。
これにより、デジタルビデオカメラとかコンピュータとかの高価な 機材を持ち込んだ際に、税関であれこれ聞かれることがなくなる 「らしい」です。今回はテロという別要因があったので、この 効能はよくわかりませんでした。(^_^;)
費用は、200万円ぐらいの時価(新品購入価格でなく減価する)で たしか1-2万円の掛け捨てみたいな保証金でした。収入の怪しい 人の場合には、200万円全ていったん預けて、帰国後に返される らしいです。(^_^;)

●招聘元からの証明書

もう一つは、フランスのスタジオCCMIXの責任者と、ドイツの ワークショップオーガナイザの教授(IEEEフェロー)のサインの 入った、「この者は私が以下のような企画のために日本から 招聘した専門家であり、持ち込む機材を含めて、怪しいもの ではない」という招聘状のFAXです。これはドイツではドイツ語 で、フランスではフランス語で書いてもらいました。入国審査の 際、あるいは税関でこれを見せるというわけです。尺八奏者の 師匠は英語が苦手ですが、これを見せて助かったらしいです。 ただし僕の場合、一度も見せる場面はありませんでした。(^_^;)

・・・ということで、カルネと招聘状、これはComputer Music 関係者が海外に行く場合には効果がありそうな準備です。
ただし、ここまではテロ以前のことであって、実際にはこの 両方とも、テロを受けたセキュリティチェック、という前には ほとんど無力となりました。(^_^;)
カルネも招聘状も、テロリストが偽造しようとすればなんでも ない簡単なものですし、入国審査とか税関という事務屋とは 別に、航空会社が本気でセキュリティチェックをしている 場合、上記の書類など何の役にも立たないわけです。(^_^;)
以下、実際に僕が移動しつつ感じた、ヨーロッパのセキュリティ の状況をレポートします。これはたぶん、当分はこんなふうに 続くと思われます。ラディンとかタリバンがこの世から消えたら 元に戻るか、というのも判りません。(^_^;) (たぶん完全には戻らないと思います)

●9/17

僕が成田からフランクフルト経由でパリに向かったのは9/17 でした。上記のように成田でカルネをして、学生二人と合わせて 3つのスーツケースを預け、精密機器は機内持ち込みとして3個の 荷物にして、さらにいつものように僕は背負ったバッグにも PowerBookを入れました。ちょっと慎重なチェックですが、 特に緊迫感もなくいずれも通過して機内に乗れました。 フライトはルフトハンザでした。
フランクフルトに着いて入国審査、そこからEU内はドメスティック ということでパリに乗り継ぎ、荷物を受け取ってカルネ、と順調 でした。最初に飛行機に乗ったところでセキュリティチェックを 受けているので(当然、ナイフだけでなくハサミとかも駄目)、 そこから乗り継いで来ている人のゾーンは基本的に安全だ、と いうことです。
パリではCCMIXで講演と公演を無事に終えて、ちらっと教会など も見ました。CNNでのニュースは刻々とアメリカの様子を流して いました。

●9/20

9/20にパリからドイツに行く、ということでシャルルドゴール 空港に行ってみると、たった3日でまったく状況は一変して いました。ルフトハンザのチェックインカウンターでは、成田から 来た時にはOKだった荷物が、機内持ち込みは絶対に一人1個まで、 ということで、僕の背負ったパソコン入りバッグも1個とカウント されたため、その場で仕方なく持ち込む予定だった機器入りバッグ を預け入れに渡しました。スーツケースなどと一緒に乱暴に扱われる ので、もうアーメン状態です。(^_^;)
東野さんも、いつもなら「楽器」として別扱いになっている「笙」と パソコン入りの背負ったバッグとで2個だから駄目、と強硬に拒否 され、仕方なくバッグを預け入れラインに出しました。これは 今迄になかった措置です。
チェックインの入り口でのセキュリティチェック(透過装置による 目視検査)も時間がとてもかけられていて、長蛇の列でしたが、 誰も文句を言いません。

●9/28-9/29

パリからフランクフルトに着いて、荷物を受け取り、あとは カッセルとハンブルクとドイツ国内でいろいろありましたが、 ここは新幹線移動だったので、省略です。(^_^;)
ドイツ国内で現地のテレビを見ていると、ルフトハンザは セキュリティチェックのためのコストをお客に乗せる、 つまりセキュリティのための値上げを計画している、という ニュースもありました。そこまできちんとチェックしたルフト ハンザは、「安全」という付加価値を持ちます、という方針の ようです。(^_^;)
帰国は9/28のハンブルク空港から、フランクフルトで 乗り継いで成田、でした。これが凄かったです。
同行した京都組と一緒にハンブルク空港に行く、ということで、 我々、成田組は、ハンブルク空港で3時間、さらに乗り継ぎの フランクフルトでも3時間、というエンエンと待ちくたびれる 予定の最終日だったのですが、この「予備」がなかったら とんでもないことになっていたところでした。吉田さんも、 どうぞ、フライトスケジュールとか空港から飛び立つ日に ついては、こんなに待つのは嫌だ、というぐらいの余裕を もってみて下さい。当面は、これがフライト利用の鉄則の ようです。
ハンブルク空港では、チェックインの前に、まずカルネです。 これはもう、書類にサインとハンコをもらうだけなので、 欧州ならではのまったりとした時間(^_^;)の後に、無事に 処理が終わりました。そこからチェックインカウンターに 向かうと、またまた、なんとまぁ長蛇の列。パリにも増して 慎重に慎重に透過装置でのスーツケース等の預け入れ荷物の チェックがあり、装置を何度も多くのスーツケースが行ったり 来たりしていました。透過装置はだいぶ高性能なもので、手元の 操作により、CRT画面の色が深さ方向とか物質の組成ごとに 切り替えられて、いろいろと高度に見えるもので、単なる シルエット装置ではありませんでした。
チェックインカウンターでは、もうどうせ機内持ち込みは 一人1個と厳しく限定されているのは分かっていたので、 成田からは機内持ち込みした荷物の一つをクッション材と ガムテープで厳重に巻いて、出しました。一応、既にコンサート は終わっているので、最悪、機材が壊れてもいいや、という のもありましたが。(^_^;)
そしてチェックインして、次には搭乗口のところでの、 機内持ち込み荷物のセキュリティチェック。これが経験した ことのない厳しいものになっていました。普段では考えられない 長蛇の列に対して、職員はまったくフライトが遅れることなど 眼中になく、詳細に詳細にチェックします。隣のゲートは 僕のフライトの10分前だったのですが、簡単にフライト時刻 から10分、20分が過ぎても(!)、まだ人の列が消化されません。 国内のシュツットガルト行きだから、ということもあるのか、 僕の見たところでは、まだ最後の人のチェックが終わらない のに、見切り出発でかなり遅れて出発しました。(^_^;)
そして僕の方のゲートも遅れに遅れて、いざ我々の荷物と なりました。ここで遂に、それまで何もなかったKymaが ひっかかりました。
既にフライト時刻を過ぎているのに、僕はKymaとともに 職員に連れていかれて、特別なチェックコーナーでKymaの ソフトバッグを開けさせられました。ここでカルネを見せて 「これはコンピュータに接続する楽器である」と説明したの ですが、職員はまったく気にしません。直径20センチ、 長さ40センチほどの円筒形のガンのような精査装置を出して きて、これでCapybaraの上下左右前後をゆっくりゆっくり、 数分かけてくまなく走査透過しました。そして、それが接続 された分析装置のプリントアウトを眺めていました。どうも、 内部の組成分析を、あの鉄板越しに、それも深度を変えて できる装置のようです。デジカメで写真を撮りたかったの ですが、警察を呼ばれそうだったのでグッとこらえました。
そして「OK」が出て、あわててゲートに戻って機内に乗り込み ました。この時点で既にフライトから40-50分ぐらい遅れて います。そしてその後もエプロンで待たされて、結局、実際の フライト(所用時間は50分ほど)は、予定よりも1時間半も 遅れました。次の接続に3時間あったのが、ちょうどいい時間 になりました。(^_^;)
フランクフルトでは乗り換えということでぼちぼちして、 さあそろそろ搭乗か、とゲートに向かいました。既に セキュリティチェックを受けたゾーンですので、もう何もない だろう、と思っていました。
ところが、いざ搭乗口で入ろうとすると、またルフトハンザ 職員に止められました。既にハンブルクであれだけチェック され、OKとなって実際に機内持ち込みで持ってきたKymaを 持ち込ませない、預けろ、というのです。(^_^;)
どうも、あの大きさが気になるらしく、これは精密機器だから 預け入れしたら困る、ハンブルクでちゃんとチェックを 受けたのだ、壊れたら120万円弁償させるぞ、と何を 言っても駄目です。結局、これも取り上げられました。
成田から出てきたのは、あのスーツケースとかがドカドカ 落ちてくるターンテーブルでした。今日さきほどチェック して、壊れていなかったのでホッとしましたが、まぁ コンサート前なら困ったでしょう。(^_^;)
ただし、これはルフトハンザのセキュリティに対する姿勢 であり、非難されるものではないと思います。これだけは 付記しておきます。

・・・というのが、テロ直後のヨーロッパの現状です。

成田に着いて、ガラスの向こうの出国ゲートのあたりの 様子を見ても、9/17の僕の出国の時とはまるで違う、 厳重なチェックが一目で判りました。まさに、世界は 刻々とチェックをより厳しくしている、という体感です。 おそらく、いったん「機内持ち込みは一人1個」という 今回の強制的なルールは、テロが解決されてもそのまま 残ると思います。航空会社にすればラッキーでもある のです。(^_^;)


9月17日

なんとなく緊張感でピリピリした成田空港に行き、 カルネをして、チェックインして、出国審査して(出国カードが なくなっているのを初めて知りました(^_^;))、フランクフルトまでフライト して、そこからパリに乗り継いで、深夜24時過ぎにパリのホテルに 着きました。ただし荷物がとても多いので、写真はあまり撮れません でした。

9月18日

パリのホテルはバスチーユ広場に近いところでした。パリはずっと天気が悪く、 雨にも降られました。この日はスタジオCCMIXに行って、先発の東野珠実さんと 合流し、ディレクターのジェラルドさんと会い、翌日のレクチャーの 準備をしました。

午後にはセッティングが完了してホテルに戻り、学生二人とともに ノートルダム教会まで散歩しました。(^_^)

9月19日

いよいよCCMIXでのレクチャーとデモンストレーションコンサート の日です。東野さん作品のシステムがうまく動いたので、こちらを 公演することにしました。まったくといっていい程、宣伝していなかった のにも関わらず、パリのあちこちかに嗅ぎ付けた人がたくさん 来場して、熱心に参加してくれました。そして無事に終わりました。(^_^)

無事にCCMIXのスケジュールを終えた我々は、この晩は、IRCAMで 活躍する作曲家、後藤さんのおすすめのレストランで食事をする ことになりました。まずは東野さんの買い物に付き合い、その後、 後藤さんのアパートを見学して、世界の後藤のプライベート スタジオの潜入激写に成功しました(^_^;)。そして、五つ星 レストランのシェフを育成している学校の付属レストラン、という 穴場の素晴らしいレストラン(当然、そこの先生がOKを出した 料理しか出ないので、実質は五つ星のご馳走。なのに安い)を 堪能しました。

9月20日

この日は午前にパリからフランクフルトに飛び、そこから 新幹線ICEでカッセルに行って、ホテルに着いて京都からの 3人、Johannsen教授と合流すると、もう夜という移動日でした。

9月21日

いよいよカッセルの国際ワークショップが始まりました。この日は まず午前に隣接したホールの下見、アンサンブルコンサートの会場と なる銀行のホールの下見がありました。

そして午後には講演会場で僕の発表があり、なんとか無事に終えました。(^_^;)

そのあと、夕方にはホールでは明日のコンサートのうち、 ベートーベンの公開リハーサルがありました。 ジュニアオーケストラと言うなかれ、その音はヨーロッパの 底力を示す、素晴らしい音でした。日本のプロのオケでも この音に完全に負けているところはいくつもあります。(^_^;)

そして晩には、「ノベンバー・ステップス」の公開リハがありました。三好芫山先生の 尺八は、最初のひと吹きでその場を制圧したそうです。(^_^)

9月22日

この日はメインとなる、オーケストラコンサートの本番です。 まずは部屋で、コンサートプログラムを拡げて写真を撮りました。(^_^)

そして午前と午後には、東野さんに演奏してもらう作品のセッティングがあったの ですが、いろいろトラブルがあり、実際にはまったくリハをできずに 3時間が過ぎました。とりあえず、サウンドのバランスと照明の バランスだけはできました。(^_^;)

リハでは一度も通すことができないまま、開場まぎわの最後に ようやくトラブルが解決して、たぶんいける、という感触だけで リハは終わりました。そしていよいよ本番です。(^_^;)

そしてコンサートは無事に終了しました。この晩には、Johannsen教授の 半年遅れのバースディパーティ、という内輪のパーティがあり、招待 されました。写真ではちょっと暗くて、その場にいなかったら何のこっちゃ 判らないと思いますが。(^_^;)

9月23日

コンサートも無事に終わった翌日のカッセルは、それまで10日間ほど ずっと天候不順だったのが嘘のような、初めての好天となりました。 僕は朝の研究セッションを覗いて、午後のパネルディスカッション に誘われていたのですが、この日はたまたま、カッセル最大の 観光イベント「水の芸術」(毎週、日曜日と水曜日の2日だけ)に 行く、という学生と音楽家の企画の魅力に負けて(^_^;)、午後半日 だけ、慰労モードで水の芸術とドイツの自然を堪能しました。 山頂の「ヘラクレス」まで行き、そこから水とともに延々と下ってくる、 という壮大なハイキングを楽しみました。

9月24日

ワークショップ最終日の4日目は、翌日のアンサンブルコンサートの リハーサルのために、まず朝からタクシー(ドイツのタクシーは全部 ベンツ(^_^;))を連ねてカッセル大学に向かいました。最後の曲は 今回のツアーに参加した、三好芫山(尺八)・東野珠実(笙)・三好晃子(箏) とコンピュータ、というセッションなのですが、作曲が完成したのは 先発の東野さんがパリに旅立つ直前だったので、楽譜とサンプルCDだけ を送って、実際に全員で合わせるのは、本番前日のこの時が初めて(^_^;)、 という綱渡りでした。しかしそこは皆さんプロ、あっという間にビシッと 合いました。これで安心。(^_^)

カッセル大学でのリハーサルからホテルに戻ると、それまでワークショップ でまったくカッセルの街に出ていなかったので、既に駅前に市電で買い物に 出るまで「カッセル通」になった学生と一緒に、風景を撮りつつ駅前に散歩に行きました。 ドイツの市電や地下鉄というのは、「できたら切符を買ってね」という掲示が あるように(^_^;)、誰も切符を買いません。たまたま車掌の抜き打ち検札に 出会った運の悪い人だけが払っているように見えました。不思議だなぁ。(^_^;)

9月25日

晩にアンサンブルコンサートのあるこの日は、ホテルの部屋で缶詰になって、 後期の講義の資料をサクサクと終日、制作しました。 そして夕方になって、機材をタクシーに積んで、アンサンブルコンサートの会場と なった、市内中心部の銀行の大きなホール(ロビー)に向かいました。 コンサート中は加藤さんはビデオの撮影に、大山さんはステージ周りに 忙しかったので、デジカメの写真はありません。とにかく、好評のうちに 無事、終了しました。(^_^)

9月26日

この日は大変でした。カッセルを午前10時半の新幹線ICEでハンブルクに 向かい、いったんホテルに荷物を置いてから機材をコンサート会場に運んで セッティング、そのまま前夜と同じプログラムのアンサンブルコンサートを 行う、という最後の強行軍の予定(^_^;)でした。カッセルからのICEでは、 ハンブルクがふる里のJohannsen教授も一緒でした。 学生がびしばし撮った写真は、かつて この ような 写真を撮った元鉄道写真少年の僕からすれば甚だ不本意なのですが、 まぁドイツの風景ということで勘弁して下さい。(^_^;)

ホテルの場所はハンブルク市内からSバーンで西に少し行ったところで、 ドイツ有数の別荘地だそうで、いい雰囲気でした。(^_^)

さて、ちょっと遅い昼食からそれぞれホテルに戻って一息ついた ところで、もうそれぞれ機材を揃え、三好親子はびしっと着替えて、 ホテルの前に集合して、アンサンブルコンサートの会場である、 ハンブルク市内の博物館の中のホールに向かいました。
現地ホールでは、2時間ちょっとしか準備できないところに テクニックと機材の到着が1時間半も遅れてエンエンと待たされ ました(写真では、ホールに着いたのにいっこうに機材を開けて いません(^_^;))。仕方なく、出演者と館長さんと主催者(ハンブルクの 音楽院の学長)とJohannsen教授とで倉庫から机を探し出して運んで 組み立て、とりあえずコンピュータ関係の机の上のセッティングだけして、 さらにエンエンと待ちました。邦楽のリハだけは電源もいらないので できました。
(ここから先、コンサート終演後のパーティのところまでの 写真はありません。撮る暇もなかったので(^_^;))
そして、ようやくテクニックが機材とともに着いてみると、 カッセルと違ってろくに技術を判らない、さらに機材もろくに 持ってこない、という最悪の状況で(^_^;)、開場してお客が 座っているのに、まだPAから最初の音も出せない、当然リハも何も ありませんした。仕方なくほとんど全ての配線からチェック まで自力でやって、Macからのテストサウンドを0.5秒だけPAから 出した、というのを唯一の確認として(バランスとかは全て 昨日のコンサートの経験からのぶっつけ(^_^;))のコンサート スタートとなりました。しかしそこはそれ、もう慣れた顔ぶれの 努力により、好評のうちに無事になんとか終了することができました。 こんな心臓に悪いComputer Musicのコンサートというのは、 これまでまったく経験がなかったことです。

9月27日

怒濤のハンブルクでの一日が終わり、この最終日は我々は全員、 帰国準備日(といっても前夜が遅くてこの日に帰国というのは とても無理でしたが)を過ごしました。芫山師匠は帰国してスグの リサイタルのためのお稽古で部屋に籠り、残りの若者? 6名が Sバーンでハンブルク市内に向かいました。といっても僕と 学生はあまり観光モードの気力体力が残っていなかったので、 「地球の歩き方」に「いくら時間があっても足りない」と 書かれていた、雑貨屋など多数のショップが入ったハンブルク最大? の モール「ハンザプラスト」というところにだけ行って(30分ぐらいしか もちませんでしたが(^_^;))、まったりと食事をして、戻って きた駅の周辺のショップを眺めて(お土産屋さんにまじって、周辺の 別荘の物件の写真が並んだ不動産屋もありました)、早々に ホテルに帰ってきました。
あとはホテルの部屋で午後から夜まで、新学期の 講義準備に没頭しているうちに、ドイツ最後の晩が終わりました。 部屋のCNNテレビでは、ますます緊張感の高まる世界情勢を 24時間連続で報道していました。

9月28日

そしてとうとう、帰国の9/28となりました。Johannsen教授の同級生が ハンブルク空港のCEOだということで、空港からマイクロバスを回して くれたので、機材搬送もスムースに行きました(運転手さんに撮って もらった全員の写真は残念ながらピンボケでした)。 関空に向かう京都組とはハンブルク空港で別れました。ただしそこから先は タイヘンだったわけで、このページの上の方に書いた通りです。(^_^;)

9月29日

フランクフルトを夕方6時に飛び立ち、11時間のフライトの後に 成田に着いたら正午でした。デジカメをバッグから出す余力もなく、 この日の写真は何もありませんが、無事に浜松に夕方、帰ってきました。 皆さん、お疲れさまでした。(^_^)