[翻訳]センサ楽器演奏に対するアプローチと考察
SIGMUS チュートリアル、1999 年 8 月

Atau Tanaka

[本文はこの秋、IRCAM より刊行予定のジェスチャー利用楽器の新刊書の章よりの 抜粋・改訂である。]

音楽において演奏というのは音楽表現の表出する場 --- コミュニケーションの生じる場であった。 コンピュータ音楽は根本ではスタジオで作られる芸術であり、 それまでの演奏手段ではなしえなかったような音楽作りの可能性を 作曲家に提供している。 しかしコンピュータの処理速度が向上するにつれ、 スタジオにこもっていた音楽をステージの上へ引き出すこと、 つまりリアルタイムで音楽を実現していく可能性が切り開かれた。 これは「コンピュータが作った音楽」をライブ環境でいかに 演出するかという問題をもたらすことにもなった。 しかしそれと並行して、 コンピュータ・ヒューマン・インタフェース (CHI) や 仮想現実 (VR) といった関連分野での発展により、 ユーザとコンピュータのやりとり(インタラクション)に全く新しい形態を もたらしたり模索するためのツールが登場してきた。 こういった分野とコンピュータ音楽との交流によって、 ジェスチャー(身ぶり)利用のコンピュータ音楽楽器のデザインという 新しい研究領域が誕生することになる。 それが何を意味するかを考えてみれば、結局一巡して 「音楽のコミュニケーションの場としてのコンサート」 という出発点に戻ったことになる。 つまり技術の立場から考えれば、こういった研究は ジェスチャー利用インタラクションについての音楽面、知覚面での 進展を表すものではあるが、 音楽の立場から見れば伝統的な音楽提供の形態にコンピュータ音楽を 引き戻そうという動きとも言える。

コンピュータは「汎用指向」の機械である。 ハードウェア自体はいわば「白紙状態」で、潜在的な能力には満ちているが、 特定の性格・指向性を持つわけではない。 個別の用途に応じた能力は、ソフトウェアによって初めてもたらされる。 また入力機器はユーザがソフトウェアの機能を利用するための窓口である。 ここにも汎用指向性といったものがあって、 キーボードやマウスのような汎用入力機器は様々なソフトウェア・ツールを操作できる。 しかし楽器は単なる道具ではなく、 表現や創造を媒介してくれる装置である。 センサ利用の楽器を開発するときにはこの点に十分気をつけなければならない。 センサ楽器はマウスやキーボードのように汎用指向的である必要はない。 演奏のジェスチャーに対して特定の、かつ高度なテクニックを要求したり、 それを特定の音響合成法に限定して結びつけてしまってもかまわない。

楽器のもつ能力は、機能がいかに強力か、あるいは多様かで判断するのではなく、 音楽的表現力の豊かさで判断すべきである。 したがって問題となるのは演奏家が制御できる合成パラメタがいかに多いかではなく、 コミュニケーションの媒介者としていかに流暢かである。 センサ技術が無限の可能性を開いてくれるという期待から、 単に音響合成だけでなく、照明や画像も制御してやろうという誘惑に駆られやすい。 しかしこれには総合的マルチメディア作品を創造するつもりが、 遊園地にあるような「ワンマンバンド」ができてしまうにすぎないという危険がある。 楽器の潜在的表現力を真に引き出すには、純化された簡潔な取り組みのほうが 望ましいだろう。 したがってセンサ楽器のための作曲ではジェスチャーと音とが整合的であることを、 また演奏では意図や状況が明瞭に伝達されることを重視すべきである。

伝統的な楽器演奏では演奏家と楽器の間に打ち立てられた関係が何より大事である。 そこに至るまでにはその楽器を習い、熟達し、ついには名人芸の域に達するまでの 長い年月がある。 これは単に高度の演奏テクニックといった運動面だけでなく、 人と楽器の個人的交流から生まれる音楽性なども含んだダイナミックな関係に つながってゆく。 この点では演奏家と楽器との関係は、単に人間・機械間のインタラクションと 言う場合から想像されるよりはもっと深いものである。 加速的な高度技術発展の渦中では、特定のハードウェアやソフトウェアと 十分馴染むまでつきあうことは稀で、すぐに新しいバージョンに置き換えられてしまう。 これは楽器との深い関係を築くのに長い時間が必要なこととは著しく対照的である。

楽器が演奏家にとってコミュニケーションの媒介者となるためには、 楽器を意識させない流暢さのレベルに達する必要がある。 楽器演奏ではよく、演奏家が楽器を通じて「語りかけて」いるようだといった 描写が語られる。 ここまで親密な楽器・演奏者の関係を打ち立てるというのは、 コンピュータ楽器デザインにも価値ある目標である。 これは演奏家が楽器を直観のレベルで把握し、扱える域に達したということで、 楽器操作の1つ1つを意識し、気を使う必要はもはやない。 楽器に対するこういった直観的な流暢さをどのように実現するかは、 大きな芸術的課題となる。

こういった目標が達成されれば、聴衆も新しい楽器での音楽演奏を鑑賞する 手がかりを得られるようになる。 楽器演奏という行為を理解するには、連想や親近感が基礎となる。 合奏でのそれぞれの音楽的役割を聞き分けるには、 各楽器の音色についてあらかじめ知っていることが基本である。 新しい作品の理解は、その楽器のレパートリーの記憶に基づいている。 コンピュータ音楽では各作品がそれぞれに独自の音の世界をもった音楽を 作り出すのだという立場がとられている。 しかし聴衆は作品どうしにわたって連想が利くような音の記憶をほとんど持たず、 したがってそれが音楽を理解する助けにはなってくれない。 センサ楽器が有効となる1つの側面は、馴染みのないコンピュータ生成音に 連想的要素をもたらすこと、つまりジェスチャーによる一種の視覚的手がかりを 与えることである。 こういった可能性をフルに生かすためには、 作曲家は新しい楽器についての演奏の「言い回し」集を提供していくことが務めとなる。 そういった楽器固有の「演奏言語」が成功するかどうかは、 演奏ジェスチャーが音としての音楽とどのように整合的に、かつ明瞭に 結びつけられるかにかかっている。

(訳: 平賀 譲)