(^_^) 沖縄に行ってきました (^_^)

1999年6月 長嶋洋一

1999年6月26日から6月28日まで、沖縄に行ってきました。最初の2日はお仕事 モードでしたが、せっかくの初の沖縄ということで、さらに1泊して定期観光バスに 乗ってきました。

「南部戦跡巡り」定期観光バス

2日間のセミナーが無事に終わり、その日の晩には国際通りに出かけて、お土産は だいたい仕入れて(発送手配)してしまいました。そこで、いくつかのバス会社の パンフレットを調べて、 琉球バスのAコース に行くことにしました。南国のビーチもいいけれど、ネーネーズ(後述)の島唄にもあった、 沖縄の人たちの「心」を知るには、やはり、このコースしかないだろう、と思った のですが、これはまさに正解でした。(^_^)

これ が、このAコースの定期バスで行った主なところです。 A,B,C.D.Eの記号は、以下のレポートに対応しています。 そして、今回のバスツアーの バスガイドさん です。若くて初々しい、いかにも沖縄美人で、いっぺんにファンに なってしまいました(*^_^*)。

A. 旧海軍司令部壕

国際通りの琉球バスのセンターを出て、ガイドさんのいろいろな沖縄の 話、沿線の史跡などの説明を受けながら、最初の訪問地は「 旧海軍司令部壕 」 でした。戦争経験の無い世代としては、この手の戦跡というのはあまり好き ではない(どうせ軍人と軍国主義を美化しているだけ)、という先入観が ありましたが、その壮烈な情景は圧倒的でした。あのような 長大な洞窟 を掘って掘って立て篭り、 琉球の民を思いやってこの場での玉砕に至った軍人たち、 壁に残る辞世の血文字、 「戦い」というのは敗者はこうなる、という事実でありながら 迫ってくるものでした。これ以上の説明は不要です。ぜひこの場を訪れて、 自分の皮膚にこの壕の内部と当時の情景を感じてみて下さい。

涼しくも重苦しい壕から出てみれば、外は蝉しぐれと夏の日差し。 こんな ふうに 、周囲の風景は明るく平和に復興した沖縄県なのでした。

B. 琉球ガラス村

この「南部戦跡巡り」観光バスは、重いテーマである戦跡(敗走と玉砕の 記録、生と死、人類の愚かさ、そして平和...)と、沖縄の新しい観光名所 とが交互に出てくる、というなかなか充実した構成となっています。 旧海軍司令部壕に続いて訪問したのは、「琉球ガラス村」という、 新しい一大観光地でした。昔の琉球ガラスはコーラ瓶を砕いて作って いたらしいのですが、今では こんな ふうに 、観光客の目の前でガラス工芸品の制作を実演しています。 そして奥には、 このような 売場があって、琉球ガラスだけでなく、ほとんど全ての種類の沖縄土産 を仕入れられるようになっています。(^_^;)

そして、バスガイドさんの「お奨め」に従って、「ひねりワイングラス」を ゲットしました。陳列棚に、たった1ペアだけ残っているのを見た瞬間、 「これだ」と思いました。ここに、あとで仕入れた泡盛をちらっと入れては 舐めたい、と思っています。(^_^)

C. ひめゆりの塔

そしていよいよ、沖縄南部戦跡の最大のスポット、「ひめゆりの塔」に 行くことになりました。どうも最初から、ここだけは苦手だなぁ、と 思っていました。そしてヤラレました(^_^;)。でも、ここに行けた事には とても感謝しています。 ちなみに、「ひめゆり」の由来は、 こう いうものなのでした。

バスガイドさんの車中の語りで、沖縄に降りかかった「鉄の嵐」の状況が、初めて 本当のリアリティで伝わって来ました。この手の、戦いの勝者とか敗者とか 誰に戦争責任があって、とかいうのとは別の、「人類の愚かさ」の史実はたくさん あります。広島と長崎の原爆、東京空襲、などはほぼ一瞬にやってきました。 しかし、ここ沖縄では、軍人だけでなく学生まで動員され、80日かかって 追いつめられ死んでいった、というところがより悲しいと思います。もちろん、 同様の事は日本軍も南京虐殺など、アジアのいたるところで行ってきたのです から、連合軍を糾弾できるものではありません。アウシュビッツにしろ、 南北朝鮮にしろ、ベルリンの壁にしろ、天安門にしろ、コソボにしろ、要するに 人類はいつになっても愚かなものである、という事実だけが厳然とあるだけです。

しかし、昼食の焼肉定食(なんで夏の沖縄の昼食で、クーラーも効いていない 食堂で焼肉なのかなぁ(^_^;))を先に速攻で終えて、観光コースとしては 組み入れられていない「 ひめゆり平和祈念資料館 」に別に料金を出して個人的に駆け込んだのは、まさに正解でした。 ここは、 こう いうような施設なのですが、今回はたまたま この ような 特別企画展もありました。これがまた、深いものでした。 けっこう展示室の前半は自分としては敢えて冷静に眺めているように 思いました。でも後半の、まったく自己の意志と無関係に歴史の悲劇に 追い込まれた少年少女たちの顔写真と、淡々と添えられる「***にて死亡」 というパネルの延々たる展示は、黙々と訴えかけてくるものでした。 こんな年端も行かない若者を、状況も知らないままで死なせると いう権利はどこにも存在しないのです。それが、選択とか検討の 余地がないまま必然であった当時の状況、そして残された者の記録が整然と 展示されている、という空間は、弁明も謝罪も悔恨も糾弾も悲嘆も祈念も、 そして理屈の入り込む余地のないものでした。

ツアーバスに乗り込む時から、汗を拭くために持参した白いタオルを 手にして入場したのですが、眼鏡を外して額の汗を拭うフリして、一緒に さりげなく止まらない涙を拭いて、足早にそれぞれの展示室を駆け抜ける、 ということになりました。別に隠すこともないですし、真剣にパネルを 読んでいる中学生・高校生もいたのですが、つい隠してしまいました。 このツアーでは時間がないので駆け抜けたのですが、次のチャンスには、 この「ひめゆり平和祈念資料館」に向けて、家族全員のツアーを組みたい と思います。 出口のカウンターのところで、 公式ガイドブック を買ったのですが、この受付のお姉さんには、しっかり泣き顔を 見られてしまいました(^_^;)。でも、恥ずかしいという気はしません でした。ここを直視できない人、観光気分で売店のショッピングだけ する人の方が恥ずかしいと思います。

D. 沖縄平和祈念堂

重い重い「ひめゆり」をあとにして(重いですが、決してイヤな気分 ではありません。貴重な体験の感動の余韻が重いだけです)、バスは さらに「沖縄平和祈念堂」に向かいました。本当は沖縄サミットに 来る各国首脳には「ひめゆり資料館」に行って欲しいのですが、 どうせ ここ あたりにしか、来ないんでしょうね(^_^;)。

80日にわたって沖縄を襲った「鉄の嵐」は、ここ摩文仁の丘に、 追いつめられた人々の最期をもって終了したのですが、今は このように 美しい静かな公園となっています。ここまで来ると、戦争の激烈さ 悲惨さ悲しさなどを通り越して、「やすらかにお眠り下さい。 過ちは繰り返しませんから」という、広島の祈りと同じ気持ち になってきました。ガイドさんから教わった、戦争にまつわる 色々な話と、そこから驚くべき力強さでこの平和と活気ある 今の沖縄を復興させてきた人々への賞賛というか、そういう 崇高な気分にさせてくれました。

平和祈念堂 隣の美術館 は、いずれもパンフレットの解説などを読むと、同じように純粋に この「平和祈念」に動かされた人たちによってできてきた事が よく伝わりました。経済的には一つの観光名所なわけですが、 その意義と意味は、現地で実際に体験しなければ判らない と思いました。

E. 玉泉洞王国村

そして、いよいよ南部巡りツアーの最後のメインイベント、 巨大な鍾乳洞「玉泉洞」を擁する「玉泉洞王国村」に やってきました。ここは戦後に発見・探検され、さらに観光資本 によって一大レジャーランドとして開発されたものですから、 「戦争」の影のない観光地でした。 これ がそのチケット、 これ がパンフレットにあった、鍾乳洞のマップです。そして、 これ がその入口の風景で、ここに行くと、いきなり琉球民族衣装の お姉さんたち に挟まれました(^_^;)。 この写真は入場者は有無を言わさず撮影され、帰りにバスのところに 行くと、まるで指名手配写真状態で張り出されていて、 買うも買わないも自由、といいながら、係員はこの写真から本人を 確実につかまえて「どうですか?」(^_^;)と聞きます。買わないと そのままこの写真が野ざらしになるわけで、ついつい買って しまうというシステムでした。

今回の沖縄は、静岡県浜松市から長野と神戸を経由してやって 来たのですが、住んでいる浜松のすぐ近くの奥浜名湖にも、 「竜ケ岩洞」(りゅうがしどう)という、新しく 発見・開発された鍾乳洞があります。これがけっこう凄い規模の 素晴らしいもの(圧巻は、突然に広がる洞内の大きな空間で、 上空からふりそそぐ巨大な滝!)なので、玉泉洞には、あまり 驚きませんでした。まぁ、「東洋一」というのはそこら中に ありますが、鍾乳洞に行ったことのない人であれば、けっこう 満足できる規模のものでした。台湾とか韓国とか、海外からの 観光客もかなりいました。

鍾乳洞の出口からエスカレーターで上がると、そこはバスの待つ 駐車場からいちばん遠い「王国」の奥のどんづまりで、そこからは 色々な展示と売店の中をどうしても通り抜けなければならない(^_^;)、 というシステムになっていました。 室内はクーラーで涼しく、一歩出ると夏の日差し、という繰り返し ですから、自律神経の弱い人にはけっこう過酷な環境です。そして 疲れた人のためのパーラーでは、美味しいジュースとかアイスが ある、という至れり尽くせり、の観光地です。途中には、 さとうきび から黒糖を作り、銘菓「ちんすこう」を作る工場が見れたり、 この ように 三線(さんしん)も展示即売していました。三線は以前から 欲しいな、と思っていたのですが、「さん・まん・えん」と いう事で断念しました(^_^;)。

がんばれ真紀さん(^o^)

定期観光バスはその後、サンゴ工場というお土産屋さんに 寄ったのですが、サンゴ土産は高くて誰も買い物しないので、 速攻で過ぎ去りました(^_^;)。そして、琉球バスのセンターに 帰るところで、バスガイドさんが語ったことは....。

このツアーのお客さんは、私を入れて5人だったのですが、 バスにはそれ以外に、なんと5人のうら若き女性たちも乗って いました。どうも、バスガイドさんの友達、というよりも、 琉球バスのガイドさんたち、つまり職場の先輩とか同僚の ように見えました。ぎごちないながらも一生懸命に、そして プロとはいえあれだけのガイドをよく覚えられるものだなぁ、と 感心する膨大な話を聞きながら、たぶん新人ガイドさんなの かなぁ、と思っていました。そしてツアー最後の挨拶のところで知った のですが、なんと、19歳の彼女は、この日のバスツアーが、ガイドと しての初日だったのです(^_^)。

それで、バスに乗っていた先輩・同僚が色々とフォローして いたのでした。一緒にアンチョコで勉強する人もいましたから、 同じ新人のガイドさんもいたのかもしれません。 これ がそのガイドさんのお名前で、たしか「慶田城真紀」さんだと思うのですが、 教えてもらった読み方を忘れてしまいました(^_^;)。 せっかくなので、お願いして こんな ふうに 記念写真も撮らせてもらいました。[ この写真だと緊張もあるためか、 本当はもっと素晴らしい可愛い人なのですが、うまく伝わっていません。 琉球バスで観光するなら、自信をもってお奨めですよ(^_^)]

覚えたて、詰め込みたてのガイドですから、お話はなかなか流れる ようにいきませんし、今のところは、話題も語り口も、教わった そのまま、というぎごちなさはありました。しかし、沖縄の話、戦争の話、 それらは素晴らしい内容に富んだもので、十分にこちらに伝わってきました。 もし、また沖縄に行くチャンスがあったら、また琉球バスに 乗りたい、そしてその時は真紀さんのガイドするバスを「指名」 して乗りたい、と思います(^_^)。今度は本当にプロとして成長して、 自分の言葉での観光ガイドができる真紀さんも見てみたいです。 頑張って下さい。そして、本当にありがとうございました(^_^)。

ネーネーズのライブ

実は、お仕事の初日が終わった晩に、宜野湾の「島唄」というライブハウスに バスで出かけました。念願の、ネーネーズのライブを堪能しました(^_^)。 ライブの第一部は、初めてのネーネーズを楽しむ、というだけだったのですが、 第二部では、なんと2曲、あまりに心に沁み入って、不覚ながら涙が止まらない、 という感動的な体験をしました。島唄のストレートな「心」、沖縄の人たちの 暖かさと厳しさと優しさに直撃されました。音楽が人の魂を揺さぶる、という 事実を久しぶりに実感しました。最高でした(^_^)。
Photo : 1 2 3 4 5 6 7


「沖縄行き」の歴史