あるComputer Musicとの関わり方

1997年4月 長嶋洋一


1.広義の「作曲」

 筆者にとって、Computer Musicの作曲というのは非常に広い活動の総体である。
狭義の「作曲」といえば、MAXのパッチを作る、Kymaで音響合成をする、
MacDrawでPerformerのために「楽譜」を作る、Unixのシェルとして音響生成
のアルゴリズムを記述する、Indyでディジタルレコーディング/編集する、
等々の作業であろう。しかしこれだけでは作品は生まれ出てこない。

 研究者/教育者としての顔も持つ筆者が行っている、新しいアイデアの実験、
新しい音楽情報処理関連ソフトウェアの実験、もまた広い意味で「作曲」の
一部である。これまでにも、ニューラルネットワーク、カオス、フラクタル、
グラニュラシンセシス、RMCP、など新しい概念と接するたびに、それを
実験するソフトを書き、自分なりの料理で作品のアイデアに盛り込んだり、
学生を実験台として講義の場で試したり、という事は数多くあった。この
ような活動は、具体的になにか新しいテーマで新作にチャレンジする時に、
色々な意味で効いてくるのである。

 技術コンサルタント/エンジニアとしての顔も持つ筆者は、日常的に
色々なセンサやマイコンシステムやプログラムを開発している。多くの
アーティストから依頼される特注システムに関しては、Computer Music
関連であれば「お仕事」というより「共同研究」という意味付けで
格安で引き受けることにしている。もちろん、自分で作ったセンサを
次の作品で使ってみる、というような事例も多い。秋葉原や日本橋で
なにかヘンなセンサを仕入れる、あるいは高機能の新しいLSIが登場
すると仕入れる、という活動から、シーズ指向で新しい「楽器」「装置」
が生まれて、それがやがて、作品として結実するのである。筆者にとって、
これも重要な「作曲」活動なのである。本書の付録CDROMには、このような
色々な活動に関するいくつかの記録を入れてあるので、興味のある読者は
そちらも参照されたい。

 そして最近のテーマとしては、アートとサイエンス/テクノロジーとを、
両方とも身につけて橋渡しするような人材をどう育成していくべきか、と
真剣に考えて始めているところである。自分の作曲のためだけでなく、より
広い世界での「作曲」に貢献する人材を育成する、というのも重要なテーマ
だと思う。

2.出会いとコラボレーション

 本書の付録CDROMのために新しく作曲した作品「Bit Extra Issue」は、
1997年春に作曲・発表した一連の3曲の作品の音響素材を題材として、新たに
リミックスしたバージョンである。その元となった3作品とは、以下である。
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 コンピュータ音楽作品 "Perching Proteus"、作曲1997年 、
        1997年3月11日『相愛大学公開講座』(テープ作品)
 コンピュータ音楽作品 "Flying Proteus"、作曲1997年 、
        1997年3月11日『相愛大学公開講座』(パフォーマンス:吉田幸代)
 コンピュータ音楽作品 "Ephemeral Shimmer"、作曲1997年、
        1997年3月26日『韓日友好 日本コンピュータ音楽協会(JACOM)コンサート』
          (ソウル・YURIMホール、パフォーマンス:吉田幸代、CG:由良泰人)
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 しかし、このいずれも、筆者ひとりだけでは作曲できなかったものである。
Computer Musicというと、部屋にこもって一人で何もかも行う「暗い」もの、と
いう印象があるが、筆者はむしろ、この世界での多くの「出会い」と、共同作業:
コラボレーションによって実現される素晴らしさを実感している。その実例として、
この作品が生まれるまでの経緯を振り返ってみたいと思う。

 この作品の全てのサウンドは、相愛大学の太田里子さんのフルート演奏の音響
を素材として、Indyのsoundeditorというツールで切り貼り加工して作曲したもの
である。ところで、このフルート演奏は、作曲家・辻井英世氏がこのために作曲
した作品 "EPSIA" の一発録りのDATテープによって筆者に届けられた。もともと、
それまで3年間、相愛大学の公開講座としてComputer Musicの話題でレクチャーを
行ってきた筆者は、相愛大学音楽研究所の辻井氏と相談して、4年目は実際に
後半をデモンストレーションコンサートにして、Computer Musicの実例を紹介
しよう、という企画を立てたのである。そして、新作の音響素材という「お題」
を、辻井氏に提供してもらったのである。(ちなみに翌年の1998年には、さらに
コンサートの部を以下のように充実させて、Kymaをライブで使ったり、初めて
「笙」の作品に挑戦したり、オリジナルセンサを活用した新作を初演した。)
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 コンピュータ音楽作品 "Ogress"、作曲1998年 、
        1998年3月10日『相愛大学公開講座』(ボイス:下川麗子)
 コンピュータ音楽作品 "Scenary"、作曲1998年 、
        1998年3月10日『相愛大学公開講座』(笙:林絹代)
 コンピュータ音楽作品 "Atom"、作曲1998年 、
        1998年3月10日『相愛大学公開講座』(「光の糸」演奏:寺田香奈)
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 さて、1997年のコンサートについては、それまであまりミュージックコンクレート
の手法に深入りしていなかった筆者が、その機会とするために、「フルートの現代
奏法として得られる、なるべく多種の音響断片を録音したDAT」を辻井氏にリクエスト
して始まった。しかし1ヶ月後に届いたのは、単なるサンプル音響でなく、立派な楽譜
として作曲されたコンパクトなフルートのための現代音楽の小品であった。筆者は
これを単音レベルにまで切り刻み、ループ、リバース、ピッチシフト等の単純な
操作とミックス操作を繰り返して、上記の3作品を作曲したのである。ライブ版の
作品では、さらにこのサウンドをサンプラに入れてセンサのパフォーマンスで
トリガしたり、由良泰人氏による映像をセンサによってスイッチングしたりした。

 ここでは、太田さんの素晴らしいフルートの音響がなければ、そしてその元と
なった辻井氏とのコラボレーションがなければ、これらの作品は生まれ出ることは
なかった。ソウルでの公演は、上原和夫氏との出会いでJACOMにいなければ実現
しなかったし、映像作家の由良泰人氏との出会いがなければ、その映像を活用した
作品も実現しなかったのである。まさに筆者の作曲は、多くのコラボレータとの
出会いに支えられているのである。ちなみに、由良泰人氏とのコラボレーションに
よって作曲・公演した筆者の作品には、以下のものがある(一部)。
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 コンピュータ音楽作品 "CIS(Chaotic Interaction Show)"、作曲1993年、
        1993年9月17日『神戸国際現代音楽祭 1993』
        (神戸・ジーベックホール、パーカッション:花石真人)
 コンピュータ音楽作品 "Muromachi"、作曲1994年、
        1994年5月27-28日、『眼と耳の対位法』
        (京都・関西ドイツ文化センターホール、パフォーマンス:八幡恵美子)
 マルチメディア・パフォーマンス作品 "David"、作曲1995年、
        1995年10月20日『日独メディア・アート・フェスティバル』
        (京都・関西ドイツ文化センターホール、パフォーマンス:藤田康成)
 コンピュータ音楽作品 "Asian Edge"、作曲1996年、
        1996年7月13日『コンピュータ音楽の現在II(日本コンピュータ音楽協会)』
        (神戸・ジーベックホール、パフォーマンス:吉田幸代)
 マルチメディア・パフォーマンス作品 "Johnny"、作曲1996年、
        1996年10月19日『京都メディア・アート週間』
        (京都・関西ドイツ文化センターホール、パフォーマンス:藤田康成)
 コンピュータ音楽作品 "Atom Hard Mothers"、作曲1997年、
        1997年11月24日『コンピュータミュージック・アンデパンダン・コンサート』
        (神戸・ジーベックホール、パフォーマンス:寺田香奈、吉田幸代)
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 ところで辻井英世氏との出会いは、大阪での現代音楽のシンポジウムのパネラで
同席したのが縁であり、ここに筆者を呼んだのが、筆者が勝手に押しかけ弟子と
なっている現代音楽の「師匠」、中村滋延氏である。サバティカルによる半年間の
ドイツ滞在が本書の執筆期間と重ならなければ、間違いなく本章にも寄稿して
もらった作曲家である。筆者は中村氏の「音の個展」などにおいては、エンジニア
として多数のセンサやシステムを開発して協力する、というコラボレーションに
よって、自分自身もおおいに勉強して成長してきたと感謝している。そして中村氏と
筆者の出会いとなったのは「音楽情報科学研究会」であり、その仕掛人といえば
日本の音楽情報科学分野で知らない人はいない、坪井邦明氏である。全ての出会い
の起点はここにあり、筆者の現在は坪井氏なくては語れないのである(感謝)。

 音楽情報科学研究会は、筆者の活動の全ての原点である。ここで知り合った
多くの研究者・音楽家などとの議論や交流は、作曲に生きるアイデアの宝庫
であったり、研究者としての筆者をおおいに成長させてくれている。また、
早稲田・後藤真孝氏のRMCPを研究会の「夏のシンポジウム」で知って共同
研究/応用システムを実現できたのも、音楽情報科学研究会での大きな成果
である。かつて境界領域として「窓際」の扱いだった音楽情報科学がここまで
学界で認知されるに至った、多くの先人たちに敬意を表したい。

 音楽情報科学研究会が縁で、普通ならお話できないような大御所の先生
がたと知り合いになれる、というのも嬉しい「出会い」である。そして、この
先生がたからの紹介で、また新しい面白い話が舞い込んでくる。ここ何年か
でも、そうやってまったく見ず知らずの人からの電子メイルからスタートした
プロジェクトはいくつもあり、そのたびに自分の「作曲」にも生きるアイデア
などが生まれてきた。

 出会いとコラボレーションの世界は、まだまだ筆者の周囲に広がっている。
パソコン通信Nifty-ServeのMIDIフォーラムのSubSysOpとして「音楽情報科学」
会議室(FMIDIBGN19番会議室)の議長をしている筆者にとって、この会議室で
知り合った多くの仲間もまた、コラボレータとして重要な位置を占めている。
本書の第6章で寄稿していただいた吉田達矢氏、多数のセンサ開発で協力して
いただいた照岡正樹氏、さらに名著「サイバー・キッチン・ミュージック」の
著者である北村祐子さん(YUKO NEXUS6)とも、この会議室で知り合った。
テレビCMなどの作曲で活躍する山口龍夫氏(付録CDROMにMAXパッチを提供)
とは、会議室の上で半年以上も「オリジナルMIDI機器の製作講座」を続けて、
実際に初めて京都のコンサート会場で「対面」する頃には、旧知の親友の
ようになっていた。ネットワーク時代の新しいコラボレーションである。

 また、フランスのIRCAMで活躍する作曲家のGoto Suguru氏とはまったく
見ず知らずのまま、オリジナルセンサの製作依頼のメイルを受けて交流が
始まり、最終的には試作開発したマシンはIRCAMに「輸出」され、無事に
海外で活躍している。その後、一時帰国したGoto氏と東京で初めて対面し、
さらに友人であるタナカアタウ氏と一緒に懇談することとなった。ICMC等
で見ているスーパースターのアタウと知り合いになったこの「出会い」も、
インターネットが生み出した世界規模のコラボレーションの一つの成果である。
同様の出会いは、面識のなかった作家・前林明次氏からのVRセンサ開発依頼の
電子メイルからも始まった。結果として筆者の開発したセンサを用いた前林氏
の作品 "Audible Distance" は、ICCビエンナーレ1997で準グランプリを
受賞し、1998年春からはICCで常設展示されている。

 筆者にとって、本書の第2章での執筆が実質的なスタートとなったKymaに
ついては、インターネットを経由して、既にKymaユーザとして活躍する作曲家の
吉田靖氏と知り合いになることで、今後はお互いに有益な情報交換を行う
ルートが確立した。吉田氏には筆者がプロデュースする1998年秋のコンサート
で新作を発表してもらう話を持ち掛けた。Kymaの先輩のワザを拝見しよう
という構想であり、Kymaの新しいワザを交流しよう、という目的もある。
このコンサートには、神戸山手女子短期大学で筆者の同僚である中村文隆氏
も巻き込んだ。中村氏はばりばりのUnixおたくであり、筆者との共同研究
では頼りになる存在なのである。これらの交流は、いずれも一人では
できない「何か」が生まれてくる可能性を予感させている。

 ギリシャのICMC会場では、音楽情報科学研究会の仲間である小坂直敏氏
(本誌にも寄稿)の紹介で、笙奏者の東野珠実さんとも知り合った。この
出会いは、まず1997年12月に東野さんが発表したComputer Musicの新作の
ための、笙の内部に仕込む小型MIDIスイッチ(Kymaを制御)として結実した。
そして、次のステップとして「笙のためのブレスセンサ」というテーマに
移っている。このセンサは最終的には東野さんの笙の演奏可能性を拡大する
ツールとしてプレゼントする予定であるが、最初の実験台としては、筆者が
1998年秋のコンピュータ音楽国際フェスティバル(神戸)で発表する新作に
使うつもりである。
このためのセンサの検討や音楽的な考察については、インターネットで
演奏者の東野さんとやりとりするだけでなく、Niftyの音楽情報科学会議室
のメンバーと色々な情報交換/検討を同時進行で進めている。いわば、
「新しいものの出現を中継」しているのである。この試みが、ネットワーク
時代の新しいコラボレーションの実験になるものと期待している。

3.音楽とコンピュータ、コンピュータと音楽

 「音楽とコンピュータ」「コンピュータと音楽」と並べてみて、読者は
どのような印象を持つだろうか。筆者はこれまで、多くの関係者といろいろな
議論をしているが、いまだに解決されていない「永遠の課題」というものも
少なくない。その一つが、「音楽を判らないのに研究テーマとするな」と
いう意見である。情報処理学会の全国大会などで、「私は音楽のことは
判らないのですが」と前置きして音楽情報科学ネタの発表をする、という
「研究」は論外としても、音楽情報科学研究会の夏のシンポジウムの「夜の
セッション」では、毎年のように話題になる、結構深いテーマである。

 一つの立場としては、コンピュータ科学の研究者が、その応用テーマと
して「たまたま」音楽を選ぶ、ということがある。マルチメディアが追い風を
受けた時代には、情報処理の結果として音楽の演奏は判りやすいデモン
ストレーション効果もあって、音楽ネタの研究発表がブームになった。
たとえば知識処理言語の研究対象として、あるいはファジイ論理システム
の処理対象として、またデータベースの対象テーマとして、などに「音楽」
を用いた、という研究である。テクノロジーとしてはそれぞれの分野で
あるものの、音楽ネタなので音楽情報科学研究会などにも登場するのである。

 しかし、圧倒的に多い「サーベイレス研究」(過去にそのような研究が
既に十分に行われていて、目新しいものが何もないという不毛な研究)
を別にしても、音楽的にあまりに無理解/未熟なために、せっかくの研究が
ほとんど意味をもたない悲惨な発表も少なくない。この場合、せめて
音楽関係者とのコラボレーションができないものか、といつも残念に思う。
専門知識に欠ける人を排除するというつもりではないが、音楽理論の教科書
の最初に書いてある用語すら知らない、あるいは論文に記載した楽譜例が
楽典の基本ルールすら守っていない、などという「研究」では、その内容の
具体的な評価以前に、考察の基礎がなっていないと思うのである。

 また、「音楽の専門家でなくても音楽を楽しむための」という研究も
少なくない。これはカラオケや高齢化社会の生き甲斐などの産業上の要請も
あり、今後も発展する分野であろう。筆者はこのテーマに関しては、
いい意味で「ご自由に」とエールを送ることにしている。つまり、自分と
しては積極的には関わらないが、その研究自体については応援する、と
いうスタンスである。まずコンピュータ関連技術があり、その応用として
音楽を選ぶ際に、具体的なニーズ(社会的要請)があれば、単なる看板と
しての音楽ネタの研究とはまるで違うのである。ただし自分の研究テーマと
して深入りすることはしない、という筆者の姿勢は矛盾していないし、
仕事として協力依頼があれば、喜んで手伝うこともある。

 一方、本質的にはコンピュータを必要としない音楽学、音楽心理学などの
研究分野で、統計処理や実験ツールとしてコンピュータを利用する、という
テーマもある。ここでは逆に、コンピュータの専門家ともっとコラボレー
ションすれば、もっといい結果が簡単に得られるのに、という研究も
よく見かける。二つの分野の境界領域ならではの問題点だと思う。

 では、作曲家や演奏家などの専門家にとって、コンピュータ音楽とは
何を求めていけるものなのだろう。たとえば、
 「コンピュータなど無くても音楽はできる」
 「この音楽はコンピュータがあって初めて生まれた」
 「そこにコンピュータがあるからだ」
という意見は、いずれも真実であり、ここにカギがあると筆者は思う。

 とりあえずコンピュータは道具として、演奏の領域では人間の可能性を
拡大してくれる。MIDIを活用したシステムでは、腕が10本で指が100本の
人間にしか演奏できない音楽を容易に実現できる。生身のオーケストラでは
疲労で実現できない「際限なく繰り返す正確で精緻な再演奏チェック」に
よる作曲も、コンピュータによって得られる貴重なチャンスである。
既存の楽器を超えた電子音響と音響信号処理は、まったく新しい音楽の
素材を提供してくれる。コンピュータは専門家にとって、身体や感性の一部
となる素晴らしきパートナーなのである。人間のライブパフォーマンスを
センシングし、マルチメディアを融合してリアルタイム処理するのも、
コンピュータによって実現できた世界である。作曲において、あるイメージ
を実現してくれるために、コンピュータ技術が不可欠なことは少なくない。

 そしてもう一方で、コンピュータという存在が、本質的に創造力を刺激
してくれる、という点を評価したい。いわば芸術創造において、上記のように
ニーズとしてコンピュータの存在が生きるだけでなく、コンピュータが
シーズとして作曲に寄与することもあるのである。カオスのシミュレーション
やアルゴリズム作曲の実験から、それまで五線紙の上では考えもつかなかった
アイデアが登場することもある。離散的・決定論的なコンピュータに、
アナログで曖昧模糊とした人間の感性の機微が判ってたまるか、というのは
甘い発想である。シミュレーションとは一般にモデルがあって行われる
が、コンピュータ音楽においては、具体的な対象モデルのないシミュレーション
から、人間の感性を刺激したり挑戦する新たな何かが生まれることもある、
というのが筆者の信念である。

 人工生命のシミュレーションから人工知能が生まれることをほとんど期待
できないのと同様に、このアプローチはかなり自己満足的なものかもしれない。
しかし作曲とは、ある意味でそんなものだと思う。作曲という名の実験の成果を
評価し判断するのは、自分に関係のない、だいぶ後のことである。バッハ
もベートーベンもその時代には実験的な「現代音楽」を作曲していたのであり、
そしてその時代には、たまたまコンピュータが無かった、というだけなのである。
いま、ここにコンピュータがある。これは空気でもあり、また自分の相棒でも
ある。そして自分は音楽をやっている。ただそれだけなのである。

4.おわりに

 本書の編集委員仲間の平田圭二氏は、この記事に「おわりに」を書くべし、と
言う。そして筆者は「それを書いてはオシマイだ、まだ現在進行形なのだ」
と言いながら、ここまで来てしまった。とりあえず言えることは、
Computer Musicは楽しいなぁ、ということである。この世界と出会った
ことを感謝している。そして可能な限り、色々とチャレンジしていきたいと
思っている。それもこれからは自分だけでなく、そういう人材の育成も
含めて、である。本書の「次」は、また10年後だろうか。その時にも
「おわりに」をなかなか書けない自分でいたいと思う。