PGS (Polyagogic Graphic Synthesizer) の検討

長嶋洋一 (SUAC/ASL)

概要

楽譜の概念を拡張した「グラフィック情報による音楽演奏情報生成システム」について、新しいアイデアを提案し、Polyagogic Graphic Synthesizer の実現を目指している。本稿では、2004年夏の短期サバティカルの中で調査したクセナキスのUPICシステムと、最近のSTOCHOSとIanniXなどについて考察・検討した。

1. はじめに

2004年夏に、SUAC短期サバティカルとして渡欧し、パリを中心に2ヶ月ほど欧州に滞在した[1]。この中で、CCMIX、STEIM、La Kitchenで幾つかのシステムについて調査研究・議論検討し、新しいComputer Musicのシステム(統合環境)のアイデアが出現した。本稿はその第1弾として、楽譜の概念を拡張した「グラフィック情報による音楽演奏情報生成システム」について、新しいアイデアを提案し、Polyagogic Graphic Synthesizer というシステムの構想について紹介する。

2. UPIC

パリのCCMIX(Center for the Composition of Music Iannis Xenakis)[2] では、動態保存されているUPICシステムを実際に操作して調査・研究する機会を得た。図1はそのスタジオに掲げられた多数のクセナキス自筆楽譜の一例であり、「音楽情報をvisualに表現して実現する」という発想のスタートラインとして重要である。

図1 クセナキス自筆の楽譜の一部

CCMIXのこのUPICシステムは、1990年代にAT互換機ベースのプラットフォームに専用のDSPボードを多数搭載したversionのリアルタイムシステムとして開発され、ソフトウェアはWindows95上に実装された。ところで、UPICとはそもそも、Unite Polyagogique Informatique du CEMAMu(仏語)という意味であり、英語では Polyagogic Computer Unit of the CEMAMu となる。またCEMAMuとは、Centre d'Etudes de Mathematique et Automatique Musicales(仏語)という意味であり、英語では Centre for the Study of Mathematics and Automation in Music となる。図2はその画面の一例である。

図2 "UPIC"の画面の一例

2-1. UPICシステムの問題点と課題

筆者は統合的なコンピュータ音楽の創作・演奏環境として、PEGASUS (Performing Environment of Granulation, Automata, Succession, and Unified-Synchronism) project と名付けた実験的なシステムの研究を行ってきた[3]。CCMIXのUPICシステムを数日間にわたり調査した結果として得た印象は、UPIC/クセナキスの発想の根本は "Polyagogic" という事であり、これはPEGASUS projectのコンセプトにも通じるものとして自然に共感できるものであった。そしてこの発想を基礎として、筆者はUPICの概念をさらに新しく展開するために、以下のように問題点を整理し検討を行った。なお、既存のシステムを越えて新しいものを志向するため敢えて批判的な視点となっているが、先人の達成した偉業そのものについては十分に評価・賞讃していることを付記しておく。

2-1-1. ハードウェア的な問題点

このUPICシステムはWindowsシステムのPCの拡張システムとして専用のDSPハードウェアを持っている(図3)が、そのための制約として「ページあたり同時発音数は64ボイス」「ページあたり最大4096Arcまで」「出力はステレオ(2ch)まで」「サンプリング波形/周波数の制限」「発音開始/終了時のプチノイズ」「アナログ部分のバックグラウンド(ヒス)ノイズ」「連続使用における発熱による不調」などがあった。

図3 "UPIC"のハードウェア部分

2-1-2. WindowsベースのGUIの問題点

UPICというよりもWindows95に固有のGUIの使い難さが最大限に目立った。具体的には、複数のウインドウの移動やリサイズの際の振る舞い、致命的な「Undoが無い」という操作上の仕様、マウスやタブレットに対する精度と速度のレスポンスの悪さ、等が作業性を著しく低下させていた。

2-1-3. サンプリング波形機能の問題点

「サンプリングのレベル設定」「サンプリングの十分なメモリサイズ」「フェードイン/フェードアウトによるプチノイズ抑止」「クロスフェードによる連続ループ再生」機能が無かった。これはSGI Indyなどでは1990年代初頭から出来ていたことであるが、このUPICシステムでは実装されていないために、試しに簡単な作曲を試みても現実的には「使えない」ものだった。

2-1-4. 基本的な機能(仕様)の限界

UPICシステムを「グラフィックなnotationによる音楽生成システム」と捉えた場合に、「ステレオなのにpanpot機能ナシ」「エフェクト無し」などの制限から、単体でライブ音楽音響生成に使えるものではなく、あくまで他手法の作曲のための音響素材を制作するツールであった。また、「個別のArcを後で編集/訂正できない」という仕様が最大の欠点であり、頻繁にリネームしパッチを保存、という古典的/愚直な対応が必要であった。

2-2. UPICシステムの発想の拡張について

以上のようなUPICの問題点と課題の検討は、基本的なUPICの "Graphic Notation / Polyagogic" というコンセプトを継承しながら、新しい音楽情報生成環境の実現に向けた多くのアイデアを触発した。以下は、筆者が今後の研究で追求してみたい、とアトランダムにメモした項目の一例の紹介である。筆者は当面、Max/MSP/Jitter環境およびMacOSX環境で開発する計画であり、Windows環境またはLinux環境で開発する方の「共同研究」についてのコンタクトを歓迎している。
UPICの個々の音楽的「塊」であるArcについては、現在では一般的な「レイヤー」の構造に階層的に多重記述することは必須であろう。また、最終的にはビットマップデータとして確定するが、編集(作曲)段階ではベクトルデータとして処理できる、という機能も欲しい。

UPICのスクリーンに描画されたグラフィクスは、画面内の垂直線(カーソル)が左右方向に移動してスキャンされ、カーソルとの交点のサウンドを多重生成する。このカーソルは単一方向とか一定速度とかでなく、別途に定義したテーブルにより左右の移動を速度を含めて制御できる。しかしこの発想をより柔軟にすれば、カーソルが垂直だけでなく角度を持った場合には一種のエコー(時間差)効果が発生し、さらにこの角度の変化(一種の回転運動)は新しい音楽構造の可能性を持つ。カーソルを任意に移動できれば、センサ等によるそのライブ制御という展開も期待される。

UPICのArcは太さを持たない「線」という概念である。ここに、Arcの「太さ」、さらに発展させれば「面積を持つ図形」という発想の拡張の可能性がある。技術的にはUPICそのままでは同時発音数が異常に増大して不可能に近いが、ここにGranular Synthesisの発想を導入すると、現実的な「面Arc版・UPIC」の可能性が浮上しそうである。筆者はこれを "GrainUPIC" と命名した。

UPICがグラフィック情報から音楽を生成するシステムであるため、少しでもUPICの描画を体験してみれば、グラフィクス美学の一領域である「フラクタル図形」を描きたくなる。フラクタルと音楽について網羅的にまとめた文献と知られるCharles Maddenの書籍 "Fractals in Music"[5] でも、黄金比から生成されるフラクタル図形やマンデルブロー集合・ジュリア集合などが豊富に紹介され、ここに音楽情報を種々の方法でマッピングしている。筆者の簡単な考察によれば、UPICに フラクタル性を盛り込むことは、グラフィック情報の再帰的な構造化を盛り込んだ "GrainUPIC" の一つの拡張機能として可能であると考える。

UPICのステージは長方形であり、グラフィックから音響生成に対応させるカーソルは、水平方向に並行移動する直線である。UPICではテーブルによりこのカーソルを往復運動させる機能を持つが、音楽は本質的に「繰返し」を持つことから、カーソルを中心の周りに円運動させて、ちょうどレーダーの画面のように回転スキャンする、さらにステージの形状も「円」とする、という発展型も考えられる。これは前述のカーソルの自由運動とは発想が異なり、一定周期で繰返す音楽構造と自然に対応したものである。

ここまで述べたUPICのグラフィクスの発展は全て、2次元の領域に閉じていたが、グラフィクスは3次元に容易に拡張されよう。コンピュータのスクリーンとしてはあくまで2次元のViewとなるが、立体視を実現するVR環境と統合したグラフィクスも可能である。この場合、音楽心理学の領域で有名な「音階の螺旋構造」に相当するような、ピッチ方向でオクターブ周期の繰返しを持つ構造を3次元空間の筒状物体として表現し、3次元空間内でのカーソル直線、あるいは1次元から2次元へと拡張されたカーソル平面がこの3次元空間内で自由移動/規則的移動して個々のArc図形と持つ交点に対応した音響生成を行う、という自然な発展型が期待される。音響素材のためのスタジオでの作曲だけでなく、ライブパフォーマンスにおいて音楽と同時に聴衆に提示するライブグラフィクスとしての可能性も大いに期待されよう。

3. STOCHOS

CCMIXでは、クセナキスのもう一つの業績である「確率統計音楽」のコンセプトを具体化した、新しい作曲ソフトウェアSTOCHOS[4]についても実際に触れて詳細に研究する機会を得た。STOCHOSはSinan BokesoyがGerard Pope氏の協力のもと、Max/MSP環境において構築したアルゴリズム作曲環境ソフトウェアであり、ICMCやNIME等でその機能が発表・紹介されている(図4)。

図4 "STOCHOS"の画面の一例

STOCHOSは図5のような基本的構造を持ち、自動作曲アルゴリズムに関する非常に多くのパラメータを持ち、これまでのComputer Musicの歴史において実験・提案されてきた、確率・統計音楽のモデルをほぼ網羅的にカバーしている。またMSPの環境によって、サンプリングしたサウンドを音素材として利用でき、これをGrainとして多種のGranular Synthesisサウンドも生成できる。生成するサウンドをそのままサウンドファイルとして記録する機能を持ち、音響素材としてのサウンド生成システムとしても有効である。

図5 "STOCHOS"の基本的な構造

STOCHOSには確率密度関数として「指数関数」「線形関数」「一様乱数」「ガウス関数」「コーシー関数」「Weibull関数」「ロジスティック関数」「定数」の8種の関数が選択できるようになっており、パッチマトリクスで容易に置換して聞き比べることができる。これらの関数のそれぞれは、「onset time interval for the next event」「duration of event」と5つのジェネレータの「start offset」「velocity」のパラメータ、計11種の情報に任意に割り当てできる。5つのジェネレータの出力および2つの定数の計7種類のソースに対して、さらに別のパッチマトリクスによって、「Position/PWM」「Waveform」「Wave Pitch」「Cutoff Frequency」「Filter Q」「Wave Amplitude」「Panning」「RM/FM」「Comb Delay」「Wave Shape」「FM Ratio」という11種類のパラメータを割り当てることで最終的な音楽音響を生成する。このような網羅的なパラメータマッピングは、Polyagogic Graphic Synthesizerの音響生成部分にも活用できるアイデアであると考えられる。また、Notationレベルのフラクタル性を音響合成レベルのフラクタル性にシームレスに結合させる、というアイデアも、"GrainUPIC"の発想の延長として検討したいと考えている。

4. LiSa

アムステルダムのSTEIM[6]では、システム"LiSa"[7]を調査した。LiSaとは「ライブサンプリング」から来た命名であり、一言で言えば、「非常に効率良くMIDIベースのコントロール対応Grooveマシンとして活用できる」システムである。音響合成アルゴリズム自体にそれほど際立った新規性は無いが、外部からサンプリングしてループプレイやワンショットプレイのために加工・配置する機能、各種のコントロールやトリガ入力に対するマッピング、レイヤー分割整理などに優れている。図6はLiSaの画面の一例である。

図6 "LiSa"の画面の一例

LiSaで作れるサウンドは基本的にサンプリング元の音響に依存するが、豊富な編集機能によりレイヤー分割し、さらにマルチサンプリングのような個別ピッチ指定とDJ的なルーブ指定により、元音響を越えた豊富な音楽を生成できる点は大いに学ぶところがある。本稿でテーマとしているPolyagogic Graphic Synthesizerの視点からは、2次元に特化したLiSaのGUIからはあまり得るものはないが、多数のArcと多数の音響生成パラメータのダイナミックなマッピングのための構成、という部分を研究する必要があると思われる。

5. IanniX

La Kitchen[8]はパリにある独立系のスタジオ/ラボであり、国立音響音楽研究所IRCAM[9]とは多くの研究者・音楽家が重複して所属・活動し、実質的な協力体制にある。筆者はセンサなどHCI関係の情報交換やディスカッションと並んで、10月に公開された(訪問時はまだ未公開)新しい作曲システム"IanniX"[10]の詳細な調査を行った。図7はLinux上で開発中のIanniXのスクリーンショットの一例である。

図7 "IanniX"の画面の一例

IanniXはその名前の通り、クセナキスを偲んで計画されたソフトウェアであり、La Kitchenのスタジオには、IanniXを開発中のマシンのすぐ隣に、クセナキスのオリジナルの図形楽譜が置かれていた。IanniXのお披露目のコンサートでは、かつてこの図形楽譜を用いてオーケストラで演奏したその作品を、グラフィクスとしてIanniXに読み込ませて音響生成演奏するという構想らしい。

メディアアートを紹介するサイトNEURAL.IT [11]によるIanniXの概要を以下に紹介しておく。「2001年に20世紀の重要な音楽家の一人であるIannis Xenakisが亡くなりました。彼の作品は最近になって評価され始めています。彼は魅惑的な数学を適用した作曲を1950年代以降に実験しました。それは統計・微積分学(平面上のポイント、マルコフ連鎖、ゲーム理論、グループ理論、ブール代数の分配)の使用などです。フランス文化大臣に支援されたパリの芸術家グループの一つLa Kitchenでは、クセナキスの作品からスタートしたマルチプラットフォーム・ソフトウェアIanniXを開発しています。これは視覚と聴覚の両方を経験することを直感的に可能とするものです。現在のIanniX0.54はまだバージョン1.0に達していませんが、最終リリースのために計画されたほとんどの機能を既に含んでいます。ソースコードも無償公開(GNU)されます。ドキュメンテーションはまだ多少欠けていますが、プログラムはLinux、Mac(OS9およびOSX)およびWindowsに利用可能で、自由にダウンロードすることができます。」

IanniXは、概念的にはUPICの発想を基礎として3次元マルチメディア版に拡張したものとなっているが、音源部分は実装せず、音源についてはOSC[12]を経由してPureData[13]やMax/MSPと連携する。筆者の印象では、Open-GLベースの3次元グラフィクス機能を活用して、画面内に複数のカーソル(任意角度の直線、あるいは円周上の等速回転)を同時に稼動させるという発想は評価するが、まだまだPolyagogic Graphic Synthesizerの インターフェースには発展の余地があると思う。イベントとして扱う個別の要素(Arcに相当)についても検討の余地があると考えている。

6. おわりに

本稿では、Polyagogic Graphic Synthesizer という新しいシステムの構想について、第1報としてUPICに関連した各種システムの調査検討について報告した。今後、具体的なシステムの構想・実験・試作開発・応用へと進めていきたい。

参考文献のリンク

[1]http://nagasm.org/Sabbatical2004/
[2]http://www.ccmix.com/
[3]http://nagasm.org/ASL/
[4]http://jim2003.agglo-montbeliard.fr/articles/papestochos.pdf
[5]http://members.aol.com/chasmadden/myhomepageindex.html
[6] http://www.steim.org/steim/
[7] http://www.steim.org/steim/lisa.html
[8] http://www.la-kitchen.fr/
[9] http://www.ircam.fr/index-e.html
[10] http://www.la-kitchen.fr/iannix/iannix.html
[11] http://www.neural.it/nnews/iannixe.htm
[12] http://www.cnmat.berkeley.edu/OSC/
[13] http://www-crca.ucsd.edu/~msp/