New York Tour 2003


2003年の1月7日から1月15日まで、ニューヨークに初めて 行きました。いくつかの目的が重なった出張なのですが、 テーマは「パフォーミング・アートについて考える」です。 昼間にあれこれお仕事するのと、晩になってブロードウェイミュージカルを 観にいくのとが両立できるというNYはかなり効率のいい場所で、 限られた時間内でいろいろ堪能・満喫しつつ、とても勉強になりました。 国際情勢としてイラクや北朝鮮がトップニュースの時期で(ヤンキース の松井は現地TVでも殆ど見かけませんでした)、市内全域がいわば 厳戒体制にあるためか、治安の点では、いま世界でもっとも安心な場所が NYなのかもしれません。 以下、いつものように多数の写真とともに紹介しますので、 参考にしていただければ幸いです。

2003年1月7日(火)

もっとも長い一日(到着すると同じ日付で出発前の時間)となった 初日1/7は、まずいつものように、「浜松から成田空港までの道」です。 今回の行きのフライトは、ANAとコードシェアしているUAの UA800(NH7000)便だったので、NEXで珍しく成田空港の 第2ターミナルでなく終点まで行きました。 アメリカの航空会社のためか、成田では初めて、チェックインの バゲッジスキャンだけでなく、さらに改めて呼ばれてスーツケースを 開けられてチェックを受けました。これは3ヵ月前にシカゴに行った時に、 米国内の移動でいちいち搭乗口で何度も身体検査や靴まで脱がされた 身としては、違和感のないセキュリティチェックです。自由の国アメリカは 現在、出入りしたり移動するには世界一、面倒な国なのです。

宿泊するホテル名すらフライトの前日の連絡でようやく判明した ほどの急な渡米だったので、NYについて調べるのは、機内で 「地球の歩き方」を読むだけ、という泥縄ツアーになりました。 NYのJFK空港までおよそ12時間ほどのフライトの最後の3時間ほど、 まったく予習してこなかったNYについて「地球の歩き方」で 必死に勉強して計画を立てるうち、最高で時速100Km/hほどの 追い風のために、予定より30分も早く着きました。 現地の午後3時の気温は零下2度。相乗りのエクスプレスシャトルバス の窓からの風景写真はちょっと見にくいですが、雰囲気はもうNYです。 宿泊したエジソンホテルというのは、ミッドタウンの中心、 タイムズスクエアのど真ん中(47thブロードウェイ)から徒歩1分でした。

「地球の歩き方」のブロードウェイミュージカルのチケット入手方法を 勉強していたのがさっそく役立ちました。 とりあえずホテルにチェックインして時計を見ると、まだタイムズスクエアの ビジターセンター(ミュージカルチケットをまとめて買えるブックオフィス)が 閉まるまでまだ1時間あったので、部屋に荷物を投げ込んで、まずここに 向かいました。ところが、当日のチケットに限り半額で売っている 「TKTS(チケッツ)」というショップの前の電光掲示板を見ると、定価で あっても買いたかったチケットの今夜の分が、まだ売られていました。 どうもシーズンオフならではのラッキーのようで、すかさず作戦変更して、 さっそく「アイーダ」を買いました。いちばん高い95ドルのオーケストラ席の 「ボックス」(いちばん端っこ)の最前列から2列目なのに、手数料と合わせて 50.5ドルでした。

TKTSからいったんホテルに戻ってシャワーを浴び(徒歩1分なので 出来る芸当)、再び "AIDA" に向かいました。開演前の写真 だけで本番は当然ですが撮影禁止です。 時差ぼけ(ジェットラグ)から感覚がハイになっていたためか、 いきなり冒頭の曲の素晴らしいソロの歌声で涙腺が刺激され、 「あぁぁ、本場ブロードウェイのミュージカルをなんと今、観ているのだ」 と不覚にも泣けてしまいました。
・・・そして第1幕の最後の曲では、これはもう、本当に泣けました。 ゴスペルの連中に聞かせたい、生の肉声の力強いアカペラという のは、こんなに凄いんだ、と感動しつつ再確認しました。 休憩時間にトイレに行くと、周囲でもおじさんとかが しきりに鼻をすすっていたりして、いやー、素晴らしい公演に 感動して泣くというのは国際的なのだなぁ、と感心しました。 ちなみに、音楽はエルトンジョンなのですが、このミュージカルで 「限界」があるとすればそこだけ、だと思いました。 ネタを明かすわけにはいきませんが、なんでエジプトとかの 「時代もの」なのにこんなスタートなのだ、という冒頭の 疑問は、見事に最後で解決しました。ニクイ演出でした。
終演後、隣のマクドで夕食を仕入れて帰りました。ホテルに戻って 半日前に着いていた東野さんに電話で聞いたら、以前に "AIDA" の この席を日本から買って行ったら16000円ぐらいだったそうで、 やはり当日の半額というのは凄いラッキーでした。それにしても 初日からこれでいいのかなぁ。


2003年1月8日(水)

この日は、東野さんのテクニカルスタッフということで、 一緒にニュージャージー/プリンストンにある、シーメンス の研究所に行きました。これはヨー・ヨー・マの「シルクロード・ プロジェクト」で、東野さんが新しく作曲をするとともに スポンサーであるシーメンスの研究に協力する、という企画です。 僕はミーティングで技術的なプレゼンに協力する、という会議でした。 朝、ホテルに迎えに来てくれた、作曲家/尺八演奏家の梅崎さんとは ICMC1999北京以来の再会となりました。以下はその、プリンストンまでの 車窓の風景です。マンハッタンからニュージャージーに渡ると、 もうそこは田舎の風景でした。

予定よりちょっと早く着いたので、研究所からクルマで数分の ところにある、プリンストン大学の構内を散歩しました。いやー、 いい雰囲気の、素晴らしい、素敵な大学です。世界的な研究が ここから生まれていることに納得してしまいました。 アインシュタインもここです。音楽学部大学院もあって、 東野さんのコンサートもこのキャンパス内のホールで行う予定です。

そしていよいよ、世界の大企業、シーメンス社の コーポレート研究所に行きました。ここはフラクタルとか カオスに関係したCG、医療計測表示関係の2/3次元CG、 音響信号処理、マイクロホンアレイによる音源分離などの いろいろな研究をしているところのようでした。今回の プロジェクトのスポンサーはシーメンス、フォード、ソニー などだそうで、芸術の支援をする企業の規模の大きさに 圧倒されました。スナップ写真程度だけOK、ということで いくつか撮りましたが、東野さんが2ヵ月ほど滞在して 作曲/研究する部屋なども用意されていました。

シーメンス研究所でのミーティングが終わると、大部分の メンバーで再びプリンストン大学構内に戻り、レストラン での昼食、そしてコンサート会場となる大学内ホールの見学/確認 に全員で行きました。我々はさきほどと同じコースでしたが、 プリンストン大学の企画として、4人の作曲家(音楽学部博士課程の 学生など)が東野さんに笙を演奏してもらい、そこに東野さんの 3作品も加えた、いわば「東野リサイタル」の企画の話なども出て、 色々と意見交換しました。巨大な教会に東野さんの笙が響く、と いうのはなかなか面白い空間となりました。

シーメンス/プリンストンの訪問が終わり、マンハッタンまで 梅崎さんのクルマで送っていただく時間帯は、ちょうど日本から 来たばかりの我々には猛烈に眠い時差ボケ時間帯で爆睡して しまいました。
タイムズスクエアに帰ってくると午後5時半頃ということで、 ちょうど「チケッツ」では今日の晩のミュージカルのチケット を半額で売っている時間帯でした。この晩は東野さんも何か観たいと いうことで買いにいってみると、見事に「42th Street」の 半額チケットを買えました。一番高い席であれば、このオフシーズンには ミュージカルによっては当日でもチケッツに残っているようでした。 以下は、例によって会場内での写真はナシですが、ホテルの 部屋から出て、42番街にあるフォード・シアターでの 「42th Street」を東野さんと一緒に観に行き、 そして帰ってくるまでの風景です。 行きが午後7時半頃、帰りは晩の23時近い時間帯ですが、 さすがにブロードウェイに混雑が戻ってきたようです。

「42th Street」ですが、ディズニーのミュージカル群が トニー賞を席巻したあとの2001年のトニー賞受賞ということ が、観ていて理解できました。新しさというよりもシンプルな、 アナログな構成と、ミュージカルを愛するという情熱(役者も 演出家もスタッフも観客も)が劇中劇のような感じで伝わってきて、 セリフの英語が細かいところで判らないこと、まだ時差ボケで うっかりすると睡魔の襲う一瞬がある事などを吹き飛ばしました。 アンサンブルの素晴らしいタップと群舞、これでもかこれでもかと 素早い衣装交代など、本場のエンターティメントを堪能しました。


2003年1月9日(木)

今回の出張は会議参加とか付き添いとかサポートとかで、自分メインの タスクが無いこともあり、合間には別行動でNY一人旅を楽しみました。 この日は途中にお仕事モードでの某会議があったのですが、事情があり、 記録も写真も省略です。東野さんも、APAP関係者がまだ着いていないので、 オフ日の別行動となりました。
まずはホテルから8thアベニューを北上して初めての地下鉄の駅に向かい、 「7日間、地下鉄とバスに乗り放題」というメトロカードを買いました (見知らぬ場所に旅行するとついタクシーを使うのですが、このカードの おかげで地下鉄とバスを駆使して、タクシーを一度も使いませんでした)。 自動販売機にクレジットカードをつっこんで買い物したのも初めてです。 最初は反対方向に乗ってしまい、クイーンズのジャマイカタウンまで 行って再び戻ってきましたが、かつてのワールドトレードセンター跡、 9/11テロのその現場、いわゆる「グラウンド・ゼロ」に行きました。 なんとも圧倒される風景ですが、記念写真を撮っているのも事実でした。

ワールドトレードセンター駅から再び地下鉄のE路線に乗って北上し、 スプリング通り駅で降りて、「地球の歩き方」によれば現代アートの 街である、というソーホーを歩いたのですが、歩いたルートがあまりよく なかったのか、これは空振りでした。
そこで次に6番で巨大なグランドセントラル駅に行き、そこから43th ストリートをひたすら東に歩いて国連本部を目指しました。 なんといってもニューヨークといえば世界の政治の中心、日本で 北朝鮮との関係がどうなっているかはTVでもあまりやらないので 不明なのですが、ここは是非とも行きたかった場所なのです。

国連本部では、一般の見学者向けに英語のガイドツアー(10ドル) がある、ということで、これに参加しました。以下は国連本部入口 (空港と同様のセキュリティチェック有り、写真は遠慮)から そのツアーの模様、そして地下の国連ショップまでの模様です。
安全保証理事会の会議場は、通常は見学者も傍聴できるの ですが、この日は「非公開の秘密会議のため立ち入り禁止」と なっていたり、帰る時にはNHKを含む世界のテレビ局の中継車が 門のところに集結していたり、と、まさに現代史を進行形で 刻んでいる場所でした。
知らなかったのですが、国連に経費を拠出しているトップは 当然アメリカで22%ほどですが、2位はなんと日本で、 それもほぼ20%(19.5%以上)と遜色ない、という説明に驚きました。 それにしてはなんでも言いなりで「口を出さずにカネだけ出して 安全を買っている」という典型なのがちょっと寂しく思いました。

国連本部からタイムズスクエアへの移動は、今度は初めてのバスに 挑戦しました。地下鉄と共通のメトロカードを入れるだけでまったく簡単で、 これでもう、NYの移動は完璧です。進行方向が見えたり、運転手に バスストップを聞いたりできるので、体感としてはバスの方が利用 しやすいと思いました。ただし渋滞中は到着時間が読めなくなります。
午後3時にタイムズスクエアにいったん戻ったのは、 チケッツに行くためです。初日、2日目となんとか 半額チケットが買えたのですが、どうもNYに人出が戻って きたようで、これでは週末のミュージカルチケットは けっこう大変かも、という不安が出て来ました。 案の定、この日の夜の公演のチケット発売開始の15時ちょうどに チケッツに行ってみると、写真のような長蛇の列でした。 結局、相当に寒いところで1時間近くも行列して「シカゴ」の 半額チケット(これまたベストの座席)が取れましたが、 どうやら今後の作戦変更が必要になりました。
詳細は省略しますが、あちこち色々と奔走した結果、NY滞在中の ブロードウェイ/オフブロードウェイのチケットを全て、この日の うちになんとか確保することができました。当然、チケッツの ような半額ではなくて、定価だったり、そこそこディスカウント だったりですが、本場で本物を体験できるチャンスは滅多にない ので、ここは覚悟の投資です。

そして、待望の晩になりました。ホテルを出て、ブロードウェイと 反対側の8thアベニューに出て、46thから44thまでたった2筋だけ (徒歩2分ほど)で「シカゴ」を公演している劇場です。 まずは42thにあるYISHINOYAに行って、夕食としました。 味は、日本の牛丼に比べてイマイチでしたが、翌日にも行って 生卵をかけてみたところ、日本の牛丼とほぼ同じ味になりました。
例によって写真は少ないのですが、「シカゴ」にはまたまた、 やられました。ステージにビッグバンドが固定しているという (舞台装置とかの仕掛けのできるスペースが最小限という制約) のに、個々のActorの能力によってここまで感動させられる ものか、と思うと、不思議にも終わって外に出てから嬉しくてじわじわ 泣けてきました。この公演では初めて、プログラムだけでなくCDも 買った、というのもその満足度の証です。
日本の劇団四季とかのイメージだと、ミュージカルというのは 劇団とか演出家とかスポンサー(ディズニーなど)とかが前面に 出ていて、役者というのは後回し(替えはいくらでもいる)、 という感覚でした。しかしこの「シカゴ」は目から鱗、これは 完全に、出演しているこの本人でなければ成立しないミュージカル なのです。本場の凄さをまたまた堪能しました。


2003年1月10日(金)

この日も午後にお仕事モードでの某会議が途中にあったのですが、 記録も写真も省略です。会議までの午前に空いた時間に行けたのは、 ロックフェラーセンター内にある、全米TVネットワークの一つ、 NBCのガイドツアーでした。地図を調べて、ホテルからは徒歩圏内とみて 歩いたおかげで、偶然ですが、面白い通りを発見しました。
ホテルのある「46thストリートと47thストリートの間、 ブロードウェイと8thアベニューの間」(という座標で徒歩1分 以内のブロックが確定するニューヨークは、京都や札幌などと 同じで便利)から、国連本部からの帰途のバスが通った ロックフェラーセンターに向かうには、座標としては北に、 そして東に向かうことになります。どの通りを選んでも 到達するのですが、たまたま横断歩道の信号がWALKとなって 選んだのは、「7thアベニュー、48thストリート」の交差点 から東に向かう、というルートです。すると、この 両側は楽器屋が連続で並ぶ「楽器屋通り」でした。 実際には数件の楽器屋のようですが、楽器の種類ごとに別々の 店鋪とするところもあり、連続して並んでいるのでした。 神田でもここまで楽器屋が続いてはいません。ウインドー ショッピング写真だけですが、日本の楽器メーカーのブランド も立派に活躍していました。

そしていよいよ、ロックフェラーセンター(1階の角にはNYポケモンセンター もありました)の中心にあるGEビルディング内のNBCセンターに 向かいました。国連本部と同様の、1時間ほどでスタジオ等を案内する というガイドツアーが目当てです。ホテルにあったガイドブックの中の クーポンを切り取って持参したので、2.5ドルの割引で15ドルとなりました。

無事にカウンターでガイドツアーのチケットを買い、15分ほど 時間があったのでショップ内を見たり、向かいにあった 「メトロポリタンミュージアムショップ」(メトロポリタンは 今回は行く予定ナシ、とても時間が足りません)で、奥さんに 頼まれていたグッズを買ったりしました。ロックフェラーセンター 中央の公園は、なんと冬場はスケートリンクでした。

いよいよ時間となってNBCガイドツアーとなったのですが、 なんと「写真お断り」でした。だいたい、チケットを ホルダーに入れて全員が首からかけてゾロゾロ行くのですが、 入場口では一般の全ての来場者と同じで、空港と同様の セキュリティチェックを受けるほどです。撮りたい風景は 山程あったのですが、全ては僕の記憶の世界です。最後の ツアー用スタジオの中では、参加者の男の子をキャスター席に 座らせた粋な演出があって、ここだけ撮れました。歴史とハイテク、 先端のTV業界に興味のある人はどうぞ、行ってみましょう。

そしてこの日のブロードウェイミュージカルは、なんとチケッツでも ビジターセンターでも完売で取れない、という「ライオンキング」 (場所は42th、一昨日の「42thストリート」シアターの真ん前) の公演でした。直接シアターのブックオフィスに出向いて定価で 当日か翌日の席を「一人」という条件だと、いい席も入手できる ことがある、というビジターセンターでのアドバイスで前日に 買ったものでしたが、オーケストラ席の前から10列目のど真ん中、 というベストポジションで堪能できました。
東野さんからも「まったく初めてブロードウェイミュージカルを 観るならコレ、でもチケットが取れない」という話は聞いていました が、実際に超々満員で、さらに僕の周囲だけでもドイツ語と イタリア語とフランス語が聞こえたぐらい、お客も世界中から 来ています。子供でも英語が判らなくても十分に楽しめるの ですが、やはり、これまた冒頭とフィナーレでは不覚にも 泣かされました。TV番組で、劇団四季の練習にナイナイ岡村が 入るというのがありましたが、本場の本物を観てしまうと、 ちょっと日本人のは観たくない、という気がします(アメリカン というよりもアフリカンテイストの部分が、日本人には絶対に 無理でしょう)。またまた、大満足のエンターティメントでした。


2003年1月11日(土)

いよいよこの日1/11からAPAPがスタートしました(APAP [エイパップ]については、YAHOO.COM等で調べてみて下さい)。 前日に到着した関係者とホテルのカフェの朝食ミーティングで顔合せ、 そしてレジストレーションのために会場のヒルトンまで歩きました。 この日はそれまででもっとも寒く零下5度ぐらいで、 まだ使っていなかった手袋を持たずに出たことに、 歩いて1分で早くも後悔しました。
APAPにレジストレーションしてみると、国際会議のProceedingsと 同じようなボリュームのカタログなど一式がずっしりと重かったために いったんバスでホテルに戻り、荷物から手袋も出して再びバスで会場に 向かいました。カードが乗り放題なので、いったんセントラルパーク に行く路線に乗り、さらに乗り換えてタイムズスクエアに戻るのも平気です。 肝心のAPAP会場は、まだ初日の午前ということで準備中でした。

とりあえずAPAPの開始時の風景を見たので、次にヒルトンから 徒歩2分ほどのレストラン「鬼が島」に行きました。ここでは ランチミーティング(接待)ということで、国際交流基金の企画として プロデューサーの田村さんが雅楽のビデオプレゼンを行い、 ここに東野さんの笙などの簡単なデモも行う、という作戦です。 APAPでは全米の公演関係者がやってくるので、ここで商談が 成立すればアメリカ公演が実現する、という重要な場で、 以下はその準備から本番終了までの模様です。
女性の演奏家は、東野さん、舞いの中村かほるさん、 ボイスパフォーマーのIKUKOさんです。一見すると関係者を 接待しているように見えてしまう風景ですが、我々の税金は 政治家が業界と癒着する無駄な公共工事に浪費されるだけでは なくて、日本の芸術を国際的に紹介するために、このように 有効活用されているのだ、と初めて知りました。

この「鬼が島」でのプレゼンは、実は2日後に国際交流基金 (Japan Foundation : 僕の2年前の渡欧ツアーでもお世話になり ました)の企画として行う、東野さんによる雅楽ショーケースのPRも 兼ねています。そこで、この日はNYのJapan Society(こちらは 外務省管轄?)に行き、現場の視察と、東野さんが日本から送った Kymaの動作確認をしました。この日は一日、チタニウムを背負って 移動していたのですが、KymaのデータをCDRから読み込んで 東野さんのリブレットに移す、という作業で役立ち、重い思いを した甲斐がありました。

そして1/11の日も暮れて晩になりました。この日はブロードウェイの ミュージカルでなく、わざわざ捜して求めた「オフ・ブロードウェイ」の ショー(パフォーマンス)です。 オフ・ブロードウェイは翌日の "Stomp" と、結局2件に行きました。 "Stomp" は「地球の歩き方」でチェックしていたのですが、 この日はホテルの部屋のTV(一日中ミュージカルとかショーの 案内をしている番組があるのはさすが)で偶然見かけて知った、 しかし地元NYではとても人気のあるショー、"De La Guarda" でした。 チケットを買った時に、普通のショーにはない「紙」が付いてきたの ですが、これを参考まで、紹介しておきましょう。

  1. Da La Guardaには座席はありません。あなたは70分のショーの 間、立ち続けることになります(ショーの途中で立ち位置を物理的に 移動されることもあります)。
  2. ショーはインタラクティブであり、 あなたは動いたり参加したりする事を求められます。
  3. Da La Guardaは、水・霧・煙を使います。どうぞ濡れてもいい 服装と安物の靴にして、荷物は全て預かり所に預けて床に置かないで 下さい。
  4. Da La Guardaはパフォーマンスの間中、ストロボを炸裂させます。
  5. Da La Guardaは8歳以下の子供には向きません。 親が一緒であるべきです。
  6. 場内すべて禁煙、記録装置も禁止です。

ここで言葉で言うことはとてもできないのですが、ある意味で ブロードウェイの本場ミュージカルで受けた感動を上回る衝撃と 満足でした。仕掛けの関係でたぶん絶対にブロードウェイに引っ越す ことはないのですが、とにかく、絶対にお薦めします。 以下の写真で言えば最後の10枚、終演後の帰りの時に コッソリ撮った風景がある意味で色々と物語っているの ですが、まさに「凄い」の一言でした。これはもう、NYに行ったら 是非とも体験すべきです。シアターは「ユニオンスクエアの西」 というだけで、夜には目立つネオンサインもなく捜すのにちょっと 苦労しますので注意して下さい。 プロのエンターティンメントの世界先端とはコレなのかぁ、と 感心しつつ、このショーには有料プログラムもなかったので、 CD(後で聞いて再体験できるかなぁ)を買ってきました。 いやいや、本当に、満足です。


2003年1月12日(日)

この日は翌日のショーケースとの合間のオフ日ということで、 ちょっと気合いを入れて計画しました。ただし色々とあって、 結局は臨機応変(行き当たりばったりとも言う)、という事になったの ですが、一人旅はこれだから楽しいのです。
「地球の歩き方」によると、自由の女神像へのフェリーは マンハッタン南端のバッテリーパークのフェリー乗り場から 出るのですが、なるべく朝に行かないと行列に並ぶぞ、 と書かれていたので、地下鉄で朝早くから出かけました。 路線を間違えてブルックリンに渡ってしまい、戻る列車をまた 間違えたら予期せぬルートを経由して結局は目的地に着いたり したのですが、それとは別に最大の問題にぶつかりました。
・・・とにかく、死ぬほど寒いのです。体感では軽く零下10度。 僕がこれまで遭遇したもっとも寒い経験は、ICMC1999北京の時の 万里の長城の上だったのですが、それを越える突き刺すような 寒さです。フェリー乗り場を吹き抜ける風だけで、これは 船に乗ったら絶対に体調をおかしくする、と確信して、 ショーケースの本番を翌日に控えているために、乗り場 まで行きながら断念しました。バッテリーパークは、グラウンド ゼロから数分の至近のところにあるためか、かなり乗船前の セキュリティチェックも厳しい模様でした。

手袋に毛糸の帽子で防寒していても、ウォール街で上の写真を 撮っているだけで凍えてしまい、とりあえずバス停に行きました。 ところが日曜日というのは非常にバスが少なく、乗りたいバスは あと20分も来ない事に気付いて、この寒さで立っているよりはマシ、 と何も見ずに停まっていたバスに飛び乗ってみると15番でした。 ここはマンハッタンの南端ですから、15番を含めて全てのバスは アップタウン方向なので、乗っているうちに対応を考えても間に合う、 という読みです。
ところが、当初は自由の女神フェリーで2-3時間かける予定 だったので、この時間(まだ9時半)ではどの施設も開いておらず、 さらに日曜日はたいてい通常より1時間遅く始まるところばかりで、 どこにも行けないことが判明しました。そうなると行き先は、 朝からヒルトンでやっているAPAPしかありません。15番バスは 1stアベニューを北上するので57thで降りて31番か57番に 乗り換えて6thアベニューまで行けばヒルトンは目と鼻の先かな、 というような作戦がサッと立ってくるあたり、ぼちぼちNYバスの 達人でしょうか。
そして無事にヒルトンにたどり着きました。ショーケースは午後 とか晩ということで準備中だったので、「リソースルーム」を ザザッと眺めました。全部で3つの大きなホールを会場として、 全米だけでなく世界中の関係者がブースを出しています。 ここで商談することで、向こう1年間のアメリカでの パフォーマンス・ビジネスが実現していく、という真剣な 場でした。いかにもアメリカらしい華やかさです。 音楽はもちろんですが、ダンス系が多いのが印象的でした。

この時間帯では会場内のショーケースも始まっていないので、 APAPはここまでと判断してヒルトンを後にしました。 次の目的地は徒歩3分、ロックフェラーセンターの向かいにある 「ラジオシティ・ミュージックホール」です。これは 1932年?というかなり昔に作られた大ホールで、 そのガイドツアー(17ドル)に参加しました。一部(無理に撮った 写真はアングルが外れているので判る)を除いて写真OK、 ということでしたが、なんせ暗いのであまりうまく写っていない かもしれません。しかし、これは僕が今までに経験した、 もっとも巨大なホールでした。こんなでかいホールをあちこち作って、 そこに満員のお客さんがいつも集まり、それを狙ったショービジネスと 色々な形態のパフォーミング・アートが成立する、そしてその世界で 舞台に立つための優秀なタレントも世界中から集まる、という 仕組みです。アメリカのショービジネスの力強さを確認するという 意味ではAPAPと重なってなかなかの圧巻でした。 ラインダンスのショーを行う「ロケッツ」のお姉さんと一緒に 記念写真も撮ってしまいました。

ラジオシティからホテルまでの帰りは普通ならバスなのですが、 日曜日ということでバスの本数がとても少なく、歩くことにしました。 そのおかげで、途中で見つけたサッポロラーメンの店での昼食と なりました。
そしてホテルから昼間のタイムズスクエアに出て、この日だけ2件、 午後と晩にチケットを取ったうち、3時のオフ・ブロードウェイの "Stomp" に出かけました。現地イースト・ビレッジは原宿みたいな 感じでした。このショーですが、明確なストーリーが無い、という 意味では「パフォーマンス・ショー」というもので、とにかく 日常のあらゆる物や人間の身体を楽器として、ひたすら「リズム」の パフォーマンスの連続でした。もちろんコミカルな演出もあり、 客席をくすぐったりお客を参加させる部分もあるのですが、まったく 媚びていません。繰り返し色々に繰り出される、リズム・リズム・リズム。 男性6人女性2人の力強く楽しい、素晴らしいパフォーマンスに圧倒され、 またまた感動でした。これまた、NYに来るなら是非ともお薦めです。

"Stomp" を堪能した余韻を味わいながらワシントンスクエアまで 歩いてバスに乗り、ホテルに戻ってきてちらっと一息つくと、 今度は晩の8時から、ブロードウェイ・ミュージカルの「キャバレー」です。 ホテルからは8thアベニューを北に54thストリートまで、これも 徒歩圏内でした。
事前のチェックから楽しみにしていたのですが、なんと取れた座席は 狭いステージの角から1.5メートルほどの超至近距離、役者の息づかいとか 床の振動まで届いて堪能できました(ステージの全体がどう見えるか はちょっと判りにくかったです)。あまり舞台装置などの仕掛けや 動きのないこのミュージカルには、この場所が幸いでした。
普通のミュージカルと違って、「キャバレー」は客席(1階席だけ)も 本物のキャバレーのように飲みながら観れる形式になっていて (休憩中にコッソリ撮った写真で雰囲気は判るでしょうか)、 最前列でワインを飲みながら、下着だけの女性たちの舞台を間近に 堪能することになりました。戦時中のベルリンを舞台とした 退廃・官能・悲哀に溢れた世界が渦巻きました。これはお子様には 無理な世界ですが、NYも6日目になるとだいぶセリフも判ってきて、 ストーリーもほぼ完全に追えました。 それにしても、スタイルがよくて、美人揃いで、ジャズバンドで 楽器が演奏できて、客席をアドリブでつついて、そしてストーリーに 乗って熱い演技をする、という本場のプロの役者は凄いものでした。


2003年1月13日(月)

この日は朝から終日、Japan Societyでの「雅楽Showcase」に 没頭しました。外務省と国際交流基金の支援が決まったのが 渡米の直前だったために、APAPのプログラムにはこのShowcase の案内を載せられなかったのでお客は限定的(シーメンスの 方々は来てくれました)でしたが、「New雅楽」をPRしました。 皆さん、さすがにプロです。個人的には、ボイスパフォーマーの IKUKOさんが素敵でした。NYと日本とを行き来しているらしい ので、いずれ機会があれば、ぜひ何かの作品でお呼びしたいと 思いました。
以下はこの日の朝から午後の本番まで、仕込み、リハ、そして 前半のステージの写真です。東野さんの作品"Dinergy"の本番では 僕はステージそででシステムの操作をしていたので、正面からの 演奏風景はありません。「本番直前に楽屋でメイクする東野さん」 という凛々しく美しいスクープ写真は、本人のクレームにより 残念ながら非公開です。
さすがに直前の集中力と本番に強いプロの皆さんにより、公演は 成功のうちに無事に終了しました。今後のオファーや新しい 展開が期待されます。

出演者の皆さんや田村さんは「サッポロ」での打ち上げに 向かうということで、ここで僕は別行動となりJapan Societyを 後にしました。ところがこの日は月曜日で、行ってみたかった場所が お休みである事が判明し、バスでタイムズスクエアに戻り、初めての お土産ショッピングタイムを持ちました。まぁ、ミュージカルで お勉強のために投資(散財)しているので、タクシーも乗らず、 食事もごく簡素に済ませて(ステーキも一度も無し。チップの必要な レストランに入ったのも「サッポロ」だけ)、お土産といっても 絵葉書ぐらいなものです。一点豪華主義のメリハリが重要でしょう。

そして1/13の晩になりました。この日は、最初から狙っていた、 ロックミュージカル「レント」です。写真は41thストリートの この会場までのもの、そして会場の入り口付近と休憩時間中に ちらっと撮った内部、そして再びホテルまでのブロードウェイ の風景(月曜日の夜23時頃なのにこの賑わい)、という お馴染みのものです。チケットは7列目の中央ブロック Aisle Seatという、これまたいい場所でした。

「レント」については、ロックミュージカルということで HairとかJesus Christ Superstarとかの流れを勝手に期待 したのですが、当然ながら違っていて、現代らしく主人公が AIDSだったりします。このミュージカルの流れについては、 ぼちぼち体力の限界に近付いて前半はときどき睡魔と戦って いたこともあり、セリフについていけませんでした。音楽も まぁシンプルでした。ところが後半になると、ゴスペルっぽい 迫力のボーカル/コーラスがあり、そしてストーリーの展開に従って 一気にフィナーレへ急展開、というパワーに圧倒されました。 このミュージカルは泣かずに終わったなぁ、と思いつつラスト シーンがやってきたその最後の一瞬に、しゅーーーっと 一気に惹き付けた演出は凄いもので、その冷静な気持ちの数秒後、 フィナーレで静止した瞬間、突然にぐわぁぁぁ・・・、と涙が 出て来て当惑しつつもまた感動しました。これはなんなんでしょう。 スタンディングオベーションに思わず加わりつつ、「なんでだろー、 なんでだろー」というフレーズがよぎってきました。いやいや、 素晴らしい。やられました。


2003年1月14日(火)

いよいよNY最終日(翌日は朝からJFKに行って帰国するだけ)と なりました。毎日の日課として早朝に目覚めるとメイルを チェックしてリプライを出し、前日のデジカメ写真を整理して、 ホテル内のカフェで朝食です。ホテルに置いてあるニューヨーク ガイドブック(あらゆる種類の情報が網羅され、クーポン券も 付属)と「地球の歩き方」から残った行き先は、マジソン スクエアガーデン(ツアー)、ソニーワンダー、カーネギーホール(ツアー)、 リンカーンセンター(ツアー)、そして依頼された買い物のメイシーズ、 そして無料クーポンギフトを発見した「ナイキタウン」です。 残った施設のツアーはいずれも回数が少ないので一日で回るのは 至難の技なのですが、まずは9時半過ぎにホテルを出てバスに乗り、 34thのマジソンスクエアガーデンを目指しました。
ガイドブックによると、ツアーの1回目は10:00開始でしたが、 なんとか9:55に間に合いました。このツアーの参加者は僕の他には 若いアベックが1組だけ、という計3人で、ガイドと4人でのツアーと なりました。ここは写真OKということでいろいろ撮りましたが、 昨日はバスケットの試合、明日はストーンズのコンサート、そして ホッケーの試合の次にはボクシング・・・と毎日イベントだそうです。 ここを本拠とするNYレンジャースのロッカールームにも入れる、 というのが売りです(クーポン券の2ドル割引きで14ドル)。 他のガイドツアーでもいつも感心したのですが、ガイド自身が その施設について誇りと愛情を持っていて、いかにその歴史と 伝統と実績が素晴らしいかを熱く語り、まさにプロフェッショナルな エンターティメントをずっしりと楽しませてくれました。この あたり、さすがアメリカです。

朝イチのガイドツアーから効率よく参加できたのは幸先がいいの ですが、残りの行き先のうち、カーネギーホールの初回は11:30 からなので34thからバスに乗ったのではたぶん間に合わず、 リンカーンセンターについてはガイドブックに時間が書かれて いません。そこで、すぐ近くのメイシーズデパートに行きました。 ガイドブックに「50ドル以上の買い物をしてこのクーポンを持参 すればオリジナルのトートバッグをプレゼント」と書いてあった ので駄目モトで「これだけ欲しいが買えないか」と聞いたら、 やっぱり駄目だったので、メイシーズオリジナルの布袋をお土産に 買いました。

ここからリンカーンセンターまで一気に北上するバスは渋滞で ノロノロでしたが、12時前には着くことができました。ところが ツアーの窓口が無人でしばらく待たされた後でツアー(10ドル) の開始は14:30だ、と告げられました。カーネギーホールのツアーが あとは14時と15時だけなので、どちらかは諦める必要があります。 そこで残念ですが、今回はリンカーンセンター(メトロポリタン・オペラハウス、 ジュリアード音楽院、等々)をパスすることにして、残りの、 「57th界隈のいろいろ」に賭けることにしました。

バスで57thに戻ると、まだカーネギーホールのツアーの14時には 時間があるので、まずはガイドブックでギフトクーポンを発見した、 57th・5thアベニューの「ナイキタウン」に行きました。これは、 「地球の歩き方」にも載っていない穴場のようですが、ナイキ 尽くしのカッコイイ、見て歩くだけで楽しいショップでした。 それも、ガイドブックのクーポンを見つけた人だけがそれを持参 すると、どこにも売っていないナイキオリジナルのキーホルダーを 無料でもらえる、というのはラッキーでした。

ナイキタウンから56th・マディソンアベニューまで徒歩2分ほど で、今度はソニーワンダーです。ここはなんと太っ腹にも入場無料の 施設で、それなのに来場者の顔写真付きの入場記念証までもらえる、 と書かれていました。まぁ狭いところに押し込んでいる(エレベータで 高いところに上げて、あとは少しずつ下りながらぐるぐる回って 色々と見る、というのは海遊館と同じです)のはいかにも日本的で、 これではちょっとエンターティメントシアターとしてお金は取れませんが、 暇つぶしには十分、楽しめるところでした。

ソニーワンダーを出て、再びナイキタウンの57thに戻り、バスで いよいよカーネギーホールのツアーに向かいました。たった6ドルと いうこのツアー、なんとガイドはボランティアのお婆さんだったの ですが、これがまた熱く語ること語ること。写真は駄目という ことで入口のロビーだけですが、是非ともこのツアーも体験してみて 欲しいと思いました。圧倒される素晴らしいホールを客席あちこちから 見て、最後にはステージの真下から見上げると、あらためて 「パフォーミング・アート」の原点を見る思いがしました。
このステージに立ったパフォーミング・アーティストは、客席を 見て「何か」を感じずにはいられない素晴らしい空間です。そして、 この客席を熱心に埋めるお客さんもまた、ステージに立つ限られた アーティストの才能と努力を賛辞してチケットを買って来場し、 ここにパフォーマンスを提供する者と享受する者とホール自体とによって、 その時限り、その場限りの瞬間が成立してきたのだなぁ・・・ などという感慨に圧倒されました。そして、そういうパフォーマンス をビジネスとして成立させ、このような巨大なホールをいつも 満員にする、というAPAPのような活動が支えているのだ、と 全部がしっくりと自分の中でまとまってきました。
サラウンド多チャンネルのハイパーソニックオーディオだろうが、立体視の 3次元ハイビジョン映像だろうが、記録メディアに収まって「再生」される だけの物は、このような空間で体験するパフォーミングアートには絶対に かなわない、という事実をあらためて実感しました。ライヴの意義は 永遠に不滅、記録メディアの再生は永遠に仏滅です。異論がある なら、カーネギーホールのツアーを体験してからにして下さい。

ホテルに戻って、上の部分までの写真と解説を整理していると、 もう18:30になりました。いよいよNY最後の晩のミュージカル、 「Throughly Modern Millie」です。 並べてみれば このように 壮観な8日間の9本だったわけですが、そのラストです。 泊まっていたホテルは47thと46thにまたがっていますが、 その46thと45thにあるMarriotホテルの中にあるシアターが 会場でした。既に看板は前夜に撮っていたので、出入り部分だけの 写真で恐縮です。 「Throughly Modern Millie」はコメディ・ミュージカルと いうことでした(後述)。しかし、これまた最後にキュンとさせられる 優れたラヴコメディで、会場は見入ったり笑ったり、と盛り上がりました。 演出の一端として字幕ボードが出てくるのですが、ここに中国語で 「我母親」などと出ながら "My Mother !" と歌っているのを見る、と いうのは不思議な気分でした。

今回、たくさんたくさんあるブロードウェイミュージカルの中から これら7本を選んだ(あと2本はオフ・ブロードウェイのショー)のには ちゃんと理由がありました。基本は「トニー賞」を受賞して一般に 高く評価されている、という条件で、さらにテーマが自分にとって 興味あるものを厳選しました。せっかくの機会ですので、相応の ものを体験したい、という事です。そして この「Throughly Modern Millie」は、去年か一昨年のトニー賞の 6部門を制した、という鳴りもの入りのミュージカルということで、 中身を知らずに選んだ唯一のものでした。
会場に入って(またまた前から6列目のベストシート)、PLAYBILL を見てから気付いたのですが、これはコメディーなのでした。 僕の弱い英語力でもなんとか付いていける上に、テーマの天真爛漫な ラブコメディーですから、ある意味では「これでトニー賞なの?」と いう内心の色眼鏡が、正直言ってありました。ところがどうも、 ようやく最終日の終演後に気付いたのですが、違うようなのです。 コメディーというと日本では「お笑い」、まさかアートでも なければシリアスな演劇やミュージカルよりもランク下、と いう固定観念があるのですが(僕だけかなぁ)、要はプロの パフォーマンスとしてお客さんにエンターテイメントを提供する ことが目的です。となれば、その手段がシリアスなテーマ/ドラマで あることは必要条件ではないのです。
途中に仕込まれたミエミエの伏線に、お年寄りでも気付いて納得 できる(客席から「おぉぉー」とかいう声)あたりは、もう遠山の 金さんか水戸黄門の世界です。しかしその一方で、ソロの 絶唱で聞かせたり、アンサンブルの踊りで見せたり、熱烈な キスのラブシーンあり、スマートな舞台転換あり、とサービス 満点、ぐんぐんストーリーに引き込んでくれます。ラストシーンは もうミエミエなのですが、それでも思わず立ち上がって拍手したく なる構成と演出、そして全てを支える生ビッグバンドの生きた演奏。 何より一人一人のAtcorの能力と表現力と熱気が凄く伝わって来ます。 本場NY・ブロードウェイのエンターティメントとして評価される にふさわしい色々な要素がてんこもりのミュージカルで、トニー賞 も納得せざるをえないのでした。ビジネスとして成功している パフォーミングアートの迫力に、最後の晩もまた、満腹でした。


2003年1月15日(水)-16日(木)

JFKまでのエクスプレスシャトルバスは朝7時にホテルに来る、と 予約していたのに、前夜になって「道が混むので朝6時に変更」と 電話があり、早朝4時半起きで準備して待ち構えました。ところが どうも、相乗りした他のお客の中にJFKでなく別の空港に行く人が いたために、その回り道の分だけ早起きさせられたようで、 まだ真っ暗な中での空港へのドライブでした。JFKに着いても まだANAのカウンターが開いていなかったのですが、空港内のカフェ でこのレポートの推敲をする時間が取れてラッキーでした。

初日は1/7が2日分もあって充実でしたが、帰りはニューヨークを1/15の 午前11時に出発して13時間のフライト(またまた35分も早く到着)を 経て成田に着くと1/16の午後2時半、ということで、あっという間の 帰国(翌日1/17はゼミのミーティング、そして1/18はセンター試験 など、時差ボケする暇もなくお仕事に復帰)となりました。 帰途のANAのNH009の機体はB747で、「中央ブロックの通路側」と わざわざ座席指定して取った席の隣が期待通りに空いている、 という快適なフライトでした。前回のB777のANAビジネスシートと あまり変わりません。窓側でぎゅうぎゅうに並ぶ3人が可哀想でした。 機内ではノートを出して、「帰国したらすぐにやるべき仕事」を 書き出したら、簡単に22項目も出て来ました。全て今月中必須です。

同じフライトで田村さんと八木さんも一緒でした。笛の八木さんは 1/11にNYに着いたその足でJapan Societyに行ってShowcaseの公演本番、 そして2泊だけしてすぐに帰国し、そのままこのNEXで能楽堂の稽古に行く、 ということでした。凄い売れっ子です。 そのお話では、我々のANAが着いた隣のゲートにほぼ同時刻に 到着したコンチネンタルのフライトで松井が帰国したそうで、 八木さんは生「松井」を見たそうです。なんだか報道陣がいるなぁ、と 僕が通り過ぎたのはその2分ほど前だったようで、松井を 撮りそこねてしまいました。まっいーか。

・・・お疲れさまでした。