長嶋洋一 1991.01.08
「 約5年半にわたって活動してきました浜松コーラスアンサンブル(HCE)は、 ここに発展的解散を宣言いたします。」 突然のお知らせで失礼いたします。この文書は、<新旧のHCEのメンバー・交流の あった各合唱団のメンバー・浜松地区の各合唱団・合唱連盟関係の方々>等の、 これまでにHCEがお世話になった皆様にあてたものです。このような文章をここに残す 目的は、HCEの5年半の活動の記録としてばかりでなく、合唱関係者の皆様への問題 提起・参考意見として少しでも役立つことがあれば、という希望によるものです。 まず、HCEという音楽集団とその経緯について簡単に説明します。HCEを結成した 創立メンバーは、全員がそれぞれ浜松市内の既成の合唱団の団員でもありました。 即ちその原動力は、当時の浜松地区の合唱界の状態に何等かの問題意識を持つ、 という共通点にあり、「何とかしなければ」というような情熱を持ってスタートしました。 (この浜松地区の合唱界の問題点というのが5年半たってみてどうなったか、というのも 重要な点ですが、残念ながらあまり変化がないように思われます)。HCEのスタートは このように純然たる「合唱団」であり、どんぐりの背比べのどんぐりがまた一つ増えた、 というものでした。 HCEの方針の一つは、単に人数を多く集めることを指向せず、むしろ限定されたメンバー 一人一人の音楽性を高めることを目指した、という点にあります。「楽譜を全員が初見で 歌え、音楽の分析・解釈の領域を全員で共有できる」という状態を目標として、ほぼ毎週 のように新曲を扱い、楽典のような勉強も並行しました。この方針の成果は、後に加わった 初心者のメンバーが初見能力を着実に身につけた事実によって実際に確認できました。 レパートリーとしては意識的に種々雑多なジャンルに取り組みましたが、唯一の共通点と してはアカペラの曲に限りました。アカペラの曲を十分にハモらせない内に楽器伴奏の 曲をやっても、耳が成長しないからです。 スケジュールという視点からHCEの活動形態を見ると、意図的に音楽中心の活動形態 となっていたようです。すなわち、幾つかの合唱団に見られるような、「練習時間の後で 一緒に喫茶店に行く」「ハイキング・キャンプ・ボーリング等のレクリェーション」「来なく なったメンバーに電話をかけて呼び戻す」というような事がほとんどありませんでした。 逆に言えば、週に1回の練習時間だけを共有してそれ以外は全く拘束しない、積極的に 練習に来るメンバー以外を必要としない(逆にしばらく「冬眠」していて1年ぶりにフラッと 現われたメンバーも違和感なく復帰できる)、というもので、音楽のみを唯一かつ最大の 共有点としたのです。全体スケジュールとしては、近郊のステージに無料で乗れるという メリットを求めて、県芸術祭の合唱コンクール等に参加した程度で、あまり「演奏会」の ような方向には至りませんでした。単発のものとしては、レベルの高いアマチュア合唱界 の活気を体験できた「京都合唱祭」見学ツアー、お遊びながらスタジオを借りての 「レコーディング」、そして何回かの合宿等があり、さらに一部メンバーは長野での 「世界合唱祭」に参加、大いに勉強して来ました。数回あったメンバーの結婚式では、 当人のリクエスト曲の編曲版を引っさげて式場に駆けつけ、「ブライダルアンサンブル」 として活躍しました。 さて、このようなHCEの活動の中で、色々な変化が訪れます。その第1は一般合唱団の 常ですが、メンバーの流動・変化でした。それぞれが別々の職業を持つ、20歳代前後の 若者の集合体なのですから、予想されるように練習に集まる状態が刻々と変化しました。 仕事の都合、結婚・出産等の家庭の事情、各個人の趣味の変化など、これら種々の 要因によって練習に常時参加する層は大きく変わりました。新たに、音楽好きな、ただし 合唱の初心者も新メンバーとして加わり、一方で初期のHCEメンバーのほとんどは家庭へ、 浜松の外へと去りました。(浜松地区で頑張って合唱をやっている人には、他の地域から 来た人が非常に多いように思われます。一つの特徴でしょうか) メンバーの変化と並行して、HCEの音楽にも変化が現われました。初心者が増えれば 客観的な技術レベルは低下しますから、練習の質・レパートリーにも相応の対応が必要と なりました。しかし一方で、「合唱経験者」=「狭い範囲の音楽の中で安住する人」という 弊害がなくなる長所でもあり、ポピュラー曲・ミュージカル曲・ジャズ風コーラス等の、 一連の編曲版によるHCE独特のレパートリーの方向に進んでいきました。また、実を結ぶ には至りませんでしたが、演劇・ダンス等の方面に強いメンバーが増えて、ミュージカルに ついての構想も話し合いました。HCEの翌年には、「浜松グリーングラスエコー」(GGE) という合唱団が結成され、後には私自身がHCEとGGEの両方の指揮をするようになった ため、最初はあまり意識しませんでしたが、やがて「合唱合唱した音楽はGGEで、それ 以外の音楽をHCEで」という分化が進みました。GGEのメンバーがHCEにも参加したり、 まともな合唱曲のレパートリーがコダーイ等の外国曲を中心とする様になりました。 HCEの運営形態は、「合唱団」と呼べる程のものではありません。練習会場の公民館の 会議室の使用料や楽譜代は月500円の会費で十分で、スケジュールについてもその場で 即決でき、それ以外の「裏方の仕事」も不要でした。練習は基本的には指揮者兼全パトリの 私が「せーの」で進める、というものでした。HCEの変化とともに、 『長嶋をバンドリーダーと する、声を楽器としたBANDとしての、HCE』という傾向はますます増大し、途中からは私 自身も意識的にその方向を指向しました。当初は私の指揮・音楽性に対する注文・指摘が 出るような、音楽的向上心の盛んな雰囲気でしたが、メンバーの変化と後述する音楽的 状況の変化のためか、練習をはじめとるHCE全体の傾向が次第に変わって行きました。 (これはGGEを含む他の合唱団においても同様に感じられたことです)。昨年の秋には、 HCE5周年を契機に解散するのもいいかな、と何となく感じたのも事実です。最近では 久し振りに数人の出席が続いて淋しい練習時間でしたが、HCEはもともとが数人でも 構わない、という活動だったので、それ程気になりませんでした。 実質的にHCEの全ての責任を持つ私が、今回突然にHCEの解散を決意したきっかけ というのは、「この春で、合唱を始めてちょうど10年たった」と偶然気付いた事によります。 (先日、国鉄にいたHCEのメンバーが浜松を去った際にも、さて次には何をやっていこう、 と策を考えていて、解散のアイデアはありませんでした)。合唱に限らず音楽全般を 愛好している私にとって、ここでHCEを解散する事は音楽活動の停滞を意味するもの ではなく、むしろ10年間にわたってほぼ最優先に取り組んできた「合唱音楽」という 1ジャンルを冷静に見直すチャンスの様にも思っています。幸いにGGEはメンバーが 目まぐるしく交替しながらもそこそこの人数で活動しており、私自身は当面、合唱に 限ってはGGEの一つだけ、という、これまでの最少の状況で活動しつつ、さらに合唱 音楽というものを考えて行きたいと思っています。 さて、ここからが「問題提起」というか、私自身あれこれ考えながら迷っている事柄の 話となります。私が浜松に来てから合唱を通じて知り合った人は実に多いのですが、 最近特に感じるのは、合唱についてシリアスに悩む人が少ない、という事です。悩む事 がいいか悪いかは別として、少なくとも私にとっては、一緒に合唱音楽について真剣に 議論できる仲間が減っている、という事実だけは残念に思っています。誤解を恐れずに 一言で言うならば、 「価値観の多様化・大衆音楽の充溢によって、合唱音楽・合唱活動の意義が低下して いる」 という現象が着実に進行しているように思われます。(合唱音楽の意義を否定している のではなく、一般的現象として意義が低下している様に見受けられるのを残念ながら認 めざるを得ない、という意味です)。広義に解釈すれば音楽史上での合唱音楽の変遷の 一傾向とも言えますし、もう少し小さく、近代日本の文化史の一ページとしても考えられる のですが、合唱音楽は生身の人間の声を素材とするだけに、種々の社会的・文化的状況 によって大きく影響されているように思われるのです。以下、私自身が見、聞き、体験し、 あるいは考えてきた事を列記しながら、問題点に迫ることを試みてみたいと思います。 私の学生時代の合唱仲間が、全国各地の合唱団で活躍しています。そのため、アマチュア 合唱界の頂点とされるコンクール全国大会の常連団体のうちの数団の活動内容、あるいは 「**氏の作品を文化庁の後援で初演した」、「今度**という曲のレコード化の録音をする」、 「海外のコンクール・演奏旅行に行く」といった、浜松では考えられないような活動の話を 間近に聞く事ができ、ひたすら羨ましく思ったものです。ところが、そのような名門合唱団 においても、世代交替・雰囲気の変化といった変動要因があるらしく、「何となく盛り上がら なくなって来てね。」といった愚痴を聞く事もありました。確かに、全くの独断ながら10年と いうスケールで日本の合唱界を考えてみると、一部の先鋭的な合唱団の意欲的な活動を 別にして、常にメンバーが流動する高校・大学合唱団の合唱音楽の状況はほとんど変わらず、 職場合唱団の減少、「うたごえ」合唱団の消滅、40周年なのにあまり盛り上がらない感じ の全日本合唱連盟、一方でおかあさんコーラスの隆盛、といった状況のなかで、はたして 合唱音楽は社会に浸透したと言えるのか、むしろ孤立してしまったのではないか、とさえ 心配になってくる部分もあるように思うのです。 全国とはレベルが違うにしても、ある意味で同じような状況は浜松地区の合唱界にも あるように思います。私が最初に浜松の各合唱団の活動を知るにつれて驚いた点は、 そのレパートリーが10年位は古く、時計が止まっているように思えた事です。別に新しい 曲に飛び付く事が良くて古い曲がだめ、というのではないのですが、新しい作品が次々に 発表され、一方で埋もれていた名曲が次々に発掘・紹介されている合唱界にありながら、 「うたごえ」時代の有名な曲ばかりしか選曲されない、という状態は極めて不自然に 映りました。案の定、各合唱団のメンバーの世代が交替するにつれて、時計の止まった 人・あるいは時計の止まった合唱団自体が淘汰されて行ったようです。また、一つに まとまらない「第九を歌う」組織に象徴されるように、小さな合唱団ばかりが散在して 細々と活動するのも、県民性とも思える「群雄割拠指向」によるものとはいえ、私の 目には特異的な印象でした。お互いに刺激がある、という意味では決して悪い事でもな いのですが、事実としては、各合唱団の変化によって、平均にならしてみた場合の全体の 活力は低下してきたように感じられるのです。このような浜松地区の合唱界の低迷状態 は、合唱団の数もさることながら、合唱の演奏会が目に見えて減っている、という最近の 傾向が雄弁に物語っています。相乗りの芸術祭・合唱祭形式の演奏会においてさえ、 参加団体は明確に減少しています。そして、全国の状態は仮定の話としてしか類推 できなかったのですが、少なくとも身近な状況については、明らかに、合唱団を構成する メンバーの質的変化・価値観の変化が主要因であると思うのです。(かくしてHCEも 解散するわけです。ここの部分はさらに詳細に後述します) 合唱音楽というものについて議論する前に、あと2点だけ、合唱の状況について感じる 事を述べておきます。その一つは、邦人作曲家によって合唱界に提供されている合唱 作品についてです。現在、合唱音楽の作曲家として有名な人が何人いるか、というような 定義はさて置くとして、「大御所」と言われる人たちが新作として発表する作品のほとんど 全部が、音楽的には全くかわりばえのしないワンパターンであり、曲名と歌詞が代わった だけの、作品リストの項目追加にしかすぎない事はしばしば指摘されるところです。 (最初の1小節だけで聴衆に作曲家を当てさせる、というのは逆に言えば大変な業績 なのですが)。もちろん芸術音楽としての可能性を追求するような意欲的な作品も 散見しますが、非常に少数であり、合唱団の側で取り上げる意欲となるとさらに低下して いるように思います。また一方では、新しく合唱音楽の領域に登場して人気のある若い 作曲家もいるわけですが、ポピュラー音楽化というか、悪く言えば大衆音楽への迎合 傾向が目につくのがちょっと気になります。結局、高いレベルの実力派合唱団は海外の 「知られざる名曲」へと積極的に進出するので、コンクールの曲目も外国曲中心となる のでしょうか。もちろん、西洋の合唱音楽と邦人作品とでは歴史が十数倍違うのですから 比較するのが酷なのですが、現在「古典的名曲」とされる邦人作品も、発表された時には かなり斬新・画期的だった事を考えると、その後、日本の高度経済成長ばりの安易な 合唱曲の大量生産に走ってしまったツケが、ここにきて「作品の魅力が合唱団を引っ張る 勢い」の欠如として表面化しているようにも思えるのです。 もう一つの現象は、小人数合唱団のブームです。宝塚の室内合唱コンクールの盛況に 代表されるように、重唱・室内合唱のようなマニアックな領域では、逆に意欲的な合唱 活動が多く見られるようになっています。曲目は、中世・バロック・ルネサンス等の時代の 宗教曲・世俗曲等が多く、一部では海外の現代作曲家の作品もとり上げられているよう です。小人数ならきめ細かい音楽になるとは言っても、ppばかりでなくffの音楽表現の ためには人数は多い方が幅が広がって有利なはず、と誰でも考えそうなものなのですが、 事実は反対に合唱人口の低迷と、この小人数合唱団ブームなのです。しかし私は、この 傾向には十分な理由があり、今後もさらにこの傾向が進行するように思います。 ここで合唱音楽を少し離れて、音楽を愛好する大多数の一般的大衆を取り巻く環境の 変化、について考えてみたいと思います。再び独断で最も図式的に規定してみると、 終戦後の大衆は「貧乏だが、時間はある」状態から始まり、それが現代までの間に「裕福 だが、時間がない」状態に少しずつ少しずつ変化し続けてきた、と言えると思うのです。 衣食住と違い、音楽などは「趣味」「余暇の楽しみ」の領域ですから、食うに困っている 間は合唱どころではありませんが、おそらく余裕の出てきた昭和30年代には、金の かからない趣味として急浮上したのでしょう。実際、大量個人消費時代の到来前には、 楽器購入等の負担もなく、周囲に合わせて声を出せば気持ち良いという合唱は、実に 手っ取り早い趣味であったろうと思います。レクリェーション的に、あるいは政治的シュプレヒ コールを音楽にのせて主張する「うたごえ」運動のブームや、学生がフォークギター位は 買える時代になってのフォークソングブーム、さらに続いたエレキブーム・歌謡曲ブーム なども、音楽自身というよりも戦後日本の大衆文化史として見てみると、実に自然に 納得できるように思います。そして、衣食住については飽和する程に経済成長してみると、 次には、「音楽の個人消費の環境」が目標とされたわけです。この段階に至ると、 それぞれの人がどのくらい音楽に対して能動的・受動的に関わるか、で分化したように 思われます。 音楽に対して最も積極的である人種にとっては、「バンド」を楽しむ、という、与えられる だけでなく自ら演奏・編曲・作曲する領域が大きく登場しました。安価で多種にわたる 楽器・録音機材が世に出回り、お手本となるポップス・ロック・歌謡界のプロのバンドも テレビ・レコード等でいくらでも研究できます(合唱が一般的マスメディアにほとんど 登場しないのと対極的です)。さらに、パソコンを使ったり1人での多重録音も可能に なっています。具体的に言えば、5年前にプロのミュージシャンが500万円で揃えた 楽器・機材と同等の環境が、現在なら50万円でアマチュアの手に届くのです。最近の 高校生世代の第3次バンドブームは、明らかに、大衆の需要に合致した価格帯の機材を 提供できるレベルに到達した、日本経済社会の実力が発生させたものと言えると思います。 楽器を新たに持つまでには至らない人についても、「カラオケ」という一大文化によって、 趣味としての音楽を堪能している人は非常に増えています。膨大な数量のソフト(曲目) の完備・家庭に置ける安価なカラオケ機器の提供によって、もはやカラオケとは飲み屋の おまけというより、大衆の参加する音楽の1ジャンルとして確立されているように思います。 最近の演歌ブームは明らかにカラオケのもたらしたものであり、さらには、「発表される 演歌・歌謡曲が、初めから素人がカラオケで歌うことを前提にして、簡単な曲として 作曲される傾向にある」という指摘があるくらい、音楽業界の主導権を握ってきている のです。やや上の世代を中心に、この領域では、かつての民謡愛好家・合唱愛好家等を 取り込んでいるものと思われます。(合唱をやる人の中には、どうにもカラオケは嫌い、 という人も多いのですが、周囲に自分と同じ声がないと不安で歌えない、というのも ある意味では困った事かもしれません) バンドやカラオケなどの能動的姿勢の音楽をやろうとは思わないが音楽は好きだ、と いう最も大多数の大衆にとっては、「豊富に享受できる音楽環境」という、実は産業界と しても最も力を入れた贈り物が世にあふれました。ざっと列記してみても、テレビ・ラジオ・ レコード・デッキ・FM放送・ステレオコンポ・ラジカセ・ウォークマン・ビデオ・カーステレオ・ レーザーディスク・CD・DATと、その溢れんばかりのハードウェア攻勢。そしてエア チェック・レンタルレコード・レンタルCDの浸透によるソフト環境によって、誰もが好きな だけ、少し昔には想像もつかなかったような良質の音楽を非常に安価に楽しめるように なったのです。ポピュラー音楽はもちろん、クラシック音楽においても、ディジタル録音 による高品質CDや、あるいはビデオ・レーザーディスク・TVステレオ放送等による ライブ演奏実況版を、高い入場料の演奏会に出掛けなくても家庭で手軽に楽しめる ようになっています。 ここまでに上げた音楽は、音楽を音楽として享受したい人のためのものでしたが、さらに 現代では、<BGM>という種類の音楽が隅々にまで溢れています。商店街・駅・デパート・ 役所・遊園地・病院・喫茶店・チリ紙交換・バス・音楽番組以外のテレビ・等々、およそ 人のいる所にはBGMがエンドレスで垂れ流しにされ、望むと望まざるとに拘らず、 どっぷりと音楽に漬かるしかありません。CMからクラシックブームになったり、幼稚園児が あるメロディーをその商品として記憶したり、といった弊害も叫ばれる程です。想像で しかないのですが、おそらく戦後の日本で合唱がブームになっていた頃は、かなり 世間は「静か」だったのではないでしょうか。この音楽のBGM化はポピュラー音楽の 世界でも顕著で、最近の曲はインパクトの少ない、聞き流しするのに向いたものが 多く作曲される傾向にあり、これが皮肉にも、「レコードを買わずにレンタルを録音 すればいい」という業界の低迷の悪循環となっている、と言われて久しくなります。 以上見てきたように、もちろん問題点はあるものの、しかし全体としては、大衆が 音楽を享受する、という面では圧倒的にその領域が拡大しているのが現実であって、 合唱界が低迷しているからといって音楽が停滞しているわけではない、という認識が 大切だと思います。 さて、以上のような状況を確認した上で、合唱音楽というものをより深く考えてみたい と思います。ここまでの流れからするとかなり悲観的な気もしてしまいますが、私は、 逃げる事なく正面から合唱音楽の特性・長所・短所を見据えることで、初めて突破口 も見出せるものと信じています。(少なくとも、いくら少数派であろうとも、合唱音楽 の深みに魅せられた者の一人として、私は突破口を見出したいのです) 西洋音楽の歴史から見ると、声を素材とする合唱音楽というのは、楽器を用いる他の 全ての音楽ジャンルよりも明らかに基本的であり、歴史も長いものと言えます。ただ、 日本人の私たちが合唱音楽に対する場合には、特別に注意すべき点もあるように思います。 その第1は宗教的環境です。もともと西洋の合唱音楽はキリスト教文化圏の産物であり、 合唱音楽の「祈り」「讃歌」的性格は宗教的背景によって育まれたものと言えると思います。 多数の人間が心を合わせて同じ呼吸で音楽を響かせる、という行為が合唱の一つの 本質だとすると、共通の宗教的基盤を持つ西洋人にとっては極めて自然なことですが、 多神教・無宗教の日本人にとって、あるいは価値観の多様化・無気力無関心無目的を 指摘される最近の日本人にとって、果たして同じレベルの合唱音楽を実現できるのか、 と言われるのも無理のない事でしょう。実際、合唱界で活躍する人には「何歳になっても 青春してる人」(魅力的だが、ちょっと変わった人)が多く、また非常に活躍している 合唱団の雰囲気が、一種の新興宗教団体のようですらある(特定の人を中心に結束 して、熱気にあふれているが、案外に閉鎖的)といった意見を耳にしますが、これは 逆に言えばその位でないと日本人には合唱が極められない、という事の裏返しのよう にも感じます。 第2の注意点は、日本の伝統的な民俗音楽の体系が、和声的な協和関係に基づく多声 音楽とは本質的に異なっていた、という歴史的事実です。各時代・各地方の独特の旋法と 音律は合唱音楽とは異質のものであり、日本ではユニゾン形式の音楽は発達したものの、 一部ヨーロッパ地域のようにコーラス形式の民俗音楽は発生しませんでした。これは次に 述べる「響き」の環境の違いも大きな理由だと思われますが、日本人は和声感覚が乏しい、 という十分な認識を持たないと、単純にハモっているはずの曲をえらく平板な、または 難解な音楽にしてしまいがちです。それから、3拍子(8分の6拍子も)に典型的に 現われるリズム感の悪さも、自覚する必要があるでしょう。 第3点として、日本独特の「間(マ)」を生かした音楽は世界に誇るべきものですが、 こと合唱音楽の領域においては、「響きの不足」という致命的な悪条件となっている、と いう点が上げられると思います。これは遡ってみると、よく言われる「日本は木の文化、 西洋は石の文化」という議論から始まっているようです。地震で揺れる地盤・温帯性 モンスーン気候の日本では、基本的に建築物は木・紙を素材とし、音響の面では極めて デッドな、残響のない、外の空間に一部が開放されているような空間を好みました。 そこで育った音楽は必然的に、音と音との間隙にも音楽のあるような、あるいは同時的な 音の積み重ねよりも経時的な音の呼応といった方面に発達したのでしょう。一方、西洋 音楽の舞台であるヨーロッパ大陸は不動の岩盤の上にあり、石を素材とする建物は、 教会に代表されるような豊富な残響を持つ閉じた空間を何百年も保っています。ここでは 同時に鳴った音が豊かに共鳴し、あるいはポリフォニー音楽のように別々に発せられた 音さえも残響によって協和して、全体として非常に厚い響きを容易に提供したのでしょう。 このような環境の違いがそこで生み出される音楽に影響を与えない筈がなく、外国曲に 比べて邦人の合唱作品がどうも響かない、という理由の一つではないかと思っています。 (ポピュラー音楽の世界でも、プロが機材を用いて音楽に残響を付加する場合の、 日本人の残響センスの悪さには定評があります。それだけ国民性として「響き」を 知らないのでしょう) 音楽の歴史を見ると、最初は宗教的必要性から教会を舞台として合唱音楽が発生し、 歴史的変化とともにその主体を貴族階級へ、さらに一般市民階層へと移していきました。 ところがその後、音楽史は楽器の歴史・音楽形式の拡大の歴史にと変わっていったのです。 音楽表現の可能性を求めてのこの流れは、合唱音楽に関してはむしろマイナス要因で あったかもしれません。生身の人間の声は、次々に改良されてダイナミクスの増大する 楽器と、編成が肥大化するオーケストラに対してはあまりに弱小ですから、音楽の舞台 での主役は、器楽へ、あるいは非常に響く声でオーケストラと張り合える、声楽の専門家 へと移っていくのも当然だったのでしょう。このような数百年のスケールでの音楽史の 上では、残念ながら合唱音楽はいまだに緩やかな長期低落傾向の途上にある、という 状況を認めざるを得ません。 もう一つの視点として、クラシック音楽全般が今世紀に入って直面している問題について 考えてみます。古典派・ロマン派・印象派等々の分類はありますが、それまでの音楽は 全て「調性音楽」の範囲内でした。音楽が何故人間にとって快いのか、と考えてみると、 その大きな理由の一つは「協和感覚」であると思います。ピタゴラス派以来の積み重ね により、調性音楽の基礎となる和声学の理論は、非常に美しい数学的体系として確立 され、聴衆も演奏者も、そして作曲家もこの共通基盤の上で共存して来ました。ところが、 拡大に拡大を重ねた音楽形式の模索に行き詰まって今世紀ごろから始まった音楽の 変革によって、多調、さらに無調音楽へと進展し、ついには12音技法という機械的手続き による、「ちっともハモらない、心地良くない音楽」が量産されてきました。ここに来て、 「現代音楽」という名のクラシック音楽は自ら聴衆を手放した、というのが現在の状況 のように思います。今後、「この無調音楽が実は快いのだ」というのが一般的感覚に なって行くのかどうかは不明ですが、少なくとも現在のところ、クラシック音楽として 大衆が支持しているのは、いまだに古い時代の調性音楽のようです。ところで合唱音楽 の立場からすると、この状況はむしろ好機であるかもしれません。もともと人間の自然な 協和感覚の産物である合唱ですから、無調音楽の楽器パートを声に置き換えても、 それは不自然の二乗のようなものです。(12音技法の合唱曲を演奏した事があります が、難曲を制覇する達成感はあるものの、ちっとも面白くなかった記憶があります)。 実際、現代音楽の作曲家として知られる人の作品でも、合唱曲の場合には実にロマン 派的な調性音楽である場合が多いようです。従って、手法に行き詰まった現代の 作曲家が帰ってくるところ、という意味で、合唱音楽に新しい境地が生まれてくる 可性が高いように思うのです。 絵画・彫刻といった造形芸術と音楽芸術との最大の違いは、作品を生み出す者と鑑賞 する者との間に、作品を具現化するための演奏者が存在する、という3者システムである 点です。次には、この音楽の「作曲・演奏・鑑賞」の3要素に着目して、合唱音楽の可能性を 考えてみたいと思います。私たちを含めて合唱愛好家を自認する人は全国に多くいる のですが、その中で、自分で合唱に参加する事はなくてもっぱら鑑賞するだけだ、と いう人はどの位いるでしょう。おそらくほとんどゼロだと思います。一方、クラシックファン の中で自ら楽器を持って演奏する人は、逆に少数派なのではないでしょうか。ここに 合唱音楽の一つの特性があります。つまり、いわゆるクラシック音楽(オーケストラ音楽・ 器楽曲・独唱声楽曲等)の場合は、作曲のステップはもちろん、演奏についても相当の 習熟・訓練が必要であるために手を出しにくく、もっぱら鑑賞のステップで参加して レコードを買ったり演奏会に行ったりする、という行動をとるわけです。ところが合唱音楽 の場合には、作曲はともかく演奏のステップに参加する事自体が楽しみの中心であり、 鑑賞のステップの聴衆としては一般の音楽ファンよりも、同じ合唱界の仲間同志で 動員しあう事が多い、という特異性があるようです。(「合唱をやる人は、明るいようで 実は暗い」と言われる理由の一つでしょう)。これは逆に見ると、合唱音楽の鑑賞ステップ 自体の持つ問題点であると思います。最近のクラシックブームにもかかわらず、合唱の 演奏会がテレビ・ラジオ等でほとんど取り上げられない、というのは、合唱音楽とは 鑑賞だけをするにはあまりにも地味(楽器の音色のバリェーションのような材料に乏しく、 オーケストラの派手なメリハリに比べてもの足りない)、という印象があるためだろうと 思います。そして前述のように、余暇の趣味として音楽を鑑賞するだけの人にとっては、 手軽に様々な音楽を十分に楽しめる環境が揃ってきたわけです。 さて、ここで多少乱暴な議論ながら、「作曲・演奏・鑑賞」という視点によって問題点を 抽出してみようと思います。まず、合唱をしている人(やや古い世代を念頭において)を、 最も活動の重点とされる姿勢によって以下のように強引に分類します。 A アマチュア音楽の普及・浸透を実践する手段として活躍する人 B 文献・音楽理論の研究など、クラシック音楽の歴史にまで迫る人 C 自分の音楽的成長を意欲的に求めつつ、編曲・指揮の勉強までする人 D 合唱の演奏に参加する(響きに身を包まれる)事に喜びを見出して熱中する人 E 手作りの組織運営・イベントの達成感と共同体意識に魅せられた人 F 友達を作り、音楽以外にも一緒に楽しめるサロン的サークル、として活用する人 G クラシック鑑賞愛好者だが楽器が出来ないので、合唱なら、と参加している人 H 個性的な指導者にクラブ活動的に導かれるのが快感である人 I ピアノの様な習いごとをした事がないので、まず手始めに合唱から、という人 J 音楽的な過去の栄光にすがって、文句を言うために参加している人 K 単に金のかからない暇つぶしとして来ている人 L 人民大衆の社会的政治的主張の手段として利用する人 M 文化レベルの低い地方・過疎地域への音楽文化の啓蒙を目標とする人 かなり問題も不備もある分類であるのは百も承知なのですが、私の周囲の合唱関係者を 思い浮かべて列挙してみました。これは言ってみれば、日本の合唱音楽が盛り上がって いた時代を支えた合唱人のリストであり、多種の人々とはいっても人数が多ければ盛況で あったわけです。それでは、これらの人たちが、前述の種々の状況の中でどのように変化 して行くか、を考えてみます。 Aの人にとって、もはや演奏のステップは合唱音楽である必要はありません。という よりも、もはやポピュラーの分野でアマチュア音楽は十分にメジャーであり、むしろ現代は プロの音楽がアマチュア化しているのですから、Aの人自体が減っていると言えるでしょう。 B・Cの人は現在においても、少数派ながら合唱音楽の推進者として重要です。特に Bの人にとっては、情報化社会の現代では、全日本合唱連盟が開設した合唱センターの 資料や音楽関係のデータベースなども有り難いものでしょう。(ただしBのような人は 非常に少ないのですが。)また、Cに属する人については、おそらく合唱音楽以外の領域に かなり流出していると思われます。というのも、前述の「バンド活動」のように、作曲・編曲・ アドリブ等のオリジナリティーを直接的に表現できる音楽環境が広がってきたためです。 合唱人の欠点の一つがアレンジ・アドリブ能力の欠如にあるというのは有名な話ですが、 与えられれば反応するが自分から能動的には意見を持たない、といのはあまり良いこと ではありません。(これはピアノを習った人でも同様です。「ピアノ伴奏譜のアドリブの所が 出来ないので、アドリブを全部楽譜に書いてくれ」と頼まれて閉口した事もあります) Dの人というのは、ある意味で合唱人の本流であるべき層です。ところが私が最近 感じるのは、この人口が他へ流出するのでなく絶対量として減少しているのではないか、 という懸念なのです。私自身、合唱の世界に引き込まれて、暫くの間はそれ以外の音楽 活動を休止して合唱に専念するきっかけになったのは、実にこのD項目によるものでした。 しかし楽器の要らない演奏ステップであるだけに、自分の精神・肉体を十分にトレーニング してやらないと、満足に音楽に参加できません。運動部的な自己鍛練・休まずに継続する 練習・自己を押えて他を聞いて合わせる、といった努力が必要となります。もちろんその 苦労の暁にこそ、素晴らしい音楽の喜びがあるのですが、この「わざわざ苦労してまで」 という側面がイマ風でないのか、無気力世代(私は大学時代に後輩とのギャップに当惑 しつつ、「共通1次世代」と呼びました)にはあまり受けないのかも知れません。まして 社会人中心の一般合唱団の場合では、サービス産業全盛の現代、あり余る娯楽に 比べてあまりに古風な印象の合唱団が魅力の面で見劣りし、「暗い」などと言われる のも無理はありません。結局、苦労はあるが実はその先に夢がある、と知るまでの壁を いかに越えるか、という課題なのだと思います。 Eの人も合唱団にとっては重要な存在です。マネージャー意識ばかりに走って音楽的に 自分を高める事を忘れてしまいがちな人も多少見かけますが、例えば「演奏会」を独力で 作り上げる、という作業は大変な充実感を与えてくれるものです。「演奏会を語らずして 合唱団を語れず」「演奏会を経験して、新人は旧人となる」等の名言は、日頃の練習も さることながら、共同して組織を運営する楽しみも合唱活動の一つの本質である事を 示してくれています。このEの人たちも、個人主義傾向の最近では減少しているの でしょうか。(合唱団同志の組織、というのもあります。市・県・全国の合唱連盟や、各地の 音楽サークル連盟のような組織です。これは共同企画・情報網としては非常に有効な ものなのですが、一部地域・一部階層の合唱連盟離れのように、逆に忌避される場合も あるようです。事務的作業・権威主義・組織の硬直化などのデメリットが表面に出ると、 確かに負担でしかなくなるものですが、活気のある地域の連盟というのは、魅力ある 企画・活動をしているためにさらに参加団体が盛り上がる、という対照を成しているよう です。結局、中心にいる人たち自身がどれだけ本当に合唱音楽を愛し、楽しんでいるか がそのまま反映されているように思います) Fの人については、むしろ最近は相対的に増えていると感じています。合唱人口が それほど急激に減少しているわけではないのに、何となく活力が低下しているように 思われるのは、実はこの層が増加しているためではないでしょうか。別にこの人たちの 姿勢が悪い、というのではありません。価値観の多様化した現代、合唱馬鹿となるよりも、 苦労の少ない範囲でそこそこに参加し、練習だけでなくレクリェーションの場として活用 する、というのも十分に理解できます。このFの人たちは、個人的な用事・デート・ちょっと 疲れているので、といった理由で週に1回の貴重な練習を簡単に休める、という価値観 なので、これ以上は私としては何も言えません。(私はHCEの練習日に風邪で熱が 出たとき、会社を休んで医者に行って寝ていて、夜になると起き出して練習に行った、 という事が何回かありましたが、こんなのは今時流行らないのです)。このFの人たちの 一部をDの階層へと導くのは、各合唱団の特に技術系の人の課題であり、また責任で あるように思います。 G・Iの人は、意欲はあるが当面は合唱団の音楽の「お荷物」になりかねない人です。 実はどんなに合唱をバリバリやっている人でも最初は初心者だったのですから、この 人たちは合唱団の将来を担う層であるはずなのですが、どうも個人主義の時代(私は 私、貴方は貴方)なのか、この人たちを逃してしまう傾向にあるような気がします。時代の 流れだから仕方ない、と考えるべきなのかどうか、「みんなで助けあって一緒に頑張って いこうね」という感じが次第に希薄になっているのです。 Hの人は、学生時代、特に高校の合唱部で青春した、という人に多いようです。高校での 合唱経験者は大学で合唱をやらない、大学での合唱経験者は社会に出て合唱をやらない、 という問題は、日本の音楽環境・音楽教育体系に根を持つ、結構本質的なものだと思います。 コンクール偏重で生徒の音楽を受動的にさせる高校合唱界、低レベルのハモりに安住して サークル活動ばかりの大学合唱界、という全般的指摘は、特に学生が常に入れ代わりして 腰を落ち付けられないだけに、ほとんど変わっていないように思われます。もちろんこの層の 人も合唱団にとって貴重な戦力なのですが、ある日突然に空しくなって去る人や、他に 打ち込むべき目標を見い出して転進する人も多いようです。(これはもちろん、結構なこと で)。合唱音楽が全人格的なもので、クラブ活動のように目前の目標のために多大な労力を 傾注するだけのものではない、という事をどのようにしたら理解してもらえて、かつ実践して 行けるのか、これは私自身にとってもいまだに課題となっているのです。 J以下の人というのは、もうほとんどいないと思います。Jの人はいずれ消えます。 Kの人にとっては、現代は合唱などよりも面白い「金のかからない暇つぶし」を豊富に 提供してくれています。Lの人は、今ではもういません。(と思うのですが、もしかしたら そのへんに・・・・)Mの人については、今では日本の隅々にまでマスコミ文化が均質化 して広まっていて、逆に豊かな民俗音楽の消失の危機が叫ばれている位ですから、 意味がなくなっているでしょう。(反対に、消え行く地方の民謡に活動目標を絞って、 各地を巡ってお年寄りから直接、民謡を教えてもらう調査・採譜・発掘作業とともに、 紹介・編曲・演奏活動を行っているユニークな合唱団もあるのです) 以上見てきたように、「演奏」のステップにあった合唱人口のうち、音楽的に意欲的な 人の一部は「作曲(編曲)」も可能な音楽ジャンルへと移り、「鑑賞」程度でもいいという 人にとっては合唱以外でも十分に楽しめるようになり、一方で、価値観の変化や社会 風潮によって、「演奏」に対する取り組みも次第に変化して希薄になっている、という ような大まかな結論が得られたわけです。これが漠然と感じていた「低迷状態」に ついての、現時点での私の解釈という事になります。(実は、この文章を書きながら考え、 整理してきたので、私にとってもこの結論は新鮮なものです) さて、いよいよここからは合唱音楽の長所に関する検討になります。ここでも音楽の 「作曲・演奏・鑑賞」という特性に着目して、幾つかの視点から考えてみたいと思います。 まず第1に、音楽が時間芸術と言われる、その時間についてです。今世紀のテクノロジー 革命によって、「音楽作品の演奏を録音して別の場所で再現できる」という全く新しい 鑑賞形式が生まれました。それまでの何百年かの音楽の歴史においては、作曲家が 作品を創作するのは別の場所であっても、その作品が演奏によって音響となり鑑賞の 対象となる場所には、つねに聴衆がいました。ところが録音技術とメディアの進歩により、 演奏会場に足を運ばなくても、レコード等によって家庭で鑑賞できるようになったのです。 文庫本と同じ手軽さのウォークマンによって、列車の中でも100人のフルオーケストラの シンフォニーを楽しめる、というのはまさに画期的な事でしょう。あるいは、本来日本人に とっては、昨年あったようなカラヤンの代打のハプニングでもなければ、<小沢征爾+ ベルリンフィルの演奏>を聞こうと思ったらヨーロッパまで出掛けなければならないのに、 レコード・CDによって容易に鑑賞することができる、といった恩恵があるのです。また、 ポピュラー音楽の領域ではより一層この傾向が顕著であり、BGMの氾濫やカラオケの 普及というのも、全て録音テクノロジーあってのものと言えます。最近ではさらに徹底 して、コンピューターや多重録音機材を駆使して全ての演奏を1人で行ない、ステージは 全く行わずにレコードでだけ作品を発表するミュージシャンも増えているのですが、 しょせん1人でやる事の限界のためか、音楽的な内容・密度は皮肉にも軽薄化して しまっている様です。この録音文化の状況は職業的演奏家にとっては生活の危機とも なっているのですが、一方で、最近のクラシック演奏会ブームという現象については 注目する必要があると思います。海外の有名な指揮者・オーケストラの演奏のレコードが 数多く出ているにもかかわらず、安くない入場料を払って、演奏会で生の演奏に接したい、 という欲求が高まっているのです。これは少し考えてみれば明らかな事です。演奏会場に おいて、ステージ上のオーケストラの楽団員は、録音用のマイクに向かって演奏する のではなく、会場内の空間の空気を呼吸する聴衆に向かって演奏するのです。そして この空気は音楽作品の音響によって響く空気であり、楽団員もまたその空気の響きに 包まれて演奏し、かつその同じ空気を呼吸しています。指揮者の背中には聴衆の期待が 注がれ、指揮者もまたそれを十分に実感しています(独奏者・独唱者の場合も同じです)。 一旦演奏が開始されればもう時間は音楽の支配下に置かれ、録音のような「録り直し」や 中断もなければ、その日の体調・気分といった言い訳も許されません。ここでは聴衆の 気迫が「演奏」の領域の一部を担い、いっぽう楽団員は演奏しながら、ステージ上で 新たな経験としてその作品を「鑑賞」しています。この相互作用こそがライブ演奏の 醍醐味であり、聴衆の期待に応えて好演をする演奏者と、熱演を称えてさらにノセる 聴衆とがうまく一体化した時、その晩の演奏会はそれこそ一生の宝物のような輝きを 持つわけです。これは録音のための録音ではどうあっても到達し得ない境地であり、 私が音質・ミスタッチ等の面では欠点がありながらもライブ版のCDを意識的に購入 している理由でもあるのです。さて、合唱音楽ではどうでしょうか。合唱のレコードが オーケストラよりも退屈である、という印象からすると、むしろ合唱音楽こそ、ライブの 魅力にあふれたジャンルであると思います。器楽の演奏者はある意味では楽器という 機械のオペレーターであって、操作子の操作という点では冷静な面もあるのですが、 合唱においては楽器は自分の肉体であり、音楽作品の求める感情・表現をより ストレートに実現できるはずです。また、「今日はいいハモりをしている!」「会場に よく響いている!」というような喜びは、自分の体を快い共鳴が包むことでより ストレートに実感できるはずです。従って、合唱音楽の一つの方向性として、ライブ 演奏を指向した最近の演奏会ブーム・クラシックブームにうまく乗っていく、という可能性 があると思います。 さて、第2の視点としては、作曲と演奏の2つのステップの関係についてです。ここでは 音楽を、オーケストラ音楽・合唱音楽・ポピュラー音楽の3種類について比較してみます。 音楽の「作曲」というステップの結果が「楽譜」という形態である場合、オーケストラ音楽 では、中間の「演奏」ステップに、実際に演奏して楽譜を音響にする楽団員と、作品を 解釈して演奏に反映させる指揮者、という二者があって分業しています。楽器の分化の 歴史の結果、個々の楽器に習熟するのも大変になったため、楽団員は基本的には演奏者 に徹するのが普通です。楽譜も指揮者の総譜とは異なってパート譜を使用するため、 アンサンブルで初めて全体像と接するのです。(もちろん作品全体に関する解釈を 議論する、というような自由度はあまりありません。)造形芸術の場合には芸術家の 創作した作品の絵画なり彫塑なりがただ1点出来ていて、あとは鑑賞者がそれを見る だけであるのに対して、音楽作品は作曲者の想念を記した楽譜を次に指揮者が解釈 して演奏するため、指揮者ごとに・オーケストラごとに・演奏会ごとに、同じ作品の異なった 演奏表現が存在するのです。(ここでも録音によってその偶然性の楽しみが侵略されて いる事を指摘しておきます)。指揮者という翻訳業の介在によって、もともとの作曲者の 意図から離れてしまう、というのを欠点と見るのは短絡的でしょう。良い指揮者というのは、 楽譜の行間から作曲者自身すら気付かなかった宝物を発掘する名人であり、あるいは 作曲者の意志を強調して表現することで期待以上の感銘を具現する名人でもあると 言われます。つまり指揮者の存在によって、音楽作品はよりその意義をふくらませて いるのです。 これはポピュラー音楽について考えてみると明白です。オリジナル曲を作曲して、かつ 自分で演奏してしまうミュージシャンというのは、最も自分の意図を正確に表現できる から最善である、と思いがちですが、実は落とし穴があるのです。最高の作曲家が 最高の演奏者や指揮者ではないように、バッハ・モーツァルト・バーンスタインのような 才能は万人には望めないのです。たとえ個性的な良い作品を作曲する名人であっても、 その演奏は客観的には見劣りがする(別の人のカバーバーションの方が好評)、という ような場合も非常に多いのが実状でしょう。かくしてポピュラー音楽の世界でも、他人の 曲を作曲してあげる第一人者・アレンジの第一人者・録音のプロのスタジオミュージシャン・ プロデュースの第一人者・他人の曲のカバーばかりで食える人(アレンジと演奏が 非常に上手い)、といった分業の傾向がますます進行しているのです。 さて、それでは合唱音楽ではどうでしょうか。まず、西洋音楽の歴史の前半の、指揮者 などというものが存在しなかった時代の音楽が豊富にあります。これは当時も、例えば 4人が四方から楽譜をのぞき込んで重唱をしていた、というようなものですから、演奏者 が即ち解釈の全権を持っていたわけです。さらにこの時代の楽譜は全て編集者の解釈の 入った復刻版なので、音楽史的な研究・解釈・修正の必要も多大にあります。これは正に マニアックな世界ですが、しかしある程度自由に楽譜が読めてくれば、逆に限りなく 楽しい領域であると思います。ルネサンス時代には家庭でこれ程のマドリガルを今の カラオケの感覚で楽しんでいたのか、と思うと、ひたすら感心してしまいます。 次には、指揮者がいて合唱団員がいる、という最も普通の合唱スタイルについてです。 ここではオーケストラと同様に合唱団員は単に楽器に徹していればいいのか、というと、 案外そうでもないのです。まず、オケ伴の大曲でもない限り、指揮者も団員も同じ楽譜を 使用しています。ある程度楽譜の読める人ならば、そこに作曲者の求める音楽の全体像を 全て見ることが出来るのです。一瞬一瞬のハモりがどのように意図されているか、作曲者 が音楽の流れとしてどのように各パートの関係を構成しているか、何が問題で楽譜どおり の響きがしないのに指揮者は気付いていないのか、等々が全てわかるものなのです。 逆に言えば、楽譜の自分のパートだけしか見ない人は、楽譜代のモトをとっていない 事になり、さらには他のパートの動きを理解しながら自分のパートを楽しむ、という せっかくの合唱の醍醐味を放棄している事になります。もちろん指揮者は全体の音楽を 一つにまとめる責任者ですから、その音楽的指示を尊重するのは基本的なルールですが、 合唱音楽の長所として、音楽作品の解釈の領域に全員が参加できる、というせっかくの 特徴をもっともっと活用したいものです。 この他にも合唱音楽ならではの特長というのは数多く指摘されていますが、ここでは 「歌詞という文学的要素も持つ音楽としての優位性」という最もポピュラーな議論は省略 して、もう一点だけ、「アカペラ合唱演奏の楽しみ」という点について述べる事にします。 およそ楽器を使用する音楽であれば、クラシックであれ大衆音楽であれ、果ては楽器 伴奏付きの合唱音楽においても、演奏の際の基本的なピッチは楽器によってほぼ保証 されています。もちろん吹奏楽器は息の量によってピッチが微妙に上下するものですし、 フレットの無いバイオリン等の楽器ではピッチを聞いて微調整しているのですが、ピアノ・ マリンバ・パイプオルガン等のように全くピッチ(音律)の動かない楽器も多く、結局 これらの音楽は、「平均律」という音楽的妥協のもとに成立しているのです。ところが アカペラの合唱の場合、基準として絶対に動かない音程というものは存在しないので、 お互いの相対的な音程によってのみ、音楽の和声的構成が実現されます。指揮者は この点では無力に近い存在であり(実際はそうでもないのですが)、演奏する一人一人 が耳をすまして全体の響きに集中し、言わばリアルタイムのフィードバックをかけて 常に音程を微妙に修正し続けなければなりません。この緊張感と習熟が、初心者に とってはあまり気付かれないものながら、実はアカペラ合唱の重要な要素だと思います。 もちろんこの大変な努力のもたらしてくれる成果は非常に重要で、「純正なハーモニー」 という、まず日常では経験できない素晴らしい世界に導いてくれるのです。音楽史の 上では、もちろん最も自然である純正律の期間が長く続きました。ところが機能的和声の 要求から修正が提案され、それでもなるべく純正さを残そうと何百種類もの音律が考案 され、結局機能主義の平均律が主流となって押し流されるまでに1世紀以上もかかる程、 人間の純正な響きへのこだわりは根強かったのです。その純正な和声を、努力さえすれば 確実に手に入れる事が可能である、というのは、アカペラの合唱音楽だけが持つ最大の 長所であるように思います。(ピアノを習った人などで、「固定ド唱法しか出来ない人」 「絶対音感しかない人」がいますが、この人種は不幸にも、アカペラ合唱の響きを本当に 楽しむ事が出来ません。理論的にも簡単に証明できる理由によって、純正な響きに従う 和声進行に伴って曲全体のピッチが次第に上がったり下がったりする場合は多く、 こうなると絶対音感者は楽譜と耳とのギャップに苦しむようです。また、移動ド唱法と いうのは和声の機能における自分の音の役割を自覚できる助けとして有効なテクニック なので、固定ド唱法派の人はいつまでたってもハモりのセンスが成長しないようです) この2年ほどの間の私の経験においても、「やはり合唱音楽はいい!」と実感できる エポックはありました。その中から2点、紹介してみたいのですが、その一つは去年竣工 された東京・赤坂の「サントリーホール」のオープニングシリーズの演奏でした。(浜松と いう井戸の底にいると、東京で行なわれる演奏会というのは高嶺の花です。チケットと 交通費とで、プロカンツィオーネ・アンティカの時で2万円、このサントリーホールでは 3万円近いものとなり、もうこれは2年に1度あるかないかの大事業となってしまうのです) 半年前の新聞広告を見て即日電話予約したその内容というのは、若杉弘指揮・都響・ オール芸大声楽科の合唱、という布陣で、「この演奏をもって最近のブームに終止符を 打ちたい」という意欲をもって取り組んだ、マーラーの第8交響曲の演奏会でした。 パイプオルガン・ピアノ・チェレスタ・4台のハープを含む大オーケストラと、児童合唱・ 2つの混声合唱・数人のソリストを要求する大曲であるだけに、私としても初体験の 取り組みとして、さっそくCDと総譜を入手して何度となく聞き、覚えてしまうほどに 研究して臨みました。その晩の演奏がどのように聴衆を魅了したか、はここで私が 満足に表現できるものではありません。(翌週の朝日新聞の音楽批評欄でも参照 して下さい。この会場の私の前列には、林光・山田一雄といった大御所が並んで いました)。ただ一点、90分近くにわたる全曲のうちで最もpppである部分の合唱に おいて、全く想像を絶する響きを体験できた、という収穫を上げれば十分です。合唱 では全員でffを気持ち良くハモる、という最も簡単な楽しみに比べて、ppの部分は 「手抜き」が可能です。最もppの表現に貢献するには歌わなければいいのですから、 それでなくても他人に頼りやすい合唱で、「全員で歌ってのpp」を本当に実現するため には相当の精神的な努力が必要です。ましてこの晩の合唱は声楽のエリートの芸大の 学生、いわば一人一人がソリストなのですから、あまり苦もなく歌い切ってしまうもの だろう、と思っていました。事実、ff系の部分は声にモノをいわせて、楽々と通過しました。 ところがその第2楽章後半の部分で、繰り返しながら半音また半音と上昇するソプラノの pppのハイトーンの旋律が、それまで各種の録音で聞いたことも想像したこともない ように、一糸乱れず、かつ一人の脱落もなく客席に舞い降りてきたのです。これは 学生のひたむきな若さ、という要因も大きいと思いますが、半年ものリハーサル期間の 中で育まれた音楽的集中度が、演奏会の場において結実した、人間の最も崇高な 精神作業の勝利の瞬間であるように思えました。声楽のプロとも言える人たちの全員が、 一人も欠ける事なく、最も熱心なアマチュアの情熱に匹敵するひたむきさで合唱に集中 している、という偉業に立ち会えた、というその晩の充実感は、今でも私の新しい原動力 として生きているのです。 もう一つの経験は、2年前に長野で行なわれた「世界合唱祭・アジアカンタート・イン 長野」でのものです。世界各国からの参加者を含めた三千人近い合唱人が数日間寝食 を共にして、朝から晩まで合唱にどっぷり漬かり、連日の交流イベントや演奏会、さらに 分科会に分かれてそれぞれの曲目を仕上げるアトリエ、そして最終日のアトリエ コンサートに至るまでの盛り沢山のスケジュールに参加できた、という経験は、もちろん この10年の合唱生活の中でも最大級の収穫でした。さらに、このカンタートに個人参加 して善光寺の同じ宿坊に泊まったメンバーが意気統合して盛り上がり、一緒の格好をし て歩行者天国をかっ歩し、私がその場で書いた曲を引っ提げてパーティーの舞台に飛び 入り演奏した、という偶然の産物もあり、そしてこの集団は翌年には浜名湖畔での再会 合宿に集結して、そこで私の新曲が音になったという事もあって、ずっと忘れない経験 となっているのです。しかしここでは、その中の「特別コンサート」での一こまに絞っ てみたいと思います。このコンサートは、カンタートに合唱団単位で参加した国内外の 各合唱団のうち、特にレベルの高いところが並んだもので、3時間以上も続いた長丁場 にもかかわらず聴衆の興奮の余韻がその夜中続いた、という、少なくとも私にとっては 「今後十年間はもちろん、もしかするともう一生経験できない程に内容の充実した合唱 演奏会」として記憶され、今でもその確信の変わらない演奏会です。合唱連盟の全国 大会で有名な国内の幾つかの合唱団も名を連ね、準備万端に練習したレパートリーを 熱演したのですが、しかし驚くべき事に、この場では完全に「前座」となってしまったの です。私が圧倒的に感銘を受けたのはヨーロッパの学生からなる一般合唱団(学校の 合唱部というのでなく、教会音楽という基盤で組織されているもの)の演奏でした。そこに は理屈ではなく、合唱の根源が「祈り」にあるという真実がありました。これが同じ人間の 成せる技とは思えないような、おそらく私もその場で初めて経験した、本当に純正な ハーモニー。木を豊富に用いて新築されたホールに暖かく響いた、まさにヨーロッパの 教会の聖堂で響いているであろう音楽を想起させるハーモニー。難解な現代作曲家と されながら、実はこのように繊細で純情無垢な音楽であったのか、と目から鱗の落ちた メシアンの音楽。結局、このコンサートで私の前に残酷なまでに見せつけられたのは、 一生懸命、それこそ額に汗して頑張りながらも、どうしても底の浅い「日本人の合唱音楽」 の姿であり、一方で、共通の信仰と長い歴史という基盤によって、自然と音楽が響いて しまう「西洋の合唱音楽」の懐の深さであったのです。このカンタートに参加することで、 全国の合唱人の活躍と浜松地区の状況とのギャップで悩んでいた私にとって、日本と いう枠組みでの音楽自体が、「人類の共有財産である合唱音楽」からみれば実は えらく貧弱で偏っている、という事実を知ったことは、2倍落ち込むというよりも、むしろ 逆に勇気づけられた面もあるようです。日本の合唱音楽というのは大変マセている れけどもまだまだ子供であり、やっぱり大人には(少なくとも当分の間は)かなわない、 という視点は今後とも大切にしたいと思います。 さて、自分としても全く予想外にたくさん書いてきたのですが、そろそろ収束したいと 思います。「偉そうに何を理屈をこねているのか」、という御批判に今後とも応えるため にも、私の今後の方針についても記しておかないと片手落ちでしょう。(この文章自体 が、私が私自身を今後とも追い詰めるためのプレッシャーとして書かれているのですから) 「合唱のハモりに理屈はいらない」という意見があります。実にその通りです。ここでは さんざん理屈を並べましたので、私としても今後は理屈抜きに、ハモりの真髄を目指そう と思っています。(次の理屈は、また10年後にでもやることにします) 合唱の歴史のうちのかなりの期間、合唱は一部の専門家・マニアのものでした。だから こそ、膨大な量の高度な合唱作品が生み出されてきたのでしょう。それが一方的に大衆化 されれば内容が低下するのはむしろ当然で、最近のマニアックな室内合唱ブームや古楽 ブームという反動にもなっていると思います。誤解を恐れずに極論すれば、「本当に合唱の 好きな者だけがとことんやればいい。求めない者には与えない」という意見なのではないで しょうか。この気持ちが今の私にはよく理解でき、かつかなりの部分で賛成できます。 自分の中での合唱のプライオリティーが何番目であるか、という問題になるのですが、 私と同レベルにある仲間を集めて、それがたとえ5人による五重唱団でもいいから今後 やって行きたい、というのが現在の決意です。 日常的な合唱活動というものに限度があるため、カンタートのような一点豪華主義短期 集中的イベントの意義は非常に大きいものがあります。今後も魅力的な企画へのアンテナ を拡げ、チャンスがあれば参加する事と思います。(合唱連盟が今回企画している「太平洋 カンタート」については、知らなくて参加しない訳ではありません) (お世話になった皆様、ここまで読んでくれた皆様に改めて心から感謝致します) **** HCEレパートリー一覧 **** (順不同) 三善晃 「黒人霊歌集」より Go Down Moses , Wade in de Water Vic Nees O Song スティービーワンダー,ライオネルリッチー,マイケルジャクソン他 We Are The World (長嶋洋一編曲) 磯部 叔 はるかな友に Kodaly Angyalok Es Pasztorok ビバルデイ 「四季」より 春 (長嶋洋一編曲) 海沼実 里の秋 (佐藤剛平編曲) Star Dust (ロバート・ショウ編曲) Moon River (長嶋洋一編曲) 多田武彦 組曲「太海にて」 全曲 Palestrina Sicut Cervus Desiderat ボブ・ディラン 風に吹かれて (長嶋洋一編曲) Beethoven Die Ehre Gottes フィンランド民謡 春の歌 ミュージカル「ヘアー」より Aquarius (長嶋洋一編曲) Aranjues,mon amour (河西保郎編曲) Byrd Mass for Three Voices 長嶋洋一 組曲「何鹿」より 田植歌 , 杭打ち歌 Deep River (ロバート・ショウ編曲) 山田耕作 からたちの花 (増田順平編曲) ビートルズ Yesterday (長嶋洋一編曲) 佐々木伸尚 夜のうた La Canon de Pachelbel (河西保郎編曲) アタックNO.1 (西園典生編曲) Bach Air on G (長嶋洋一編曲) ムラジェリ ロシヤ Schubert Freiheitslied White Christmas (長嶋洋一編曲) 赤鼻のトナカイ (長嶋洋一編曲) Kodaly Turot Eszik A Cigany 萩原英彦 優しき歌 序の歌 Mendelssohn Beati Mortui So Much In Love (長嶋洋一編曲) 岡崎光治 組曲「幻の祭り」より 幻の祭り , じゃんがら祭り Esquivel Gloria In Excelsis Deo 長嶋洋一 組曲「佳辰恵 」より しあわせ , おばあさんの手 More (河西保郎編曲) フィンランド民謡 バラード 雪の北国 オフコース 愛を止めないで (長嶋洋一編曲) Brahms O Heiland reiss die Himmel auf 三善晃 組曲「嫁ぐ娘に」より かどで Sing Along (長嶋洋一編曲) 藤井凡大 筑紫之 Handel Air Hey Paula (長嶋洋一編曲) 湯山昭 雪の夜の思い出 Palestrina Super Flumina Babylonis 水越けい子 Too Far Away (長嶋洋一編曲) Schumann Lasst Lautenspiel Und Becherclang Silint Night (ロバート・ショウ編曲) ミュージカル「キャッツ」より メモリー (長嶋洋一編曲) Kodaly Azjapoiedu 山田耕作 A Song For Kwansei Teach Your Children (長嶋洋一編曲) ラヴ・ユー東京 (榊田裕之編曲) Dvorzak Song Of Nature オフコース 愛の唄 (長嶋洋一編曲) 宇宙戦艦ヤマト (東北大編曲版) Bartok Huszarnota サイモン&ガーファンクル The Sound Of Silence (長嶋洋一編曲) Kodaly Hegry Ejszakak ショスタコービッチ 組曲「十の詩曲」より 死刑の戦士 12小節ブルース(ロックンロール)パターン (長嶋洋一編曲) Sea Shanty Sailing,Sailing (ロバート・ショウ編曲) How do you do ? 長嶋洋一 組曲「マザーグースのうた・1」 My Foolish Heart (河西保郎編曲) Sea Shanty Spanish Ladies (ロバート・ショウ編曲)
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