1998年より、静岡大学情報学部で「音像メディア論」という講義を始めました。
今回は1998年12月中旬に4日間、静岡大学浜松キャンパス内「佐鳴会館」ホールでの
集中講義の形式で行いました。大学から借りたSGI O2(CDプレーヤ兼用)が1台、
あとは自宅からクルマで、パソコン3台とKymaと音源モジュールとビデオデッキと
ビデオカメラとスキャンコンバータとミキサとMDと数台のセンサなどの機材群に、
OHPやHi-8テープやCDをドカッと持ち込みました。以下は、受講した情報科学科と
情報社会学科の学生が後日提出した、「講義を受けて自由テーマで」という
課題レポートからアトランダムに並べたもの(Webでの公開予告済)です。
以下の著者名リスト(順序とは無関係)
コンピュータミュージックにおけるインタラクティブとパフォーマンス概要 コンピュータミュージックの世界において、パフォーマ ンスをすることによって、音楽を作り出す方法が導入されてきて いる。人間とコンピュータとの間の双方向な関係についての考察 を踏まえつつ、人間がパフォーマンスを行うことの意義について 考える。
1.はじめに
Computer Musicというと、MIDIなどの規格によって作成された
データをコンピュータが鳴らしたり、「テープ音楽」のような電
子音響の生成をしたり、その結果をコンピュータが演奏している
ようすが連想される。このような演奏は、コンピュータから出て
くる音、音楽を人間が聞くという関係にある。
2.楽器の演奏からパフォーマンスへ
それでは、人間からコンピュータへの働きかけは、どのように
して行われるのかを考える。音楽の情報としてコンピュータから
人間に対して与えられる情報は、コンピュータが演奏する曲であ
ったり、今引くべき鍵盤の位置を指示したり、譜面を画面に表示
したりする等の形になる。これらは、いずれも人間に理解できる
音楽の情報の形式である。
3.パフォーマンスとコンピュータ
このパフォーマンスは単調なコンピュータへの働きかけではな
い。人間のパフォーマンスは、演奏するたびに毎回違う動きをす
ることになる。特に楽器の演奏とは違い、楽譜があって演奏する
形式が決まっているわけではないので、演奏をするたびごとに全
く違った働きかけを行うことができるのである。
4.コンピュータから人間への働きかけ
コンピュータが人間からの入力を受ける方法については、先に
述べた通りである。それでは、コンピュータから人間への働きか
けはどのようになされるのであろうか。
5.パフォーマンスのための入力装置
人間のパフォーマンスをコンピュータとして伝える具体的な機
器としては、その一つにヤマハのMIBURIがある。これは、「手首
・ひじ・肩の曲げ」センサを用いている。こうしたセンサを用い
た音源としては、他に「筋電位センサ」がある。これは、筋肉の
緊張状態を取り込んで、MIDI出力するという方式である。
6.マルチメディアアート
コンピュータに人間からの働きかけとして、マルチメディアを
導入する方法もある。これも一つのパフォーマンスとなる。具体
例としては、コンピュータグラフィクスと音楽を組み合わせる方
法がある。人間がお絵描きソフトの画面に絵を書いていくと、そ
の描画情報をコンピュータはMIDIデータとして捕らえ、その情報
をもとに作曲を行い、音楽を作っていくのである。
7.まとめ
コンピュータミュージックにおけるパフォーマンスは、人間が
自由に音を作り出し、自由に表現するための手段である。そして、
人間が作り出した音を受けて、コンピュータは作曲し、演奏を行
い、人間に対して影響を与えるという、インタラクティブな環境
の中で行われるものである。これらは、従来の演奏では行われて
いない形式である。
8.おわりに パフォーマンスは、コンピュータミュージックにおいて、人間 が自由な表現を可能にするという点が、非常に大きな意義を持っ ていると考えている。そして、そこにコンピュータからの働きか けを受けることで、人間自身がこれまでに無いインスピレーショ ンを受けるという形態は、これまでの音楽には無かった、全く新 しいものである。つまりこうしたコンピュータミュージックのラ イブは、大変刺激的なものになり得ると考える。こうしたことか ら、パフォーマンスはこれからさらに新しい境地を開いていく可 能性を十分に感じさせると思えるのである。
音楽活動におけるコンピュータの可能性概要 音楽という一つの表現方法をコンピュータ上で表現する方法は様々である。 本論では特に現代音楽についてコンピュータが音楽活動にどのように貢献 できるかを論じていく。
1.「音楽」の捉え方
音を「ド・レ・ミ」のように枠組みにはめ込んで構成しようとするのが従
来の音楽である。アドリブなどによって不確定性を与えることはあっても、
楽譜の上の音符は一意な音を指しているし、音楽理論(あるいは人間の認
知機構)に基づいて「聞いていて不自然さを感じない」音楽を作り上げる
ことを目的としている。
2.コンピュータミュージックと現代音楽
音楽活動にいかに貢献するか、つまりいかに創造力を加速させてくれるか
を考えると、コンピュータという道具は、現代音楽において可能性を持っ
ているのではないだろうか。
音像メディア論・レポート1「はじめに」 今回のレポートは、音声通信の仕組みと問題点について述べます。
2「マルチメディア情報通信とは」
郵政省電気通信技術審議会マルチメディア情報通信技術委員会の
定義によれば、「マルチメディア情報通信とは、音声、画像、文字、
データなどの表現メディアをディジタル化によって統合された情報として
一体的に扱い、対話的機能(インタラクティブな機能)や知的機能(イン
テリジェントな機能)を利用して、必要な情報を、必要なときに、必要な
表現形式で、ネットワークを介して受発信することを可能とするコミュニ
ケーション手段である。」としています。もっと簡単に言うと、「ディジタル
化された、音声、画像、文字、データなどをコンピュータ・ネットワークを
介して、やりとりすること。必要に応じてリアル・タイムに通信できる。」
ということです。
3「音声のディジタル化」
音声のディジタル化は、音声のアナログ信号の電圧を一定周期で測
定し数値化(サンプリング)することによって表現されています。A-D
(アナログ-ディジタル)コンバータでサンプリングし、再生は逆にD-A
コンバータでディジタル・データを電圧に変換することで表現されます。
ディジタル化された音声の品質やデータのサイズを決める要素は、サ
ンプリング・レート(サンプリングする周期)とサンプリング・サイズ(測定
した電圧を何ビットで表すか?)です。どちらも大きくすれば、品質は良く
なりますが、その分データ・サイズが大きくなってしまいます。
4「マルチメディア情報通信における課題」
これまでのネットワークは、コンピュータ間のデータ通信を主な目的として
いました。しかし、マルチメディア時代においては、コンピュータ間の通信
に加えて、人間と人間がネットワークを介してコミュニケーションする事を考
えなければなりません。このためには、ネットワークの構築において人間に
関連する要素が大きく影響するようになります。ここでは、この問題につい
て説明します。
マルチメディアとセンサ概要 コンピュータシステムが人間の演奏者との接点として用いる各種 のセンサシステムについて、まずマルチメディア・システムを考え 次に各種センサ及びヒューマンインタフェースについてどのような 物があるかを調べてみた。
1.はじめに
マルチメディアにおけるデータは、すべてデジタルで扱われることからも
マルチメディア応用では、いかにセンサ技術が重要であるかが推測できる。
近年のコンピュータ・パワーの飛躍的な向上には目を見張るものがあり、
それに伴い、人間よりの処理、つまりユーザインターフェースを充実させる
処理時間の余裕が出てきた。こうした流れは、センサを装着することによっ
て、直接入力する方法を産み出した。
2.マルチメディア・システムとは
画像、音声、図面などコミュニケーションに必要な情報を複数種類コンピ
ュータに取り込んで、自由に扱える環境をマルチメディア・システムと呼ぶ。
基本的には、一般的な画像処理システムと同様であるが、高速処理機能を生
かして、画像・音響生成や表示がリアルタイムにできることから、ユーザの
意志や、身体的な動きなどをインタラクティブに対応できることが大きな特
徴となっている。
3.各種センサ
コンピュータシステムが人間の演奏者との接点として用いる各種のセンサ
については様々な種類が存在する。あげてみると、
4. ヒューマンインタフェース
次に、ヒューマンインタフェースについて取り上げる。ここでは、人体に
直接装着して、情報を得る代表的なセンサをあげる。
5.おわりに
マルチメディア用センサは、高感度化、高分解能化、高速化などのより高
機能な開発が必要である事はもちろんのこと、人間相手の新しいインターフ
ェースの開発が望まれる。これはたんに、人の動きを認識して位置情報を得
る方式に留まらず、人間自身から出る情報あるいは生体内部の情報を直接、
間接的に検出できるセンサである。
コンピュータグラフィックのすべて
概要
現在コンピュータグラフィックスは映画やテレビ、ゲームの世界で幅広く
使われている。そもそもCGとは何なのか、エンジニアが難しそうな技術を
駆使しているイメージを想像しがちである。
1. はじめに 今回集中講義でコンピュータミュージックのことを勉強したわけだが、私 はその中でも特に音楽とともに使われていたCGの方に興味を持った。情報 学部にはいったこともあり、自分で実際作ってみたく思っていた。CGの 映像はよくみかけるが、どのような仕組みかと聞かれたら分からない。そこ で今回、本当に初歩的内容だとおもうがCGとは何か、そしてそのCGはこ れからどのような方向にむっかていくのかレポートしてみたい。
2. CGとは
CGとは最近CMやゲームでみかけるコンピュータによって作られた映像
のことを指すのは言うまでもない。ここで学術的にCGというものを定義し
てみたい。
3. CGの仕組みについて
CGとはコンピュータによって作成されるものですが、まず行わなければ
ならないこととしてコンピュータにもわかる形で表すことである。そこで考
え出されたのが絵を細かく仕切ることである。
4. CGデータの作り方
CGを作る最初の手順としてモニタリングという言葉がある。
5. これからのCG
ここまでCGの初心者である私がCGに関して述べてきたわけだが、今後
CGの世界がどのように変化していくか考察してみたい。
6. 終わりに
これまでCGに関して、CGには興味はもっているが作ったことはないと
いう初心者なりにCGに関して調べてきた。
音楽を理解するコンピュータ音像メディア論講義から わたしが音像メディア論を受講するに当たって最も知りたいと思ったこ と,それはコンピュータの作り出す音とその1仕組みついてだ。しかし実 際に講義の中で最も興味をもったことは,すでにある音楽からビート理 解してキャラクターにダンスを踊らせるシステムや,人間の演奏に合わ せて自動的に伴奏を作り出すシステムのことだ。つまり,最初の興味は デジタルから作り出すアナログの音だったのだが,講義を受けて,アナ ログの音をデジタル的に理解するという正反対の方向の技術に興味がわ いたのだ。 アナログからデジタルへ わたしが思うに,音楽とはそもそもアナログ的なものだ。音楽は人間が 耳というアナログ的なインターフェースで理解するためのものなので, これは間違いないだろう。アナログをデジタルに変換するというのは, 一瞬だけで無限の表現を持つものを無理矢理型にはめることに違いない 。つまり表現としてのレベルはデジタルがアナログを上回ることはない だろう。しかしながら,現在音楽はデジタル化してから配布するのが主 流だ。コンパクトディスク,ミニディスクなどの普及がそれを表してい る。もちろんデジタル化するということによって情報量が少なくなる, ということは悪いことではなく,コンパクト化や処理の用意さ等の利点 がある。だからこそ主流になっているのだ。音のデジタル化というのは もはや当然のこととなっている。
音楽としての理解
デジタル化した音を音程や長さなどの要素からコンピュータが理解する
ことは容易だ。しかし,音の集合を音楽として理解するのは,とても難
しい。音のつながり,音の流れというさらに感覚的な,アナログ的な要
素が加わるからだ。人間はアナログ的な考え方が出来るため,音楽が鳴
り始めた瞬間に"音にのる"ことができる。しかしデジタルでしか処理で
きないコンピュータが"音にのる"というのを理解するには,やはりパタ
ーンマッチングしかないだろう。音の流れに法則性を見いだすのだ。つ
まり,即座に理解する事は出来ない。シンディーも音楽を流してしばら
くの間は,まずパターンを認識する事から始めなければならない。伴奏
が人間の弾くピアノのアナログ的なタイミングに合わせることが出来る
のも,結局は処理の高速化により,人間が気づかないぐらいのスピード
で解析して結果(伴奏)を導き出すからだ。
コンピュータが音楽を理解したら 音楽としての理解がリアルタイムに出来るようになれば,様々な応用が 考えられる。わたしが一番楽しみにしているのはカラオケ(に限らずだが) の採点システムのようなものだ。今のカラオケの採点システムは,元か ら有るデータに対して正しい音程であるか,とか声の大きさなどで判断 しているのだろう。だから,アドリブなんかをするのは高得点に結びつ かない。しかし,音楽としてかっこいいアドリブのパターンなどが判断 できるようになれば,それこそ原曲をとどめていないような自分なりの 歌い方に,評価を与えてくれたいするのではないだろうか。恐らくカラ オケの点数も単純に100点満点の評価でなく,何人もの審査員キャラがい て,それぞれが違った評価をしてくれるだろう。ある審査員キャラに高 得点を出させるために,アドリブを考えたり,キッチリとした音程で歌 うようにしたり,高得点の中にも色々な個性が出てきて非常に面白そう だ。 最後に デジタルはアナログより表現力に劣ると言ったが,わたしはそれ以上に デジタル化した音楽に可能性を感じる。様々な楽しみ方が出来るはずだ。 それは,人間には決してデジタル的な考え方が出来ないからかも知れな い,と思う。
音像メディア論・レポート課題概要 今回の4日間の授業で、コンピュータミュージックについて学習し たわけでもその真髄を理解できたわけでもなく、ただいろいろな種 類の作品を見て感想を持っただけである。このレポートにおいては、 そのわずかに触れただけのコンピュータミュージックについて、素 人の思うコンピュータミュージックの観点から考えてみる。 1:初めに この講義を受ける前のコンピュータミュージックに対する私の感想・ 偏見は、実際の音楽に対して、表現力に乏しい機械音であり、血の 通った音楽というものを感じさせないような冷たい感じの音の集まり であるといったような事であった。実際になじみがなかったし、興味も 全然持っていなかった。そんな私のあくまで消極的な否定的な考えである。
本文:「 講義後のコンピュータミュージックに対する意見」
上記の通り、私のコンピュータミュージックに対する初めの感想
はよくないものであった。授業ではたくさんの分野の作品を聞き、
自分の好きな楽器を扱ったコンピュータミュージックも実際にはあ
った。しかし、作品を聞いた(見た)後の今の感想でも、初めの感
想からあまり変わっていないような気がする。しかもさらによくな
い感想を持ってしまった。冷たいという印象だけでなく、もう触れ
たくないというのが本音である。まず第一に機械音の世界を抜け出
せなかったような気がする。
「 興味を持てた内容」
「 興味を持てた内容」
6:おわりに なにもわからないままに感想と考えを述べてみた。私が想像したアルゴ リズムや考え方は実現不可能かもしれないし、とうの昔に実現されている ことであろう。でもまずは自分なりに考えることで興味を持てる分野を見つ け出すことができるような気がした。
Computer Musicにおけるセンシングについての考察概要 コンピュータ外部の要因を取り込んで,Computer Musicを作ったり,コント ロールする場合,そこには何らかのセンサが存在する.このセンサ部分から得 られる情報をうまく利用したり,パフォーマンスなどのすでに芸術的なものと 組み合わせることによって,Computer Musicの可能性・芸術性はよりいっそう 深められると思うのである.
1.はじめに
このレポートではComputer Musicのうち,いわゆる現代芸術と結びついた面
を中心に考察する.それと,音楽をうまく利用して,過ごしやすい空間につい
ても考察してみたいと思う.
2.人間からのセンシング
人間からのセンシングについては,人間の内的な状態をセンシングする場合
と人間の動作をセンシングする場合などがある.
3.雰囲気からのセンシング(1)
コンピュータがパフォーマなどと協調しないで,音楽を演奏するときのこと
を考えてみたい.このとき,必要になると考えられるのは,例えば,オーケス
トラの指揮者がテンポや音をどのように調整しているか?とか,ライブで聴衆
の反応から盛り上がりを判断するか?など,雰囲気を読みとる経験則であると
考える.また,自分がした演奏で返ってくる反応から,次の演奏をどのように
変化させるかといった経験も必要であると思う.
4.雰囲気からのセンシング(2)
雰囲気のセンシングのもう一つの利用として,その場にあった音楽の生成を
考えてみたい.「その場にあった」というのは何をセンシングして,どんな情
報も交えて,音楽を生成するのか,難しいところであると思う.大体,人間が
音楽と空間の雰囲気をどう認知するのか,定量化するのが困難である.
5.さいごに
センサとは,コンピュータと外界との接点である.このセンサは,電圧や電
流の変化を出力したりする.もちろん,カメラで撮った映像もマイクから入っ
た音もセンサの出力と同等であると考えられる.
コンピュータが日本音楽を自動作曲する際の問題点
1.はじめに
私は、講義中に実演していたMAXが自動作曲する様子に非常に興
味を持った。同時に、コンピュータによる作曲に音楽のジャンルが限
定された場合、どのような弊害が生じるのか、という問題意識も芽生
えた。
2.拍子
組歌(何曲かの歌を組み合わせたもので、特に歌詞のあるものをい
う)を例に挙げて説明しよう。この組歌の各1歌は、64拍子の筝に
よって主旋律がとられている。あるいはその倍の128拍子と考えて
もよい。しかし、その拍子は終始一定しているわけではない。すなわ
ち、最後の歌の終わりの8拍子だけは、速度を倍にして弾くのが定型
となっているのだ。
3.演奏法
ここでは、雅楽を例に挙げて説明しようと思う。雅楽の合奏の開始
と終止には一定の型が存在する。具体的に言うと、楽曲の演奏は必ず
横笛1管によって始まるのである。篳篥や笙やその他の楽器で始まる
ことは絶対にない。しかも、横笛も同時に2管以上で始まることもな
い。
4.礼楽哲学
ここが、コンピュータが日本音楽に抱く最大の難関であると思う。
5.終わりに
以上、3点から日本の伝統的音楽を考察してみた。これを通じて、日
本音楽には、その種類毎に定型というものがはっきりしている、という
ことが明らかになった。いや、日本音楽だけではなく、歴史ある音楽に
はすべて決まり事が存在する。ふさわしい楽器、ふさわしい曲調…、そ
れらが合間って、音楽をジャンルに大別する要素と足り得ているのであ
る。言い換えれば、その要素をうまく踏襲すれば、コンピュータがいく
らいい加減に作曲した曲でも、人間は「それらしく」認知してしまうの
だ。
カオス理論及びその応用法について概要 この講義の中の話題として特に印象に残った理論として、カオ ス理論がある。私は、文系の学生であるので、これまでその理論 について知る機会がなかった。しかし、この講義を通じて、その 理論について興味がわいたので、より深く探求してみたいと考え た。
1.はじめに
ここで話題となっているカオス理論の「カオス」という言葉の
本来の意味は「混沌」であり、整然としたシステムや規則が存在
しない状態を指している。
2.数学及び物理の歴史的背景〜カオス理論の生まれたいきさつ
自然の現象をモデル化するにあたっては、前述した決定論的法
則、すなわち、『ある時点で状態が明らかである時、その後の状
態は原理的にすべて決定される』ということが前提となっている。
なぜなら、自然の現象をモデル化するということは、すなわち、
『現象を数式で表す』ことであり、結果が予測できなければ、そ
れが不可能になるからである。
3.カオス理論
カオス理論の中で代表とされている方程式として、以下のよう
なものがある。
4.カオス理論の応用例
このカオス理論が、現在、コンピュータネットワーク上での
セキュリティに応用されている。
5.おわりに
今回、カオス理論について自分にとっての発見となったのは、
情報の分野において、このカオス理論が、情報科学のみならず
情報社会の領域にも応用されている、という点であった。
私がコンピュータミュージックをつくるとしたら概要 この講義中、邦楽がコンピュータミュージックに使われている ことを知り、お琴はどうだろうと考える。そこからお琴の音階の特徴、 なぜその音階が日本的に聞こえるのか考察する。そして、具体的に どのようにお琴を使うか考える。 1. はじめに 音像メディア論を受講して印象に残ったことは、笙や尺八などの邦楽器 を使ってコンピュータミュージックができるということだった。日本の 伝統的な楽器と、最先端のコンピュータミュージックは以外と相性が良い ものだと思った。そこで、他の邦楽器はどうだろうと考えるに至った のである。私は高校時代、筝曲部に所属しており、お琴の魅力に魅せられて いた。お琴は現代音楽に使うと、何とも言えない雰囲気を醸し出すのである。 お琴はコンピュータミュージックに向いていないだろうか。そこで、 お琴のことについて考えることにした。 2. お琴の音階 お琴は基本的に平調子という音階に調弦する。この音階は「レ」と「ソ」 の音を抜いている。低い方の弦から音を言うと、「ミ・ラ・シ・ド・ミ・ ファ・ラ・シ・ド・ミ・ファ・ラ・シ」である。このままボロロンと 弾いてみると不思議に日本的な感じになる。「さくらさくら」はまさに 日本的なメロディーだが、これはお琴で弾くことのできる最も簡単な 曲である。最後に一回「レ」が出てくるだけで、それ以外はそのまま 弦を弾けば良いからである。(ちなみに「レ」の音を出すには、 「ド」の弦を押しながら弾けば良い。)お琴はこの音階で曲を弾くと 何でも日本的に聞こえる。なぜだろうか。 3. 日本的なメロディーとは 文献によると、日本人には、四度の隔たりが1つの単位 となるテトラ・コードが自然な音感覚であるそうだ。確かに、お琴の 音階では「ミ・ラ」や「シ・ミ」、「ファ・シ」など四度になる確率が高い。 また、著者によると、「赤とんぼ」など、四度の出だしで歌いはじめられる 歌は、時代をさかのぼるほど増えてくるらしい。では、外国の音楽も、 四度の音階が使われていると日本的なメロディーとなるのかというと、 そういう例もあるらしい。ロシア民謡の「トロイカ」は、もし日本の曲 として歌われても何の違和感も無い。そういえばこの歌の出だしは四度である。 また、この本を読むまで知らなかったのだが、「蛍の光」も スコットランド民謡だそうだ。この歌も四度の出だしである。そこで 思い出したのだが、お琴で「六段の調べ」という有名な曲があるが、 これも四度の出だしである。これだけが日本的なメロディーの要因では ないと思うが、日本人の感じる自然な旋律線の1つの典型には成り得る のではないだろうか。 4. コンピュータミュージックとお琴 お琴の多くの曲が日本的に感じる原因はわかった。私がコンピュータ ミュージックを作るとしたら、お琴の音色やこのような音階を活かして 作ってみたい。普通の音楽(といったら語弊があるかもしれないが)を 聞きなれた私としては、まだ授業で聞いたようなコンピュータミュージックに あまり魅力を感じないからである。また、パフォーマンスをするとしたら、 お琴で伝統的な音楽を弾いて、それを加工して全く違ったものを同時に聞かせる というのはどうだろうか。それに合わせて後ろにCGを映したり。 衣装は着物が良いかもしれない。 5. おわりに いろいろ勝手なことを述べてきたが、それはつまり、コンピュータ ミュージックがそれだけ懐が深いということだろう。 リズムや楽器の制限もなく、自分のしたいことをできる。また、現在、 音楽にコンピュータが関わらないことは滅多にない。今後コンピュータが 使われる機会は増えて行くことを合わせて考えると、コンピュータミュージック 人口はますます増えていくだろう。
コンピュータミュージック概要 音楽と科学というのがコンピュータを触媒にして、どのように関係して いくのかを考える。また、コンピュータミュージックという分野がどの ように発展してきたのかと、人とコンピュータミュージックがどのよう に関わっているのかを考察する。 1,はじめに ただ単にコンピュータミュージックといっても様々なアプローチの仕 方が存在している。打ち込むだけのコンピュータミュージックもあれば、 人間と密接に関係しているコンピュータミュージックも存在している。 リアルタイム、ノンリアルタイムの違いなどその種類は区分けすれば幾 らでも考え出す事ができる。このような様々なコンピュータミュージッ クを以下で紹介したいと思う。 2,打ち込むだけのコンピュータミュージック この部類のコンピュータミュージックの代表的な例としてはMIDIを上 げることができる。これはMIDI対応の楽譜を書き込む事によって何度で もまったく同じ演奏が行なえる事ができる。決して間違う事はなく普遍 性が期待できる。しかし、その反面音楽を芸術として捉えると、何らか のパワーが足りないといわれている。例えば音量の変化であったり、テ ンポの変化であったり、音色の変化である。コンピュータというのは同 じ事を処理するのは得意であるが人間が表現しようとするあいまいなニ ュアンスは不得意である。芸術的なミュージックをいかにつくりだすか が今後の課題であるといえる。最終的な目標としては誰が聞いてもMIDI と演奏者の演奏を区別できない所までニュアンスを付けれるかどうかで ある。
3,リアルタイムでのコンピュータミュージック
リアルタイムでのコンピュータミュージックは今日セッションという
形でよく行われている。人間がある種の動作を行う事によりリアルタイ
ムで処理し、それを音楽として発表するという形式のものである。
4,これからのコンピュータミュージック コンピュータとはもともと仕組まれている音に対して正確に再現する のは得意な分野であるが、それをこのまま行なっていくと演奏者の創造 性を抹殺することにつながってしまう。これではカラオケをしているの とあまり変わりがないのである。このような演奏者の創造性を壊してし まわないように先ほど述べたようにライブ演奏が行われている。これは 演奏者に音楽の進行を委ねているので演奏者の意図が大きく反映する部 分において指向されている。しかし、リスクが多いのでリハーサルが重 要な部分を占めてくる。コンピュータミュージックはまだ発展途上にあ るのでこれからもっと多くの数のコンピュータをつなげてのセッション なども行われるであろう。 5,おわりに この数年の間にコンピュータは凄まじい発展を遂げてきた。それに伴 いコンピュータミュージックも発展を遂げた。最初のコンピュータミュ ージックの研究は現在ではすごく簡単なものであった。またここまで発 達した理由はコンピュータの普及なくしては語る事ができない。昔は、 一部の設備が整えられる研究者だけが研究を行っていたのである。それ が今日ではパソコンを持っていればコンピュータミュージックを作成で きるようになったのである。更なる時代の波によりコンピュータミュー ジックは発展を遂げるであろう。
インタラクティブアート、マルチメディアアートについて概要 私が授業を受ける前に触れたことのあるインタラクティブアートから受けた刺激につ いて書き、そこから自分で作りたいと思っていた作品の概要についてふれ、どのよう にしたら利用者にとって面白い作品ができるのか、を突き詰めて考える。 1.はじめに MTVの登場以来、曲のプロモーションの一貫としてビデオクリップが脚光を浴び出し た。曲から感じられるイメージを映像にして、それをテレビで流す。視覚と聴覚に 訴えることで、より制作者の意図していることが伝わる。目で見るもの、耳で聞く ものは、文章を読むことよりも簡単に、見るもの聞くものに理解される。しかしイ ンタラクティブアートや、マルチメディアアートは曲紹介的なものと違い、感覚を 刺激するタイプのものが多い。私がさわったことのあるものの一つにイギリスのア ート集団で「TOMATO」というグループの「ANTI-ROM」という作品がある(@ザ・ギ ンザアートスペース、1997/7月)。これは彼等が感じた何かをコラージュして、そ れを一つのながい帯みたいなものにして、マウスの操作で横に流れたり、縦に動い たりするものである。彼等のメンバーのなかにイギリスで有名なテクノミュージッ クグループの「UNDERWORLD」のメンバーが二人いるため、今どきのテクノミュー ジックが鳴りながら絵の変化を楽しむといったものである。同時に音も早さが変 わったりした。今までの私が考えていた、絵と音のつながりを変えてくれた作品 だった。作品は作者が作ったものには違いないが、観客が使うことによって、作 者も予期していない素晴しい作品に変化するかもしれない。観客が自分でその作品 を自分なりにアレンジできるのだから作者が万人受けするものを作る必要がなくな った。これからの時代は「カスタマイズ」の時代であるから、アートの分野は先に 進んでいたのかもしれない。「ANTI-ROM」は私に大きな創作意欲を沸かせた。次に 私が考えていた作品について書いてみたい。 2.車窓とテクノ 今現在私は週に一度、静岡市にある大谷キャンパスに通っている。電車のなかで立 ちながら乗っている私は、窓の外のしたのほう、線路を見ながらゆられている。 線路はずっとまっすぐに2本伸びていてとぎれることはない。自分は電車に乗りな がら眺めるため、視線は安定せず、まっすぐになったり、波打ったりしている。下 に敷いてある石の形が識別できないほどの早さで走っている。その絵の流れる様を 見ながらBPMの早い曲を聞くと、絵と音に一体感があって、偶然のマルチメディア アートだと考えていた。それだけでなく、夜の暗闇のなかに浮かぶ街の明りも電車 の早さによって位置を変えながら遠ざかっていくのも一種のアートだと考えていた。 これを何か作品にできないだろうかと考え、MACROMEDIA FLASH 2でつくってみたが ソフトの制約上いいものは作れなかった。その経験からDIRECTORで作ることを計画 していた(以前メールで長嶋先生にMAXを勧められたのでそちらも視野にいれて検討 している)。どのような作品かというと横に線が流れ、車窓の景色のようにランダム に上下したりする。そして速さをマウスや画面上のスライダーを操作して変えてやる と、CDプレイヤーのなかにはいっている音楽CDのピッチも変わる仕組のものである。 逆回転やループも設定できるようにする。言葉にすると案外簡単なものかもしれない が、こういう単純なもののほうが、人にとって刺激を与えるのではないだろうか。 3.自分なりの評価 自分の作品として考えていたことは常に自分の新しい体験によって変化していく。 私にとって、スピード感というものが面白いのであって、他の利用者にとってはつ まらないかもしれない。それに既存の音で楽しむというよりはそのアート用に何か 曲ではない音、自然の音をサンプリングしてコラージュした意味不明な音とかのほ うが面白いと最近考えるようになった。それとWINDOWS95のスクリーンセーバーに あった宇宙旅行といったやつをうまくこのコンセプトに当てはめて作品を作ってみ たいとも考えている。 4.おわりに いろいろと考え、面白い作品を自分でも作って見たい。もっといろいろなインタラク ティブアートに振れたいと思う。
コンピュータミュージックとパフォーマンス概要コンピュータを使った音楽がいろいろと世の中には増えてきて いるが、MIDIデータを使って決まった演奏をならして歌を 歌うというものではなく、実験的にはどのようなことが行われ ているのかについて調べその考察を書いた。
現在、コンピュータミュージックは電子楽器、センサなどを用
いた多様なものになっている。電子楽器と一口に言っても従来
の楽器をベースにしたものと、研究者であり演奏者である人が
新たに考案したものがある。センサなどには、人間の体の動き
繊細な動きから大胆な動きまで、パフォーマーの感情をより明
確に表現するためにつくられたもの、脳波、筋肉中の電気的な
信号をとらえ音として表現するものがある。また、自然の雲の
動きや、湿度、温度の変化、大気中のガスの変化など、自然の
リズムをデータとして扱い、コンピュータで処理し、音として
表現するというものまである。それらを利用したパフォーマン
ス、 ライブにつて書いて行く。
コンピュータミュージックに触れて概要 長嶋先生の講義によってコンピュータミュージックというものがどのよう なものであるかを学んだ。この中でも自分の興味のある物事を取り上げて、 得た知識や思ったこと考えたことを述べていきたいと思う。 1.はじめに 音像メディア論の講義によって、コンピュータミュージックにも様々な研 究があり、様々な方向からのアプローチがあることを学んだ。以下では コンピュータの音楽の知覚・認知、コンピュータとのセッション演奏、 MAXによるアルゴリズム作曲、について述べたいと思う。 2.コンピュータの音楽の知覚・認知 ここではコンピュータの音楽の知覚・認知について述べる。つまり、コンピ ュータに採譜をさせるというアプローチである。これは、コンピュータによ る音楽情報処理に関するテーマである。この分野では、ノンリアルタイムで の楽譜採譜・周波数分析行う。楽譜採譜というテーマは市販ソフトが 販売されるほど研究が進められた。具体的に言うと、実際の演奏をコンピュ ータに聞かせ採譜や周波数分析を行うわけであるが、ノンリアルタイムで行 うことは比較的簡単に誰にでも行うことができるようになっている。逆にリ アルタイムでの採譜は、現在でも研究が行われている。この研究は、人との セッション演奏の研究に結びつく課題である。この、リアルタイムでの採譜 ですごいと思うのは、演奏者がミスをしてもとまらずに追従していくという 研究発表である。このようなシステムがどのように成り立っているのかが興 味深いものである。また、上記の採譜の研究でもMIDI楽器からの採譜とMIDI ではない音響からの音響情報を入力するためには最新の技術が必要で、とて も難しいものである。また、僕自信が今後どうなるかが気になるテーマとし て、人間の感情を判断できるシステムつまり、この曲は明るいとか芸術的だ と判断できるシステムの研究というのがある。このテーマは幅広い分野での 研究がミックスされなければならないため、かなり困難なものと考えられる 。まず、人間の認知・評価システムを解明しなければならないからである。 だが、いつか実現してほしいテーマである。このように、コンピュータの音 楽の知覚・認知のテーマは幅広く困難なものであるとわかった。しかし、目 が離せないテーマであることに違いない。 3.コンピュータとのセッション演奏 ここでのテーマは、コンピュータによる採譜ともかぶる問題である。まず 、セッション演奏するにはリアルタイムに採譜しなければならないからであ る。具体的に、ここでは生身の演奏をしている最中に伴奏や競争の処理を行 い人間の演奏にコンピューターが追従するのである。ここでの大変さは「2 」で述べたとうりである。このような研究のなかで指揮者の指揮にあわせて 演奏するというシステムを講義でも見たが、このような場合、すでにシーケ ンサにすべての音楽演奏情報が確定しているために簡単に実現するものであ る。また、講義では他にピアノ演奏の追従などのデモテープをみた。しかし 、ピアノ演奏のデモは確かにすごいと思ったがどうやらまだ完璧ではないみ たいである。講義用参考書として配られた資料にも書いてあったが、演奏者 の突然の加速などに追従する場合コンピュータではギクシャクするという問 題がある。このような問題は、すぐに解決するのであろうか?。僕自信ない 頭を絞って考えてみて、すぐにできてしまうものではないだろうか。知識の ない人間が軽はずみに言うのはどうかとは思うが、今までのコンピュータ技 術の発達を考えてみるとそう思えてくるのである。これから更に最新のコン ピュータやその周辺機器が開発されることは間違いないからである。今後、 演奏者の独奏に対しコンピュータが勝手にそれにあった伴奏、メロディで追 従していくようなシステムができてほしいと思う。 4.MAXによるアルゴリズム作曲 このMAXというものは、音楽家にとっては画期的な開発ではないだろうか。 作曲というのは、音楽を生成していくアルゴリズムを記述するものである。 これを昔の音楽家は様々な言語によって処理するプログラムを開発しなけれ ばならなかった。しかし、このMAXというのはGUI機能というものによって簡 単にアルゴリズムを記述することができるようになったのである。講義でも 、この機械を用いたが、見ている方にも簡単そうで実際には扱っていないが 面白そうなものであった。根が得てみても、良く分からないプログラムをや らず、MAXを用いるというのは魅力的なものである。このようなものは、近く 一般の家庭でもゲーム感覚で普及することも考えられであろう。 5.終わりに この講義によって、コンピュータミュージックというものを体験し、その 背景やその特徴を知ることができたわけだが、この分野にもいろいろな未来 がありまた欠点があると思う。未来というのは今後開発していくテーマが無 数にあり、その前途は険しいものだが光が見えないわけではないということ である。しかし欠点もある。特に、コンピュータミュージックのライブで思 うことであるが。生身の人間のライブだとその演奏者独特の特徴や気性、性 格を垣間見ることができるが、コンピュータの演奏ではそれは感じることは できないのである。人はよくその人の雰囲気や性格にひかれることがある。 この観点で言うとコンピュータミュージックと生の人間の演奏には大きな違 いがある。つまり、大きな感動を聴覚だけでは表現できないのではないだろ うか。この事は今後解決されない問題である。しかし、コンピュータミュー ジックの神秘さや、マルチメディアアートなどの発展によってそのような問 題は大きなものでなくなるであろう。このようなことを考えると、今後のコ ンピュータミュージックの発達が楽しみである。
音とはなにか概要 音とは何かという簡単な疑問から始まり、日常生活の中やこれまで の経験の中で不思議と思ったまま、忘れ去っていた事象について科学的に 説明をする。また、例として音の速度である音速についての説明、音波を 使った研究や活用法などを簡単に述べる。 1. はじめに 私が、音像メディア論の講議を取ろうと思ったのは、コンピ ュータを使った音楽というものがどのようなものなのか興味があからだっ た。しかし、3日間の講議を受けている中で、コンピュータが作る音であ ったり自然界の音であったり、普段何の不思議もなく耳に入ってくる「音」 について、私はほとんど知らないのだと思った。今まで知らないというこ とにも気付かずに生活をしていた。だから、知らなくても支障はないのだ ろうと思う。しかし興味をもったのを良い機会に、まず「音」について少 し調べてみようと思った。これで最後には私なりに「音」というものの形 が見えてくればいいと思う。
2.
音は、空気の振動である。空気の圧力の平均より高い部分と低い部分
ができ、それが波となって伝わっていく現象である。空気が押されると押
された空気が密集して、まわりより圧力の高い部分ができる。この部分は
隣の空気を押し、さらに押された空気の圧力が高くなって隣の空気を押す
。この繰り返しが波のように次々と伝わっていくのである。これが音が伝
わっていく仕組みである。そして音を伝えるのは、空気だけではない。そ
の他の気体や固体もまた空気同様音を伝えることができる。音とは、つま
り空気のような物質(媒質)に、圧力の高いところと低いところが波のよ
うに疎密にできること自体が音であると言える。だから、物質が存在しな
い真空の状態では音は伝わらない。
3.
次に、先に述べた音の速度(音速)について私が興味を持ったのは、
水中における音である。私事であるが、趣味でスキューバダイビングをや
っている。その時のことで、潜っていると水中の世界は神秘的なほどに静
かだが、人工の音例えば水上を通るボートの音などは、びっくりするほど
大きく聞こえてくる。そして音の源がどこにあるかよく分からないという
くらい、様々な方向から音が聞こえてきているように聞こえる。まさに水
の中は音の世界である。よく潜水艦映画でソーナーという言葉を耳にする
。映画の中でも、相手の潜水艦の出すソーナーの音をじっと聞く場面を見
たことがある。
4.
次に音の中の人が発する声について少し興味を持ったことがある。小
さい頃、まだCDやMDが世に出ていなかった頃、カセットテープに自分
の声を録音したことがある。自分でも忘れていたのが、ある日懐かしいそ
のカセットテープが出てきたので聴いてみた。中身は何のことはない、姉
との意味もない会話だったがみょうに自分の声が気に入らない。姉の声は
当時の物なのに、私の声だけが聞いたこともない声に聞えた。まわりに聞
いてみるとカセットテープの声が私の声そのままだというが、納得できず
に機械のせいにしてそのままほっておいたおぼえがある。それからずっと
なぜかわからなかったが、気にすることもなく生活してきた。しかし思い
もよらぬところで真相がわかったのである。なぜ、録音された自分の声だ
けが違って聞こえるのか?その理由は「骨導音」にあるというのである。
口から出た音は、空中を伝搬し自分の両耳に到達する。この伝わった音は
「気導音」と呼ばれる。一方顎のあたりに手を触れながら大きな声を出す
と手に振動が伝わるのがわかる。このように、発生時の声帯振動は頭骸骨
を通じて直接的にも内耳に伝えられ結果として音が聞えてくる。この音が
「骨導音」である。自分以外の人は気導音だけを聞く、テープレコーダー
に録音される音もこの気導音だけである。しかし、自分は気導音と骨導音
を同時に聞いているため、違った声に聞こえるのである。時間遅延とイコ
ライザーを用いて自分が聴く自分の声の周波数特性を測定した研究におい
て、自分の声は録音された音に比べて低周波数ほど強く、高周波数ほど弱
く聞こえることが示されている。したがって、発声者が自分の声をこもっ
た声に知覚していることを裏づけるといえる。
5.終わりに 私達の日常には数えきれないほどの音が散乱している。し かし、私達の耳はそれらの中から必要なものを拾いだし、大きすぎたり小 さすぎたりする音に無意識に対処している。私は、音楽についてはほとん ど知識はなく、楽譜もまともに読めない。けれど、今回「音とはなにか」 という単純なことをあらためて調べて知ることができ、まわりに溢れてい る音に対する見方が少し変わってきたような気持ちがする。このレポート を書くにあたって次々と、音について不思議だ興味があるといった事柄は 出てきた。また、いつか納得いくまでゆっくり調べてみようと思う。音に ついて調べただけで、講議の内容だったコンピューターミュージックにつ ては、触れることはできなかった。今の私では講議以上のことはまだ難し く理解するのも大変。けれど、この先機会があったら今回のように自分で ゆっくりと調べて理解していきたいと思う。
コンピュータミュージックの未来1.はじめに 現在、音楽を作るうえでコンピュータは非常に有効なツールである。音楽 制作のいたるところでコンピュータは利用されている。しかし、コンピュ ータから奏でられる音は計算され、スピーカから発せられる音であって、 自然界の音とは異なるものである。そこを自然に近づけようとすることも 可能であるが、それとは反対にコンピュータでしか出せない音を追求する ことがコンピュータという道具のよりクリエイティブな使い道だと私は信 じている。 2.音をつくる 音というのは、空気の振動を耳が感知して知覚するといわれている。その 振動はコンピュータによって波形として表現され、その波形を編集し自然 音に似せて作ったりすることも可能であるが、自分で音色を作って行くほ うがより創造的であろう。今の時点のソフトウェアシンセでもほぼ制限の 無い自由な音色の制作が可能である。したがって、その合成過程や選択は 作者の楽曲にあわせて作者自身が試行錯誤し生み出していくことになる。 3.楽器としてのコンピュータ こうした音源としてのコンピュータだけでなく、この音源で演奏すること ができるようになってきている。それは単に音を配置して再生するシーケ ンサとしてではなく、リアルタイムで奏者がコントロールする楽器として である。そうなると大切になってくるのはインターフェースの問題である。 あるパラメータを上下するくらいならマウスでドラッグすることで足りる が、それを複数同時に、また、大きな動きから微妙なタッチまでコントロ ールするにはほかの新たなデバイスが必要になってくる。ここでも従来の 楽器を真似る必要はなく、全く新しいデバイスを考案する方がより創造的 で、音楽の可能性を広げるものであろう。 4.テクノミュージックの未来形 先日、新宿のICC(INTERCOMMUNICATION CENTER)で行われた「mego@ICC テク ノミュージックの未来形」と題されたシンポジウム、及びコンサートへ行 ってきた。megoは、オーストリア、ウィーンに本拠を置く"テクノ"・レー ベルである。比較的新しいレーベルでありながら、彼らはこの数年、世界 各地のサウンド/アート系の名だたるフェスティバルを荒らしまわっている。 彼らは演奏にパワーブックしか使用せず、その音響はダンス・ミュージッ クとしての電子音楽、ニュー・ミュージックとしての電子音楽、ノイズ/ エクスペリメンタル・ミュージックとしての電子音楽、そのすべての、あく ことのない解体と混交である。彼らは自らソフトウェアも作成している。 シンポジウムでの質疑で見えてくるのは、各人の音楽的バックグラウンド をコンピュータを使って表現しているということだったと思う。それはと ても感覚的なもので、それ気持ちいいね、くらいなものが根底だというよ うに思えた。 5.おわりに こうしてみると、コンピュータミュージックはその自由度の膨大さから、 とてもつかみにくいものになっている。その傾向は今後ますます強まり、 多種多様な音響が世界各地で鳴り出すことだろう。
コンピュータミュージック言語について概要 音楽が生成される過程を記すことにより作曲することを、アルゴリズム 作曲という。アルゴリズム作曲を実現するために、様々なコンピュータミ ュージック言語がある。言語をデザインする上で重要なことは、作曲の 思想やプロセスが制限を受けないということである。
1.はじめに
多くのコンピュータミュージック言語は、概念的にはスコアとオーケスト
ラの2つの部分に分けられる。スコアとは音楽の構造を記述することで
あり、オーケストラとはスコアが利用する音を生成することである。スコ
アは最終的にノートリストすなわち楽譜を生成し、オーケストラがこれを
演奏する、というのが一般的といえる。これらの名称は、ほかに適当な
呼び方がないため伝統的な音楽からコンセプトを借用してはいるが、必
ずしも普通の意味で五線紙のスコアに書けるような音楽である必要は
ない。というよりむしろ、コンピュータを用いることによって、伝統的なコン
セプトの積極的な拡張を行うことが望ましい。またスコアは、単に音譜
を書き並べるだけでなく、コンピュータ言語が本来もっている力を利用し
て作曲を行うことでもある。これをアルゴリズム作曲という。
2.オブジェクトの利用 コンピュータミュージックを作成するためには、様々なユニットジェネレ ータやフィルタなどが必要になるが、これらは実際にはLISPやC言語な どで書かれたプログラムであり、実行可能な形にコンパイルされてライ ブラリやオブジェクトを形成している。したがって、音楽を作ったり音響学 的な実験を行ったりする場合には、低レベルのプログラミングに煩わさ れずに、これらを部品(オブジェクト)としてつなぎ合わせ、必要な情報は パラメータとして与えられる。
3.様々なコンピュータミュージック言語
このような形態をもったプログラミング言語は、すでにいくつか開発され
てきている。有名なものを以下に示す。
4.言語のデザイン 言語をデザインする上で重要なのは、ユニットの性能によって作曲の発 想やプロセスが制限を受けないことである。つまり、作曲家のアイディア を自由に表現できる環境を、プログラミング言語が保障しているというこ とである。たとえば、どんなピアノの天才でもピアノを使う限りはオクター ブを任意のインターバルに分割したり、鍵盤から人間の声を出したりする ことができない。しかしコンピュータの場合には、このような限界があって はならない。また逆に、作曲家がプログラミング言語を学ぶことで、斬新 な着想や作曲の方法を獲得することもあり、双方向のコミュニケーション が大切である。 5.おわりに かつてのコンピュータミュージック言語は、音楽専用にデザインされた 特殊なもので、FORTRANやC言語で書かれてはいても言語のもつパ ワーの利用には限界があった。しかし、最近ではプログラミング言語の 環境とパワーを完全に利用できるようになってきている。
コンピュータの性能向上とコンピュータミュージック概要 コンピュータによる音処理の中で特にリアルタイム作曲についてのべる。 1.はじめに 近年のコンピュータの処理速度の向上はめざましいものがある。それに よってコンピューターミュージックの世界では一昔前まではコンピュータ の能力が低いためにできなかったことができるようになってきている。そ の代表的なものがリアルタイムでの音処理である。ここではそれらリアル タイムで処理される音楽について述べたい。
2.コンピュータのリアルタイム伴奏
リアルタイムでの音処理でまず思いつくのはコンピュータによる伴奏で
ある。しかしコンピュータが伴奏をするにはいろんな問題点がある。
単なる伴奏ならリアルタイムである必要はないのだが人間の演奏に
応じて変化する伴奏となるとリアルタイムで行わなければいけない。しか
も人間の演奏した曲にふさわしい伴奏をしなければいけない。しかしこれは
実現するのがかなり難しい。
3.リアルタイム作曲
リアルタイム作曲は演奏するだけでなく曲自体をリアルタイムで作曲し
ながら演奏する一種の即興音楽といえる。これが伴奏などともっとも違う
のは楽譜というものが存在せず,その場で鳴らす音を決定するということ
である。
4.最後に リアルタイムでの音処理は単時間あたりの計算量が非常に多いためコン ピュータの性能向上が欠かせない要素の一つである。逆にいうとコン ピュータの性能が今よりももっと向上すればより複雑なリアルタイム処理が できるようになる可能性がある。
コンピュータによる音楽の解析概要 人間が普段何の苦労もなく聞いている「音楽」というものを、コ ンピュータに認識させるにはどうしたら良いかについてノンリアルタイ ムな音楽情報処理を中心に考えてみる。ノンリアルタイムな音楽情報処 理では、その中でも人間でいうところの「聴覚」的なものである「周波 数分析」について検討することとする。 1. はじめに コンピュータに「音楽」を認識させると言われても、実際にはこんな 抽象的な言い回しでは良く分からない。そこで例えば、自分が自分の好 きなアーティストの曲の構成(コード進行や楽器の編成など)を知りた いと思い立ったときにどうするかを考えれば、自ずとその具体的な形が 見えてくるはずである。ここではその方法について考えたい。 2. 耳コピーから見た音楽解析 我々(著者)が既存の曲(録音されたもの)について、いわゆる「耳 コピー」をする場合、音楽の構成要素である、コード進行(ベース)、 リズム、メロディー、そして音色について調べる。コード進行を知りた いのならば、まずベースを調べ、そこから調を決定し調べる。それから リズムなどを調べる。いずれにしても調べたい対象の音色を知らなけれ ばならない。そこで考えるのが「音の3要素」である。「音の3要素」 とは、「音色(波形−スペクトル)」、「音の高さ−ピッチ(周波数)」、 「音量(振幅)」である。ここで注目したいのが、「音」は「波形」と 1対1に対応しているということであり、音を目で見るには波形を見れ ば良いということである。しかし、ここから「音楽」を解析できるかと 言えば、それは大変な苦労を要するのである。音色を見つけ、そのピッ チや音量を調べることは、人間にとっては割と容易なことであるが、コ ンピュータにとっては困難な壁が存在しているのである。それを以下で 考える。
3. 音源分離
音色を調べるためには、ごちゃごちゃに重なり合った音をひとつひと
つ聞き分けねばならない。これを音源分離と呼ぶが、この「音の混在」
が、コンピュータによる音楽解析の最大の壁となっているのである。人
間は、この混ざり合った音の集まりを、いとも簡単に聞き分けることが
出来てしまう。しかし、この仕組みについては、未だ謎が多い。
4. ノンリアルタイムにおける音楽情報処理の実際
周波数分析においては、取り込んだ波形を、自己相関と呼ばれるもの
などによって分析することが行われている。
5.リアルタイムな音楽情報処理
MIDIを使っていない演奏をリアルタイムで解析するには、コンピュ
ータのパワーがかなり必要である。
6.おわりに 人間が、音楽を認識し、解析する具体的な構造は謎が多く、やはり感 性の成せる業としか現在においては言えない。コンピュータによる音楽 の解析も当然不完全な部分が多い。しかし私は、人間の未知なる部分が 解明されれば、コンピュータによる音楽情報科学も自ずと開ける気がし てならない。ひょっとすると、現在の考え方とは全然違う方法で実現さ れるかも知れない。それぐらい未だ分かっていない部分が多いというこ とである。それだけに、これからの発展が期待される課題である。
音声・音響信号処理概要 コンピュータ技術の発展に伴い、様々な情報がディジタルのデータコードと して一元的に扱えるようになり、様々な分野における重要な技術としてマルチ メディア技術が位置づけられている。ここでは、音声・音響信号処理に着目し、 マルチメディアにおけるこれらの果たす役割とその中心になる技術を検討する。
1、はじめに
現在のように、マルチメディアが認知されてきた背景として、コンピュータ
技術の発展に伴い、音声・音響信号がパソコンやワークステーションに組み込
まれてきたことが挙げられる。これまでのパソコンやワークステーションなど
と違う点として、音声や音楽といったサウンド機能や、CD−ROMドライブ
などの機能が搭載されるようになったことが挙げられる。パソコンはFM音源
(注1)、PCM(pulse code modulation)音源(注2)を搭載し、高品質
で多くのサウンドを出力できるようになった。また、CDに記録されている音
声や音源情報も出力できるようになった。またサウンド機能は、画像などと同
期再生を可能にすることで、音で確認しながら操作が実行できるようになり、
ユーザにとってパソコンがとても使いやすいものとなり、ゲームなどでも高品
質な音が自由に、簡単に実現できるようになった。このようなサウンド機能に
は、波形のカットアンドペーストなどの編集機能、圧縮信号の再生、各種音源
による楽音・楽器音再生、エコー処理、ピッチ変更、ノイズサプレッサなどの
エフェクト機能などがある。以下では、音楽・楽器信号を合成手法により生成
する方法について検討する。
2、音声信号の合成
@音声信号の合成の役割
3、楽器信号の合成
@楽器信号
4、おわりに 音声と音響信号処理について述べてきたが、CDに代表されるようなディジ タルオーディオ信号は、信号処理や伝送に際して、信号のビット長を十分に確 保すれば、ひずみやSN比などの信号品質の驥(I:ぢがほとんどなく、高品質信号 が維持でき、音質が極めて重要となるオーディオシステムにとっては最適であ る。また、ネットワークメディアとしての信号伝送にも手軽に使うことができ る。ディジタル信号がマルチメディアとしても問題なく利用できる理由は、デ ィジタル信号は、記録再生・伝送に際してその範囲を明確にしておけば他の信 号と混在しても扱うことができるからである。このようにメディアのディジタ ル化が進むことによって、扱いや処理が簡単になり映像・音声・文字・図形・ コンピュータソフトなどのマルチメデBア情報の記録再生伝送が、容易に実現 できるようになった。
コンピュータと人間のセッション演奏概要 コンピュータと人間のセッション演奏について、講義の中で触れて いたが、その中で特に印象に残った、コンピュータと人間のリアルタ イムでのパターンマッチングについて主に述べ、またコンピュータミ ュージックの可能性を述べる。 1はじめに コンピュータとのセッション演奏において、その難しさ、またそれに よるコンピュータミュージックの新しい可能性を、音像メディア論講義 、また音楽情報科学の世界を参考に自分なりに考える。 2コンピュータとのセッション演奏 コンピュータとの演奏といっても、その形は様々である。例えば、コ ンピュータにあらかじめ曲のデータを知らせ、その曲を人間も一緒に演 奏する。などという演奏形態も、一つのセッション演奏であるが、コン ピュータミュージックと呼ぶにふさわしくするには、リアルタイムにコ ンピュータと人間が曲を作り出すようなものであると考える。 3リアルタイムでのパターンマッチング コンピュータとのパターンマッチングにおいて、あらかじめいくつか のパターンをコンピュータに覚えさせてき、それをもとに人間の演奏に あったパターンをコンピュータが生成していく。という方法がある。し かし、人間が演奏してからコンピュータがパターンを認知し、演奏して いくと、人間とコンピュータとの演奏に遅れが出てしまう。また、人間 が突然演奏を変えたり、速さを変えたり、また間違えて演奏してしまう と、コンピュータと人間の演奏に違いができてしまう。そこで、コンピ ュータはあらかじめ次の演奏を予測し、人間の演奏に対し柔軟に対応し ていかなければならない。とは言っても、人間同士でも、突然の変化に は対処が難しい。目やジェスチャーなどのコンタクトをとるように、コ ンピュータにも何らかの情報を与える必要がある。人間との意志の疎通 は難しいが、人間とコンピュータとの同時演奏は講義でもあったピアノ 演奏のように、実現している。 4これからの可能性 「音楽情報科学の世界」でニューロドラマーが取り上げられていた。こ れは、人間のドラマーが与えたリズムに対し、ニューロドラマーが返す といったシステムであった。これでも言えることだが、必ずしも人間が 予測した通りのリズムが返ってくるとは限らない。つまり、コンピュー タが独自に生成したものが返ってくるのである。この様に、コンピュー タと人間とのセッション演奏において、コンピュータが独自に作り出す 音楽と演奏すれば、コンピュータの存在が、これまでの人間の代わりで はなくなり、コンピュータだから演奏できる音楽が新たに生まれてくる 。すでにMAXなどで実現されていると考えるが、コンピュータの自動 演奏と人間とのセッション演奏は、より意味を持ったものになると考え る。 5終わりに コンピュータとのセッション演奏は、指揮と演奏者との立場にもなっ ている。また、コンピュータミュージックによる新しい音、またはリズ ムとそれらを組み合わせれば、全く新しいオーケストラなどが実現する 。未来には、作曲者がコンピュータなどという歌、曲もでてくるのでは ないか。ここではコンピュータとのセッション演奏について、またコン ピュータミュージックについて、簡単ではあるが、自分なりに考えた。
コンピュータミュージック概要 コンピュータミュージックが受け入れられてきたここ数年と,講義を受けた後 での再認識を踏まえた上での自分の考えを述べる。特に"音"を中心とした考察 をいれ,今後の自分の音楽への接し方とコンピュータミュージックについて考 察する。 1.はじめに コンピュータミュージックというのは,すでにいちジャンルとして確立された ものだと感じていた。現代的な,自然音でなく電子音を基調とした音楽−それ は実に洗練されたものであるという観念を自分の中に作り出した。 ところがそれはコンピュータミュージックの中のほんの一部であることを知る。 それによってまたコンピュータミュージックに対する見解,考えが変わってき た。
2.コンピュータミュージック
以前まで"電子音楽",いわゆるコンピュータミュージックというものに対する
イメージは,あまり自然な音でないため「冷たい音」であった。人間味を帯び
ていない,受け入れられない分野だという否定的な考えも持っていた。しかし
,日常聞き慣れていない音を織り成して作り出す音楽は,その反面,非常に興
味深いものでもあった。
3.電子音
ところが音像メディア論の講義の中で,コンピュータミュージックとして作ら
れた曲を聴いてみると,まったくこれまでと違う感じの,と言うより初めて聴
く種類の曲であった。正直言って音楽であることに疑問を抱いた。ある音を基
本としてそこから加工してつなぎ合わせたような音楽は,自分にとって不協和
音でしかなかった。
4.音楽
自分にとって音楽と言うのは,字の如く音を楽しむ(あるいは,音で遊ぶ)も
のであって,いくらリズムがとれていても不快な音の集まりとしか聞こえない
ようなものは,極端に言うと音楽として見なせない。特に原音が1つだけの場
合だと単調で,楽しめるとは思わない。
5.おわりに コンピュータミュージックというものについて,多少否定的な部分も書いたが, 音楽という大きな枠で捉えるとやはりそれは音楽であって,作る側も聴く側も 楽しめるものである。今後もコンピュータミュージックは大きく発展していく と思われるが,誰もが楽しめるものとなるように期待したい。
シンセサイザーによる芸術的な演奏法の追求概要なぜシンセサイザーによる演奏は無機的だという評価されるの か、また芸術的な演奏とはどのような条件を含んでいるのかと いったことについて調べてみました。
最近の音楽番組などを見ていると、歌い手のみがステージに立ち、
演奏者の代わりにダンサーを起用している歌手が目立つということに
気が付きます。私はそういう人達はあらかじめ伴奏を録音し、それを
本番で流しながら歌っていると思っていました。しかし実際はそれだ
けではなくて、シンセサイザーにMIDI形式のデータを与えて演奏し
ている場合もあるそうです。しかしその音楽を聴いていると、ブラウ
ン管を通しているせいなのか、他の生演奏の番組とあまり違いがない
ような気がします。また作曲家の中には、コンピュータを用いて作曲
から編曲、そして演奏までを一人でこなしている人もいるそうです。
よく父が「オーケストラはアナログのレコード盤で聞くのがいい」と
言っていたのを思い出しますが、音楽(特に芸術的な面で)をディジ
タル的に扱うことは可能なのでしょうか。そこで、シンセサイザーに
ついて述べている本に注目してみました。
コンピュータで音楽情報処理概要 楽譜認識はもう研究としては成り立たなくなったが、 音像メディアという分野を学ぶのは今回の集中講義が初めてなので、 昔のことから調べてみた。 1.はじめに コンピュータを使った,あるいは利用した音楽関係の技術には, 様々なものがあるが,現在最も広く利用されているのは,やはり, 演奏情報を中心とした処理技術になると思う。 2.コンピュータで音楽を扱う 音楽に限らず,どんな情報もコンピュータで扱うためには, それをコンピュータが理解できる形式で表現すること,コード化が必要になる。 例えば,演奏情報についてはMIDIという規格がある。 しかし,MIDIは電子楽器で音楽を演奏するために作成された規格なので, すべての音楽情報を表現することができるわけではなく, 自動演奏で区別できない,あるいは区別する必要がない情報は表すことができ ない。 MIDIでは楽譜に表現されている情報を全て表すことができないため, 楽譜情報を表現可能な音楽のコード化が必要となるが, 様々な規格の国際標準を定めているISOでの10年にも及ぶ議論の結果, 1995年に音楽記述言語の標準化案 SMDLが提案された。 この標準化案では音楽情報を,文書記述用のマークアップ言語, SGMLの応用として表記する。 MIDI規格が今日のデスクトップミュージックの普及に大きく寄与したように 楽譜情報の処理システムの発展のためには楽譜情報の記述言語が重要となるが SMDLの提案により,そのためのプラットフォームができたといえる。 3.音楽情報の処理 音楽情報を計算機で処理するためには, 処理したい音楽情報を計算機に入力することが必要となる。 楽譜情報の計算機への入力方法としては, キーボードや手書きにより入力する手動入力, 採譜と呼んでいる音響による入力, それから楽譜を光学的に読み取る楽譜自動読み取りによる方法がある。 手動による入力は,全て人手によるため,入力の手間が大変だが, 入力方法に熟練すればかなりの速度で入力が可能で,また,確実な方法だ。 音響による入力は,市販されている製品もあるが,音源に制約があり,また, 音価の規格化という問題がある。 楽譜情報を直接計算機に入力する方式としては, 最も直接的な光学的楽譜読み取りによる認識が一番望ましいと考えられる。 楽譜の自動読み取りの研究は,70年代から始まり、 研究が開始されてからつい最近までは,画像入力装置の制約, 計算機の処理能力の制約,などハードウェアの制約も大きかったのだが, 他に,記譜法の曖昧性,画像としての複雑さのために, 認識が技術的に難しいこともあり, 認識できる記号が音符や休符など主要な記号に限られていたり,また, あまり複雑な楽譜は認識できないなど,実用化は進まなかった。 楽譜には音符や臨時記号のような形状が一定していて出現場所も特定しやすい 記号とスラーやクレッシェンドのように 不定形で出現場所も特定し難い記号が混在している。 前者に属する記号は,単独では比較的認識は容易だが, 記号の密度が高くなると,記号同志の重なりや微妙な位置づれや ノイズの影響で記号の切り出しが難しくなり, 100%の認識率を得るのは容易ではない。 4.おわりに コンピュータの高性能化によって、光学的楽譜認識の正確さが増し、 もうすぐ手動入力を超えるスピードと正確性で認識できるようになるだろう。 研究テーマとしてはもう成り立たなくなった。 そして、演奏と同時にリアルタイムに採譜する知的伴奏というテーマが出た。 コンピュータの進歩と音楽情報処理は密接な関係にあると言えるだろう。 いままで特に音楽という分野に興味がなかったのだが、 コンピュータを扱う情報学部にいるからには、 音楽は関係ないとは言えないのではないかと思う。
感性の遊離概要 人間は音楽を聴くことによってさまざまな感情を生むことができま す。人間と機械の違い、そのもっとも最たる部分は感性でしょう。 しかしマルチメディアの登場に伴い、その二つは統合されようとし ています。いったいその先には何があるのか、本稿ではそれについ て考えていこうと思います。 1. はじめに 論理機械であるコンピュータと人間の感性がつながるということ はどういうことなのでしょうか。その第一ステップとしてコンピ ュータと身体とのマッチングを考え、つぎにコンピュータによっ て感性がねじ曲げられた例を紹介し、最後に感性情報処理につい て述べます。 2. 感性と機械 一口に「Computer Music」といっても、実にいろいろな種類 とアプローチがあります。そんな広大で深遠なComputer Music の世界で私が最も興味を持ったことは、「感性情報処理」による アプローチです。音楽と快感の関係を突き詰めていくと、どうし ても人間の感性に突き当たります。感性に直接訴えかけることに よって、音楽は心地よさを生むと思うからです。しかしその感性 とは一体どういった物なのでしょう。私にとって感性とはあいまい で理屈では手の届かないところにある気がします。そんな感覚の微 妙な肌触りともいえる感性と論理機械であるコンピュータとがつ ながるのでしょうか。その相対する二つの背後には、一体どんなも のが隠されているのでしょうか。 3.身体とのマッチング 「身体」と「機械」を結ぶのは「感覚」であり、広くいえば「感性」 です。LSDもパソコンも、脳の神秘的な構造をさぐる「サイバーな ツール」として捉えられてきました。1960年代から現代にいたる サイバー・カルチャーの信念は、脳の内側の領域に一歩踏み込むこと で、隠された潜在能力に光をあてることができるということです。「サ イバー・カルチャー」における「身体の」捉えかたには「理性」中心 の見方が根を張っています。合理的、効率的を重視するため、手足や 脳はただの物質で、脳の情報システムが思考活動の実体だといった意 見が幅をきかせています。しかし、はたしてそれは正しいことなので しょうか。脳もふくめて身体全部を合理的な分析対象とするのは、確 かに近代知の方向としては正しいと思います。しかしマルチメディア で問題にしなければならないのは、むしろ環境世界と一体化した、身 体全体のダイナミズムではないでしょうか。身体があってその一部と しての脳があるわけで、逆ではないと思います。脳自体は、身体の通 信制御を統括する、単なるセンターにすぎないと思うからです。 4.サイバー娯楽空間の魔力 インターネットの世界で「MUD」という有名な、集団ロール・プ レイング・ゲームがあります。80年代にイギリスの大学のコンピ ュータ上でのゲームから始まって、今プレイヤー数は二万人を超え るといわれています。MUDというのはひとつの想像世界です。プ レイヤーはそこでさまざまな役を演じながら、プレイヤー同士の対 話を通じて、複雑なドラマのストーリーを織り上げていくことにな ります。興味深いことに、MUDプレイヤーの中には、寝食を忘れ てゲームにすっかりのめり込んでしまう、中毒者が少なくありませ ん。起きているあいだじゅう、パソコンに向かっているというプレ イヤーさえいるのです。その理由は双方向性・対話性の魅力という ことよりむしろ、昔ながらの「変身願望」といえると思います。誰 でも自分の現実の姿から逃げ出し、別の自分になって行動してみた いという根強い願望をもっていると思うからです。なぜならそこに は限りない自由があるからです。さまざまな姿にめまぐるしく変身 しながら、サイバースペースの中を駆け巡るということに、インタ ーネットの大きな魅力があることは否定できません。けれども、下 手をすると落とし穴にはまり、自分を失ってしまう恐れがあること も事実だと思います。変身という高級な遊びを楽しむためには、し っかり自分自身を把握する力もっていなくてはならないと思いま す。さもないと、ただ逃避するだけになってしまうと思うからです。 一番困ることはサイバー・スペースでは有限な人間の感覚が薄れて いってしまうことだと思います。何にでもなれて、死んでも生き返 ることができるということは、そういうことだと思います。電子メ ディアは人間の情報処理・情報伝達・情報蓄積の能力を恐ろしく高 めますが、情報のあらわす「意味内容」とは有限な肉体があるから こそ出現すると思います。けっして技術の高度化だけを追い求めて 人間と技術の間に大きな隔たりを築いてはならないと思うのです。 脳の神経と電子回路を直接結んでしまい、本来の身体性を見失って しまうと人間はサイボーグになってしまいます。有限な肉体の感覚 がなくなると、欲望も無限に増幅していくでしょう。そこには本当 に正しい理性を持った人間が存在しているのでしょうか。技術の進 歩と人間との感性を遊離させてはならないのです。 5.感性情報処理 「感性情報処理」と言いながら、感性をいかに活性化するかという よりも、感覚情報の数値化に力点が置かれたりします。たとえば芸 術作品を統計処理するといった類いです。ピカソやダリもモーツァ ルトもベートーベンも、作品の特徴を数値化することはできるでし ょう。しかし、数値データから傑作が生まれるわけではないと思い ます。長嶋先生が音楽情報科学の世界で述べているように、「感性 情報処理」のアプローチはまだまだ先が見えないでしょう。それだ からこそ研究者としてはたまらない宝庫なのです。 6.おわりに Computer Music研究に関連して感性について考えてきました。いろ いろ他の事も考えたのですが、なかなか参考文献が見つからず、見つ かっても長嶋先生に頂いたプリントの方が内容が濃いため、何を書い ても付け焼き刃のような気がして書く自信が湧きませんでした。そこ で自分の中ですこしでも知っている領域に絡めて書きました。
コンピューターによる自動伴奏システム概要 集中講義中にでてきた自動伴奏システムについて配布された資料、webサイトな どを参考にまとめたもの。授業の内容に自調べたもの、考えたものを加えた。
1.はじめに
伴奏システムに至るまでのコンピューターミュージックの流れから見てみよう。
はじめはコンサートホールなどでテープを再生し、聴衆は客席に座ってただその
音楽を聞くだけのテープミュージックと呼ばれるものだった。その当時は高速な
コンピューターや音響設備が存在しなかったためホールでリアルタイムにたくさ
んの音を合成して鳴らすことは不可能だった。それでコンサート前にコンピュー
ターで合成した音素材をテープに何度も多重録音して最終的な音楽作品として発
表していた。
2.伴奏システムとは
伴奏者には、あらかじめ楽譜が与えられている。その楽譜には、自分が演奏す
べき伴奏パート以外に、独奏者のパートも並べて記述されている。一方、独奏者
の楽譜には伴奏パートが記述されていない。このことから伺えるように、独奏者
は自分勝手に演奏し、伴奏者は独奏者の演奏を聴きながら、その演奏にぴったり
とあわせて一所懸命演奏しなければならないかのようである。事実、独奏者の癖
や性格までも考慮に入れて演奏しなければならないのである。
3.伴奏システムの概要
伴奏システムは独奏者に合わせるシステムであるが、現段階では、独奏者の時
間的な変化(テンポ変化)に追従することが主な仕事である。楽譜における独奏
者の関係から、伴奏システムがどのように演奏すべきかが決定される。その関係
は、1.独奏者と同じタイミングで演奏 2.独奏者の音符の一部と同じタイミング
で演奏 3.独奏者の音符のないところでも演奏 の3種類のパターンが考えられる。
4.おわりに 自動伴奏システムの概要は以上のようなものだが、どんなシステムでも事前に 行うリハーサルがきわめて重要だいうのが、多くの研究から示唆的にわかってき ている。標準的に用意してある音楽モデルに対して、人間の演奏者の持っている これに対応したりアクションを返すことで人間の演奏家はかなりストレスの少な いセッションに臨める。このテーマはまだまだ発展段階でこれからも更なる発展 が期待できるだろう。
電子楽器の発達概要 現在の音楽産業を大きく変化させ、半導体の低価格化によって大衆 化した電子楽器。その電子楽器が生まれてきた背景、機能、それに用 いられたその時代において電子楽器に搭載された最先端技術を楽器ご とに説明した。 始めに 講義の中でテルミン、ミブリ、グローブを手にはめて演奏する装置、 ダンスにあわせて演奏する装置等いくつかの電子楽器が紹介された。 電子楽器は約90年前から何種類も作られてきた。これから代表的な ものを種類ごとにその機能や特徴を述べていく。
草創期の電子楽器
テルハーモニウム
電子オルガン
ハモンドオルガン
電気、電子ピアノ
1928年に電気ピアノは発明され、1970年中頃から電子化されていっ
た。電子化されると音色の幅が飛躍的に広がる、調律が不要、ヘッド
フォンが使える、小型軽量化が可能になり値段が安くなるという長所
がうまれる。
シンセサイザー
1952年、今日のシンセサイザーの元祖となるRCAシンセサイザー
が発表される。RCAビクターのHオルソンがコロンビア大学に
設置した研究用装置で、音を電子的に合成し、自動演奏や多重演奏が
できるという音楽制作機能を備えていた。さらに作曲するのにするの
にもっと能率の良いものが要求され発達していった。またシンセサイ
ザーでなければできない曲も構築され、その後の音楽に大きな影響を
あたえた。
新しい演奏形態の楽器 1993年ヤマハはまったく新しい演奏形態の楽器「みぶり」を発表した。こ れは従来の楽器とは奏法がまったく異なっており、楽器と体が一体化し、 音程、音色、音色、音量を別々にコントロールして演奏する。 鍵盤は音がすぐに出る便利なそうちだが、ステージ上で見栄えがせず、音 楽の表現力に欠けていた。そういう理由から体を大きく動かして演奏する 発想がうまれた。これならば気持ちを込めた演奏が見ている人にも伝わる。
終わりに
電子楽器はその時代の最先端のハイテク技術が応用されて開発されてきた。
それらの技術を用いることによって楽器がただ演奏することだけではなく、
音の合成、作曲、編曲、自動伴奏、自動演奏と非常に多くの役割をになう
ようになった。
カオスの生成する音楽概要 コンピュータミュージックにおけるカオスの利用、不規則性の持つ面白さ
1.カオスの持つ性質
カオス現象は、非線型、回帰的、反復的な系において現れるものであり、
コンピューター上では、さらに離散的という条件が加わる。本来アナログ
的である自然現象におけるカオス性を検証する場合、必要な精度まで離散
化・量子化することで、ディジタル的に処理することができる。
2.アルゴリズム作曲 コンピュータで作曲する方法の一つに、演奏される音楽情報そのものは記 述せず、音楽を生成していくアルゴリズムを記述して作曲する方法がある。 これは、ソフトウェアによってはじめて世界が構築されるというコンピュ ータ科学の領域の発想で、コンピュータができたころから始まっている。 3.MAXの利用 アルゴリズム作曲のための支援環境として、MAXがある。MAXは、現在世界 中の音楽愛好家が利用しているマッキントッシュの環境である。このMAXが 扱う音楽情報は、国際的スタンダードであるMIDI情報である。このMAXは、 自分で音楽情報処理のアルゴリズムをプログラムするためのプログラミン グ環境なのである。誰でも簡単に複雑なアルゴリズムが記述できるMAXは、 MIDI情報だけではなく、いろんな制御装置をして使われている。 4.カオスの利用 アルゴリズム作曲の中にカオスの要素を取り入れたらどうなるか。 このアルゴリズム作曲に、乱数を用いて偶然性を出したり、演奏時の人間 の働きかけで、演奏するたびに違った音楽になる、まったく同じ音楽は二 度と無い、というリアルタイム作曲の特徴を持った音楽になる。また、二 つのカオスジェネレータが相互作用するようにすれば、また違ったランダ ムの値をとるようになり、お互いがお互いに影響するようになる。また、 素数値に収束する値も利用できる。カオスを用いることで、でたらめでも なく、ランダムでもなく、規則的でもない音楽が生まれる。 5.コンピュータミュージック コンピュータが生成する音楽は、その性格から規則正しい機械の作る音楽 だと考えてしまうが、このようにカオスを利用するだけで、その場限りの 二つと無い音楽を作ることができる。コンピュータで音楽を作ることは、 無限に可能性を秘めている。
コンピューターの作る音楽概要 コンピューターによって、作り出される音楽とは、どこ まで人間が作り出す音楽に近いものにできるのか?また、 人間が作り出す音楽とはどのような特徴があるのかなどについて考える。 1.はじめに 今回の授業の中で,コンピューターによる”ランダム演奏”や、”自動伴奏 システム”などについて取り上げられる部分があった。その話を聞いているとき, それらが作り出す音楽とは、僕たちが普段聞いているような音楽にどこまで近い ものができるのだろうか?という考えが浮かんだ。ランダム演奏などは,僕たち にはとうてい親しみのない音楽であったし、自動伴奏システムにしろ,それはた だ音を合わせているだけであって、それ自身には音楽の面白味というものがかけ ているのではないか。(ここで言う“音を合わせている”“面白味”というもの の意味は後述する)まず、論点をここに置くことにする。
2. 調査
藤原さん(参考文献の著者)は、オーケストラなどの演奏者として
スタートし、その後、指揮者もするようになったそうだが、その中で彼なりの
“音楽をきれいなものにする法則”というものを発見している。それは、
3.検討
上記のようなことが、書かれていたわけだが、まず彼が見つけた法則につい
て考えてみる。2などはコンピュータにデータとして与えることができるものであ
るのではないか、「指定がないか切りしてはいけない」トイものは、コンピュー
タが最も得意としているところであるからだ。しかし5、6、7のあたりのものは、状
況、雰囲気、回りの演奏者との呼吸などによって微妙に変化するものであり答え
がないのではないだろうか。このようなものはコンピュータに可能なのであろう
か。このあたりのものを実装するためには、音楽的流れ、音楽の質回りの演奏者
の音の出し方などの情報を取り込み、それらの状況を把握しその場で一番よいと
思われる演奏に持っていく事が必要になるのである。このあたりのことこそ人間
らしい、人間による“感情”を使った音楽なのではないか。
4.おわりに
今回僕が考えたものは、音楽にとても長けた人の話を題材にしたつもりで
あるから、正直僕のような素人に何がわかるのだろうか、という考えも大きくあ
る。しかし、ここで述べてきたような“感覚”による音楽というものが存在する
のは確実であろうと思うし、それがどのようなものであるのかオーケストラを生
で聴いたとき少しは感じることができたつもりだったのでそれについて考えてみ
た。
音声認識1.はじめに 音声認識とは、ヒューマンインターフェースの要素技術として 重要であるばかりではなく、大脳の高次機能の解明と工学的実現という次世代の 科学的技術と密接な関係があり、学問的にもきわめて重要なものである。 2. 人間や動物が喉、口、鼻などの器官を使って出す音を声と言う。言葉を喋る ときに使われる声は音声と言う。声帯音源は鋸歯状の概周期的な音波で、その基 本周波数は、男声で70〜200Hz程度、女声や子供の声では150〜350Hz程度で ある。 3. 音声は人間にとって自然で手軽で負担の少ない、しかも能率のよい言語情報 伝達の手段であるから、人間とコンピュータとの間の情報のやり取りを音声によ って行うことができれば、コンピュータが人間にとって使いやすく、大変役立つ ものになる。 4. 音声言語のよって人間とコンピュータとの間のコミュニケーションをスムー ズに行うためには、コンピュータは人間が発声した音声を聴取し、伝達すべき内 容の音声を生成しなければならない。音声によって表現されるテキストを自動的 に抽出する。 5. 音声信号から言語情報を自動的に抽出し、音声に対応するテキストを自動的 に決定することを音声認識と呼ぶ。 6.「おわりに」 すべての人の音声がコンピュータに備えられてえいる音声と 一致するわけではない。それはコンピュータが一般的な音声しか認識できないか らである。
コンピュータミュージックの音楽性概要 近年、MIDIなどのコンピュータによる音楽が増えてきた。 コンピュータミュージックは個人の趣味の範囲を超え、 すでに音楽業界でもシンセサイザなどの使用による コンピュータミュージックが現れている。 そのコンピュータミュージックと楽器演奏による音楽との 感覚的な違いをここでは考えたいと思う。 1. はじめに 近年、コンピュータミュージックは以前に比べ非常に その使用が増えてきた。しかしながら、その自由な表現力に よって「生きた音」という物が生まれているのだろうか。 それについて考えてみたい。
2. コンピュータミュージックと楽器音楽の大きな違い
コンピュータミュージックと楽器音楽の大きな違いは
デジタルであるか、アナログであるかだろう。コンピュータミュージックは
デジタルであるがゆえに間違いのない完璧な音を作り出す。
しかし、楽器音楽は不完全な人間によって演奏されるために
間違いのない音はないし、わずかな音域のずれ、うねりなどが
その音の中に生まれる。
3. 実験
ここである実験を行った。実験の内容を告げず、MIDI演奏の音楽と
楽器演奏とされるライブCDの音楽を数名に聴いてもらい、感想を聞いてみた。
感想は以下の通りである。
4. 考察
今回実験で使用したMIDIデータは私の友人が独力で作った物であり、
実験に用いるのはふさわしくなかったかもれない。
また、実験人数も少ないため、きちんとしたデータははっきり言って
この実験では取れなかっただろう。
5. 終わりに 人間はその成長につれていろいろとデジタル化していき、 間違いのない物を作り出していく。 しかし、音楽に限らず、絵、彫刻などいわゆる芸術と呼ばれ 昔から親しまれてきた物はいつまでもアナログのままで 生きた物として残していきたいと思う。
コンピュータと音楽について考える概要音楽を楽しむにはそれにあったスキルの習得を必要とされ、また身 につけるまでには果てしなく遠い道のりが待っていることが多い。 そんな音の世界をもっと手軽に楽しむことはできないのだろうか。 この問題の解決策の一つとなるのが、コンピュータ音楽の世界であ る。音楽にコンピュータを導入することによって、それまでできな かったことを可能にし、楽しみの世界を広げることができるのでは ないかと思う。また、コンピュータを応用し新たな可能性をも見出 していけるのではないだろうか。
「音楽」と聞いて思い浮かべることの一つとして、楽器の演奏があ
る。曲を作ったり演奏したりするにもまず楽器を奏でない事には始
まらない。特に自分で演奏したり曲を作ってみたいと思っている人
はまずここから始めなくてはならない。これはごく当たり前のこと
ではあるが、演奏するためのスキルはそう簡単に身につく物ではな
い。そのため、良いイメージが浮かんだり自分の好むメロディーを
みつけても、その音を作り出す喜びをなかなか味わえず悔しい思い
をすることが多い。実際自分も今まで幾度となく自分で曲を演奏し
たり作曲してみたいと思い、楽器を手にしてきた。しかし、そのた
びに挫折を繰り返し結局なにも残らなかった。というのも自分で楽
器を演奏するスキルを身につけるということが最も困難を極め、挙
げ句の果てには楽器を手にするのもいやになるくらいうまく行かな
いのである。自分が求めているのは、手軽でしかも簡単に音楽を楽
しむことである。にもかかわらず目の前に大きく険しい壁が立ちは
だかってしまっていて、音を楽しむ以前の問題なのである。
コンピュータミュージックの世界概要 大学に入って、DTMという言葉を初めて知った。私は、作 曲というものに憧れは持っていたものの、到底自分には無理なこと だと思っていた。しかし、コンピュータミュージックを知って、そ の可能性の大きさに驚き、自分でも制作できるとわかり、喜びを感 じている。著作権の問題をはじめとして、これからたくさんの問題 が生まれてくると思うが、新しいコンピュータミュージックに期待 していきたい。 1、 「はじめに」 最近、DTMの人気が爆発的に高まっているのを感じる。私は、大 学に入ってパソコンについて学ぶまで、DTMという言葉を知らな かった。大学に入って、DTMというのはパソコンを中心とした音 楽制作/演奏システムのことで、パソコンと自動演奏用ソフトウェ アなどを使ってシンセサイザー演奏を行うものであると知った。こ れまでプロフェッショナルな人たちが録音スタジオやらマルチ・ト ラック・レコーダーなどを使用してやっていたことと同じようなこ とが、パソコンを使えば机の上で ― つまりデスクトップで ― ア マチュアでも表現できてしまうのだからすごいことである。 2、「幼いころの挫折」 私は、幼稚園のときにピアノを習いはじめた。最初に何をひく練 習をしたのかは覚えていないが、始めての発表会で弾くことになっ た曲は「雨」である。「雨雨 降れ降れ 母さんが ~…」というフ レーズはかなり有名である。私は、その曲が弾けなかった。片手で 弾くことは可能だったが、両手で弾くことがどうしてもできなかっ た。今思えば、そこであきらめないでそれを乗り越えればよかった のに…と思うのだが、幼かった私は、幼いながらに持っていた小さ なプライドを傷つけられ、「もうやめる!!」と言って、その習い 事をやめてしまった。それからは、学校の音楽の授業意外には鍵盤 に触れる機会もなく、今は、「猫ふんじゃった」くらいしか弾けな いのである。ピアノやエレクトーンなんかをかっこよく弾ける人を 見ると、とてもうらやましく思う。決められた楽譜のある旋律も弾 けないこんな私だから、自分で曲を作ったりアレンジするなんてめ っそうもないと思っていた。コンピュータミュージックを知る前ま では…。 3、「コンピュータミュージックの無限の可能性」 私は、以前から「作曲家はよくネタが尽きないな。」と感じてい た。いつの時代にもさまざまなジャンルの音楽がある。これまで世 に出されてきた音楽は無数にあるのだが、よくこんなにもいろいろ なテンポや音色・サウンドが生まれるものだなと思っていた。俗に ファミリーと言われているような、何人もの歌手をプロデュースし ている超売れっ子の作詞・作曲家は、次から次へとアイデアを出し て曲を作っていかなくてはならない。作りたい曲を自分のペースで 作っていくのとわけがちがって、時間に追われながら作っているの だと思う。私の中のイメージでは、こういう作曲家は曲を作るマシ ーンのようなものである。作曲家の中には楽器や自分のアカペラだ けで曲作りをする人もいるかもしれないが、コンピュータを使って いる人もたくさんいるだろう。コンピュータを使えば、ちょっと音 量・テンポ・音色をアレンジするだけでまったく別のものが生まれ るのである。これなら、アイデアは尽きることなく、新しい曲も生 まれてくると納得できるのではないか。
4、「盗作の問題」
しばらく前に、作曲家の小林亜星氏が服部克久氏を「自分の作っ
た曲を盗作した!!」といって訴える出来事があった。テレビで流
れていた双方の作った曲を聞き比べてみたが、素人の私には盗作と
は感じられなかった。専門家が聞いたらいろいろな議論もあると思
うのだが、無数にある曲で、たまたまリズムや音色が似ているもの
があっても当然ではないだろうか。結局その裁判がどうなったのか
ということまでは詳しく知らないが、何を基準に盗作か否や判断す
るのか、とても疑問である。
5、「新しいコンピュータミュージック」
ミュージックをマルチメディア・アートとしてみたときに、グラ
フィックとミュージックのコラボレーションは非常に意味のあるも
のである。グラフィックな図を音楽に変換したり、その逆に、演奏
された音楽をその場でスクリーンにグラフィック表示することによ
って、聴く側はバーチャルリアリティを体験できる。私は、以前か
らデザインやCGに興味を持っていたので、ミュージックを視覚的
にとらえることに関心を抱いた。特定のグラフィックを表示するこ
とで、音楽を聴いて想像できる情景が限定されてしまい、広がりが
なくなるという心配もあるかもしれないが、音楽を視覚から聴くと
いう聴き方もでき、面白いのではないだろうか。
6、おわりに コンピュータは、音楽の本来的な創造活動を取り戻すための道具 として大変有効であると考えられる。音楽は、元々は誰でもが口ず さみ、創造し、演奏するのが当たり前であったはずが、専門領域化 して創ることを放棄してしまったようだ。これからは、既存楽曲の 演奏や鑑賞などにとどまらず、みんなが創作を楽しむことができる ようになればいいと思っている。
デジタルソング概要 一つの唄をフルデジタル、ゼロからコンピュータで生み出すことが 可能なのだろうか。それを考えてみる。 1.はじめに 4日間の音像メディア論の講義の中でセンサーを使ったリアルタイム 演奏やアルゴリズムによる作曲などでで音楽を作ることができるとい うことがわかった。しかし、そこで紹介されたものはいろいろな音の 集合体である音楽であって、日常よく聞かれる演歌やPOPSなどのよう な歌詞のついた歌という音楽ではなかった。では、そのセンサーを使 ったリアルタイム演奏やアルゴリズム作曲などで作られたものに歌詞 をつけて曲を作ることはできるのだろうか。 2.アルゴリズム作詞 しかし、いわゆる自動で歌詞をつけて演奏するということはかなり難 しいことであると思われる。それはいろいろな音の集合体の曲ならば 和音やド、レなどの音のつながりを考慮したアルゴリズムのみを考え ればある程度しっかりとした曲を作ることが出来る。それに対し、詩 のついた歌という物の場合その発する音のまとまり毎に意味というも のが存在する。ただ単にa、iなどの母音を集めただけでは意味のある 音の集まりにはすることはほぼ無理に等しいと考えられる。そう考え ると自動で歌詞をつける場合、仮に日本語を使用すると考えると、ゼ ロから50音すべてを作成してそれを並べて歌詞とするやり方では到底 無理であると感じられる。あらかじめある程度の単語、例えば「愛」 「友情」「〜だ。」などの単語を登録しておいてそれをその都度呼び 出すことで歌詞をつけて演奏ができるのではないかと考えることがで きる。ただ、この方法では、登録された単語間のつながりがより自然 になるように配慮をして登録しておくことが必要である。ぶつぶつと 途切れながら単語が並んでいるようではとても歌っているようには聞 こえないからである。 3.デジタルシンガー アルゴリズム作曲とアルゴリズム作詞を組み合わせれば、完全なデジ タル歌手を作ることができるだろう。歌声は実際に存在する人間の声 をサンプリングしてデータとして使用するのではなく、ゼロから人間 に似せた声を作る。これで歌声は男との声にも女の声にもすることが でき、コンピュータから生み出された完全デジタルな歌声になる。容 姿のほうはCGで作り出ことができるだろう。こちらのほうはリアルタ イムでCGを生成しながらの演奏は無理かもしれないが、現在の技術な らばほぼ人間に近いCGを描くことができるので事前に動作パターンを 登録しておけば歌いながらリズムを取ったりダンスを踊るといったこ とが可能であると考えられる。これらすべて組み合わせればライブ演 奏も可能であるので完全に歌手業をこなすことが可能である。 4.おわりに これまでに書いてきたことが実際に可能になったらもしかしたら何千 万枚も売れるような歌手が誕生するかもしれない。ルックス的にも良 く歌を歌わせれば万人が歓喜するような歌手である。それは完全にゼ ロから声や容姿を作り出し、アルゴリズムで曲を作り出すのであるか ら、心理学や人間行動学等を用いて人間がもっとも聞きたいような音 楽を作り出すことが可能かもしれないからである。これは自分が生き ているうちにきっと成されると期待して待っていたい。
さまざまな電子楽器概要 現在、電子楽器は日常的に演奏や作曲で用いられるようになり、 その音は毎日テレビやCD、ゲームの音として耳にしている。そ の電子楽器の種類や特徴を歴史的背景などと共に見ていく 1.電子楽器の定義 電子楽器について議論する前に、電子楽器の定義を確認しておきたい。電 子楽器の定義は「電子音源を持ち,電子的に音を増幅して発音する楽器」で ある。それに対して電気楽器は「機械振動を音源とし、電子的に増幅して音 を発する楽器」と定義される。電子楽器は、音量や音色のコントロールが自 由で、調律が不要といった特徴を持っている。
2.電子楽器と自然楽器
では電子楽器と自然楽器では、どのような違いがあるのだろう。ザックス
らによる科学的分類によると、楽器は体鳴楽器、膜鳴楽器、気鳴楽器、弦鳴
楽器、電鳴楽器
の5つに大別される。そのうちエレキ・ギター、シンセサイザーを含む電鳴
楽器を除いた4種の楽器は自然楽器である。
3.電子楽器の歴史 電子楽器の歴史は約90年前にさかのぼる。1906年アメリカのタディ ウス・ケイヒルが巨大な発電機と複数の機械から成る、テルハーモニウムと いう人類初の電子楽器を生み出した。テルハーモニウムは、重量は200トン に達し、交流発電機をつないだもので一定の周波数で変化する電流を作る機 械で、当時はスピーカーがなかったため、電話を通じて音を伝えていた。そ の後、1920年にロシアのレオン・テルミンによって電子発振を用いたテ ルミンがつくられた。1928年には、フランスのモーリス・マルトノによ りオンドマルトノが作られた。オンドマルトノは本格的に音楽に使える初め ての電子楽器といえる。
4.いろいろな電子楽器
・テルミン
5.おわりに テレビやCMであたりまえになっている電子楽器の歴史は以外に古く、そ の進化もなかなか奥深いものであることが分かった。未だに電子楽器の音を 自然楽器と比較して、冷たいと言う人がいたり、電子楽器を一切使わないこ とをアルバムのコンセプトにするミュージシャンもいたりして、自然楽器に 対して電子楽器を邪道な楽器として考える古い思想も未だにはびこっている のも事実だが、自然楽器とは別に現代の音楽にはなくてはならない楽器にな っているので、今後の発展が期待される。
自動演奏システムと自動伴奏システムについて概要 コンピュータが発達してきて、コンピュータを用いていろいろな音 楽が創られるようになってきたが、これから重要なことはコンピュ ータの演奏する音楽がいかに人間の演奏する音楽に近づいて行ける かという点であると考える。そこで、このレポートでは自動演奏と 自動伴奏システムについて考察する。 1. はじめに コンピュータによる自動演奏とは、今までの私のイメージでは、 MIDIによる一般にTVなどで流れているコンピュータ上で創ら れた電子的音楽の演奏のことだった。しかし、コンピュータによる 自動演奏とは、そういったものだけでなくコンピュータで制御され た音楽、音の演奏全般のことを指している。そして、自動伴奏シス テムとは、コンピュータの自動演奏と人間の生の演奏を共演させよ うというシステムである。ここで、コンピュータと人間の大きな違 いである表現力ということが問題になってくるのである。これから、 この点について考察することにする。
2. 演奏表現について
コンピュータの音楽は、コンピュータの特徴を備えたそのままの
音楽であってもそれなりの良さはあると思うが、やはり、人間と共
演するのであれば、人間の表現力というものを備えていなければな
らないだろう。音楽が本来もっている人間に影響を与える力は演奏
がコンピュータによって生成されたとしてももっているべきである
、という言葉にとても共感できる。しかし、こ
れはとても難しい問題であるだろう。部分的なテンポの速さや音の
強弱や音の微妙な長さや音と音の間など様々な要因が表現力に関係
している。人間は、こういったことを自分の感性で判断して演奏す
るのに、それをコンピュータで実現できるのだろうか。演奏の表情
付けの研究の成果は、研究が進むほど解決し理解されることが多い
が、一方では同時にさらに課題がでてくるという。解決される問題
が多いということに驚いた。これからどこまでコンピュータの表現
力が高まっていくのかということに期待したい。
3. 自動伴奏システム あらかじめ楽譜が与えられている状況で、人間の独奏者の演奏に 合わせて、コンピュータが伴奏パートを演奏するシステムが伴奏シ ステムである。自動伴奏システムは、人間がコ ンピュータと一緒に演奏をするインタラクティブコンピュータ音楽 において、その重要な要素技術となっている。まだ、コンピュータ がリアルタイムで演奏できない時に、人間がコンピュータと一緒に 演奏をする上で問題となったのは、人間の演奏者はコンピュータと いう演奏者に完全に服従して演奏(機械主導型のアンサンブル)し なければならない点である。さらにコンピュータが発達して、リア ルタイムでコンピュータの音楽を演奏させることができるようにな った。ここで、人間は何でも自分で支配したくなる生物なので、人 間の演奏者に合わせてコンピュータの演奏を制御(人間主導型のア ンサンブル)しようと考えた。人間主導型になるためには、いろい ろな問題点がある。コンピュータの自動演奏を人間らしくするとい う場合の問題点と同様に、人間は感情移入をするため、微妙なテン ポになったり、強弱をつけたりするのである。その変化に伴いコン ピュータの演奏は人間らしく自然な変化をつけなければならない。 また、人間が失敗したら、それにあわせなければ演奏が大失敗にお わってしまう。現在では、講義のビデオでも見たように、人間の伴 奏者とはまだ程遠いが、なんとか伴奏を人間の演奏に合わせること はできるようになっているようだ。ここからほんとの人間のように 伴奏を合わせるまでにはまだまだ時間がかかるだろうし、前にも書 いたように、人間は感性で判断しているのにコンピュータがそれに 追いつくことはできるのだろうか。 4. おわりに 人間とコンピュータの間にはまだたくさんの壁がある。音楽の面 では、特に人間の感性が重要であるからコンピュータが人間に近づ くことは困難であると考える。今後は、人間の感性がどういったも のかという研究を進めていくと、この問題も進展していくのではな いだろうか。
感性情報における自動演奏システムについて概要 まるで人間が演奏しているかのようにコンピュータに演奏させるこ とは、自動演奏システムにおける到達点である。個人が主観で判断する中 で、大多数に受け入れられるような演奏システムを構築するためにはどの ようにすればいのか。 1、はじめに 私がまだ幼い頃、ホテルのフロントに置いてある黒光りし たピアノが、誰もいないのに勝手に演奏するのを見て、大変印象を受けた ことを覚えている。人はいないのに鍵盤はおちて、ピアノからは曲が流れ る。私のピアノもこうであったら、私は練習をしなくても良いのに、と勝 手なことを考えたことがある。 2、 自動演奏システムは、より人間の演奏に近づけ、楽譜に書かれていな い演奏をどのようにして実現するか、という目標の元に進められてきてい る。音の強弱、テンポ、リズムなど、その音楽に合った演奏をコンピュー タにさせる。楽譜に書いてある通りの音符やコードで演奏させたならば、 それからは何の感動も受けない、一遍通りの演奏となってしまうからであ る。私たちが求めるのは正確な演奏ではなく、生身の人間のように表情の ある演奏なのである。 3、 演奏にそれ相応のおもむきを持たせるには、その曲の構造をよく理解 し、楽譜にしるされている発想記号を正しく実行することし、そのうえで 、楽譜の上にかかれていない音楽の表情を加えることである。 4、 音楽に表情を付加する際、それをどのようにすればより良いのか、と いう点が問題になってくる。大多数の人が納得するような演奏をさせるた めに、どれだけの付加をすれば良いか。表情豊かで人間的であり、しかも 音楽的であること。それは音楽に対しての個人の解釈であるので、そこを 突き詰めていくのは大変なことである。どんな音楽も賛否両論であり、解 釈も人によって異なる。それをコンピュータにやらせようとしているので ある。これを実現するには、完全に研究者の感性に従って解釈のモデルを 作成したり、名演奏の分析を行いそのデータに基づいて演奏データを生成 したり、また、楽譜情報の構造を解析し、人間ならばどのように演奏する かといった演奏家モデルを通して人間らしい表情のある演奏を作成する、 などがある。しかし、研究者の感性のみに頼ってしまう場合、それが主観 的であり世間一般に認められない、という結果が出てくる可能性もある。 より大多数の人に受け入れられる音楽を追求すると、最終的には著名な演 奏家の演奏表現にたどりつく。それは生身であり、芸術的で音楽的、しか も、主観的と言われるのではなく、独創的という表現にあたるからである。 5、 私たちが普段音楽を聞く時、主観的な情緒を感じる。「もの哀しそう で、寂しい」とか、「楽しそうで明るい」といった感じである。理解し、 認識するコンピュータに対して、私たちは感じることを求めるのである。 私たち個人の主観的な感性を刺激するために、大多数の人の感性を刺激で きるような客観的感性の持ち主となるコンピュータを作成することが求め られる。 6、終わりに 自動演奏システムを構築する際、より一般受けするように 作成するのは、イタチゴッコのように思える。どんなに完璧に作ったとし ても、それと解釈の異なる人が聴いたならば「主観だ」と判断されかねな いからである。どこまでつきつめたら「これで完成だ」と判断するか、研 究者の塩梅にかかっていると思われる。
音像と映像概要 現在のメディアには、多くの映像と音楽が存在する。映像と音像がどのよ うな関係を保っているのか、また、これからどのように結びついていくべ きなのかを考える。 1 はじめに 現在、情報メディアには音像と映像が主となっている。私たちの日常にはこれ らの2つが頻繁に登場する。しかも、音像だけ存在したり、映像だけ存在するの ではない音像と映像が同時に存在するものが非常に多い。これは、音像と映像が 結びつくと、より高度な情報伝達ができるのではないか。いくつかの例をあげて このことを考える。
2 効果音
ドラマや映画などでは、必ずといっていいほど悲しいシーンや楽しいシーンが
ある。役者の演技だけでもその雰囲気は伝わるが、さらにその雰囲気にあった音楽
を流す。それにより、そのシーンの状況を誰にでも分かるようになる。このシー
ンを何度も見た人は、音楽を聴くだけでその時のシーンが頭に浮かぶ。それを利用
したのが、ドラマやアニメなどのサウンドトラックである。
3 テロップ
先ほどの章では、映像を音像が助けるという形であった。この章では、音声を
映像を助けるという形の例をあげる。TVの音楽番組やトーク番組で使われるテロッ
プである。
4 主題歌・コマーシャルソング TVの番組や映画には主題歌がある。主題歌は、その番組の看板的な役割を果 たす。その主題歌がいい曲ならば、その主題歌は売れて、その番組まで人気が上がる。 また逆に、番組が面白ければ、番組の人気は上がり、その主題歌まで売れてしまう。 このように番組と音楽により経済的な相乗効果が起こる。コマーシャルにおいても同 様な効果が起こる。 5 おわりに 情報メディアの中で、映像と音像はいろんな形で結びつき、いろんな効果を生 んでいる。映像と音像の共存は必要不可欠になってきている。将来はもっとこの繋が りが強くなっていく。現在、市販されている楽曲はCDが主流である。将来は、ビデ オがもっと低価格になれば、CDではなくビデオで楽曲が提供されるだろう。
人間は音楽をどう感じるか概要 音楽情報科学において自動演奏を研究している人達の目標は、いかに 音楽的、芸術的、人間的に「楽譜に書かれていない演奏」を実現するか、 という部分に向けられている。しかし、大多数の人々が音楽的・芸術的 と感じるとはどういうことなのか、人間の感情という視点から音楽を考 える。 「1はじめに」 音楽情報科学を考えるに当たり、私が最初に頭に浮かんだことは、 芸術とは一体何なのかということである。コンピューターによる演奏で、 現代音楽といわれる作品をいくつか鑑賞したが、耳慣れない不思議な音 楽というのが率直な感想だった。しかし、回数を重ね鑑賞し考察した結 果、私は芸術とは記号であり、その機能はコミュニケーションであると 考えるようになった。 「2記号としての芸術作品」 ふつう芸術作品は、天才が無意識に作りだすものであって、芸術には 論理や規則といったものは存在しないという伝統的な考え方がある。つ まり芸術は、人間の内面に溢れる言葉では言い表しがたい感情のニュ アンスを直接表現するものであり、「歌は叫びである」というテーゼの 言葉などは、まさにそのことを言っている。しかし芸術というのは単な る叫びのようなものなのだろうか。確かに芸術作品は感情を表現する。 しかしたとえ子供の絵であっても、それは、例えば痛い時にしかめ面し て「あっ」と叫ぶようなものではなくて、過去の経験の感情に満ちた回 想であったり、未来への希望だったりする。というのは、芸術作品の表 現する感情は現存する感情ではなく、イメージに転化されたヴァーチャ ルな仮想の感情であるからである。このように普遍化された感情の意味 を表現するには、ただ行き当たりばったりに感じているものを、その時 のまま掃き出せばよいといったようなことはだめで、客観化のための論 理が当然必要となる。この様な論理によって自然の素材が一つの形とし て構成されることにより、我々はそこに感情の意味を表現することがで きるのである。このようにして感情の論理的表現としての芸術作品を、 我々は現示的な「記号」として考えることができるのである。 音楽も芸術作品である。音楽は数の秩序が支配している。そして音楽 はそれ自身ではなんら言語のような約束的な意味を持たない抽象的楽音 を論理的に構成して、そこに人間的感情の意味を表現しようとする。 したがって音楽の表す意味は本質的に抽象的普遍性を備えており、現実 世界の中に見出される何かを直接に指示することはない。以上のことか ら、音楽は現示的記号としての典型的なものであると考えることができ るのである。ふつう、音楽は叫びのような直接感情を表現するものと思 われがちだが、実はそうではなくて、音楽は何よりも感情の論理的な表 現であるのだ。音楽は、その独特な楽音の文節化された構成によって、 感情の高揚と衰退と交錯のリズムとパターンを表現し、言語では得られ ないような深い情感に満ちた気分を生み出すのである。このような音楽 に表現される感情の意味となるものを、我々はヴァーチャルな時間のイ メージであると言うことができるのである。この時間は現実の時間では ない。例えば、ある曲の実際の演奏時間が三十分かかる場合でも、そこ で音楽として経験されるヴァーチャルな心理的時間はもっと長かったり、 短かったりして、同じ三十分ではないだろう。音楽におけるヴァーチャ ルな時間は現実世界のものとは全く異なるものであり、「聴くこと」に よってのみ体験される仮想の時間である。つまり音楽は感情や気分、精 神的緊張や緩和の定式化の論理的表現であり、したがってそれは感動を 揺り動かすものではなく、感情的意味の洞察を与えるものであると考え ることができるのである。 「3終わりに」 現在ではMIDI楽器の演奏情報から、「感情の高まり」を導出して伴奏 システムに作用させたり、与えられた音楽情報から「悲しい」「楽しい」 等といった形容詞を導出するといったシステムが実際に実験されている。 しかし、感性という点だけにおいても音楽家の批判に応えられるだけの 研究というのは、まだまだ実現されていないというのが現実とみられる。 コンピュータが優れた作品を創造するには、我々人間が音楽のアルゴリ ズムを徹底的に解明してそれをプログラムに組み込まなければならない。 そして、このアルゴリズムが良いか悪いかは、そのプログラムで作られ る作品の結果によって判断されることになる。アルゴリズムが悪ければ、 そのようなプログラムで動くコンピュータの作品は、非常に粗末なもの になるに違いない。しかし、アルゴリズムが正しければ、そこから生ま れる芸術(音楽)はすばらしいものになると考えられる。このような意味 で、コンピュ―タ音楽(芸術)は、我々が芸術の秘密にどれだけ接近しえ たかを測るバロメ―タにもなると考えられる。
音楽演奏における人間との共演概要 自動伴奏システムとはどういうものなのか解説し、また、そ の研究内容を紹介する。
1.はじめに
従来、人間がコンピュータを用いて音楽演奏する場合、前もっ
て記憶させておいた情報をコンピュータに自動演奏・自動伴奏させ、
それに合わせて人間が演奏するという形態が主であった。しかし、
現在ではコンピュータが人間のテンポに合わせるという、より人間
的なシステムが実現されるようになってきた。これは、これまでの
出力のみの自動演奏ではなく、情報を入力しリアルタイムで処理し、
出力するということが可能になったからである。これにより、人間
とコンピュータが協調して演奏するという新しい演奏形態が登場し
た。
2. 伴奏システムの概要
まず、自動伴奏システムの処理の流れを見ていきたい。このシ
ステムが始めにしなければならないことは、演奏情報の取得である。
人間がMIDI情報を出す楽器を演奏している場合は、信号を正確に
把握し、これを利用して認識する。しかしフルート、ピアノ、声楽
などの場合、波形の周期を測定し、リアルタイムでピッチとタイミ
ングを抽出する必要がある。この場合には、「フィルタを用いて倍
音をカットすると同時に平均操作を行ったり、音声の安定度を音響
パワーによって推定する」などの工夫が提案
されている。
3. Dannenberfの伴奏システム これは1984年のICMCでカーネギーメロン大学のR.B. Dannenberfによって発表されたものである。このシステムの中で 私が一番興味を持ったの、仮想時計による伴奏のスケジューリング である。システムはあらかじめ演奏すべき楽譜をもっており、それ ぞれの音符をいつ演奏するかを決定するため、コンピュータ内部の 実時計を参照し、これと仮想時計との関係を調整し、演奏のテンポ を得るのである。これを演奏情報が入力されるたびに楽譜とマッチ ングし、仮想時計は修正されていくので、曲の間でテンポが変わっ ても、常に適切なタイミングで演奏を出力することができるという わけだ。 4. Vercoeの伴奏システム これはマサチューセッツ工科大学のB. Vercoeによって発表され た。この中では、リハーサルの必要性が指摘されている。リハーサ ルを繰り返すことにより、リズムの逸脱を記録・収集し、本番では これらの平均値を用いて演奏とマッチングさせるというものである。 伴奏システムにおいても、学習の考え(リハーサル)が生かされて いることに、私はたいへん興味を持った。
5.演奏の感情付け
自動演奏の研究は、上記のように今ではかなり進んできたよう
である。しかし、これらはいかに正確に演奏するかということに重
点が置かれているように思う。もし、自動演奏を音楽(音を楽しむ)
として利用するなら、大切なことは演奏の正しさもさる事ながら、
音楽に備わっている表情、感情が重要になってくると言えるのでは
ないだろうか。こう考えたとき、自動演奏の表情付けという研究に
注目した。この研究の基本モデルは、楽曲構造ごとに演奏生成と呼
ばれる処理を行うことである。入力された演奏情報を適当な構造に
分け、さらにテンポや大きさの変化を付加した演奏ルールを抽出す
る。このルールを適用して演奏生成され、出力演奏となる。
5.おわりに 人がコンピュータと協調して演奏するといのは、コンピュータ が進化し、リアルタイム処理も日ごとに正確なものとなってきた今、 ますます期待される分野と言えるだろう。なぜなら、さらに進化し、 それらのシステムが低コストでピアノやエレクトーンなどに導入さ れるようになったら、音楽を楽しむ人にとっては、たいへん喜ばし く、また魅力的なことである。しかし、この自動演奏という研究分 野は、まだまだ課題を抱えているのが現状である。中でも私は、4. で紹介したようなソフトの部分の研究を期待しているのである。 「人間が聞いて違和感を感じない、それどころか人間に感動を与え ることのできる演奏を生成できるシステム」。これこそが、最 終的に自動演奏・伴奏システムに期待されるものであると思う。し かし、人間にも完璧が無いように、おそらくこのシステムにもゴー ルは無いのだろう。それだけに、まだまだ改良しなければならない 問題が出てくるかもしれない。その点においては非常に困難な研究 なのかもしれないけれど、研究分野として大変深く、かつ夢がある ように感じ、私はこの自動伴奏システムに興味を持ったのである。
コンピュータミュージックとは概要 『コンピュータミュージックとは何か』ということについて、作曲すると き、聞くときの2つの方向から考える。 1:はじめに コンピュータミュージックとは何かという問いに、私は、コンピュータ ミュージックはコンピュータを使って音楽を作り、鳴らすものだと思った。 しかしこの区別からすると、生楽器の音をサンプリングしたものをパート別 に録音し、同時に再生したものもコンピュータミュージックになってしま う。コンピュータミュージックというものの区別は、作るときに発生するの か、聞くときに発生するのか、もっと他の部分で発生するのか?これについ て、少し考えてみようと思う。 2:ミュージックができるまで 昔から曲というものには、物語に起承転結があるのと同じように、あるス トーリー性がある。そのストーリ性は主に、コード進行や、使われている楽 器や、歌詞などによって形成される。作曲する側は、自分が学んだ一般的な 音楽理論に加え、自分の感性や経験などから曲を作る。 3:コンピュータミュージックができるまで それに対し、私が講義の中で理解したコンピュータミュージックとは、 『音の切り貼りと、ある法則性を持たせた中での偶然性』というものから なっていると思う。講義の中で、先生は「コンピュータミュージックは、次 に何が来るか予測できないところが面白い」と言っていた。音の切り貼りは 一般的な曲と違って、コード進行などの明確な曲進行ルールが無いために、 予測が付きにくいということが起こると思われる。また、ただ不規則な要素 から音を発生させてるだけでは、音楽性というものがあまり感じられない。 そのために、その不規則に発生するものにある法則性を持たせることによっ て、人間が演奏するものとは違った音楽性が加えられることがある。授業の 中で出てきた、ピアノ音だけのコンピュータによる自動演奏がそのいい例で ある。これらの2つの要素を組み合わせてできたものが、コンピュータ ミュージックだと思う。しかし、最終的に曲を完成させるのは人間なので、 曲にその人の音楽的な感性が加わるのは言うまでもない。 4:想像力で感じる音楽 ところで、昔から十人十色と言われるように、音楽でも聞く人が違えば感 じ方も違ってくるのは当然である。普通の楽曲にはストーリー性があるため に、作曲者が意図した曲の雰囲気を感じやすく、多くの人に共通の印象を持 たれやすい。しかしコンピュータミュージックは、ちゃんとしたストーリー 性が見えにくいため、まさに音の世界そのものになり、どう感じるかはその 人の想像力まかせということになる。そのため、想像力に強く訴えかけるこ とが、普通の楽曲にはないインパクトを与えることができるのではないかと 思われる。
5:映像と音楽の組み合わせによる効果
また、音声と映像を組み合わせることによって、さらに強い印象を与える
ことができる。CMソングやドラマの主題歌がヒットするのは、そのいい例で
ある。視聴者に、知名度と共に曲のイメージを映像からも植え付けるのであ
る。
6:終わりに 普通の楽曲は、作曲者が作り出した世界(物語)を聞かせるものに対し、 コンピュータミュージックとは、作曲者の感性による音の組み合わせによ り、人間の想像力にませて聞かせるものであるような気がする。演奏する毎 に違った曲になっても、それはそれで作品であり、その時に何を感じたかと いうことが重要なことではないかと思われる。
MAXによる自動演奏システムの具体的な導入用途についての初歩的考察[1.はじめに] 98年度の「音像メディア論」において自分の目を引いたのは、 何と言っても「MAX」である。 リアルタイム入力によるMIDI作成はもちろんの事、乱数を 利用するアルゴリズムを用いて、インプロビゼーション的な 音楽をコンピュータ上で作成する事が出来るこのシステムを、 実際に音楽を用いる場において活用できないか。 この発想を基点に、ここではMAXシステムによる ランダム音楽の可能性について、いくつか検証してみたいと思う。
[2.BGM発生装置としてのMAX]
映画など、あらゆる映像メディアに付き物の「BGM」。
このBGMを、MAXを用いて自動的に作曲する事は出来ないだろうか?
[3.ライブ補助機器としてのMAX]
ライブパフォーマンスとは、文字どおり人間がパフォーマンスを行なう場であり、
すべてをコンピュータで行なうMAXの出番は、基本的に存在しないように思える。
しかし、人間の演奏を補助する目的でMAXを使う事は可能ではないだろうか?
[4.音楽練習のためのMAX]
これは、[3.]と少し矛盾する話になるが、MAXの持つ「コンピュータ的な部分」を
利用して、音楽練習に用いる事も考えられる。
[5.終わりに]
コンピュータの基本は、「仮想・演算・記憶」である。
「講義の感想」集講義前に思っていたものとは少し違ってはじめは戸惑ったけど、 それなりに楽しく受講することができた。ただ一つ一つの話題が 流れていくのが早かったような気がした。
この講義でコンピュータミュージックというものに初めて触れました。
必ずしも自分の好みにあっていたわけではないが、大音量で聞きたいと
思うものもありましたもありました。
最初にカオスという言葉を聞いたとき、何のことか見当もつかなかったが、
その不規則性質と素数値になる規則性の持つ面白さにすごく興味を持った。
その不規則性がほかに何か利用できないか。その性質からは利用し難いも
のであるが、何か探したいと思う。
この講義にを受講していろいろなことを知ることができてよっかたと思い ます。このような知識が生かされるかどうか別として大変興味深いものでし た。どうもありがとうございました。
温かくなった部屋で音楽を長時間聴くと睡魔に襲われましたが(^^;
短期間のうちに多くの事を講義で学びました。
この授業は、一元的な見方でいえば「今までの常識にとらわれない楽器アプローチと
音楽理論を覆した作品を次々に紹介する」物であったといえよう。
それは非常に真新しいものであり、「常識とは覆すものである」事を旨とする
情報社会学科学生としては、そのアプローチもまた大変参考になった。
講義を通して、コンピュータミュージックへのイメージが変わった。 音楽情報科学という言葉も聞いたこともなかったが、なんとなく漠然 としたイメージはできたような気がする。講義では、今までに見たこ とのなかった研究分野が垣間見れてよかった。 ありがとうございました。 今回の授業では、とても音楽に興味を持つことができた。 ランダム演奏などもよくわからないがおもしろく感じることも できたし、よい経験をえることができる授業であったと思う。 4日という短い期間での講義を受けて非常に強く残っていることは とにかく気分が悪くなることが多かったということだ。映像だけな らそう悪くなることもないのだが音声や機械音が続いて流れてくる ととても苦しかったのを覚えている。その1点を除けば、すごく充 実した講義だったと思う。あまり興味の持てそうにない分野かなと 思っていた音像の世界だが、自分の手で音を作り出したりまたそれ を加工したりして、多種多様な音や曲を作ることができると知り音 楽とコンピュータの世界にすこし興味を持てたような気がした。
集中講義の4日間はデモンストレーションのコンピュータミュージック
に少々頭を抱える時もあった。おどろおどろしいものから頭が痛くなりそ
うなもの、様々であったが、自分の中での新しい音楽に、自分自身がつい
ていけない時が多々あった。しかし、先生の「コンピュータミュージック
は先が読めないから面白い」という言葉はずっと頭の片隅にあった。自分
の中では“訳の分からない音楽”だが、逆に考えてみれば確かにその通り
だ。訳が分からない、つまり先が見えない、それが面白いのか、と思った。
集中講義は4日間。しかし、色々なコンピュータミュージックにもっと長
く接すれば、先が読めない面白味を実感できるのではないか、と思った。
この講義を通して、音楽情報科学の世界というものを以前より身近な ものに感じることができたように思う。一口に「コンピュータ音楽」 といっても本当に色々な種類と方法があるということもわかった。イン ターネットで検索してもこれは一目瞭然である。しかも現在ではパソコ ンのソフトで自在に音響が生成できるようになり、専門家とアマチュア の区別なく自由な音楽を追求できる環境になりつつある。理想的な環境 であると思った。また、最も印象的な映像の一つに尺八を用いた演奏が あったが、これは日本の伝統的な楽器をより身近に感じさせるきっかけ になる。尺八に限らず、古来の民族音楽をコンピュータを媒介にして掘 り下げることで、若い世代に様々な文化を継承させるといった役割も果 たせるのではないかと感じた。
感想:良かった点
以前の私にとって、コンピュータミュージックといえばDTMの様なものし
か思い浮かばなかった。コンピュータに向かい、シーケンスソフトで地道
に打ち込む。そのような想像しかもっていなかった。
今回の講義では現代音楽というもの始めて聞いた。はじめはとてもび っくりした。何かとても恐いイメージがした。自分が想像していたもの とはかなり違った。しかし、何曲か聞くに連れて現代音楽になれてきた と思う。しかし、恐い印象は最後まで持っていた。 今回の講義では、通常学校で行われている講義とは異なり、コンピ ュータを使って行われたものだったので、自分が情報学部にいるような実 感が湧くことが多かった。このようにパソコンを使って、専門的なことを 行う講義は少ないので大変貴重な経験をすることができたと思います。
人間が音楽を構築したり、解析するにおいては、
自分の耳と感性が一番頼るべきところだと思う。作曲や耳コピーにおい
て、ダイアトニックコードから外れるようなコード進行が出てきたとき
に最も信頼すべきは自らの「耳」なのである。その感性やセンスを、論
理的に解明できれば、音楽情報処理はさらなる境地へと踏み込むことが
できると思う。しかし、それは天に唾するような行為であるように思わ
れる。やはり、最終的に言えるのは、音楽で忘れてはならない最も大事
なことは、自身の感性であるということである。
今回の音像メディア論という講義で,期待していたものと違うものであったと いう思いがまずひとつ。逆に,コンピュータミュージックの奥の深さに思い知 らされたというのがひとつ。得るものも多かったがちょっと期待はずれだった と思うのは贅沢だろうか?単純に音楽が好きだから,という考えでこの講義を とったが,それ自体はよかった。ただ内容的に(ほんとにこれが音楽なの?) と正直言って辛めな感想を抱いた。もうちょっと,大衆的な音楽を聴かせて欲 しかった。ただ初めて経験(?)するような音楽を聴けたことは非常にためにな った。 この講義を履修することにした理由は、その時まだシラバスで講義内容を読 んでいなかったし、長嶋先生からのメールもまだ届いていなかったので、「音 像メディア」という言葉がなんとなくかっこよかったから履修することに決め たわけですが、実際長嶋先生から講義に関するメールが届くようになると、自 分の想像していた講義とぜんぜん違っていたので正直言って「面倒くさそうな 講義をとってしまった。」と思いましたが、講義が始まってみると、先生の講 義に対する準備や熱意が伝わってきて、また、他の講義と違った講義内容だっ たので、少しずつ日を追うごとに興味がわいてきたので講義中にあまり眠るこ とがなかった。 たった4日間でありましたが、充実した時間を過ごさしてもらいま した。あの授業の質は多大な知識と経験、生徒側からの視点などさ まざまな思考の産物だと思います。授業を受ける前は、Computer Musicという聞きなれない言葉に戸惑いがありましたが、今はその 領域の広さに戸惑いを感じています。と同時に強い関心も生まれま した。これもひとえに長嶋先生のおかげです。ありがとうございま した。 今回集中講義で、コンピュータミュージックに関して勉強したわけだが、私 は文系であるし、コンピュータをバンバン使えるひとでもなかった。そのた め、授業自体は難しかった。分からない言葉もたくさん出てきた。どこまで 理解したかと言われれば、疑問だらけである。しかし、今回の講義で私の知 らなかった世界を見せてもらった。そして、その世界はとても興味深かった。 私は美術というか芸術というものが好きだ。美術館などにも一人でよく行く。 そういう私にとって講義で見たビデオは楽しかった。知らない世界をのぞけ たことが今回の講義に出席した一番の成果であるといえる。 講義前、この講義はコンピュータを利用した音楽の解説だろう と漠然と考えていたために、正直、講義初日から、驚きの連続であ った。私には想像もできなかった、初めての世界を見た。けれども、 もともと音楽に対する興味は人一倍あった(つもり)ので、その新 しい世界に非常に興味を持つことができた。中には、計算式等が登 場し、社会科である私には、ちんぷんかんぷんである場面もあった。 詳しいシステムについてはいまだに難しく、よく分かっていないが、 新しい世界を体験できたという点では、非常に満足のできる講義で あった。また、私自身マルチメディアには非常に興味があり、今ま では視覚的なことばかりを勉強していたが、これからはさらに新し い視点で考えていけるようなった思う。その点においても、たいへ ん有意義な講義だった。
講義を受ける前は、コンピュータミュージックはゲームの
ミュージックのようなものだと考えていたので、最初聞いた時は
「何だこれは?」と思いました。しかし、コンピュータミュージックは
実際にある楽器を演奏したものを加工したり、自分で作った楽器を演奏したりと、
これはダメ、ということがないので自由にできて良いと思います。
私は、長嶋先生の集中講義を受けるまではコンピュータミュージックとい
えば、DTMのことであり、集中講義もそのDTMの延長に関しての内容だ
とばかりにてっきり思っていたのだが、実際にはそうではなく、いい意味で
裏切られたと思う。おかげで、コンピュータミュージックに関する自分の幅
を広げられたと思うし、何よりこの4日間は刺激的な日々であった。特に、
初日の音楽とも効果音とも似つかないなんとも奇妙な音に始まり、センサを
使った表現、コンピュータによるリアルタイム採譜など、コンピュータを駆
使して音に対する様々なアプローチの研究がなされていることを知って、コ
ンピュータの無限の可能性を改めて再認識した。まだまだこの分野の研究は
進化していっているので、今後もその動向に注目していきたい。
たくさんの変わった曲が聴けたり、ビデオでいろんなパフォーマンスが見れて楽 しかった。あっという間に講義の時間が過ぎている感じがした。少し分かりにくい部 分もあったけど、大変納得いく講義を受けることができた。 集中講義ということもあり、さわりだけをさらっとやった感じで、どうも しっくりくるものに出会えなかったというのが、正直な感想です。 しかし、コンピュータミュージックの奥深さは理解できました。
講義形式は,実例の提示が中心で,理論中心の講義よりは分かりやすく楽し
かった.舞台上でのパフォーマンスと音楽の組み合わせは,物珍しいというか
音楽の新しい形なのかなと思ってみていた.ただ,少し理解しがたい世界であっ
た...
私は最初の挨拶でも書いたように、コンピュータを使った音楽というも のが良くわかりません。しかし講議を受けてみて、大変でしたが先生のコ ンピュータのみではなくあらゆる音楽に対する教養の深さに驚き、自分の これまでに学んだ知識がとても少ないことがわかり、もっと多くを学びた いと思うようになりました。どちらかというと音楽よりは映像の方がまだ わかることも多く、講議の中で少しだけ取り上げたグラフィックの話や、 ビデオ中のコンサートで、音楽と連結して変わる映像など、とても面白く 感動しました。3日間と少ない中で、多くの映像や実際にコンピュータを 使ったデモなどを見ることができ楽しい講議でした。
この講義を通して、今まで知らなかった領域について、そ
の現状や理論に至るまで幅広く知ることができたと思う。
はっきりいって期待はずれでした。ミュージックををやると聞いていたのでもっ と楽しいものかと思ってましたが、けっこう技術的、理論的なことも多く、なに よりコンピューターミュージックが私にはまったく理解できなかった。あまりに 前衛的、芸術的過ぎるのか凡人の私にはさっぱりわかりませんでした。聞いてい て楽しくないし。しかもなぜか気味の悪い、暗い音楽がおおく、もっと楽しい音 楽が聞きたかったです。
レポートを書きながらあらためて講義を思い出すと、多くの作
品を見せてもらえたことが、非常によかったと感じている。理論
や、黒板だけの講義では理解しきれなかったであろう内容も、具
体的に見ることで、自分の中で消化できたのではないかと考えて
いる。特にパフォーマンスに興味を持ったが、これもビデオで実
際に演じている様子を見れたことで、自分の中に強く印象に残っ
たと思っている。
ビデオや実演でやっていることはおもしろそうだと思うが、理論や裏づ けといったことになると、理解しにくい所があった。しかし、情報社会学 科(文系)にとって、久しぶりに情報学部らしい講義内容であったと思う。 このように文理共通で学べる機会を与えてくれたことにはとても感謝して いる。
今回の授業は経験的に非常に良かったと思う。今まで触れられなかった
コンピュタミュージックの世界を垣間見ることができたからである。コ
ンピュータミュージックの作成のされ方や発表の場、実際のいろいろな
作品の例など見れてとてもいい経験になった。
この講義を受け、コンピュータミュージックに対してのイメージが
かなり変わりました。初めはもっと聞き慣れている音楽、もっとメロ
ディがあるものだと思っていました。講義の形態がそうでないという
こともあったと思います。ミュージックというより、サウンドであっ
たと感じました。もっと、ミュージック的なものを取り上げて欲しか
ったです(少しはありましたが)。
正直,コンピュータミュージックを聴くのは苦痛だった。上のレポート でも書いたように,デジタルから作る音より,今まであるアナログをデ ジタル的に理解するということに興味がわいたのも,そのためだと思う。 しかし,未知の音楽に触れることが出来たのは非常によい経験になった。 次回生徒に作品を聞かせる機会があるならば、もっとなじみやす い作品から披露することをお願いしたい。一度鳥肌が立ってしまうと、なか なかそのイメージは抜け出せないものである。怪しい宗教団体の集会の中で 洗脳されているような雰囲気、気分であった。 「現代音楽は気持ち悪い」という意見が多かったようだったが、個人的に は新しい音楽の形に出会えた気がして面白かった。授業の内容としても、 実演が多かったので退屈せずに受講できた。
音像メディア論の講義は今までにない物だったと思います。
今までの講義は知識を教られるだけでしたが、この講義は先生が
好きな物を学生に教える、極端に言えば先生の趣味を学生に自慢
していた講義だったように感じます。
講義の一つ一つの内容は興味深いものだったのですが、集中講義を終えてみ ると、内容に統一性がなく、達成感があまり感じとれなかった気がします。あ と、MAX実習に参加させていただきました。あれだけ奥の深いアプリケーショ ンだと修得するのにかなりの時間を要すると思います。卒業研究で、MAXを使っ て、一曲作品をつくって終わり…と言うことは無理ですね。 私は、今回の集中講義を受講して、今まで知らなかっ た世界を見たような気がした。専門用語が次から次へと出て来たこ とには多少戸惑ったが、コンピュータが創り上げていく音楽の良 さ・神秘的なサウンドを知ることができ、貴重な体験ができたと感 じている。いままで受講してきた講義では、あんな大掛かりな器材 を準備してくれる先生はいなかった。準備やセッティングにかなり の時間と労力を必要としたと思うが、この場を持って感謝したい。
DTMを少しやっていたので、先生のDTMに対する否定的な意見に、正直いっ
て最初反感を覚えた。でも、講義の中でコンピュータミュージックとはとい
うことについて考えることで、DTMとコンピュータミュージックとの違いがな
んとなく分かって、先生のDTMに対する意見にも少しだけ共感できた。音楽に
も、いろんなものがあるんだなぁと思った。
もっといろいろな曲を聞きたかった。 ビデオもいっぱい見たかった。
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