第14期「虎の穴」学生レポート集2002年12月 長嶋洋一
高橋 直樹作品「内に燃える心 tcne-029」について 概要 2002年12月21日、岡山県倉敷市にある倉敷作陽大学において、 インターカレッジコンサートが行われた。私はここに、コンサート でライブパフォーマンスをおこなう1人として参加した。 発表した「内に燃える心」は、多くの人からの良好な評価を 得ることができた。作品のシステムは非常に拙いものであり、音量が 非常に大きくなる部分もあったので、心配ではあったのだが、「きち んとした形式をもっている」、「火山の噴火するようで迫力がある(^_^;」 などといった意見を聞くことができた。 作品システム 今回の作品において中心となったのは、自分の声である。 使用した機材、ソフトウエアは、Max/MSPおよび、ROLAND社製の マルチエフェクター、そしてSuperCollider 2.2.16であった。 MAX/MSPのパッチ、およびエフェクターによる音響合成の方法については、 発表の3ヶ月ほど前から、学校の工房、機材等を拝借し、週に1回程度、 3、4時間づつかけて、すこしずつ、SuperColliderについては、 それよりも前から、ゆっくりと学んでいった。 システムは次の通りである。マイクロフォンで拾った声の音は、つねに マルチエフェクターを通して、リバーブがかけられている。ただし演奏の 初めの息音は、別個にMAX/MSPに向かい、サンプリングされ、演奏の途中 から再び登場することになる。それはAIFFデータとして固定されたSuper Colliderの伴奏を伴いながら、 個々にスピードをかえて多重に再生されてゆき、 さらにはそれぞれのチャンネルが、ランダムに音量を変化させてゆく。 歌はその伴奏にあわせ、即興的に歌われる。作品全体としてe-moll和声短音階の 調性をもっている。 SuperColliderは、伴奏部分を担当した。 以下はこの作品のために作った、リアルタイムに音を生成する パッチである。ただし今回は事情により、出力された音を、あらかじめ AIFFデータとして固定しておくことになった。 { OverlapTexture.ar({ Pan2.ar( SinOsc.ar(Sequencer.kr(`( [40, 0, 0 , 40, 0, 0, 40,52].midicps.scramble), LFPulse.kr(0.01)), 0, 0.1, 0), 1.rand2)}, 4, 4, 2, 2) + OverlapTexture.ar({ Pan2.ar( SinOsc.ar(Sequencer.kr(`( [0, 43, 45, 47, 48, 50, 0].midicps.scramble), Dust.kr(0.05)), 0, 0.05, 0), 1.rand2)}, 4, 4, 2, 2) + OverlapTexture.ar({ Pan2.ar( SinOsc.ar(Sequencer.kr(`( [64, 66, 67, 69, 71, 72, 74, 76, 78, 79, 81, 83, 84, 86, 88].midicps.scramble), Dust.kr(0.1)), 0, 0.01, 0), 1.rand2)}, 4, 4, 7, 2) + SinOsc.ar(Sequencer.kr(`( [71, 76, 79, 81, 83].midicps), LFPulse.kr(2)), 0, 0.002, 0) }.play これは調性的にはe-mollである。創作の初めの段階ではSuperCollider を使用する予定はなかったのだが、結果的には、これを使用することが、 作品の基調(イメージ)と調性を安定させることになり、利益は非常に 大きかったと思っている。 作品の方向性について この作品は、本質的な性質として、描写音楽、あるいは標題音楽であり、題材は 新約聖書の一節を用いている。 ルカによる福音書中24章13節ー32節 イエスが処刑されたのち、再びよみがえられて弟子達の前にあらわれるが、弟子 達は目がさえぎられ、イエスを認めることができない。しかし夕暮れになってか ら一緒に食卓につかれた時、パンをとり、祝福して割き、弟子達に渡しているう ちに、弟子達の目が開けて、それがイエスだということがわかる。すると、イエ スのみ姿は見えなくなった。弟子達は互いに、「道々お話しになったとき、また 聖書を説きあかしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」といった。 文章と音楽との連携は、いわば音楽における主要な要素であり、古くはベートー ベン、シューベルト、シューマンなどの作曲家達によって追求されていった分野 である。音楽と他の領域との連携、特にメディアアートにおいては映像との連携 が最近注目されているようであるが、純粋に読むものとしてのテキストもまた、 映像と同様に、音楽と同期し、連携していくものである。 作品自体には、堅固で明確なイメージを持たせるようにしたかった。内容も衒学 的にならないように、プログラムノートにも、上のような新約聖書のテキストを 要約したものを中心にし、システムについての言及は、使用した機材を書くだけ にしたが、こうしたやり方は、概ねうまくいったと考えている。 まとめ 今回の作品においては、リアルタイム的な演奏は実現できたと思うが、インタラ クティブ的な観点から見れば、システムは脆弱なものであった。 インタラクティブ的なシステムを構築し、それによって人間とコンピュータと音楽の 接点を広げることにおいて、MAX/MSPほど理想的な製作環境はないといわれて いる。MAX/MSPは、音楽は本質的に流動的なものであるということを体現して いる。そうしたことから考えると、今回の作品において、演奏者とコンピュータ の接点は、マイクロフォンからの一時的なサンプリングのみであり、音楽として は、ほとんど固定的で、CD的な側面が大きく出てしまったことは反省すべき点である。 作品の製作は、大学でのMAX/MSPの実習授業(ソフトウエア論)と平行してお こなわれた。この演習と、名著『トランスMAXエクスプレス』が、作品の 製作においては欠かせない存在であったことを、ここにあげておきたい。 参考文献 『どう読むか、聖書』青野太潮著 朝日新聞社 1994年 『トランスMAXエクスプレス』ノイマンピアノ(赤松正行+左近田展康)著 リットーミュージック 2001年 "SuperCollider レポート2" http://tcne.hp.infoseek.co.jp/SC/SCrep2.html "インターカレッジ2002コンサートにむけて" http://tcne.hp.infoseek.co.jp/IC2002/index.html "内に燃える心 tcne-029について−インターカレッジ2002レポート−" http://tcne.hp.infoseek.co.jp/IC2002/at_kurashiki/index.html
加藤 美咲ICにエントリーするのはこれで2回目になる。 今回、私は2つの点で新しい試みに挑戦することになった。 ひとつは全くの個人制作であったこと。 SUAC入学以来ストレートにインスタレーションについて学んできたが、その作 品発表の場では常に共同で作り上げる仲間がいた。私はグループの中で1パー トを請け負うだけに過ぎず、その分作品そのものについてもあまり責任を持つ ことがなかったように思う。もちろん共同制作の素晴らしさはよく理解できた が、同じようにその欠点に足を引っ張られもした。 欠点とは私たちの場合主にスケジュールマネジメントであった。全員で集まっ て検討する機会が少なく、それぞれの分担を決めたら後は各個に進めるという 形が多くなり、それが結果的に作品としての完成度を下げてしまった面もある。 個人制作では他人に縛られることが全くない。その分、より厳しく自分を律す ることができないといけない。 共同制作のいいところは、多角的な視点から作品にアプローチできるところ だ。グループ内で意見交換がなされ、見直しを図ることで決して独りよがりに はならない。(集団で道を誤ることもあるかもしれないけど。)個人で作品を 作っていくと、つい自分の解釈に好意的になり、狭窄的な視野で気づかぬ妥協 を繰り返していることがある。今回そうならぬために時折原点に立ち戻って テーマを考察する必要があった。 もうひとつは、造形部分を作らなかったことである。 これは当大学の売り「システムと造形両方に完成度の高い作品を作る」に反す る方針だが、もともと自分の中の興味が中身(受け取った情報をどのように加 工して返すかという設計)のほうに向いていたことと、造形はそうそう手を入 れる時間が持てないだろうと思ったので、あえて最初から切り捨てることにした。 とはいえお客が画面を見て操作する部分のグラフィックくらいは凝ろうと思っ ていたのだが、プログラミングに予想外の時間がかかって結局その場しのぎの ものしかできなかったのは反省すべき点だ。IC本番前の追い込みの時点で優先 すべきタスクを間違えてしまった。 作品作りの具体的な面では、今回新たにJavaのプログラミングと、MAXの描画 ・音声録音のパッチについて学んだ。 Javaはここにいたる現在でも格闘中である。作品に使われたアプレットそのも のは不本意なバージョンダウンもあって簡単なものだが、折角学ぶのだから胡 乱な部分がないようにと基礎の概念からがっつりやった。Javaの他にはC言語 の基礎しかしらない私は、学ぶにつれ展望の広がるJavaの応用力にすっかり魅 せられてしまった。 しかし現段階ではとっかかりひっかかり、ひとつ進むごとに基礎に戻って意味 を再確認しながらの亀の歩みで、夢見たことの実現には遠く及ばない。次に発 表する機会があるかないかに関わらず、今作品を完成させた後でも日常的に学 んでいこうと思う。 MAXについては、今までやってみたかった色々なオブジェクトを作品制作に託 けて試してみるのが面白かった。赤松先生の「トランスMAXエクスプレス」の おかげで手持ちの武器(?)がずいぶんと増えた。 これまではMAXを使うといってもレスポンスの一部にしか関わってこなかっ た。しかしこの作品では前半パートのシステム・グラフィックすべてをMAXで 賄うのである。 この部分はあまり成功したとはいえない。パッチそのものの設計は間違ってい ないが、組み立て方がまずかった。作品の都合上、お客にいくつかの手順を踏 んでもらわねばならず、その誘導の仕方を失敗してしまった。よいデザインと は子供にも理解できる程度に分かりやすくなければならない。そして、最初か ら最後までじっくり作品と向き合ってくれる気のない(つまり通りすがりの冷 やかしの)お客に対しても、何か策を講じて置かねばならないのだ。私の作品 は描画パッチが前面に出て、いかにもお絵かきしてくださいという雰囲気で設 置されてある。音声を録音する都合上、スタートのきっかけを出してから描画 してもらわねば正しいデータはとれないのだが、その気のないお客は通りすが りに適当にいじり、何も反応しないことで興味を無くして去っていってしま う。結果、不正なデータが山のように残り、後の整理に頭を悩ますことになった。 通りすがりにいじってもらうのはかまわない。むしろ、そういった行為に対し てきちんとデータが取れてこそ成功というべきだ。その点で、まだまだこれは 試作品に過ぎない。 自由度の高いMAXパッチは「これで完成」というラインはない。次の発表まで にどれだけ理想に近づけるか、もう少し試行錯誤してみようと思う。
高木 慶子今回のインターカレッジ(技術造形総合演習?)における作品については、私がこれまでで一番苦悩した 作品であると思う。悩んだのは作品をつくる前の段階のところだ。”何を作るか”という事を考える上で、 自分がこれから先に何をしていきたいかという、将来についても深く考えた。コンセプト、テーマ、そして 作品自体、「これでいいのか、これをやって他の人にも受けるだろうか」など色々な自問自答を何度も ぐるぐると繰り返した。悩むことにかなり時間を費やした。悩みの原因のひとつとして、私は自分に自信が 持てていないことが在ると思った。それは私のモノづくりの土台ができていないと思うからだとも言える。 誰かに何らかの点で突っ込まれたりすると、それに対して、相手を言い負かすような意見が返せない。 それほど理由がないからとか、考えが浅いとか言ってしまえばそれまでなのだけど、それでも「これが 面白いんじゃない」「これだけは譲れない」という自分なりのこだわりを持たなくては、と思った。 作品をつくる上で、”人に見てもらう為にはどうしたらいいか”という事ばかり考えていると、それに 振り回されて、自分のやりたい事がだんだんと優先されなくなってきてしまう。また、その逆もあり、 「これがいい!」と思うと、そのまま突っ走る事も多い。主観と客観のバランスがうまくとれていない と思う。インターカレッジに出すことで、今回一番やりたいと思ったことは、”第三者から見て面白い” という部分だった。”第三者”というよりは”私”だったかもしれない。それでは、実際に体験する人は? となってしまうが、それでも大切にしたいのは外観のインパクトだった。「アホなもん作ってんな〜」と 思われることを目標にしてみたつもりである。 実際にインターカレッジに出してみて、会場に来て見てくれた人は少ないけど、体験してくれた大体の 人には感想なり意見なりを聞くことができてよかったと思う。ダミー人間をつくったことで、通り掛かりの 人も「あれ本物の人?」と気にかけて見てくれていたことがよかった。ダミー人間は自分の寸法を基にして、 自分の服を着せた。実験も自分でやっていたけれど、実際に作品を体験してくれた人は、スーツを着た 中年の男性がほとんどだったので、そのギャップが可笑しかった。私が一番気にしていた外観は、他の 人もおもしろいと言って、見てもらえていたので、自分以外でもそれを共有できると分かってちょっと ほっとした。かぶりものはスタイロフォームで作ったが、ぼそぼそしていたり、臭かったりと反省点が 多い。ただ音が結構響くという点では来てもらった人にも受けていた。音は色んな汁物や麺類をすすった 音だったのだが、他の人には少し伝わりにくかったようだ。ひとつの音でも人によって様々に受け止め られるので難しい。 とりあえず次のゼミにもつなげられることがいろいろ発見できてよかったと思う。
鈴木 飛鳥今までインスタを作る時はいつもグループで作っていて、一人で作るのは今回 が初めてでした。すべて一人でやるのは大変でしたが勉強にもなったと思ってい ます。 今回の反省点は制作に手をつけたのが遅く、切羽詰まって制作していて試しが ほとんどできなかったことです。特に風車が風で回るはずだったのですが、いざ 完成したら回らなかったというのが一番の失敗でした。これでも作り直していっ たのですが、ギリギリに作り直したため会場で組み立てをしなければいけなくな ってしまい、試しができませんでした。テーマが風だったのに、風車が風で回ら ず意味不明なインスタになってしまいました。しかし発光ダイオードが光る部分 や映像は何とかなって、一応展示ができたのでよかったです。 これから総合演習で提出できるように作り直しますが、今度は時間に余裕を持 って、しっかり試しをしたいと思います。今度こそ風で回る風車をつくります。
東堂 のぞみ今回私は、インターカレッジなるものに初めて参加した。と言っても、インターカ レッジのために作品を制作するのではなく、技術造形総合演習Iの課題としての作品 を、そのままインターカレッジでも発表してしまおうという、“一粒で二度おいし い”という甘い誘いに乗ってしまっただけのことである。“一粒で二度苦しい”とい う方があてはまりそうな気もしつつ……。 製作過程で何よりも時間をかけたのが、コンセプトの部分である。総合演習の課題 も兼ねていたため、その辺りは夢でうなされるほどに考え、悩んだ。自分の表現した いことと、造形とが、なかなか結びつかず、ころころ考えが変わっていった。 作品のタイトルの“うたかた”というのは、泡沫――方丈記にもあるような、水の 泡や、そのようにはかないもの、という意味合いそのものである。その時その場限り の雰囲気、感覚を、五感とそれ以上の感覚を使って感じてもらい、何かを感じようと 意識すること、また、それを通してもっと大きなもの、時間、宇宙、生命……といっ たものに思いをはせてもらいたいと考えた。 作品のイメージは、直径1メートル・銀色で鏡面仕上げされた球体状の造形物があ り、内部からぼーっとした音が、少しづつ変化しながら出続ける、それに人が触れる ことで音が劇的に変化してゆく、というものである。 造形――真球の一部分を切り取ったような、底のある球体は、地面から湧き出てく るのか、それとも逆にもぐりこんでいく途中なのか、なんとなく不思議な、また、つ い惹きつけられて、触れたくなってしまうような形態である。本来は、ステンレスの 鏡面仕上げのようなものを想定したが、制作費数十万〜数百万というものになってし まうため、実際には4分の1スケール、直径250ミリの、いわば模型のようなもの を作り、作品の形にまとめることにした。 球体は、へら絞りと呼ばれる方法で、専門の業者さんに銅版で成型してもらった。 金属製にすることは、作品をイメージに近づけるだけでなく、造形自体を電極とし て、センサに使えるというメリットもあった。さらにその上にクロームめっきをかけ たかったのだが、めっきをする時間がなくて、銅版そのものの色のままでの展示と なってしまった。(が、これはこれでなかなかいい雰囲気をかもし出している、とい う意見もあり、少し救われた。)外注を頼むというのは、なかなか大変な上に、自分 で手を動かすわけではないので、もどかしものがあった。 触れることで変化、するのにはテルミンセンサ(長嶋先生作。)を使った。テルミ ンセンサとは、「人体の接触の密度によって、エネルギーが吸収されて発振周波数が 下がる云々……ともかく、アンテナないし検出電極に人体が接触したあとで、さらに その接触の様子を『ちらっと触れる』『いじいじする』『なでなでする』『べったり 触れる』などと変化させると、見事にこれを検出できる」というものである。 造形から発せられる音に関しては、インターカレッジがコンピューターミュージッ クの関係のものということからも、総合演習の私のテーマからも、コンピューター仕 掛け――MAXを使ったものにしようと思った。時間とともに音が変わっていくような ものにしたかったので、短いサウンドファイルを用意して、それのピッチを時間に よって変えるようなプログラムをつくり、テルミンセンサから入ってくる値は、音の ボリュームにあてた。 今回はMAXも自分でちょこちょこといじってみたが、できあがったのはサンプル パッチの塊のようなものだった。音を作るのは思っていたよりもかなり難しくて、イ メージ通りのものをつくることが出来なかったのが悔やまれる。 展示初日、天気が雨だったせいか、自宅では毎回同じ値を出し続けたセンサの反応 が不安定で、急に値が飛んだかと思うと、元に戻っていたりして、とても手を焼かさ れた。ほとんど一日中チューニングをしてしていたような気もする。面白いほどに反 応してくれるセンサだと感心していたが、そのデリケートさにも驚いた。二日目は、 天気が戻ったからか、ホテルでの睡魔と闘いながらの調整の賜物か、少しはまともな 反応を返すようになり、ほっとした。 期間中痛感したのが、プレゼンテーション力?の無さである。お客さんに自分の作 品の解説を求められたとき、どういうコンセプトなのか、何を表現しているのか、と いうことをつっこまれると、あれだけ悩んで、考えてきたコンセプトその他も、なか なか上手く伝えられなかった。ああいう場所で人に理解してもらうためには、もっと 明確ではっきりしたコンセプトを、手短にまとめる必要があると感じた。 また、質問されると同時に、様々なアドバイスや指摘も受けた。実際は1メートル サイズの球体を想定したものだということについては、その大きさなら、オブジェと してだけでなく、舞台上で体を使って演奏する楽器のような、パフォーマンス的な使 いかたをしても面白いのではないか、という意見もいただいた。また、それだけの大 きさなら、電位差(?)もかなりのものになるので、センサの使い勝手ももっと良く なるのではないか、ともいわれた。ただ、音に対してのお客さんの反応は微妙で、音 で球が微妙に振動するところなど、良いと言ってもらえるところもあれば、うなるよ うな音が、“サーキット場”みたいだと評されたり、センサとの関連がわかりづらい と言われたりもした。その辺りは実際にまだまだ課題の残るところなのだと思うが、 話題はほぼ音とセンサというところが、さすがコンピューターミュージックのインス タ展示だと、ひそかに納得した。 今回も、あまり作品としての完成度は高められなかった。ただ、時間が無いからと 言っていつものように行き当たりばったりな制作をするのではなく、何度も自分のコ ンセプトに戻って、色々と考えながら進めることが出来たので、それはそれでよかっ たのではないかとも思う。さらに、インターカレッジへ出展して、他人の感想や意見 を聞けた事は、とてもためになったと思う。今回に限ったことではないが、せっかく 展示中に意見をもらっても、大抵それで終わりで、その後作品を手直しするようなこ とはまずなかった気がする。 今後、総合演習の課題としてそれを活かし、つなげられるので、もっと細かいとこ ろまで含め、完成度を高めていきたいと思う。
大山 真澄今回は出展者ではなかったために、当然ながら、かなり気楽なインターカレッジでし た。記録と買い出しなどの雑用にまわり、仕事面では大変初心にもどった内容でした。 客観的に見た感想としては、SUACは美大以上にインパクトのある作品が多かったなあ ということです。SUACは造形との融合ということで、外見的にコードがほとんど見え ないのが特徴のように思うのですが(ボックスをつくる)、システム以外に造形も作 らなければならず、金銭的にも時間的にも余裕がないのが難点です。しかし、その特 徴はできればビジュアルを重視するデザイン学部として、後輩にも受け継がれていけ ばいいなと願います。 今回一番精神的に負担だったのが、みんなが作品を作り上げていく中で、私のゼミ研 究は今だ先が見えておらず、焦りがかなりあったことです。今回の旅行中ずっとゼミ が気になっていました。 |