Sabbatical 2004

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2004年7月26日から9月21日まで、SUACの学外研修制度を利用して パリを中心に勉強してきました。行った先ではそれぞれろくに写真も 撮らずにお仕事していましたので、このPhoto Reportは報告書では なくて(^_^;)、あくまで合間に撮影した写真などの、いつもの旅行記 ということです。忘れないうちに現地で日々書いた、普段は 付けない「日記」のようなものです。たとえばこのHTMLの最初の 部分は、パリ初日の夜が明けた7/28の朝にホテルの部屋で 書いています。 以下が、当初計画の「予定」です。この通りに行くかどうかは、まだ この部分の(7/28)執筆時点では不明です。
2004.07.26(月) 成田前泊
2004.07.27(火) NRT11:25 NH205
2004.07.27(火) → CDG16:40
2004.07.28(水) CCMIX
2004.07.29(木) CCMIX
2004.07.30(金) CCMIX
2004.07.31(土) CCMIX
2004.08.01(日) CCMIX
2004.08.02(月) CCMIX
2004.08.03(火) CCMIX
2004.08.04(水) CCMIX
2004.08.05(木) CCMIX
2004.08.06(金) CCMIX
2004.08.07(土) CCMIX
2004.08.08(日) CCMIX
2004.08.09(月) MOTUS
2004.08.10(火) MOTUS
2004.08.11(水) MOTUS
2004.08.12(木) MOTUS
2004.08.13(金) MOTUS
2004.08.14(土) MOTUS
2004.08.15(日) MOTUS
2004.08.16(月) MOTUS
2004.08.17(火) MOTUS
2004.08.18(水) MOTUS
2004.08.19(木) MOTUS
2004.08.20(金) MOTUS
2004.08.21(土) MOTUS
2004.08.22(日) MOTUS Final Concert
2004.08.23(月) MOTUS Final Concert
2004.08.24(火) ParisNord 09:55 THA 9321
2004.08.24(火) → AmsterdamCS 14:06
2004.08.25(水) STEIM
2004.08.26(木) STEIM
2004.08.27(金) STEIM
2004.08.28(土) STEIM
2004.08.29(日) STEIM
2004.08.30(月) STEIM
2004.08.31(火) STEIM
2004.09.01(水) AMS - Amsterdam 10:35 LH4673
2004.09.01(水) → FRA - Frankfurt 11:40
2004.09.01(水) FRA - Frankfurt 12:50 LH3524
2004.09.01(水) →  LNZ - Linz 14:05
2004.09.02(木) Ars Electronica Festival
2004.09.03(金) Ars Electronica Festival
2004.09.04(土) Ars Electronica Festival
2004.09.05(日) Ars Electronica Festival
2004.09.06(月) Ars Electronica Festival
2004.09.07(火) Ars Electronica Festival
2004.09.08(水) LNZ - Linz 10:30 LH3523
2004.09.08(水) → FRA - Frankfurt 11:45
2004.09.08(水) FRA - Frankfurt 13:05 LH4220
2004.09.08(水) →  CDG - Paris - Charles De Gaulle 14:15
2004.09.09(木) La Kitchen
2004.09.10(金) La Kitchen
2004.09.11(土) La Kitchen
2004.09.12(日) La Kitchen
2004.09.13(月) La Kitchen
2004.09.14(火) La Kitchen
2004.09.15(水) La Kitchen
2004.09.16(木) La Kitchen
2004.09.17(金) La Kitchen
2004.09.18(土) La Kitchen
2004.09.19(日) La Kitchen
2004.09.20(月) CDG20:00 NH206
2004.09.21(火) → NRT14:30 Sabbatical帰国
2004.09.22(水) 13:00-14:30 大学院教授会
2004.09.22(水) 14:40-16:10 デザイン学部教授会

2004年7月26日(月)-27日(火)

今回のフライトは成田発午前11時ということで、浜松から朝イチで 行くのは厳しいので、成田でゆっくりと前泊しての出発となりました。 初日はスーツケースとキャリングバッグを引きずっての旅という ことで、愛用のSONYのデジカメはかさばるので使わず、 首からかけたCASIOで撮りました。このカメラの欠点はズームが ないことで、遠いものはそれなりに小さく写っています。 まずはお約束、浜松から成田空港までの道のりです。

去年だいぶフライトを利用したために、ANAマイレージクラブの ブロンズ会員(1年間のみ)となりました。そこで、この クーポンを使って、行きのフライトだけビジネスクラスに しました。成田空港のANAラウンジは2度目の経験です。

ラウンジで搭乗時刻までのんびりして、アナウンスを聞いてから ゲートに向かい、並んだ人垣をパスして一番に乗り込みました。 これをやりたくてビジネスにしたようなものです。

以下、機内で嬉しそうにビジネスシートを撮りました。 普段からいつもビジネスの人は、もちろんこんな馬鹿な写真は 撮りません。

11時間のフライトで、シャルルドゴール空港に着きました。 ここは2001年9月にも来ているので、快調に進みました。 エスカレータのチューブが立体交差しています。

タクシーは無事に、リュパブリック広場の近く、メトロまで100mほど、 というホテルに着きました。まだ夕方18時頃で明るいのですが、 身体が「深夜」と言っているので、地下鉄の駅に歩いて行って定期券だけ 購入して、ホテルに戻ると爆睡しました。 写真の外見は素敵ですがばりばりの安宿なので、 冷蔵庫ナシ、エアコン無し、ポット無し、バスタブもなく シャワーのみです。電話でインターネットに繋げれば他には 何もいらないわけです。


2004年7月28日(水)

これがホテルの朝食(5ユーロ)です。毎朝これでは嫌に なりますが、とりあえず初日なので食べてみました。

朝食後、後藤さんに電話して翌日の確認をしました。 NIME04に来てくれたダンサーのMieさんとともに、 夕食を御一緒に、という事です。
そして後藤さんの言うには、この日はCCMIXに行く日といっても、 いつスタッフがCCMIXに来るか心配なので、電話で確認して から行くように、とのアドバイスがありました。 電話してみると案の定、不在です。誰もいないところに 行っても仕方ないので、とりあえずエッフェル塔に行って みることにしました。朝9時、ホテルからメトロで 「トロカデロ」までの風景です。

そして地上に出ると、・・・ありました。逆光でした。 そして次第に、近付いていきました。でかい。

エッフェル塔です。真下からぐるりと撮りました。

いよいよエレベータで登ることにしました。せっかくなので いちばん上までにしました。まずは3階までです。

ここからさらにてっぺんへのエレベータに乗り、展望台に 行きました。まぁなんと絶景かな、パリを一望しました。 QT MPEG4 Movie 6.5MB

再び3階に、そして2階に下りました。

エッフェル塔の展望台から、持参したレンタル国際携帯電話で CCMIXに電話してみると、ステファンが出ました。これで向こうも 待機OKということで、13時にCCMIXに行く、という予定が 立ちました。エッフェル塔からはメトロをかなり長距離、 乗って行くので、昼食と合わせていい時間になりそうです。
地上に下りて、またしばし、ぐるりと撮りました。 エレベータの行列は長くなっていました。 早めに来てよかったようです。 QT MPEG4 Movie 2.2MB

CCMIXに行くメトロ8号線への乗り換えには、6号線で駅2つ行けばいいので、 その駅までまず行きました。 途中にパリ日本文化センターもありました。

8号線で延々と郊外に向かって行き、セーヌ川を渡った直後の 駅(長くて紛らわしい名前なので書けません)がCCMIXの最寄り駅です。 2001年に行って以来ということで、迷わないように備忘録として 撮りながら行きました。

無事にCCMIXに着いて、DirectorのGerard Papeと再会しました。 今回のレジデントの内容について打ち合わせをして、 イントロダクションとしてUPICとSTOCHOSについて レクチャーとディスカッションを数時間、しました。 この部屋は土曜日まで好きに使っていいよ、という小さな スタジオです。クセナキスの自筆スコアもありました。 快適なADSL付きなので、ホテルでの電話(有料)を最小限に して、メイルとかはこちらでする事にしました。

明日と明後日は、午後にCCMIXでレクチャーのために来る 大学院生の予定があるということで、この2日はそれぞれ 10時から13時まで、UPICとSTOCHOSについて、Gerard Papeが みっちりイントロダクションなどをしてくれることになりました。 土曜日からは全てのスタジオを好きに使っていいよ、という ことです。
18時前にCCMIXを出て、サマータイムでまだまだ明るいので、 せっかくなのでもう一つ、観光することにしました。 ドゴール広場の凱旋門です。 これまた、逆光の位置に出て来ました。

凱旋門のてっぺんに人影が見えたので、せっかくですからこちらも 登ってみることにしました。 凱旋門はロータリーの中央にあり、専用の地下道で行きます。 ちょうど何か、無名戦死の墓のところでセレモニーをして いました。

エッフェル塔と違い、こちらは延々と階段で登るのでした。 パソコンをホテルに置いてから来れば良かった、と後悔。 しかし登るしかありません。 屋上に出ると、心地よい風で、あっという間に 汗が乾きました。 凱旋門から放射状に道が延びているのは、凱旋門の上からだからこそ 実感できました。 QT MPEG4 Movie 5.7MB

凱旋門からは、ショッピングゾーンのシャンゼリゼ通りが 始まっていますが、まったく興味ないのでパス、ホテルに 戻りました。 ホテルの近くに安いスーパーマーケットとチャイニーズの 安いレストランを発見、青島ビール2本と合わせて13ユーロの 夕食を終えると20:30ですがまだ明るいです。 長かった、実質パリの初日が終わりました。爆睡。


2004年7月29日(木)

初日こそホテルの朝食をとりましたが、2日目には前日スーパーで 仕入れたパンとミネラルウォーターの朝食となりました。

インターネット予約ページではすごい豪華に見える 部屋ですが、遠近法の魔術で、実際にはかなり狭いもの でした。以下、前期1ヶ月滞在、また9月にパリに戻って さらに10日ほど滞在予定の、パリのホテルの部屋です。 最上階の5階のいちばん隅なので、眺めは良好です。

いよいよこの日からCCMIXでのお仕事も本番、ということで 朝9時過ぎになって出発して、きちんと10時に着きました。 もともと、CCMIXに通うメトロの8号線の駅である、という ことでRepublique駅の至近のホテルにしたわけですが、 計画通りの便利さです。
途中の風景は同じなので省略して、いきなりCCMIXです。 この日はまん中のスタジオNonoで、Windows95ベースの 最終版UPICについて、Gerard Pape自身が詳細解説してくれました。 クセナキスの自筆の図形楽譜もなかなかの迫力です。

CCMIXではみっちり3時間、UPICのレクチャーと、 持参したサウンド素材をUPICのWaveformとして取り込む 方法、さらにUPICの出力をProToolsに取り込んで、 僕が持参したPowerBookと両方とも自在に転送する システムの構築と確認をしました。これで準備は 万端、というところです。 翌日はSTOCHOSのレクチャーということで、13時過ぎに CCMIXを後にしました。途中で昼食をとりました。

さて、朝ホテルに後藤さんから電話があり、晩の待ち合わせは 予定変更で20時にRepublique駅、となりました。午後に数時間の 余裕ができました。 初日にエッフェル塔と凱旋門、とまるで定型的な お上りさんを実行したので、ここはいっそのこと、 ミーハーを徹底して、ルーブル美術館に行く、と決めました。

以下はおよそ3時間半ほどルーブル美術館でみちみち撮った 展示品のほんの一部、約600枚ほどの「ルーブル三昧」です。 途中、何度も迷いかけましたが、無事にミロのヴィーナスにも モナ・リサもにも会えました(本物を前にしてちょっと 泣けてきました)。 一生かかっても全部は見れない、というのが理解できました。

休みナシにルーブルを彷徨い、へろへろに疲れてホテルに帰る ことにしました。途中でちょっとだけお土産を仕入れましたが、 基本的にはパリのお土産はオランダとオーストリアに行って 戻ってきてからの予定です。

ホテルに戻るとまだ18時前だったので、溜まった洗濯物を 部屋で洗って干しました(この写真はナシ)。 そして、NIMNE04でSUACに来ていただいた、後藤英さんと ダンサーのMieさんと再会することになりました。 後藤さんの奥さん(2001年に御会いしていました)も 加わり、Mieさんのご自宅で手料理をいただきました。 以下はCASIOに替えてのスナップ集です。 Mieさんのお子さんがかわいい。

まだ明るい21時頃から素敵な夕食となり、メトロでホテルに 帰ったのは日付けも変わって深夜0時半過ぎになりましたが、 まだまだパリの街は人がたくさんいました。爆睡。


2004年7月30日(金)

パリ3日目の朝は、前夜の夜更かしにもかかわらず早起きでした。 朝、2時間ほど前日の写真のトリミングなどをして、予定通りに CCMIXに朝10時に向かいました。 この日はSTOCHOSのレクチャーとディカッションをみっちりやって、 翌日からの実験と作曲の準備を完備する、という日でした。 ステファンは全てをGerardに引き継いで、そのままベルリンへと バカンスに発ちました。 写真はたった2枚ですが、中身の濃い3時間でした。

CCMIXを13時過ぎに出て、とりあえず駅に向かう途中の レストランでの昼食です。朝食は「パン2切れと水」だった ので、ちょっと充実ですが、安いです。

ここからはメトロ、というのが普通なのですが、メトロのマップの 裏面を見たところ、この駅は24番のバスの始発でした。 そこで、まだこの日は特に予定のない状態だったので、せっかく なのでバス初体験に挑戦しました。 といっても、「地球の歩き方」によれば、切符はメトロと共通 ながら、メトロと違って定期券は運転手に見せるだけ(機械に 入れない)という注意だけでした。

24番のバスはセーヌ沿いに市内中央に向かいました。 途中で、オルセー美術館の前も通ったのですが、とてもじゃない けど前日のルーブルに続いて美術館は歩けない、という全身の疲労感のために、 降りようという気にもならず、ぐったりと始発から終点まで乗りました。
着いたところはオペラ座のちょっと北の、なんだか知らないところ です。まぁ降りてからなんとかなるだろう、というアバウトな この感覚。3日目にして、早くも「なんとかなる」土地勘の形成です。 とりあえず作戦を練るために(というか休憩のために)カフェで カプチーノを頼みました。

そして、さすがに初日2日に飛ばしてもう疲れたなぁ、 今日は写真も撮らずにもうホテルに帰って寝ようかな (まだ午後2時ですが(^_^;))、などと弱気になりながらカフェで 「地球の歩き方」をペラペラとめくっていて、フト見つけました。 疲れた身体を奮い立たせるにはここしかない?、Erotic Art Museum。 なんでこんなものがパリにあるのか不明ですが、熱海秘宝館の ようなもの(熱海は行ったことありませんが)かなぁ、などと 思いつつ、メトロでBLANCHE駅に行ってみました。

駅を出てみるといきなり正面にストリップ劇場があり、客引きの お姉ちゃんに「Live Showはいかが?」と付きまとわれました。 見回してみると周囲は歌舞伎町?のような風景で、Sexy Shop とか怪しい看板がめじろ押し。白昼だからいいものの、夜に来たら たぶん恐い場所のようです。そして、2分ほどでErotic Art Museum に到着しました。こういうMuseumがあるから周囲がEroticになった のか、Erotic地域だから(観光客を呼ぶために)こういうMuseumが あるのか、因果関係は不明ですが、怪しいショップの一つのような さりげなさで、この博物館はありました。
これがこの博物館のパンフレットです。 たくさんのカップルが、そして若い女性が一人でも来ていました。

あとでよく見ると、この部分 は、なんと僕は このように まさにエッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館、と来て、 次にはノートルダム大聖堂に行かなければいけなかったのです。 このように ちょっとだけ、Erotic Art Museumに早く来てしまったようです。 まぁ、この順序の違いは誤差範囲でしょう。
そして、疲れた筈だったのに、この博物館も「Photo OK!」ということで、 びしばしびしばし約1時間半、撮り倒しました。400枚以上(^_^;)。
・・・ですが、この写真はWebで公開することは不可能です。 猥褻物陳列罪?でサーバを止められてしまうので、 残念ですが私蔵(秘蔵)です。ここでは フィルタをかけてごく一部を紹介するにとどめます。 世界中どこでも、歴史上いつでも、人類は同じことをしているのだと 主張する、確かにパリならではのアート博物館でした。

この駅からホテルのあるRepublicに戻るには、「北駅」 Gare du Nordで乗り換えることに気付き、単なるメトロ乗り換えでなく、 いったん外に出て、駅を探検/下見してみることにしました。 この駅はまだ1ヶ月近く後になりますが、パリから アムステルダムに移動する新幹線に乗るところなのです。 パリでも最大級という大きな駅でした。

ホテルに帰る途中で近所のスーパーで水とワインを仕入れて、 さらに途中のアジアンレストラン(後藤さんによればJAPANESEと いうレストランの8割はベトナム)でテイクアウトを買い、 ホテルでの夕食としました。 前日が夜更かしだったので、まだ明るい21時には寝て、 体力回復につとめました。


2004年7月31日(土)

9時間ほどの睡眠で朝6時前に起床、この日は久しぶりに ホテルのレストランでの朝食としてみました。

朝には雲が出ていたのに、ホテルを出発する9:15には快晴となっていました。 Republiqueの風景です。

翌日から8月になるので、メトロで1ヶ月の定期券を買いました。 土曜日なので通勤者がいなくて閑散としています。

さて、いよいよCCMIXでのレジデントが本格的に始まりました。 DirectorのGerardだけが、きっちり10時に開けに来てくれます。 あとは僕は勝手にスタジオで作業していて、Gerardはオフィスで 自分の作曲を進めている、というカンジです。 10時から昼食も休憩もなく、6時間半、気付いてみるとぶっ通しで やっていました。

この日のメニューは「UPIC使い倒し」。 敢えてサンプリング波形を使わずに、サイン波のみで色々と 実験しては、ディジタル接続された隣のMacのProToolsに レコーディングしてみました。

16時半過ぎにこの日の作業を終了して、CCMIXを後にしました。 昼食抜きなのですがあまり空腹感がないので、とりあえず ホテルに戻って重いパソコンを置いてから、どこかに出かける ことにしました。 考えてみれば、あちこち観光に飛ばした前日までは、全て、 パソコンその他一式のCCMIX機材を背負ったままだったわけで、 疲れるのも当然です。 帰りの駅も閑散としていました。

これが、定期券「カルト・オランジュ」です。 1週間用のものは十分にモトを取りました。

再びRepblique駅からホテルまでです。朝と違って逆光でなくなりました。

ホテルに荷物を置いてカメラだけを持って出かけました。 既に17時半ほどで、たいていの美術館・博物館などは18時終了なので、 どこにも観光に行くアテはありません。 適当にどこに行っても、とりあえずメトロの駅さえ見つかれば 確実に帰れる、という自信が出来たので、本当に行き当たりばったり で出かけてみました。

後藤さんの話では、オペラ座からどこかに向かう通りの裏通り あたりには、いくつも日本食のレストランがある、ということ でした。そこで、とりあえずオペラ座に行って(ただしオペラ座は 16:30で閉館なので外から見るだけ)、そこから適当に日本食を 捜してみることにしました。

ジャパニーズ・レストランが2軒ほどつぶれていましたが(^_^;)、 なんとか発見しました。 ちょっと贅沢に、寿司を頼んでみました。 味を心配したのですが、どうしてどうして、立派なお寿司でした。 日本の回転寿司より格段に美味しいものでした。

結局、オペラ座からこっちに来たのだ、と思っていた方向とはまるっきり 正反対の場所だったようで、メトロの駅名は意外でしたが、ちゃんと 帰ることができました。 ただし、適当に彷徨ったので、あの日本食レストランにもう一度 たどり着くことは出来ないでしょう。

ホテルに戻ると19時でした。ビール片手に、 持参したHDD(300GB)から翌日のCCMIXのためのサウンドファイルを PowerBookに移して、デジカメの写真を取り込んでここまでHTMLを 書いたところで20時になりました。
まだ外は日本の午後4時ぐらいの明るさですが、シャツを洗濯して シャワーを浴びたら、BBCニュースを見てワインをなめつつ就寝です。


2004年8月1日(日)

時差の関係で、どうしても夜中に、23時、2時、5時、としばし目覚めて しまうのですが、ようやく慣れてきたのか疲れているのか、 23時の次は朝6時半まで起きませんでした。 あれこれアイデアが浮かんできて、今日は美術館の多くが無料となる日曜日なのですが、 まったく観光ナシで、CCMIXに籠りたい気分になりました。 気合いを込めて、この日の朝食もホテルで取りました。

さて、これまでは常に、昼間に撮ってきた写真をホテルに帰った晩に パソコンに移動させてHTMLを書いてきたのですが、この日だけは 例外です。 訳ありで、CCMIXで、作業と同時進行で書いています。 どういう環境かというと、こんなカンジです。

ちょっと粗いですが動画です。 QT MPEG4 Movie 1.4MB

隣のスタジオと、その間にあるラックです。 ここのいちばん下に、この動態保存されたUPICがあります。 熱によって基板の接触不良が起きてソフトを見失うことがあるので(^_^;)、 前日にGerardが蓋を開けて基板を抜き差ししたままです。

駅からCCMIXの途中にあるスーパーで昼食も仕入れてきました。

このUPICは既に開発が完了して10年以上経過 していて、ぼちぼちこのCCMIXのマシンも動かなくなりそうです。 そこで、せっかく、クセナキスの愛弟子のGerard自身から レクチャーを受けるというチャンスのCCMIXなので、 少なくともこのコンセプトとアイデアを自分の備忘録としつつ、 既にぼちぼちいくつか浮かびつつある新しいアイデアの ためにきちんと記録しておこう、と決めました。
以下はそういうわけで、Computer Musicの部外者には不明・冗長なもの ですが、関係者には何かの参考になるかもしれません。

CCMIXのUPICはCEMAMuの開発したDSPボードが多数挿さったラックが VMEバスで接続されたWindows95をプラットフォームとしています。 これが起動時のログイン画面 、 フランスのパソコンのキーボードはこのように難儀なのですが 、 これが新しい「ページ」の定義です。

ページとは一般的なソフトの「パッチ」「サウンド」等に相当する概念で、 同時に最大4つのページしかopenできず、ボードの制約から 同時に1ボードに最大で持てるのは 「128個のEnvelope Table」 「4個のAmplitude Table」 「64個のWaveform」 「4個のFrequency Table」 「4つのページ」 「1つのシーケンス」 「1つのサンプル」 です。

UPICといえば こんな グラフィカルにうねうねと描くと音が出る、というのが一般的な理解ですが (実は僕もそこまででした(^_^;))、この1個1個の音に相当するのは「アーク」Arc であり、1つのページのスクリーンに最大4096個までのArcを描画できます。 また、ページ内のArcを時間的に横スクロールする垂直線(カーソル)でスキャンして、 カーソルと交わった部分のArcに相当するサウンドが全て同時に鳴るのですが、 この最大同時発音数は64ということでした。

Envelope Tableとはこんなもので 、 横軸が0から4095の分解能、縦軸が0から16383までの分解能です。 それぞれのArcごとに別個にEnvelope Tableを指定して、 それぞれのArcの持続時間でちょうどこのテーブルの全域を等速に参照します。 実際のサウンドの音量は、この参照値で次のAmplitude Tableを変換 して決定されます。

Amplitude Tableとはこんなもので 、 横軸が0から16383の分解能、縦軸が0から32766までの分解能です。 全体のダイナミックレンジ、さらにカーブとしてデシベルと指数形式を 指定できます。まぁこのテーブルはあまり個々にはいじらないです。

Waveformとはこんなもので 、 横軸が0から4095の分解能、縦軸が -32766 -- 0 -- +32766までの分解能です。 新しく定義すると初期値がサイン波であり、自在にドローできる bufferです。後述のサンプル経由で、実際のサウンドからここに切り出して 張り込むこともできます。 基本的にはUPICでは、音色についてはこのWaveformを繰り返し読み出すと いうことで、時間的音色変化、という部分には重点を置いていないようです。 ドローの仕方は完全なフリーハンドと、 このような ラインモード(直線化してくれる)の両方があります。

Frequency Tableとはこんなもので 、 横軸が0から16383の分解能、縦軸が0から32766までの分解能です。 指定画面で、連続値にするか離散値(オクターブ内の分割数は任意)にするか、 ヘルツでの最大値と最小値(最大範囲は0Hzから22050Hz)などを指定 します。 実際には、これもかなり低めの範囲で指定してほとんど共通、というのが 一般的な使い方となります。 離散値を活用すると、いろいろな非12等分の平均率とか、マイクロチューニング などもかなり自在に簡単に実現できそうです。

UPICの面白いところは、このFrequency Tableと実際の発音までの関係です。 とりあえず、もっともシンプルな例を作ってサウンドにしてみました。 まず、Frequency Tableを このように 設定して、本来0Hzから22050HzまでのサウンドをWaveform読み出しで 生成できるにもかかわらず、ページのグラフィック画面のいちばん上で 2000Hz、いちばん下で60Hzとなるように周波数帯域制限を指定します。

そしてこのように、ページ画面を呼び出します。Arcの設定として、 これから描画するアークに対応した、Envelope Table、Amplitude Table、 Waveform、Frequency Table、を指定します。 さらに出力チャンネル(最大16、CCMIXではステレオなので1か2)、 アッテネーションのレベルも指定できます。 音域が高いサウンドはキンキンうるさいので(^_^;)、ここで低めにします。

そして、最初のArcをぐりぐりとドローしてみました。ここでは、時間的に 最初にいちばん最低音域のピッチで、ほぼリニアに最高音域まで変化する、 というものです。

あとは「サウンド」のメニューからPlay画面を呼んで、 このような 設定のまま、"Reset"をクリックすると、 このような サウンドが鳴りました。 この意味するのは、いちばん下にあった"Duretion"の指定により、 ページのスクリーン全体を、この場合には5秒ちょうどで等速にスキャンした、 ということです。この時間の最大値は2時間51分46秒、1ページで3時間弱の作品まで 作曲できるという事です。

まったくそれぞれのArcの設定を変えずに、あと2本ほど並行して描画して みたのが これ で、 このような サウンドが鳴りました。

ここに、ちらちらと細かい線を描き加えてみたのが これ で、 このような サウンドが鳴りました。 画面から鳴ってくるサウンドの予想がつけば、もう貴方もUPICニストです。(^_^)

さて、このあたりまでは大体、予想がついていたのですが、UPICは 10年前からちゃんと、サイン波やドローした波形だけでなく、 サンプリング波形の再生に対応しているのでした。
ページごとに1画面だけ、というサンプル画面を呼び出して、 外部入力をこのようにサンプリングできます。 サウンドは東野珠実さんの「笙」の音。 メモリの制約で最大8秒間、というのが、Windows95の時代らしいです。

このサンプル画面から任意の部分を取り出して(全体でもいいのですが、 これを周期的読み出ししてはサウンドのピッチが高すぎです)、 いくつも定義できるWaveformに、 このように 張り込みます。これでも1周期のサインと比べれば相当にピッチが高いので、 Frequency Tableを このように 最低音域1Hz、最高でも500Hzとしてみました。

そして、Waveformだけこのような笙サウンドとして、他は同じままで このような ページの描画で再生させると、 このような サウンドが鳴りました。
れではなんだかせわしないですが、それは全体の再生の"Duretion" が5秒だからです。これを このように 30秒にしてみると、雰囲気はまったく変わって このような サウンドが鳴りました。

そしてもう一つの面白い機能が「シーケンス」です。 このようにシーケンス画面を定義して、ここでは時間的に11.88秒(固定らしい)かけて、 下から上に等速でスキャンして、その横方向のグラフの位置が、ページ画面で 横にスキャンするカーソルの位置を決めます。 つまり、この例では次第にカーソルは通常とは逆方向に左に移動して、 途中でゆっくりと右方向に変化して、その後ちょっと 静止してから、階段状にまた左に移動していく、という事です。
この画面 を見ながら、 このような サウンドが予測できないにしても、追従できるとしたら、もう 貴方はUPICニシャンです。

・・・ということで、なかなか充実の一日はあっという間に過ぎて、 バナナ2本の昼食で、また16時を過ぎました。

CCMIXを出たのは16時半過ぎでしたが、サマータイムのために、 太陽は日本で言えば午後2時ほどの高さでした。 もう観光ナシでおとなしくホテルに帰って洗濯でもしよう、と思って いたのですが、日曜日ということでクルマがかなり少ない事に気付いて、 またバスで帰ることにしました。 バスもがらがらでした。

何も考えずに乗ったバスでしたが、クルマが少なくて思いのほか順調に進み、 さらに車内の停留所表示を見ると、リュパブリックには行かず、代わりに シテ島のノートルダム大聖堂の前を通ることが判明しました。 考えてみれば、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル、と来た次には ノートルダムの筈でした。さらに追い討ちをかけて、この24番のバスは何故か 市内の終点まで行かずに、なんとそのノートルダム前で止まり、 「ここが終点なので降りろ」と言われました。

こうなればもう、行くしかありません(^_^;)。 パソコンを背負って重いのですが、勢いでシテ島に渡りました。 ただし「地球の歩き方」によれば、ノートルダムの入場は18:45まで ですが、近くでもう一つ、行きたかった「サント・シャペル」の 閉館が18時ということで、そちらに急ぎました。時計を見ると 17:10。30分前には入場できなくなります。

どこでも定番となったセキュリティチェックを抜けると、ありました。 ステンドグラスが凄い、としか書いていないのですが、駆け込んで 本当によかったです。

いくら撮っても撮り足りないような色彩の洪水を後にして、 最高裁判所と警視庁の並びを抜けて、いよいよノートルダム大聖堂に 向かいました。 警視庁の周辺にはたくさんのパトカーが堂々と路上駐車していました。

とりあえず入場しようと行列に並んだのですが、「よこそう」(^_^;)のところに 「写真ダメ」とありました。 そこでこの入場をやめて、北側にある別の長蛇の列、展望台に登る方の行列に 並ぶことにしました。17時半ごろから並び、 日本で言えば真夏の午後3時ほどの日射しにじりじりと焼かれました。

する事がないのであれこれ撮りつつ並ぶこと1時間、18時半ごろになってようやく、 入場できました。そしてここからが大変でした。凱旋門でも懲りていた筈なのに、 疲れた身体にパソコンの重さが食い込む、延々と続く螺旋階段。止まることも 戻ることもできない、純粋体育会系観光地なのでした。
・・・しかし、屋上は絶景かな絶景かな。思わず疲れも忘れました。

登ったからにはどうしても降りないといけない、延々たる螺旋階段を終えて地上に戻ると、 1時間の行列も含めて喉がカラカラでした。熱中症になってはいけないので、 とりあえずノートルダムの日陰の側のカフェに行き、エビアンとビールを頼みました。 いきなりビールでは危ないので、まず水を半分ほど飲み干してからのビール。 これが旨かった(^_^)。

30分ほどまったり(ぐったり)して、時計を見るともう19時、まだまだ明るいです。 夕食がまだなので、とりあえず橋を渡りパリ支庁の前を通ってメトロでRepubliqueに 向かいました。

Republiqueに着いて、先日テイクアウトしたアジア系(偽Japanese)の レストランで夕食を、と思って行ってみると、なんと日曜日はお休み でした。周辺の(裏通りの)安レストランもスーパーも休みです。 仕方なく、ホテルと駅の間にあった「あきら」に入りました。 2日連続でお寿司になってしまったのは不本意ですが、それほど高い お店でもありませんでした。 まだ日本を出て1週間もたっていないのに、味噌汁と緑茶には泣けました。

ホテルに戻るともう21時過ぎ、そこから洗濯をして、ここまでの写真と 記事をまとめて、結局、就寝は23時になりました。またまた爆睡。


2004年8月2日(月)

日本では基本的に朝食をとらない生活なので、この日からパリでも 朝食ナシでCCMIXに向かいました。ちょっと早めに行ってスーパーで 林檎とバナナを仕入れて、まだ時間があったので、CCMIXの近所のカフェで コーヒーです。 この日はこれもパリでは初めて、iPodを聞きながらメトロに乗りました。

観光では現地の音に浸りたいのでiPodは成田空港以来、しまっていたのですが、 もはやCCMIXへの行き来は「通勤」なので解禁しました。 たった1週間のパリですが、読み書きだけは日本語もあるものの、 聞くのと話すのは英語とフランス語だけになったためか、 去年プロデュースしたGUMMINのCDを聞いても、聞き慣れた筈の Miki Shibuya/Masumi Kawasakiの日本語がとても新鮮に聞こえました。 既に意味が届かなくなっていて、メトロの駅の風景とともに聞くと、 フランス語のようにも感じられました。

前日までにだいたいUPICについて理解できたので、カフェでコーヒーを 飲みながら、この日の作戦を練りました。 とりあえずシステムに慣れるには、それを使って作曲してしまえば いい、という事で、簡単なプランを立てて、いよいよCCMIXです。

この日もぶっ通しで6時間、ひたすらスタジオで作曲をしました。 合間にメイルのチェックもしますが、夏休みなのでほとんど スパムを捨てる以外に時間も取られません。写真も少しだけです。

いつものようにまだ太陽が高い16時にはこの日の作業を終了して、 いったんホテルに帰りました。 そして、美術館の多くが休館になっている月曜日、17時過ぎから 出かける場所として、懸案のモンマルトルを選びました。 まずは、前日の日曜日に休みだった、ホテルの近所のアジアン安レストランで 早めの夕食をとりました。

そして、ここからはモンマルトルの散策です。 メトロを出るといきなり竹下通りみたいな喧噪でした。 行きにはケーブルカー、帰りにはプチトレイン、と定番も押さえました。 サクレ・クール聖堂の中は写真禁止係員の隙をついて盗撮に成功(^_^;) しましたが、ダリの美術館(写真禁止)ではまったく撮らずに、 作品鑑賞に没頭しました。いやー、あらためてダリってのは凄いですね。

スーパーに寄ってホテルに帰って20時、シャツを洗って干して、 ビール(8%のRoyal Clubは旨い!)片手にこのHTMLを整理して、 まだまだ明るい21時にカーテンを閉めて就寝です。


2004年8月3日(火)

8週間のSabbaticalも2週目に入り、いよいよCCMIXでのレジデントも佳境に入ってきました。 まずはスーパーで果物を仕入れて、前日のカフェの向かいのカフェでコーヒーを 飲みながら、ノートの整理です。

いつものように10時ちょうどにCCMIX到着。 この日は15時ぐらいに切り上げてオルセー美術館にでも行こうと思っていた のですが、Gerardが「夕方に日本から来る人がいるので話をしよう」という事で、 予定を取り消しました。 そして16時過ぎまでノンストップで、STOCHOSの解析と、UPICのコンセプトを 受け継いだ新しいシステムの構想について検討しました。

16時過ぎに来たのは、SFC出身(といっても岩竹さんのところではない)の プログラマという人で(お名前を失念(^_^;))、どうも10年間止まっていた UPICの新しいバージョンを共同で開発する、という話のようです。 僕は前日マスターしたUPICを解説したりして、英語びしばし1時間、 もう言語については、何も恐いものはありません。 CCMIXも今年の暮れ?には、パリ市内でリニューアルopenだそうで、 それに合わせたプロジェクトのようです。

僕はちょっと興味はあるものの、それとは別個に新しいアイデアなとが 出て来たので、約束の17時過ぎにはCCMIXを後にしました。 これはどうも、久しぶりにプログラミングの世界に戻るかも・・・ などと思いつつ、この日のノートは帰りのメトロの中でも書き続けて 数ページになりました。

ホテルに戻ったのは18時過ぎ。この日はパリに来てから初めて、うす曇りで 暑くも眩しくもありませんでした。近所でいつものアジアン夕食、そして ホテルにすぐに戻って、あれこれ研究テーマに思いを馳せつつ、美味しいボルドーワイン をなめつつ、地元のサッカーの試合などを見ました。 いくつか思い付いたメイルを出して、観光もなく、写真もなく、 この日はこれでオシマイです。


2004年8月4日(水)

起床は6時半。よく寝た、というか、やはり疲れもあるのでしょうか。 この日は朝から写真もなくCCMIXに向かい、前日からの作業と合わせて、 STOCHOSの簡単な機能解析を行いました。 あまりに膨大なパラメータがあって、何をしているのか 不明だったので、大部分の機能をOFFにして、特定のパラメータ だけを変えてその効果を調べてみたわけです。
以下は、Computer Musicの部外者には不明・冗長なものですが、 関係者には何かの参考になるかもしれません。

[001] これは、変な乱数生成をしていると気持ち悪いので(^_^;)、ダミーとして 1から4のLine Generatorを全てスイープ状に単調増加させておいて、 実際にはこのGeneratorを使わずに、波形としてサイン波を選んで、 このピッチをConstant1に割り当てて280Hzを発生させたものです。 画面  サウンド

[002] これは、上の例ではpanningもConstant1のために定位が片寄っていたので、 panningをConstant2にして、設定範囲の0-4999の中央にしたものです。 画面  サウンド

[003] これは、波形として「sine」を選んだ部分の下にあったスライダで、 上のスライダを左端にしたものです。これにより、立ち上がりが 鋭いパーカッシブなエンベロープとなりました。左端にしないと ゆったりと滑らかな立ち上がりになるわけです。 画面  サウンド

[004] これは、さらに下のスライダも左端にしたものです。 これにより、立ち下がりも鋭い、方形波の形状のエンベロープとなりました。 画面  サウンド

[005] これは、エンベロープ波形をパーカッシブに戻して、wave pitchを「1」すなわち Line Generator 1で0Hz-5000Hzのスイープに、panpotを「2」すなわち Line Generator 2で0(左端)-4999(右端)のスイープにしたものです。 画面  サウンド

[006] これは、上の例では2つのLine Generatorの変化形状が「wrap」、つまり up counter(鋸歯状波)だったものを、ピッチだけを「fold」、 つまりupdown counter(三角波)にしたものです。 画面  サウンド

[007] これは、上の例のpanpotをConstant2に戻して2500、すなわち中央に戻しました。 そして、ピッチの変化のスピードを決めているパラメータのうち、 Rangs of Offset Distributionの値を10から50にしたものです。 ピッチの変化が速くなっています。 画面  サウンド

[008] これは上の例から、Rangs of Offset Distributionの値を50から135にしたものです。 まだギリギリ、単調変化の状態も知覚できますが、これ以上スキップが 大きくなるとランダムと知覚されてきます。 画面  サウンド

[009] これは上の例から、Rangs of Offset Distributionの値を135から300にしたものです。 こうなるともう、人間はランダムと知覚します。 画面  サウンド

[010] これは上の例から、Rangs of Offset Distributionの値を300から2500にしたものです。 実際には違っているのですが、人間は同じようなランダムと知覚します。 画面  サウンド

[011] これはRangs of Offset Distributionの値を再び50に戻して、変化波形を 「fold」から「wrap」に戻して、さらにパラメータを負にしたものです。 これにより、ピッチは反転された鋸歯状波として変化しました。 画面  サウンド

[012] これは変化波形は「wrap」として、Rangs of Offset Distributionの値をやや遅めの40と して、Pitchを変化させているLine Generator 1のStart Offsetを、それまでのConstantから 「Uniform」にしたものです。 Uniformとは一般的な乱数であり、分散が均一になるものです。 これにより、ある程度の幅(プラスマイナス40)が前回値に加算される、という シンプルなランダムウォークのようなピッチ変化が起きています。 画面  サウンド

[013] これは上の例において、Rangs of Offset Distributionの値を40から250に変えた だけです。ランダムウォークの一歩の幅が大きく、全体はランダムと知覚されかねない ギリギリのところです。 画面  サウンド

[014] これは上の例において、Rangs of Offset Distributionの値を250から2500に変えた だけです。こうなるともうランダムとしか知覚されません。 [010]と聞き分けできる人はいるのでしょうか。 画面  サウンド

[015] これは全体を[012]の例に戻して、Line Generator 1のStart Offsetを、 「Uniform」から「Gauss」にしたものです。 これにより、Gauss関数に従った分布で、ある程度の幅(プラスマイナス40)が前回値に 加算される、というランダムウォークのようなピッチ変化が起きます。 [012]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

[016] これは上の例において、Rangs of Offset Distributionの値を40から250に変えた だけです。ランダムウォークの一歩の幅が大きく、全体はランダムと知覚されかねない ギリギリのところです。 [013]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

[017] これは上の例において、Rangs of Offset Distributionの値を250から2500に変えた だけです。こうなるともうランダムとしか知覚されません。 [010]とか[014]と聞き分けできる人はいるのでしょうか。 画面  サウンド

[018] これは全体を[012]の例に戻して、Line Generator 1のStart Offsetを、 「Uniform」から「Cauchy」にしたものです。 これにより、Cauchy関数に従った分布で、ある程度の幅(プラスマイナス40)が前回値に 加算される、というランダムウォークのようなピッチ変化が起きます。 [012]や[015]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

[019] これは上の例において、Rangs of Offset Distributionの値を40から250に変えた だけです。ランダムウォークの一歩の幅が大きく、全体はランダムと知覚されかねない ギリギリのところです。 [013]や[016]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 2500にするのは無意味なので省略しました。 画面  サウンド

[020] これは全体を[012]の例に戻して、Line Generator 1のStart Offsetを、 「Uniform」から「Weibell」にしたものです。 Weibellの定義式はCMJにあるのですが、これはGaussやCauchyとかとは 違うタイプのようです。パラメータウインドウを開いて、 Rangs of Offset Distributionの値をかなり小さな0.5にして、 param=0.3とした時のものです。 画面  サウンド

[021] これは上の例で、Rangs of Offset Distributionの値は0.5のままで、 param=0.25とした時のものです。 画面  サウンド

[022] これは上の例で、Rangs of Offset Distributionの値は0.5のままで、 param=0.21とした時のものです。 画面  サウンド

[023] これは上の例で、Rangs of Offset Distributionの値は0.5のままで、 param=0.1とした時のものです。 もうランダムとしか知覚されないような気がします。 なお、あと1つ、僕も慣れ親しんだLogistic Functionのカオス生成というのが あったのですが、どうも思ったようなサウンドが出てきませんでした。 まだ実装できていないのかもしれません。 画面  サウンド

[024] これは、PitchをUniform(value=100)、AmpもUniform(value=100)、 PanpotもUniform(value=100)、とそれぞれ指定して、 イベント生成に「poisson」ポアソン分布はOFFとしたまま、 Mean Density of each Cell = 6.99(最大)にしたものです。 いわば自動作曲のもっとも稚拙なものです。 画面  サウンド

[025] これは上の例で、ポアソン分布をONにして、 Mean Density of each Cell = 11にしたものです。 イベントが「歯抜け」になり、連続生成のある種の不自然さが 解消されます。 画面  サウンド

[026] これは上の例で、3つのUniformを全て、Gaussにしたものです。 [025]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

[027] これは上の例で、3つのUniformを全て、Cauchyにしたものです。 [025]や[026]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

[028] これは確率分布をミックスして、PitchをGauss、AmpをUniform、 PanpotをCauchyとしたものです。 [025]-[027]と聞き分けできる人は確率統計音楽の達人です。 画面  サウンド

・・・というようなことをして、CCMIXでの一日が終わりました。 スタジオにある、クセナキス自筆の楽譜も撮りました。

この日はいつもより1時間早く、15時過ぎにはCCMIXを出ました。 最初に向かったのは、この週末が休みと判明したので、土曜日に 行く「終日観光」の予約を取りに行きました。 詳しくは8/7に明らかになるでしょう。

この旅行社はチェルリー公園沿いにあり、ここからセーヌを渡って、 いよいよ目的地に向かいました。

そうです、遂に懸案のオルセー美術館にやって来ました。 既に16時を過ぎていて、展示は17:45あたりまでですので、 速攻の勝負となりました。
しかし、美術や世界史の教科書で見たことのある有名な本物が、 ガラスケースもガラスの額もなく、ナマで手が届く距離に展示されて いて、フラッシュ禁止、つまり「写真OK」(^_^)というのは、 なんという太っ腹な国なのでしょう。有難く、撮り倒しました。

オルセー美術館を17:45頃に追い出されてみれば、目の前にはセーヌ川、 そしてまだまだ高い太陽。ここは何度も見てきた、セーヌ川遊覧の船しか ありません。バス代わりに乗り降りできるBATOBUSという乗り場がすぐ近くに あったので、これで一周しました。オルセーの入場券で割引きになるのですが、 チケットを取られるので、あらためて撮っておきました。

最初に来た船は満員で乗船拒否され、さらに20分ほど待ってようやく乗れました。 あとは、セーヌ川から見上げたパリの風景です。

約2時間のクルーズで、ようやく夕暮れが近くなりましたが、 まだこれで20時です。 ルーブル宮を抜けてメトロの駅に向かいました。

ホテル近くで夕食をとって戻るとちょうど21時。 洗濯をしてCCMIXのデータを整理していたら23時になったので、 オルセーとセーヌ川の写真の整理は翌朝に起きてから、 ということで寝ました。


2004年8月5日(木)

この日は朝からちょっとした事件に遭遇しました。 いつものスーパーでの買い物のためにちょっと早めにホテルを 出てRepublique駅に着いたところ、たまたまホームに 下りる階段のところでメトロが来たので、少しだけ走って先頭車に乗り込みました。 「地球の歩き方」によれば、メトロのスリは逃げやすいように列車の 先頭か末尾に乗る(出口はたいていホームの端)、と書いてあったので、 それまでは必ずメトロのホームに下りると、わざわざ中央付近に移動して 乗っていたので、これは例外です。
そしてドアの前の折り畳み椅子(混んでいる時には出さない)が空いた のでそこに座って、デイバッグを胸に抱えてiPodの音楽を聞いてウトウト していました。 すると突然、凄い物音がして気付くと、まさに目の前で男たち 2-3人が何か叫んでもみ合って、そのうち一人がホームにダッシュすると、 後から何か叫んでおっさんともう一人が追い掛けていきました。 そしてホーム先頭の階段を駆け上がっていった直後、メトロの車内の電灯が 暗くなり、発車する気配もなくそのまま停車となってしまいました。
言葉がわからないのでザワザワした車内でただ呆然とそのまま座っていたの ですが、どうも、逃げた男がおっさんのサイフを盗んで、それをもう一人が 見つけて取っ組み合いしたようです。逃げた男は階段を上がり、なんと 反対側のホームから線路に下りて逃げたらしく、それでは向かいの列車に 轢かれてしまうので、緊急連絡して両方向のメトロが緊急停止した、と いうことのようでした。
どのように解決したのか不明ですが(まぁ隣の駅も近いし、その間の線路と いうことなら袋の鼠です(^_^;))、10分ほどして、何事もなかったように 運転は再開しました。「地球の歩き方」は正しかったという事でしょうか。 今後、メトロはやはり中央付近に乗ろう、と固く決意しました。

そしてCCMIXです。この日も前日の続き、今度はサイン波でない音源波形に ついて調べました。といっても、大部分はたまたまCCMIXのSTOCHOSに サンプルとして入っていたパッチ(パラメータセット)を呼び出して、 ちょっと面白そうなものがあれば、さらにパラメータをいじって、 2-3分のサウンドファイル(音素材)として記録しつつ、設定状況を 確認した、というようなものです。
後に後藤さんに聞いた話では、まだSTOCHOSは未完成・非公開で、 後藤さんのPowerBookとCCMIXのGerardのところぐらいにしか無い、 ということで、これも貴重なサンプルかもしれません。 パッチは最大で65個?のようで、画面内の設定値をまとめて 保存/呼び出しできます。将来、STOCHOSが公開される際に、 これらの一部が使われているかも。

[画面 サウンド] これは、前日の[028]から、波形をsine→Noiseと変更して、せっかくなので エンベロープを次第に上昇して急激に減る、という逆パーカッシブにしたものです。 音素材として使えるように3分ほど録音しました。 このSTOCHOSのファイル書き出し機能はとても便利です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#7 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約3分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#8 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#11 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#13 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約3分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#14 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#15 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#17 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約3分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#19 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#20 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約3分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#21 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#26 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

現状のSTOCHOSでは同時に11個?だけ、sampling波形として使えるWavetableが 定義できるようで、ここで入っていたのは以下のサウンドです。 上の例では、全て、この中のどれかが使用されています。

前日の説明で抜けていましたが、以下が確率分布関数などの式です。

ということで、ラス前のCCMIXでのお仕事も順調に進みました。

この日は後藤さんやEmmanuelを訪問するためにIRCAMに行く、 ということでCCMIXを14時過ぎに出ました。 パリに来てずっと晴天だったのですが、この日は初めて、 小雨がパラついていました。 そしてIRCAMのあるポンピドーに着きました。

日本から来たComputer Music関係者が、アポも無いのに馴れ馴れしく IRCAMに「見学」と言って入り込んで来て迷惑する事がある・・・という 話を聞いていましたが、今回の僕は関係者の招待ということで、 問題なく受け付けで取り次いでくれました。

さて、ここからIRCAMの中をぐるりと見せていただき、さらに ラボで色々と未公開の研究とかをじっくりと見せてもらい、 あれこれdiscussionしたのですが、写真は当然ながら、殆どありません。 15時から17時過ぎまでみっちり、かなり密度の高い英語の議論(飽和寸前)、 そしてICMC/NIMEで馴染みの皆さんとの再会(Xavier Rodet先生もいました)、 9月にパリに戻って来たらワークショップを開催して僕は招待講演 (IRCAM内の会場となるのはストラビンスキーホールという名前)、 という話も決まりました。 IRCAMの開発した新しい装置も、試作基板から量産(手作り)に 向けて凄い進展をしていました。 たった2時間でしたが、内容の濃い初めてのIRCAM訪問となりました。

17時過ぎにIRCAMを出て、ポンピドーの広場に面したカフェで後藤さんと お茶しました。こういうゆったりとした時間はリッチです。

来週からはMOTUSのワークショップとなるので、日曜日の午後に 後藤さんの奥さんの手作りの「遅い昼食」をいただきに、 後藤さんのお宅にお邪魔する約束をしました。 土曜日は終日観光で遠出ですが、日曜日は午前から「蚤の市」を ひやかす休養日、と決めていたからです。

後藤さんと別れて、フォーロム・デ・アールという、 新宿繁華街のような喧噪をしばし散策しました。そして、 ホテルに戻る途中でスーパーで水とかJapanese Sembeiなどを仕入れ、 さらに3日連続となったアジアン屋でテイクアウトを仕入れて、 19時過ぎにホテルに戻ってBBCを見ながらの夕食を取りました。 ちょっと睡眠不足だったので、まだだいぶ明るい21時過ぎに寝ました。 旅先ではとにかく、睡眠の確保で体力を温存するのが基本です。


2004年8月6日(金)

この日はいよいよCCMIXレジデントの最終日です。 朝から曇りで、ちょっと外を歩くと肌寒いくらいです。 ちょうど日本からのメイルでも、何人もが「台風が過ぎて ようやく涼しくなってきた」と書いていましたが、 パリも本来の、日本であれば東北地方あたりの気候に 戻ったのかもしれません。一昨日までの、ばりばりに 晴れた太陽の下でパリ観光したのは正解かも。

写真では敢えてちょっと遠景にしていますが、 スーパーで買ったノートの別のページには、 「UPICのコンセプトを発展させた新しいシステム」 「STOCHOSを反面教師として考えるメモ」 「今後5年間の目標!」 などという、日本の日常に流されていてはなかなか出てこない 視点とかアイデアとかメモがたくさん書かれています。 8/6の朝までに既にノートは19ページ。 CCMIXのスタジオで、メトロの車内で、カフェで、 ホテルの部屋で夜中/早朝にフト目覚めて、などの機会です。 こういうのが、日常を離れたSabbaticalのメリットなのだ、 と実感しました。

この日も前日の続き、たまたまCCMIXのSTOCHOSにサンプルと して入っていたパッチ(パラメータセット)のパラメータをいじって、 サウンドファイル(音素材)として記録しました。
[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#27 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#29 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#30 そのまんまのサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#35 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#37 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#41 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#42 そのまんまのサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

[画面 サウンド] これは、サンプルプリセット#46 を多少改訂したサウンドです。 素材ファイルは約2分です。

この作業の合間にも、日本からは色々なメイルが届いて処理していると、 アムステルダムのSTEIMからもメイルが来ました。8月下旬のSTEIM滞在中に レクチャーでも出来ればやるよ、と言っていたのに対して、8/30でどうだ、 という打診です。こうやって移動中に次の場所のスケジュールを立てていく、 というのはいいもんです。

変わっていないようですが、最終日のCCMIXでの作業風景です。
中身としては色々と収穫がありました。 今後の研究や創作で、今回のCCMIXでのレジデントが生きたものが 出来たら送って欲しい、ライブラリに加える、とGerardに言って もらって、14時半過ぎにCCMIXを後にしました。 また9月にパリに戻ってきた時に、UPICのコンピュータで撮った スクリーンショットをCDROMに焼いてもらって、あと一度だけ 来ることになります。

さて、翌日は朝5時起きの早起きということで、ちょっと中途半端な 時間が残りました。 まずはいったんホテルに重い機材を置くためにメトロでRepubliqueに 向かいながら、作戦を立てました。 来週の月曜日から始まるワークショップの会場となる、15区にある 「コンセルバトワール・フレドリック・ショパン」の下見を予定して いましたが、メトロの途中にOperaを通る、と気付きました。 そこで、ホテルに割引パンフレットのあった、Operaにある Cinema Parisという映画を見に行くことにしました。

メトロのOpera駅の周辺です。以前にここに来た時に撮っていたのは、 実はOperaの正面と思っていたら、横だったことが判明しました(^_^;)。

そして、無事に上映時間(毎時00分スタートで45分ほど)に間に合いました。 えらく横長のスクリーンで、あとで分かったのですが、多数のスライド プロジェクタとビデオプロジェクタを同時コントロールして投射して いました。パリの歴史を劇的にまとめた、いい映画でした。 パリというのは、京都や奈良よりも歴史があるのですね。 同時通訳のヘッドホンは世界各国語がありますが、僕は英語を 選びました。

ここから再びOperaの駅に向かい、メトロで初めての15区に 向かいました。

さて、ここからはあまり大した風景ではないのですが、 来週のワークショップ会場に向かう道のりをメモ代わりに撮りました。

・・・ありました。ここに来週から2週間、通うわけです。

さて、会場が分かったところで、よく地図を見ると、メトロで 1つ前の「パスツール」駅もほぼ同じ距離です。そして、いま来た道は やや勾配が続いているのですが、どうも「パスツール」駅からは平坦に 歩けるような気がしました。そこで、来た道を戻らず(これでは あまり下見の意味がありませんが(^_^;))、パスツールに向かって みました。途中にあったのは、有名なパスツール研究所です。 これは歴史的遺物ではなくて、エイズの特効薬の開発をめぐって米国企業と しのぎを削っている先端研究所で、ガードマンもいました。

読みは当たり、メトロのパスツールからであればupdownが少ない ことが確認できました。来週はこちらで通うことにしました。 18時過ぎにはRepubliqueに戻り、久しぶりにトルコレストランで 夕食をとりました。これまた安い。

あとはPHSの電源を久しぶりに入れて明日の朝の目覚ましを セットして、シャツを洗濯して、まだまだ明るい21時前に就寝です。 もうCCMIXは行かないので、これからしばらくのメイルはホテルから となります。夜中に目覚めたらメイルでもチェックする、という 作戦です。


2004年8月7日(土)

CCMIXのレジデントが8/6まで、という事だったので、この土日は 初めての休日となりました。その土曜日の8/7は、予約しておいた モン・サンミッシェルへのバスツアーに行きました。ユネスコの世界遺産にも なっているこの城は、まぁ「聖Michaelさんの山」というところですが、 パリから320Kmのところまでバスで往復する強行軍で、現地には3時間しか滞在 しない、というものです。 以下は朝6時15分にホテルを出てから、7時15分にバスが出発する までの写真です。嬉しくてあれこれ撮りました。

お客の半分は日本人でしたが、僕は英語のガイド組に入りました。 ここで日本語を浴びたら、せっかくの英語が抜けてしまうので、 なるべく日本人とは離れていました。以下の写真は3時間ほど走って、 10時過ぎに田舎の古城に着いてのブランチまでです。 二階建てバスの左側再後列の席からの撮影です。 影が写るのは心霊写真ではなくて(^_^;)、窓が二重ガラスのためです。 ブランチが終わって、古城の見学などして出発したのが11時で、 このあとパリに戻った20時半まで食事はナシ、となりました。

パリからブランチの古城までは3時間でしたが、さらにノルマンジーの 田舎を2時間半ほど走って、ようやくモンサンミッシェルに近付きました。 ノルマンジーというのは北欧の海賊が(平城京の時代より前に)征服 して住み着いた土地で、一時はフランスと競り合い、同時にイギリスを 征服して国王となり、当時のヨーロッパに君臨していたのだそうです。 現在のイギリスもフランスも、いわばノルマンジーの末裔だとか。

バスの反対側の窓にモンサンミッシェルが見えました。判りますか?

マイカーで来た人は遠くの駐車場に置いて歩くのですが、バスは すぐ近くまで行けます。遂に着きました。

てっぺんの付近には登れないし、戦争でオリジナルはあらかた壊されて シンプルに復元されている、ということで、英語ガイドとともにぐるっと 回ったのですが、内部については、パリ市内の到れり尽くせりの遺跡に 比べてとても地味なものでした。 モンサンミッシェルの存在は、その外観と存在感にあるのでしょう。 以下は13時頃からスタートした、ガイド付きツアーの風景です。

ガイドと共に約2時間回ったところで、16時の出発まで残りが 1時間ほどの「自由時間」となりました。お土産、食事、など なんでもどうぞ、という事です。とりあえず外に出るまでです。

バスの出発までの1時間ですが、すでに中の売店で絵葉書を買ったので、 あまりの人込みに負けて、カフェのテラスにワイン一杯でまったりと過ごしました。

帰りのバス出発までの喧噪です。これは日本で言うとどこでしょう。 竹下通りを越えて、アメ横か秋葉原か、というところかなぁ。

行きにはノルマンジーの古城に寄ったり田舎の風景を楽しむ一般道で 時間がかかったのですが、帰りは途中にトイレ休憩のサービスエリアに 寄ったものの、ずっと高速で計4時間ほどでした。 沿線の風景を撮ろうとしたのですが、だいぶ失敗もしました。 北海道のようなだだっ広い風景は、ちょっと伝わらないですね。

無事に戻ってきました。この明るさですが20:30です。

とりあえず11時から何も食べていなかったので、Republiqueに 帰って、前日とは別のトルコレストランに入りました。 店が変われば味も変わります。

バスの中のガイドで、ノルマンジー地方の林檎(降水が少ないので 甘くない)で作る、特産の食前酒(強い)がある、と聞いていたので 買ってきました。 ただしこれを日本に持ち帰るのは重いので、パリで消費する予定で、 写真だけ記念に撮りました。

ホテルに帰ったのは21:30頃です。まずはシャワーを浴びて、洗濯を しました。この日に撮った写真は700枚を越えて、写真の整理の半分ぐらいで 24時となって、力尽きて寝ました。


2004年8月8日(日)

前夜は夜更かしでしたが、いつものように早朝4時に目覚めてメイルと 写真整理の続きをして(終わらず(^_^;))、また5時に寝ると次には8時過ぎ に目覚めました。10時直前ですが、いつものようにホテルの朝食です。

この日は後藤さん宅に「遅い昼食」をいただきに行く予定だったので、 日曜日の恒例という「蚤の市」(Flea Market、Freeというのは間違い)に Clignancourtに出かけてみました。 以下はそのFlea Marketエリアに行く前に通りかかるLA PLATEAUという、 いわば前座の一角です。 きちんとカメラを構えると途端に「撮るな」と言われるので、 通りがかりながらのさりげない撮影です。

ようやく前座を抜けて高速道路をくぐると、その先がメインの 地域です。 広大な面積に広がる10以上のブロックのうちのたった2つ、 MARCHE MALASSISとMARCHE VERNAISONのほんの一角をチラッと 冷やかしているだけで2時間たってしまい、ホテルに戻りました。

いったんホテルに戻ったのは、前夜に酒屋で仕入れたワインを持って 後藤さん宅を訪問するためでした。 3年前に訪問したのと同じアパートですが、現在では後藤さんと奥さんの ミッシェルさんの夫婦の家、ということです。 後藤さんの手作りの料理とおいしいお酒、そして色々な話に 花が咲いて(全て英語。凄い)、なんと14時に訪問したのに、 気付いたら18時半近くまでお邪魔しました。 写真の主役は後藤さん宅の猫でした。

たくさん御馳走をいただいたので、この日の夕食はメトロの出口で 買ったクレープだけでした。もう十分でした。

さて、前日の写真の整理とこの日のここまでを整理したところで、 まだまだ明るい20時となりました。 メイルをチェックした後で、明日からのワークショップについて、 日本で事前に送られてきていたスケジュールを初めて眺めてみて びっくり。相当なハードスケジュールなのでした。以下です。

2004.08.09(月)
    09:00-10:00 イントロダクション
    10:00-13:00 アクースマティック芸術について
    14:00-17:30 アクースモニュムの紹介
    18:00-19:00 スタジオの紹介
    19:00-21:00 コンクレートのための音響素材の録音
2004.08.10(火) MOTUS
    09:00-12:30 ノーテーション、楽曲分析
    14:00-16:00 参加者の作品プロジェクトの提示
    16:30-19:30 録音された素材を聴取
2004.08.11(水) MOTUS
    09:00-12:30 アクースマティック音楽を聴く
    14:00-18:00 スタジオで個別に作曲 / 素材の録音
2004.08.12(木) MOTUS
    09:00-12:30 スタジオで個別に作曲 / 素材の録音
    14:00-17:00 招聘作曲家の講演
    17:30-20:00 素材の録音
2004.08.13(金) MOTUS
    10:00-13:00 アクースマティック音楽を聴く
    14:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.14(土) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.15(日) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.16(月) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.17(火) MOTUS
    09:00-12:30 制作過程の作品聴取、コメントとアドバイス
    14:00-17:00 招聘アクースモニュム演奏家の講演
    17:30-20:30 制作過程の作品聴取、コメントとアドバイス
2004.08.18(水) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.19(木) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.20(金) MOTUS
    09:00-22:00 スタジオで個別に作曲
2004.08.21(土) MOTUS
    10:00-18:00 作品の聴取、コメントとアドバイス
2004.08.22(日) MOTUS Final Concert
    09:00-19:30 スタジオで作品を仕上げる
    20:30開演 演奏コース・ファイナルコンサート
2004.08.23(月) MOTUS Final Concert
    09:00-19:30 リハーサル
    20:30開演 作曲コース・ファイナルコンサート
これでは観光の余地もなく、本当にみっちり作曲三昧できそうです。 しかし朝型人間の僕としては、たぶん22時まではやらないかなぁ。(^_^;)

2004年8月9日(月)

朝から終日、小雨で蒸し暑かったこの日、MOTUSワークショップが始まりました。 初日は朝9時から夜9時までみっちり。 ノート一杯のメモがその内容の濃さを物語っています。 ホテルに帰ったのは22時、ぐったりで何も書けません。 そのうち紹介しますので、後日のところを見て下さい。 とにかく、まずは、とても勉強になりました。 写真で片鱗をどうぞ。明日も頑張るぞ。

2004年8月10日(火)

この日は夜明けに雷雨、そして朝までかなりの雨が降っていましたが、 出かける直前に止みました。午後には晴れてきたのですが、湿度が 高くて蒸し暑かったです。 この日も朝9時からみっちりアナリーゼと作曲理論、 ノート一杯のメモがその内容の濃さを物語っています。

昼休みにはスタジオに籠って皆んなより早く録音を終え、 午後には作曲プランを発表しました。 その後、コンピュータスタジオの割り振りなどありました。 コンピュータのあるスタジオは2人に1部屋なので交互にしか使えない非効率と、 用意されているProToolsそのものに僕が慣れていないこともあり、 基本的に、パリに持参したチタニウムを活用することにしました。 録音したデータをメモリースティックでホテルに持ち帰るということで、 この日は19時頃、早めに切り上げました。

途中で食事をして20時過ぎにホテルに戻れば3日に一度の下着の洗濯日、 いろいろ届いていたメイルへの対応などもあり、やはり就寝は23時でした。 スーパーで安く仕入れたワインが部屋にあるのですが、 それを舐める余裕もなく、この日は初めての休肝日となりました。


2004年8月11日(水)

2日ぶりに朝から晴れて気持ちのいい日となりました。 MOTUSワークショップも3日目となり、ぼちぼちペースが つかめてきました。
前夜はフト深夜2時頃に目がさめると、気になってそこから、 録音して持ち帰った1本(6分)のサウンドファイルの処理をしました。 まず、6分の中にあるそれぞれの録音サウンドの合間を切り詰めた マスターファイル を作りました。そしてこれを全て個別のサウンドに切り分け、 個々に全てフェイドインとフェイドアウトを加えて、 「プチ」ノイズを除去した音素材ファイル群としました。 素材は全部で50本になりました。これが全てです。そこで気付くと 朝5時になっていて、慌ててちょっと寝て、2時間ほどして起床して、 到着メイル10本ほどパソコンに入れて持参しました。

午前には作曲コース全体で、アコースマティック音楽の作品鑑賞があり、 午後からいよいよ、個別にレコーディングと作曲、という時間になりました。 僕はパソコンのあるスタジオでなく、作業を自分のチタニウムで行うので、 参加者が唯一、飲食できる「控え室」で作業することにしました。 というのも、地下にあるこの部屋がいちばん涼しく、さらに他の部屋では 禁止ですが、ここならコーヒーを飲みながら作業できて、また他の参加者は 休憩時間以外は皆んな他の部屋にいて僕だけ、ということで、もっとも リラックスして良好に作業できるのです。

ここで、このMOTUSワークショップの全体について、簡単に紹介しておきます。 これは現代音楽の一つの流れの確認ともなります。 ワークショップの全体テーマは「アクースマティック」音楽です。
1948年頃から始まったミュージックコンクレート、つまり楽器の演奏者のいない 録音された音楽の再生、という形態の音楽は、フランスではマイクで録音したサウンド素材を 中心として、ドイツでは合成された電子音を中心としました。これらは現代では Electroacoustic Musicと総称されています。それをどうもフランスでは維持になって(^_^;)、 アクースマティックと言うようです。 基本としては、音そのものを重視して作曲する、聴衆にもそこに注視して欲しい、 というような姿勢です。

Computer Musicの世界ではテープ音楽と呼ぶこの音楽は、ICMCなどの コンサートでお馴染みのように、ホールの聴衆はただ何もないステージを 前にしている、というちょっと異様なものなのですが、フランスではこの アクースマティックのコンサートをより聴衆にアピールするために、 アクースモニウムという発展をしました。今回のワークショップはこの、 MOTUSのアクースモニウムシステムが持ち込まれ設置された会場で 行う、というのが最大の特長です。
今回の場合、最終日のコンサート会場でもあるアクースMaxiでは、40チャンネル のアンプとスピーカとそれらをライブ制御するコンソール(ミキサーと似ています がまったく違うもの。共通のソースを個別のスピーカに音量制御して送る)、 練習のためのもう1部屋のアクースMiniでも28チャンネルあります。
さらに写真を見てもらって分かるかどうか、僕が面白いと思ったのは、 いわゆる多チャンネルサラウンドシステム(多数の同じスピーカを均一に配置する)とは まったく違って、それぞれのスピーカはまったく別々の種類・特性のものを配置し、 さらに左右についても非対称(こここはMOTUSのノウハウらしい)となっています。 そして、音源はマルチチャンネルのサウンドではなくて、ステレオ(2ch)、つまり 「普通のCD」なのです。

普通のCD、つまり2チャンネルの音源をいくらたくさんのスピーカで鳴らしても 別になんてことはないじゃないか、と思うのは素人の浅はかさで(僕も最初はこれ でした)、これが凄いのです。 まさに立体感、奥行き、色彩感、躍動感のある音響空間、そしてコンソールの操作をするのが、 その音源CDの音楽を分析・暗譜した指揮者であり演奏者である、というライブ性が アクースモニウムのコンサートには登場することになります。
今回のMOTUSワークショップでは2つのコースがあり、アクースマティックを作曲する コース(僕はこちらです)、あと与えられた音源CDをコンサートで「演奏」するための 講習(音響空間の配置・設計からオペレーションまで)のコース、と分かれました。

・・・ということで、初日から3日間(さらに期間中も、ときどき作曲家を招く)、 「アクースマティック」音楽の全般について、歴史、基礎、理論から実戦までを みっちりと行いました。演奏コースはまだ全体メニューが続いていますが、 作曲コースはこの日の午後からそれぞれの作業に移りました。 つまり、それぞれが自分のペースで録音したり作曲する、講師とスタッフは待機していて、 リクエストやアドバイスに対応する、というものです。 会場は午前9時からなんと22時まで自由にどうぞ、という体制です。

ということで僕が今回、作曲の音素材とした この音 は、ホテルの部屋にあったグラスに、2ユーロ、1ユーロ、20セントのそれぞれの 硬貨を落としたサウンドです。 実際の録音はたった6分ほどの一発録りですが、そのためにヘッドホンを かぶって、マイクの位置と距離と録音レベルとを検討・調整するのに 40分以上、かかりました。思いのほか、良い音が録れたので、敢えてこの 素材に限定してみようと思っています。

この日の午後には、まずは こんな パッチを作って、サウンドサンプルを疑似ランダムに再生してみました。 これはこれで一つの雰囲気はあるのですが、講師のDenis Dufour先生から いわせれば、これはデタラメにコラージュしただけのもので「作曲ではない」、 ということのようです。ここからどう「作曲」に向けていくのか、という スタートラインの意味で試したものです。 ここから先は翌日に(おそらくホテルでもあれこれ構想)、ということで、 この日は18時過ぎに会場を出ました。
作曲を始めてしまえば、もう観光どころの話ではありません。 何も邪魔されず、ノート一杯の色々なアイデアと刺激と勉強のもとで、 作曲だけをずっとやっていい、というこの幸せな時間は貴重なものです。 実質はあと10日ほどになりますが、この10日間という作曲漬けの時間は、 今後10年は確保できないカモ、というような幸福感と意欲が湧いてきました。 これぞ非日常のサバチカルの醍醐味というものでしょう。

いつものようにアジアンの夕食後にホテルに戻ると19時過ぎ。 しかし考えてみると、パリに来て17日目ですが、まだ一度も「フランス料理」 というのか、要するに地元のレストランに入ったことがありません。 読めないメニューでコース料理を注文するより、身振り手振りで、 目の前にあるものを指差して組合せ注文できるアジアンやトルキッシュは、 ずっと簡単で確実なのです。まぁこんなもんでしょうか。
昼休みに、アクースMaxiで自分のコンクレート作品を鳴らしてどのように 聞こえるかを試したかったのですが、iPodのステレオミニも、持参した 変換を経由したRCAも受けられない(^_^;)、と判明したので、ホテルで これらのMP3をCDに焼きました。この合間にテレビをつけると、 オリンピックのサッカーをやっていました。 いつの間にか始まっていたらしいのですが、 CDを焼いたあとで こんな 感じで音響素材の分類などをする頃にはテレビも消して没頭し、 結局、また就寝は23時過ぎになりました。


2004年8月12日(木)

日本にいても同じなのですが、深夜の2時とか3時に一度、フト目をさます事が よくあります。この日は前夜のワインにもかかわらず午前3時にこれが来て、 そこで作曲の音響素材にあるアイデアが浮かんだので、眠れなくなりました。
それなら起きてやってみよう、という事で、簡単な処理ですが、 この元サウンド の後半をループで延長して こんな音 を作ってみました。 そしてこれをオクターブ下げたものをいくつも重ねると こんな音 になり、さらにちょっとピッチをずらしたりして こんな音 を作りました。

そんなこんなで朝6時を過ぎてしまい、前日のように朝寝をすることができず、 そのままメイルの処理をしてワークショップに向かいました。 後にこれが本日の敗因となりました。

毎日変わりばえしませんが、この部屋で午前中、一人でコーヒーなど 飲みながら、作業を進めました。

前の日に作ったパッチはsfplayでサウンドファイルを再生していたのを、 きちんと50個のサウンドの分のbufferとgrooveを用意して同時に ランダム再生して、それをサウンドファイルとして書き出すような こんな パッチを作りました。 2時間仕事としてはまあまあでしょう。これで昼休みには、 いくつかの素材ファイルをどんどん作り始めました。

そして午後になりました。この日は演奏コースの人も含めて 全体で、作曲家のIvo Malec氏のレクチャーを受けました。 しかし、極度の睡眠不足により、不覚にも半分くらいは寝てました。 まぁ、作曲を始めてしまうと、その期間は作曲についての意見も素通り してしまうので、睡眠不足だけが原因でもなさそうです。 外では一時、凄い雷雨となりましたが、夕方に終了する頃には 晴れました。

17時過ぎにレクチャーが終わると、再び地下のスタジオで作業の続きをして、 サウンドファイル30本を全てリバースしてピッチを変えながら再生する こんな パッチを作りました。 1時間半仕事としてはまあまあでしょう。 具体的なサウンド素材を作るのはまたにして、19時過ぎには たぶん一番で帰途につきました。

ワークショップ会場からメトロの途中にあるアジアン安レストランは、 ホテルの近くのものと違って、なんと餃子があります。 この日はヤキソバに餃子にチンゲンサイ炒めにペリエ、 という夕食になりました。 ホテルに戻ると20時を過ぎました。 メイル等を処理して、21時半には寝ました。


2004年8月13日(金)

前日の寝不足は、連続9時間半の熟睡で解消されて、 気持ちよく起床しました。パリの天候は日本の東北地方ぐらいだ、 と後藤さんに聞いていたのですが、ようやくそのような爽快な、 やや涼しい朝となりました。

この日の午前には、アクースマティック作品をいろいろ聴く、 というレクチャーがありましたが、ほとんど眠くなることもなく、 色々とメモしつつ充実の時間でした。

そして午後には、Max三昧の時間を過ごしました。 まず、前日作った この パッチには、一つの重大な音楽的欠陥があることに気付き、 前日に録音してみた計300MBほどのサウンドファイルを捨てて、 50個のサブパッチの中身を この ように変更しました。 そして3回ほど録ってみた最後テイクの2分間サウンドが こんな カンジになりました。 このままでは使えませんが、材料としては候補です。

また、前日作った この パッチでも、同様に3回ほど録ってみて、最後テイクの2分間サウンドが こんな カンジになりました。これも材料の候補です。

そして、DSPSS2001?の時にフリーで公開されているものを 入手していたVSTプラグインのエフェクタを、初めて使ってみることにして、 こんな パッチを作ってみました。 これは今回の作曲だけでなく、今後の作曲でも、あるいは講議でも、 色々と活用できそうで、一粒で二度も三度も美味しいところを 狙っています。

さて、13日の金曜日も午後に雷雨があったものの無事に過ぎて、 いよいよこの土日はちょっと勝負の時期です。 一人で作業するスタジオも割り当ててもらいました。 翌週の日/月には作曲も演奏準備も完了してのファイナルコンサートですから、 まさに「勝負の1週間」に突入です。

・・・というあたりでまた19時を過ぎたので、 この日の作業はここで終了としました。 夕食後ホテルに戻ってシャワーを浴びてテレビを付けると、 オリンピックの開会式を生中継していました。 ちょうどたまたま日本選手団の入場行進を見ましたが、 前日のYAHOOのニュースによれば日本サッカーは初戦に負けたそうで、 まぁそんなものでしょう。 洗濯の予定もあったのですが、ビールを飲みつつ、しばし眺めました。 オランダの8.4%というEXTRA STRONG缶ビール(500ccで酔います)と、 延々と続くライブのオリンピック入場行進とともに、 3日ごとの洗濯(下着は6セット持ってきたので、3日間溜めてまとめて 洗濯して部屋に干すと、長くても2日で乾く)を済ませて、就寝は やはり23時近くになりました。


2004年8月14日(土)

天気もよく、日本なら「秋晴れ」という風情の朝となりました。 この部分は、朝9時半、ワークショップ会場の地下のスタジオ、 参加者の休憩飲食室で一人、コーヒーメーカーをセットして、 あと30分で始まる午前のレクチャーまでの合間にまったりと 書いています。

土曜日でめっきり閑散としたメトロの中から考えていたのですが、 ちょっと一時的にネガティブになってみました。 せっかくのワークショップですし、日々、新しいことを発見し学ぶ中で、 ネガティブな発想は禁物ですが、たまには視点を変えるのも重要です。
今回のアクースマティックのワークショップは、「作曲」「演奏」の 2コースがあるのですが、膨大な勉強と収穫と刺激があったことは もちろんですが、いずれにもツッコミたいところも感じています。 今朝フト思ったのは、アクースマティック演奏家というのはかなり、 つらいのでは(^_^;)、という事です。
アクースマティック音楽のソースは固定されたCDです。 これを再生する時に、空間に配置された多数のスピーカ群への送りを ライブ制御して生き生きとした音楽にする、というのが アクースマティック演奏家です。 でも、会場のアクースMiniのコンソールには、ヤマハのミキサーで よく見る可動スライダーのポテンションがあります。 ということは、CDのソースをProToolsなどのシーケンサに戻して、 これを再生演奏しているアクースマティック演奏家の名人の「演奏」 のスライダー操作の情報も同時にシーケンサにレコーディングして しまえば、その「名演」は記録して再現できることになります。
ライブコンサートのミキサーオペレータは永遠に不滅なのですが、 この意味では、アクースマティック演奏家の存在、 さらにはアクースマティック音楽の意味というのは、 なかなか根深い課題を本質的に抱えているなぁ、 と思いました。 よく分かった上でどう付き合うのか、というところでしょうか。

・・・という愚痴(^_^;)に続いて、10-13時にはDufour先生のレクチャーが ありました。

そしていよいよ、午後には自由なペースでそれぞれ作曲、 という時間になりました。 これは明日以降も数日、続きます。 以下は僕の割り当てられた部屋です。 蚊が入ってきたので近所のスーパーで「蚊取り」を買ったのですが、 どうにもこれが人間まで参るほど臭いです(^_^;)。

ということで13:30のレクチャー終了から18:30過ぎまで、 みっちり音素材の探究をしました。 途中でちょっとめげかけて、さらに別の音素材の録音に走るか迷ったの ですが、そこはDSPの長嶋としては、敢えて最初の録音だけの素材で なんとかしたい、と意地になっています。 これは明日からもまだまだ続きます。

土曜日ということからか、会場の近くのスーパーが朝から夕方まで開いていたので、 翌日の食事となる果物などを仕入れて、どこも開いていない日曜日に備えました。 この晩はRepubliqueのトルコレストランで、もうチャイニーズとトルコの組合せに たまにジャパニーズ、というローテーションが確定しています。 ホテルに戻ると20時過ぎ、大学のサーバが発狂したらしく転送メイルが届かないので、 オリンピックを見ながら寝ました。


2004年8月15日(日)

この日は朝9時から18時まで、ずっとスタジオで作業に没頭しました。 画面としてはこんなカンジで、Max/MSPとSoundEdit16だけです。

連続6時間ほどヘッドホン作業で参っていたら、 スタッフが簡単なモニタを設置してくれました。 これで耳を休ませることもできます。

前日までに作っていたフォルダの内容(音響素材)としては、 「録音したソース(51ファイル24.8MB)」 「Max/MSPでランダム再生(55ファイル91MB)」 「Max/MSPでランダム再生したReverseファイル(35ファイル67.1MB)」 などがありましたが、これを含めた全体としてこの日の最終段階での記録としては、 MOTUSフォルダの情報は「339ファイル、1.32GB」になっています。 まだまだ序の口です。 このデータのうち、最終的に作品に使わずに捨てるのは95%以上です。 結局この日は、第一パートとなる部分のおよその試作、2分間が一応、 完成しました。

これだけ作業すれば、ホテルで続きをする必要もありません。 行き来にメトロ内でiPodで好きな音楽を聴くのも、 作曲が始まった4日前からスーツケースに仕舞って完全にナシとなり、 観光娯楽いっさい無し(唯一の楽しみはホテルでのワイン)、 ひたすら作曲だけの日々となっています。 気持ちの問題ですが、なんか精進モードに入って頑張ると、 ある瞬間、音楽神MUSEが微笑んでくれる時がたまーーーーに訪れる、 今回もそれを待ち望んでいます。 果たしてどうなるか。

日曜日でほとんどのレストランが休みなので、 頑張った自分を誉めてあげる意味で、またRepublique駅とホテルの間にある、 日本食レストランAKIRA(店内には「秋葉」と書いてある(^_^;))に行き、 「寿司と焼き鳥」定食(ただし鉄火捲きはサーモン、さらにチーズの焼き鳥、 そして最後に何故か、お椀一杯のライス[凄い臭いなので無視])、 とワインという、リッチな夕食としました。 普段のチャイニーズやトルコだとビールかワインと一緒でも10ユーロは 行かないのですが(というか5ユーロに近い)、 この日はハーフボトルのロゼワインと合わせてちょうど20ユーロでした。 ホテルに戻りボルドーの赤ワインとオリンピックTVで、就寝はまたも22時。


2004年8月16日(月)

遂にこの日は写真がありません(^_^;)。 いつものように会場に行き、朝9:00から17:30までスタジオに籠って、 ひたすら作曲に没頭しました。 MOTUSフォルダの情報は「366ファイル、2.22GB」になりました。 新しいMax/MSPのパッチを作ることもなく、 SOUNDEDIT16で多数のサウンドファイルを切り貼りして、 たまにエフェクトをかけるMax/MSPパッチを使ってファイルを編集。 スクリーンショットも何も進展なく、 紹介するほどでもない制作途上の未完成断片が膨大に生まれました。

ちょっとだけ早めに切り上げたのは、ホテルまでの帰り道で買物に寄ったからです。 僕のゼミの第1期卒業生、鈴木未来さんのメイルのリクエスト(就職祝)で、 ある香水を求めて巨大なショッピングギャラリーに行きました。 結局、その日本未発売の香水は去年の製品で完売のため無し、 とブランドのショップの店員に確認して判明するまで、 あれこれ1時間ほどの散歩となりました。 久しぶりにパリの街らしいところ(日本人多数)に出ました。

ホテルに戻ると、MOTUSフォルダの中で作業完了となったファイルを、 持参したHDDに移す作業をしました。 この時点でチタニウムのHDDは残り4.7GBでしたが、 多数のMP3を退避させたり、既にサウンドファイルのブロックとして完成した 部分の素材バックアップを退避したりして、残り容量を7.2GBまでに しました。 テレビのオリンピックは、男子体操の団体で頑張る日本チームを生中継していましたが、 明日もまだまだ続くので、21時半にはサッサと寝ました。


2004年8月17日(火)

朝、ホテルの部屋でメイルチェックとともにYAHOOニュースを見ると、 昨夜ライブで見ていた日本の体操男子団体が終盤の逆転で金メダル、 とのことでした。見てればよかったかなぁ。(^_^;)

前日、参加者控え室の黒板に「明日8/17の朝は9:00にここに集合せよ」 と書かれていましたが、僕は別にいつもと同じで到着しました。 この午前には、作曲コースの参加者7人のそれぞれの途中経過を全員で聞いて、 さらにDufour氏によるコメントがある、 という時間になりました。以下はその模様です。

録音室には、Dufour氏がよく使うという「音源」が公開されていて、 皆んなで「演奏」していました。

午後にも予定があったので、12:30から14:00までの昼休みに、 パンをくわえてスタジオで作曲の一部手直しをしましたが、 この日はこれだけしかできませんでした。大きな誤算です。

そして午後には、「私がアクースなんとかという用語全ての 責任者である」という、作曲家のフランシス・ベイエ氏の講演が ありました。 疲れからか途中でウトウトしながらも、色々と参考メモも増えました。

Bayle氏の講演でいろいろ聞いて耳も身体も疲れたので、 この日は17:30で会場を後にして、 ホテル近くのスーパーでサラダボウルなどを仕入れ、 チャイニーズの偽チャーハンのテイクアウトとともに、 ホテルでの夕食としました。 どうも疲れているようなので、この日は3週間で2度目の休肝日です。 オリンピックのライブを見ながら食事と洗濯をすると21時になりました。

今日のレクチャーで、ほぼアクースマティック音楽についての講習も 終わったことになります。自分の作曲は23日のコンサート初演に向けて 進行中なわけですが、いろいろと思うこともだいぶ溜ってきました。 まぁ、ここでネガティブに書いても仕方ないので書きませんが、 たぶん僕は、あと1-2年はもう、コンクレートの作品は作曲しない だろうなぁ、と密かに確信しました。いろいろな意味がありますが、 これは今後の講議の機会にでもまとめたいと思います。
ただし、僕のメインフィールドであるライブパフォーマンスと、 対極にあるミュージックコンクレート(アクースマティック)とは、 それぞれ、他にない長所があり、同時に他にない本質的/致命的な欠点も 持っています。このそれぞれの両方をきちんと整理できた、というのは、 最大の収穫ではないかと思っています。そしてせっかくの機会ですので、 今回の(しばらく御無沙汰になる予定の)コンクレートの作曲にますます、 集中したい、と思いつつ、21:15に寝ました。

その後、深夜25時にフト目覚めて起き出し、夜中に2時間ほど、 パート1の細部手直しと、パート3の前半の改訂をしました。 もう作曲も終盤、翌日からは寝坊でも遅刻でもなんでもありなので、 気になったらトコトンやる、という追い込み体制です。


2004年8月18日(水)

日本でも台風で被害の出たらしいこの日、パリでは早朝から雷雨、 そして昼間も何度も激しいにわか雨が降りました。 朝9時からひたすら作業を続けました。 新しく作ったMax/MSPパッチとしては、 以下のようなものがありました。 過去のDSPモノを再利用したものです。

懸案だった、土曜日8/21の予定が判明して、 Dufour先生のレクチャーは全員でゾロゾロでなくて、 それぞれ個人ごとになりました。 これで、最悪はあと3日間、と思っていた期間はあと4日間、 ということになりました。なんとか追い込まないと。

深夜に起きたりしていたのと、連続して作業して疲れたので、 雷雨の合間に早めに17時頃に終了しました。 このあと、BHVという巨大なショップ、つまりはTOKYU HANDSみたいな ところに寄って、CDRを20枚、買いました。1枚1ユーロでした。

このBHVというのはなんかBMWみたいですが、英語で言えば Bazar Hotel Villeということで、ではなんでHotel Villeかといえば どうもそういう名前の駅があるのですが、かつてそういうホテル だったところが現在はパリ市役所らしいです。つまりBHVとは 「市役所のバザール」ぐらいの意味でしょうか。
だいたいパリの地下鉄の駅名は面白くて、僕がホテルからMOTUS ワークショップに毎日通勤している途中にも 「フランクリン・D・ルーズベルト」があって、終点が「パスツール」です。 他に「パブロ・ピカソ」もありました。そんな中で、 「Hotel de Ville」とHotelの入った名前はここだけですので、 たぶん歴史のあるホテルで、現在は営業していないのでしょう。

前日の休肝日でやや体調が戻ったので、気合いで、 この日も休肝日としました (別に2日連続で飲まないだけでちっとも偉くはないですが)。 ホテル近くのスーパーで買ってきて部屋でとった夕食はこれですが、 生野菜はこんなパックが一番お手軽です。パンはこれで2日分の量、 ハムはたった2枚ですが団扇のようにデカいです。

メイルをチェックして、オリンピックの中継を見ながら食事して (日本女子水泳で銅メダルの表彰)、シャツを洗って干すと、 20時となりました。しばしテレビを見て、21時には寝ました。 そして次第に時間が繰り上がり、ちょうど24時にフト目覚めて起き出し、 またまた2時間ほど、深夜に続きをやりました。 いよいよ「作曲時差ぼけ」に突入です(^_^;)。 連続して作曲していると耳と聴覚が疲れるので、 このように不規則でも作業を分断するのは、 感性をリフレッシュする意味でも悪いことではありません。


2004年8月19日(木)

パリの朝は、かなり肌寒く爽快になってきました。 いつものように朝9時に会場に着くと、 なにやらどろーっとした雰囲気(^_^;)の参加者が、既にいました。 昨夜から泊まりが始まったらしいです。スタジオを2人でshareするので、 9-22時だけでなく有効に使うために、 希望者は22時に会場を施錠する時に中に残ってもいい(翌朝9時に開けるまで 出られない)、という体制がスタートしています。 でもこれは僕にはとても真似できません。あくまで早寝早起きでいきます。

この日もひたすら作曲を続けました。 言い訳にはしたくないものの、 たった一つの音素材だけを使う制約(自分で勝手に設定しているだけですが) との戦いに苦闘しました。 新しく作ったMax/MSPパッチとしては こんな ものぐらいでした。

そしてこの日の午後にはちょっとだけ、 ビデオを持ってアクースMaxiに行きました。 大阪芸大の卒業生のHIGAKIさん(MOTUSスタッフ)の協力で、 「アクースモニウムとはこんなもの」というムービーを、 ヤラセで制作しました。 いくら言葉で言っても学生には伝わりにくいので、 百聞は一見にしかず、というわけです。 ホールに行くと、演奏コースの受講者が「練習」していました。

そして、Dufour氏の作品をコンサートで演奏するHIGAKIさんが、 そのリハ風景ということで照明も明るくしてやってくれたのが、 この貴重な映像です。 QT MPEG4 Movie 9.8MB
これは、帰国した週にある静岡大学情報学部の集中講議で、 SUACの学生に先がけて静大学生に紹介することになりそうです。

この日もへろへろに耳と目が疲れて、17:30には会場を後にしました。 禁酒してもMUSE神は微笑んでくれないので、 気分転換に濃いビールを飲んでオリンピックを見て、 また早めに21時頃に寝ました(夜中に起きたら続きをやるつもり)。 いよいよ泣いても笑ってもあと2日です。


2004年8月20日(金)

この日は夜中にメイルをチェックするも作曲作業はナシ、 いつものように朝9時から17まで鋭意、没頭して写真もナシです。 6分30秒の、ケーキで言えば上に乗せるデコレーション以外の、 クリームの台の部分が完成しました。 デコレーションは気分を替えて、最終日の勝負です。

画面を凝視して眼が、音に集中して耳が、そして精神が疲労しきったので、 スーパーで野菜サラダボウルとハム(この日は倍の4枚)、 そして白ワインを仕入れてホテルの部屋に戻ると、 ライブのオリンピックで「ジャポネーゼ、ジャポネーゼ、シバタ !」 とアナウンサーが絶叫していました。 どうやらシバタ選手が金メダルのようです。 日本選手も頑張っているらしいです。 BBCのニュースではナジャフとか原油価格高騰などを続けています。

MOTUSワークショップのコンサートのプログラムもぼちぼち、 出来つつあります。後藤さんと奥さんが聞きにきてくれる予定です。 最終日23日は撤収があるので、22日のコンサート後に、 参加者で打ち上げというか夕食会、という話もありました。 ようやく「フランス料理」を初体験できそうです。 いよいよ泣いても笑ってもあと2日です。


2004年8月21日(土)

ちょっと曇りで肌寒いパリの朝、疲れのためか寝坊でのスタートです。 この日は作曲作業の最終日、パソコンを背負って会場に行くのも最後、 ということで、ちょっと気張って、CASIOを首にかけて、この10日、 毎日毎日同じ「通勤」をしたルートを記録してみました。 土曜日なので通勤の人がいなくて、異常に空いていました。 マップを出すこともなく覚えてしまった通勤路です。

ホテルの部屋からスタートして
エレベータを降りてホテルを後にして
メトロの駅まで徒歩3分
メトロの駅でも迷わず進んで
ホームに降りたら
次の乗り換えで便利なので、迷わずホームの後端に移動して
メトロが来たら乗り込んで
車内の路線図をチェックして(乗り換えはトロカデロ)
ドアを開けるのはこのノブを手で回す
トロカデロで降りたら6号線のNation方面に乗り換え
ホームに上がったら
出口に近くて便利なので、迷わずホームの後端に移動して
メトロが来たら乗り込んで
次の駅Passyから地上に出て
セーヌ川を渡りつつ
エッフェル塔などを巡りつつ
車内路線図も確認して
再び地下に潜るとパスツール
地上に出て
ぼちぼち歩き出して
この通りを数分歩く
途中には教会などもあったりして
途中にはパスツール研究所などもあったりして
さらに進むと
ヘンなJapaneseレストラン(一度も入らず)を通り過ぎて
2日ごとに変わるポスターを眺めつつ
土曜日でも唯一やっている薬局を通り過ぎ
会場であるショパンの裏側が見えてもここからは入れず
この交差点を左折して行くところを敢えて直進して
その先にあるスーパーマーケットに寄って昼食を仕入れて
ようやく会場のフレドリック・ショパンに到着(この日は09:45)
まずは自販機でコーヒーを買って
いつもの地下に降りて
僕の作業場であるスタジオの窓を開けて
参加者の飲食部屋に行ってみると、既に何人かいました。
作曲コースの参加者も三々五々、集まってきました。 泊まりの人は表情で判ります(^_^;)。

この日は10時過ぎから6時間ほどかけて、たった一つの音を作りました。 まず、コインをグラスに落とした音の中で、 もっとも澄んだ1ユーロの録音サウンド9個のファイルをランダムに呼び出す こんな パッチを作って こんな サウンドファイルを作りました。
次に耳障りな低域をカットするために この パッチで、HPFでローカットしたサウンドとしました。
このファイルではイベントの時間密度が不足するので、 この ようにファイルを分割して4系列をミックスして密度を増したファイルを作り、 さらにこれをこの ように時間的にずらして3本束ねて、平均密度で元の録音の12 倍としました。 これは高域のノイズが耳障りなので、 この パッチで、LPFでハイカットしたサウンドとして、 こんな サウンドファイルを作りました。
このサウンドを一種の楽器音としてハーモナイズするために、 「全音上」「完全4度上」「完全5度上」「全音下」「短3度下」「完全4度下」「完全5度下」 「短6度下」「長6度下」「短7度下」「オクターブ下」「2オクターブ下」の12個の サウンドファイルを作りました。 そして この ように音量バランスを取って和音にしたサウンドファイルを作りました。
この12個のファイル全てに この ようにエンベロープをかけて、 この ように連結した素材ファイルを作りました。
ここに再びリバーブ/リングモジュレータをかけて、 最終的に出来た「味付け」サウンド、つまりこの日の6時間の成果は、 これこれ、 というたった2つだけでした。
これを この ように、前日までのケーキ台のファイルに足しあわせて、 この ようになりました。 サウンドは当面、非公開としておきます。(^_^;)

・・・そして、長かった10日でしたが、この日の夕方18時、 遂に作曲が終了しました。 いつもそうですが、作曲が終わった瞬間は、 もう僕にはこれ以上何も出せない、 という出涸らし状態になります(数日すると後悔するわけですが)。

食事をしてホテルに戻ると19時半、そこから洗濯をして、 このページの整理をして、お仕事関係など届いたメイルを処理していると、 就寝は25時になりました。


2004年8月22日(日)

前夜の夜更かしで、起床は寝坊して8時過ぎでした。 といっても、この日はコンサート1の当日で、出演者のリハがある だけで、僕達はコンサート(開演20:30)までに行けばいい、 というものでした。

あまり観光という気分ではなかったのですが、 せっかくの日曜日、そういえば2週間前の日曜日に「蚤の市」に 行ったのを最後に、あとはひたすら精進の日々だったのでした。 そこで、日曜日にしかやっていないので、また蚤の市を散策することに しました。 「地球の歩き方」によれば、日用雑貨や古道具が多い、 というモントルイユに行くことにしました。
そしてさらにスーツケースの底から出て来たのが、 リュパブリックからも近いマルタン運河のクルーズ、 というパンフレットでした。14ユーロと安いのに2時間半ものんびり、 というのは悪くない、とホテルのフロントに予約の電話をかけてもらいました。 予約OKで、バスチーユに14時、という予定も立ちました。

まずは、モントルイユの蚤の市の風景です。 なかなか油断のならない、怪しいところでした。 中には、どう見てもただのゴミみたいなものを雑然と積んでいて、 買う方も凄いけどこれを売るというのも凄いぁ(^_^;)、 というようなものもありました。

カフェでのんびりしたあとで、メトロでバスチーユに向かいました。 ここは2001の欧州ツアーで3日だけ泊まったホテルがあったので、 パリで唯一、多少の土地勘のあるところです。

クルーズの船の場所を確認でしたので、 バスチーユ広場に戻って昼食を取りました。 日曜日ということで、観光客ばかりです。

14時ちょっと前に船のところに向かってみると、もう行列していました。 予約しているので乗れるのは確実ですが、いい席が欲しいのは誰も同じ、 ということでしょう。

1階席で船の先端に行くか、2階席で頭上広々と行くか、 というのは、迷わず2階席にしました。 最後尾の中央ブロックの席がゲットできました。

行列はどんどん長くなり、飛び込みで来たらしい人は追い返されて諦めていました。 予約は正解だったようです。満員御礼になりました。

ここ1週間ほど曇り空で肌寒い日が続いて、朝も曇っていたのに、 なぜか出発の時刻になると晴れて日射しがやってきました。

さて、いよいよ出発です。メトロのバスチーユ駅のホームの下に、 謎のトンネルのような暗い空間があったのですが、 予想通り、そこに突入しました。

さて、ここから延々とトンネルです。これは写真でも伝わりきれないですし、 言葉でも無理です。パリに行ったら、是非、乗ってみて下さい、 としか言えません。 人工の明かりは一切なくて、ときどき天井から地上に穴が開いているのです。

長いトンネルを出てみると、ここからは延々と何度となく、 後のドアを閉めては水を入れて水位を上げて前のドアを開けて進む、 ということで上に上に進んでいきました。全部でたぶん、 標高差で20メートルぐらいは登ったと思います。 似た写真が多いのですが、喫水線は何十センチずつ上がっています。 周囲では見物人がたくさんいて、のんびりのんびりと進みました。 ところどころ、水路をまだく橋が動く場所もありました。

ということで運河クルーズを堪能して、メトロでいったんホテルに帰ってきました。 テレビをつけると「ジャポネーゼ、ノグシ」と連呼しています。 女子マラソンで野口選手が独走しているのですが、 コンサートに向かうために、後ろ髪を引かれつつ、残り20分と いうところ(マラソン開始からちょうど2時間)で、 19時にホテルを出ました。

会場に着くと、本番前の独特の緊張が漂っていました。 以下は、暗いですが、開場直後、20:20のホールの模様です。 本番中はもちろん写真はありません。どうせ暗くて何も写りません。

22:15ぐらいにコンサート1が終了して、参加者は会場近くのレストランを 貸しきりで日曜日なのに特別に開けてもらって、22:30頃から夕食会となりました。 以下はその模様です。パリに来て約1ヶ月、なんとこれが初めての コース料理(といってもこのお店は魚系)でした。 ワインもおいしかったです。

翌朝のリハーサルが朝イチなので、ちょっと早めにタクシーを 呼んでもらってでホテルに戻ったら25時でした。 マラソンの結果が判らないまま、そのまま爆睡。


2004年8月23日(月)

睡眠不足でも朝6時過ぎに起きました。 テレビで、野口選手の金メダルを確認して、 朝イチ09:00の順番であるリハーサルのために会場に行きました。 いきなりシステムのパラメータが異常になっていて正しく 動かない(^_^;)などのトラブルがあったのですが、 何とか30分ほど短くなったものの終了しました。

その後メトロでホテルに戻って、睡眠不足の ためカーテンを閉めて2時間ほどウトウトしました。 そして14時過ぎに起き出して、翌日の出発のために スーツケースにパッキングしてみて(何とか入った)、 また2時間ほどウトウトしました。 やはり疲れは溜っているようです。

そして17時過ぎ、再び気分一新でホテルからメトロで会場に向かい、 スーパーの買い出し夕食、そして直前リハ、本番、となりました。 以下はその一部です。自分の本番があるので、撮影もなんとなく程度です。

後藤さんと奥さんも来てくれて、コンサートも無事に終わりました。 参加者の大部分は撤収を手伝いつつ、この晩も打ち上げるらしかったのですが、 翌朝にオランダに向かうために、草々に帰りました。 帰途のメトロ、気付いてみればエッフェル塔は21時を過ぎるとライトアップしているの ですが、初めて見ました。メトロの窓からで流れていますがSONYでなくCASIOなので御容赦を。
ホテルに戻ると23時30分過ぎ。パッキングも終わっているので、 チラッとオリンピックTVを見て、24時過ぎにそのまま爆睡。


2004年8月24日(火)

疲れているのか、目覚めると珍しく6時半過ぎでした。 慌ててシャワーを浴びて、到着メイルをチタニウムに吸い上げると、 最後の朝食、そしてチェックアウトの精算をしました。 インターネットで予約した段階で1ヶ月分の宿泊費は全額、 カード引き落としされているので、ここで払うのは朝食と電話だけです。 朝食は計7回で35ユーロ、毎日かなりダイヤルアップした電話も、 約1ヶ月分で40ユーロほどで、全てでも83ユーロでした。 日本ならビジネスホテルの1泊分。これは優秀だと思います。

これが「タリス」という特急(パリからブリュッセルまでは、 もろ新幹線という感じで、その先はまぁ中央線とか四国の「特急」 ぐらい。「こまち」あたりというところでしょうか)のチケットです。

タクシーで「北駅」に行き、iPodでJapanese POPSなど聞きながら、 まったりと発車ホームの表示を待ちました。 最後のコは、僕がデジカメであちこち撮っているのを隣で興味シンシンに 見ていたので、本人を撮って、それを見せてあげたら大ウケ(^_^)。

以下、CASIOですので画質は不本意ですが、アムステルダムまでの スナップです。
ブリュッセルまでの列車を切り離すのも「こまち」みたいなものです。 「1等」を買ったので、これはどうも日本で言えばグリーンみたいなもので、 途中で二度もウェイターが食事を持ってきて、なんとビールでもワインでも タダ、というものでした。どうりで空いていたわけです。
といっても、スーツケース一式をデッキに置いているので、途中駅に停車するたびに、 デッキの近くに行って盗難チェックする(他にもそうしている人がいました)あたり、 なかなかフライトほど気が抜けません。

そして約4時間の予定がさりげに10分ほど遅れて(^_^;)、 無事にアムステルダムCS(中央駅)に着きました。 「地球の歩き方」によれば、この駅にはスリがうようよ、 さらにポリスかと思えば「偽ポリスの詐欺」も多い、 という凄いところらしいので、可能な限り全身に「警戒オーラ」を発しながら、 大小2つのスーツケースを引きずって、タクシー乗り場を目指しました。

駅前に出た時には雨の合間だったのですが、STEIMの前にタクシーが着いた時には 雷雨で凄い土砂降りで、そのままSTEIMの前でタクシーの中で15分ぐらい、 小やみになるのを待ちました。

ようやくスコールが小やみになったのでSTEIMに入りました。 とりあえず簡単に中を案内してもらったスナップです。 プリント基板のCADをやっている人がいたのはさすがです。

その後、隣の建物ですが反対側の通りに入口があり、 本来ならぐるっと外の道路を1本回ってきて入るところ、 外がすごい雨なので特別に反対側にある閉ざされた扉を開けてもらって、 ゲストハウスに行きました。 もともと最初はアムステルダムの安いホテルを予約していたのですが、 オランダからも補助を受けている研究機関ということで、 滞在研究者/音楽家のためのゲストハウスがあり、 それも離れていないで徒歩圏内、というのはさすがです。

・・・ただし実際には、3rd floorということは4階(ヨーロッパでは日本の 1階は「0階」なので)まで、凄く狭い急階段を、スーツケースをヒイヒイ言いながら 上げました。既に帰途が思いやられます。
そして部屋と言えば、鍵を渡されたベッドルームは広いのが取り柄ですが、 キッチンとトイレ/バス(シャワーのみ)とテレビは、 もう1部屋のゲストと共用、というものでした。 これでオリンピックの映像とはリンツまでサヨナラのようですが、 果たして9月1日までオリンピックはやっているのかなぁ。
僕はいつも出張先のホテルの部屋に入ると全裸でくつろぐので(パリでももちろん、 1ヶ月、ホテルの部屋に戻ったらまずシャワーでその後はしばし全裸)、 このオランダの1週間はくつろげない事になりました。 以下はその模様です。写真で綺麗に見えたとしたらそれは映像の魔術で、 僕の部屋の床には2つの洗面器が置かれていて、 ちょっと雨が降ると、延々と雨漏りの滴りを快調に受け止めています。 部屋の明かりも半分は灯きません。

しかし共用バストイレに洗濯機(乾燥ナシ全自動)を発見しました。 パリでは1ヶ月、洗面所のシンクで洗って絞って干していたので、 ちょっとラクかもしれません。
気を取り直して、STEIMに向かって、僕に割り当てられた、 STUDIO IIに行きました。

ここが、これから1週間滞在する、STEIMのスタジオです。 翌日の午前には、STEIMの全ソフト/システムの簡単なレクチャーを してもらって、全てを使い倒していきます。 ゲストハウスの電話は共用の携帯が置かれているだけなので、 メイル等は全て、STEIMでイーサネット経由となります。 パリよりはアクセスは低下することになりました。
部屋のG5Macには、STEIMの全ソフトを入れてもらいました。 2001年の欧州ツアーの作品で使ったのも、STEIMの"image/ine"でした。 これはとても楽しみです。

STEIMのスタジオで、朝にパリで受けたメイルの返信と、 その後に届いたメイルに対応したところで、受付でマップを受け取り、 とりあえずAmsterdamに慣れるための散歩に出ました。 最低限必要なことは、翌日からの食事の場所(安いところ)と、 ミネラルウォーターとワインとビールを仕入れることのできる キオスクかスーパー(日本のコンビニ相当)の確認です。
すると、すぐ近くに「Mini Supermarket」というアラブ系の店があり、 価格はけっこういい値段なのですが、とりあえず、 翌朝のバナナとか水とか、そしてワインと、 さらには「11.6%」というビール!! をゲットできました。 これで当面はなんとかなります。 いったんこれを部屋に持ち帰って置いて、再び出ました。

方向感覚も土地勘もない状態で「地球の歩き方」を読むと、 どうもアムステルダムというのはけっこう狭い、 ということでした。 そこで、何度も眼にしていた路面電車トラムに乗らずに、 とりあえず中央部の繁華街に向かってみました。 以下はその模様です。後日、またSONYでちゃんと撮ります。

そして、アムステルダムが第二の故郷である国立音大の莱さんが 「気をつけてね」と言い、「地球の歩き方」が 「平和ボケした日本人は近付くなら自己責任で」と言う、 怪しいゾーン「飾り窓地区」(公認売春、公認ドラッグの地域)も通過してみました。 というのも、MOTUS参加者の日本人の何人かがこのあたりの「通」らしくて、 ぜーんぜん平気だよ、日本だってTKとか黙認で皆んなやってんじゃん(^_^;)、 などと暴露してくれたためです。
アムステルダムでコーヒーを飲むのはカフェであり、 「コーヒーショップ」というのはなんか別のもの(各種ドラッグ)を出すらしいのは、 外から見た店の雰囲気でも判りました。だいたい昼間から店内が暗いし(^_^;)。 "ENERGY COFFEE SHOP" とか "マッシュルームshop" なんてのは日本では見たことありません。

そしてこれが、白昼堂々の「飾り窓」です。 赤い蛍光灯がそのサインらしくて、カーテンを覗くと、 中に下着姿の国籍不明のお姉さんがいたりするようです。 もっとたくさんこの部屋が並んで壮観なゾーンは、 怪しいお兄さんがウロウロしていて撮影困難でした。 いずれにしても夜には近付かないでしょう。

気付いてみると昼食をとっていなかったので(^_^;)、 18:30頃に中華料理レストランで豪勢に「牛肉炒麺」の夕食でした。

ホテルに戻ったのは20時頃でしたが、 11.6%ビールとともに前日からのデータを整理していたら23時を過ぎました。 同じフロアの(半)ルームメイトは、ICMCかNIMEで顔なじみの研究者とその彼女の ツイン、ということが判明して、けっこう気楽になりました。

そして寝ようかな、と思っていたら、なにやら共用スペースのテレビを 付けて見ている人の気配が(^_^;)。 これは国際交流だ、と行ってみると、上の階の、STEIMに滞在している研究者ということで、 ここからまたしばし、1時間ほどComputer Musicについての議論で盛り上がりました。 翌日にスタジオを訪問し合う、ということで部屋に戻ったら24時でした。 ・・・ということで、アムステルダムの到着日が終わりました。


2004年8月25日(水)

アムステルダム最初の朝は、前夜からずっと、 なんだか日本の梅雨どきのようなシトシト雨が続いていました。 部屋に置かれた2つの洗面器は、雨漏りを受け止めて、 快調に夜中ずっと音を立てていました。 どうもこれは天気がずっと悪い日のようなので、 おとなしくスタジオてお仕事に没頭して、天気が回復する週末にでも、 観光しようかな、という方針になりました。

朝9時前、まだ誰も来ていない時間に、 借りた鍵でドアを開けてSTEIMに入り、 渡された暗証番号で機械警備をOFFにしてスタジオの入口のドアの 鍵も開けて入りました。
写真もスクリーンショットもないのですが、朝10時になって、 STEIMのLiSaというソフトとJunXtionというソフトとハードについて簡単に説明を受けて、 あとはずっと6時間、色々と触っていました。

STEIMのスタジオでは、部屋のG5Macに挿さっているイーサネットケーブルを抜いて、 僕のPowerBookに差し換えて使っていますが、どうもSTEIMのネットは細いです。 朝は快調なのに、スタッフが出てくる10時になると異常に重くなり(^_^;)、 YAHOOなどへの接続がタイムアウトしたりします。 STEIMのサーバにあるデータをダウンロードするのにも、 調子がよくても10MBのダウンに数分かかり(^_^;)、こりゃダイヤルアップかいな、 と思うほどの遅さです。この影響もあってか、 どうもメイルを受け取っているブラウザがやや不調で、 改めてNetscape7.02をダウンロードしたりもしましたが、 半日頑張ったので、15時半頃にこの日の作業を終了、買い出しに出ることにしました。

外の見えないスタジオだったので、ドアを開けて外に出てみたら、 なんと雲の合間の晴天となっていて驚きました。 以下、まずは水路沿いに10分ほどの散歩で、 スーパーでトイレットペーパーとかビールを仕入れて、 ゲストハウスに戻るまでの風景です。

荷物の重さと階段のキツさにしばしめげて部屋で休憩し、17時過ぎに、 考えてみれば昼食もまだなので、中心部に出かけることにしました。 以下はゲストハウスのドアからトラムに初めて乗って、 有名な「ダム広場」までです。 天気がよくなったので、観光客がドッと繰り出したようです。

前日は雨が降っていて傘を手に歩いたのですが、 とりあえずレストランがいくつもある賑やかな場所に行こうと、 人のゾロゾロ歩くところに一緒について行きました。

すると、そういうつもりは決してなかったのですが(^_^;)、 またまた前日と同じ怪しいゾーンにたどり着いてしまいました。 アムステルダム中心部の繁華街は、どう彷徨ってもここに来る、 というように思えてなりません。
前日よりは視界が冷静になり、フト見つけたのは「コンドームのお店」です。 世界中で集めたモノを並べて展示していました。
路地を見上げるとこんな教会があるのに
真ん前にあるのはゲイのビデオ専門店。
アムステルダムにもあった、Erotic Musium。ただしパリと違うのは、 「Art」が入っていません。単なるEroEroでしたので入っていません。

お土産屋さんにも、妖しいものがたくさん並んでいます。 でも、女性へのお土産にこんな派手な紐パンツではシャレにならないだろうなぁ、 とか、そういうものばっかりです。どうも判断基準が異常になってくるので、 アムステルダムは要警戒です。

天気がいいからなのか、前日のコースは実は裏通りだったのか、 この日は「飾り窓」も全開で、いくつもの窓で中のお姉さんと目が合って しまいました。 そして飾り窓の館と交互に並ぶ世界各国の安レストランの中から、 またまたチャイニーズに入ってチャーハンを食べました。

結局、帰りにもトラムで楽をして、ゲストハウスに戻ってビールとワインで ゆっくりして、この日はまだまだ明るい20時過ぎにベッドに入りました。 19時頃には雷鳴とにわか雨があったようで、早めに出かけたのは 正解だったようです。


2004年8月26日(木)

24時頃にゲストハウスに戻ってきた連中がひとしきり共有スペースで飲み会?をしていた騒ぎで、 途中で夜中にチラと目覚めましたが、結局、この朝の起床は7時半過ぎで、 合計11時間以上の熟睡でした。 パリからアムステルダムへの移動に別に時差はないのですが、国と街が変わると、 どうも時差ボケというか、現地の空気に慣れるのに時間がかかるようです。 この朝になってようやく、十分な睡眠とともに、現地モードで元気になりました。

共有スペースに行ってみると、隅で寝ている人がいて驚きました(^_^;)が、 まぁSTEIMのゲストハウスにいるという事は関係者なので、 安心してシャワーを浴びて、ランドリーで洗濯をしました。 洗濯が終わるまで、スーパーで買ってきたインスタントコーヒーを飲みながら、 寝ている人のためにボリュームを絞ってBBCニュースを見て、 と一応くつろいだペースとなってきました。 オリンピックではトライアスロンの生中継をしていました。

STEIMのスタジオには9時30分頃に入りました。

途中で昼頃に、同じSTEIMの中からDirectorのダニエルからメイルがあり、 こんな (オリジナル) ページを作って、僕のレクチャーの案内が こんな (オリジナル) カンジに出来たよ、と知らされました。 まぁ軽いプレッシャーです。(^_^;)

ここで、前日からぼちぼち調べていたLiSaについて簡単にまとめてみます。 Computer Musicの部外者には不明・冗長なものですが、 関係者には何かの参考になるかもしれません。 ただし、既にLiSaを使っている人には釈迦に説法です。
STOCHOSは自分で鳴らした音をモニタすると同時にサウンドファイルに書き出す機能、 というものがありましたが(というかMSPなら簡単です)、 こちらは鳴らしたサウンドを記録できないので、画面だけです。 サウンドについては、STEIMのサイトからデモ版をダウンロードして下さい。

これ は、 前日に撮ったLiSaの画面例のスクリーンキャプチャですが、 また新しくゼロから始めてみました。
これ は、 新しいプリセットとしてLiSaを起動したところです。
これ は、 Sample Libraryウインドウを開いて、 サンプルとして入っていたサウンドファイルを並べたところです。
このファイルの中から適当に選んでStatusウインドウ内にドラッグドロップすると、 このように なって波形がメモリに取り込まれます。 この波形メモリを直接にMIDI制御でアクセスする、というのがLiSaの売りなので、 波形メモリにはインサートできず、ペーストのみとなる仕様です。
波形はこのような Sample Editorで拡大表示できます。このウインドウだけ例外的にリサイズできて、 他のウインドウは意固地に固定サイズです。
例外として、optionドラッグで既存のファイルの最後に、またctrl-optionドラッグで、 バッファ中の指定した場所に こんなふうに ペーストできます。ただしあくまでペーストであり、 インサート(既存のデータをどこかに移動してくれる)はナシです。
このSample Editorで、波形メモリのサウンドの任意の部分を指定して再生したり、 カットしたりするわけです。 機能はあくまでコピーペーストであり、データを移動してはくれません。 サウンドのレベルのノーマライズ、ここでのレコーディングなどもあるので、 サウンドファイルの編集に慣れた人であれば、 素材の準備は大抵のことができます。 これ は、 部分的に再生しているところです。 本来は再生部分を示す黒い縦線は垂直で移動していますが、 ここではキャプチャツールGrabのスキャンにより、斜めになっています。(^_^;)
この波形を このように MIDI入力のノートナンバに対応させれば、とりあえずマルチボイス・マルチティンバーの サンプラーとしてまずは動きますよ、という事です。

ここまででは単なるMIDIサンプラーですので、ここからがいよいよ面白い、 と思うのですが、この日は色々なサンプルサウンドに唸りながら、 15時になったので、作業はここまでとなりました。 この日は16時からSTEIMのオフィスで、LiSaのプログラマとのミーティング、 そして晩の20:30からはSTEIMのコンサート、という予定です。

いったんゲストハウスにパソコンを持ち帰って、と思って行ってみると、 なにやら入口でSTEIMのスタッフが。 どうも、入口の鍵が壊れたらしく、誰も入れないので鍵屋を呼んでいるらしい、 とのこと(^_^;)。
仕方なくスタジオに戻ってパソコンを置いて、ちょっと近くのカフェでコーヒーを一杯、 そして周囲の水路などを散策しました。 途中にCD屋があったので立ち寄って、Pink Floydのなにやら知らないアルバム(海賊版?)、 そして正体不明のCDを2枚、僕にしては初めてですが、ジャケ買いしてしまいました。 吉と出るか凶と出るか、帰国してのお楽しみとしました。

16時になったのでSTEIMに戻ると、鍵はとりあえず明日になんとかなる、 今日だけは入口のドアは押せば開くので部屋の鍵を閉めて寝るように、 とのことでした。
そしてLiSaのプログラマのフレディ?氏と約1時間、ミーティングをしました。 LiSaについて、2つほど大きなイジワル質問を用意したのですが、 いずれも「出来る」とのことで、関連して色々と有益な情報を得ました。 これはまた、翌日からのテストに追加です。

朝から17時前まで、食事はジュースとちょっとしたケーキとの昼食だけだったので、 さすがにお腹が鳴りました。晩のコンサートの後では食べに行けないので、 ここでゲストハウスに戻って荷物を置いて、街に出ました。 以下は、慣れてきたゲストハウス内から外に出るまでです。

北方向、市内中心部に行くとまたまたあの妖しいゾーンに行きそうだったので、 反対側、南方向にぼちぼち歩いてみました。

途中には「YOICHI」という他人とは思えないレストランがありました。

さらにずんずんと、国立ミュージアムの方向に歩いていきました。 そこら中が絵になります。

これは「ハイネケンビール・エクスペリエンス」です。 ただビールがあるそうなので、後日、行く予定です。

逆光で眩しい国立ミュージアムの前を通り過ぎて、 繁華街であるライツェ広場に向かいました。

ここらでさすがに空腹に耐えかねて、「ロサンゼルス・ステーキ」とかいう レストランに入りました。 成田を出てちょうど1ヶ月ですが、まともな肉料理というのは、 もしかすると初めてかもしれません。

満腹になり、またぼちぼちと街を歩いて、絵になる風景を楽しみました。 あまり人が写っていないように思えますが、これは撮影時にうまくフレームアウト させているのであって、実はそこかしこに観光客が歩き、 さらに市民と観光客の自転車が右往左往しています。

ゲストハウスに戻ってコーヒーを一杯飲んで、時間になったので 階段を降りてスグのSTEIMの(裏口)から会場に入りました。 そこまでの模様のムービーです。 QT MPEG4 Movie 4MB

ここはコンサートなどのイベントの時だけ、 STEIMイベントの正式な入口として開けるようです。 ちなみにコンサートのプログラムなどはありませんでしたので、 出演者も曲目も不明です。演奏さえあればいい、という事かなぁ。 STEIMのWebのNewsから、 「 On Thursday August 26th at 20.30h STEIM presents a concert with Peter Sinclair & GH Hovagimyan and with Joel Ryan & Keir Neuringer.」と後日、判明しました。 どこから嗅ぎ付けて来るのか、ちょっと怪しい人がたくさん。

最初のパフォーマンスは、ステージ上で2人が向かい合い、 一人がケータイの画面の「歌詞?」を朗読し、 もう一人がMax/MSPでリアルタイムにサンプリングしては、 多重に変容させながらこの声をあれこれプロセッシング、 というタイプの作品でした(素材はナマの声だけ)。 これは僕も1997年頃に作品「Mycoplasma」でやったもので、 最近のライブプロセッシングの作品の一つの流行です。 QT MPEG4 Movie 29.2MB

約35分の「演奏」が終わり(半分ぐらいで全てを出し尽くして、 後半は同じことだったのがちょっと残念)、休憩となりました。 怪しい人々が怪しく談笑していました。 QT MPEG4 Movie 1MB

そして後半です。開演前のシステムは暗くてよく見えません。

これが凄かったです。 やっている事は、アルトサックスのライブ即興演奏をMax/MSPでライブ サンプリングして多重に変容させながらあれこれプロセッシング、 というタイプの作品です。これまた最近の定番です。
しかし、楽器の生演奏がここまで惹き付けるものなのだ、という演奏でした。 ムービーで判るかどうか、最初と最後のそれぞれ10分間ほど、 アルトサックスの音はまったく途切れず鳴っています。 つまり、鼻で吸って口腔で溜めて吹いて、という「循環奏法」なのですが、 こんなロングバージョンというのは初めて体験しました。 そしてそのサウンドがなかなかいいカンジにプロセッシングされました。 これはお宝のムービーが撮れてしまいました。 QT MPEG4 Movie 8.6MB

思わず僕も「ブラボー」と叫んでしまいましたが、クラシックならともかく、 Computer Musicのコンサートでは初体験だったかもしれません。 予定になかったアンコールとなり、さらに別のサウンドも楽しめました。 QT MPEG4 Movie 2.4MB

予想外?に楽しめたライブが終わったのは22:30頃、 出口を出てスグ隣の入口から階段を上がって部屋に戻るまで1分。 ここから、ワインを楽しみながら、撮ったムービーを持参したHDDに バックアップ転送したり、「640*480、30fps」を「160*120、8fps」に 変換して書き出したり、という作業が終わったのは25時になりました。 なんせ、SANYOのこのスグレモノのビデオカメラ、512MBのSDカードに 35分ほど連続MPEG4録画が出来るのはいいのですが、そのサイズは 400MBほどになり、コンサートの前半と後半でそれぞれカードがほぼ一杯に なったので、この転送だけで相当な時間になりました。


2004年8月27日(金)

前夜は夜更かししたにもかかわらず、その前にタップリと寝たおかげで、 7時過ぎには起床しました。 ところがどうも、PowerBookに異変が(^_^;)。 充電インジケータが「満タン」を示さなくなったので、 パリに来てから、バッテリをゼロまで放電させては充電、 として快調に復活していたのですが、突然に、 充電しなくなりました。残量表示はゼロで、 ACアダプタによる供給でのみ動きます。 ゲストハウスの鍵もどうなったのか不明です。 なんだかこの日は不安なスタートです。

とりあえず朝9時前にスタジオに行って、Appleのサイトのトラブルシューティング などを調べてみましたが、見つかりません。そうしているうちに、何故かNetscapeが クラッシュしたり(^_^;)、スタジオ内のG5Macに繋ぎ替えると快調なネットの アクセスも、どうもPowserBookでは切れたりして不調です。。 ここでPowerBookが壊れると、月曜日のレクチャーとかも駄目になり、 さらには毎日のメイルも読めなくなります。この日の空と同じように、 暗雲が漂ってきました。

Appleのサイトの情報ではACアダプタの異常とも書いてありましたが、 他のスタジオにいた研究者のACアダプタでテストしても同じでした。 このPowerBookは、今年になって新しいバッテリに替えたばかりなのですが、 どうも不安です。 なんだかんだと4-5時間も、いろいろ無為に格闘しました。 さっさと諦めて切り替えが出来ないのは、自分の不調の証明でもあります。

結局、STEIMのソフトの調査も、教わったフリーのツールを ダウンロードしたもののインストールできず(パスワードを 知らないので(^_^;))、実質的にはこの日の作業はゼロでした。 STEIMの休みは金曜日・土曜日・日曜日の週3日なので、 鍵をもらって放っておかれるのは気楽ですが、こういう時には困ります。
仕方ないので、音楽情報科学研究会の11月研究会の案内を見て、 旅程と時刻表調べなどをしていました。オランダ語のMacでも、 Safariでちゃんと日本語ページが見えるのは新鮮です。 ただし、駅名にキーボードで「浜松」とか入力するのは不可能なので、 「浜松」の登場するページをリンクから捜してコピペしました。

14時を過ぎて、天候も機械も体調もこういう不調な時にはやめた方がいい、 とようやく諦めてゲストハウスに戻りました。 一日中、冷たい雨が降り続いているようで、道を歩く人の姿は、 革ジャンだったりダウンジャケットばかりでした。 扉の鍵は取り付いていて、スタッフの言ったように、これまでの鍵が そのまま使えました。これでとりあえず不安は一件落着です。

15時過ぎになりましたが、この雨の中で観光もないし、 なんとなくパソコンの不調が伝染して眠くて体調もイマイチなので、 すぐ近くにあるインドネシアのグリル(たぶんChinese)に飛び込みました。 ところがこれがヒットで、チャーハンの上に1枚のハムが乗り、 横に目玉焼きがある、というセットを発見。日本を出てからほとんど 卵を食べていなかった卵好きの僕としては、メニューの写真には 1つしかない目玉を2つに注文して食べました。堪能。

この日の写真はこれ1枚だけです。雨なのでそのままゲストハウスに戻って、 コーヒーでも飲んでテレビでも見よう、と決めました。 ついでにこの日は休肝日、とも決めました。 これは成田を出てからたぶん計4日目の休肝日で、 他は毎日飲んでいる事になります(^_^;)。 近所のミニスーパーでバナナとパンを買い、ヘタして寝てしまってもなんとかなる 準備をしました。
案の定、コーヒーをすすってテレビを見ましたが面白くなく、 部屋に戻ってベッドに入りました。 どうもゲストハウスはこの8日間、いっさいベッドメイキングも何もない、 という模様で、自分で布団を裏返しにしたりしています。 ・・・なんと、16:30なのに寝てしまいました。

そして、19時過ぎに目覚めました。 やはり、何事も睡眠不足が原因のようで、だいぶスッキリしました。 外はあいかわらずのシトシト雨なので外出はやめて、 部屋のPowerBookにHDDを取り付け、万一に備えてデータの バックアップをしました。パりのMOTUSのために買ったCDRが4枚ほど 残っていたので、ここまでの記録データを700MBほぼ満タンの4枚のCDRに しました。
さらに、こうなるとこの土日はSTEIMの調査は進まないので、 月曜日のレクチャーの準備をしようと、HDDに入れて持って来た、 ASL [nagasm.org]のコンテンツ(現在、14118ファイル3.38GB)の中から、 レクチャーのテーマに関係しそうな過去の学会発表等の資料を PowerBookにコピーしました。これがおよそ40件180MB。 あと、東野さんの笙ブレスセンサを紹介する関係で、 [nagasm.org/1106]のコンテンツ(現在、41881ファイル2.99GB)の中から、 「靄夜」もコピーしましたがこれが約170MB。 以上の中には過去に海外で講演した英語のものも4件あるので、 こいつらを適当に組み合わせればなんとかなる、 という作戦です。

22時半あたりに作業は完了して、スーツケースに入れてきていた センサMiniBioMuse-IIIも机の上に出して、あとはSTEIMのスタジオでの準備だ、 となりました。 ところが作業の合間に連続して2杯のコーヒーを飲んだためか、 ベッドに入ってもあれこれ妄想しつつ眠れず、 結局、寝入ったのは25時よりも26時に近い時間でした。 まぁ、昼寝もしたし、眠っていなくても横になっていることで、 だいぶいい休息となりました。 窓の外ではまだまだ雨がシトシト降っていましたが、 部屋に雨漏りするほど激しい雨ではありませんでした。


2004年8月28日(土)

起床は7時。まだ暗い時間なのにどうもカーテンの外が明るいな、 と思って見てみると、なんと雲一つない好天、快晴です。 オランダに来て初めての好天で、週末に天気がよくなる、 というテレビの予報は当たったようです。 これはもう、STEIMでの仕事をサッサとやっつけて、アムステルダムで 初めての「観光」しかありません。 ちょうど土日、そういえば先週の土日はMOTUSのコンサート前で どたばたしていました。ぼちぼちサバティカル8週間のうち5週間が 終わる、という時期です。この土日は天気に合わせて「お休み」です。

スタジオに8時過ぎに入って、メイルのチェック、プレゼンの下準備などを したところで、11時前には早々に作業終了としました。 快晴でなく雲もところどころ出て来ましたが、暑くも寒くもない爽快な秋の気配、 というカンジです。 ゲストハウスに戻って身軽になって、出たところです。

トラムを待つ間です。パリのメトロに続いて、 アムステルダムのトラムもなんとかなってきました。

とりあえず中央駅CSに行きました。 好天に導かれて、すごい観光客です。

まずトラムのチケットセンターに行き、2日(48時間)有効の乗り放題チケットを 買いました。 そこを出たところに、運河クルーズの会社のオフィスがあり、 「ミュージアムボート」というチケットを買いました。 これは市内7箇所の名所を巡る観光ボートで、一日中何度でも 乗り降りできて、さらに多くのミュージアムのチケットが 割引きになる、というものです。 船乗り場に行ってみるとまだ40分ぐらいあったので、 カフェテラスでコーヒー一杯、そしてのんびりと船を待ちました。 だいぶヨーロッパ的にのんびり出来てきたのですが、 これで日本に戻って大丈夫かなぁ。

ようやくミュージアムボートがやって来ました。 7箇所のうち、目玉は国立ミュージアムとゴッホ美術館のある6番エリアなので、 そこまではボートクルーズということで、これまでと違う水面からの視点で たくさん写真を撮りました。

1時間ほどで5つの船乗り場を経て、ようやく国立ミュージアムの前の6番停留所に着きました。 とりあえずは割引きチケットの恩恵を得るために、ここに入ることにしました。 正面は工事中で入口はぐるっと回った裏でした。

最初に入った1階(0階)のフロアには、No PhotoともNo Flashとも掲示されていなくて、 誰もカメラを構えていないので遠慮していたのですが、上のフロアに上がると 待望の「No Flash」というのを見つけました。 これで安心して撮りまくり、あとで再び1階に下りてまた撮りました。 たしかに、美術の教科書に載っていて見覚えのある「本物」は凄かったです。 ・・・しかし、パリでルーブルとかオルセーに圧倒されてきた後というのは酷で、 これでオランダ国立ミュージアムかぁ(^_^;)、という淋しさでした。 これだけ日本にあれば凄いんですけど。 写真もなんか気抜けして、ところどころのつまみ食い程度です。

国立ミュージアムを出てみると、なにやら凄い人だかりです。 ここのミュージアム広場では、どうもなんとかマーケットとかいうイベントを していて、市民も観光客もたくさん来ています。 何ケ所かに野外ステージがあってライブをして、 フリーマーケットみたいなものも出て、そこに屋台とかお土産屋なども ある、というお祭りでした。ようやくちょうど天気もよくなって、 皆んなウサ晴らしのように楽しんでいました。

朝イチでバナナ2本の朝食だったのですが、 ここでサンドイッチとコーヒーで昼食です。

そして、隣にあるヴァン・ゴッホ・ミュージアムに向かいました。

このミュージアムは写真禁止だったので何もありません。 ゴッホの本物の迫力は凄いです。 遠くから見て唸り、間近に近付いてその鬼気迫るタッチにまた唸り、 また遠くからみて、ということで。 ・・・しかし、建物は凄いのですが、ゴッホの作品はたった1フロアだけ、 あとの2フロアは関係ない現代の作品など、そして地下の企画展はモネでした。 フランスのあとでオランダで美術館巡りというのは酷だなぁ、と痛感しました。
「地球の歩き方」によれば、この隣に「市立近代美術館」がある、と書いてあったのですが、 行ってみると「移転しました」でした(^_^;)。 仕方ないので、広場をあちこち眺めながら船乗り場に戻りました。 皆んな、芝生に座っているように見えますが、前日までの雨で濡れています。

10分ほど待って、やってきたミュージアムボートに再び乗り込みました。

行きの船でも一緒だったのですが、この男性のピアスが気になりました。 こういうピアスのパンク/スキンヘッドな男性はアムステルダムによく似合います。

ボートはさらにずんずん進みます。

下船しませんでしたが、7番は「アンネ・フランクの家」です。 おばさんがポーズしている建物です。

ボートはさらにずんずん進み、いったんCSの裏、つまり外海に一瞬でて、 出発地に戻ってきました。

ここからCS駅前に出て、トラベラーズチェックを両替するのに繁華街に出ました。

いい風景だなぁ、と歩いていると、なにやら正面に(^_^;)。

そう、またあのゾーンに来てしまいました。どうやってもここに来るように 出来ているとしか思えません。 気分を変えて、「旧教会」に行きました。

敬虔ないいカンジだったのですが、既に16:45だったので、 「17時までだから駄目」と言われて入れませんでした。 そして外に出ればこれです。
この妖しいゾーンをボートクルーズしている人もいます。

結局、ちらほらウロウロして、再びCSに戻って、 トラムでゲストハウスに帰りました。

夕食は前日に続いて、インドネシアのグリルで目玉焼きと巨大な春巻きを食べました。 この店ではお酒を出さないので、部屋に戻って、冷蔵庫に買い置きしていたビールを 飲みながら、ここまで写真を整理していたら21時過ぎになりました。 まだまだ外は明るいのですが、ぼちぼち寝て、翌日に備えることにしました。 トラムの中の電光掲示では、この日は晴れでしたが、日曜日と月曜日は 曇りと雨、とありました。傘をさしても行ける場所を外して、 この日にボートに乗ったのは、正解となるでしょうか。

・・・ところが、ベッドに横になって明かりを消してさぁ寝よう、と思ったら、 なにやら虫の羽音が(^_^;)。 最初は蝿だと思ったので、別に蝿が飛び回っても何も困らない、 と無視していたのですが、顔の近くに来て判ったのは、けっこう大きな「蚊」でした。 蝿と間違うぐらいごつい蚊に刺されたら困ります。 慌てて明かりを付けて、手にはタオルを持って叩き落とす体制でじっと待つ、 という睨み合いの時間になりました。これでは寝れません。
撃墜に成功したか、と静かになってもしばらくしたらまた復活、 という繰り返しで、1時間以上も悶々としました。 結局、判ったのは、何故かこの蚊は明かりを付けているとどこかに潜んで 出てこなくなる、という事で、明るくしたまま、23時頃にようやく寝ました。 アムステルダムの運河にはボートハウスという、船で暮らす人もいるのですが、 蚊だけは難儀しているそうです。僕の部屋はまだ4階なので、あまり来なかった ようです。


2004年8月29日(日)

朝7時に起床、窓の外は遠くに少し雲があるものの、上空はまたまた好天です。 シャワーを浴び、スタジオには8時前に入りました。ぼちぼち「朝型」の全開です。 以下はゲストハウスを出てからスタジオ入りまでの模様です。

レクチャーのプレゼンのためのHTMLと大体の資料を用意したところで、 12時にこの日の作業を終了して、いったんゲストハウスに戻りました。

共用の部屋では、起きてきた他の宿泊者(STEIMのゲスト)が、 くつろいでテレビを見ていました。

彼等はこれからスタジオですが、僕は身軽になって、出かけました。 ちょっと雲が出て来ました。

トラムでとりあえず、ダム広場に行きました。 王宮の裏側のトラム1番に乗り換えるためです。 かなりの人が出ていました。

1番で行きたかったのは、フォンデル公園の端にある「フィルム博物館」です。 もう、トラムの地図で乗り換えて目的地に行くのもばっちりです。

無事にフィルム博物館を発見して入りましたが、なんとこの日は15時から映画の上映があり、 博物館もその時間にならないと開けない、とのことでした。 まだだいぶ時間があったので、見学を諦めて、みちみち撮りつつトラムに戻りました。

そしてトラムで、とりあえず昼食のためにライツェ広場に向かいました。 ここで入ったのは、グリルでなくちゃんとした中華料理のレストランです。 王将にも負けない半端ではない量の野菜を、たっぷり取ることができました。

満腹になったところで、ライツェ広場の喧噪を楽しみました。 人だかりしている中でやっていた大道芸ですが、 アムステルダムらしい卑猥なギャグを語りつつの、 ジャグリング(お手玉)です。 ただし普通のジャグリングではなくて、投げている3つは、 (1)林檎、(2)剣、そして(3)回っているエンジンチェーンソー(^_^;)、 というものでした。凄い。

なかなか凄い大道芸を見たところで、トラムで次の場所に移動しました。

そう、「地球の歩き方」でも紹介していた、ハイネケン・エクスペリエンスです。 何を体験するのか、とりあえず入ってみましたが、これがなかなかのヒットでした。 いちいち詳しく書きませんが、アムステルダムに行ったらぜひどうぞ。 ビールが3杯までタダなのですが、僕は昼食でもハイネケンだったので、 2杯でガブガブになりました。

盛り沢山のハイネケンをまさに体験・堪能したところで、 ビールも回って疲れてきたので、いったんゲストハウスに戻って、 1時間ほどコーヒーをすすってテレビを見て休憩しました。 そして16時になったので、この日のもう一つの目的地に向けて、 再びトラムで出かけました。 またダム広場に行き、遂に「王宮」に入りました。

王宮の入場は16:50までなのであと30分だが構わないか、 と言うので、OKだがディスカウントは無いのか、と聞くと駄目でした。 しかし、これまたなかなか凄い、さすが現役の迎賓館でした。

ハイネケンに続いてヒットの王宮を後にして、 王宮のすぐ裏にあるマグナプラザというショッピングセンターに入りました。 パリでは「フランスらしい」というお土産がなかなか見つからなかったので、 ここで「オランダらしい」お土産を仕入れよう、という作戦です。

中をぐるっと回った末に、入口スグのところにあった普通のお土産屋さんの 「all -20%」に反応して、無事にお土産を仕入れることができました。 外に出てみると、ポツポツと小雨模様だったので、カメラを仕舞って傘を出したので、 写真はここまでです。

このあと、カフェのコーヒーで休憩をして、トラムで帰って、 いつものインドネシアのグリルで、この日はテイクアウトとしました。 19時過ぎにゲストハウスに戻ると、あの3人はまたテレビを見ていました。 その横で、本日5本目となるハイネケン(^_^;)とともに夕食、 オリンピックの男子マラソンのゴールのライブを見ながら洗濯、 その後にこのデータ整理などしていたら21時過ぎになりました。 前夜は蚊のためにやや睡眠不足となりましたが、 いよいよ翌日の晩にはレクチャー、そしてパフォーマンスの準備はまだこれからという事で、 さっさと寝ました。


2004年8月30日(月)

この日は激動の日となりました。 まず、懸案のバッテリですが、STEIMのスタッフのチタニウムとバッテリを交換して 実験したことで、ACアダプタにもPowerBook本体にも問題がなく、 バッテリが不調(僕のOS9.2.2では充電できず、OSXでは32%までで充電が停止)、 と判明しました。2ヶ月ぐらい前に買ったばかりなのですが、 この不調では困ります。 なんとSTEIMから徒歩5分ぐらいのところにMacショップがある、 ということで、電話で在庫を確認してもらって、さっそく買いに行きました。 そして、無事に、本来の元気な状態に復活しました。

そして、午後には先週にコンサートを行った「スタジオIII」で、 レクチャーの準備をしました。

準備ができたので、ときおり小雨がパラつく肌寒い街をレンブラント広場まで 散歩して、シーフードのレストランで夕食をとりました。 STEIMに戻ってみると、表玄関は閉鎖されていて、 「ナガシマのレクチャーは裏側に回れ」と張り紙がしてありました。 前週のコンサートと同じです。

そしてここからは僕はレクチャーなので、 撮影はSTEIMのスタッフに預けたカメラです。

ここでちょっとインターミッションが入りました。

そして最後に、「センサを付ける」というデモを 含めて、パフォーマンスで締めくくりました。 QT MPEG4 Movie 3.5MB

なかなかに好評のうちにレクチャーが終了しました。22時半。 その後、僕のセンサと同じぐらい人気だったのは、SANYOのビデオカメラと、 今では幻の、YAMAHAミブリのセンサでした。

機材を持って部屋に戻ると23時半、そこからデータ整理をしていたら 25時を過ぎました。まぁ翌日はSTEIMの最後のリサーチとともに、 半分は最終観光日ですので、寝坊もOKです。


2004年8月31日(火)

前夜はレクチャー成功の余韻の興奮もあってか、寝付いたのは26時過ぎでした。 夜中にはあいかわらず、にわか雨があり、たまに強いと雨漏りしました。 そしてこの日の朝の起床は10時前になりました。 明け方もシトシトしていたのですが、雲の合間からは気持ちいい日射しが 射し込んできます。ただし、晴れているのにパラパラと雨が降ります。

前日ようやくスタッフによってインストールしてもらった、 フリーウェアのサウンドキャプチャツールを使ってのスタジオ作業は、 この日だけは午後にしました。 翌日はリンツに向けて旅立つので、メイルのアクセスはこの日の 午前でなく、夕方ぎりぎりにして、空白期間を短縮するためです。 そこで、バナナとコーヒーの朝食でくつろいだあとで、 11時過ぎに、アムステルダム最後の観光に出かけました。
・・・といっても、「地球の歩き方」もだいたい眺めましたが、 もう行くところは2つぐらいしかありません。いずれも、日曜日に 行こうとしたら、あるいは行ってみたら「日曜日だけ休み」だった ところです。

まずは、ゲストハウスから運河沿いに歩いていける距離の、 市役所の横の広場で毎日開かれている「蚤の市」です。 けっこう肌寒くなり、遂にこの日は秋物の厚手のシャツにベスト、 という格好で出かけた、道々の風景です。

そして「蚤の市」にやってきました。少しだけ、お土産を仕入れました。

ここでどうも空模様が怪しくなり、メトロの駅を通り過ぎたところで 、 ポツポツと雨が降り出しました。 時間は既に午後になっていましたので、もう一つの目的地 (ライツェ広場にある、オランダ女性の手作り工芸品屋)をパスして、 ゲストハウスに帰りました。 雨なのでカメラを仕舞ったので写真はありません。

12時半ごろから夕方まで、STEIMのスタジオでの最後のお勉強となりました。 具体的には、LiSaのサンプルとして置かれていたパッチ?を呼び出し、 インストールしたフリーのツールWireTapを使って、 そのサウンドをレコーディングした、というものです。 なかなかうくま撮れなくて苦労しました。

[001] これは、「Glass and Waves」というタイトルのサンプルです。 画面  サウンド

[002] これは、「Ambient」というタイトルのサンプルです。 画面  サウンド

[003] これは、「Beuken」というタイトルのサンプルです。 画面  サウンド

[004] これは、「Bells and Bottles」というタイトルのサンプルです。 画面  サウンド

[005] これは、「Analog」というタイトルのサンプルです。 画面  サウンド

要するにLiSaというのは、そのサウンドはウェーブメモリとして読み込む サウンドファイルに依存するので、要となるのはMIDI入力のパラメータとの マッピングと、多重チャンネルの軽快な再生機構、ということになるようです。 クラブなどでのライブで、その場でサンプリングした音、刻々とサンプリングする 音をDJっぽくライブ生成するには適したツールであると思います。

ここでメイルをチェックしたり、翌日のフライトのリコンファームとか タクシーの手配など、そしてリンツのIAMASの人にメイルなどをしていましたが、 とんでもないミスを発見しました。 リンツのホテルの予約ですが、勘違いで1泊少なかったのでした(^_^;)。 慌ててオーストリアに国際電話して(どうせ持っているレンタル携帯は、 滞在国内でもどこにかけても全て国際電話です)、なんとか追加1泊を確認しました。 アルスエレクトロニカのIAMAS御一行様も同じホテルとかで、 これでとりあえず一安心です。

スタジオの鍵を返却してSTEIMを出たのは17時過ぎ、アムステルダム最後の夕食は、 トラムでダム広場に出かけて、チベットレストランに入りました。 そういえば何度となくお世話になった近所のグリルは、 実はインドネシアではなくてウズベキスタンかどこかである、 とも判明しました。中国内陸部の人がやっていました。 メニューは「シェフのお勧め」ホイコーロ、というのを頼んだのですが、 出て来たのは、どう見ても日本のジンギスカンです。いずれにしても 凄い量を堪能しました。

ゲストハウスに19時半頃に戻り、あとはワインをちびちび、 そして翌日に備えてパッキングをして、早めに寝ました。


2004年9月1日(水)

アムステルダムに到着した日は散々な天気でしたが、 出発の日はいい天気になりました。 朝6時に起床してシャワーを浴び、コーヒーを飲みながらテレビの ニュースを見て、初日にはいやー困ったなぁ、という印象だった ゲストハウスを、「住めば都」でなごり惜しく撮りました。

07:50になったので荷物を下ろして、ゲストハウスを出ました。

タクシーは予約通りに07:55に来ました。 空港では、ANAのスターアライアンスグループであるルフトハンザで、 自動チェックインをしてドロップカウンターでサッサと荷物を預けました。

ターミナルのカフェでの朝食です。

すぐ外に展望コーナーがあったので出てみました。 雲一つない好天です。

最近はセキュリティチェックがかかる場合があるので、 早めに出国ゲートに向かいました。

意外とアッサリと通過して、出発ゲートを目指します。 空港内なのにカジノもありました。 けっこう遠かったです。

ようやくB15ゲートを発見、余裕でコーヒーです。

搭乗時刻になったのでゲートに行ってみると、 まったく動きがありません。 なんせ、乗る筈の飛行機が搭乗時刻には到着していませんでした(^_^;)。

毎度のことなのか誰も慌てず、やがて20分遅れぐらいで乗り込めました。

飛ばして約45分のフライトで、フランクフルトに着きました。 この空港は超デカイのですが、いやー、乗り換えの道のりは長かったです。 到着機が25分遅れても、タイムテーブルで1時間の乗り継ぎ機は関係なく 出発します。20分ぐらい必死に歩いてゲートに到着したら、もう大部分の人が搭乗口に 入っていました。

ゲートインしてみると、先に入った人も皆んなバスで待っていました。 こりゃおそらく飛行機は小さいかな、と思うと、案の定でした。

どうせ機内で窓から写真を撮ってもあとから見るとロクなものは撮れていない、 という経験則があるものの、つい撮ってしまいました。

予定通りにリンツ空港に到着しました。 他に到着の予定がしばらくないらしく、ターミナルの正面に飛行機が乗り付けて、 乗客はテクテクとターミナルに歩いていきました。

タクシーで10数分でホテルに着きました。 いいカンジの部屋です。

ここで荷ほどきをして、とりあえずインターネット事前予約した、 アルスエレクトロニカ・フル参加チケットを受け取りに、 アルスエレクトロニカセンターに行ってみることにしました。 前日のメイルに対してIAMASの事務局の人からのFAXも届いていて、 さらに、展示前日で追い込んでいる筈のIAMASの現場も 見てみたい、という事です。 CASIOからSONYに持ち替えて、まずはホテルをちらっと撮って出発しました。

まだ土地勘がない初めてのリンツ探検なので、 メトロの地下駅に行って、メトロに乗って、橋を渡って、 という部分の写真はありません。いきなり、アルスエレクトロニカセンターです。

無事にチケットを買いました。期間中、フェスティバルだけでなく、 全ての(常設)展示もコンサートもカンファレンスも参加OKというものです。 そして建物を出て、橋を渡ってハウプト広場に戻り、FAXでもらった IAMASの展示会場を捜すことにしました。 オランダとはまったく違う風景でした。

そして、このあたりかなぁ・・とフト覗き込んだところに 「IAMAS」の文字が。

さらに、この場所でカメラを左に振ったら、たまたまなのですが、 タケコ姫とばったり出会いました。新婚の赤松武子さんです(^_^)。

・・・ということで、難なくIAMAS展示会場を発見し、タケコさんの案内で、 まずは赤松さんから、そしてインスタまで、こっそりと視察させていただきました。 IAMASからは総勢90人ぐらいが来ているそうで、多数のコンピュータも プロジェクタ等も全て、日本からの持ち込みらしいです。 翌日の夕方には展示開始ということらしいのですが、 これではどうも徹夜だなぁ・・という修羅場となっていました。

最後に再び、赤松さんたちの作業場を覗きました。 赤松さんたちのライブは2日とも23:30スタート、 そのあとのライブは2日とも26:00スタートだ そうで、既にヨーロッパ滞在5週間で、完全に こちらの時間で「朝6時起き、21時就寝」に なった僕がどうやって聞くのかなぁ、 と悩むところです。

殺気立って準備を進めているIAMASの現場見学はこのあたりで退散して、 ようやくリンツ市内の風景にカメラを向けました。 アルスエレクトロニカフェスティバルは市内のあちこちでの ライブとかパフォーマンスもあるようで、会場の設置もしていました。

ここで気付いたのですが、アムステルダムから着てきた厚手のシャツは、 どうもこの好天のリンツでは暑いぞ、ということで、あれこれ受け取ったパンフも邪魔なので、 いったんトラムでホテルに帰りました。どうせ一日チケットなので何度でもOKです。 約1時間の後に、さらに身軽になって、今度はトラムから撮りながら歩きました。

このあと、スーパーでとりあえずの水(こちらはガス有りばかりでちょっと参った)、 ワイン、ビール、パンなどを仕入れてホテルに帰りました。初日の夕食はパンとチーズと ワインです。 ホテルの部屋からダイヤルアップしようとしたら色々とトラブルで繋がらなくて焦りましたが、 なんとか解決して、無事にメイルもチェックしました。9月になったら途端に日本からの メイルが増えてきました。 洗濯をして、デジカメ2台からデータを移動して整理していたら、 また23時過ぎになりました。 翌朝からは、これまでのように他の人がシャワーを使っていないかな、 とか気を使うことなく、さらに個室内を半裸でウロウロできます。 くつろげます。(^_^;)


2004年9月2日(木)

前夜は夜更かしなのに、やはり朝6時には目が覚めました。 これから連日、夜が遅いので、夜型にできるかどうか、 無理にベッドに入ってウトウト、そしてチラと目覚めてはまだ早い、 というのを繰り返して、なんとか9:30に起床しました。

髭を剃ってシャワーを浴びて洗濯物を畳んでメイルをチェックして ホテルを出たのは10:30になりました。11時には最初のイベントがある のですが。
トラムに乗ってハウプト広場に行き、会場に向かって歩きました。

ここが、会場の一つ、 Lentosという美術館です。

まだ展示時間前なのですが、既に始まっていました。

会場に入ってみると、けっこうな人で埋まっていました。

ここから、「デジタル・アバンギャルド - メディアアートのフォーラム」 というのが始まりました。過去にアルスエレクトロニカで受賞してさらに 活躍している人を講師に、作品紹介を含めていろいろ語ってもらう、 というものです。これはOpeningイベントで、この日の午後から始まる展示の セッションのお披露目ということです。

休憩時間になっても、参加者は展示を触り倒します。

そしてセッションが再開しました。 僕もNetscapeでプレゼンする少数派ですが、 イラストレータを使ってのプレゼンは初めて見ました。

フォーラムが終わりました。 外には、別の企画展示の「PUSH/PULL」という作品がありました。 2台のホバークラフトの片方を押したり引いたりすると、 その移動情報をMax/MSPで処理して、もう一方のホバークラフトが 同じように動く、という体験型のインスタですが、 うまく動いていませんでした(^_^;)。

そして、偉いさんのスピーチのあるOpening儀式があって、 その後に「デジタル・アバンギャルド」展示に皆んながゾロゾロと行きました。 過去に受賞した作品から6作品が展示されました。

この会場を後にして、ドナウ川の橋を渡って、アルスエレクトロニカセンターに 行きました。予約の必要なライブの申し込みと、センターでの特別展示・常設展示を 体験するためです。 地下の会場では、ネット系の受賞作品の展示も行われていました。

センターのフォーラム会場では、ネット関係のカンファレンスが行われて いましたが、ここはパスしてチラッとだけ覗きました。

ここからは、アルスエレクトロセンターの常設展示のフロアですが、 この週は特別にPrix受賞作品がいくつも展示されていました。 一部はカタログにあるのに展示されていなかったようで残念です。

ここで腹が減ったので、橋を渡ってハウプト広場のちょっと 入ったところのレストランに入りました。 午後3時で誰もいない中庭のテーブルで、 パスタを食べましたがこれがなかなかのヒットでした。

腹ごしらえもできたので、 徒歩スグの、IAMASの展示会場のOpeningに向かいました。 凄い多数の関係者がうろうろしていました。

Opening当日となり、なんとなくフライングした参加者が覗き込んでいるので、 どさくさに紛れて入り込んでちょっと撮りました。 三輪さんもいました。

ここで、16:00開始のOpeningに合わせてなにやらパフォーマンスがある、 という話を聞き付けて、慌てて外に出ました。 なんだか不思議なマーチングバンドのパフォーマンスがありました。

何だか訳の判らないパフォーマンスに続いて、IAMASの展示に関する、 フォーマルなOpeningがありました。

Openingの最後には、なんとここまで来て日本酒が振舞われてびっくりしましたが、 展示公開となり、ザッと回りました。

あのブラスバンドが、今度は広場で本番のパフォーマンスをする、 という噂が駆け巡り、慌てて会場から出て追い掛けました。 以下、その不思議な公演の模様です。 音ナシではなんのこっちゃら判りませんので、 多数の関係者が記録していたIAMASに打診して下さい。

よく訳の判らないコンサートが終わると、別の企画の17:00スタートの Openingを既に過ぎていたのでパスして、次に17:30からOpeningがある、 というJohannes Deutshch氏の展示会場に向かいました。 ただし状況の詳細は不明ですが、どうも地元の作家がComputerを使って制作した 作品の展示を、フェスティバルに合わせて(無理に)入れ込んだのか、 集まったのはちょぼちょぼでした。 そして他のOpeningは英語だったのに、これは地元のドイツ語?だったので、 なんだか疲れただけになりました。この作品は来年2005年1月末まで、 この図書館に展示されています。

次にあるのは、18:30Openingスタートという、CyberArts2004、 つまり今年のアルスエレクトロニカ2004の受賞作品展、 といういわばメインイベントです。たまたま今年は25周年ということで、 過去の受賞作品も並んでいるので霞んでしまうのですが、 例年であれば基本的にはこれだけ、というものです。 至近にある「OKセンター」という場所でした。 他に立ち寄る場所もないので、ちょっと早めに入ってくつろいで待機しました。

やがて次第にお客がやってきて、盛大なOpeningセレモニーと なりました。参加者は英語でない現地の偉いさんのスピーチになると、 ザワザワして勝手に飲んで話していました(^_^;)。

まだまだパーティーは盛り上がっていましたが、 もう全身が「しんどい」と言っていたので、 20:30からシャトルバスで山の上に行って24:00まで続くらしい DJライブコンサートは残念ながらパスして、帰ることにしました。 エレベータで降りると、本当であれば翌日から始まる筈の展示がもう スタートしていて、いくつか見ることができました。

ということでOKセンターを後にしました。ここはまた来ます。

スーパーで何か仕入れて帰ろうと思ったら、もう19:30過ぎでスーパーは閉まってました。 仕方なく、おとなしくトラムで20:00過ぎにホテルに帰りました。 夕食は前日に仕入れたプリングルスとワインでした。 テレビのニュースは繰り返しロシアの学校の事件、そして天気予報では、 日曜日あたりに雨模様のようで、アルスエレクトロニカのプログラムを 詳細に検討して、明日の前半はリンツ観光と決めました。 これまでで一日最多の857枚の写真をトリミングしていたらまた23時を過ぎたので、 バッタリと寝ました。


2004年9月3日(金)

前夜は夜更かしなのに、やはり朝6時には目が覚めました。 この日も無理にベッドに入ってウトウト、そしてチラと目覚めてはまだ早い、 というのを繰り返して、なんとか9:30に起床しました。

髭を剃ってシャワーを浴び、メイルをチェックして ホテルを出たのは10時過ぎになりました。 以下は、トラムの駅までホテル隣の駐車場を横切るというショートカットまで 慣れた、ホームまでの風景です。

トラムでとりあえずのハウプト広場に向かいました。 駅も工事中、トラムの線路も工事中で、列車が来ると、 ショベルカーとかが隣に退いて空ける、というのどかな工事です。

ハウプト広場にあった黄色いSL型のバスは、30分で市内観光をするというもので、 これに乗らない手は無い、と狙っていました。 11時のツアーのガイド放送はドイツ語だがいいのか、 英語ガイドは11時30分だ、というので、 どうせ英語でもロクに判らないのでOKだ、とチケットを買いました。 以下は出発までの風景です。

いよいよ市内観光がスタートです。だいたいのところを サッと回ってくれました。けっこうスピードが出ていて、なかなか写真を撮るには 厳しいものでした。

駆け足の市内観光ツアーが終わりました。 次にハウプト広場の乗り場から、トラム3番で終点に向かいました。 リンツ市内を見下ろす小高い丘にある、 ペストリンクベルク巡礼教会の聖堂に向かう列車の駅です。

いいカンジの、いかにも登山電車です。

そして、ヨーロッパで一番急勾配(アプト式以外の狭軌)である、 という登山電車は、のろのろ、のろのろと登っていきました。

山頂駅に着きました。 土日は混むのでしょうが金曜日のお昼は僕一人で、 絶景の風景を堪能し、静寂の聖堂を堪能しました。

そして帰りの電車に乗りました。

トラム3番で再びハウプト広場に戻り、 「ランチタイムはバイキング」というチャイニーズレストランを発見、 おいしくいただきました。

プチ観光と昼食も終わり、ドナウ川畔にあるブルックナーハウスに向かいました。 立ち並ぶクレーン社は工事か何かかと思っていたら、 全部、コンサートのPAを吊っていたのでした。 4日の夜に花火ドカドカというライブが予定されているようで、 むちゃくちゃ異様ですが、Linz市民には毎度のことなのでしょう。

フォーラムや展示、コンサートなどが行われるブルックナーハウスに着きました。 本来の入口でないドナウ川畔の入口から入ったら、 NIME03でも御一緒したJoe Paradisoのマニアックな展示がいきなり。 ちゃんと動いてサウンドを生成していました。

そして、25年を振り返る展示などを見ました。 この日と翌日は、この25周年(過去の25年を見るだけでなく、 これからの25年を検討するのはサスガ)に関係したフォーラムが あるのですが、お話が中心なので僕はパスの予定です。

ここで、翌日にある定員限定のパフォーマンスのチケットを予約していた事を思い出し、 ブルックナーハウスのチケットカウンターに行きました。 タダなのに立派なチケットをもらいました。

ちょうどフォーラムの休憩時間でしたが、15:00の開始間際だけ撮ろうと、 それまであちこちの展示などをチェックしました。 NHKのデジスタもどこかに展示している筈なのですが、 見つかりませんでした。

ここから、OKセンターの「本年度の受賞作品の展示」という、 いわばメイン展示に向かいました。 途中で「オーストラリアのメディアアート」という、 後から追加されたマイナーな展示会場がありそうなので捜したのですが、 見つかりませんでした。代わりに、ブルックナーがオルガニストとして活躍した、 という由緒ある教会に立ち寄って覗きました。

そしてOKセンターで、肝心の「2004入賞」作品展示を堪能しました。 個人的には、Digital Music部門で金賞を受賞した、モノクロ映像付きのテープ作品が なかなかよかったです。これはCDでは判らないです。

スーパーに寄って夕食(サラダとチーズ[臭くて食えず]とソーセージ[ペースト状と判明]) と翌日の朝食の果物などを仕入れて、17時頃にいったんホテルに戻りました。 トラムは線路を剥がして工事しているので、代替バスでした。 ここまでの写真が637枚になったので、ホテルの部屋でビールを飲みながら ちょっと編集しました。ところがBBCニュースで、ロシア軍が突入して、 死者が放送中にもどんどん増えるという緊迫した状況で、思わず手も止まりました。 これがその買い物です。

夜になったので、20:00過ぎに再びカメラを持ってホテルを出ました。 いよいよこれから数日は、メインのイベントが全て夜遅い、 という苦難の時期です。

ハウプト広場には20:30過ぎに到着、ここのカフェに陣取って、 広場に特設されたスクリーンでの「日本フィルム集(文化庁メディア芸術祭2003入選作品)」 を待ちました。 しかし、予定の21:00をだいぶ過ぎて始まったのは、 アルスエレクトロニカのプロモ映像で、肝心のシアターはなかなか始まらず、 結局20分以上も延々とプロモをやっていました。 気持ちは判りますが、理解に苦しみました。

予定より30分遅れで、ようやく日本アニメーションが始まりました。 いいものには拍手、よくないものには沈黙、 と極めてシビアに反応が分かれました。 アルスエレクトロニカに文化庁メディア芸術祭入選作品集は、 ちょっと無理があったかな、と日本人として密かに恥じ入りました。

僕のように、始まるまで1時間近く待っていた人は多かったのですが、 予定より遅れたこともあり、始まって20分ぐらいで(プログラムは1時間なのに) 何人も席を立ちました。 僕も次の予定があるので(もうイイ、というのもある)、まだ途中の会場を後にしました。 ドナウ川を渡って、次はアルスエレクトロニカセンターです。 詳細不明ですが、どうもライブがある、ということで。

ライブは、女性と男性2人のデュオで、Max/MSPを使って、 男性はマイクの入ったタワシみたいなものをゴシゴシやったノイズを音源として、 MSPでプロセッシング、女性はなんとテレミンをかなり本格的に操作して、 どうもこれを制御に使って、マイクからの自分の声をプロセッシング、 というようなものでした。
・・・ですが、どうも肝心のテレミンの調子がイマイチで、 全体としてはかなり寒いパフォーマンスとなりました。 これまた、開演まで30分以上も待っていた人が、スタートして15分もすると、 三々五々、さりげに退出していったのが印象的でした。NHKとかIAMASは気合を入れて 撮影記録していたようですが、これは使えるのでしょうか(^_^;)。

さりげに不毛なライブを退出して、アルスエレクトロニカセンター周辺で行われている 色々なパフォーマンスを眺めました。もうなんだか判らない「お祭り」状態でした。

ハウプト広場に戻り、だいぶ時間間隔のあいた代替バスを待ちました。 なんせもう23時近いのです。

無事にバスが来て、ホテルに帰りました。 翌日の赤松さんライブに拮抗する、帰りは23:30になりました。

部屋に戻ると、BBCのロシア事件の被害はさらに増えていて、 ブッシュが演説したの、クリントンが死にそう、 というニュースもやっていました。どーでもいいですが。 写真を整理してメイルを出していたら25時半になりました。 たしかここまで頑張ってあちこち見たので、翌日は午後でもいい筈だったので、 ドアに「Do not disturb」の札をかけて寝ました。


2004年9月4日(土)

前夜は夜更かしなのに、やはり朝6時には一瞬、目が覚めました。 天気予報は当たったようで、外では雨がパラパラ降る音がしていました。 やはり前日の快晴のプチ観光は正解だったようです。 しかし次に目覚めるともう9:30、ようやく起床しました。

この日の予定として、持ち歩いているプログラムにマークしているのは、 19:30の予約したパフォーマンスが最初です。 あとは、終日展示しているものの落ち穂拾い、というラクなスタートです。 髭を剃ってシャワーをメイルをチェックして ホテルを出たのは11時前になりました。

この日はまず、前日に場所が判らなくて断念していた展示会場を、 地元の地図と番地から傘をさしながら捜し当てました。 ところが「展示は12時から」ということで入れず、 仕方なくアルスエレクトロニカセンターに向かいました。 プログラムをチェックして、どうも見落としていたらしい作品が いくつかあったので、ここで落ち穂拾いで全てチェックしました。 「犬と猫と50%ずつ」とか「犬50%山羊30%牛15%羊5%」とかに プログラミングされたAiboや双頭のAiboが無気味でした。

途中でセンター4階のラウンジで一息いれました。

休憩を経て、さらにエキジビジョンのチェックを続けました。

ドナウ川を渡ってハウプト広場に戻り、前日に場所が判らなくて諦めていた展示を、 地元の地図と番地だけを頼りに捜し当てて、遂に見ました。 「オーストラリアのメディアアート」というこのマイナーな企画は、 後で持ち込まれたらしく場所もマイナーで、たった2件の作品内容も ちょっと淋しかったです。他にお客もいませんでした。

再びハウプト広場に戻り、高台を登ったところにお城の博物館がある、 というので、その方角に行ってみました。 ところがどう間違えたのか、なんか入口が見当たらず、 周囲をぐるりと回って絶景を楽しんだだけで、 また広場に戻ってしまいました。まぁいい散歩になりました。

この日の最初の食事は13時30分、前日と同じくチャイニーズのバイキングでした。

腹ごしらえが出来たので再び広場に戻り、カフェでデザートです。 かなりヨーロッパ人種っぽくなってきました。

休憩もできたので、午前にまだ入れなかったマイナーな展示会場に、 再び向かいました。 若手作家のコラボレーション(集合個展)という企画のようですが、 どうもこれもフェスティバルのメインストリームと違うためか、 場所もわかりにくく、他にお客もいませんでした。

ここでいったんバス(トラムは線路工事中なので代替バス)でホテルに戻り、 寝るでもなくベッドに横たわって体力温存に努めました。なにしろ晩まで長い日です。 そして、1時間半ほど休憩した後に、再びバスで出かけました。 事前にチケットを入手して、やや離れた(といっても気合いで歩けば30分ぐらい)場所にある、 Posthofというダンス中心のシアターで行われる、パフォーマンスです。 ちょっと早めに着いたので、またここで一息。

開場が近付くと、たくさんの人がやってきました。 以下、開演までの様子です。

結論から言えば、このパフォーマンスを見れて、アルスエレクトロニカに来た甲斐が ありました。 2人のダンサーの姿をライブで(おそらく赤外線CCDカメラで)キャプチャして、 プロジェクタからダンサー背後のスクリーンにダンサー自身も含めて投射される映像のうち、 ダンサーのシルエットの部分だけリアルタイムに切り取って、 そのシルエット(人体スクリーン)部分には違った映像を投射する、 というのが仕掛けといえば仕掛けです。 しかし、多数の専門家のコラボレーションであるこの公演は、 仕掛けを忘れさせる、まさにアートでした。 終了後の喝采は延々と続きました。 以下はごく一部のムービーです。 QT MPEG4 Movie 8.1MB QT MPEG4 Movie 5.4MB QT MPEG4 Movie 5.3MB

終演が予定より延びて20:30、ところでドナウ川畔での派手なイベントは21時の 予定です。ちょうどシアターを出たところに1台だけ止まっていたタクシーで、 ブルックナーハウスに向かいました。リンツ市民10万人が来る、という お祭りの雰囲気が漂っていました。 多数待機する救急車とパトカー、上空には飛行船。 立錐の余地もないドナウパークです。

そして始まりました。全部でなんと90分、予定していたOKセンターでの シアターに行くのもまったく無理、クラシックとポップスの折衷闇鍋、 正体不明意味不明の延々たる冗長大袈裟単調独善大会が続きました。 写真を見てもなんのことやら(^_^;)。

そして始まってから1時間15分、待ってました、ようやくコレが始まりました。 寒くて帰った人は残念でした、花火によるフィナーレです。 ここだけやれば十分なわけですが、よくもまぁ延々と引っ張ったものです。 QT MPEG4 Movie 2.9MB

↑90分立ちっぱなし、真っ暗な中で左手にSANYOのビデオ、 右手にSONYのデジカメでこれだけ撮った僕を、誰か誉めて下さい。 そして数万人の善男善女老若男女の人波は、 道路のクルマを完全に遮断して、延々と帰途につきました。 僕は再びアルスエレクトロニカセンターに向かいました。 まだまだリンツの土曜日は宵の口、23時前です。

センター周辺の広場は凄い雑踏で、人々はまだまだ飲んで騒いでいました。 たまたまIAMASの学生さんをつかまえて、この場のライブ会場に案内して もらったのですが、彼と出会わなかったら絶対に判らない、 奥まったライブスペースで、場所が分かってよかったです。

時間が時間なので、タケコ姫のライブだけ見ることにして、 まだ時間があるので広場に出て一杯やることにしました。 この晩トリの、赤松御大もいました。

開演が近付いたので、会場に戻って、関係者とか風景を撮りました。 パリ経由で、リンツに着いたばかりの小林さんともここで出会いました。 三輪御大もやってきました。役者が揃いました。

そして、タケコさんのパフォーマンスが始まりました。 ステージ上には例のIAMAS箱があるだけ。 この手のパフォーマンスには、最初にネタをばらす場合と、 最後にネタを出してあぁそうだったのか・・・という場合と、 両方あります。タケコさんの今回は後者でした。 ビデオで判るかどうか。 QT MPEG4 Movie 3.5MB

ビデオもデジカメもバッテリがスペアを含めて限界となり、 僕の睡眠不足もここで限界となったので、会場を出て、 ほぼ最終に近い24時過ぎのバスに飛び乗ってホテルに戻りました。 翌日に備えて、SANYOのビデオカメラのSDカードのMP4ムービーを 合計800MBほどちんたらちんたら吸い上げていたら、 就寝は26時過ぎになりました。


2004年9月5日(日)

前夜は夜更かしなのに、やはり朝6時には一瞬、目が覚めました。 しかし次に目覚めるともう8:30、慌てて起床しました。 日本ではFITがあり土日ということで、メイルは1本も意味のあるものは無くて、 スパムが50本ほど「だけ」でした。 遂に前日のデジカメ写真の整理もまったく出来ず、 さらにMPEG4をより高圧縮条件で再圧縮書き出しするのに、 たぶん3時間以上はかかる、というプレッシャーを感じつつ、 9時過ぎに出発しました。 今日から2日間はブルックナーハウスのフォーラムで、 各部門の今年の受賞作家のフォーラムに全参加の予定です。

会場に着いてみると、25周年の企画展示として「Modilar Synthesizer」を展示 していた、MITのJoe Paradiso(MITメディアラボ、NIMEの中心人物)がなにやら オシロを出して基板を見ていました。 なんとカシオのサンプルトーンSK-1(僕もまだ活用中)をびしばしに 改造して(側面に自作のミニジャックが数個並んでいる(^_^;))、 基板上のフラットパッケージLSIのどれかのピンから取り出した 1本のリードが取れてしまってサンプリングできなくなった、 と修理中でした。さすがというか。思いがけない再会でした。

フォーラム会場は時間になったのに、まだ開いていませんでした。 仕方ないのでラウンジでコーヒー。

午前のフォーラムは、「インタラクティブアート」部門で、 審査委員から全体の報告とここ10年ほど(この部門が出来てから)の傾向、 そして3人の作家が、受賞作だけでなく、 自作について色々と語り、質議応答がありました。 受賞した作家の言葉はさすがに印象的で、ゲーム的な作品で受賞した中国人の 「アートは常にfunであるべきだと思う。僕はバイオレンス(血とか死体とか)は作らない」 は至言だと思いました。

インタラクティブアートの部門のフォーラムから出てみると、 Joe Paradisoがモジュラーシンセに多数のコードを次々と挿しながら 音楽を作って行く、というライブパフォーマンスをやっていました。 ライブでMax/MSPパッチを作って行く「演奏」もインパクトがありますが、 この純然たるアナログのパッチング・パフォーマンスはよりリアリティがあり、 ある意味でセクシーですらある、迫力ものでした。 ムービー(12分44秒)とともにお楽しみ下さい。 QT MPEG4 Movie 10.1MB

ここでホールのラウンジで、この日の最初の食事、パスタをいただきました。 何も飲まずにスパイシーな食事の後とはいえ、さらにコーヒーとデザートです。 かなりヨーロッパ人種っぽくなってきました。これを続けると絶対に太ります。

午後イチのフォーラムは、デジタルミュージック部門でした。 今年はちょっと異色で、自作の特製ターンテーブルによる演奏というNIMEみたいな作品、 そして金賞は映像(次第に変化するグレイスケール3000枚の写真による)付きの音楽でした。 自作ターンテーブルは自作音源も全てアナログなので、 会場からもここを突っ込む質問が出ると、審査委員長がすかさず「応募はコレだ」とCDを 見せる(^_^;)、という緊迫したやりとりもありました。要はどこかにコンピュータを 使ったり、応募をCDでしていれば(アナログテープの応募は不可)、 純然アナログ音楽でも「デジタルミュージック」なのでしょう。 そういう時代です。

ここで休憩となったので、階下のプレゼンを見て回りましたが、 まだNHKの「デジスタ」だけ、ありませんでした。 他のプログラムの展示は全てあったのですが、 いったいどうなっているのでしょうか。

そしてまたコーヒー一杯。この日はなんだか多いです。

しばし休憩の後に、この日の最後、Computer Animation/Visual Effects部門です。 インタラクティブアートとデジタルミュージックでは、発表者の持参パソコンが 全てMacだったのに、ここに来るとDVDを1枚持って来たのが2人、もう1人もWindows、 とハッキリと分かれました。 最初は、フランスの学生二人による、ノスタルジックないいムービーで、 きちんとメイキングについて解説してくれました。

次は、「初の3Dアニメ作品」(これまでは2D)で受賞した韓国の作家で、 これまたきちんとしたメイキングがとても参考になりました。 時代性もあり、「深い」そして「いい味の」作品です (学生にはDVD上映会を開催します)。

そしてトリは、金賞を受賞した作品の作家本人によるメイキング話。 これまた、参加して本当によかったです。DVDの解説では判らない話でした。 「3D-CGでいかにリアリズム/ドキュメンタリーの感情を表現するか」 Psychorealismという深遠なテーマに正面から取り組みました。 題材は「かつて一世を風靡し、現在は心身を病んで物乞いをしている 実在のアーティスト(デザイナ)」、 キャストはその本人と知人2人と制作者(インタビュア)自身の計4人、 実際に本人/知人に取材した映像からモーションキャプチャして、 そこにPsychorealism的な3D-CGをテクスチャマッピング、 というような凄いドキュメンタリーCG作品(しかしまさにアート)です。 当然、音声は本人などの声そのまま。 どう凄いか知りたい人はDVDをアマゾンで買って、観て下さい。 最後に全編を上映しましたが、僕もグッときましたが、会場にはハンカチを出して 涙をぬぐっている人もいました。確かに、感動モノ、これぞ金賞です。

しばし拍手が鳴り止まなかった会場を後にして、 最後の落ち穂拾いに、OKセンターに向かいました。 カタログで調べたところ、2作品ほど、今年の受賞作品の展示を 見落としていたからです。無事に発見しました。

この日の晩には、既に見てしまったダンスパフォーマンスの2日目(席が限られている ので2回の公演)、あと21:00からブルックナーハウスで、 デジタルミュージック部門の入選作のコンサートがある、という予定でした。 しかし、金賞の作品はOKセンターの特設上映室でみっちり鑑賞したし、 オリジナルDJマシンの公演に興味はあったのですがサウンドはいま一つだったので、 体力温存もあって、これをパスしてこの日は早めに帰ったわけです。

マクドナルドで夕食のための「ビッグマックセット」を買ってホテルに戻ると、 18:30でした。BBC worldニュースでは「日本で地震と台風」と言っていました。 久しぶり(1ヶ月以上ぶり)に日本語の字幕の入ったテレビ画面を見ました。 夕食後ここから、2日分のデジカメ画像とムービーの編集整理(つまりはこのHTML書き)をしていると、 5時間近くかかって、結局就寝は24時過ぎになりました。


2004年9月6日(月)

明け方3時にフト起きてHTMLの文章のバグを直したりしつつ、 起床は8時半でした。この日は10:30のNet Vision(去年までの".NET"部門) のフォーラムから参加です。 なんとなく体調がイマイチで、どうも連日の夜更かしと飲み過ぎが原因、 と判断して、深夜のIAMASライヴはパスすることと、 この日はかなり久しぶり(成田出発から計5日目)の「休肝日」と決めました。

朝10:15、ブルックナーハウスのカフェでのコーヒーです。 日頃コーヒーはフレッシュだけで砂糖を入れないのに、 何故か無意識に全部入れたのを飲むあたり、 やはり本調子ではないようです。

この日のフォーラムは4部門目、Net Visionです。これは去年まで".NET"と いう部門でしたが、Visionというのは必ずしもvisualというのではなくて、 インターネット時代の新しいアートや文化の提案、 というのが視野にあるようです。

Net Visionの最初のプレゼン(入賞作品)は、もろにネットニュースの 「見せ方」というそのものでしたが、 次の金賞受賞"Creative Common"というのは、新しいテーマでとても興味あるものでした。 スタンフォードの法学の教授である受賞者の提唱しているのは、 これまでの法律の「Copyright」(C)をやめて、新しいネット時代の(CC)に しよう、という意欲的な提案です。 一言で言えば、これまでの著作権法が「All Right Reserved」と頑強に主張するのに対して、 CCは「Some Rights Reserved」と言うのです。これがキモの部分です。 詳しいことはcreativecommons.orgだったかな、サイトに全ての資料があります。 アルスエレクトロニカに関係する、つまりネットで世界に作品を発信したい、 逆にデジタルコピーの被害者であるアーティストの全員に関係するものでした。 とりあえず僕のサイトも、帰国したら(CC)対応にしたいと思いました。

この日は、リンツに来てからは初めて、いつものノートを持ってきて、 会場で色々とメモをしていました。翌日もこの作業を続ける予定です。 あれこれ考えることはたくさんあり、パンクしそうです。 消化するのに少なくても5年はかかるでしょう。 休憩になり、最後のラウンドテーブルは「お話」だけで閉口するので パスして、ハウプト広場に行って、いつものチャイニーズバイキングを タップリ食べました。

この日の残りは、アルスエレクトロニカセンターでのPexelspacesという シンポジウムは最初からパスする予定だったので、あとは19:30からの L'Espace Temporelというコンサート企画に行く予定でした。 しかし、どうも体調がイマイチで、これは翌日(ほぼ終日、盛り沢山)に 備えて休養が必要と判断して、まだ13時ですが、 ホテルに引き上げて、鋭意、休養することにしました。

工事は続いていますがとりあえず月曜日になって復活したトラムで、 モーツァルト通りでちょっと下車しました。 もう残った観光名所はここぐらい、「新教会」です。

中に入ってみると、これが凄い。 本調子でない、というのもあるのでしょうが、 ものすごく大きな聖堂のほぼ中央の席に座って、 ぼーーーーーっと20分ほど、黙って佇んでいました。 静寂、深遠、敬虔、清楚、なんというか、クリスチャンでなくても洗われました。 素晴らしいステンドグラスを撮る気も失せて、帰り際にちらっと2枚だけ 撮りました。やはり本調子ではないです。

スーパーで翌日の朝食のつもりでジュースとバナナを仕入れてホテルに戻り、 この日2度目の正露丸(1日に2度は初めて)。 14時頃からとりあえずベッドに倒れ込むと、2時間ほどウトウト。 起き出しても外に出る気がせず、テレビも見る気がせず、 デジカメはここまでと整理して、そのまま夕方になりました。 結局バナナを夕食に、眠るでもなくベッドに横になりました。 アルスエレクトロニカも翌日が最終日、そしてSabbaticalもいよいよ 大詰めですので、ここで気力体力の回復は必至です。


2004年9月7日(火)

夜中に2度ほどフト目覚めてBBCニュースを30分ほど見たり、 というのはありましたが、結局、この日の起床は朝8時でした。 まぁ12時間も寝れば、さすがに復活しました。 いよいよアルスエレクトロニカ最終日、 手許のプログラムのイベント一覧の全てに「参加すべし!」の○印が 付いています。

ブルックナーハウスに10時過ぎに着いて、これが朝食です。

フォーラムの最後は、今年から新しい部門として新設された、 Digital Communityの入賞者の講演とディスカッションです。 金賞は、WikiPediaという、地球最大規模のフリー/ボランティアのWeb百科事典 プロジェクトです。既に日本でも67000件ほどあるそうで。

最後のラウンドテーブルは言葉の壁があるので前日と同じくパスして、 昼食は最終日まで、いつもの中華バイキングでした。

このあとお土産屋を捜して散歩したのですが見つからず、 ハウプト広場に戻ってきたところで、ドイツ人と某プロジェクトを画策する赤松さんに 拉致されて御挨拶などして(^_^;)、その後ちょっと一息入れました。

またブルックナーハウスにやって来るとちょっと時間があったのでコーヒー。

そして午後の最後のセッションは、前日注目した「CC」が、 このアルス期間に正式にオーストリアで始まったよ、というものでした。

冒頭にCCのムービーがあり撮りました。 ただしこれはCCのサイトからFlashをダウンロードできるそうです。 QT MPEG4 Movie 4.6MB

セッションの後半はドイツ語になったので退散して、 いったんホテルに帰って、パッキングを半分くらいしました。 そしてCCのムービーだけ圧縮して、18時過ぎに再びホテルを出て、 最後のアルスエレクトロニカセンターに行きました。 ロフトで、スペインのテロで犠牲となった人に捧げるという作品のライヴがあるためです。 以下は開演前です。

そして開演しました。 左手でSANYOのビデオ、右手でSONYのデジカメ、 といういずれも片手でのダブル記録体制ですが、今回は椅子に座っていたので楽でした。 センサは全てI-Cubeに入力して、要するにMax/MSPでマイクの音を ライブサンプリングするボリュームとかをMIDI経由にしているだけで、 見た目は派手ですが、大したことはやっていませんでした。 ビデオを見れば判ります。 スクリーンで刻々と増える数字は、たぶんテロの犠牲者の数です。 ICMCあたりなら普通なのですが、アルスではどうもお客にこういう音響の作品演奏の 免疫の無い人も少なくないらしく、途中でどんどん退出する人がいるのは 面白かったです。ほぼ同じ調子の約45分の公演でした。 Part 1 - QT MPEG4 Movie 17.4MB Part 2 - QT MPEG4 Movie 17.5MB

これでアルスエレクトロニカセンターも最後、 と名残りを惜しみつつ、20時、 これまた最後のブルックナーハウスに向かいました。

最後のイベントは、Showdownという、どうもゲーム大会みたいなものらしいのですが、 まったく詳細が判らず、始まるのを待ちました。予定より20分ほど待たされました。

そしていざ、大きなホールに入ってみると、なんだか暗くてよく判らず、 中にバーがあったのでビールを飲めたのはいいのですが、 結局、よく判らないまま、埒があかないので帰りました。 いったい何だったんだろう。

トラムでホテルに帰るともう22:30でした。 ここから写真とMPEG4の処理をしていると、またまた25時になりました。 もう翌日、というかこの日はパリです。 日本に帰る小林さんとは、フランクフルトまで同じルフトハンザのフライトで、 フロント待ち合わせは朝8時です。 慌てて寝ました。


2004年9月8日(水)

普通に寝れば普通に起きる筈なのに、何故か深夜3時半にフト一瞬目覚めて、 そこであるアイデアが浮かんだので眠れなくなり、 起き出してMax/MSPを立ち上げてあれこれやって(結局うまく行かず(^_^;))、 そのまま朝になりました。
寝過ごすといけないので起き出して、ちょっと早めにチェックアウトして、 フロント横でコーヒーをいただきつつ小林さん(前日はウイーン観光に行ったようで、 機材撤収にこれから2日かかるIAMAS組とは別に、名古屋に帰国する予定で、 フランクフルトまでのフライトが一緒になりました)を待ちました。

小林さんと割り勘のタクシーで空港に着いてみると、 異常に小さい地方空港ならではで「フライト1時間前からチェックイン」と いうことで、1時間ほどコーヒーなどでタラタラと待ちました。

いざチェックインの時間になってみると、なんでも空港のコンピュータが全て 止まっているらしく(^_^;)、座席番号もなく「好きな席に座って」という 手書きの搭乗券とクレイムタグを渡されました。本当にスーツケースは フランクフルトを経由してパリに無事に届くのか不安になりました。 マイレージもここでは登録できないので、フランクフルトで聞いてくれ、 と他人事でした。
手書きの搭乗券は、小林さんと一緒にカウンターに行くと、パリの僕とNAGOYAの小林さんが 混同されては困るので、別々の列に並んだのですが、小林さんは通常通り「Kobayashi/MR」 なのに、僕は「Nagashima/SAN」でした。日本人をナメとんのか(^_^;)。

幾多の不安を抱えつつ、チェックインしました。ところが搭乗時刻を過ぎても動きがなく、 「手続きに時間がかかっているので出発が遅れる」とのアナウンス。 空港には、どうせ歩いて乗りに行く、我々のルフトハンザ以外に飛行機が無いのに(^_^;)。

とりあえず飛行機は無事にフランクフルトに着きました。 空港の端っこに到着した飛行機からバスに乗り、延々と ターミナルビルに向かいました。

ここから日本に向かう小林さんと別れてパリ行きのゲートを 捜してみると、往路の遠さとは段違いに、すぐ隣のゲートでした。 フランクフルトのカウンターでリンツの状況を話してマイレージを入れてくれ、 と言うと、「それはパリに着いてANAカウンターに言ってくれ」とのこと。 同じスターアライアンスグループじゃないのかお前らは、と思いましたが、 こういうのはガイジンはとてもクールで取り付く島がありません。さらに いつものことらしいカンジで、 ロンドンからの到着便を待つので遅れる、というアナウンスがありました。

ゲートインしてバスに乗ってみれば、なんのことはない、 また空港を延々と走って、さきほどリンツから着いたのとほぼ同じ場所に待機 していた飛行機にのりました。けっこう空いていて快適でした。

やっとパリに着きました。ANAは昔からのビルなのですが、 ルフトハンザはどうなのかちょっと不安でした。なんせもう一つの 新しいビル(JAL等)はこれまでに2度ほど崩壊事故を起こしていますので。 結局、同じ古いビルでホッとしました。

ここで出発フロアのANAカウンターに行ってみると無人で、 「出発便の3時間前になると来る」とのこと。ここで3時間も待てないので、 電話番号を控えてホテルに向かいました。 同じカウンターの隣のBMIの人がいたので事情を話すと、 「それはANAの人に言ってくれ」とのこと。 同じスターアライアンスグループじゃないのかお前らは、と思いましたが、 こういうのはガイジンはとてもクールで取り付く島がありません。 タクシーでホテルに向かいました。1ヶ月の滞在で土地勘があり、 「やって来た」でなく「帰ってきた」という感じでした。 落ち葉の清掃をしていました。これが綺麗な巴里を支えています。

パリは暑い、まだ夏でした。雨のアムステルダムと秋晴れのリンツが懐かしい。 ホテルにチェックイン、先月の滞在と同じ428号室にしてくれました。 とりあえずメトロの駅に行き、1週間分のカルトオランジュを買いました。

翌日からの滞在先となるLa Kitchenの住所を頼りに、 場所をチェックしてみました。 メトロでRepubliqueから2つなのですが、行きはゆるやかな登り勾配なので たぶんメトロ、帰りはノリによっては歩いてもOK、と判りました。
ANAのロンドンに電話して、ホテル近くのコピーサービス屋でチケットのコピーを取り(3ユーロ)、 ホテルからFAXで送り(2ユーロ)ました。これでマイルが付けばラッキーです。帰国してからだと、 搭乗券の半券の現物を送る必要があるのですが、手書きで日付けも座席も無いにしても、 これは大学に出張の証拠として出すので現物は送れないのです。

睡眠不足もあってか疲れたので、いつものスーパーで歯磨き粉やワインや水を買い、 2週間ぶりのいつものチャイニーズグリルでの夕食でホテルに帰りました。

ここから、まずはシャワー(これはオランダとオーストリアでは皆無でした)、 洗濯、荷物の整理、CCMIXへの電話、メイルのチェックと送信、 この写真の整理、などをしていると22時を過ぎました。 La Kitchenのアポは12時なので、余裕ばりばりです。 IRCAMのEmmanuel Flety(NIME04にも来てくれました)から、IRCAMの研究者に 宛てた以下のようなメイルも届きました。うーむ、世界のIRCAMで専門家を相手に レクチャーだぞ。

We will be pleased to have Mr Yoishi Nagashima presenting his work (part
of it :-) ) on september 13th, between 12h30 and 13h30 in the stravinsky
room.

Mr Nagashima is a researcher and composer involved into gestural
interfaces and composition for many years. He's particularly interested
in bio feedback and emg muscular interfaces and he designed several ones.

Here is a brief summary of his presentation,
Hoping to see many people at this session,

Emmanuel and Frederic

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Title
Interfaces for Interactive Media Art

Abstract
This lecture/demo is a report of research and some experimental
applications of original interfaces. I will introduce (1) some
biological/physiological sensors and their appliocations,
(2) some applications as media installation with interfaces.
I will show many sample movies, and some demonstrations/performances
will be planned. - Yoichi Nagashima
ちょっと燃えつつ、テレビでUS Openのテニスなどを見つつ、寝ました。

2004年9月9日(木)

起床は08:30、あれこれして10時過ぎにホテルを出ました。 La Kitchenには12時のアポですが、手数料ゼロでトラベラーズチェックを現金化するために、 メトロでOperaのアメックスに行きました。 YAHOO!ニュースとBBCニュースでは共に、EUへの旅行が解禁になって、 パリは中国人旅行客で特需だ、と言っていましたが、なるほどチャイニーズが多数、 怒濤の軍団となって闊歩していました。 以下は、オペラ座真ん前のカフェでの風景です。

OperaからメトロでRepubliqueを越えて戻り、La Kitchenに向かいました。 ホテルの面しているのと同じリュパブリック通りですが、メトロの駅で2つ分、 かなり離れています。

約束の12時になると中から秘書の女性が現れて入れてくれました。 なんせまだ、ドアの暗証番号を知らないので、こうしてアポして待つしかないのです。 中の写真はおいおいとして、顔合せ、La Kitchen概略紹介、日程打合せ、などがあり、 僕が10日ほど滞在するスタジオがわかりました。 というか、ちゃんとしたスタジオって、地下のこの部屋しかありません(^_^;)。

スタジオの写真も後日として、この日は、翌週からみっちり触り倒すことになる、 未発表ソフト"IanniX"の簡単な説明を受けました。

この"IanniX"ですが、音源とかはイーサネットの向こうのPdとかMax/MSPに任せて、 出力は基本的にOSCです。名前の通り、UPICのコンセプトを3D-CGとして拡張したもので、 なかなか面白そうです。 フランスの支援を受けているので、このソフトはOpen SourceでいずれFreeで 発表するクロスプラットフォームのものです。 この日に見せてもらったのはLinuxマシンでしたが、翌週に僕が触るのは、 G5MacのOSX上のものになる予定です。 このソフトは9月下旬にフランスの学会で発表し、来年のICMC2005に 応募するそうです。

この部屋で提供されたイーサネット(DHCP)はとても快適で、 かなり危うかったCCMIXやSTEIMとは雲泥の差です。 もう、ホテルで電話してのダイヤルアップはやめて、残り10日のメイルや ネットアクセスは全て、La Kitchenでする事にしました。 さっそく、ぼちぼち話題として盛り上がって、そこら中でリンクが登場してきた こんなムービー や、アルスエレクトロニカで興味を持ったCCのショックウェーブ、 Shockwave Flash 8.3MB Shockwave Flash 6.7MB をダウンロードしました。

IanniXについてもサーチして、古いバージョンですが、 画面 ドキュメント などをダウンロードしました。

CCMIXのGerardからメイルが来て、いつでもおいで、という事だったので電話して、 17時にLa Kitchenを出てCCMIXに向かいました。 Windows95のマシンに残した7枚のスクリーンショットを受け取るには、 USBのCDROMライタも駄目で、結局、フロッピーディスクにコピーしては 移動する、という10年前の方法で、最終的に以下の画像データを無事に PowerBookに受け取ることができました。

パリは体感でリンツよりも日没が2時間ぐらい遅く、メトロで市内に戻って、 この日はスーパーで仕入れたサラダとビール、それにテイクアウトした6本の春巻で、 ホテルの部屋での夕食としました。 EUROSPORTではライブでテニスのUSオープンをしています(アガシが負ける瞬間を ライヴで見てしまった。日本時間は10日の午前04:25なのでライヴで見た 人は少ないでしょう)。 翌日のLa Kitchenは朝9時過ぎに行けばいいということで、 ホテルの部屋ではネットアクセスもなくなり、少し余裕が出てきました。 La Kitchenでのprivateなコンサートではお客のキャパが無いのでどこか 別会場にする、ということで話が大きくなり、どうも1週間で新作を発表して 初演することになりそうな雰囲気で、いよいよ最後の踏ん張り期間に突入です。


2004年9月10日(金)

シャワーを浴びていて、石鹸で滑って転びかけて「おっととと」と口走ったつもりが、 思わず「ウープス」と出た今日この頃です。(^_^;)

3年前の明日はエライ日だったなぁ、ヨーロッパに行っていて空港で散々な目に遭ったなぁ、 などという日が世界的に近付くこの日、2ちゃんねるとかは「アキバ爆破?」の話題で 盛り上がっていたようですが、BBCニュースはとても静かでした。温度差、 というやつでしょうか。ドルからユーロに両替して目減りしてガッカリする 米国人を見るためにアラブ系の市民がタムロしている、最近の欧州の両替所です。

さてこの日は朝からLa Kitchenに行き、まず午前には、センサ関係一切を開発し、 さらになかなか凄い物理モデルの音源とグラフィクス(OpenGL)を開発している スタッフから説明を受けました。 平井さん(現・京産大)がMax/MSPのGEMライブラリを開発している話をすると、 「よくクラッシュするがこれは凄い」、と絶賛、誉めていました(^_^;)。

要するにLa Kitchenでは、多種のセンサを全てオリジナルのワイヤレス インターフェースで10bits精度200Hzサンプリングで16チャンネルを ワイヤレス伝送し、全ての情報をOSCでイーサネット伝送し、 あとの音源とグラフィクスは全てフリーのPureData/Open-GLでどうぞ、 というように完全にモジュールのBlack Box化が完成していました。 これをまだフランス国内の学会で今月に発表だそうで、 その色々なデモの完成度と性能は全て、過去のNIMEやICMCを凌駕していました。 来年のNIME(バンクーバー)とICMC(バルセロナ)に出すそうで、 僕は一足先に、フランス語のプレゼンを見たことになりました。 以下はコッソリと、パソコンに入っていた過去の関連するWeb用デモムービーをコピーさせて いただいたものです。 QT Movie 2.7MB QT Movie 3.2MB QT Movie 5.8MB QT Movie 1.1MB

午後には、ドラムのスティックに加速度/角速度センサ等を仕込んだ研究について、 プレゼンをしてもらいました。これもフランス国内の学会で今月に発表だそうで、 僕は一足先にプレゼンを見たことになりました。NIMEのデモセッションがいいのでは、 とコメントしておきました。

翌日からの土日は僕だけが出ることになるので、キーをもらい、 あちこちのスイッチ(照明、窓など)について聞きました。月曜日にはIRCAMで レクチャー、そして金曜日には、可能なら新作初演を含むレクチャー コンサートで、どうもLa Kitchenは150人ぐらい入れる会場を予約して、 多数に招待を出して、ワインとか用意して盛大なイベントにするとのことで、 ちょっとかなりプレッシャーがかかってきました。 自分から言ったことなので仕方ないですが、こうなると、腹をくくって 観光も全て忘却して精進するしかありません。

などと決意しつつ、夕食は久しぶりに、Republiqueのトルコ/ギリシャの グリルにしました。


2004年9月11日(土)

はるか昔に流行った言葉で「天中殺」というのがありました。どうもこの日は そんなカンジで、写真はゼロで何もありませんが、ホテルに戻るとなんだか 疲れ果てました。やはり「9月11日」というのは良くない日なのでしょうか。

気持ちよく晴れた朝8:30に起床、9:30頃にはLa Kitchenに着いて、 渡された新品の合鍵も無事にドアを開けて、一人で地下のスタジオで まずまずぼちぼち順調にお仕事(IRCAMレクチャーの準備と、金曜日の コンサートのための新作の仕込み)をしていました。

ところが午後になって、僕の他に誰もいないのに、なんだか1階で物音がする ような気がして階段を上がってみると、なんと凄いシャワー(にわか雨)でした。 朝イチで開けた電動サンルーフから滝のように雨水が流れ込み、これが 真下のデスクに溜り、さらに床に流れ落ちる音がしていたのです(^_^;)。 慌てて窓を閉めて、デスク周辺のタップのスイッチを切って、 キッチンにあった1枚きりのタオルで、そこら中に溢れた水を拭いては 絞り、というのを繰り返しました。
「何かあった時に」と渡されていたメモでDirectorの携帯に電話すると、 「18時頃に行くのでそのままにして仕事していて」との事。 とはいっても几帳面な日本人、何度も何度も何度も何度もタオルで 廃水に努めました。 たまたま、窓の真下の彼はノートパソコンを持ち帰っていたらしく、 向かいの席の秘書のパソコン(G4Mac)もデスクの下でなんとか直撃は免れました。 電話器は浸水して導通したらしく接続音が鳴り続けていましたが、消し方を 知らないので放っておきました。

・・・というような状態では落ち着いて作曲なども出来ないので、 世界的に9/11ということもあり、ネットサーチなどしてタラタラと 夕方まで待ちました。 18時半を過ぎても来ないので、書き置きして帰ろうとしているところに ようやく来ましたが、水浸しの書類にもそれほど驚いたこともなく、 どうもこの事故はたまにあるようでした。

ということで、再び降り出した雨に傘をさしてホテルに帰りました。 雨が降っていて鬱陶しいと、どうも気分も冴えないのか、 なんだか疲れがドッと出て、「そろそろ日本に帰りたいなぁ」などという、 1ヶ月半にして初めての弱気な気分にもなりました。
とりあえず洗濯をしてホテルのテレビを見れば、 BBCニュースでも9/11ばかりやっています。 去年はニューヨークに行って、あのグラウンド・ゼロも見ています。 ハリケーンの被害映像とか、ジャカルタのテロとか、 どうも世界的にも世相が暗く、天気もイマイチ。 なんか、これはとりあえずタップリ寝て、明日に仕切り直そう、 と思った日でありました。


2004年9月12日(日)

前日の雨天が嘘のような快晴、シャツ1枚で快適で、 メトロの中では袖をまくって半袖にする好天となりました。
朝9時過ぎ、ホテルを出て

Republiqueのメトロ3番のホームに行き

日曜日なのでガラガラのメトロに乗って

SAINT-MAUR駅に着いて

地上に出て

徒歩1分のLa Kitchenに入って

無人のスタジオで準備して

G5Macを立ち上げて

数時間、頑張ってお仕事しました。途中で一度、Max/MSPがハングして、 作りかけていたパッチが消えて泣きました(;_;)。

日本時間でこの日の午後には、またSUACのウイルス対策サーバがハングアップして、 SUACの僕のアドレスに届いたメイルが転送されなくなっている(パリでは読めない) のを確認しました。 日曜日ですので復旧は翌日の月曜日、SUAC情報室のスタッフが出勤してきて、 トラブルに気付いてサーバをリセットするまで直りません。 僕に出されたメイルは翌日まで12時間以上、僕は読めないことになりました。

・・・ということで、この日の作業は15時頃に終了。 いったんホテルに戻って機材を置いて身軽になり、 日曜日ということで、 8/8に一度行っているClignancourtのFlea Marketに再び出かけてみました。 目指すは、下の子からのリクエスト、プジョーのキーホルダーです。

結論としては、アンティーク屋にある錆びたキーホルダーは目玉の飛び出るような値段で、 「地球の歩き方」に書かれているような、「値切る駆け引き」とかの話とは別次元でした。 帰りにお土産屋でパリのキーホルダーを3割ほど値切って仕入れましたが、 アンティーク屋に「ゼロを1-2桁まけて」というのでは交渉になり得ません。
かなり歩いて、(凄い人込みでスリとかに警戒して)けっこう疲れ果てて、 Republiqueのこれまで入ったことのなかったGREC(ギリシャ/トルコ)グリルに入ったらこれがヒットで、 久しぶりに「肉を食った」と実感(フォークとナイフで切れる肉 !)しました。

その隣の酒屋で買ったのがこのビール。 ビールのくせにワインに匹敵するアルコール度数(おそらく普通にビールを醸造しても アルコールは5.5%程度が上限なので、これは単に工業用エチルアルコールを 足している(^_^;)だけでは?)とは、さすが「あの」アムステルダムです。 これが酒屋で1本250円ぐらい(2ユーロ)なのです。スーパーだと1.5ユーロ以下。

ということでまだまだ明るい午後7時過ぎにはホテルに戻り、 TVのライブでやっているサッカーとかカーレースを見て、 ビールをちびちびやりました。 この晩はこのSUPER STRONGビールに撃沈されたようで爆睡。 夜中に目覚めたらテレビも消していなくて、 メガネもベッドの上、ビールも飲み残したままでした。 オランダビール、恐るべし。


2004年9月13日(月)

前夜のビールが残っているようで、朝、目覚めてからもしばし、 BBCニュースを見てゴロゴロして、起床は8時半過ぎになりました。 北朝鮮のキノコ雲がニュースになっていました。 いよいよ、IRCAMでのレクチャー当日です。
メトロでポンピドーセンターに行き、IRCAMの受付でEmmanualを待つ間、 ちょっと撮りました。

この人がIRCAMの研究部門のボスの人だそうです。

こんなカンジで、最終的にはIRCAMのComputer Music関係の専門家が 十数人、来てくれました。天下のIRCAMでこんな人たち(ICMC常連)を相手に レクチャーとは光栄の至りです。 後藤英さんも来てくれました。いま後藤さんは、IRCAMではロボットの プロジェクトをやっています。DSPSSの続きだそうです。

テクニカルスタッフの人に頼んで撮ってもらいました。 好評のうちに無事に終了し、金曜日の晩のLa Kitchenの レクチャーコンサートにもどうぞおいで下さい、作品の公演はそちらです、と宣伝しました。

レクチャーの後で、IRCAMのスグ向かいにある「クレープレストラン」に 後藤さんなど有志と行きました。

これが「ランチ」です。クレープの中にチーズとハムと目玉焼き。 けっこうボリュームもあって、お値段もお手ごろでした。

食後に、ランチの一部として出て来たデザートもクレープでした。 ランチの方は甘くないクレープ、こちらは甘いクレープです。 こーいうのを毎日食っているとこーなる、という体系の人がパリにはたくさん、 身体で風を切って歩いています。

NIME04の時にEmmanuelに「うな一」の鰻丼を奢ったからか、 このランチは奢ってもらいました(^_^)。 食後、IRCAMの人達と別れて、IRCAMの前にある池の噴水を撮って、 ポンピドーを後にしました。

この後、La Kitchenに行って、スタジオで3時間ほど、作曲の準備を 進めました。 ソニーCSL Parisのタナカアタウにこの日のレクチャーの連絡をするのを 忘れていたので、金曜日の案内だけメイルしました。
夕方に帰る時にはまた雨になっていました。 どうもこの手のシトシト天気で傘をさして歩くと、滅入ってきます。 けっこう疲れも溜まっているような気がしたので、この日は6回目の休肝日、 と決めました。 たしか全58日ですので、「平均して10日に一度は休肝日」ということに なりました。ちっとも偉くないか(^_^;)。

珍しく昼にきちんと食べたので、夕食はスーパーで仕入れたサラダボウルと ハムを食べて、飲み物は「ペリエ」でした。最初はなんだこりゃ、と思ったペリエも、 最近では美味しい飲み物です。日本で手に入るのかなぁ。
シャツを洗って干して、考えてみると3日分の下着をまとめてやっている洗濯も、 あと1回ぐらいでもうおしまいかなぁ、というような日です。 ぼちぼち、帰国まで1週間のカウントダウンが始まったのでした。 ただし、金曜日にレクチャーコンサート(たぶん最大規模)があるので、 気は抜けません。観光モードは最後の土日にあるかどうか、です。

21時頃には早めにベッドに入り、寝れるもんなら寝てみよう、 という体力回復作戦をとりましたが、あれこれ考えや思いや妄想が去来して、 まったく眠くなりませんでした。睡眠は足りているようです。
仕方なく23時頃に起き出して、ちょっと浮かんだアイデアをMax/MSPで 組んでいたら、あっという間に25時になり、慌てて寝ました。 もう1ヶ月半もヨーロッパにいるのに、着いたばかりの頃の時差ぼけと同じ ような生活時間です。これだと帰国しても時差ぼけナシでいけるかも。


2004年9月14日(火)

起床8時、La Kitchenで作業開始9時、写真ナシ。 ・・・というだけでは淋しいですが、アタウから来たメイルで、 彼は
http://www.villette-numerique.com
というようなイベントで公演(インスタ作品発表)だそうです。 この日の夕方には、僕のレクチャーの会場も決まり、
Ce Vendredi 17 septembre 2004 de 19h00 22h30

LA KITCHEN vous invite au TEMPLE
(LE TEMPLE, 153 av Ledru Rollin 75011 Paris)
au menu:

Open lecture de Yoichi NAGASHIMA : "Interactive Art with Bio-Interfaces"

Pendant sa lecture Yoichi Nagashima pr recherches concernant l'interaction 
homme-ordinateur dans les performances multi-media, sp syst canaux 
"MiniBioMuse-III" et ses applications; la sensation/r avec la "respiration" 
dans les performances artistiques du SHO -instrument traditionnel japonais; 
un syst canaux et ses applications exp

A la fin de la lecture nous aurons le plaisir d'assister la performance live 
d'une composition Kitchen.

Pour en savoir plus:
Yoichi Nagashima est un compositeur/chercheur japonais.
Il a organis le NIME04 dont il a

NIME04 - http://nagasm.org/NIME/
Profile - http://nagasm.org/ASL/profileindex.html

NB: l'entr
de nous confirmer votre pr
francesca.benvenuti@la-kitchen.fr ou
anne_sophie.dorion@la-kitchen.fr
というメイルも、内容が判らないまま(^_^;)、あちこちに転送しました。 TEMPLEというのはRepubliqueの次の駅ですので、僕のホテルからも 徒歩圏内かもしれません。予告時間が早まったのは、開始前にワインでパーティー、 終了後にもワインでパーティーだからだそうです。

写真がないと淋しいので、また来てしまった同じグリルの夕食

ホテルに戻り部屋までの風景です。 時間は夕方の19:30過ぎ。サマータイムというのは明るいです。

部屋では元気を取り戻した肝臓とともにワインを楽しみつつ、 テレビのスポーツなどを見ました。なんとEURO SPORTSという、 世界各国のスポーツだけをやっている衛星TV局が、 日本の大相撲を録画ですがやってました。 アナウンサーにTAKAMISAKARIと何度も連呼されましたが、 負けてました。(^_^;)


2004年9月15日(水)

夜中3時にフト、PowerBookがクラッシュする悪い予感がして目覚め、 2時間近くかけて、PowerBookの全データ92000ファイル26GBを、 持参した300GBHDDにコピーしました。 とりあえず安心してちょっと寝て、それでも7時過ぎに起きて、 この日はパリに戻ってきてから初めて、ホテルでの朝食にしました。 気合いのあらわれです。この日の写真はこれ1枚。

朝9時前にはスタジオに行き、夕方19時過ぎまで、 まさにノンストップ(昼食は前日持参した菓子パンだけ)で、 ひたすら作曲してました。 帰国したらこんなに集中できない幸せな時間ですが、 やっている本人にとってはなかなか辛い時間です。 背景音響はMOTUSで作曲したテープ作品、そこに センサでちょっと味付け程度にサウンドを足せばいいや、 という目論みの甘かったことが次第に露呈し、 遂にはそれまで作ったパッチを大幅に後退させて再挑戦。 午後にはまたSUACのサーバが発狂してメイルが来なくなり、 なんだかんだとやっているうちに帰る時間となりました。

急遽作戦変更してJitterを使うことにしたので、 ホテルに戻ってから、ベッドの上でムービーを撮影しました。 QT MPEG4 Movie 176KB
こんなので作品になるの? という人は、どうぞどこかの機会で作品の公演を 体験して下さい。まだこの文を書いているこの日の晩の時点ではまったく未完成 ですが、勝算アリです。
・・・しかし、MOTUSのテープ作品に、千葉クンの卒制作品のタイトル "Coin's Journey"をそのまんまパクッて使っちゃったのですが(^_^;)、 このライブ作品のタイトルはどうしようかなぁ。

いよいよあと1日の勝負となりました。 夕食はチャイニーズのグリルに寄ったのですが、 初めてのことですが、あまりに疲れて食欲が無くて、 ビールも旨くなく、全部食べられなくて残しました。 疲れもピークです。転んで怪我したりするのはこういう時です。 ぼちぼち最後の追い込みなので、残り少ないカッコントウを飲んで 早目に寝ました。


2004年9月16日(木)

夜中と早朝にチラと目覚めてはなかなか眠れずに悶々とアレコレ考えるのは、 もう本番前のいつもの事と諦めました(^_^;)。 起床8時、最後の洗濯をして干しました。 今後の汚れ物はそのまま持ち帰ります。帰国カウントダウン開始です。
スタジオ入り9時、写真ナシは完全に前日と同じです。 以下は前夜にビデオの材料として撮ったものが残っていましたが、 これは当面、使いません。

・・・まる6時間、まさに籠りっきりで作曲して、遂に「バージョン0.85」が完成し、 センサを使っての試運転まで出来ました。 プレゼンのためのHTMLはSTEIMのをちょっと改訂するだけなので、 これも完成。 ここで精神的に力尽きて、この日の作業を完了としてスタジオを出ました。 0.85から0.9とか0.95とかに上げるのは、 僕の場合にはこの日というのは不可能で、プログラムも0.85と書きました。 1.00に近付くとしても、帰国してだいぶしてからです。

抜け殻のようにホテルに戻り、荷物を置いて身軽になって、 メトロで、パリに来てなんと2ヶ月で初めての、 シャンゼリゼ通り(多数の日本人がブランドショップに群がるというので 避けていた)に向かいました。 IRCAMの連中とのランチで得た情報で、ここに、僕の下の子のリクエストである、 プジョーとかルノーのキーホルダー(フランス限定)の置かれた、 ショールームがあるという話だからです。
メトロ「フランクリン・ルーズベルト」を出ると、 まさにシャンゼリゼ通りでした。

ルイ・ヴィトンというのはカバンのブランドだそうですが、 ビルがカバンでした(^_^;)。

写真は無いのですが、この先にルノーのショールームがあり、 まさにフランス限定、ルノーのF1カーのキーホルダーをゲットしました。 その先には、だいぶ前に登った(もう2ヶ月近く前です)、凱旋門がありました。

そして、プジョーのショールームがありました。 コンセプトカーの展示はかっこよかったです。 ここでもパリ限定グッズをゲットしました。

さらに先にはベンツのショールームがありましたが、 展示だけでグッズの販売はありませんでした。

ショッピングモールを覗いたら、本当に「水」を使った、 ディジタル水時計がありました。時間は正確(この時、午後4:16)でした。 水の入ったサイホンが振り子になっていて、往復するたびに定量の水が 流れて、溜まって、それがスレショルドを超えると桁が上がって、 その分の水がディスプレイの管に流れます。 これって結構、凄いです。

歩き疲れて、シャンゼリゼ通りに出たカフェでちょっと一息。

元気を充電して、ここからルーブルまではスグである事に気付いて、 ルーブル美術館の地下のショップに向かいました。 目的は2つ、(1)前回は地下からだったので地上のピラミッドを見ていなかった、 (2)前回は買い控えたお土産を少しだけ仕入れる、です。

無事に目的は両方とも果たしたのですが、荷物がまた増えました。 スーツケースに入らなかったら、本当に靴を捨てていかないといけません。 Republiqueに帰り、1日おきに3回めになる、トルコ/ギリシャのグリルで、 この日はチキンのバーベキューを食べました。 前日の食欲不振が嘘のように美味しくいただきました。 やはり、取りあえず0.85でも、作品が完成する、というのは大きいなぁ、 と実感しました。

ホテルに戻るとここまで書いて、まだ明るいのでメイルのチェックなどしました。 ぼちぼち大学も、後期に向けて、学生からのメイルとか、 大学・学会等の事務関係のメイルも多数届いてきています。 いよいよ翌日は最後の講演と公演、仕込みさえ終われば何も心配なく、 余裕の晩となりました。


2004年9月17日(金)

アメリカではハリケーンが凄い被害だというこの日、 La Kitchenに来て、この週末にテストするIanniXの簡単な説明を 受けました。 スタジオのG5Macは何故かトラブルで故障して(^_^;)、 開発中のLinuxマシンを使うことになりました。 まだ未発表のため(10月に公開予定)、 マニュアルもろくにないので、 速攻で繰り出されるショートカットを一生懸命メモしました。

レクチャー会場のLA TEMPLEというのは、 メトロの駅のTEMPLEというのとは関係ない事が判明しましたが、 地図をもらったのでなんとか自力で行けそうです。 15時に現地に集合、という事になりました。 RepubliqueとバスチーユとLa Kitchenとの三角形に入る場所で、 頑張れば徒歩圏内です。メトロVOLTAIREに至近です。 以下は、いったんホテルに戻ってから、会場に向かったところです。

この TEMPLE というところは、昔はカソリックの寺院だったのですが、 現在はオーナーの自宅であり、この広大なホールも自宅の一部をたまたま 公開して貸した、というノリでした(^_^;)。 以下、発表の場所も二転三転するなどいろいろあったのですが、準備の風景です。

開場の19時となりました。 暗くて何もわかりませんが、ぼちぼち人が来て、ワインと談笑の時間です。

いよいよスタートです。後藤英さんとダンサーのMieさんも来てくれたので、 後藤さんにカメラを預けて、好きに撮っていただきました。 助かりました。

MOTUSでお世話になった檜垣さんも来てくれたので、 ビデオを回していただきました。 センサを付けるデモから、新作初演、旧作再演、まで全てです。 QT MPEG4 Movie 24.6B

終わって会場を出たのは23時近くで、帰りのメトロの駅は、 けっこう怪しい状態でした。
上の写真は普通ですが、この向かいのホームにメトロが来て、 出発していったのに、以下の人たちは乗らずにいたわけです。

帰途に仕入れたビールで、ホテルに戻って一人で乾杯し、 さらにワインをいただいていると、いつの間にか寝てました。


2004年9月18日(土)

起床は9時半。さすがに前日の疲れが残っていましたが、天気は好天。 テレビの予報で日曜日のパリは雨、ということだったので、 この日はLa Kitchenに行くのをお休みにして、 ホテルからのダイヤルアップでメイルをチェックしました。

この日は、もはや「パリ通」になったかもしれない自分をテストしようと、 行き当たりばったりに過ごすことにしました。 まず最初は、天気がいいので、まだ行っていなかったモンパルナスタワーに、 とだけ決めました。あとの行動は、行った先で考える、という作戦です。 乗り換えの途中駅の風景です。

モンパルナスは、東京なら渋谷か新宿か池袋か、という若者の賑わいでした。

モンパルナスタワーの展望台への入口を発見し、56階に向かいました。

59階の屋上展望台に登れるというので、登りました。 まさに絶景でした。 パリをそこそこ歩いたことの無い人には、 なんということもない同じような写真が続きますが、 僕にすればそれぞれ「おぉぉ、あそこにアレが、ここにはアレが」と なかなか感動ものの写真なのでした。

再び56階に戻り、高層階にしては安いコーヒーで一息いれて、 次にどうするか考えました。

ホテルで、エクスカーション全般を扱う旅行業者のパンフをゲットしていたのですが、 ここに、晩にいろいろなショーのツアーがありました。 この中で、「パリに来てここを逃すなかれ」という、CRASY HORSEというものがあり、 パンフの写真だと、どうも多数のダンサーとプロジェクションなどの エンターティンメントっぽかったので、興味を持ちました。 この日(つまり数時間後(^_^;))、あるいは翌日の晩に行けるかどうか、 この旅行社に予約に行くことにしました。

・・・結論としては、この旅行社では「その日」などという予約は出来ない、 ということで進展がありませんでした。 ダメもとで、そのクラブに当日券を求めていく可能性がありますが、 その前に、この路線にある「カタコンブ」に行くことにしました。 カタコンブについてはウィキペディアとかで解説を調べて下さい。

ここから、カタコンブの入口を発見して、入っていきました。

ここまでは、「写真の写真」でしたが、ここからは累々たる本物の人骨の写真になります。 心臓の弱い人、霊感の強い人、などは以下はパスして下さい。 「この写真に何か写っている」とかいうのもナシです。 デジカメの画像ですので、何が写っていても、検証不能、ヤラセ可能です。

かつてカタコンブに入って迷子になってそのまま亡くなった人とかいたそうで、 入口の入場者カウンタは、出口のカウントと照合しているのだとばかり思っていたのですが、 出口は何もないただの出口で、いきなり知らない通りに出ました。

とりあえずクルマの多く走っている通りに行って、 街角の表示と地図を照合して、現在地を確認しました。 地下を延々と、メトロの駅で2つ分も、歩いていたのでした。 もう午後2時過ぎだったので、そこにあったアジアングリルで昼食にしました。

このあと、旅行社を諦めて、メトロでCRASY HORSEに行って、 当日券があるか聞きました。 結論としては、予約OKとなり、1日3回公演のうち最初の19:30の部に予約して、 19:00に来てくれ、という事になりました。先着順でいい席になるそうです。 このあと、某デパートで某卒業生などに理由ありで追加のお土産をゲットしてから、 いったんホテルに戻りました。

前日は爆睡して写真の整理もできなかったので、ここで整理して、 メイルの返信を出して、再びメトロでRASY HORSEに行きました。 ちょっと到着が早かったので、隣のバーで一息。

さて、CRASY HORSEのショーですが、結論から言えば、詳細な写真はありません。 なんせ最初から「写真は駄目」、と確認していました。 しかしそこはCASIOを首からかけて来て、まったく暗闇の中で手探りで、 ファインダーを覗いていないのでかなりひどいですが、そこそこ撮れました。
あまりキチンと撮れると困るショーでした(^_^;)。 僕はNYのブロードウェイのミュージカルとか、 まぁ日本で言えば宝塚歌劇のようなエンターティンメントだと思ったのですが、 海外からの旅行客がツアーで来る(中国人とか日本人のツアーばっかし)ものとしても、 要するにダンサーは「ほぼ全裸」、身体で勝負のショーでした。 日本での意味とはちょっと違うのでしょうが、「CABARETショー」でした。

メトロに向かうと、ライトアップされたエッフェル塔が見えました。 考えてみれば、「夜のパリ」というのは、ほとんど体験していませんでした。 まぁこれは、次回のテーマとしましょう。

昼にちゃんと食べたので、この日の夕食は22時前にホテルに帰って、 あからじめスーパーで仕入れた、いつもの野菜サラダとハムと、ビール。 日本では遂にプロ野球がスト、というのがトップニュースのようで、 まぁなんとも平和ですね。


2004年9月19日(日)

前夜はテレビを観て夜更かししたので、起床は朝9時過ぎでした。 天気予報では雨の筈だったのに、またまたいい天気。 テレビで中継しているカーレースは凄い雨でクラッシュ続出、 ヨーロッパのどこかでは雨が降っているのですが、 どうもパリは夜のうちに雨雲が通過したらしいです。 翌日の帰国日は晩のフライトなので、ほぼ終日、最後の観光ができるのですが、 月曜日の天気は「曇り」なので、この日のLa Kitchenの最後のリサーチは そこそこにして、最後の巴里のいい天気を堪能することにしました。

まずはLa Kitchenで、まだ公開されていないIanniXの試作版を、 Linuxマシンで色々と試してみました。 スクリーンショットを持ち帰る方法が不明だったので、 画面をデジカメで撮りました。 これは10月あたりに、全てフリーで公開される予定です。

帰国した翌日の教授会で報告するための原稿を大学にメイルして、 14時過ぎに、ドアに施錠して、借りていた鍵をメイルポストに入れて、 10日ほど通ったLa Kitchenを後にしました。

とりあえずホテルに帰ってパソコンを置いて身軽になり、 通い慣れたメトロの駅に向かいました。 天気は上々、行き先はこの時点でまだ、不明です(^_^;)。

行き先ですが、前に行ったモンマルトルにまた行こう、 と思いました。前回は通過して見るだけだった、 あの人込みのまん中のガーデンレストランでゆっくりしたいな、 というのが単純な理由です。 以下は乗り換えのメトロ駅です。

1つ前のメトロの駅で何故か列車が止まり、 アナウンスはフランス語なので不明なのですが、 ドアにはさまったとか何かの事故があったらしい模様です。 地図を見ると歩いても5分ぐらいだったので、降りて駅を出ました。

ありました。 前回と同じような絵が続きますが、 これがモンマルトルの丘です。 日曜日で凄い人出でした。

今回は時間に余裕があることもあり、観光客がゾロゾロ通過する流れでなく、 キリスト教の信者が入るエリアのまん中に入って、 30分ほどぼーーーーーっと佇んでみました。 僕は無宗教の人間ですが、敬虔な気分になりました。

心が洗われたところで、芋を洗うような世俗のモンマルトル広場に向かいました。 広場では、多くの画家がいて、自分の絵を並べて売っている画家と、 その場でお客さんの絵を描く画家に分かれています。 似顔絵にもシリアスなものからギャグまで色々で、 日本人の画家も数人、いました。

この広場のまん中はいくつかのレストランのテラスとなっていて、 ここでワインにサラダ、という昼食で満腹になりました。

ワインの気分も加わって、ここでフランス2ヶ月の記念に、 僕の絵を描いてもらおう、とフト思い立ちました。 いろいろな画家がいるので、ぐるぐると2周ほどして考えました。

これが、記念すべきその絵と、作者です。 15分ぐらいで描いてくれましたが、初めてのモデルの体験は面白かったです。 次第に顔がひきつってきて、やがて集中して落ち着いてきました。

モンマルトルから下界まで下りていきました。

下り着いたのは、あの妖しいゾーンでした。 有名なキャバレー(ショー)もありました。

まだ明るいものの、夕方6時半ぐらいになりました。 ここでホテルに戻るのも芸が無い、 前夜のライトアップされたエッフェル塔の印象が蘇り、 ここからメトロでエッフェル塔に向かうことにしました。 以下はメトロ駅から次第に近付くところです。

真正面に見上げるベンチが空いていたので、 ここでどっかりと構えることにしました。

19:40になるとライトが点灯されました。 次第に周囲が暗くなってくると、少しずつエッフェル塔の印象が変化しました。

20時を過ぎると、突然に多数のストロボがランダムにキラキラと点灯しました。 広場からどよめきが上がりました。 これは静止画では伝わらないので、パリに行ったら、 ぜひライトアップの時間帯に体験して下さい。 このフラッシュは、ときどき短時間だけ演出されています。

そこそこ寒くなってきたので、ホテルに戻りました。 モンマルトルの食事が遅かったので空腹感がなく、 そのまま飯抜きで寝ることにしました。 毎日飽食?していたので、たまにはいいでしょう。 いよいよ翌日はパリを去るという、最後の晩です。 買い置きのワインもなくなっていたので、 パッキングに苦闘してから、オレンジジュースで大人しく寝ました。


2004年9月20日(月)

いよいよ、パリを出発する日となりました。 ゆっくり起床、ホテルで最後の朝食をとってから部屋でのんびりして、 11時頃にスーツケースを預けてホテルを出ました。 メトロの1週間定期(カルトオランジュ)は日曜日で切れたので、 まずは通い慣れたRepubliqueに行きました。

月曜日は多くのミュージアムが休館日なので、最初は年中無休のルーヴルに、 と思っていたのですが、観光客も殺到しそうなので予定を変更しました。 MOTUSに通っていた頃、メトロを終点まで乗ると「イタリア広場」というのがあり、 たぶんイタリアだからパスタが食えるだろう、と行きかけた事があったのを思い出しました。 しかしその時には、メトロの工事で途中で降ろされて、「イタリア広場」には行って いませんでした。そこで、とりあえずここに行ってみることにしました。 これがメトロを出たところです。

マップには噴水の公園の絵があったので、ちょっと肌寒い風が吹く中、 誰もいない公園のベンチで佇んでみました。

あたりを見回してもパスタ屋はありませんでした。 公園の名前の由来は、イタリア人地区ということではないようです。 ショッピングモールがあったので冷やかしてみましたが、 もう荷物が増えても困るので何も買いませんでした。

さて次にはどうするか、とまたマップを眺めました。 時間だけが十分にある、という余裕の時間つぶし計画です。 シテ島のノートルダム寺院に行った時に、「写真は駄目」というので、 中に入らなかったのを思い出し、写真は駄目でも、 大聖堂の中でじーーーっと佇んでみよう、という気になりました。 メトロでセーヌ川畔まで行って、裏側からノートルダムに向かいました。

まずはノートルダムの向かいのカフェで、カプチーノで一息。

ノートルダムの中に入って、真ん前の席に座って20分ほど大人しくしていたのですが、 続々と入ってくる観光客はストロボばんばんで写真を撮りまくっていました。 そこで最後に、僕も安心して撮りました。

この時点で午後1時近くになり、ぼちぼち昼食をどこかで、 という時間となりました。 再びマップを見て、とりあえずポンピドーの広場のあたりには レストランがあったので、歩いていきました。

フランス最後の食事は何にしようかな、と思っていたのですが、 結局、安易にチャイニーズレストランでの定食となりました(写真ナシ)。 その後、ポンピドーの中庭に下りてみると、 なんとモンゴルのおじさん3人が演奏して、人だかりしていました。 3人とも楽器を演奏しながら歌い、両端の二人はホーミーで歌います。 そこで、3人なのに、最大5重唱のなんとも凄い、分厚いハーモニーが 展開されました。ホーミーはそれぞれ2パターンを駆使し、 特にダブルベース(ホーミー2音の低音側の音が、 そのオクターブ下の基音を持つと知覚させるような音色)のサウンドは、 これまで多くのコーラスを知っている僕にも新鮮な驚きでした。 吹きすさぶ風の中で聞き惚れて、最後にはCDまで買いました。 偶然ですが、いい経験ができました(^_^)。

まだ時間があるので、地下の巨大なショッピングモールを散策しました。 以下はその一部の通路の天井です。

夕方4時過ぎになって、ホテルに戻りました。 ここで預けていたスーツケースを受取り、タクシーを呼んでもらって、 空港に向かいました。 道路は混んでいて時間がかかりましたが、時間に余裕があるので問題なく、 空港では快調にチェックインできました。

まだ時間があるので、空港内のカフェでフランス最後のワイン。

搭乗時刻になり、ゲートに向かい、乗り込みました。

僕の席は、ほぼ半年前には座席指定で予約していた、 定番の「センターブロック・アイルシート」で、 すぐ前はもうビジネスシートというもっとも幅広いゾーンです。 ここの周囲は子供連ればかりが座っていて、 あちこちで赤ちゃんが泣きわめいて騒然としていましたが、 必須の業務用(工事現場の削岩機用)耳栓をしているので、 何も気になりませんでした。

機内では、日本に時計を戻して、 まず駆け付けワイン1本、食事の時にまたワイン2本、食後にブランデー1杯、 で眠くなり、集中的に爆睡4時間。 その後目覚めたら、日本時間ではもう朝なので、ストレッチなどして、 無理してずっと起き続けていました。 フランスの時計のままの人はずっと映画などで起きていて、 日本に近付く頃になって(フランスは早朝)ようやく眠っていました。 これでは典型的な時差ぼけに突入します(^_^;)。


2004年9月21日(火)

飛行機が成田に着くと、日付けは1日進んで9/21の午後2時でした。 日本は連休の谷間のためか、空港はとても空いていて快調でした。

税関も荷物ノーチェックで抜けて、最後に残った75ユーロを日本円にして、 NEXと新幹線の切符を買って、駅に向かいました。

東京駅ではちょっと時間があったので、 普段なら絶対に食べない「和食・膳」(お刺身、天婦羅、きんぴら、漬け物)を、 1粒残さずに美味しくいただきました。 もう写真はありませんが、浜松には18:30過ぎに到着、19時前に帰宅しました。 2ヶ月乗っていなかったクルマのバッテリが心配なのでかけてみましたが、 問題なくエンジンがかかりました。

結局、以下のような(optionの)軌跡となりました。

2004.07.26(月) 成田前泊
2004.07.27(火) NRT11:25 NH205 
2004.07.27(火) → CDG16:40
2004.07.28(水) CCMIX エッフェル塔 凱旋門
2004.07.29(木) CCMIX ルーブル美術館 Mieさん宅
2004.07.30(金) CCMIX Erotic Art Museum 北駅
2004.07.31(土) CCMIX オペラ座付近
2004.08.01(日) CCMIX サント・シャペル ノートルダム大聖堂
2004.08.02(月) CCMIX モンマルトル ダリ美術館
2004.08.03(火) CCMIX 終日
2004.08.04(水) CCMIX オルセー美術館 セーヌ川遊覧船
2004.08.05(木) CCMIX IRCAM訪問
2004.08.06(金) CCMIX Cinema Paris ショパン下見
2004.08.07(土) 休日 モン・サンミッシェル
2004.08.08(日) 休日 蚤の市 後藤さん宅
2004.08.09(月) MOTUS 終日
2004.08.10(火) MOTUS 終日
2004.08.11(水) MOTUS 終日
2004.08.12(木) MOTUS 終日
2004.08.13(金) MOTUS 終日
2004.08.14(土) MOTUS 終日
2004.08.15(日) MOTUS 終日
2004.08.16(月) MOTUS 終日
2004.08.17(火) MOTUS 終日
2004.08.18(水) MOTUS 終日
2004.08.19(木) MOTUS 終日
2004.08.20(金) MOTUS 終日
2004.08.21(土) MOTUS 終日
2004.08.22(日) MOTUS Concert 蚤の市 マルタン運河遊覧船
2004.08.23(月) MOTUS Final Concert
2004.08.24(火) ParisNord 09:55 THA 9321 → AmsterdamCS 14:06
2004.08.25(水) STEIM 終日
2004.08.26(木) STEIM 終日
2004.08.27(金) STEIM 終日
2004.08.28(土) STEIM 市内観光
2004.08.29(日) STEIM 市内観光
2004.08.30(月) STEIM (夜)Public Lecture 講演/公演
2004.08.31(火) STEIM 蚤の市
2004.09.01(水) AMS 10:35 LH4673 → FRA 11:40
2004.09.01(水) FRA 12:50 LH3524 →  LNZ 14:05
2004.09.02(木) Ars Electronica Festival 終日
2004.09.03(金) Ars Electronica Festival 丘の上
2004.09.04(土) Ars Electronica Festival 終日
2004.09.05(日) Ars Electronica Festival 終日
2004.09.06(月) Ars Electronica Festival 半日休息
2004.09.07(火) Ars Electronica Festival 終日
2004.09.08(水) LNZ 10:30 LH3523 → FRA 11:45
2004.09.08(水) FRA 13:05 LH4220 →  CDG 14:15
2004.09.09(木) La Kitchen 終日
2004.09.10(金) La Kitchen 終日
2004.09.11(土) La Kitchen 終日
2004.09.12(日) La Kitchen 蚤の市
2004.09.13(月) IRCAM - Small  Lecture La Kitchen
2004.09.14(火) La Kitchen 終日
2004.09.15(水) La Kitchen 終日
2004.09.16(木) La Kitchen 終日
2004.09.17(金) La Kitchen (夜)Public Lecture 講演/公演
2004.09.18(土) 休日 モンパルナスタワー カタコンブ
2004.09.19(日) La Kitchen モンマルトル エッフェル塔
2004.09.20(月) CDG20:00 NH206
2004.09.21(火) → NRT14:30
2004.09.21(火) → 浜松到着
・・・(読んでいただき)お疲れさまでした(^_^;)。