ICMC1993 Report
長嶋洋一

■ICMC(国際コンピュータ音楽会議)1993 報告■

 91年のMontreal、92年のSan Joseに続いて、ICMC(International Computer Music
Conference)に参加した。しかも今回のICMC1993は、過去20年近いICMCの歴史の中で
初めて欧米を離れて我が日本・早稲田大学を会場とし、音楽情報科学研究会を中心と
した国内の研究者・音楽家たちが約2年半にわたって準備してきた、いわば「日本の
コンピュータ音楽研究の国際的デビュー」の場でもあった。参加者・発表者・裏方と
いう3役で関わってきたこの会議について、今回は速報としてその概略を報告する。
(国内のComputer Music研究に興味ある人々にとってバイブルとも言える、bit別冊
 「コンピュータと音楽」の第2弾の出版も決まったようなので、ICMC93が実現する
 までの背景と経緯、ICMC93での個々の研究発表の報告と作品の詳しい技術的紹介
 等は、その中で詳細に報告することにしたい。)

●Computer Music研究の背景

 Computer Music分野の研究者数は、研究分野としての認知度の低さと同様、まだ
国内ではそれほど多くない。しかし、「音響学会音楽音響研究会」「音楽知覚認知
研究会」と共に歩んできた「音楽情報科学研究会」(音情研)が情報処理学会の正式な
研究会になったり、音情研有志による文部省科研費課題研究「音楽情報処理の技術的
基盤」報告書がまとまったり、IEEEにComputer Generated MusicのTask Forceが設立
されたり、と次第に世間の注目・評価も得られるようになってきた。

 考えてみれば、コンピュータが出現してすぐの時代から音楽に対する応用は検討
されてきたが、いろいろな局面で制約・限界に囲まれたものだった。現在のブーム
よりずっと以前から、音楽は本質的にリアルタイムであり、インタラクティブで
あり、マルチメディアであり、並列的感性情報処理の典型例である。従来の研究で
代表的な、大型計算機による非実時間的な信号計算、楽曲データベースの情報処理、
自動作曲編曲アルゴリズム、楽譜の光学的認識、対話的で高品位な楽譜の編集印刷
などは、その制約内で進められてきたのである。

 しかし時代はComputer Music研究にとって好ましい進展をとげた。CPUパワーの
向上による計算処理能力アップ・DSPに代表されるリアルタイム信号処理によって、
厳しい条件の「時間」に支配される音楽の「演奏」段階と「情報処理」段階が同時
に実現されるようになった。各種のセンサ技術とパターン認識技術はマンマシン
インターフェースを向上させ、コンピュータと人間の演奏家との「対話」も実現
されるようになってきた。マルチメディア技術やVR技術は人間とシステムとを
複数のメディアによってインタラクティブに結び付けた。初期のブームを越えた
いろいろなAI技術にとっても、人間の創造性・芸術性といった「感性」の領域が、
音楽という分野で手の届く研究対象として、ようやく見えてきたように思える。

 そして今、デスクトップのWSにDSPボードと音楽情報処理用のパッケージソフト
を導入することで、十年前には専門の研究機関が多くの研究者と莫大な研究費を投入
して行っていた規模に匹敵する研究を、個人で容易に実現できる時代が到来した。
ここで重要となるのは、当然ながら「音楽」そのものへの考察であり、アイデア・
コンセプト・理論・モデルなどの独創性である。そして、数学・音楽学・心理学・
美学・哲学にまで広がる過去の研究のサーベイも重要となる。ICMC93で新しく発表
された研究の多くは、テクノロジーの進展によって「初めて」実現されたにも
かかわらず、音楽的・理論的なアイデアは相当の歴史を持つものも多く、50-60年前
の論文も参考文献としてreferされていた。音楽の歴史は深いのである。

●ICMAとICMC

 ICMCとは、コンピュータと音楽に関する広範な領域の音楽家・研究者・技術者の
国際組織であるICMA(International Computer Music Association)が毎年開催する
国際会議である。すでに20年近い歴史をもち、ある意味で世界のComputer Music
研究を常にリードしてきた。

 国内と違って、世界ではComputer Music研究は立派な研究分野として認知されて
おり、多くの研究機関・大学がComputer Music研究の専門家を擁している。学生は
音楽大学の作曲家を卒業して計算機科学の大学院を出たり、逆に計算機・人工知能
の大学から音楽大学のComputer Musicのドクターになるなど、音楽とテクノロジーの
両方の分野をマスターした人々が多い。当然、研究は「システム作り」に留まらず、
システムやソフトウェアやアルゴリズムやモデルの研究とともに、それらを具体的な
音楽作品・音楽演奏に反映させることも多く、研究者であるとともに作曲家や演奏家
であることが当然のような雰囲気である。

 筆者が連続してICMCに参加して痛感したのは、このコミュニティのメンバの明るさ
とクレイジーさである。なにより音楽が好きで、自分でも作曲したり演奏するために
耳も肥えているし、音楽がよくわかっている。よほどのマニアでも閉口する、毎日
連続して深夜までの現代音楽のコンサートも平気で楽しんでしまう。
 それでいてコンピュータ技術には敏感で、昨年発表された研究を今年は自分のモノ
にして発展させてしまうエネルギーがある。国内の学会と違って、ICMCのセッション
会場はすぐに議論の場となって、「畑違い」などと遠慮するのでなく、他人の「畑」
も貪欲に自分の世界に取り込んでしまおう、という好奇心が旺盛なのである。

 そこでICMCの特色としては、コンピュータ音楽の作品発表であるコンサート
セッションと、ペーパー・ポスター・デモンストレーション(ソフトウェア・
システム・理論等)などの研究発表セッションを、完全に対等に位置付けている。
また、研究発表のパラレルセッションはあっても、コンサートセッションの時間帯
は確実に全参加者が出席できるように運営される。一般の国際会議ではコンサート
をいわば「余興」としているのとは対照的なポリシーである。
 つまり、情報処理・計算機科学の技術だけでなく、あくまで「音楽」そのものの
場においてその技術的アプローチを評価すべきである、という明確な姿勢であり、
評価は分かれるが、これが「ICMCのカラー」なのである。

●ICMC93Tokyoの概要

 このICMCの開催母体であるICMAから日本開催の打診を受けたのは、なんと1990年
のICMCである。詳しい経緯は別の機会に紹介するとして、それから3年間かかって
準備が進められ、そしてICMC93Tokyoは開催されたのである。いちばんICMCを楽しみ
にしていた、音情研を中心とした実行委員会メンバーは、期間中も裏方として奔走
し、皮肉にも肝心の発表・コンサートそのものにはほとんど参加できなかった。
筆者は実行委員会メンバーながら、「bitに報告記事を書く」という口実で極力参加
できたのだが、この場を借りて多くの人々に感謝とねぎらいの言葉を贈りたい。

 紆余曲折の末にICMC開催を立候補した計画当初に比べて、バブルが崩壊し、世界的
な不景気と円高の中、海外の多くの研究者がわざわざ日本に来るだろうかという心配
があった。しかし、ICMCのペーパーと音楽作品の募集には世界中からそれぞれ250件
ほどの応募があり、最近のComputer Music研究は、ますます盛んになっていること
を実感できた。
 この応募はICMAが中心となる選定委員会によって国際審査され、ペーパーで約3倍、
音楽作品で約5倍の倍率を通過したものが発表された。今回は論文審査の査読者と
しても協力したが、英語で多数の応募アブストラクトを読むのはいい経験になった。
この中から、自分の研究テーマに関する新しいネタが拾えたのも事実である。
 また、音楽作品のセレクションには各国の審査員が来日してホテルに罐詰になり、
朝から晩まで電子音響の現代音楽を聴き続けた。応募してくる作品も凄いが、これを
全部聴いてブラインド審査してしまうパワーもすさまじいものがある。

 今回のICMC93の内容の概略をプログラムから紹介すると、
	3つのチュートリアル、
	8回のコンサート(演奏曲数52曲)、
	16回のペーパーセッション(発表件数64)、
	34件のポスターセッション、
	10件のデモンストレーション、
	1種類のパネルディスカッション
	2件のスペシャルセッション、
	4件のインスタレーション作品発表、
	4件の研究所公開(Studio Open House)、
というものであり、従来のICMCに匹敵する規模となった多少のキャンセルあり)。
また、会議への参加者総数は約420人(海外160人、国内260人)であり、この分野へ
の関心の高さを見せつけられた。

 これだけのComputer Music分野での研究者・音楽家が一挙に来日する機会は
もう当分は望めないものであり、ICMC93に関連したいろいろなイベントも各地で
開催された。たとえば、UPICシステムのワークショップ、芸術と知識工学に関する
国際ワークショップ(IAKTA/LIST)、神戸国際現代音楽祭(IMMF)などであり、ICMCに
来日した多くの「有名人」は、ICMCの前後に日本各地で講演・ワークショップ・
セミナー・コンサート等で活躍したのである。
(筆者も東京のICMC・大阪のIAKTAワークショップ・神戸のIMMF、と発表の連続で、
 国内ながら10日間の全国行脚を体験することになった)

 ICMC93の会場は、研究発表等については早稲田大学内の国際会議場と、隣接する
15号館で行われ、コンサートは会議場内「井深ホール」と、水道橋の尚美学園
「バリオホール」が使用された。
 多くの学会の全国大会と似たペーパーセッションは2パラレルで行われ、全参加
しても半分の発表しか聞けなかった(MontrealのICMC91では4パラレルだった)が、
事前にセッションテーマを分散させたために、内容の重複はほぼ避けられた。
 ポスター発表とは、発表者が一定時間、ブースにポスターを掲示して簡単なデモ
を交えて発表するもので、回ってきた参加者とディスカッションすることを特長と
している。これよりも本格的に機材を準備して行うのがデモンストレーション形態
の発表で、これらは全てProceedingsに論文が収録される。
 コンサートは2つのホールをフル回転して、機材セッティングからリハーサルを
繰り返し、コンサート時間には会議参加者とともに一般の聴衆も入場した。早稲田
とバリオホールとの移動にはチャーターバスも走った。

●研究発表の報告

 通常のICMCでは考えられないことだが、ICMC93では音情研有志の尽力によって、
Proceedings採択論文のアブストラクト(概要)の日本語翻訳集が出版され、参加者
に配布された(ICMCは当然ながら、論文も発表も英語だけである)。
 そこで、今回に限っては多くの日本人が個々の研究発表の概略を知ることが
できるので、ここでは自分の発表時間帯以外の全ペーパーセッションに参加した
中から、今年の傾向として見られた全般的なトレンドを報告してみたいと思う。

<Session 1A Interactive Performance>

 ここでのキーワードは、「パソコン・ワークステーション・DSP・MAX」である。
リアルタイムのインタラクティブ・システムとして、ディジタルフィルタを実時間
制御して管楽器をモデル化した楽音合成を行ったり、センサフュージョンによって
尺八演奏のモーションを検出したり、従来の楽器にない新しいパラメータ軸を検討
したり、筋電位センサ情報から音楽演奏したり、といったアプローチが紹介された。
 伝統的な「自然楽器」は、音楽の進展の歴史とともに洗練され、また淘汰されて
きた結果として、「電子楽器」では望めない微妙な表現力と操作性を持っている。
コンピュータ技術やセンサ技術によって、なんとか「新しい楽器」を生み出そうと
努力する研究者は昔から非常に多く、最近では楽音合成アルゴリズム(物理モデル)、
DSPシステムへのインプリメント、多重センサによる演奏情報検出(一つで決定的な
センサはない)、医学・生理学・心理学からのアプローチなどが顕著である。
 脳波・眼球運動・筋電位などの出力は、たとえば「音程を正確に指定する」ための
制御手段としては不安定すぎるのだが、「生体のゆらぎこそが音楽だ」という現代
音楽的作品として主張されてしまえば、「そんなものかなぁ」と納得するしかない。

<Session 2A Analysis/Synthesis>

 自然音を分析してパラメータを抽出するAnalysisと、このパラメータを基にして
音響信号を発生(楽音合成)するSynthesisとは、Computer Musicの歴史の一つの
主流となっている分野である。かつてのサイン合成やFMに続いて、非線型変換と
ウェイブシェーピングの研究や、より新しい「何か」の探求は今も続いている。

 筆者は1991年のICMCに参加する直前、"Granular Synthesis"という新しい楽音合成
の名前を知ったが、「音の量子力学」という言葉からは、いったいどんな音がする
のか想像もつかなかった。ところがモントリオールのICMC会場で、マイナーな分野
ながら細々とGranular Synthesisの研究を続けてきたBarry Truax教授の発表を聞き、
さらにテープでその音響の断片を聞くことができた。
 音楽の世界では「百読は一聴にしかず」である。そのセッション会場で早くも
思想と概念を明確に理解し、帰国途中の飛行機内でまとめたメモには、すでに
Granular Synthesisの音を生成するシステムのブロック図が完成していた。
国内でもほとんど知られていないマイナーな楽音合成方式であるところが
気に入って、ニューラルネットワークでリアルタイムにGranular Synthesisの
パラメータを制御するシステムを製作し、このネタは翌年のICMC92に採択されて
発表することができたのである。
 ところがICMC93では、驚くべきことにGranular Synthesisがメジャーになって
しまっていた。多くの研究者が新しくこのテーマに飛びつき、さらにWSのDSP環境
にインプリメントされたために、多くの作曲家の作品として"Granular Sampling"
の音響がすでに使われていたのである。ICMCの研究スピードを肌で実感した。
 伝統的なGranular Synthesisの音響は、ピッチ感も音色感も漠然としたところに
特色があったが、ここで一気にトレンドとなった"Granular Sampling"では、
楽音合成というよりも一種のエフェクタと見て、音響信号処理の一手法として
活用されていた。実は筆者も一日目のこのセッションのメモに「次のネタとして
挑戦してみよう」と書いていたのたが、これだけ実際の作品として活用されて
しまっていたために、泣く泣く作戦を変えることにした。

<Session 3B Composition>

 (自動)作曲は、Computer Musicの「永遠の課題」の一つである。昨年に続いて
アルゴリズム作曲のついてのパネルディスカッションがあったことでもわかる
ように、多くの研究者がコンピュータに作曲させようと、あるいはコンピュータ
を良きパートナーとして作曲するために努力している。
 音楽の世界で伝統的なCompositionとは、楽譜なりシーケンサのデータとして
あらかじめ完成された演奏情報を確定させることであり、これは「演奏」とは別の
ところで、別の時間によって行われるものだった。しかし、コンピュータ内に
アルゴリズムやルールを設定することが「作曲」であり、「演奏」の段階で初めて
音が生成されるまで作品の姿は分からない、という"Real-Time Composition"の
考え方はComputer Music研究者の中では定着しているものである。

 このセッションは前半2件だけで後半は並行する隣のセッションに移動したが、
Granular Samplingによるリアルタイムの楽音信号処理と、カオスの応用が発表
された。
 筆者は前回のICMC92で、カオスやフラクタルを用いた自動作曲の研究発表をいくつ
かのマイナーな発表で知った。そして次のテーマとしてカオスを取り上げ、システム
を作り、ソフトを作り、作品を書いて、この研究発表はICMC93にも採択された。
ところがフタを開けてみると、なんと今回はカオスとフラクタルの花盛り、あちこち
でこのキーワードが溢れていた。コンサートセッションでも、作曲の過程にカオスを
適用したものが数多く登場したのだが、どこがカオスか不明のものも多かった。
(「どこがカオスかわからない」という批評は、筆者の作品でも言われている)
どうやらICMCで次の研究ネタを捜す嗅覚が、翌年のトレンドを嗅ぎ付けているようで、
おいそれと「新ネタ」を公開することができなくなってしまいそうである。
(ちなみに筆者のICMC参加ノートには、来年に向けての新研究ネタのメモがギッシリ。
 とても一人では研究しきれないので、協力いただける方のコンタクトを募集中。)

<Session 3A Software Tools, Systems>

 Computer Music研究は、ある意味でソフトウェアの勝負である。研究者はそれぞれ
の音楽的要請から「音楽環境」ソフトウェアを作ろうとし、それをオールマイティに
すべく成長させ続ける。
 このセッションでは、「Krayola」「Kyma」「Nyquist」といった、それぞれ
独自に楽音合成のレベルから音楽表現のレベルまでをカバーする統合的ソフトの
最新状況が報告された。「MAX」のように、汎用の道具として万人にアピールして
活用されるものもあるが、たいていのシステムはその開発者の専用のようになって
しまうのも面白い。
(実際には、これらのソフトウェアはFTPサイトから入手可能である)

<Session 5A Physical Models>

 楽音合成の一ジャンルから、そろそろ一つのセッションとして一人立ちして
きたのが、この「物理モデルに基づく楽音合成」である。
 現在、電子楽器として出回っている音は、ほとんど全てがPCM録音された自然楽器
の音であり、アナログ時代のシンセやFMなどの合成音は、リアリティとクオリティ
の面でPCM音(となった自然楽器音)に圧倒されているのが現状である。
 しかし、Computer Musicの研究者と音楽家にとって、テープレコーダ(サンプラー)
に録音してきただけの音を「再生」することなど、まるで眼中にない。演奏者の
ニュアンスに応じて、作曲家のイメージに応じて、それもリアルタイムにかつ
インタラクティブに楽音・音響が変化して欲しいのに、PCM音は当然ながらまったく
変化しないからである。
 そこで、コンピュータ・パワーとDSPテクノロジーを駆使して、地味ながら
確実な研究が進められている。自然楽器の繊細で微妙な音響の魅力を正面から
解析して、多次元多変数の微分方程式を立てて、多段ディジタルフィルタに
モデル化し、そのパラメータを並列処理でリアルタイムコントロールしようという
のである。
 ICMC92では、スタンフォードの研究所CCRMAの研究グループが、このような
物理モデルの楽音合成のためのコントローラを実際に製作して、参加者の度肝を
抜いた。「笛」に似た構造ながら、1本に9種類(唇の圧力・噛む力・息の量・
吹き口の回転・左右の指使い・左右の運指パイプのスライドと回転)のセンサを
仕込み、音量や定位だけでなく、フルートとサックスの音色を吹き口の回転で
なめらかに補間してつなげてみせたのである。
 現時点での完成度は、まだまだPCMサンプリングされた自然楽器には負ける
けれども、管楽器や弦楽器でかなりのリアリティが得られてきている。そして、
この音響は電子楽器の無表情な音とは違って、センサやソフトによって自由に
各種のパラメータを表現できる音なのである。多くの研究者がこの「自由さ」に
こだわり、ものすごいパワーを傾注している。本当の「新しい楽器」の未来は
明るいのかもしれない。

<Session 6A Software Tools, Systems>

 ここでは「ニューロ」「VR」「マルチメディア」「遺伝アルゴリズム」などの
刺激的なキーワードが数多く登場したが、どうもICMCはこのような新パラダイム、
あるいはAI関係のネタにはあまり反応してこない気がする。
 たとえばニューラルネットは、AI分野でも一部にあるように、「このブラック
ボックスは中身はよくわからないが面白い結果が得られた」というような研究は、
あまり好まれないらしい。研究への評価として、理屈が細部まで解明されていない
のに有効な結果が得られてしまうことに抵抗があるかのように思える。今回は、
ソフト「MAX」にニューロを結合させた研究の延長として、ファジイニューロに
展開した常連の発表だったが、今年もまた会場の反応が冷淡であるように感じた。

 この頑固さは「音楽」へのこだわりでも同様である。ポピュラー分野での
Computer Music化はますます一般化して、これからはWSでなくパソコンでも
マルチメディアが加速しそうな傾向なのに、ICMCではグラフィクスが一種の聖域
のようになっている印象がある。あくまで研究の中心を「音」「音楽」に置こう
という暗黙の姿勢(ただし決して強制されるものではない)があり、安易に
「グラフィクスと組み合わせるだけ」のマルチメディアに走ることを嫌っている
かのように感じられる。
 コンサートセッションにおいても、誰でもリアルタイムのパフォーマンスと
リアルタイムのグラフィクスを組み合わせた作品を考えそうなものだが、実際
にはきわめて正統的な、まったく現代音楽のコンサートとして通用するような
「音楽だけ」の作品がほとんど全てとなっている。応募にはCGやダンスと組み
合わせた作品もあるらしいので、「単に組み合わせた」だけの目新しさでなく、
あくまで音楽作品としての芸術性やComputer Musicとしての新規性などを基準
として審査しているらしい。

<Session 7A Analysis/Synthesis>

 このセッションでは、IRCAMのCurtis Roads氏の発表が印象的だった。「畳み込み」
という当り前のテクニックを、信号処理だけでなく音楽情報処理のあらゆる局面に
展開する、という視点には敬服するし、いろいろと刺激に満ちた内容となった。
アイデアだけだったGranular SynthesisをComputer Musicの世界に紹介したのも
同氏だし、来年には1200ページの「Computer Musicを全てサーベイした本」を
MITプレスから出すという。物静かな風貌ながら、さすがスーパースターである。

<Session 8A Physical Models 2>

 もう一つの「物理モデル」セッションでも、弦楽器の音響や指先のコントロール
など、音楽や自然楽器の考察に裏付けられた研究の発表が並んだ。ただし、
「Physical Models that Learn」というタイトルで予想されたニューラルネットの
応用ネタについては、Local Minimumを含めて単なるNNの説明に終始したことも
あって、会場の反応は冷たかった。目的意識、実現への過程(アイデアだけの発表
はスルドイ質疑で正体を明かされてしまう)、音楽的考察などが不足した研究は
途端に会場がしらけるあたり、真剣勝負の会議であることを改めて実感した。

●Opening a New Horizen

 およそ2年半にわたってICMC93を検討・準備してきた我々は、ICMC93Tokyoの合言葉
として、「Opening a New Horizen」というキャッチフレーズを提示してきた。
そしてICMC93が終わって、世界中から「よくやった」の泣かせる電子メイルが舞い
込む中で、この言葉の本当の意味をあらためて実感しているところである。

 海外から来日した多くの研究者・音楽家は、日本の文化と伝統芸術に相当の
インパクトを受けた。レクチャーコンサートで目の当たりにした、「本物の尺八」
の表現力と演奏は、今後の作品に安易に「奇異な音響」として尺八を使うことを
抑制することになるだろう。

 そして一方、これまでは海外の研究状況を知らなかった、という言い訳で済んだ
国内の一部の研究者も、ICMC1993のProceedingsという証拠がこれだけ国内に出回
れば、今後は「サーベイレス」の研究として失笑を買うことになる。たとえば、
MAXのパッチによる自動作曲、機械とMIDIによる自動演奏装置、クラシック音楽の
記号表現による分析「だけ」等というのは、世界ではとっくの昔に終わっている
研究であり、「その先」でなければ研究テーマとしての意味がないのである。
 筆者はたまたま2年連続で発表できたが、それぞれの内容は1年遅れていれば
rejectされる程度のレベルであることを誰よりも知っている。今後のテーマは、
さらに先を展望していかなければならないのである。国内の学会では10年前の
ICMCネタでも発表できるが、それでは自己満足にもならない。いよいよ、「井戸
の底」だった国内の研究者も、ICMC93を好機として、世界と同じ土俵でComputer
Music研究に取り組む時代になったのである。

 次回のICMC1994は、デンマークのARHUSで開催される。その次は北米西岸(USAか
カナダ)(その次には香港か中国...という噂もあったが...)だという話で、
ますますICMCは世界を舞台に発展していくだろう。研究者は今回のICMC93で多くの
ネタを仕込み、議論によって問題点を明確にし、コンサートで新しい流れを体験し、
早くも次回に向けての材料をタップリ準備している。
 そこには一つの研究分野にしがみついている研究者はいない。新しいアイデア、
有効なコンセプトは誰でも翌年には自分の持ちネタとして吸収している。誰もが
新しい音楽の境地を夢みて、コンピュータ技術の最新の成果を注ぎ込んでいる。
Computer Music研究は文字通り、コンピュータと音楽を愛する者なら誰でも参加
できる、そして限りなく奥深い世界である。ICMC1993を契機として、より多くの
人々にこの世界を知り、理解していただければ幸いである。