「サウンドデザイン」教材
"Composer/Player/Listener" Model

Yoichi Nagashima


(スケッチ風ドローというフリーウェアを入手したので、試しに絵を描いてみました。それで試しに教材を作ってみました(^_^))

古典的なクラシック(ポップ)の場合

古典的なクラシック音楽では、作曲家の出力は「楽譜」であり、これを演奏家(独奏者+伴奏者、アンサンブル、指揮者+オーケストラ/ブラスバンド等)が解釈して演奏(表現)することで出力は「サウンド(音楽)」となり、これが聴衆に伝わります。クラシックに限らず、ポップス(商業音楽)でもこの図式は同様に分業されています。まれなケースとして、作曲家が演奏家を兼ねる(Jazzはたいてい兼ねる)場合もあります。
このような図式は音楽に限ったことではなくて、「振付師→ダンサー/バレリーナ→観客」あるいは「原作/脚本家→映画制作チーム→映画」とかの、他のパフォーマンスや興行でも同様です。

「作曲」の中にある3要素

ところで「作曲家」の姿をよく見てみると、そこには「創造する者」だけではなくて、「それを脳内で(あるいは実際に弾いて)音響にする者」と「それを批評的に聴いて修正(アレンジ)する者」という3者が必ず存在します。作曲というプロセスはごく少数の例外を除けば、一方的に感性から出力するだけ、というものではなく、このように冷静なフィードバックによって構築されています。
このような図式は音楽に限ったことではなくて、画家でも詩人でも作家でも同じです。創造するだけでなく、同時にそれを脳内で作成(表現)し、さらに脳内で鑑賞しつつ修正(アレンジ)する、というのは、あらゆるクリエータの創作活動の基礎です。

「演奏」の中にある3要素

次に「演奏家」の姿をよく見てみると、実はここにも「楽譜を解釈して表現する者」「それを批評的に聴いて修正(アレンジ)する者」に加えて、「自分の感性により(いわば即興的・創造的に)作編曲する者」も存在します。レッスンで習ったことだけを機械的に再現するレベルの生徒では無理ですが、演奏家として芸術的な活動を行うためにはこの全てが必須となります。
楽譜というのは歴史とともに洗練されてきた非常に有効なインターフェース(メディア)ですが、そこに表現できるものは作曲家のイメージと完全に同一にはなりません。その一方で、同じ楽譜であっても、演奏家により・指揮者により・オーケストラにより、新しい表現が生まれるという音楽の魅力の源泉でもあります。

「聴取」の中にある2要素

ここで「聴衆」について考えてみると、やはり単に「聞く」だけでなく、脳内では「聴く」ためのいろろいろなプロセスとして、過去の経験と照合する、これからの展開を期待する、いろいろな感情を想起する・・・といった活動があります。音楽経験によって(無意識にも音楽のルールを体得して)、この演奏のここが良かったとか、この表現のここはイマイチだったとか、という「批評」に繋がる脳内作業は、ある意味ではアレンジャーの視点です。Jazzでは多くの聴衆がこの暗黙のセオリー(とそこからの即興による逸脱のスリル)を楽しみます。

メディアの時代 - 「演奏するシステム」の登場

19世紀まではオルゴール程度でしたが、20世紀のテクノロジーは、生演奏の音響を録音しどこでも再生鑑賞できるメディア(レコード・テープ・CD・MP3・DVD等)を生み出しただけでなく、「演奏」のフェーズを人間でなく「システム」が行う、という段階に発展しました。
ポップスの世界では、スタジオの作曲家は楽譜でなく打ち込みデータを作成するのが作編曲であり、これをコンピュータのシステム(シーケンサ+シンセサイザ)に与えれば豊穣な音響(音楽)が生成され、これが録音メディアや放送(ストリーミング/着メロ)にそのまま直結します。カラオケ演奏も全てデータで配信され、語りのセリフの音声合成だけでなく、ボーカルの歌声もボーカロイド(初音ミク等)で自動生成される時代になりました。

「作曲」の拡大 - 再びバッハへ

この新しい時代には、作曲家はある意味でプログラマーでもあり、録音メディアや音楽データ配信という出力までの全てのプロセスを担当することが出来る(求められる)ようになりました。これはクラシック音楽において、バッハやモーツァルトのように、自分の作曲した作品を自分で演奏することで完全に支配した、という事に戻ったとも言えます。あらゆる可能性を手にしたからには、それを駆使して「いい音楽」を生み出す(専門の演奏家・指揮者などの助けなしに)のが使命となったのです。

「聴取」の拡大 - アクティブ(参加型)鑑賞

そして注目すべき展開として、これまで多少の批評をするにしても受け身で音楽を聴取するだけだった一般大衆が、より能動的に音楽を楽しむ時代が到来しつつあります。作曲家が提供するデータを、シンセサイザやエフェクタを駆使して自分の好きなように音響(サウンド)を加工して聞くことができます。カラオケ等のシーケンスデータをGarageBand等に取り込めば、オーケストレーション(楽器)を変えたりリズムをアレンジしたり、さらにiMovieで好きな写真や動画と組み合わせてオリジナルのムービー(→DVD)を簡単に作成できます。
シーケンスデータの伴奏と単純な「初音ミク」データがあれば、これを自分の好きな歌詞/セリフに変えたり、さらに「調教する」(データを細かく練り上げる)ことで自分好みのオリジナルな歌手として歌わせることも出来ます。Xboxの画像センサで自分の振り付けをモーションキャプチャーして、3D-CG画像のキャラクターに踊らせることも出来るようになりました。これは、データとして制作された「ゲーム」を、それぞれのユーザが自分の好きな操作で楽しむことと同じ「アクティブ(参加型)鑑賞」と言えます。

・・・この時代に、デザイナは何をしていけるのか、何をしていかなければいけないのか。考えていきましょう。(^_^)