■音楽情報科学研究会 2011.12.11 特別講演■ アルゴリズミック・コンポジションの(不)可能性  三輪眞弘 ●予稿の文章 「作曲」という概念はおそらく西洋音楽固有のものであり、今風に言えば「音楽におけるイベント・シークエンスをある個人が決定し記述する行為」のことを示している。音楽創造の領域におけるデジタル技術の援用例では、「アルゴリズミック・コンポジション」という言葉で呼ばれる、「イベント・シークエンスの決定」を人間ではなく、コンピュータを使って行う試みが昔(コンピュータの誕生以来)から知られてきた。しかし、その可能性を「真に受ける」作曲家や聴衆は世界中、皆無に等しいと言えるだろう。なぜなら音楽作品において、ある音が選ばれた理由すなわち音の起源は、必ず作曲家の精神性や感性に求めるしかなく、論理演算によって選ばれた音など「音楽」と呼ぶに値するはずがないと固く信じられてきたからである。この「信仰」に従えば、音楽創造におけるコンピュータの位置づけは必然的に、主体的に思考する人間(作曲家)を助ける「道具」ということになる。事実、「コンピュータ音楽」と呼ばれる分野の主流は今も昔もデジタル信号処理、すなわち音色(音声信号)に関する様々な試みである。言い換えればそれは、人間が近年初めて手にした新しい「道具」の可能性に違いない。しかし、そうなのだろうか?現代に生きるぼくらはたかだか200年前の西欧で生まれた音楽というものに対するこの「信仰」を今でも無根拠に受け入れるべきなのだろうか?「方法主義」、「逆シミュレーション音楽」、「新調性主義」などのキーワードで私が試みてきたアルゴリズミック・コンポジションにおける様々な活動は、一貫してこの「信仰」に対する異議申立てであった。今回は、それらのコンセプトのみならず、近年試みてきた「新調性主義」やその拡張としての17音平均律アルゴリズムなどの実例を紹介したい。 科学と音楽/芸術、俗にいうなら理系と文系と言っても構わないが、音楽情報科学研究会もまたそうであるように、これらふたつの領域の接点を見出し、ある種の「融合」を目指した取り組みが、当然のことながら、数多く試みられてきた。しかし、おそらくまったく異なるこれらの人間の「知のあり方」に接点など本当にあり得るのだろうか?いや、そのように問うことはとても滑稽なことに違いない。なぜなら、西欧の語源を調べるまでもなく、ぼくらの誰もが個々人において総合的な「ひとつの知」を頼りに日々を生きているのだから。ならば、なぜ人間の知は分断され、互いに「まったく異なる」もののように思考されなくてはならなかったのか?その理由はさておき、おそらく、先に述べた音楽に対する強固な現代人の「信仰」もまた、そのことと深く関わっているに違いない。 アルゴリズミック・コンポジションという論理学と音楽用語が組み合わされた、あり得ないような造語がまさにそのような事態を超克すべく生まれてきたと感じているのは、私だけかもしれない。しかしどちらにせよ、論理的であることと人間的であることの間を埋める新しい言葉(概念)をぼくらは今、何としても必要としていることを、放射性物質と共に暮らし始めた日本人の誰もが感じているのではないだろうか?(もちろん、それは「人間的であること」とはそもそもどのようなことなのかを確認していくことでもある)そして、私にとってそれは、全面的にテクノロジーに依存して生存を始めた人間にとっての「音楽」そのものを再定義することであり、今回紹介する、その実証実験としての「音楽」の実践に他ならない。 ●講演を聞きながらのメモ ・「神」 --- 特定の宗教でなく、三輪さんの音楽に感じる「神」は何??? ・「教会音楽」 --- 奉納という行為、儀式、おまじない ・声明 --- 声を合わせる、聖典、グレゴリオ聖歌 ・作曲家の個性・精神性などは求められていない ・いい仕事をする作曲家とは?? ・自分の好みでなく、自分が絶対的に従わなければならない音楽を具現化する仕事 ・現代、作曲するために何をすればいいのか --- 「条件」は何?? ・未開の地に棲む人々の精緻で強固な「構造」 ・重要なのは「関係性」 --- 「体系」 ・神に見放されないために従わなければならない「何か」を直感した ・「理にかなっている」ことが本質 ・論理的、直感的、倫理的な構造 ・「理にかなっている体系」 --- 論理学、数学 ・現代人は論理的思考を信じている ・構造主義からの発想 → 「あり得たかもしれない音楽」を求める ★ ・「今までにないものを作れ」という脅迫観念からの解放 ・柴田南雄の骸骨図(ある音から続く音、続かない音) 音楽の骸骨のはなし --- 日本民謡と12音音楽の理論 (1978年) ペンタトニックの体系、でもピアノとフルートのキーは違っている(^_^;) ・日本民謡のシミュレーション → 日本民謡って何?? ・アルゴリズム作曲にはモデルが必要なのか?? ・コンピュータ上のアルゴリズム(形式言語)そのものが高度な体系 ・言語と文化とが対応するとすれば、コンピュータ言語の文化があるのでは?? ・我々は、人間とテクノロジーとで作られた世界(人造物)の中にいる ・論理的思考の抽象化の果てに捨象されているものに注目したい ・「コンピュータ語によるおまじないは可能なのか??」 ★ ・「人間の表現」でなく「人間とテクノロジーとで作られた世界の表現」であるべき ・我々は「コンピュータ語族」である ・コンピュータ語の文法で、おまじない。人間による音楽 ・2010年の新作 4人がアルゴリズムで互いの頭を叩く 途中でパイプを交換するためにスケール(音体系)が進展する ・保存されるべき音楽という呪縛からも解放されるべき ・音楽教育機関の出身でロクな作曲家がいないのは当然 ●質疑応答で判ったこと ・2010年の新作は何度でも再現性があるのか(即興はナシ?)  アルゴリズムなので再現性あり、ただし初期値にランダムを指示 ・2010年の新作のパフォーマーは人間でなくてもよい  高性能アシモ(ロボット)でもOK → もっと上の真理に立ち向かっている ・やっぱり三輪さんも「根はプログレ」だった! (^o^)