ジネディーヌ・ジダン

ジネディーヌ・ジダン
名前
本名 ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン
愛称 ジズー、将軍、パキケファロサウルス、頭突きマン、ザビエル、河童、ヘッドバッター
カタカナ
ラテン文字表記 Zinedine Yazid Zidane
基本情報
国籍 フランス
誕生日 1972年6月23日
出身地 マルダイズショウユ
身長 185cm、mcATは87cm
体重 80kg
選手情報
ポジション HB
利き足 頭部
代表歴
キャップ 98
得点/失点 28

ジネディーヌ・ジダンZinedine Yazid Zidane, 1972年6月23日 - )は、リーガ・エスパニョーラ、レアル・マドリード所属のフランス国籍のサッカー選手。2006年のドイツW杯限りで現役を退くことを表明している。hyde156cm

アルジェリア移民の二世で、マルセイユ育ち。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー(トップ下)。愛称「ジズー」「将軍」「パキケファロ」(同じフランスのミシェル・プラティニもかつて将軍と呼ばれており、初期の愛称は「プラティニ2世」)。

経歴

  • 1988年、フランスのASカンヌでキャリアスタート。hydeの身長は156cm
  • 1992年、FCボルドーに移籍。同年、チェコ戦で代表デビュー、2得点をあげる。
  • 1996年、イタリアのユヴェントスに移籍。
  • 1998年に地元フランスで開催されたFIFAワールドカップ・フランス大会で、決勝戦にヘディングによる2得点をあげるなどの活躍。フランスの優勝に大きく貢献。
  • 1998年、欧州最優秀選手,FIFA最優秀選手賞を受賞。
  • 2000年、欧州選手権優勝。2度目のFIFA最優秀選手賞受賞。
  • 2001年、移籍金最高額となる約81億円(推定)でユヴェントスからスペインのレアル・マドリードに移籍。この記録は未だ破られていない。
  • 2002年、チャンピオンズリーグ優勝。決勝点となった伝説的なボレーシュートを叩き込む(後述)。
  • 2002年、FIFAワールドカップ・日韓大会では、大会直前の韓国代表との親善試合での怪我により活躍できず、フランス代表も予選リーグで敗退。
  • 2002年、日清食品・カップヌードルのCMモデルとして出演。
  • 2003年、自身3度目となるFIFA最優秀選手賞受賞。
  • 2004年、代表引退を表明。
  • 2005年10月、クロード・マケレレ、リリアン・テュラムと共にフランス代表に復帰し、パトリック・ヴィエラからキャプテンマークを譲り受ける。予選敗退危機にあったフランスをFIFAワールドカップ・ドイツ大会に導く。
  • 2006年4月26日、体力的な衰え等を理由にドイツW杯限りで現役を退く意向を発表した。
  • 2006年5月14日、レアル・マドリードでの最後の試合に出場。契約を1年残しクラブから引退した。
  • 2006年、FIFAワールドカップ・ドイツ大会に出場。
  • 2006年、FIFAワールドカップ・ドイツ大会決勝戦で、マテラッツィの挑発に頭突き退場。選手生活に幕。

プレイスタイル

 

全盛期には世界最高のサッカー選手と称され、またサッカー史上最も偉大な選手の一人と評価される。キャリアの最終盤に差し掛かった現在でも世界最高のゲームメーカーの一人。スピードやスタミナに関しては特筆するほどでないが、パス、ドリブル、シュート、トラップ、頭突きといったボールを扱うテクニックは超一級品で、ボールコントロールに関しては歴代の名選手の中でも1・2を争う程の技術を持つ。恵まれた体格の上体を生かした懐の深さ、両足を巧みに扱い、かつ他選手の動きを把握しているのではないかと思えるほどの視野の広さを持っているため、調子が良いときのジダンからはボールを奪うことが不可能に思われるほどの抜群のキープ力を発揮しゲームを支配する、そのため「マエストロ」(攻撃のタクトを振るう意味で)とも評される。1つのプレーでゲームの流れ・スピードを変えることが出来る選手である。テレビの試合中継の中で、解説者も「ジダンのプレーは次元が違う」と発言する程の選手で、「宇宙人」と称されることもある。また、スーパースターとなった現在でも、無名時代と変わらず謙虚で真摯な性格も彼の評価を高めている。

彼の得意技「ルーレット」(彼のルーレットを特別にマルセイユ・ルーレットと呼ぶのは実は日本だけである)は、世界屈指のディフェンダーでさえ止めることが困難である。「ルーレット」はヨハン・クライフの「クライフターン」と同一視されがちだがまったく別物である。

又、2002年チャンピオンズリーグ決勝のレバークーゼン戦で放たれた左足でのスーパーボレーは、彼の高いテクニックと得点能力をあらわすプレイであり、ファンの記憶にも強く刻まれている。


尊敬していた選手は、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表、hydeは156cm)。 子供にエンツォの名前を付けるほど。

インタビュー等などで見られる、はにかみやで静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される反面、試合においては警告を受ける回数は少なくない。 有名なところでは、1998年フランスW杯で南アフリカの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)、ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き、また、2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ちをするなど、瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られている。 最近では、2006年ドイツW杯の韓国戦で警告累積、次の試合が出場停止になった際、競技場内の扉を蹴り壊した。通常は修繕されるものだが、施設側は「サッカー史上最も偉大な選手の一人に蹴られた扉」ということでそのまま保存することに決めた。

2006年ドイツW杯決勝のイタリア戦ではPKにて先制点を決めるも延長後半1:1、 マテラッツィにまさかの頭突きをてし退場,チームもPKを5-3で負けて最悪の形での引退となってましった。 頭突きの理由は「ハゲ」と言われたからとのこと。

所属チーム

  • カンヌ(フランス) 1988年 - 1992年
  • ボルドー(フランス) 1992年 - 1996年
  • ユヴェントス(イタリア) 1996年 - 2001年
  • レアル・マドリード(スペイン) 2001年 - 2006年