新しい Polyagogic Graphic Synthesizer
の実現に向けての検討

長嶋洋一 (SUAC/ASL)

概要

楽譜の概念を拡張したグラフィック情報による音楽演奏情報生成システムの歴史は長い。本稿では、これまでのアプローチを整理検討するとともに、新しいアイデアを提案し、新しい Polyagogic Graphic Synthesizer の実現に向けての検討を行った。基礎として、クセナキスのアプローチや過去のUPICシステム、最近の新しいアプローチであるSTOCHOSとIanniXの手法を検討した上で、オリジナルの新しい視点を提案検討するとともに、実現の手法についても考察した。単なる音響生成システムでなく、拡張された楽譜の概念を包含した、統合的なリアルタイム作曲演奏システムを指向したい。

1. はじめに

楽譜の概念を拡張したグラフィック情報による音楽演奏情報生成システムの歴史は長い。本稿では、これまでのアプローチを整理検討するとともに、新しいアイデアを提案し、新しい Polyagogic Graphic Synthesizer の実現に向けての検討を行った。基礎として、クセナキスのアプローチや過去のUPICシステム、最近の新しいアプローチであるSTOCHOSとIanniXの手法を検討した[1]上で、オリジナルの新しい視点を提案するとともに、実現の手法についても考察した。

2. UPIC

パリのCCMIX (Center for the Composition of Music Iannis Xenakis) [2] で、かろうじて動態保存されているUPICシステムを実際に操作して調査・研究する機会を得た[1]。このUPICシステムは、1990年代にAT互換機ベースのプラットフォームに専用のDSPボードを多数搭載したversionのリアルタイムシステムとして開発され、ソフトウェアはWindows95上に実装されたものである。

筆者はこれまで、数学的統合的なコンピュータ音楽の創作・演奏環境として、PEGASUS (Performing Environment of Granulation, Automata, Succession, and Unified-Synchronism) project と名付けた実験的なシステムの研究を行ってきた[3]。CCMIXのUPICシステムを数日間にわたり調査した結果、クセナキスとUPICの発想の根本は "Polyagogic" にある事を確認し、PEGASUS projectのコンセプトにも通じるものとして自然に共感できた。


クセナキス自筆の楽譜の一部


"UPIC"の画面の一例


"UPIC"のハードウェア部分

3. STOCHOS

CCMIXでは、クセナキスのもう一つの業績である「確率統計音楽」のコンセプトを具体化した、新しい作曲ソフトウェアSTOCHOS[4]についても実際に触れて詳細に研究する機会を得た。STOCHOSは、Sinan Bokesoy氏がGerard Pope氏の協力のもとで、Max/MSP環境において構築したアルゴリズム作曲環境ソフトウェアであり、ICMCやNIME等でその機能が発表・紹介されている。

"STOCHOS"の画面の一例

STOCHOSは下図のような基本的構造を持ち、自動作曲アルゴリズムに関する非常に多くのパラメータを持ち、これまでのComputer Musicの歴史において実験・提案されてきた、確率・統計音楽のモデルをほぼ網羅的にカバーしている。またMSPの環境により、サンプリングしたサウンドを音素材として利用でき、これをGrainとして多種のGranular Synthesisサウンドも生成できる。生成するサウンドをそのままサウンドファイルとして記録する機能を持ち、音響素材としてのサウンド生成システムとしても有効である。

"STOCHOS"の基本的な構造

4. IanniX

La Kitchen[5]はパリにある独立系のスタジオ/ラボであり、国立音響音楽研究所IRCAM[6]と実質的な協力体制にある。筆者はここで10月に公開された新しい作曲システム"IanniX"[7]の詳細な調査を行った。

La Kitchenのスタジオには、IanniXを開発中のマシンのすぐ隣にクセナキスのオリジナル図形楽譜が置かれていた。IanniXのお披露目では、かつてこの図形楽譜を用いてオーケストラで演奏したその作品を、グラフィクスとしてIanniXに読み込ませて音響生成演奏するという構想らしい。IanniXは、概念的にはUPICの発想を基礎として3次元マルチメディア版に拡張したものとなっているが、音源部分は実装せずにHCI/GUIの部分に徹し、音源についてはOSC[12]を経由してPureData[13]やMax/MSPと連携する。

"IanniX"の画面の一例

5. Graphic SynthesizerとPolyagogicの発想

音楽生成システムは直接の対象として聴覚情報を生成するが、この生成処理(作曲・演奏)に視覚情報を絡めたvisualなアプローチの歴史は、UPICだけの専売特許ということではなく、これまでにも数多くのアプローチがなされて来た。筆者の作品"Muromachi"においても、ステージ上のPerformerがvisualに「お絵描き」する描画情報をリアルタイム音響生成のパラメータとしてシンプルに活用した[3]。

多くのGraphic Synthesizerシステムでは「visualな要素をサウンドにマッピング」という簡単な関係に流れがちであるが、元々クセナキスが UPIC (Unite Polyagogique Informatique du CEMAMu、英語では Polyagogic Computer Unit of the CEMAMu) に込めた意味としては、 "Polyagogic" というコンセプトが中核であると考える。これは、画面内に多数描画されたArcと呼ばれる構成単位をカーソルでスキャンして、カーソルとArcの交点に対応するサウンドを多重生成するという対応関係であり、実際にUPICで作曲してみると容易に体感できるが、音楽における「多数の要素がそれぞれの表現空間(時間、周波数、強度、音色、定位など)を個別に持って個別に駆動されることで全体として音楽となる」というPolyagogicの発想である。複数のメロディーからなるポリフォニー、複数のリズムからなるポリリズム、などの音楽用語が知られているが、より高度な音楽表現のための用語「アゴーギク」(一般にはテンポ等の変化による音楽表現)を同様に「複数」持つ、という優れた発想である。

6. Polyagogic Graphic Synthesizerに向けて

IanniXでは、Open-GLベースの3次元グラフィクス機能を活用して、画面内に複数のカーソル(任意角度の直線、あるいは円周上の等速回転)を同時に稼動させた。これはLa Kitchenを訪問する以前、すなわちIanniXを知らない時期に筆者も考えたアイデアであり、評価できる。しかしまだまだ、Polyagogic Graphic Synthesizerのインターフェースとしては発展の余地があると考える。以下、UPICを調査検討した際に筆者がメモしたいくつかのアイデアを紹介して、新しいPolyagogic Graphic Synthesizerに向けた検討を行う。

6-1. 作曲(Notation)画面の多層レイヤー化

UPICの個々の音楽的「塊」であるArcについては、現在ではグラフィクスソフトの機能として一般的な「レイヤー」の構造に階層的に多重記述することは必須であろう。また、最終的にはビットマップデータとして確定するが、編集(作曲)段階ではベクトルデータとして処理できる、という機能も欲しい。

6-2. カーソルの柔軟な移動形式

UPICのスクリーンに描画されたグラフィクスは、画面内の垂直線(カーソル)が左右方向に移動してスキャンされ、カーソルとの交点のサウンドを多重生成する。このカーソルは単一方向とか一定速度とかでなく、別途に定義したテーブルにより左右の移動を速度を含めて制御できる。しかしこの発想をIanniX風に拡張すれば、カーソルが垂直だけでなく角度を持って一種のエコー(時間差)効果が発生させたり、角度の変化(一種の回転運動)は新しい音楽構造の可能性を持つ。カーソルを自動移動させるだけでなく外部入力情報により任意に移動できれば、センサ等によるそのライブ制御という展開も期待される。

6-3. 「Arc」概念の2次元的拡張 → "GrainUPIC"

UPICのArcは太さを持たない「線」という概念である。ここに、Arcの「太さ」、さらに発展させれば「面積を持つ図形」という発想の拡張の可能性がある。技術的にはUPICそのままでは同時発音数が異常に増大して不可能に近いが、ここにGranular Synthesisの発想を導入すると、現実的な「面Arc版・UPIC」の可能性が浮上しそうである。筆者はこれを "GrainUPIC" と命名した。

6-4. フラクタル性の導入("GrainUPIC"の拡張)

UPICがグラフィック情報から音楽を生成するシステムであるため、少しでもUPICの描画を体験してみれば、グラフィクス美学の一領域である「フラクタル図形」を描きたくなる。筆者の簡単な考察によれば、UPICにフラクタル性を盛り込むことは、再帰的な構造化を盛り込んだ "GrainUPIC" の一つの拡張機能として可能であると考える。

6-5. グラフィクスの3次元化

UPICのグラフィクスの発展は全て2次元の領域に閉じていたが、グラフィクスは3次元に容易に拡張されよう。コンピュータのスクリーンとしてはあくまで2次元のViewとなるが、立体視を実現するVR環境と統合したグラフィクスも可能である。この場合、音楽心理学の領域で有名な「音階の螺旋構造」に相当するような、ピッチ方向でオクターブ周期の繰返しを持つ構造を3次元空間の筒状物体として表現し、3次元空間内でのカーソル直線、あるいは1次元から2次元へと拡張されたカーソル平面がこの3次元空間内で自由移動/規則的移動して個々のArc図形と持つ交点に対応した音響生成を行う、という自然な発展型が期待される。音響素材のためのスタジオでの作曲だけでなく、ライブパフォーマンスにおいて音楽と同時に聴衆に提示するライブグラフィクスとしての可能性も大いに期待される。

6-5. 統計関数と再帰的関数の導入、カオスモデル

STOCHOSには確率密度関数として「指数関数」「線形関数」「一様乱数」「ガウス関数」「コーシー関数」「Weibull関数」「ロジスティック関数」「定数」の8種の関数が選択できるようになっていた。再帰的な構造はフラクタル性、さらにカオス性へと発展できる。この点で、もっとも単純な1次元カオスであるLogistic Functionだけ、というのはやや寂しい印象がある。ここは2次元カオスや3次元カオスの関数も補強したいと考えている。

6-6. Notationレベルのフラクタル性 → 音響合成レベルのフラクタル性

STOCHOSでは11種類のパラメータをマッピングして最終的な音楽音響を生成したが、Polyagogic Graphic Synthesizerの音響生成部分にも活用できるアイデアであると考えられる。また、Notationレベルのフラクタル性を音響合成レベルのフラクタル性にシームレスに結合させる、というアイデアも、"GrainUPIC"の発想の延長として検討したいと考えている。

7. おわりに

本稿では、Polyagogic Graphic Synthesizer という新しいシステムの構想について検討した。今後、具体的な実験・試作開発・応用へと進めていくが、単なる音響生成システムでなく、拡張された楽譜の概念を包含した、統合的なリアルタイム作曲演奏システムを指向したい。

参考文献のリンク

[1]http://nagasm.org/Sabbatical2004/
[2]http://www.ccmix.com/
[3]http://nagasm.org/ASL/
[4]http://jim2003.agglo-montbeliard.fr/articles/papestochos.pdf
[5] http://www.la-kitchen.fr/
[6] http://www.ircam.fr/index-e.html
[7] http://www.la-kitchen.fr/iannix/iannix.html
[8] http://www.cnmat.berkeley.edu/OSC/
[9] http://www-crca.ucsd.edu/~msp/