旅と「数独」

2024年4月 長嶋洋一


僕と「数独」との出会いはたぶん1990年代の終わりあたりです。 けっこうハマッていたのですが、同じ京大理学部出身で VPP 仲間の中村文隆さん(現・東大教員)に言わせれば、数独のように「試行錯誤していれば結果が出てくるパズル」というのは、それを解けるプログラムを簡単に記述できるという論理的妥当性があるので、解けて当然で「まったく興味が無い」というクールな評価でした。 しかし僕は、この「試行錯誤して数字を発見する」というAHA感覚が好きなので、現在では認知症防止にもなりそうということで、手放すわけにはいきません。 今回フト思い立って、 海外渡航歴(備忘録) のページなどから自分のドメインで関連した情報を深く深く発掘して整理してみました。

僕のWebコンテンツに「数独」が登場した最初は、2004年の夏にパリ58日間(途中で1週間ずつアムステルダムとリンツ)の Sabbatical2004 に行ったときの帰途に、上のようにパリのシャルル・ドゴール空港のカフェで待ち時間にワインと共に、「数独」をやっていたようです。 写り込んでいる初代のiPod(HDD東芝4.7GB)も注目です。

そして翌2005年5月、上はバンクーバーのUniversity of British Columbiaでの NIME05 に行ったとき、経由地の台北からバンクーバーのフライト内での写真です。

  

同じ2005年の9月、今度は「未踏」に採択されてゲットした旅費でリンツとバルセロナの EUtour2005 に行ったときの帰途のフランクフルト空港の乗り継ぎを待つカフェの写真が上であり、「数独」にハマッているというドイツ人のおばちゃんに会った・・・と書いていました。 左の写真の表紙が日本語なのが僕の「数独」で、表紙がドイツ語の「数独」がそのおばちゃんの持っていた本です。

  

翌年の2006年6月には、「本」になった「数独」だけでなく、なんと数独をやるだけのためにNintendoDSを仕入れて、上のように NIME06 - 三度目の巴里 に行ったときは、同行した学生2人と「紙でない」数独を、飛行機の中でやっていました。

翌2007年の2月には、上のように 「数独」クリアしますた (^_^) というページがあり、NintendoDS「数独」で、「レベル:やさしい」70問、「レベル:ふつう」140問、「レベル:むずかしい」90問を全てクリアして、その後に出てくる、解くまでの時間制限のある「ブロンズ段位」・「シルバー段位」・「ゴールド段位」・「プラチナ段位」まで全てクリアしたようです。 このクリアの瞬間にだけ見られる、全ての問題をどれだけの時間で解いたかがエンドロールのように表示される模様を動画に記録していました。 合計は132時間8分39秒だったようです。

同じ2007年6月、上はゼミ学生5人と一緒に行った NIME07 - 2度目のNY での機内でのNintendoDS「数独」(暗い機内なのでややピンボケ)です。

  

同じ2007年8月、上の左側はICMC2007(コペンハーゲン)と途中のロンドンとアルスエレクトロニカ2007(リンツ)に参加した EUtour2007 で、セントレアから乗り継いで成田→ロンドンに飛んだANA(その後さらにヒースロー→コペンハーゲンに乗り継ぎ)の機内での「紙の数独」です。 この頃はまだ、機内モニタのゲームは「ソリティア」とか「上海」しか無かったのでした。 さらに上の右側はコペンハーゲンからロンドンへの機内での「数独」です。 ロンドンからリンツに移動したフライトの機内で、一部だけ「数独」が写り込んだ写真 もありました。

  

  

上の上段(左右)と下段(左)は、引き続き EUtour2007 で、リンツからウイーンに日帰り旅行した時の帰路の特急列車内での「数独」です。 写り込んでいるiPodは、2代目のiPod Shuffleに続いて3代目のiPod Nanoになっていました。 そして上の下段(右)は、一見すると同じように見えるのですが、帰途にリンツからフランクフルトまで飛んだ(そこから→成田→セントレアと乗り継いで帰る)フライト機内での「数独」であり、少しずつ問題の番号が進んでいる(解いている)ことがわかります。

  

上は2007年7月、米国プロビデンスでの スケッチング2008 に行った時のもので、左側には「数独」は写っていないのですがiPodが4代目のiPod Touchになっていましたた(→現在に至ります)。 そして右側は成田から経由地のワシントンDCまでの機内でのNintendoDS「数独」です。 ちなみに帰途の経由地はシカゴでした。

  

  

上は2009年6月、米国ピッツバーグでの NIME2009 に行った時のもので、なんとこの時のANAでは、機内モニタ(客席ごとに自由なプログラムを選べる)の「ゲーム」のメニューに「数独」が登場しました。 こうなると、少なくとも機内では、「紙(本)の数独」もNintendoDS「数独」も必要なくなるという画期的進展と言えます。 上段の左右が往路の成田→シカゴ、下段の左右が復路のシカゴ→成田です。

  

  

  

同じ2009年の7月、英国ロンドンでの スケッチング2009 に行った時のもので、上の6枚は、当時いつも海外出張する際に「時差ぼけ対策」のルーティンとしていた様子です。 当時は、だいたいANAの北米線も欧州線も成田を午前中に飛び立つので、(1)浜松からセントレアの東横インに前泊して、(2)朝イチ(7時台)のフライトで成田に飛んで、(3)成田を午前中に飛び立つ・・・というスタイルが標準でした。 成田を飛び立つとスグに出てくる最初のドリンク(普通の人はコーヒーとかジュース)で、まず僕は迷わず赤ワインをいただき、上のように「数独」を解きつつクウォーターボトル(175ml)を空けます(このクウォーターボトルはその後、単なる紙コップになってしまいました(;_;))。 続いて「昼食」が出てくるのですが、この時に僕の腕時計は既に到着地の現地時間に合わせてあり、「(いま日本時間は午前11時だけど)現在時刻は夜の19時だ」などと念じて思い込みつつ、赤ワインのクウォーターボトルを上のように2本いただきます。 そして食後に再びドリンク(多くの人がコーヒーや日本茶)の時にさらに赤ワインのクウォーターボトルを1本いただき、「合計で赤ワインのボトルをまるまる1本」(750ml)飲んだところで、ワインの力を借りて強引に「爆睡」します(身体時間は正午過ぎ)。 そうすると、実際の睡眠時間はかなり少ないものの、目覚めてみると既に10〜12時間のフライトの半分過ぎまで進んでいて、そこから無理して起き続けていれば、現地での時差ぼけが最小限になる、という経験則なのです。

    

上は同じ2009年の9月、学生2人も同行してパリとリンツとウイーンに行った 欧州ツアー2009 - 4度目の巴里 の様子(往路)で、完全にルーティン化した旅程と共に、機内の「数独」を楽しみました。

  

上は2010年の9月、学生4人も同行してオーストラリアのシドニーに行った NIME2010 - 初めての南半球 の往路、セントレアから経由地のシンガポール(→そこからA380でシドニー)へのフライトの機内です。 ちなみに帰路も同様の写真があったのですが、もはや風景に違いがないので省略しました。

  

上の左側は同じ2010年の10月、受託研究費を活用して視察に行った 5度目のリンツ - Ars Electronica2010 の風景で、行きにセントレアの売店で「数独」の本を新しく買って開いたところです。 なんせ空港などの待ち時間というのも結構あるので、機内ゲームに「数独」があるだけでは物足りないのでした。 そして上の右側は、帰途にリンツから経由地のミュンヘンまでのフライトを待つリンツ空港のカフェでの「紙の数独」です。 道中はほとんど開くことがないので、数独の問題はあまり進んでいないのですが、それでいいのです。 風景として、「数独」はワインとの相性が最高です。

  

  

同じ2010年の12月には、学生たちと一緒に昭和音楽大学での インターカレッジ2010 に行き、その翌日には学生たちと別れて成田にバスで行き、 International Festival/Competition SYNC.2010 に行きました。 上の上段は、ロシアのビザと、成田から経由地のモスクワ(→エカテリンブルク行きの国内線に乗り継ぐ)までのフライト(その後この飛行機はさらにロンドンまで飛ぶ)での「機内数独」であり、下段は帰途、エカテリンブルクから飛んできた経由地モスクワから成田までのフライトです。

    

    

上は2011年5月、ノルウェーのオスロでの NIME2011 に行った時のものです。 上段は成田→ミュンヘンの「機内数独」で、完全にルーティン化した事柄を淡々とこなしています。 下段左側は帰途のオスロ→ミュンヘンの機内、右側は成田→セントレア(ボンバルディアのプロペラ機で高度が低い)の窓から見た富士山でした。

  

上は同じ2011年8月、英国ハダースフィールドでの ICMC2011 に行った時のもので、左は往路 : 成田→ロンドン(→マンチェスターに乗り継ぎ)の「機内数独」、右は復路 : ロンドン→成田(→セントレアに乗り継ぎ)の「機内数独」です。 機内数独はどれも同じ風景となってしまうのは、まぁ仕方ないでしょう。 成田→セントレアもこの時はジェット機だった(高度が高い)ので、とりたてて窓外の風景もありません。

  

  

上は同じ2011年9月、 6度目のリンツ - Ars Electronica 2011 に行った時のもので、上段は成田→フランクフルト(→リンツに乗り継ぎ)の「機内数独」と「紙の数独」の様子です。 下段は帰途のフランクフルト→成田(→セントレアに乗り継ぎ)の「機内数独」と、成田→セントレアの機内からジェット機でも見えた真っ黒な「夏の富士山」です。

  

  

上は2012年7月、米国ポートランドでの スケッチング2012 に行った時のもので、いずれも往路の成田→サンフランシスコ(→ポートランドに乗り継ぎ)の「機内数独」の模様です。

この2012年の8月には、また久しぶりに上のように 「数独」またクリアしますた (^_^) というページがあり、初期化したNintendoDS「数独」で再びゼロから、「レベル:やさしい」70問、「レベル:ふつう」140問、「レベル:むずかしい」90問を全てクリアし、その後の「ブロンズ段位」・「シルバー段位」・「ゴールド段位」・「プラチナ段位」まで全てクリアしたようです。 この時のエンドロールのように表示される模様の動画によれば、合計は111時間5分21秒だったようで、それほど格段に成績が向上していないようで、まぁこれが僕の実力(の限界)です。

  

  

上は同じ2012年の9月に、学生3人も同行(ウイーンまで)して、 欧州ツアー2012 として、リンツ/ウイーン(オーストリア) ・ ブラチスラバ(スロバキア) ・ リュブリャナ(スロベニア) ・ リエカ/オパティヤ(クロアチア)などに行った時のものです。 ただし欧州域内では鉄道で移動したので、往路のフライトは成田→フランクフルト→リンツであり、学生はウイーンから帰国し、その後あちこち巡っての帰路はリュブリャナ→ミュンヘン→成田→セントレアとなりました。 上段は往路の成田→フランクフルトでの「機内数独」、下段は帰路のミュンヘン→成田での「機内数独」と2台目のNintendoDS「数独」です。

  

  

  

上は2013年7月、米国パロアルトでの スケッチング2013 に行った時のもので、最上段が往路の成田→サンフランシスコ、中段と最下段が復路のサンフランシスコ→成田です。

  

  

上は同じ2013年の9月、 欧州ツアー2013 - 4回目のウイーン、8回目のリンツ に行った時のもので、いずれも往路の成田→フランクフルト(→ウイーンに乗り継ぎ)であり、帰途のリンツ→フランクフルト→成田の方は代わり映えがしないので省略しています。 前年に続いて「ハイスコアを出した」というので記録したものの「6位」でした。

  

  

上は2014年9月、 欧州ツアー2014 - 初のブルガリアと9回目のリンツ に行った時のもので、どうやらウイーンまではオーストリア航空で飛ぶ(たぶん「機内数独」ナシ)ために、2006年の NIME06 - 三度目の巴里 の時にお土産で仕入れていたフランスの「数独」を持参したようです。 実際、機内のゲームは「ソリティア」でした。

  

  

そしてこの 欧州ツアー2014 では、ツアー前半のリンツのホテルで持参したMacBooAirが突然に全く立ち上がらなくなってしまったため、上のように急遽ウイーンのAppleストアで現地仕様(defaultドイツ語)のiPad miniを購入して、日本語環境を入れてメイルチェックの環境を整えて、ついでにAppStoreで「数独」を購入してインストールしてみました。 そして何とか片肺飛行ながら、無事に道中のレポートを含めて記録が残せたのですが、詳しくは同時進行で書いていた Max6日記(4) の「2014年9月18日(木)」あたりに書いています。

  

上は2015年7月、米国アリゾナ・TusonのBiosphere 2で開催された スケッチング2015 に行った時のもので、まったく代わり映えしない「機内数独」の写真は、復路のロサンゼルス→成田です。

  

上は同じ2015年の8月、 SI2015 - 2度目のシンガポール に行った時のもので、写真は往路の羽田→シンガポール機内の「機内数独」と、帰途の品川駅にいたドクターイエローです。

  

上は2016年の7月、オーストラリア・ブリズベンでの NIME2016 に行った時のもので、左は往路の羽田→シドニー(→ブリズベンに乗り継ぎ)の「機内数独」であり、右は帰途のシドニー→羽田の機内で、数独もやらずにじっくり見た小沢征爾の素晴らしいライヴのムービーです。 あまりに気に入ったので、このライヴのDVDを帰国後に購入して、今でもときどき、堪能しています。

上は同じ2016年の8-9月、2度目となる Sabbatical 2016 (37日間で6カ国7都市を巡りって新作初演や国際会議発表やレクチャー/ワークショップなど)に行った時のもので、上の写真はたった1枚だけあった、帰途のウイーンからブリュッセル(→羽田へと乗り継ぎ)までのフライト内のものです。 オーストリア航空ではANAと違って「機内数独」が無いので、持参したiPad miniの「数独」をやったようです。

上は1年スキップして(その2017年には自費で 北海道の北端 を堪能)、2018年9月の 欧州ツアー2018 - ドイツ、オーストリア、チェコ、ポーランド に行った時の往路で、近付く台風をぎりぎり回避(前日にセントレア前泊キャンセルして先に羽田に飛び前泊)しての羽田→フランクフルトの「機内数独」です。

  

上は2019年9月の スケッチング2019 の往路の成田→ワシントンDCの「機内数独」の風景です。 帰路のシカゴ→成田でも「機内数独」していたものの、まったく写真は瓜二つだったので省略しています。

ここでCOVID-19による世界的な渡航ストップの約2年間があり、上は2022年9月の 欧州ツアー2022 - 11回目のリンツ の帰路、ウイーンから乗り継いだフランクフルト→羽田のフライトの機内の模様なのですだが、なんとここにいつもの「機内数独」の写真はありませんでした。 実はこのコロナの期間のどこかで、大人の事情なのか、ANAの機内ゲームの品揃えから「数独」が消えていたのでした。 そこでこのツアーでは「数独ナシ」という珍しい旅になりました。

  

そして上はおそらく最後の海外出張、2023年9月の エジンバラ2023 - 4回目の英国 の往路、羽田からヒースローまでのANAの機内なのですが、「機内数独」が消えてしまったので、仕方なくバラエティ番組のビデオを見て過ごすことになりました。 まぁ、これからも「紙の数独」と「iPadの数独」とを組み合わせて旅立つことになりそうです。 ちなみに補足すると、「数独」は「ニコリ」一択です。 他の似て非なるものには味わいも風情もなく、こだわりの「ニコリ」だけが本物なのです。