クラシック音楽とコンピュータ音楽

1999年10月 長嶋洋一


1. はじめに

「音楽には色々なコンセプトとスタイルがある。音楽を創作する側にも、演奏
する側にも、聴取する側にも、それぞれの関わり方があり、その全てが音楽の
要素である」と、筆者は、初めて寄稿した神戸山手女子短期大学紀要[1]の冒頭
に記した。この論文中では、Computer Musicの自作18作品について紹介し、末尾
には「参考文献」として、筆者がそれまでに発表した33件の論文・発表を列記し
ているので、興味のある読者はまず、文献[1]を参照されたい。本稿ではこれら
をふまえ、さらにそれ以降に作曲・公演した新しい作品を含めて、「クラシック
音楽とコンピュータ音楽」というテーマでの検討と議論を試みた。

2. 神戸山手公開講座・コンサート

筆者は1996年より毎年、神戸山手女子短期大学音楽科公開講座として、ジーベック
ホール(ポートアイランド内)を舞台として、Computer Musicをテーマとした
レクチャー、ワークショップ、コンサートを担当してきた。最初は主に講演形式
のレクチャーで、あまりComputer Musicに馴染みのない山手学生に新しい世界を
紹介する、という程度であった。以下にそれぞれのタイトル(文献番号は、筆者
のWebに置いた関連資料のURL)を並べる。
  1996 「コンピュータ音楽とメディア・アートの現状と可能性」 [2]
  1997 「自然と人間とコンピュータ音楽」 [3]
  1998 「人間の感性とコンピュータ音楽」 [4]
1997年にはデモンストレーション公演や国際会議のビデオ紹介を交え、1998年には
筆者の呼びかけに応じた作曲家(中村文隆、吉田靖、岡本久、後藤英)とともに、
Computer Musicの新作初演コンサート(インターネットにより世界に同時中継)[5]
を行う、というまでの発展を遂げた。

また、1998年には、筆者の講義「コンピュータ音楽」を受講する二人の学生が、
情報処理学会主催の「コンピュータ音楽・日韓インターカレッジコンサート」に
それぞれ作家としてデビューを果たした。コンサート参加校は以下である。
  国立音楽大学・慶応義塾大学・早稲田大学・洗足学園大学・大阪芸術大学・
  京都芸術短期大学・神戸山手女子短期大学・韓国国立芸術院・ソウル大学・
  ジュンアン大学・IAMAS/国際情報科学芸術アカデミー
ちなみに1999年の同コンサートでは、神戸山手から2チームと一人が参加する予定
(本稿執筆時点:1999年10月現在)である。これらの活動から、いまや日本の
コンピュータ音楽の世界において、神戸山手女子短期大学音楽科の名は確固たる
存在感を持ちつつあることをここに報告しておきたい。

さて、今年のテーマを打診された1999初頭、これまで避けていた、「クラシック
音楽とコンピュータ音楽」というテーマに敢えて挑戦することにした。ここには、
伏線として、筆者がこれも数年にわたって毎年続けてきた、相愛大学・音楽研究所
での公開講座[6][7]が深く関係している。本稿ではこの詳細について述べる誌面は
ないが、中村文隆氏の論文[8]に関連した事項が紹介されているので、興味のある
読者は参照されたい。後述するように、1999年の神戸山手公開講座の企画は、この
年の相愛大学でのテーマとも深く関係することとなり、筆者にとって、あらためて
クラシック音楽を見つめ直すチャンスとなったのである。

1998年の公開講座を盛大な規模で(予算オーバー?)開催した反動か、1999年の
会場はジーベックでなく学内で、音楽科独自の企画としてかなり小規模に行う
ことになる、というのが企画のスタートであった。そのため、前年のように他の
作家を呼ぶことをせず、「クラシック」を念頭に置いた筆者のComputer Musicの
新作3作品のみを初演する、という基本路線となった。これまでに筆者の作品の
公演[9]でPerformerの実績のある、吉田幸代・寺田香奈・塩川麻依子の3名(神戸
山手音楽科卒業生)をそれぞれ想定した新作3作品の構想は、1999年初頭から少し
ずつ、ずっと暖めてきたのである(なお本稿の執筆時点では、この3作品はまだ
作曲途上にあるために、その具体的な内容紹介については別の機会に譲る)。

そして半年後、1999年からは音楽科独自のワークショップとして開催すること、
さらにジーベックホールの全面的協力を得られることとなり、ここに改めて、
再び友人の作曲家に声をかけることができた。前年にはフランスから参加して
くれた後藤英氏の代わりには、IAMASの重鎮・赤松正行氏が加わり、ここに再び
中村・吉田・岡本氏が新作をひっさげての参加となり、これまでで最大規模の
イベントと変貌したのである。ロビー展示には山手音楽科学生のDTM作品や山手
芸術科学生のCG作品、さらに他大学のインスタレーション作品の展示も企画
されており(本稿執筆時点)、関西におけるコンピュータ音楽やメディア・
アートの活動拠点としての意義が注目されていることも重要である。

3. 「クラシック音楽」とは?

神戸山手女子短期大学音楽科といえば、歴史と伝統のある、クラシック音楽の殿堂
である。6年目となる筆者の「コンピュータ音楽」、そして2年目を迎えた中村文隆氏
の「デスクトップミュージック(DTM)」の講義は、山手音楽科の中では非常に浮いた
存在なのは明白である。「クラシック音楽」と「コンピュータ音楽」とは、決して
対立したり区別されるものではない、というのが筆者の持論であるが、クラシック
とはポピュラー音楽や民族音楽などとは違う、といったレッテルの好きな人々に
とっては、コンピュータ音楽というだけでクラシック音楽の聖域を汚す存在、と
いうような第一印象が少なからずあるのも否定できない。

さて、それでは、「クラシック音楽」とは何なのだろう。一般的には、西洋音楽の
歴史の本流にある、ルネサンスかバロックあたりから古典派、ロマン派、印象派
あたりまでが最大公約数であろうか。あるいは、中世の音楽、また今世紀に入って
からの無調音楽、偶然性音楽、確率統計音楽、そしていわゆる実験音楽、前衛音楽、
現代音楽、さらに古典的ポップスのビートルズあたりまで広い意味でのクラシック
だ、という柔軟な人もいるかもしれない。実際、モーツァルトにしてもベートーベン
にしても、当時は前例のない驚愕的な「現代音楽」として登場していたのであり、
「クラシック音楽」というレッテルの曖昧さは考察するほどに深まるのである。

本稿では、筆者は音楽史的な、あるいは音楽美学的な考察をするつもりはない。
上記のように曖昧なまま、一般に言われるところの「クラシック音楽」と、それ
以外の音楽との関係について考察し、その延長としてのComputer Musicとの関係、
具体的には筆者の作曲における実例を紹介しながらの検討を試みることにする。
そこで、一般的な視点として冷静に考えてみると、いわゆるクラシック音楽の
特性として、(1)メロディー・リズム・ハーモニーの規範的構造、(2)楽器と演奏
の様式、(3)楽譜と予定調和、というものに思い至った。これで全てでもないし
いささか乱暴な議論であるのは承知の上で、筆者なりの「クラシック音楽」観を
整理し、さらにコンピュータ音楽と絡めて検討してみたいと思う。

3-1. メロディー、リズム、ハーモニー

まず、クラシック音楽ではメロディーはほぼ必須である。これはクラシックを
離れても、ポップスでも民謡でもロックでもジャズでもブルースでもメロディー
を欲しがる、という意味で、人間の音楽感性に特有のものかもしれない。現代音楽
の世界での「音色旋律」とか「クラスターによる主題」などというのは、この点
で邪道なのであろう。そして「アルゴリズム作曲」[9][10]という立場をとる筆者
の場合、多くの作品で固定的なメロディーを敢えて否定している(作品があまり
好かれない最大の理由であると自覚しているが、決して方針は変更しない)。

Computer Musicの研究者の世界では、いかに人間が作るような「良いメロディー」
をコンピュータに自動生成(作曲)させるか、というのは50年以上も続いている
研究テーマであるが、人工知能とか感性情報処理とか第五世代プロジェクトとか
のアプローチを退けて、いまだ成功例を見ない。いや、もしかすると、現代の
売れるポップスは、実は秘密のコンピュータソフトによって業界で自動生成されて
いるのかもしれないが、これはビジネスとして永遠の企業秘密であろう。

次に、リズム。これも人間の感性にとって根源的なものである。リズムが一定
のビートを刻むとき、人間はそこに「ノリ」を感じ、同じビートが次の瞬間にも
続くことを期待し、その通りに続くことで安心してビートに浸っていける。
これは現代のポップスでも、ロックンロールでも、そしてクラシックでも、
音楽の一つの定番スタイルとして定着している。また一方で、音楽演奏家や
指揮者の芸術性として、楽譜に表現しにくい「テンポの揺らぎ」「芸術的逸脱」
が喝采を浴びる。一定であること、そこから揺らぐこと、いずれも音楽である。

コンピュータにとっては、インテンポとはクウォーツ精度の正確なタイミング、
というディジタル動作の基本そのものであり、テクノやダンスミュージックは
この一つの極端として定着している。また一方で、Computer Musicの研究者の
世界では、この「冷たさ」を逆に避けることもいろいろと模索されている。
たとえば、人間の演奏家のテンポルバートやアーティキュレーションをモデル化
して模倣する(名ピアニストのアゴーギクを「学習」させたコンピュータに、
演奏記録のない別な作品を「演奏」させる、など)、という研究が続けられて
いるのである。そして筆者の場合、無謀にもいずれの方針も深入りすることなく、
なんとか自然なランダムはないものか、などとカオス等の世界を探索している
ところである。

そして、ハーモニー、つまり音楽における「調性」の構造である。筆者にはある
意味で、これがもっとも「クラシックらしさ」の指標であるように感じられる。
最近のポップスでは、かなりクラシック的な和声理論を逸脱したコード進行が
用いられている。しかし、かつてのフォークやロックやブルースやジャズ等と
同様に、解釈の拡張はあるものの、「一般に好まれる音楽」である限り、調性
という枠組みはトラウマのように逃れられないものであろう。これを否定したり
破壊すれば、それは音楽じゃない、と感覚的に忌避されてしまうという意味で、
クラシックを含めた「広義のpopularな(大衆に支持される)音楽」というため
の必要条件が、安心できる伝統的なハーモニーの体系なのである。筆者の場合も、
「根はプログレ」という素性から判るように、メロディーやリズムを否定する
ことはあっても、ハーモニーを否定することは皮膚感覚として無理がある。
ハーモニーが無い、と批判されることも多い筆者の作品の場合でも、根底には
逃れられない調的な呪縛が根強く支配している、と自覚しているのである。

それでは、お前は、メロディー・リズム・ハーモニーのある音楽は作曲できない
のか、と問われれば、そういう事ではない。請われれば作曲/編曲できている。
ただし、筆者がDTM(打ち込み音楽)をしないのと同様に、とりあえず、気持ち
としてソソられないので作曲しないのだ、というのが答えである。可能ではある
が、気乗りしないのである。最近の流行で言えば「君が代」を題材にする、という
のは面白いかもしれない。この題材に対して、アルゴリズム作曲の手法で、一般に
知られた編曲とはまったく異なるリズムやハーモニーで料理した新しい「君が代」
を数百曲ほども「自動作曲」して、MP3ファイルの形でWebに置いて無償公開する、
というのは、ちょっと危険だが面白い企画かもしれない。誰かやってみて欲しい。

3-2. 楽器と演奏の様式

クラシック音楽を他のジャンルの音楽と(優越感とともに)区別している特性
としては、使われる楽器と、その演奏様式というのも重要な視点かもしれない。
音楽科の学生が専攻しているのがピアノとかバイオリンとかフルート、といえば、
もうクラシックである。声楽であっても、本人がカラオケでポップスを歌う時には
地声でシャウトするのに、フランス語かイタリア語あたりでベルカント唱法とか
ドラマチックビブラートという日常と乖離した唱法となれば、もうクラシック
そのものである。

この意味で、主にいわゆる「西洋音楽」の世界では、人類の文化史から見れば
かなり短いものの、各種の楽器とその演奏スタイルを生み出し、改良し、伝統
として発展させてきた歴史の重みは重要である。弦楽器、管楽器、打楽器、など
のいろいろな発音機構を活用し、最終的には「空間に広がる音響」として音楽の
要素となる[ピッチ・音色・音量]を生成する、というのが楽器の使命である。
オルゴールやロールピアノ等の自動演奏装置であっても、音楽を聴取する人間は、
楽器が空間を鳴らすその場にいる、という意味では「演奏」に参加していた。
しかし、20世紀になって登場してきた「電気的・電子的サウンドの技術」に
よって、あらゆる楽器の個性が電気的信号により画一化され、全ての音はスピーカ
から出てくるだけになった。これは、アコースティック楽器によるあらゆる分野
の音楽愛好者がコンピュータ音楽に対して持っている最大の不満であるようにも
思われる。

また、民族音楽でもクラシック音楽でも、伝統的な音楽における楽器の演奏技法
は比較的、固定している。基本的には「美しい音を奏でる」「豊かな表現を実現
する」ことを目標に、いろいろな楽器演奏技法が開発されるとともに伝承され、
これは日本の音楽教育でも一つの主流である。わずかに、現代音楽の領域では、
従来なかった新規な演奏技法、特に「敢えてノイズを発生させる」と思えるよう
な各種の特殊な演奏法が作曲家によって指示されることが多い。そしてコンピュータ
音楽の世界では、作曲技法の一つとして、音響信号処理(signal processing)
による新しいサウンドの創造が重要な要素であり、この「ノイズ」が豊富な音響
素材として活用されている。そこで、コンピュータ音楽の演奏者は、現代的奏法
によって「ノイズを演奏して」というような過酷なリクエストを多く受ける
のである。

3-3. 楽譜と予定調和

使われる楽器、その演奏技法などともに、クラシック音楽の一般的な共通点と
しては、その「様式」も重要である。イントロに始まり、テーマ(メロディー)
があり、ブリッジ(サビ)に引き継がれて盛り上がる。たいていの場合、これは
繰り返しにより、初めて聴く人にも「反芻」という学習によって印象を焼き付け
ていく。ソナタ形式とか、ブルースやポップスのサビから入るパターンとか、
いろいろなバリエーションはあるものの、この種の「様式主義」というのは、
クラシック音楽やポピュラー音楽に共通の、「広く一般に受け入れられるため
のお約束」となっている。いわゆる「現代音楽」があまり好まれないのは、この
様式を敢えて否定して、「一寸先は闇」という構成となっているためである。

そして、この様式、あるいは部分や全体の構成として「予定調和」を実現する
ための媒体として、楽譜の存在が重要であろう。クラシック音楽では楽譜の
存在しない状態での作曲家と演奏家との交流は考えにくいであろうし、ジャズ
などの世界では一般的な「アドリブで適当にやってよ」という指示は、受け入れ
られにくい。筆者は何度も経験があるが、楽譜に「ここはアドリブで」と書くと、
「アドリブのフレーズを書いて下さい」と演奏者に依願されるのである。楽譜に
書かないことが即興の命である筈なのに、クラシック音楽の世界では即興できない
事は恥ではないらしいのである。即興というのは、その場の音楽にリアルタイム
に反応するための、聴取・分析・反応・創作などの音楽家としての力量が最大限
に発揮される世界である。その能力はありませんが、楽譜に書かれた演奏情報の
再現については、お師匠さんに学んだ通りに「機械のように」できます、という
クラシック演奏家というのは、果たして本当に幸福なのであろうか。

予定調和に対する否定、あるいは即興性の重視、聴衆も音楽演奏に参加する
という柔軟な発想、などは、コンピュータ音楽の世界では比較的実現が容易で
あるために、公演として頻繁に活用されている。しかし、これはクラシック音楽
の世界でも、ケージなどのチャンス・オペレーションとか、楽譜として指示
される ad lib. の表現、さらにミュージック・シアター形式の作品として、
コンピュータが登場する以前から、その歴史は十分に長いのである。ただ、
コンピュータの情報処理速度が人間の時間感覚よりも十分に速いために、
リアルタイムにその場の状況に応じて反応できるような音楽が容易に実現
できてきた、という事だと思う。

4. 作品での実例紹介と検討

以上のような簡単な考察を受けて、ここでは筆者の具体的な作品を例として、
その作曲や公演における「クラシック音楽的なアプローチ」を検証していきたい
と思う。ここでは全ての作品は「コンピュータ音楽」であるが、その中では
決してクラシック的なものを排除したり否定することは無い、という点を
お分かりいただけるものと思う。筆者はもともとクラシック好きであるし、
フォーク少年、ロック少年を経てバロックだブルースだジャズだR&Bだ、と
色々な音楽スタイルとともに生きてきたが、レッテルで好き嫌いした事は
一度もないのである。たまたまこのところ、音楽の道具なりパートナーとして、
コンピュータと付き合っている、というところなのかもしれない。なお、
ここではクラシック的なアプローチを図解しやすいように、演奏者がいて、
「楽譜」によりインターフェースした作品を中心に紹介してみたいと思う。

4-1. 「Virtual Reduction」
(作曲1995年、初演1995年10月8日『音・電子メディア』、東京・ドイツ文化
 センターホール、詩:千歳ゆう、Vocal:佐々木潤哉、指揮:長嶋洋一)

この作品は、素材に「声」を用いた初めての作品であり、背景音響パートは
オリジナルソフトを用いて信号処理した「声」をDATに固定して再生した。つまり、
音楽の進行としては全体の時間は固定されていて、「伴奏」はステージ上の
Vocalと指揮者が即興的に対話して「演奏」することに影響されない。クラシック
音楽での、背景パートとして電子音響の録音を再生しつつ生楽器を演奏する、と
いうタイプと同じである。この楽譜は、当時のコンピュータで印刷したものが
現在では再現できないために、スキャナで記録したものを[11]に置いている
ので、興味のある読者はインターネットから参照されたい。

4-2. 「Brikish Heart Rock」
(作曲1997年、初演1997年10月15日『神戸山手女子短期大学公開講演会・コン
 サート』、神戸・ジーベックホール、パフォーマンス:住本絵理、佐藤さゆり)
Fig.1
は、この作品のための楽譜の表紙であり、背景部分には、作曲されたこの
作品のMAXパッチをそのまま利用した。MAXとそのアルゴリズム作曲について
詳解する誌面はないので、興味のある読者は文献[10]を参照されたい。
Fig.2
は、楽譜の作品解説とシステム図のページであり、二人のパフォーマーのうち、
電子的システムとは完全に切り離されたフルートは、楽譜で指示されたアベイ
ラブルノートから完全に即興でソロするように指示された。オリジナルのタッチ
センサと筋電センサを「演奏」するPerformerも、基本的には即興のみである。

実際の楽譜の第1ページが
Fig.3
である。冒頭、フルート奏者は、楽譜に指定
されたスケールの音から即興的に自由に選んだピッチで、短い音の羅列として
約30秒間の演奏を行う。そして、これを受けてセンサ奏者が即興により、筆者の
制作した静電タッチセンサに触れる「演奏」を開始して、ロックのビートを
ベースとした音楽が流れ始める。ただしこのロックのビートは、乱数を加味した
アルゴリズムによって突然に変拍子のフェイクが挿入されるために、二人の
演奏者は常に流れる背景音楽に注意していなければならないようになっている。

また、
Fig.4
は楽譜の第5ページである。ここでは、フルート奏者に与えられた
アベイラブルノートだけでなく、具体的なフレーズ例として古典的なスタイル
の楽譜が添えられているが、これはあくまで即興のための参考である。また、
繰り返し記号の意味は古典的な楽典とは異なり、演奏者の即興によって、任意の
回数で任意のポイントに戻る(その調整は、ステージ上の視線の交換によって
行う)、というものとなっている。コンピュータ音楽では、このように「音楽
演奏の時間は演奏者によって任意に定められる」というものも少なくない。

4-3. 「The Day is Done」
(作曲1997年、初演1997年10月15日『神戸山手女子短期大学公開講演会・コン
 サート』、神戸・ジーベックホール、パフォーマンス:下川麗子、石田陽子)

この作品では、会場となったジーベックホールの空間音響システムを活用するために、
Fig.5
のようなステージ配置と
Fig.6
のようなシステム構成を用いた。
全体の時間を支配するCDパートは、あらかじめ録音したVocalの声と「詩」を
朗読する自動音声を素材として制作した上で、ステージではVocalの声はリアル
タイムにパラメータを変更するエフェクタに入り、もう一人のPerformerは
テーブルに並んだ6台のノートパソコンのスイッチを踊るようにクリックして、
テキスト読上げの自動音声をトリガした。
Fig.7
はその楽譜の一部であり、
二人のPerformerが対話的にやりとりする形式、次第に即興的な演奏に移行
する展開などが指示されている。つまりこの作品では、全体の時間的な枠組
はCDによって固定されているが、演奏そのものはかなり自由な構成を持って
いるのである。

4-4. 「Atom Hard Mothers」
(作曲1997年、初演1997年10月15日『神戸山手女子短期大学公開講演会・コン
 サート』、神戸・ジーベックホール、パフォーマンス:寺田香奈、吉田幸代)

この作品の背景音響パートの半分は、録音された鈴虫の鳴き声のみを素材と
して、CDに固定された。そしてあと半分は、乱数をベースとするアルゴリズム
作曲系の背景音響パートがライブで自動生成した。ここに、オリジナル楽器
「光の弦」とMIBURIセンサの二人のPerformerが対話的に即興し、センサ情報
は背景ライブ映像のスイッチングも制御するために、システムは
Fig.8
のように構成した。また
Fig.9
Fig.10
は楽譜の一部であり、二人のPerformerが
よく聞きあい、自由に対話的即興演奏を行うように構成されている。

4-5. 「Visional Legend」
(作曲1998年、初演1998年9月19日『国際コンピュータ音楽フェスティバル』、
 神戸・ジーベックホール、笙:東野珠実)

雅楽の楽器「笙」をフューチャリングしたライブComputer Music作品である。
Fig.11
はこの作品の楽譜の表紙であり、ここでの背景にはKymaシステムで
筆者が作曲に用いたパッチをそのまま使用している。Kymaによる楽音合成や
音響信号処理について詳解する誌面はないので、興味のある読者は文献[12]を
参照されたい。
Fig.12
のシステム図のように、笙の音響がKymaによってライブ
信号処理されるだけでなく、筆者の制作した「笙ブレスセンサ」によって、
演奏におけるPerformerの息づかいそのものが、映像をライブ制御するなど
公演そのものを駆動するために利用されている。このセンサは世界にただ一つ
のオリジナルであり、表現可能性を拡大する楽器としてのセンサを生み出すこと
自体が、Computer Musicにおける作曲活動の重要な一要素となっている[13]。

Fig.13
Fig.14
はこの作品の楽譜の一部であるが、ここでは古典的な楽譜が
横構成で時間的に左から右に流れるのに対して、上から下に流れるように
なっている。これは演奏者にとっては戸惑いもあるようだが、楽譜に記述
されたメッセージが横書きであり、左半分のCD背景音響パートと右半分の
演奏者パートとを効率良く対峙させるためには、この構成が便利である、
という理由で採用した。また、Fig.14の中では、笙の持つ個々の竹のピッチ
から構成した、アベイラブルノートの指定による即興の指示があるが、これは
Fig.3/Fig.4でフルート奏者に指示したものと概念的には同じである。

4-6. 「Arrow of Time」
(作曲1999年、初演1999年3月20日『相愛大学公開講座・コンサート』[14]、
 大阪・相愛大学ホール、フルート:太田里子)

文献[8]で紹介された、相愛大学を舞台として作曲した一連の作品をさらに
発展させる、というテーマに挑戦したものである。音響素材として、作品
"EPSIA"のために録音されたフルート演奏の音響を再びそのまま使用して、
「まったく同一の素材から2年後にどう料理するか」という課題を自分に
科したわけである。この作品では、同じ素材に対してKymaを新たに利用して
音響信号処理を行い、背景音響パートとしてCDに固定した。そして、
Fig.15
が、たった1枚きりのこの作品の楽譜であり、日頃は古楽を中心にクラシック
しか触れていない演奏者をおおいに戸惑わせたのである。演奏者が実際に
行った「練習」とは、事前に届いた背景音響CDをよく聞いて慣れること、
そして全てアドリブとして任されているフレーズをいくつも試作しては
自分の楽譜として書き付け、その中からステージで選んで演奏する、と
いうものとなった。このスタイルは筆者の望むものではないが、クラシック
の人にとって、最善の対応であるようにも思えた。

4-7. 「Voices of Time」
(作曲1999年、初演1999年3月20日『相愛大学公開講座・コンサート』[14]、
 大阪・相愛大学ホール、フルート:太田里子)

この作品では上記と対照的に、
Fig.16
というたった2ページの楽譜
では、まったくクラシック的に「普通の」表現しか用いていない。この楽譜
を読む限りでは、メロディーもあり、リズムもあり、ハーモニー(調的構造)
もある、ごく普通のクラシック音楽のようである。しかしこの作品では、
同じステージ上でコンピュータ操作している筆者が、マウス操作で演奏
されるフレーズの一部をその場でライブサンプリングし、これをKymaと
MAXを用いたアルゴリズムによってライブ音響信号処理して変容・拡張・多重化
された音響がフルート音響に加わることで、新しいメロディー、新しいリズム、
新しいハーモニーを「その場限り」のものとして刻々と生成するのである。

この作品には、CDで固定される時間もなく、演奏時間は演奏者とコンピュータ
操作の筆者の合図でどうにでも進行する。全てのサウンドはフルートと
コンピュータシステムによってその場で生成される、本当のライブである。
楽譜から読み取れるのは、あくまでその一部となる素材だけであり、作品と
して空間に実現する音響は、そのライブの場にいた者だけが体験できる、
という意味では、楽譜の外見とはうらはらに、筆者にとってはもっとも
チャレンジングでありスリリングな作品であった。ただし、客席での印象
や感想が必ずしもその意図を反映したものであるかどうか、というのは別の
問題であり、残念ながらこの作品では完全に満足できたわけではない。

5. おわりに

最初から判っていたことであるが、筆者なりの結論を述べる。コンピュータ音楽
といっても、その compose や realize においては、クラシック音楽と同じような
発想と技法が駆使されているのであり、たまたま音響として聴取するサウンドに
若干の違いはあるものの、音楽の本質としては共通していることが多い、という
のが結論である。もとより、たまたま道具としてコンピュータを使っているだけ
で、クラシック音楽を否定とか対立の対象として捉えていない筆者にとって、
別にクラシック的なアプローチとなっても構わないわけで、コンピュータ音楽と
いうだけで忌避されるのが理解できないのである。

コンピュータという「道具」が、アルゴリズム作曲とか楽音合成/音響信号処理
という新しい概念を音楽の世界にもたらしていること、そしてクラシック音楽の
世界で過去の常識を破壊して音楽の可能性を拡大していることは事実である。
しかし、もともとクラシック音楽も過去の否定や様式の破壊、そして実験と冒険の
繰り返しで歴史を築いてきた筈である。新しい道具、可能性を拡大するパートナー
として、柔軟な発想でコンピュータと付き合ってみる、というのもいいもので
ある。これを機に、コンピュータ音楽というものをより知っていただければ
幸いである。

6. 参考文献

[1] 長嶋洋一「インタラクティブ・アートにおけるアルゴリズム作曲と
    即興演奏について」、神戸山手女子短期大学紀要第41号、1998年

[2] 中村文隆「サンプリングによる変奏曲:」、
    神戸山手女子短期大学紀要第40号、1997年

[3] 長嶋洋一「コンピュータサウンドの世界」、CQ出版、1999年

[4] 長嶋洋一「アルゴリズム作曲」、
    長嶋・橋本・平賀・平田編「コンピュータと音楽の世界」、
    共立出版、1998年

[5] 長嶋洋一「楽音合成アルゴリズム」、
    長嶋・橋本・平賀・平田編「コンピュータと音楽の世界」、
    共立出版、1998年