我が青春の京都

2011年5月 長嶋洋一


2011年5月13日、情報処理学会・音楽情報科学研究会の発表のために京都に行きました。 ところが事前に調べてみると、翌々日の5/15(日)に「葵祭」があると判明(^_^)。 「葵祭」観覧指定席をネットで購入し、自腹で京都2泊を追加して、春の京都を堪能しました。 4年間も京都に下宿して暮らしていたのに、葵祭も時代祭も一度も行ったことがなく、 祇園祭や大文字山焼きも2回程度の遠い記憶。 大学にはほとんど行かず、ひたすら音楽していました。

過去を振り返らない主義なので、大学時代の同窓会にはこれまで一度も行ったことが無く、 非常勤講師として浜松から毎週、京都芸術短大に通った数年間(1993-1999)など、仕事で京都には数限りなく行くのに、 これまでは「お仕事モード」「観光客モード」で、学生時代のエリアに近付くこともありませんでした。 水戸一高を卒業して京都に行ったのが1977年の春、卒業は1981年3月だったので、 ちょうど30年ぶり(住んでいたのは34年前から30年前まで)です。

4月上旬の入学式までに7つのサークルに入っていました。京大軽音は1回生の夏から3回生の冬までのブランクがあり、フォークサークル"Zet's"は我々新入生を歓迎するコンサートにいきなり出演して4ヶ月で「やり尽くして」退部、バロックサークル「いびつな真珠」は数回だけで退部、現代数学研究会は2回程度で退散、11月祭(京大の学園祭)実行委員会は2ヶ月程度で脱退、生協組織部は1ヶ月ほどで退散したので、4年間ずっと続けたのは京大合唱団だけでした。楽譜の読み方から覚えて1回生の夏から始めた合唱曲の作曲は在学中に約100曲、2回生の夏には作品が入選して初めての海外旅行(ホームステイ)をゲットしてました。

今年は、10月に京大合唱団の同期同窓会が初めて企画されていることもあり、同窓生3人と再会するプチ同窓会の予定も立てて、 初めて「学生時代を思い出すモード」での京都となりました。 台風一過で天気も最高、快適な京都を散歩しました。 30年ぶりなので、たまにはこういうのもいいでしょう。 当事者だけが激しく懐かしいだけの写真ですのでご容赦ください。(^_^;)
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5/13 京都駅 → 国際会館駅

写真は新幹線京都駅からスタートです。 駅前のホテルに荷物を預けて、地下鉄で国際会館駅に向かいました。 音楽情報科学研究会の会場は京都産業大学。 駅のバス停には長蛇の列ですぐにはバスに乗れませんでした。 さすがのマンモス校です。

情報処理学会・音楽情報科学研究会 (京都産業大学)

今年から情報処理学会・音楽情報科学研究会の主査となった、京都産業大学の平井先生のところでの研究会です。 京産大は、下の息子が2年間だけ行っていた(3回生時に金沢に転入学)ので、一度行ったことがありました。

四条烏丸 → 四条河原町

研究会が終わったところで速攻で地下鉄に戻り、四条烏丸で地上に出ました。 ここからプチ同窓会の待ち合わせ場所の四条河原町まで、懐かしい四条通りを散歩しました。 街のカンジは、いろいろ変わっているものの、まぁ変わらないと言えば変わらない京都でした。 ただし四条河原町にあった阪急百貨店がマルイになってました(^_^;)。

プチ同窓会 (鴨川べりのレストラン)

四条から下がったところの木屋町にある洒落たレストランでの夕食です。 このお店は2-3年前までは会員制(一見さんお断り)だったので、 リーマンショックのお陰でこのような素敵な夕食が楽しめました。 ホテルに帰る京都駅の地下通路には「葵祭」のポスターがありました。

5/14 京都駅 → 梅小路公園

まったく予定のない2日目の朝となりました。 天気は快晴、あまりに天気がいいので、思いつくまま京都を散歩しようとホテルを出て、 フト、梅小路の蒸気機関車館まではバスなどでなく歩いていける、と気付き、てくてく歩きました。

梅小路 蒸気機関車館

久しぶりの梅小路蒸気機関車館です。 かつて小-中-高と「乗り鉄」「撮り鉄」だった僕は、大学に入学したその4月中旬にも、さっそくここに来たのでした。 当時はいちいち街の写真屋さんで現像プリントするので、もの凄いお金がかかった記憶があります。 デジカメなら好きなだけ写真が撮れる・・・という至福の時間を過ごしました。

東山近衛

梅小路から京都駅にバスで戻り、次にはいつもの鞍馬山に行こうと、とりあえず叡電方面に行くために、206番のバスに乗りました。 そして東大路を走っているうちに、フト、30年ぶりに、我が青春の合唱団Boxを覗いてみたくなり、東山近衛で降りました。 そこにはなんと、昔と同じ、あのボロ建物がそのまま残っていました。 オケBoxと吉田寮は火事で消えたと伝え聞いたことがありましたが、まさかこの学生集会所がそのままとは驚きました。

京大合唱団Box

ちょうどBoxでは「男声リーダー会議」(男声指揮者とTop/Second/Bariton/Bassのパトリで、新曲の音とりとか練習の準備を行うこと)を していました。ナツカシス(^_^)。 混声・女声・男声の3形態で80年の歴史を持つこの合唱団の、僕は50回定演奏会の男声指揮者でした。 ドアを開けて入り、「OBですが、ちょっと覗かせて下さい」と断って、リーダー会議の模様と、 30年たってもまったく変わっていないBoxの写真を撮りました。 練習場はこの2階ですが、ダンス部も練習する振動で天井の塗装はパラパラと落ち続け、ほとんど天井の塗装が無くなっていました。

東山近衛 → 叡電元田中

Boxから出ると、そのまま東大路通を、かつての下宿のあたりまで、まっすぐ北上しよう(東山近衛→東一条→百万遍→飛鳥井町→叡電元田中)、という気分になっていました。 かつて32-33年前は毎週のように、練習後にこのBoxで朝まで麻雀して、 当時まだ走っていた市電(路面電車)の初電が走る音で朝になったことを知り、 バス停に通学児童とかがいる横を、夕方まで下宿で寝るために帰った道のりです(^_^;)。 沿道はほとんど全てのお店が様変わりしていましたが、残っていた古本屋で古本を仕入れ、 ずっとお世話になった「友楽菜館」を覗いたら変わらないおばちゃんがいて、夕方からの営業だと確認しました。 左京消防署の向かいを入ったところのアパート(四畳半。共同便所・共同洗面所・共同洗濯機。炊事場ナシ、風呂は銭湯)は、 なんとも豪華なマンションに変貌していました。

叡電

そして元田中の駅から叡電に乗りました。 その時点ではまた鞍馬山に行って、貴船まで下りてくるつもりでしたが、フト、八瀬遊園から比叡山頂に行こう、と気が変わり、 宝ケ池で降りて、乗り換えして八瀬に行きました。 かつては「八瀬遊園」と言っていたのですが、なんと比叡山頂の遊園地は潰れて(^_^;)、ガーデンミュージアムとかになっていました。

八瀬駅 → 比叡駅 (ケーブルカー)

叡電の八瀬駅から比叡駅までのケーブルカーです。

比叡駅 → 比叡山頂駅 (ロープウェイ)

比叡駅から比叡山頂までのロープウェイです。 この山頂からさらにバスで比叡山延暦寺にも行けるのですが、今回はこの山頂でのんびり、と決めてました。

ガーデンミュージアム比叡

かつて「比叡山頂遊園地」だったところは、モネだのゴッホだのの絵の立っている、なんだか意味不明のミュージアムでした。 かつてお化け屋敷だった展望台の建物はそのまま流用している模様でした。 あちこち園内を歩くこともなく、カフェでまったりして、足湯に入って、ただ、のんびりしました。

帰途・八瀬へ

宝ケ池 → 京都駅 → 元田中 → 京都駅

まだ「友楽菜館」の開店までには時間があるのでいったんホテルに戻って、その後あらためて206のバスで、 学生時代の栄養を支えてくれた「友楽菜館」に行って夕食をとりました。 再び京都駅に戻るバスの中で気付いたのですが、かつての「東一条」というバス停は「京大正門前」という名前に変わっていました。 観光客に媚びるとは京大らしくない。その後、ネットで発見したお店に行き数時間カラオケ(^_^;)。

5/15 葵祭

いよいよ3日目、葵祭の当日となりました。抜けるような好天に強い日差しで日焼けしました。 去年、初めて見た時代祭の観覧席はガラガラでしたが、この京都御所の観覧席は完売で満席でした。 ちなみに下鴨神社の観覧席は、ネットで申し込みしようとした時点で既に完売でした。(^_^;)

御所 → 出町柳 → 日仏会館

1時間ほどで全てが過ぎ去ったので、一休みして、御所から出町を経由して再び京大に向かいました。 実はこの日は、「若手芸術家の作品のオークション」という企画の内覧会初日で、実習指導の嶋田さんの作品が展示されているということで、 それを見に、京大の向かいにある日仏会館に行ったのです。 西部講堂の前は、昔と変わらず無法地帯でした。

展覧会

日仏会館での展示風景です。写真は「風景のみ」ということで、詳細はありません。

京大・吉田神社

帰途