98-参-文教委員会-8号 昭和58年5月12日 ○粕谷照美君 それは学術会議の同意を取りつけないでも法的にはできるでしょうね。しかし、法律の精神そのものを本当に尊重していくという態度からは――あなた方はこれで十分努力をしたと、こういうふうにおっしゃいます。しかし私たちは、その努力はなってないと、こう判断をしているので、そこの判断が違っているんですね。だから同じことを何度も何度も、繰り返し繰り返し質問しているし、あなたの方も同じことを何度も何度も答弁をしている。全くもうすれ違いの論議にしかなっていないことを非常に残念に思っております。  さて、それで推薦制のことは別にしましてその次に移りますが、学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけですけれども、今度法律が通るとあるわけですね。政府からの独立性、自主性を担保とするという意味もいままではあったと思いますが、この法律を通すことによってどういう状況の違いが出てくるかということを考えますと、私たちは非常に心配せざるを得ないわけです。  いままで二回の審議の中でも、たしか高木委員の方から国立大学長の例を挙げまして御心配も含めながら質疑がありましたけれども、絶対にそんな独立性を侵したり推薦をされた方を任命を拒否するなどというようなことはないのですか。 ○政府委員(手塚康夫君) 前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません。 ○粕谷照美君 私は、いまのことを思いますと、この法律を見て思い出すことは、いままで教育委員というのは選挙で選ばれていましたね。それが今度任命制に変わるときに猛烈な反対運動があったわけですね。私なんかもその先頭に立って反対した方なんですけれども、やっぱり任命制になってから大変違ってくるのですね。その与える影響とか権限とか、それから姿勢とかが全く直通になっていくわけですね、上からの。そういう意味も含めまして、学術会議の独立性というものが侵されはしないだろうか、こういう心配を持つものですから、何度も何度も念を押しているわけです。そうしますと、いままで行われた二度の国立大学長の拒否事件が起きないという保証はこの法律の中にどこに含まれていますか。どこのところを読んだら、ああなるほど大丈夫なんだと理解ができるんですか。 ○説明員(高岡完治君) ただいま御審議いただいております法案の第七条第二項の規定に基づきまして内閣総理大臣が形式的な任命行為を行うということになるわけでございますが、この条文を読み上げますと、「会員は、第二十二条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。」こういう表現になっておりまして、ただいま総務審議官の方からお答え申し上げておりますように、二百十人の会員が研連から推薦されてまいりまして、それをそのとおり内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈をしておるところでございます。この点につきましては、内閣法制局におきます法律案の審査のときにおきまして十分その点は詰めたところでございます。 ○粕谷照美君 たった一人の国立大学の学長とは違う、セットで二百十人だから、そのうちの一人はいけませんとか、二人はいけませんというようなことはないという説明になるのですか。セットで二百十人全部を任命するということになるのですか。 ○説明員(高岡完治君) そういうことではございませんで、この条文の読み方といたしまして、推薦に基づいて、ぎりぎりした法解釈論として申し上げれば、その文言を解釈すれば、その中身が二百人であれ、あるいは一人であれ、形式的な任命行為になると、こういうことでございます。 ○粕谷照美君 法解釈では絶対に大丈夫だと、こう理解してよろしゅうございますね。 ○説明員(高岡完治君) 繰り返しになりますけれども、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は私ども詰めたところでございます。 ○粕谷照美君 同じところに、二十五条、二十六条でですか、会員の辞職の承認も総理大臣が行うということになっていますが、その理由は何ですか。 ○説明員(高岡完治君) これは、従来の選挙制が今回の改正法案によりまして推薦制ということに変わるものですから、特別職国家公務員としての日本学術会議会員としての地位といいますか、法的な地位を獲得するためには、何らかの発令行為がどうしても法律上要ると、こういうことでございます。そのために二十五条、二十六条は、従来は総会の単なる普通の決議、あるいは意に反する解職の場合につきましては総会の特別決議によりましてその地位を奪うという規定になっておったわけでございますけれども、その普通決議、特別決議の点は現行法のとおりといたしまして、形式的にその要件を欠いたままで辞職の発令行為を行うということでございまして、これも法第七条第二項と同様、全く形式的な発令行為と、このように私ども理解しております。この点は内閣法制局とも十分第七条第二項同様詰めたところでございます。 ○粕谷照美君 それでは内閣総理大臣の任命行為は、そういうことになればむしろこの趣旨に反するのではないですか。任命はあくまで形式的であって実質的な意味がないというのであれば、こんなのやめた方がいい。学術会議の独自性、自主性の趣旨に合わない、こう思うのに対してはどういうふうに理解していらっしゃいますか。 ○説明員(高岡完治君) これはむしろ先生御指摘のように、そういうところにあるのではございませんで、今回の改正法案は推薦に変える、こういうことでございますので、選挙制から推薦制に変えるというところにこの改正法案の眼目があるわけでございます。内閣総理大臣の発令行為と申しますのは、それに随伴する付随的な行為と、このように私どもは解釈をしておるところでございます。 ○粕谷照美君 学会が責任を持って、先ほども言われましたように、いまと違ってもっと強い責任を持って推薦をされた人は自動的になる、内閣総理大臣が任命しなくたって学会員になると、こういうことには法的にはならないのですか。 ○政府委員(手塚康夫君) 国家公務員になるかどうかというのが学術会議が最初にできたとき問題になったようでございますが、そのときに、国家公務員である、しかもそれは特別職ということで人事院も判断しているところでございます。その中で、国公法の中で、就任について選挙によることを必要とする職員ということで、この場合にはそのままでいわば特別職になるということで、実際には任命行為を行っていない。ただ、今度のような形になりますと、それで読むことはもちろんできませんし、いま参事官からも申しましたように、付随的な行為として形式的な任命を行わざるを得ないということでございます。